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2013年07月12日

鹿野応援 総括シリーズ7 「鹿野さんが自民党を離党したもう一つの理由」 - 13.07.12

羽田雄一郎さん(長野県区)鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野さんが自民党を離党したもう一つの理由」
 自民党には大きく分けて二つの流れ、すなわち経済や地方を大切にする宏池会・経世会と、憲法・教育・日米同盟を中心に据える清和会・志師会(中曽根派の流れ)です。東北の田舎のDNAが入り込んで鹿野さんも田名部匡省さん(青森)も、清和会が肌に合わなかったのかもしれません。一緒に飛び出しています。
 小沢さんは、自由党時代、自・自・公で自民党とくっつきました。民主党を壊した幹部は元さきがけが多いのですが(鳩山、菅、前原、枝野、玄葉等)、自・社・さ政権でやはり自民党と手を組んでいます。
 鹿野さんは、94年に新進党に入り、小沢さんと党首選を争いました。僅差で破れましたが、小沢さんは直後に解党してしまいました。その後、98年に民主党に参画し、副代表等役職をこなしてこられました。つまり、前回ブログのとおり、一貫して非自民を貫き通しているのです。

2013年07月11日

鹿野応援 総括シリーズ6 「福田派・安倍派(清和会)のプリンス」 - 13.07.11

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「福田派・安倍派(清和会)のプリンス」
 与党民主党政権の人事はでたらめで比較になりませんが、自民党の人事はかなりしっかりしています。昔なら政務次官人事が、衆院なら当選2回と決まっていました。当選5回の47歳で農林水産大臣は大抜擢です。最近の若い大臣では故中川昭一さんがいますが、51歳でした。
 鹿野さんの資質を見抜いた一人が清和会の長・福田赳夫さんで、安倍晋太郎さんの後の派閥の長は鹿野さんだと随所で明言されていたそうです。 清和会は、今、かつての経世会並みの大権勢を誇っています。最近でも、森、小泉、安倍、福田、そして再び安倍と首相を輩出するタカ派集団です。
 おわかりと思います。政治で「もし」はありませんが、鹿野さんが自民党に残っていたら、森首相も小泉首相もなく、鹿野首相が誕生していたかもしれないのです。
 しかし、血気盛んで正義感の強い鹿野さんは、1994年、二大政党制のもととなる政治改革法案の成立後、堕落した自民党を離党し、新党みらいの代表になります。大半の離党者は経世会(田中派)でしたが、清和会からも数人離党しました。そして以後ずっと非自民を貫いてきている、筋を通す人なのです。
 長野のブログの読者はおわかりと思います。そうなのです。羽田孜元首相と瓜二つの生き方をしている、数少ない誠実な政治家なのです。私が、羽田さんの口説きに負け(?)、鹿野さんに魅かれる理由がおわかりいただけると思います。

2013年07月10日

鹿野応援 総括シリーズ5.5 「15万枚のハガキと7万枚のポスター」

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「15万枚のハガキと7万枚のポスター」
 参院選は、長野地方区の北沢さんと羽田さんの選挙に全面的にかかわるのはもちろん、全国に出かけて応援してきました。特に6年前は、民主党が上り調子でもあり、2人区はゴールデンシートと呼ばれ、ほぼ民主と自民で分け合ってきたので、安泰党本部の命により、私は山形の舟山康江の選対本部長として大半を山形で過ごしました。そして羽田雄一郎さんは54万票(吉田博美さん30万票)と圧勝し、舟山康江さんも見事な初当選を果たしました。
 今回、私の尊敬する先輩政治家鹿野さんの急遽の比例区立候補で、再び山形に顔を出さなければならなくなりました。
 ところが、出馬表明が6月30日、準備は何一つ整っていませんでした。通常、参議院比例区(全国区)は残酷区とも呼ばれ、1年前から日本全国を飛び回らなければならない過酷な選挙活動が必要です。それを、告示前1週間を切ってからの出馬ですから大変です。
 手段は、15万枚の選挙用ハガキと7万枚のポスターしかありません。後者は、地域(山形)限定比例区候補という特殊性から山形県内に重点的に貼り、鹿野さんの出馬を伝えるべく今(7/10)やっと貼り出したところです。ハガキは後述する鹿野さんの代表選時集まった素交会のメンバーにも各地で出してもらうことにしました。
 幸い、地元紙山形新聞が、1面に山形地方区の4人の候補者とともに、たった1人の山形県関係比例区立候補者として紹介してくれ、鹿野出馬が県民に伝わりました。かつての中選挙区の有権者は大歓迎。元自民党議員だったたこともあり、鹿野さんの最後の戦いに党派を越えて一票を投じてくれそうなのが救いです。

鹿野応援 総括シリーズ5 「一緒に作った農業者戸別所得補償」 - 13.07.10

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「一緒に作った農業者戸別所得補償」
 私が衆議院議員に当選した2003年以降は、相当濃密的な付き合いが続きました。
 鹿野さんはNC農水大臣。菅代表の支持の下、農業再生プランを策定しました。この中の看板政策が小沢代表時代に名を変えて「農業者戸別所得補償」として役立つことになります。07年の参院選の1人区23勝6敗の原動力になり、今、自民党政権でも名前を変えられましたが、民主党の政策の中でこれだけ定着したものはありません。つまり、民主党の政権奪取のきっかけは鹿野・篠原コンビが作ったともいえるのです。すぐ飛びついた小沢さんの政治勘はさすがですが、種を蒔いたのは鹿野さんなのです。
 これ以来、もう完全な二人三脚で民主党農政を引っ張ってきました。
 ところが、この間に鹿野さんは悲運にあわれることになります。

2013年07月09日

鹿野応援 総括シリーズ4 「鹿野さんと篠原の付き合いの始まり」 - 13.07.09

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野さんと篠原の付き合いの始まり」
 鹿野さんと私が名前と顔がわかる付き合いを始めたのは、1980年、鹿野さんの農林水産大臣就任の時からです。同期の親しいSが秘書官になりました。
 農林族議員なら普通は大臣になられる前から知っているのですが、あまり深い付き合いはありませんでした。鹿野さんはもちろん自民党の農林部会には出席されていましたが、主として運輸族だったのです。派閥間の均衡等で自分の専門分野以外の大臣になることもあるのです。
 若干47歳、生きのいい若手政治家の大抜擢でした。大臣時代、アメリカのフロリダで初の5ヶ国農相会議が開かれ、ヤイター農務長官と渡り合いました。これ以来、農林族の重鎮としての地歩を築いてこられました。
 私が対外政策調整室長時代に日米構造協議でワシントンDCに出張した時、与党自民党の団長として同じ飛行機に乗り合わせ、ウォーターゲートホテル(ニクソン大統領の盗聴事件が起こった所)の一室で、翌日のヤイター長官との米問題の交渉の予行演習。肝腎の日米構造協議の打ち合わせに来ないと叱られてしまいました。ブリュッセルのUR会合も、羽田孜、加藤紘一の両巨頭とともに1週間一緒でした。

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