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2013年6月29日

女性がつなぐ政治と生活 6.30女性の集いのご案内 - 2013.06.29 -

女性がつなぐ政治と生活
「私たちの願い・思いを国政に反映させましょう」

= 羽田雄一郎と語る 女性の集い =

羽田雄一郎第1区後援会では下記のとおり「女性がつなぐ政治と生活」をテーマに、女性の集いを開催します。
 この集会を通じて、誰よりも平和を願う女性がいきいきと社会参加できる環境づくりを実現するため、羽田雄一郎議員と共に忌憚のない意見交換の場にしたいと願っております。

          記

とき   6月30日(日) 午後2時 開会
ところ  ホテル国際21(千歳の間)
      長野市南県町576 TEL.026-234-1111

パネラー予定者
1. 福祉関係者     山田千代子  (社会福祉士)
2. 幼児保育       高沢 貞子  (杉の子第2保育園 園長)
3. 農業関係       小川 和子  (農業委員・ケアマネージャー)
4. 働く女性       斉藤登美恵  (連合長野執行委員・電力総連)
5. 知的障がい者    塚田なおみ  (長野市手をつなぐ育成会会長)

コメンテーター      円よりこ    (前参議院議員)
コメンテーター      羽田雄一郎  (参議院議員)

コーディネーター    篠原 孝   (元農林水産副大臣・衆議院議員)

2013年6月27日

憲法9条の平和主義の精神を盤石なものにする改憲-13.06.27

―私の恒久平和のための改憲論―

 今国会の憲法審査会の議論が6月13日終了した。2年連続で憲法審査会に所属している民主党議員は私一人である。毎週木曜日の午前中、章ごとに議論してきた(篠原ブログ5月14日「憲法96条改正論議の矛盾」)。審議論議の一番の焦点は平和主義の根幹、憲法9条である。前文は、外国語の翻訳調になっていて悪文だと言われているが、平和を希求する点からいうと憲法は非常によくできている。

<前文と第2章 戦争放棄>
 憲法は、前文の第2パラグラフで恒久平和を念願するとし、第二章(戦争放棄)で9条は以下の通りに記している。
①日本国民は、誠意と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

<かつて安全保障を担当>
 私は、1982年秋 鈴木善幸内閣に設けられた、特別な組織、内閣総合安全保障関係閣僚会議担当室(以下「総合安保担当室」)に食料安全保障担当ということで出向させられた。当時は大平正芳首相の選挙中の急死で自民党が圧勝し、タカ派ムードが盛り上がっていた。今、尖閣列島問題等もあり、やたら勇ましい勢力が幅を効かしているのとよく似ている。しかし、根っからの平和主義者の鈴木首相は、日本の国の安全保障は、軍事ばかりではなく、食料安保、エネルギー安保、平和外交等総合的なものでなければならないという姿勢を明確にすべく、内閣に総合安保担当室を設置した。そのハト振りは徹底しており、安全保障というのに防衛庁の事務方を総合安保担当室に入れなかった。そして、日米同盟を軍事同盟とする伊東正義外相を即座に更迭している。今日の自衛隊を国防軍にとか集団的自衛権の行使を認めるといった論調をみると隔世の感がある(篠原ブログ07年7月13日「追悼 宮沢喜一」)。
 そこで猪木正道防衛大学校長、高坂正堯京大教授といった当代一流の安全保障関係の学者と勉強会を頻繁に開いたこともあり、それ以来私は、安全保障を常に自分の政策の一つの柱として考えてきた。政治家になってからも、外務委員会に3年も所属し、今は安全保障委員会に所属している。

<リベラルの会に最もふさわしい主張>
 衆院選出馬にあたって、マスコミからアンケート調査を受けた。汚い字ではあったが、真面目に自分で書いて提出した。当然憲法9条についての質問もあった。当選して間もなく、リベラルの会(護憲派グル―プ)の事務局から、アンケート調査を読んで「篠原さんこそ、最もリベラルの会に相応しい主張をされておられる方ですから、是非入ってください」と誘われ入会した。毎月5千円の会費を支払うことは後で知った。月に1~2回ぐらい開かれる会合にもいろいろ重なり出られなかったりして、あまり熱心な会員ではないが、退会しないまま続いている。

<日本国の意志で動く軍隊の派遣は禁止>
 私のどういう主張がリベラルの会にふさわしい主張だったか、紹介しておかなければならない。
 (戦争放棄、戦力不保持)
 9条は武器を海外で行使せず、自衛に徹することを明確にし、もっと平和的に変更すべき。自衛のための戦力保持は明記すべきだが、自衛に徹し、海外に脅威を与えない。
 (国連維持部隊創設論)
 国連は絶対ではなく、米国も無視している。日本ほど、国連に淡い期待を抱き続けている国はない。自ら判断すべきであり、国連維持部隊は評価しない。
 (集団的自衛権の行使)
 日本は日米同盟を言い過ぎており、米国はそんなに気にかけていない。日本は自国の防衛に徹し、他の国には派兵すべきではない。

 日本の独自の平和主義を謳った憲法は、完全に定着し、近隣諸国をはじめとする世界にも受け入れられている。一方、憲法を改正してもよいという国民も多くいる。
 ただ、私は憲法を改正する時は、前文を憲法9条の精神、すなわち恒久平和主義を前面に出した形で、海外への軍隊の派遣を禁止すべきだと思っている。その裏返しで、自衛のための軍隊である自衛隊を憲法上に明確に位置づける。よく国連が認めたPKO(平和維持活動)派遣は認めるといわれるが、日本国の意志が働く形での一部隊の派遣等は避けるべきである。一方、災害救助や施設整備等の手助けのための派遣は積極的に行う。
 もう政界を引退された岩国哲人さんが私と同じような考えの持ち主だった。

<自衛隊は軍隊として憲法上に明記>
 憲法9条第一項の戦争放棄に反対する人はいない。戦争はやっぱり放棄しなければならない。しかし、第二項の陸海空軍、その他一切の戦力を持たないは、あまりに現実離れしている。これで自衛隊を違憲だとされ続けてはたまらない。自衛隊は25万人の大きな軍隊であり、それを戦力ではないというまやかしをずっと通すわけにはいかない。自衛のための軍隊は持つべきであり、それを憲法上にきちんと位置付ける必要がある。

<集団的自衛権の行使といった大袈裟な理屈は不要>
 嫌味を言わせてもらえば、日本の存立基盤をアメリカに委ねていることが、集団的自衛権の行使などというややこしい論理が出てくる原因である。日本は自衛の軍隊を保持し、アメリカの軍隊に土地も経費も負担して駐留してもらうという屈辱的なことは、一刻も早く脱するべきなのだ。つまり、日本の自立のためには、アメリカ軍に、沖縄からそして日本の国土から出ていってもらう以外にない。
 よく日米共同軍事訓練の時に米軍が攻撃されても、集団的自衛権の行使が認められないから反撃できないといわれる。しかし、集団自衛権の行使などという仰々しいことを持ち出さなくても、日本の自衛権の行使として助けるのは当たり前のことだ。
 アメリカが戦争を始めたら常に世界中の戦場に出向くことになるだけである。日本の自衛隊をアメリカの始めた戦争につき合うという任務につかせるべきではないし、そんなことで日本の若者の命を粗末にしてはならない。

<戦争はいつも嘘の大義名分で始まる>
 日本でも、国連が絡んでいるPKO(平和維持活動)派遣は、武器の使用は認めないけれど、世界平和創出のためのとして認められることになっている。だが、私は前述のとおり、外国で日本の軍隊が日本国の指揮命令系統を受けて動くことは避けるべきだと思っている。なぜならば、正々堂々と侵略の意図を持って外国に軍隊を派遣する国などなく、いつももっともらしい言い掛かりを用意しているからである。典型的な例が、アメリカがイラクに大量破壊兵器があるからと言って爆撃したイラク戦争である。今になって、当のアメリカも大量破壊兵器はなかったといい、イギリスもそれを認めている。フランスとドイツにいたっては、もとからアメリカの嘘を見抜きアメリカに組みしなかった。それに対し、日本だけがアメリカに追従し、今も検証せずにうやむやのままである。

<中国が四川大地震の際も救援部隊を受け入れなかった理由>
 日本の自衛隊が出ていくとしたら、日本人を助ける、しいたげられている何々国民を助ける、という、もっともらしい理由をこじつけるかたちで入っていくであろう。そして、いつの間にか常駐することになってしまうことは歴史が教えている。だから 08年5月に四川大地震が起きて、日本が地震の救助については経験があるから派遣したいといっても、中国は受け入れず、4日経ってやっと日本を最初の援助国として受け入れた。しかし、大半の人は既に亡くなっていて、残念ながら1人も救助することができなかった。中国は軍の派遣を神経質に拒否したのである。当然アメリカもロシアも受け入れていない。これが厳しい国際政治の現実なのである。
 今スーダンにPKOが派遣されている。世界全体のPKOでみると派遣人数で45位の国だそうである。私は、そもそも日本のような小さな国は、余程頼まれた時以外は外国に軍隊を派遣する必要はないと思っている。そして、出ていくとしても、あくまで助っ人で貢献すればそれで十分である。なお、私の基準でいうとイラク戦争への派遣は×で、インド洋上の給油は○ということになる。

<安倍政権の暴走を抑える>
 私は、憲法9条改正論者という烙印を押され、「だからあなたは支持しない」と言われることがよくある。残念ながら、私の主張をきちんと理解してもらっていない。12年5月31日の憲法審査会で、前述のとおり、自衛隊を絶対に海外に派遣しない裏返しで、「自衛のための軍隊は持てると明記すべきだ」と私のいつもの発言をしたところ、9条改正派に入れられ、民主党の多数意見と違うと報じられた。私の主張の大事な点は、今の憲法9条の精神を守り抜くこと、いかなる理由があろうとも日本国の軍隊を外国に派遣しないことにある。30年前の自民党には、鈴木善幸、後藤田正晴、宇都宮徳馬といったそうそうたるハト派が存在した。つい最近までも、河野洋平、加藤紘一、野中広務、古賀誠といったリベラル保守がいたが、今や自民党は危険な集団に成り下がってしまった。
 私は、来期も憲法審査会入りを希望し、憲法論議に参画していくつもりである。安倍政権の暴走気味の憲法改正論議に歯止めを掛けなければならないからである。

民主党のTPP関連マニフェストは改善されたがいま一つ迫力なし-13.06.27

<TPPに軟弱な対応という誤解を払拭する必要>
 山田正彦さんが落選してしまったので、「TPPを慎重に考える会」の会長をしている。
 12年の年末の総選挙が始まってから、安住幹事長代行のTPPを反対する者は踏絵をして公認しないという、とんでもない発言があり、相当選挙に響いた。私にいたっては、周りから公認されないのではないかと心配され、公認されると執行部の前ではTPPに賛成をすると主張を曲げた意気地なしとされ、怒りの電話やメールをたくさんもらった(「選挙戦術における2つの失敗」13.02.13)。
 政治家はいつも批判に晒されるのは宿命かもしれないが、真実は一つである。
 似たような誤解を避けるため、会長としてTPPに関する参院選用マニフェストの顛末を報告しておかなければならない。
 民主党のTPPに関する参院選用のマニフェストが6月26日公表され、「農林水産物の重要5品目などの除外、食の安全、国民皆保険の国益を確保するため、脱退も辞さない厳しい姿勢で臨みます」と、自民党のJファイルとほぼ同じ表現になった。

<農業者戸別所得補償で躍進した参院民主党>
 詳細は既存ブログに譲る(「羽田元首相が予測した民主党政権の混乱」13.02.07)が、
   04年(農業再生プランのビラ110万枚を1人区中心に配り、1人区で13勝14敗と1議席差まで追い詰め、全体では50対49と初めて民主党が第一党の地位を占める)
   07年(小沢代表の強い指示により、農業再生プランの中の直接支払いを「農業者戸別所得補償」と改め、310万枚のビラを配り、非自民対自民で23勝6敗、そのうち18人が民主党と大勝)
 この2回の参院選の勝利により衆参のねじれを生み、2009年の衆議院選挙で民主党の大勝利につながったのである。このことを一番よく身に染みているのは、安倍首相であり、このリベンジ(仕返し)で、13年参院選勝利に並々ならぬ闘志を燃やしている。

<最近10年の衆参6回の選挙のうち半分の3回は農政(TPP)が勝敗を決した>
 12年末の総選挙の大敗北の根底には、民主党のだらしのない幼稚な政権運営に愛想を尽かされたという事がある。しかし05年の小泉郵政選挙と、12年の野田自爆解散と比べると、東京や千葉ではほぼ互角か改善されているが、北海道で11議席(09年は15議席)あったものが2議席、九州・四国・中国で19議席あったものが7議席に減るなど、地方で大打撃を受けている。明らかにTPPを推進などと言い出すから負けたのである。反対に自民党は、「聖域なき関税化がある限り絶対に反対」ということで選挙を闘い、地方で圧勝し294議席となり、政権を奪還している。(「民主党幹部のTPP前のめり発言で農村部・地方の小選挙区はほぼ全滅」13.02.08)
 このように最近10年の衆参6回の選挙のうち半分の3回は、農政(12年衆院選はTPP)が鍵を握っていたのだ。

<執行部は二度とも鹿野さんの主張を拒否し惨敗、鹿野さん本人も二度落選の憂き目>
 今回の参院選の争点は、憲法改正の問題がある。もう一つは脱原発である。ただこの二つについては、幸いにして民主党の考え方が国民の間に定着している。「96条の先行改正には反対」、「未来志向の憲法を構想する」(綱領)であり「2030年代に原発ゼロにしていく」ということで、自民党との対抗軸が出来上がっている。
 問題はTPPである。12年の衆院選マニフェスト末は、たった2回の全体会合でまとめてしまった。時の執行部は「TPPを推進すると言ったら同僚議員が大量に落ちる」という鹿野道彦元農相の大声の叫びを無視して暴走。鹿野さんは700票差で比例復活できなかった。(鹿野さんは05年の小泉郵政選挙の時も対抗法案を用意すべしと主張。ところが、岡田代表、仙谷政調会長、五十嵐NC総務相が受け入れず、選挙でも初の苦杯をなめた。)(「鹿野道彦さんの確かな政局を見る眼」 11.08.28)

<TPPへの態度が鍵を握る>
 こうした過去の事実関係からすると、この次の参議院選挙はどのように闘うか明らかだ。TPPについて民主党がきちんと姿勢を打ち出すことに尽きる。すなわち明確なTPP反対の姿勢を打ち出すとともに、自民党の衆院選の嘘公約とその公約違反を糾弾することである。

<丁寧な策定プロセス>
 残念ながら12年の衆院選マニフェストはほとんど顧みられなかった。マニフェストにない消費増税をやり、TPPに前のめりになる民主党は愛想をつかされている。今度のマニフェストもまじめにあれこれと細かいことを書き込み、07年同様に本体に漫画を入れ工夫はしているが、東京都議選の大敗北に象徴されるように、信用回復は簡単ではない。今回は櫻井政調会長の下、比べものにならないぐらいきちんとした丁寧なプロセスを踏んでまとめている。突然の自爆解散による衆院選と比べて時間的な余裕があったにせよ、今の海江田執行部は意見を聞いてまとめるというまともな姿勢があり、民主党が成熟しつつある証拠である。

<選挙を意識した政治的決断のできない正直政党>
 しかし、最後は政治決断が必要なのだ。ところが、残念ながら、最後のところで未熟さをさらけ出している。折しも米沢隆元議員が、民主党が選挙に勝てなくなったのは小沢さんがいなくなったから、と6月18日の朝日新聞で述べている。その通りである。自民党は白々しく、「TPPは絶対に反対」といって政権を獲ったあと、しゃあしゃあとTPP交渉に参加している。このずるさを身近で見ながら、なぜもっと野党に徹していられないのか、私にも不思議でならない。

<TPP推進議員の不可解な動き>
 私はマニフェストを議論する会合(全体会合、ネクストキャビネットの会合、経済連携PT)全てに皆勤している。その中ではたった一回、「今までの継続性があり、TPPが反対というのをだすのはあまり賛成できない」と推進寄りの発言があっただけである。他は全員TPPに反対という意見ばかりだった。
 TPPを推進する人たちはもともと、経済連携PTの会合にほとんど出てこない。時たま出席しても意見を言ってさっさと立ち去った。12年選挙の後になって超党派で「TPP交渉推進議連」ができ上がり、数人の民主党議員も参加している。超党派の会合に出ながら、党内の経済連携PTにはほとんど出ないし、出てきても意見を述べない。
 出席せず意見も出さない議員の声など聴く必要がないはずなのに、党内融和のためTPPを推進すべきという人に配慮した表現にするというのだ。しかし、残念ながらこれでは農村や地方でも民主党の本格的支持は得られない。

<参院選勝利にはTPP反対の明確な姿勢が必要>
 6月19日現在、農政連は、32選挙区しか推薦を出していない。出ているのは大半が自民党候補予定者であるが、野党では、民主党の岡崎トミ子、羽田雄一郎(2人区でダブル推薦)、舟山康江(みどりの風)、佐藤公冶(生活)と計4人だけを推薦している。つまり、農政連は人を見ながら推薦をしたのである。骨のある会長のいる佐賀は、12年9月に自民党推薦を決定したものの、安倍首相のTPP参加表明への抵抗のため、一旦白紙に戻している(「参院選と民主党のTPPへの対応」13.04.26)。この時点でもまだ推薦を決めていないというのは、民主党のマニフェストの書き振りなり約束振りをじっと見ているのである。北海道、群馬、鳥取は自主投票を決めている。そこに明確に反対していくという事を打ち出せば、次々と民主党推薦が増えるかもしれないのに、その絶好の機会を失ってしまっているのだ。これが、米沢さんのいう、大人の政党でないということである。
 よく国民の半数はTPP推進であり、反対はその半分の20数%にすぎないといわれる。しかし、フワッとした感じで、貿易を自由化していった方がいいと賛成しているだけであり、反対の20数パーセントは絶対反対なのである。民主党がTPPを反対だからと言って、そのために票を失う候補が一体何人いるだろうか。もっと言えば、TPP推進だからといって投票してくれないが、明確に反対と言えば20数%の人は投票してくれるのだ。この単純なことがわからないらしい。つまり、自民党と比べ、選挙に勝とうという意欲に欠けるのだ。
 TPP慎重会の会長として採点すると、12年末のマニフェストはマイナス100点、安住発言はマイナス200点なのに対し、60点と単位は一応もらえたというところ。できれば100点満点にしてほしかったというのが率直なところである。

<308議席を取り戻すのが再生の近道>
 民主党の一部には、民主党が再び都市政党に戻り(つまり、今のみんなの党や維新と同じになり)、再出発したいと考えている者もいるようだ。それがTPP推進議連(みんなの党)なり、96条を改正する会(維新の会)への参画に結びついている。悪く言えば連携を探るなり民主党を飛び出すキッカケを探っているのだろう。他に、規制改革、行政改革とやたら声高に叫ぶのもいる。10数年前の民主党の姿に他ならない。それでは、また振り出しに戻るにすぎない。
 しかし、都市政党に逆戻りするのは、政権交代はできても、政権運営で行き詰まったら見捨てられる脆弱な政党にしかならないという羽田孜元首相の考え方と真逆になる(「羽田元首相が予測した民主党政権の混乱」13.02.07)。308議席の民主党は、実は史上まれにみる農村政党となり、やっと1区現象から脱し総合政党になったことが忘れられている。私は308議席の大半を占めた農村・地方の議員を直ちに国政の場に引き戻せるような政策を打ち出し、そのための選挙戦術を練っていくのが民主党再生の王道であり、近道だと思っている。つまり、要は15年前に戻るか4年前に戻るかの違いであり、羽田さんの描いた総合政党への道を辿るしかないのだ。

<自民党との違いを打ち出す>
 自民党の公約は、「TPP等の経済連携交渉は、交渉力を駆使し、守るべきものは守り、攻めるべきものは攻めることにより、国益にかなう最善の道を追求します」と抽象的なものになり、農民や地方の疑念を更にかき立てている。一ランク下のJファイルには、農林水産分野の重要5品目等やこれまで営々と築き上げてきた国民皆保険制度などの聖域(死活的利益)を最優先し、それが確保できない場合は、脱退も辞さないものとするとある。自民党議員はJファイルも公約だと言い、高市政調会長が例によって、公約はとJファイルは違うと正直に失言し(?)、農村議員との間で揉めている。
 民主党は、一応12年末の衆院選時の執行部よりずっとましになり、かつ手続きもしっかりしてきたが、もっと明確に反TPPを打ち出してほしかったというのが本音である。当然のことだが、今回は12年衆院選と異なり、踏絵などと言い出す執行部はいないので、候補者自身がTPPについても自分の考えで政策を訴えていくしかあるまい。

2013年6月 7日

瀬戸内海の小島で宮本常一と渋沢敬三を思い出す-13.06.07

―財界の重鎮渋沢敬三が民俗学に傾倒した密かな理由―

<佐野真一が目を付けた二人の巨人>
 ノンフィクション作家の佐野真一は橋下徹大阪市長の出自にかかわる記事で、今までの地道な活動に汚点を残してしまったが、私は佐野ファンの一人である。読んだ本の一つに『旅する巨人』(1997、大宅壮一ノンフィクション賞)があり、民俗学者宮本常一とその支援者日銀総裁、大蔵大臣渋沢敬三に焦点を当てたものであった。

<宿命を背負った敬三の進路変更>
 ただ、その本の中で私が興味を抱いたのは、それまでよく知らなかった渋沢敬三と民俗学の関係である。明治の初期、日本に欧米の様々な制度、仕組みを取り入れた渋沢栄一の孫、第一銀行の銀行員から金融界のトップを勤めた敬三が、常一をはじめとする民俗学者をずっと支援し続けた。銀行員よりも民俗学者になりたかったのになれずじまい。そこでせめて貧しい民俗学者を援助しようとしたのだろう。放蕩の末に父篤二が廃嫡され、祖父栄一が羽織袴の正装で床に頭を擦り付けて第一銀行を継ぐように懇願したため、動物学者の夢を捨て東大で英法、経済学を学び、祖父の要請どおりの仕事をやり遂げている。その一方で、ずっと自らもいつの頃からか芽生えた民俗学の研究をし続けた。

<民俗学のパトロンとなった理由>
 今は少なくなったが、いわゆる文化・芸術のパトロンは、自らなりたかった画家なり音楽家なりになれず、その分儲けた金を自分のかつての夢に注ぎ込むというパターンだった。私は明治の大富豪の孫がなぜ民俗学に傾倒していったか、一所懸命目を皿にして読み込んだが、佐野はその点については一言も書いていなかった。
 宮本がのどかな瀬戸内海の小島(周防大島)育ちで、それが故に日本のムラに興味を持つようになるという動機はすぐわかったが、敬三と民俗学は18歳の時に柳田國男と出会ったこと以外、どうしても結びつかなかった。しかし、ただのパトロンではなく、自らも漁業・漁村について学者的業績も残している。この人並み外れた民俗学への傾倒には、どこかに理由があり、きっかけがあるはずである。それを知りたいと、同じ佐野の『渋沢家三代』(1998)も読んで謎を探った。

<篠原の一方的推理 ― 祖父・栄一への反発>
 そして、私の推理である。
 安倍総理が祖父岸信介の保守色なり、父晋太郎の「攻めの農政」をそのまま踏襲するように、誰しも祖先を意識して生きる。敬三は栄一の偉大な功績の重圧に耐えつつ、一生を送ったに違いない。
 栄一は、偶然徳川慶喜に仕え、その縁で弟徳川昭武の随員として幕末にパリに遊学する。そこで見聞きした株式会社等の制度・文化・仕組を、次々に日本に導入した先駆者だった。近代日本資本主義の生みの親とされている。
 敬三は、祖父の欧米風への日本改革に疑問を持ち、本来の日本の社会のほうがよかったのではないかと思い始め、その延長線上で日本風のよさを学ぶ民俗学に肩入れしたのではないか。つまり、偉大な祖父への反発がバネになっているような気がしてならない。大渋沢家の跡取りの重圧から家を出奔し、廃嫡された父篤二と偉大な祖父栄一の微妙な関係をじっと見てきた敬三は、いつしか祖父の欧米風「日本改造」に疑問を抱き始めたのではないか。そして行き着いたのが、民俗学である。芸術なら趣味の世界として片付けられるが、少々変わった学問、民俗学というと話が違ってくる。

<半端でない民俗学への傾注>
 25才の時、三田の屋敷内に動植物の標本、化石、郷土玩具などを収蔵した屋根裏博物館を造っていた。民俗学への没頭こそが、放蕩の父篤二と大実業家の祖父栄一の狭間に立った悩み深き青年敬三の唯一の息抜きであり、魂の救済だったのだ。
 敬三は、自分の役割をよく心得、論文を書くことではなく、資料を学界に提供することに中心を置いた。その先に国立民族学博物館があった。敬三が民俗学の発展のために投じた金は、現在の貨幣価値にすると百億円近くにのぼるという。見事な献身であるが、一方では栄一に学者への途を断念させられたこともあり、必死で自らのアイデンティティを求めたのであろう。

<元の百姓にもどればよいという達観>
 栄一は在野を貫き、財を一家のものとせず、「財なき財閥」といわれた。敬三は終戦時、嫌々ながら東条英機請われて日銀総裁となり、戦後すぐに今度は幣原喜重郎に請われ大蔵大臣までさせられた。しかし、戦争時の経済の混乱への贖罪意識から進んで大きな家屋敷を物納し、ほぼ無一文になっている。
 大蔵大臣を辞した1946年5月敬三は、三田のボロ家で畑を耕していた。「これから日本中を旅して全国の篤農家たちを結びつける仕事をやる」と語り、僻村・離島に出かけること480回に及んでいる。まさに旅する巨人だった。これでやっと大渋沢家の呪縛から逃れられると清々していたのかもしれない。
 敬三の毛並みの良さと日本民族への並々ならぬ愛情を嗅ぎとったのであろう、若き野心的政治家中曽根康弘は、改進党の総裁に担ぎ出そうとした。しかし当然のごとくそうした下世話な誘いには乗ることはなかった。事業家すら嫌がっていた敬三は、政治家はもっと嫌っていたのである。
 戦後のドン底生活の時代に何というすがすがしく腹の据わった生き方だろうか。栄一以前の埼玉血洗島の元の百姓に戻ればよいと達観していたのである。
 私はここに敬三の真骨頂をみる思いがする。

<祖父・栄一の犯した罪を償うための民俗学への援助か?>
 敬三は財閥の一つに生まれ金に余裕があったとはいえ、その後大学者となる若き民俗学者(岡正雄、今西錦司、中根千枝、梅棹忠夫、網野善彦等)への莫大な資金を注ぎ込んでの支援振りは他に類例をみない。(なお、私はこれらの学者の本を好んで読んで大きな影響を受けている。)
 敬三は日本を、そして日本の社会・風習、日本人の人情・気遣いが大好きであり、それが欧米化により廃れていくことに危機感を抱いていたのではないか。つまり、祖父の脱亜入欧に反発し、むしろ日本をありのままに残したかったのではないか。

 このことは、宮本や柳田の前に、江戸末期から明治初期にかけて日本を訪問して手記を残している欧米人が気付いている。この点は、渡部京二の『逝き去りし世の面影』に詳しい。(ブログ「TPPは国をゆがめる -11.1.8- 北信ローカル2011年1月1日寄稿」、拙著『TPPはいらない!』の第5章「21世紀はジャパナイゼーションの時代」参照)

<愚かなTPPと原発>
 それを今、日本では国を挙げて日本をぶち壊す目論見が進行中である。日本社会全体を壊すのはTPPであり、局地的かつ物理的に壊すのは原発である。
 私は、TPPは簡単にいうと国境をなくし、一国と同じになるようなおかしな協定だと思っている。韓国が他の多くの国とFTAを結んできた延長線上でアメリカと結んだところ、とんでもない内容にびっくり仰天し大騒ぎになっているのがその証である。
 そもそも、移民がつくり上げた人工的な国、米加豪NZ等と長い歴史を持つ日本や韓国では、簡単にいうと価値観が異なる。安倍首相は日米同盟を重視し、同じ自由主義諸国と連携していく「価値観外交」を口にする。本当の共通の価値観を貫徹するならば、アングロサクソン諸国とのTPPはありえず、東洋諸国との関係こそ大事にしなければならない。つまり、東アジア共同体なのだ。

<美しい故郷、周防大島>
 私は、4月の二週末を平岡秀夫候補の山口県参院補欠選挙の応援に費やし、宮本の故郷周防大島を訪れた。折しも、突然TPPなど言い出した菅直人元首相の街頭宣伝の場に出くわした。農協を訪問して平岡候補の支持をお願いしたが、話がいつしか故郷に戻る人たちのことに移っていった。都会に出て行っても、定年退職した者が多く戻ってみかん作りをしており、当然65歳以上の占める割合も高くなる。
 瀬戸内海の小さな島は美しいの一語に尽きる。4月中・下旬、瀬戸内海は芽吹き始めた頃であった。同じ緑といってもいくつにも色分けできる見事さであり、それが美しい島に見事に溶け込んでいた。私は日本の紅葉もさることながら、芽吹いた幾重もの緑の織りなす里山により愛おしさを感じる。穏やかな青い海と一体になった小島はそこに生まれた人ならずとも、何となく安心感を覚える日本の原風景である。誰しもが帰ってきたくなる生まれ故郷なのだ。それが今存亡の危機に瀕しているのだ。

<出でよ、第二、第三の渋沢敬三>
 宮本常一が生きていたら、故郷を侵略するTPPも上関原発も体を張って阻止するだろう。そして、財界・経済界の重鎮・渋沢敬三も、日本の伝統文化を壊しても平気な周りの金の亡者を一喝するに違いない。幸いに心ある学者は反TPPで立ち上がっているが、経済界に第二、第三の渋沢敬三がいないことは、日本の劣化の一現象かもしれない。
 こうした中、美しい日本をそして日本社会を守り抜くことこそ、政治の最も重要な役割の一つだという思いをより強くした次第である。

2013年6月 4日

TPP交渉の意外な展開と結末 ―日米ともに嘘で塗り固められる交渉過程―13.06.04

 5月29日、久方ぶりにTPPに関する国際シンポジウムが開催された。メインゲストはいつもおなじみのニュージーランドのジェーン・ケルシー教授、アメリカのNPOパブリックシチズンのロリ・ワラック弁護士、3人目は韓国から初めて参加の金鐘佑弁護士の3人である。
 2人の元気な女性は、私はもうすでに2回3回お会いし話も聞いている。最近の展開について話を聞いた。日本側のシンポジウムのパネラーは、榊原英資、孫崎 享、原中勝征(前日本医師会会長)、なかなかな豪華メンバーで、私も末席に名を連ねた。参議院の講堂、300人を超える大聴衆の中での3時間であった。

<日本の嘘>
 ここでの内容は、細部にわたるので省くが、明らかになったことは日本でもアメリカでも騙しが行われているということである。日本では自民党の公約「聖域なき関税撤廃という条件がある限りTPPには反対」に対して、安倍総理がオバマ大統領と聖域なき関税撤廃という条件はないということが分かったのでTPPの交渉に参加していいという、まことしやか嘘で公約破りをした。それにも関わらず、それを大きく宣伝し、日本のマスコミは騒ぎ立てた。これについては3月2日のロンドンエコノミストは、Spin and Substance (詐欺・だましと実体)というタイトルでレポートをまとめたとおり、アメリカは何ら評価していないことを明らかにした。日本の政治家とマスコミだけがことさら大きく報じている。
 その後の事前協議で、日本はアメリカの自動車関税の最大限の期間の維持、新しい簡保の新商品は造らない、非関税障壁を検討課題の要求をことごとく呑まされている。それに対して、5品目(米、麦、肉(牛肉・豚肉)、乳製品、砂糖)の例外など何一つ約束されていない。まさにインチキが横行している。

<アメリカの嘘>
 一方、アメリカではどうか。日本向けとアメリカ向けの都合のいい2つの報告が造られていたことは公然の事実である。これは外交にはままあることではある。アメリカ側には、日本は喜んでTPPに参加する。そして、例外なく全品品目を俎上に載せると言ったということになっている。「TPPを考える国民会議」の訪米団(原中、山田正彦、舟山康江、首藤信彦等)は、衆参両院の農林水産委員会でのTPP反対決議を米国議員に示したところ、米側はびっくりしていたという。USTRは我々は日本をやり込めたと盛んに議会に甘いお土産を突き付けているようである。そもそもUSTRというのは、行政府があまりにも横暴なことをするので、議会側の要求を聞くように設けられた役所である。あまり知られていないが、オバマの行政改革案では、USTRは潰れる運命になっている。

<焦るUSTRがTPPを使って巻き返し>
 日本経済新聞の3月の「私の履歴書」は、私が現役の農林水産省の役人で、国際関係に係わっていたころのUSTR代表であったカーラ・ヒルズのものであった。懐かしく思い出しながら読んだが、退屈なたぐいの私の履歴書であった。私の履歴書は、非常に率直で面白いものと、自分の自慢話ばかり、きれい事だけを並べたつまらないものに分かれるが、ヒルズは完全に後者に属する。その中で、ヒルズ自身が自分が代表であったころにはUSTRは、アメリカの役所の中で最も人気の高い役所の一つであったが、今や最も人気の無い役所の一つになっている、と嘆いている。オバマ政権はカーク代表だったが、ほとんど日本では知られていない。それだけ通商問題が重要ではなくなっていることの証拠なのかもしれない。そのためUSTRは組織の存亡をかけて、自らの仕事を過大に売り込んでいるのが透けて見えてくる。

<意味のない90日ルール>
 私は、首藤モデレーターの要請に基づき、最初のパネルディスカッションの口火を切った。そのために敢えてわかっていることだけれども「アメリカの90日ルールについて、今一体どうなっているのか。議論はしているのか」ということを聞いた。
 実は、議論など全く行われていない。90日ルールというのは、アメリカの独特の三権分立の制度から来ている。なぜかよくわからないが、外交交渉権限はなんと議会に属している。大きな交渉をするときには、議会が行政府にしばらく権限を与える法律を制定しなければ交渉が出来ないことになっている。それがウルグアイラウンドの時のファストトラックである。その期限が決められていて、その権限の期間が過ぎると行政府は交渉権限を失うことになっている。ところが今それが切れて、その後TPA(Trade Promotion Authority 貿易促進法)があったが、それも失効している。つまり、今アメリカ政府は議会から何の権限も与えられていないことになる。しかし、あたかも従来委どおり与えられて、90日間の議会への通告の後、交渉権限が認められることを当然のこととしている。

<アメリカ議会が交渉そのものを認めないおそれ>
 アメリカの場合、交渉権限を与えるかどうかの時に議論するのであって、一旦与えた以上交渉結果で、一括して認めるか認めないかしか採決できないようになっている。
 このことからすると、恐ろしい結果が待ち受けているかもしれない。アメリカ議会はこんな交渉権限をアメリカ政府に与えたことはないといって、突っぱねて交渉をさせないということも考えられる。また下手な交渉結果になった場合は、そもそもこんな交渉権限与えていないから、承認するもしないもないといって突っぱねられる可能性があるということだ。

<7月24日まで条文案を読めない日本>
 それから、ケルシー教授とワラック弁護士の報告から、また新しい問題が浮かび上がってきた。USTRがアメリカ議会に通告してから90日目は7月23日。次回マレーシア会合で、24、25と2日間だけ日本向けに会議が延長されることになっている。
 8割がたが成案を得られているという。ところが膨大な条文を、その日にならないと日本の交渉担当者が見ることが出来ないというのだ。何の準備もできずに2日間だけで、何の議論ができるのだろうか。これではみすみすサインだけをするために入るようなものである。ワラック弁護士は、「どうして日本が入っていくのか不思議である」と述べている。

<交渉期間延長の可能性は少ない>
 その後、10月のAPECの会合があり、12月に交渉妥結の会合を持つというのが今の筋書きである。日本からするともっと交渉を長引かせてほしいというのがねがいだろう。しかし、他の今の交渉参加国は、日本が新規参入したからといって交渉の妥結を長引かせることはまかりならんと共同歩調をとっている。日本は交渉に参加すると言っているけれども、何も実質的な交渉参加をさせてもらえず、ただサインするだけで終わる可能性が強い。こうした中で、5品目について除外・例外を勝ち取る事とか、食の安全について日本のルールをTPPのルールにするといったことは、ほとんど出来ない絵空事にしか過ぎないのではないかと考えられる。
 TPPの内容が日本の実情に合わないことはもちろんではあるが、このTPP交渉そのものが大きく間違っているような気がしてならない。