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瀬戸内海の小島で宮本常一と渋沢敬三を思い出す-13.06.07

―財界の重鎮渋沢敬三が民俗学に傾倒した密かな理由―

<佐野真一が目を付けた二人の巨人>
 ノンフィクション作家の佐野真一は橋下徹大阪市長の出自にかかわる記事で、今までの地道な活動に汚点を残してしまったが、私は佐野ファンの一人である。読んだ本の一つに『旅する巨人』(1997、大宅壮一ノンフィクション賞)があり、民俗学者宮本常一とその支援者日銀総裁、大蔵大臣渋沢敬三に焦点を当てたものであった。

<宿命を背負った敬三の進路変更>
 ただ、その本の中で私が興味を抱いたのは、それまでよく知らなかった渋沢敬三と民俗学の関係である。明治の初期、日本に欧米の様々な制度、仕組みを取り入れた渋沢栄一の孫、第一銀行の銀行員から金融界のトップを勤めた敬三が、常一をはじめとする民俗学者をずっと支援し続けた。銀行員よりも民俗学者になりたかったのになれずじまい。そこでせめて貧しい民俗学者を援助しようとしたのだろう。放蕩の末に父篤二が廃嫡され、祖父栄一が羽織袴の正装で床に頭を擦り付けて第一銀行を継ぐように懇願したため、動物学者の夢を捨て東大で英法、経済学を学び、祖父の要請どおりの仕事をやり遂げている。その一方で、ずっと自らもいつの頃からか芽生えた民俗学の研究をし続けた。

<民俗学のパトロンとなった理由>
 今は少なくなったが、いわゆる文化・芸術のパトロンは、自らなりたかった画家なり音楽家なりになれず、その分儲けた金を自分のかつての夢に注ぎ込むというパターンだった。私は明治の大富豪の孫がなぜ民俗学に傾倒していったか、一所懸命目を皿にして読み込んだが、佐野はその点については一言も書いていなかった。
 宮本がのどかな瀬戸内海の小島(周防大島)育ちで、それが故に日本のムラに興味を持つようになるという動機はすぐわかったが、敬三と民俗学は18歳の時に柳田國男と出会ったこと以外、どうしても結びつかなかった。しかし、ただのパトロンではなく、自らも漁業・漁村について学者的業績も残している。この人並み外れた民俗学への傾倒には、どこかに理由があり、きっかけがあるはずである。それを知りたいと、同じ佐野の『渋沢家三代』(1998)も読んで謎を探った。

<篠原の一方的推理 ― 祖父・栄一への反発>
 そして、私の推理である。
 安倍総理が祖父岸信介の保守色なり、父晋太郎の「攻めの農政」をそのまま踏襲するように、誰しも祖先を意識して生きる。敬三は栄一の偉大な功績の重圧に耐えつつ、一生を送ったに違いない。
 栄一は、偶然徳川慶喜に仕え、その縁で弟徳川昭武の随員として幕末にパリに遊学する。そこで見聞きした株式会社等の制度・文化・仕組を、次々に日本に導入した先駆者だった。近代日本資本主義の生みの親とされている。
 敬三は、祖父の欧米風への日本改革に疑問を持ち、本来の日本の社会のほうがよかったのではないかと思い始め、その延長線上で日本風のよさを学ぶ民俗学に肩入れしたのではないか。つまり、偉大な祖父への反発がバネになっているような気がしてならない。大渋沢家の跡取りの重圧から家を出奔し、廃嫡された父篤二と偉大な祖父栄一の微妙な関係をじっと見てきた敬三は、いつしか祖父の欧米風「日本改造」に疑問を抱き始めたのではないか。そして行き着いたのが、民俗学である。芸術なら趣味の世界として片付けられるが、少々変わった学問、民俗学というと話が違ってくる。

<半端でない民俗学への傾注>
 25才の時、三田の屋敷内に動植物の標本、化石、郷土玩具などを収蔵した屋根裏博物館を造っていた。民俗学への没頭こそが、放蕩の父篤二と大実業家の祖父栄一の狭間に立った悩み深き青年敬三の唯一の息抜きであり、魂の救済だったのだ。
 敬三は、自分の役割をよく心得、論文を書くことではなく、資料を学界に提供することに中心を置いた。その先に国立民族学博物館があった。敬三が民俗学の発展のために投じた金は、現在の貨幣価値にすると百億円近くにのぼるという。見事な献身であるが、一方では栄一に学者への途を断念させられたこともあり、必死で自らのアイデンティティを求めたのであろう。

<元の百姓にもどればよいという達観>
 栄一は在野を貫き、財を一家のものとせず、「財なき財閥」といわれた。敬三は終戦時、嫌々ながら東条英機請われて日銀総裁となり、戦後すぐに今度は幣原喜重郎に請われ大蔵大臣までさせられた。しかし、戦争時の経済の混乱への贖罪意識から進んで大きな家屋敷を物納し、ほぼ無一文になっている。
 大蔵大臣を辞した1946年5月敬三は、三田のボロ家で畑を耕していた。「これから日本中を旅して全国の篤農家たちを結びつける仕事をやる」と語り、僻村・離島に出かけること480回に及んでいる。まさに旅する巨人だった。これでやっと大渋沢家の呪縛から逃れられると清々していたのかもしれない。
 敬三の毛並みの良さと日本民族への並々ならぬ愛情を嗅ぎとったのであろう、若き野心的政治家中曽根康弘は、改進党の総裁に担ぎ出そうとした。しかし当然のごとくそうした下世話な誘いには乗ることはなかった。事業家すら嫌がっていた敬三は、政治家はもっと嫌っていたのである。
 戦後のドン底生活の時代に何というすがすがしく腹の据わった生き方だろうか。栄一以前の埼玉血洗島の元の百姓に戻ればよいと達観していたのである。
 私はここに敬三の真骨頂をみる思いがする。

<祖父・栄一の犯した罪を償うための民俗学への援助か?>
 敬三は財閥の一つに生まれ金に余裕があったとはいえ、その後大学者となる若き民俗学者(岡正雄、今西錦司、中根千枝、梅棹忠夫、網野善彦等)への莫大な資金を注ぎ込んでの支援振りは他に類例をみない。(なお、私はこれらの学者の本を好んで読んで大きな影響を受けている。)
 敬三は日本を、そして日本の社会・風習、日本人の人情・気遣いが大好きであり、それが欧米化により廃れていくことに危機感を抱いていたのではないか。つまり、祖父の脱亜入欧に反発し、むしろ日本をありのままに残したかったのではないか。

 このことは、宮本や柳田の前に、江戸末期から明治初期にかけて日本を訪問して手記を残している欧米人が気付いている。この点は、渡部京二の『逝き去りし世の面影』に詳しい。(ブログ「TPPは国をゆがめる -11.1.8- 北信ローカル2011年1月1日寄稿」、拙著『TPPはいらない!』の第5章「21世紀はジャパナイゼーションの時代」参照)

<愚かなTPPと原発>
 それを今、日本では国を挙げて日本をぶち壊す目論見が進行中である。日本社会全体を壊すのはTPPであり、局地的かつ物理的に壊すのは原発である。
 私は、TPPは簡単にいうと国境をなくし、一国と同じになるようなおかしな協定だと思っている。韓国が他の多くの国とFTAを結んできた延長線上でアメリカと結んだところ、とんでもない内容にびっくり仰天し大騒ぎになっているのがその証である。
 そもそも、移民がつくり上げた人工的な国、米加豪NZ等と長い歴史を持つ日本や韓国では、簡単にいうと価値観が異なる。安倍首相は日米同盟を重視し、同じ自由主義諸国と連携していく「価値観外交」を口にする。本当の共通の価値観を貫徹するならば、アングロサクソン諸国とのTPPはありえず、東洋諸国との関係こそ大事にしなければならない。つまり、東アジア共同体なのだ。

<美しい故郷、周防大島>
 私は、4月の二週末を平岡秀夫候補の山口県参院補欠選挙の応援に費やし、宮本の故郷周防大島を訪れた。折しも、突然TPPなど言い出した菅直人元首相の街頭宣伝の場に出くわした。農協を訪問して平岡候補の支持をお願いしたが、話がいつしか故郷に戻る人たちのことに移っていった。都会に出て行っても、定年退職した者が多く戻ってみかん作りをしており、当然65歳以上の占める割合も高くなる。
 瀬戸内海の小さな島は美しいの一語に尽きる。4月中・下旬、瀬戸内海は芽吹き始めた頃であった。同じ緑といってもいくつにも色分けできる見事さであり、それが美しい島に見事に溶け込んでいた。私は日本の紅葉もさることながら、芽吹いた幾重もの緑の織りなす里山により愛おしさを感じる。穏やかな青い海と一体になった小島はそこに生まれた人ならずとも、何となく安心感を覚える日本の原風景である。誰しもが帰ってきたくなる生まれ故郷なのだ。それが今存亡の危機に瀕しているのだ。

<出でよ、第二、第三の渋沢敬三>
 宮本常一が生きていたら、故郷を侵略するTPPも上関原発も体を張って阻止するだろう。そして、財界・経済界の重鎮・渋沢敬三も、日本の伝統文化を壊しても平気な周りの金の亡者を一喝するに違いない。幸いに心ある学者は反TPPで立ち上がっているが、経済界に第二、第三の渋沢敬三がいないことは、日本の劣化の一現象かもしれない。
 こうした中、美しい日本をそして日本社会を守り抜くことこそ、政治の最も重要な役割の一つだという思いをより強くした次第である。