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2013年7月31日

民主党はルールを守り成熟した政党への脱皮を -13.07.31

<意味不明の代表選要求>
 7月26日(金)、例によって民主党のゴタゴタが両院議員総会の場で繰り返された。常任幹事会等で既に、細野グループと言われている小川淳也が参議員選挙の敗北の責任をとって代表選をやるべきだ、という声が出ていたという。そしてマスコミに公開された両院議員総会でも5人ほどが同じ主張を述べた。海江田代表に責任をとって辞めろというストレートな意見であれば、それはそれでそういう考え方もあると納得するが、代表選に海江田代表も信任のために出てもいいのだ、とかいう訳の分からない主張ではとてもついていけない。

<思い出す04年の菅代表降ろし>
 私はこの流れを見て、民主党に入ったばかりの時を思い出した。2004年、保険料未納の問題で、民主党ネクストキャビネット(NC)の中で菅NC首相だけが8ヶ月未納だということが発覚し、代表を辞めるべきだということで騒然となっていた。私がまずびっくりしたのは、自分達の選んだ代表を些細なことで降ろそうという流れである。当時、日本歯科医師政治連盟の1億円献金問題で、橋本龍太郎自民党総裁が窮地に立っていた。自民党は当然のことであるが、むしろ守ろうとしていた。
 私は一期生議員だったが、菅代表に辞める必要はない、そうだったとしても辞任をして秋の代表選にまた出れば良いという余計なアドバイスまでしていた。後に、大臣在任中の単純ミスで非はむしろ怠慢な社会保険庁にあったことがわかってくる。全く愚かなことをしたのである。(「年金問題と民主党、そして私の見解」(04年6月3日))

<代表任期を3年に伸ばしたばかり>
 民主党の代表の任期は従来2年だったが、安定した政治を求める観点から、3年に伸びた。 12年末の総選挙の敗北の後海江田代表を選び、党再生に向けた総括も行い党綱領も定めた。今は、もう海江田丸が帆を挙げてスタートしているのであり、帆を降ろしてなどいられないのだ。
 海江田代表の任期は、12年9月の代表選で選ばれた野田代表の任期2015年9月まで、2年以上の残存期間がある。国政選挙に負けたら責任をとって辞めなければならないというような規定もないのに、代表交替の要求が出て来るのは不思議でならない。

<平気で党規約違反をした野田執行部>
 古傷にあまり触れたくないが、12年6月、私は何としても党分裂は避けたかった。不満は不透明な党内論議の進め方にあった。そのため党規約に決められた全国会議員の3分の1(当時132)以上の156名の署名を集めて、両院議員総会の開催による決定を迫った。消費増税に反対する者も党のきちんとした決定には従うとしていたからだ。ところが、党規約はすみやかに開催すべきとしているのに対し、なんと野田執行部は党規約違反をして開催せず、本会議での大量造反、そして党の分裂を招いてしまった。
 私自身も党規約違反の法案に賛成できないとして棄権し、厳重注意処分を受けた。しかし断罪されるべきは、党規約違反をして党分裂を招いた執行部なのだ。国会議員が自分で決めたルールを守らないようでは、国民に示しがつかない。(「消費増税法案採決に棄権した理由」-2012.6.27

<選挙のために銘柄議員を代表にするポピュリズム政党>
 民主党は、いつも代表選なり役員人事で知名度があって選挙の顔になる人を選ぶといった傾向がある。数多くの議員が代表の人気なり、風で当選してきているため、看板にならなくなった代表をすぐ捨てて新顔に代えようとするのだ。要は、自らの議席を維持するための代表交代要求なのだ。
 与党になったらこんな卑しい動きは少くなるかと思ったが、相変わらず銘柄品だけが閣僚や党役員になり、メリーゴランド人事と揶揄された。実力のある地味な人材が、主要ポストに就くのは少なかった。このため党運営も政権運営もガタガタしどおしで、3年3ヶ月の混乱に拍車をかけた。

<代表選出責任を果たす>
 私は、農水省という古典的組織に30年間務めたが、できのいい組織人とはいえなかった。ただ、うるさい上司にも鈍感で、色々ガミガミ言われてもめげない役人というレッテルを貼られ、そうした類の立派過ぎる上司の部下にわざと押し込まれた。変な役目だが、せいぜい2年の付き合いだと自らを慰め、次の人事異動を待ちながら過ごすしかなかった。上司は篠原のように理屈をこねて言うことをきかない奴は代えて、もっと従順な奴をよこせとか選べるが、私には上司を選べない。それでも我慢をして仕事を続けなければならないのだ。サラリーマンなら誰でも経験することである。
 ところが、我が党の当選5、6回以上の幹部は、ジャーナリスト、弁護士、松下政経塾、研究者、秘書等非組織人が大半で、普通の社会人生活をした人が少ないのだ。つまり、自由人(?)が多く、組織の普通のルールを守れない人が多い。
 国会議員と代表との関係が少々違うかもしれないが、少なくとも代表は我々が選んでいる。閣僚が不祥事を起こすと、いつも決って総理の任命責任を問うが、我々にも代表選出責任がある。かつて金丸信(自民党)は、「どんなボロ神輿でも神輿は担ぐもの」といって支えたが、我が民主党にはそういう風土が欠けすぎている。

<でたらめな政権運営のツケ>
 今回参院選は、確かに大敗北である。民主党の長期低落傾向は止まっていない。しかし全て3年3ヶ月の思い上がった政権運営と党運営、そして与党であるにもかかわらず多くの離党者を出したりしてもめ続けたことに原因がある。特に、最後の野田内閣の強引なやり方、そしてとんでもない時期の解散、この時のダメージをずっと引きずっているにすぎない。
 維新の会の低落の原因は橋下代表の従軍慰安婦発言にあることは衆目の一致するところである。当然橋下代表の責任論が出て、本人も辞任を申し出たにもかかわらずとどまることになった。それに対して選挙期間中に海江田代表の失言が飛び出したために民主党が大敗北したわけではない。
 維新の会には大看板を失っては党の存立基盤を失うという、別の事情があるにせよ、そう簡単に代表は変わらないのが普通である。新しい党なのに民主党より成熟した対応をしている。

<すさまじかった民主党への風当たり・民主党の忌避>
 衆議院選挙はまだ個人の名前が色濃く出るため、民主党への嫌悪感が中和される、それに対し、党が前面に出る参議院選挙、中でも党名を書く人が75%以上の比例区となると、民主党票が激減することは十分予想できた。そして713万票と全体の13.4%で公明の758万票(14.2%)に抜かれ、維新・共産・みんな と横並びの弱小政党に成り下がってしまった。1人区全敗という惨敗である。
 そして、前ブログで述べたとおり31ある1人区では民主党を離党した平野達男(岩手・無所属)が勝ち、舟山康江(山形・みどりの風)が、2万票差と最も肉薄した。つまり、信用をとことん失った民主党は、どうあがいても今回は勝てなかったのだ。
 ただ、つまらぬ言い訳になるが、12月末の総選挙は230の現職に対し57人(24.8%)しか当選しなかったのに対し、今回は44議席から17議席と38.6%が残存し、数字の上で見れば12年の年末の選挙よりは善戦しているということになる。

<用意しておくべきだった大敗北後の納得する収拾案>
 今回の参院選、一体民主党の勝利を予想した人がいるのだろうか。ただの一人もいないはずである。それならば、我が民主党は、当然予想された大敗北をどのようにして乗り越えるかを準備しておき、素早く対応すべきだったのだ。それを細野幹事長は、全く逆に党を混乱させる辞任を言い出したのだから始末が悪い。今我が党に何が求められているかわかっていないのだ。
 海江田・細野体制に参院選大敗北の責任はないが、これを見越してさっと収拾しなかったこと、更には逆に唐突な菅元首相除籍問題で民主党の迷走を世間に見せて、またかという印象を植え付けてしまった。従って、細野幹事長の辞任は仕方あるまい。

<篠原の言い分再現>
 今回は、発言はやめておこうと思っていた。ところが、後半になり田島要、柚木道義、小西洋之、渡辺周、福山哲郎と5人が代表辞任、代表選実施の意見を述べ、そのままフワァーと終わりそうになったので発言せざるをえなくなった。私が強調したかったことをここで再現しておかないとならない。
 海江田代表は何よりも我々が選挙で選んだ代表である。それを任期途中で代表選をやるのは理屈がたたない(2015年9月まであと2年余ある)。もともと民主党はズタズタに引き裂かれて評判を落とした党である。企業でいえば大赤字の企業といえる。その大赤字の企業が7ヶ月で大黒字になれるのだろうか。
 選挙に負けるのは代表のせいなのか、マニフェストのせいなのか。一人ひとりの国会議員が政策を訴え、党代表が誰であり、マニフェストがどうであれ、有権者に支持されて勝ち上がってくるべきであり、代表のせいにするには情けないことである。
 代表選などやらずに、一致団結していくべきだ。
 
 代表が続投、幹事長が大畠章宏に代わり、民主党はまた苦しい再生の途を歩んでいかなければならない。

2013年7月21日

「奈落の底」で「黄金の日々」を顧みる - 7月21日 19:30 脱稿 -

<民主党のかつての黄金の日々>
 参院選終盤、新聞各紙は民主党の大苦戦・大凋落振りを一斉に報じている。それにつけても、6年前の07年と比べると様変わりである。特に1人区にその差が顕著に表れている。
今回は、1人区(31)での民主党の勝利は全く見込みなし。

 山形(舟山-みどりの風)、岩手(平野-無所属)、沖縄(糸数-諸派)と3県が自民と争っているが、全員非民主。前2者は農林水産省の私の後輩で元民主党の離党組というのも共通している。当然、二人とも私の選挙応援もしてくれている。しかし、舟山康江は民主が支持しているので応援できるが、平野達男は対立候補を出しているため応援できない。
 6年前は、29の1人区で23勝(民主18)6敗と大きく勝ち越し、全体でも民主62議席、自民37議席と圧勝した。まさに、昇り調子の民主党の黄金の日々であった。

<現在は奈落の底>
 比例区も民主20議席に対して自民14議席だったが、今回は、民主は比例区も10を割り、5~8議席ぐらいしか見込めないという。そして、民主全体の議席数も62議席から3分の1あるいは最悪4分の1に縮小し、20を割るかもしれない惨憺たる状況である。1998年の結党以来の最低26を下回るかもしれない。
 逆に自民党は70議席を超え、比例区も22と小泉旋風下の01年を凌ぐ勢いだという。
 あまりの格差に愕然とせざるをえない。あまちゃんではないが、奈落の底である。
 衆議院は有権者と候補者の関係がずっと濃密であり、民主党への逆風を和らげることができるが、党が全面に出る参院選は逆風をもろに受ける。

<民主党のアップ・ダウン>
 この6年間、民主党をめぐる情勢なり、日本の政治をめぐる情勢にどのような変化があったのだろうか。
 6年前の参院選は、安倍首相にとっては屈辱の選挙だった。1人区での大敗に象徴される大敗北により、首相の座から降りなければならなくなった。恨み骨髄に達しているのだろう。親の仇、議席を取り戻さなければ死んでも死にきれない、民主党を殲滅する等、勇ましい言葉を発して、この参院選に並々ならぬ闘志を燃やしている。その後、福田・麻生内閣を経て09年8月の政権交代選挙で、民主党が308議席と圧勝し、民主党政権が誕生した。 
すぐさま鳩山首相の普天間基地問題で混乱が生じ、1年も経たず首相退陣。10年6月に鳩山政権から引き継いで菅政権が誕生した時は、内閣支持率も60%を超え、参院選も与党として勝利間違いなしのムードが漂っていた。そこに6月17日の消費税発言である。
 参院選で負けはしたが、それでも44議席を維持し、参議院は民主党側(与党)が多数を占めた。農業者戸別所得補償等の公約は実行に移していったが、子ども手当等では迷走が始まった。菅内閣では10月1日に所信表明で突然のTPP参加発言と、驕りが続いた。翌年3月11日の東日本大震災は、まさに災難であり、自民党政権では絶対にできない浜岡原発の停止等民主党らしい政策も実行できた。
 その後、野田内閣となり、マニフェストにもない消費税で暴走し、その延長で12年末の自爆解散によって約230議席から57議席の小政党に転落した。

<まずい政権運営への批判を引きずる敗北>
 今回の大敗北予測に対し、気の早いマスコミは海江田代表の責任論などと言い出す始末である。全く的外れである。こんな落ち目、弱り目、祟り目の今の民主党、誰が党首だろうと勝てるはずがない。すべて、3年3か月ののぼせ上がった政権運営が原因である。もしも責任を取らせるというなら、民主党政権の間、特に後半の菅・野田政権の間ずっと政権・党中枢にあって民主党らしい政策を忘れ、国民の期待感を大きく裏切り失望させるとともに、強引な党運営により党を分裂させた面々に取らせるべきである。今の執行部が悪いのではない。

<2回連続大勝利は異例>
 アメリカの中間選挙は、大半が野党側、すなわち大統領を出していない政党が勝利する。国民・有権者は議会にチェック機能を果たさせようとするからである。日本は衆議院に解散があり、国政選挙はバラバラ行われるが、今までは大体与野党が交代に勝利してきており、片方が続けて大勝利することはなかった。両国民とも微妙なバランス感覚を働かせていたのである。
 ところが、今回は12年末の総選挙に続いて自民党が2回連続圧勝する勢いである。09年の政権交代により、日本の選挙も少し狂いが生じつつあるようだ。

<政治も独占はあってはならず>
 7月20日現在地方区の勝利予想では、31の1人区は自民29、他の2つは非民主野党で、民主ゼロ。16の2人区以上でも民主党が安泰なのは小川(北海道)、羽田(長野)、榛葉(静岡)、大塚(愛知)の4人だけで、あとは自民が当確で、残った議席を野党同士で争っているという状況である。従って最終日、海江田代表は大阪・兵庫と遊説し、安倍首相は、東京が予定されている。二党首とも激しく競り合っている選挙区に行くのだ。
このままいくと政党としては全都道府県で自民党が第1位を占める、という空恐ろしい独占状態になってしまう。
どんなに自由競争、市場原理を重視する者でも、その挙句一社の独占状態になり競争を阻害し、市場も働かなくなるという状態を是とする者はいまい。ところが日本の政界は今そういう寡占状態にならんとしているのだ。政治も経済も同じであり、独占や寡占はあってはならないことである。

<自民党の「欺ます政治」が取り戻される>
 「日本を取り戻す」という自民党のポスターが全国に貼り出されている。自民党の圧勝により、少なくとも「国民を欺ます」政治が取り戻されることは確実である。その片鱗は既にチラッと見せ始めている。
 終盤国会、民主党は電力システム改革を進める電気事業法改正案、生活保護法改正案等重要4法案の成立を優先すべきと主張していたが、自民党は突如安倍首相の問責決議の採決を行なった。確かに約束した予算委員会に欠席するのは重大な憲法違反(63条)であるが、これで法案はすべて廃案となった。
 そして悪いのは野党だというデマ宣伝である。「決められる政治のために衆参のねじれ解消を」という、参院選用のスローガン造りのための大芝居を打ったのだ。宮藤官九郎には見え見えのお決まりのシナリオであろう。本当は電事連議員の多い自民党は電気事業法を通したくなかったという別の事情もある。

<昔に戻る「恫喝政治」の再開>
 このような悪い魂胆は政治のプロにはすぐ見破られ、TBSが正直にこの点を放送したところ、党幹部への取材や番組出演を拒否するという怪挙(?)に出た。マスコミを恫喝して自らの嘘を隠し、強引に変な政治を進め始めている。
 ナチス・ドイツは、ヒトラーの信任を得たゲッベルス宣伝相が欺ましと恫喝でドイツを奈落の底に突き落としていった。こんな調子で原発も再稼働され、TPPに入り、憲法改正されていくとしたら、日本の暴走は止まらなくなってしまう。我々民主党は心して政治に取り組む必要があるし、国民にももっと目をかっ開いて見てほしい気がする。

<民主党再生のためのシナリオは?>
 天野アキが奈落からどう這い上がっていくかは、クドカンがアッと驚くシナリオを考えてくれているに違いない。しかし、民主党が予想される参院選の大敗北からどう立ち上がるかは、誰もわからない。自民党の安倍総裁は、民主党を完膚なきまでに叩きのめすといきり立ち、政治評論家は民主党が旧社会党・社民党と同じ運命を辿るともっともらしく予測をしている。それでは日本の政治はよくならない。是が非でも民主党が再び勢いを取り戻し、政権奪取すべく我々民主党議員が必死で復活のシナリオを考えるしかない。

2013年7月20日

鹿野応援 総括シリーズ15 「篠原の最後のお願い」 - 13.07.20

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「篠原の最後のお願い」
 民主党は未熟な党です。羽田孜元首相が、政権を取っても政権運営に馴れてないからガタガタし、都市部の有権者から見放されるだろうと予測されましたが、その通りというより、その予想をはるかに上回るトンデモナイ政権でした。
 政治には経験・熟練が必要です。
 民主党政権も、自民党時代に二度(農相、総務庁長官)も閣僚をした鹿野さんにもっと仕事をしてもらえば、こんなにガタつかなかったはずです。
 残念なことに、未だもって自民党の圧勝が予想されています。原発も自民党は再稼働するというのに、国民の大半は反対です。憲法96条改正も自民党は乗り気なのに、国民は首をかしげています。TPPは、内容がわからないためフワーとした賛成が多いものの、絶対反対が30%以上に達します。社会保障制度改革もやってほしいというのに、何も手を付けようとしません。これだけズレがあるのに、経済なり景気がちょっとよさそうだから、というだけで高支持率を維持しているのが自民党です。
 民主党がしっかりしないといけません。それには鹿野さんの経験に基づいた知恵が必要です。
 民主党の大退潮ムードの中、海江田代表たっての要請により、敢えて立候補された鹿野さんの心意気を買っていただき、来る投票日には、2枚目の比例区に「かの道彦」とお書きいただくことを切にお願いして、このシリーズを締めさせていただきます。

2013年7月19日

鹿野応援 総括シリーズ14 「新グループ素交会の誕生」 - 13.07.19

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「新グループ素交会の誕生」
 権力は抑制的に行使しなければなりません。それを菅・野田両首相は念願の総理の座にはしゃぎすぎ、やれ消費税だ、TPPだと虚栄に傾きました。2人とも政治以外の職業経験のほとんどない政治を職業としている政治家です(菅さんは数年の弁理士経験あり)。マックス・ヴェーバーの著作『職業としての政治』に、歴史に名を残すなど虚栄心を持ち、無責任な権力行使をすることを戒めていますが、他の職業を知らない政治家が自己陶酔して権力を濫用してしまったのです。
 2011年以降の最優先課題は、東日本大震災からの復旧・復興しかありません。日豪EPA交渉を迫るギラート豪首相も被災地を訪れ、交渉進展を言わなくなりました。それを2人ともTPPなどと言い出すのですから、どこかネジが外れているのです。
 マスコミは、鹿野支持グループは若手が首相になると当選回数の多い議員が働き場所がなくなるから、仕方なしに鹿野さんに集まったなどと見当違いのことを書きました。違うのです。本当に民主党の将来を憂い、日本の政治の立て直しのためには鹿野さんしかないと集まったのです。権力の行使を抑えて行えるベテラン政治家は他に見当たりません。私はというと農林族の仲間とレッテルを貼られますが、4期生の大島敦(埼玉)、2期生の逢坂誠二(北海道)等の中堅のホープがベテラン同様、民主党に何が必要か見抜いていました。しかし、にわか仕立てのアマチュア政治家にはそれが全く見えていなかったのです。そして我々が恐れていたとおり、野田首相は年末の自爆解散という非常識な権力行使に手を染めてしまいました。
 我々は、せっかく同じ想いで鹿野さんを担いだのだからと、素交会というグループを作り、積極的な活動をしてきました。そして今、鹿野さんは名誉会長。一日も早く本物の会長に復帰してもらわないとなりません。

2013年7月18日

鹿野応援 総括シリーズ13 「鹿野代表選擁立」 - 13.07.18

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野代表選擁立」
 何とか塾の皆さんや政治家しか経験のない政治オタクの皆さんは、代表選とか政局となると燃える方が多くみられます。しかし、私は55歳で受け身で政治家になっただけで、内輪の争い特に代表選は嫌いで、いつも傍観者でした。
 しかし、菅政権の中頃から意を決しました。もともと幼稚な議員に政治ができるのかと心配していましたが、閣僚たちの勝手な放言、内閣や党の運営のまずさが眼に付き、黙って見ておられませんでした。鳩山さんも菅さんもそこそこ意見を言える関係にありましたので、特に菅政権に対して常に紙にまとめていろいろ提言しました。あまり、こういうことを言うのはよくないかとも思いますが、その一つに「鹿野幹事長」があります。しかし、なかなか受け入れられませんでした。鹿野幹事長なら菅政権がずっと続いたかもしれないのです。
 11年8月下旬、菅さんが退陣表明するちょっと前から、私は鹿野さんに総理になってもらうしかないと思うようになり、同志を集めて初めて代表選に関わりました。菅さんからは「政策の使徒が政局の人になっている」と冷やかされました。
 海江田、前原、野田、馬淵と5人の候補者の中で、結果は4位。決選投票で背広を脱いで2位の野田さんに投票とシグナルを送り、「背広脱ぎの鹿野」として話題になりました。
 この時のいかにも鹿野さんらしいエピソード2つを紹介しておきます。
 海江田、野田は閣内にいましたが、当然代表選出馬を明らかにし選挙活動をしてきましたが、鹿野さんは菅内閣の一員だとして頑として動こうとされないのです。出馬表明は菅さんが正式に退陣表明をした後、8月26日(金)の午後、ほとんどいなくなった議員会館を私の先導で挨拶回り。143人もいる1期生には最も馴染みのない候補であり、最も早く顔見せしないとならなかったのに、この律儀さ。
 次は、極秘事項でしたが、6月18日、朝日新聞の東北版に載った「首相に近づいた男 鹿野道彦/「小沢幹事長」拒み脱落」の記事です。首相になりたい一心で、さんざん小沢批判をしてきた前原、野田が小沢に擦り寄りました。鹿野さんには逆に小沢サイドから話がありました。政治や経験の長い小沢さんには、誰が一番首相にふさわしいか一目瞭然だったのです。
 しかし、鹿野さんは記事のとおり拒否します。そして小沢グループが大挙して海江田支持に動き、1回目の投票は大差で1位となりました。首相の座よりも政治家としての矜持を選んだのです。いかにも鹿野さんらしい決断です。

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