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2013年07月31日

民主党はルールを守り成熟した政党への脱皮を -13.07.31

<意味不明の代表選要求>
 7月26日(金)、例によって民主党のゴタゴタが両院議員総会の場で繰り返された。常任幹事会等で既に、細野グループと言われている小川淳也が参議員選挙の敗北の責任をとって代表選をやるべきだ、という声が出ていたという。そしてマスコミに公開された両院議員総会でも5人ほどが同じ主張を述べた。海江田代表に責任をとって辞めろというストレートな意見であれば、それはそれでそういう考え方もあると納得するが、代表選に海江田代表も信任のために出てもいいのだ、とかいう訳の分からない主張ではとてもついていけない。

<思い出す04年の菅代表降ろし>
 私はこの流れを見て、民主党に入ったばかりの時を思い出した。2004年、保険料未納の問題で、民主党ネクストキャビネット(NC)の中で菅NC首相だけが8ヶ月未納だということが発覚し、代表を辞めるべきだということで騒然となっていた。私がまずびっくりしたのは、自分達の選んだ代表を些細なことで降ろそうという流れである。当時、日本歯科医師政治連盟の1億円献金問題で、橋本龍太郎自民党総裁が窮地に立っていた。自民党は当然のことであるが、むしろ守ろうとしていた。
 私は一期生議員だったが、菅代表に辞める必要はない、そうだったとしても辞任をして秋の代表選にまた出れば良いという余計なアドバイスまでしていた。後に、大臣在任中の単純ミスで非はむしろ怠慢な社会保険庁にあったことがわかってくる。全く愚かなことをしたのである。(「年金問題と民主党、そして私の見解」(04年6月3日))

<代表任期を3年に伸ばしたばかり>
 民主党の代表の任期は従来2年だったが、安定した政治を求める観点から、3年に伸びた。 12年末の総選挙の敗北の後海江田代表を選び、党再生に向けた総括も行い党綱領も定めた。今は、もう海江田丸が帆を挙げてスタートしているのであり、帆を降ろしてなどいられないのだ。
 海江田代表の任期は、12年9月の代表選で選ばれた野田代表の任期2015年9月まで、2年以上の残存期間がある。国政選挙に負けたら責任をとって辞めなければならないというような規定もないのに、代表交替の要求が出て来るのは不思議でならない。

<平気で党規約違反をした野田執行部>
 古傷にあまり触れたくないが、12年6月、私は何としても党分裂は避けたかった。不満は不透明な党内論議の進め方にあった。そのため党規約に決められた全国会議員の3分の1(当時132)以上の156名の署名を集めて、両院議員総会の開催による決定を迫った。消費増税に反対する者も党のきちんとした決定には従うとしていたからだ。ところが、党規約はすみやかに開催すべきとしているのに対し、なんと野田執行部は党規約違反をして開催せず、本会議での大量造反、そして党の分裂を招いてしまった。
 私自身も党規約違反の法案に賛成できないとして棄権し、厳重注意処分を受けた。しかし断罪されるべきは、党規約違反をして党分裂を招いた執行部なのだ。国会議員が自分で決めたルールを守らないようでは、国民に示しがつかない。(「消費増税法案採決に棄権した理由」-2012.6.27

<選挙のために銘柄議員を代表にするポピュリズム政党>
 民主党は、いつも代表選なり役員人事で知名度があって選挙の顔になる人を選ぶといった傾向がある。数多くの議員が代表の人気なり、風で当選してきているため、看板にならなくなった代表をすぐ捨てて新顔に代えようとするのだ。要は、自らの議席を維持するための代表交代要求なのだ。
 与党になったらこんな卑しい動きは少くなるかと思ったが、相変わらず銘柄品だけが閣僚や党役員になり、メリーゴランド人事と揶揄された。実力のある地味な人材が、主要ポストに就くのは少なかった。このため党運営も政権運営もガタガタしどおしで、3年3ヶ月の混乱に拍車をかけた。

<代表選出責任を果たす>
 私は、農水省という古典的組織に30年間務めたが、できのいい組織人とはいえなかった。ただ、うるさい上司にも鈍感で、色々ガミガミ言われてもめげない役人というレッテルを貼られ、そうした類の立派過ぎる上司の部下にわざと押し込まれた。変な役目だが、せいぜい2年の付き合いだと自らを慰め、次の人事異動を待ちながら過ごすしかなかった。上司は篠原のように理屈をこねて言うことをきかない奴は代えて、もっと従順な奴をよこせとか選べるが、私には上司を選べない。それでも我慢をして仕事を続けなければならないのだ。サラリーマンなら誰でも経験することである。
 ところが、我が党の当選5、6回以上の幹部は、ジャーナリスト、弁護士、松下政経塾、研究者、秘書等非組織人が大半で、普通の社会人生活をした人が少ないのだ。つまり、自由人(?)が多く、組織の普通のルールを守れない人が多い。
 国会議員と代表との関係が少々違うかもしれないが、少なくとも代表は我々が選んでいる。閣僚が不祥事を起こすと、いつも決って総理の任命責任を問うが、我々にも代表選出責任がある。かつて金丸信(自民党)は、「どんなボロ神輿でも神輿は担ぐもの」といって支えたが、我が民主党にはそういう風土が欠けすぎている。

<でたらめな政権運営のツケ>
 今回参院選は、確かに大敗北である。民主党の長期低落傾向は止まっていない。しかし全て3年3ヶ月の思い上がった政権運営と党運営、そして与党であるにもかかわらず多くの離党者を出したりしてもめ続けたことに原因がある。特に、最後の野田内閣の強引なやり方、そしてとんでもない時期の解散、この時のダメージをずっと引きずっているにすぎない。
 維新の会の低落の原因は橋下代表の従軍慰安婦発言にあることは衆目の一致するところである。当然橋下代表の責任論が出て、本人も辞任を申し出たにもかかわらずとどまることになった。それに対して選挙期間中に海江田代表の失言が飛び出したために民主党が大敗北したわけではない。
 維新の会には大看板を失っては党の存立基盤を失うという、別の事情があるにせよ、そう簡単に代表は変わらないのが普通である。新しい党なのに民主党より成熟した対応をしている。

<すさまじかった民主党への風当たり・民主党の忌避>
 衆議院選挙はまだ個人の名前が色濃く出るため、民主党への嫌悪感が中和される、それに対し、党が前面に出る参議院選挙、中でも党名を書く人が75%以上の比例区となると、民主党票が激減することは十分予想できた。そして713万票と全体の13.4%で公明の758万票(14.2%)に抜かれ、維新・共産・みんな と横並びの弱小政党に成り下がってしまった。1人区全敗という惨敗である。
 そして、前ブログで述べたとおり31ある1人区では民主党を離党した平野達男(岩手・無所属)が勝ち、舟山康江(山形・みどりの風)が、2万票差と最も肉薄した。つまり、信用をとことん失った民主党は、どうあがいても今回は勝てなかったのだ。
 ただ、つまらぬ言い訳になるが、12月末の総選挙は230の現職に対し57人(24.8%)しか当選しなかったのに対し、今回は44議席から17議席と38.6%が残存し、数字の上で見れば12年の年末の選挙よりは善戦しているということになる。

<用意しておくべきだった大敗北後の納得する収拾案>
 今回の参院選、一体民主党の勝利を予想した人がいるのだろうか。ただの一人もいないはずである。それならば、我が民主党は、当然予想された大敗北をどのようにして乗り越えるかを準備しておき、素早く対応すべきだったのだ。それを細野幹事長は、全く逆に党を混乱させる辞任を言い出したのだから始末が悪い。今我が党に何が求められているかわかっていないのだ。
 海江田・細野体制に参院選大敗北の責任はないが、これを見越してさっと収拾しなかったこと、更には逆に唐突な菅元首相除籍問題で民主党の迷走を世間に見せて、またかという印象を植え付けてしまった。従って、細野幹事長の辞任は仕方あるまい。

<篠原の言い分再現>
 今回は、発言はやめておこうと思っていた。ところが、後半になり田島要、柚木道義、小西洋之、渡辺周、福山哲郎と5人が代表辞任、代表選実施の意見を述べ、そのままフワァーと終わりそうになったので発言せざるをえなくなった。私が強調したかったことをここで再現しておかないとならない。
 海江田代表は何よりも我々が選挙で選んだ代表である。それを任期途中で代表選をやるのは理屈がたたない(2015年9月まであと2年余ある)。もともと民主党はズタズタに引き裂かれて評判を落とした党である。企業でいえば大赤字の企業といえる。その大赤字の企業が7ヶ月で大黒字になれるのだろうか。
 選挙に負けるのは代表のせいなのか、マニフェストのせいなのか。一人ひとりの国会議員が政策を訴え、党代表が誰であり、マニフェストがどうであれ、有権者に支持されて勝ち上がってくるべきであり、代表のせいにするには情けないことである。
 代表選などやらずに、一致団結していくべきだ。
 
 代表が続投、幹事長が大畠章宏に代わり、民主党はまた苦しい再生の途を歩んでいかなければならない。

2013年07月21日

「奈落の底」で「黄金の日々」を顧みる - 7月21日 19:30 脱稿 -

<民主党のかつての黄金の日々>
 参院選終盤、新聞各紙は民主党の大苦戦・大凋落振りを一斉に報じている。それにつけても、6年前の07年と比べると様変わりである。特に1人区にその差が顕著に表れている。
今回は、1人区(31)での民主党の勝利は全く見込みなし。

 山形(舟山-みどりの風)、岩手(平野-無所属)、沖縄(糸数-諸派)と3県が自民と争っているが、全員非民主。前2者は農林水産省の私の後輩で元民主党の離党組というのも共通している。当然、二人とも私の選挙応援もしてくれている。しかし、舟山康江は民主が支持しているので応援できるが、平野達男は対立候補を出しているため応援できない。
 6年前は、29の1人区で23勝(民主18)6敗と大きく勝ち越し、全体でも民主62議席、自民37議席と圧勝した。まさに、昇り調子の民主党の黄金の日々であった。

<現在は奈落の底>
 比例区も民主20議席に対して自民14議席だったが、今回は、民主は比例区も10を割り、5~8議席ぐらいしか見込めないという。そして、民主全体の議席数も62議席から3分の1あるいは最悪4分の1に縮小し、20を割るかもしれない惨憺たる状況である。1998年の結党以来の最低26を下回るかもしれない。
 逆に自民党は70議席を超え、比例区も22と小泉旋風下の01年を凌ぐ勢いだという。
 あまりの格差に愕然とせざるをえない。あまちゃんではないが、奈落の底である。
 衆議院は有権者と候補者の関係がずっと濃密であり、民主党への逆風を和らげることができるが、党が全面に出る参院選は逆風をもろに受ける。

<民主党のアップ・ダウン>
 この6年間、民主党をめぐる情勢なり、日本の政治をめぐる情勢にどのような変化があったのだろうか。
 6年前の参院選は、安倍首相にとっては屈辱の選挙だった。1人区での大敗に象徴される大敗北により、首相の座から降りなければならなくなった。恨み骨髄に達しているのだろう。親の仇、議席を取り戻さなければ死んでも死にきれない、民主党を殲滅する等、勇ましい言葉を発して、この参院選に並々ならぬ闘志を燃やしている。その後、福田・麻生内閣を経て09年8月の政権交代選挙で、民主党が308議席と圧勝し、民主党政権が誕生した。 
すぐさま鳩山首相の普天間基地問題で混乱が生じ、1年も経たず首相退陣。10年6月に鳩山政権から引き継いで菅政権が誕生した時は、内閣支持率も60%を超え、参院選も与党として勝利間違いなしのムードが漂っていた。そこに6月17日の消費税発言である。
 参院選で負けはしたが、それでも44議席を維持し、参議院は民主党側(与党)が多数を占めた。農業者戸別所得補償等の公約は実行に移していったが、子ども手当等では迷走が始まった。菅内閣では10月1日に所信表明で突然のTPP参加発言と、驕りが続いた。翌年3月11日の東日本大震災は、まさに災難であり、自民党政権では絶対にできない浜岡原発の停止等民主党らしい政策も実行できた。
 その後、野田内閣となり、マニフェストにもない消費税で暴走し、その延長で12年末の自爆解散によって約230議席から57議席の小政党に転落した。

<まずい政権運営への批判を引きずる敗北>
 今回の大敗北予測に対し、気の早いマスコミは海江田代表の責任論などと言い出す始末である。全く的外れである。こんな落ち目、弱り目、祟り目の今の民主党、誰が党首だろうと勝てるはずがない。すべて、3年3か月ののぼせ上がった政権運営が原因である。もしも責任を取らせるというなら、民主党政権の間、特に後半の菅・野田政権の間ずっと政権・党中枢にあって民主党らしい政策を忘れ、国民の期待感を大きく裏切り失望させるとともに、強引な党運営により党を分裂させた面々に取らせるべきである。今の執行部が悪いのではない。

<2回連続大勝利は異例>
 アメリカの中間選挙は、大半が野党側、すなわち大統領を出していない政党が勝利する。国民・有権者は議会にチェック機能を果たさせようとするからである。日本は衆議院に解散があり、国政選挙はバラバラ行われるが、今までは大体与野党が交代に勝利してきており、片方が続けて大勝利することはなかった。両国民とも微妙なバランス感覚を働かせていたのである。
 ところが、今回は12年末の総選挙に続いて自民党が2回連続圧勝する勢いである。09年の政権交代により、日本の選挙も少し狂いが生じつつあるようだ。

<政治も独占はあってはならず>
 7月20日現在地方区の勝利予想では、31の1人区は自民29、他の2つは非民主野党で、民主ゼロ。16の2人区以上でも民主党が安泰なのは小川(北海道)、羽田(長野)、榛葉(静岡)、大塚(愛知)の4人だけで、あとは自民が当確で、残った議席を野党同士で争っているという状況である。従って最終日、海江田代表は大阪・兵庫と遊説し、安倍首相は、東京が予定されている。二党首とも激しく競り合っている選挙区に行くのだ。
このままいくと政党としては全都道府県で自民党が第1位を占める、という空恐ろしい独占状態になってしまう。
どんなに自由競争、市場原理を重視する者でも、その挙句一社の独占状態になり競争を阻害し、市場も働かなくなるという状態を是とする者はいまい。ところが日本の政界は今そういう寡占状態にならんとしているのだ。政治も経済も同じであり、独占や寡占はあってはならないことである。

<自民党の「欺ます政治」が取り戻される>
 「日本を取り戻す」という自民党のポスターが全国に貼り出されている。自民党の圧勝により、少なくとも「国民を欺ます」政治が取り戻されることは確実である。その片鱗は既にチラッと見せ始めている。
 終盤国会、民主党は電力システム改革を進める電気事業法改正案、生活保護法改正案等重要4法案の成立を優先すべきと主張していたが、自民党は突如安倍首相の問責決議の採決を行なった。確かに約束した予算委員会に欠席するのは重大な憲法違反(63条)であるが、これで法案はすべて廃案となった。
 そして悪いのは野党だというデマ宣伝である。「決められる政治のために衆参のねじれ解消を」という、参院選用のスローガン造りのための大芝居を打ったのだ。宮藤官九郎には見え見えのお決まりのシナリオであろう。本当は電事連議員の多い自民党は電気事業法を通したくなかったという別の事情もある。

<昔に戻る「恫喝政治」の再開>
 このような悪い魂胆は政治のプロにはすぐ見破られ、TBSが正直にこの点を放送したところ、党幹部への取材や番組出演を拒否するという怪挙(?)に出た。マスコミを恫喝して自らの嘘を隠し、強引に変な政治を進め始めている。
 ナチス・ドイツは、ヒトラーの信任を得たゲッベルス宣伝相が欺ましと恫喝でドイツを奈落の底に突き落としていった。こんな調子で原発も再稼働され、TPPに入り、憲法改正されていくとしたら、日本の暴走は止まらなくなってしまう。我々民主党は心して政治に取り組む必要があるし、国民にももっと目をかっ開いて見てほしい気がする。

<民主党再生のためのシナリオは?>
 天野アキが奈落からどう這い上がっていくかは、クドカンがアッと驚くシナリオを考えてくれているに違いない。しかし、民主党が予想される参院選の大敗北からどう立ち上がるかは、誰もわからない。自民党の安倍総裁は、民主党を完膚なきまでに叩きのめすといきり立ち、政治評論家は民主党が旧社会党・社民党と同じ運命を辿るともっともらしく予測をしている。それでは日本の政治はよくならない。是が非でも民主党が再び勢いを取り戻し、政権奪取すべく我々民主党議員が必死で復活のシナリオを考えるしかない。

2013年07月20日

鹿野応援 総括シリーズ15 「篠原の最後のお願い」 - 13.07.20

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「篠原の最後のお願い」
 民主党は未熟な党です。羽田孜元首相が、政権を取っても政権運営に馴れてないからガタガタし、都市部の有権者から見放されるだろうと予測されましたが、その通りというより、その予想をはるかに上回るトンデモナイ政権でした。
 政治には経験・熟練が必要です。
 民主党政権も、自民党時代に二度(農相、総務庁長官)も閣僚をした鹿野さんにもっと仕事をしてもらえば、こんなにガタつかなかったはずです。
 残念なことに、未だもって自民党の圧勝が予想されています。原発も自民党は再稼働するというのに、国民の大半は反対です。憲法96条改正も自民党は乗り気なのに、国民は首をかしげています。TPPは、内容がわからないためフワーとした賛成が多いものの、絶対反対が30%以上に達します。社会保障制度改革もやってほしいというのに、何も手を付けようとしません。これだけズレがあるのに、経済なり景気がちょっとよさそうだから、というだけで高支持率を維持しているのが自民党です。
 民主党がしっかりしないといけません。それには鹿野さんの経験に基づいた知恵が必要です。
 民主党の大退潮ムードの中、海江田代表たっての要請により、敢えて立候補された鹿野さんの心意気を買っていただき、来る投票日には、2枚目の比例区に「かの道彦」とお書きいただくことを切にお願いして、このシリーズを締めさせていただきます。

2013年07月19日

鹿野応援 総括シリーズ14 「新グループ素交会の誕生」 - 13.07.19

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「新グループ素交会の誕生」
 権力は抑制的に行使しなければなりません。それを菅・野田両首相は念願の総理の座にはしゃぎすぎ、やれ消費税だ、TPPだと虚栄に傾きました。2人とも政治以外の職業経験のほとんどない政治を職業としている政治家です(菅さんは数年の弁理士経験あり)。マックス・ヴェーバーの著作『職業としての政治』に、歴史に名を残すなど虚栄心を持ち、無責任な権力行使をすることを戒めていますが、他の職業を知らない政治家が自己陶酔して権力を濫用してしまったのです。
 2011年以降の最優先課題は、東日本大震災からの復旧・復興しかありません。日豪EPA交渉を迫るギラート豪首相も被災地を訪れ、交渉進展を言わなくなりました。それを2人ともTPPなどと言い出すのですから、どこかネジが外れているのです。
 マスコミは、鹿野支持グループは若手が首相になると当選回数の多い議員が働き場所がなくなるから、仕方なしに鹿野さんに集まったなどと見当違いのことを書きました。違うのです。本当に民主党の将来を憂い、日本の政治の立て直しのためには鹿野さんしかないと集まったのです。権力の行使を抑えて行えるベテラン政治家は他に見当たりません。私はというと農林族の仲間とレッテルを貼られますが、4期生の大島敦(埼玉)、2期生の逢坂誠二(北海道)等の中堅のホープがベテラン同様、民主党に何が必要か見抜いていました。しかし、にわか仕立てのアマチュア政治家にはそれが全く見えていなかったのです。そして我々が恐れていたとおり、野田首相は年末の自爆解散という非常識な権力行使に手を染めてしまいました。
 我々は、せっかく同じ想いで鹿野さんを担いだのだからと、素交会というグループを作り、積極的な活動をしてきました。そして今、鹿野さんは名誉会長。一日も早く本物の会長に復帰してもらわないとなりません。

2013年07月18日

鹿野応援 総括シリーズ13 「鹿野代表選擁立」 - 13.07.18

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野代表選擁立」
 何とか塾の皆さんや政治家しか経験のない政治オタクの皆さんは、代表選とか政局となると燃える方が多くみられます。しかし、私は55歳で受け身で政治家になっただけで、内輪の争い特に代表選は嫌いで、いつも傍観者でした。
 しかし、菅政権の中頃から意を決しました。もともと幼稚な議員に政治ができるのかと心配していましたが、閣僚たちの勝手な放言、内閣や党の運営のまずさが眼に付き、黙って見ておられませんでした。鳩山さんも菅さんもそこそこ意見を言える関係にありましたので、特に菅政権に対して常に紙にまとめていろいろ提言しました。あまり、こういうことを言うのはよくないかとも思いますが、その一つに「鹿野幹事長」があります。しかし、なかなか受け入れられませんでした。鹿野幹事長なら菅政権がずっと続いたかもしれないのです。
 11年8月下旬、菅さんが退陣表明するちょっと前から、私は鹿野さんに総理になってもらうしかないと思うようになり、同志を集めて初めて代表選に関わりました。菅さんからは「政策の使徒が政局の人になっている」と冷やかされました。
 海江田、前原、野田、馬淵と5人の候補者の中で、結果は4位。決選投票で背広を脱いで2位の野田さんに投票とシグナルを送り、「背広脱ぎの鹿野」として話題になりました。
 この時のいかにも鹿野さんらしいエピソード2つを紹介しておきます。
 海江田、野田は閣内にいましたが、当然代表選出馬を明らかにし選挙活動をしてきましたが、鹿野さんは菅内閣の一員だとして頑として動こうとされないのです。出馬表明は菅さんが正式に退陣表明をした後、8月26日(金)の午後、ほとんどいなくなった議員会館を私の先導で挨拶回り。143人もいる1期生には最も馴染みのない候補であり、最も早く顔見せしないとならなかったのに、この律儀さ。
 次は、極秘事項でしたが、6月18日、朝日新聞の東北版に載った「首相に近づいた男 鹿野道彦/「小沢幹事長」拒み脱落」の記事です。首相になりたい一心で、さんざん小沢批判をしてきた前原、野田が小沢に擦り寄りました。鹿野さんには逆に小沢サイドから話がありました。政治や経験の長い小沢さんには、誰が一番首相にふさわしいか一目瞭然だったのです。
 しかし、鹿野さんは記事のとおり拒否します。そして小沢グループが大挙して海江田支持に動き、1回目の投票は大差で1位となりました。首相の座よりも政治家としての矜持を選んだのです。いかにも鹿野さんらしい決断です。

2013年07月17日

鹿野応援 総括シリーズ12 「見事な捌きの震災対応」 - 13.07.17

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「見事な捌きの震災対応」
 2011年3月11日は、日本人には忘れられない日となりました。未曾有の大震災、地震・津波そして原発事故です。
 私は鹿野農相の下、副大臣として仕え、その見事な危機管理対応に惚れ惚れしました。「一人たりとも飢え死になどさせてはならない。一日も早く食料と水を被災者に届けなければならない」と大臣室で檄を飛ばされ、直後は日に2〜3回大臣室で会合が持たれました。「東北の復興は同じ東北人の俺がやる」ともおっしゃっていました。
 皆さんお気づきでしょうが、ガソリン・重油等のエネルギーの供給がままならず混乱状態が報じられましたが、食料についてはほとんど問題になりませんでした。それは、鹿野大臣の陣頭指揮の下、我々農林水産省が組織をあげて供給・運搬体制の構築にあたったからです。うまくいっていることは、マスコミは取り上げてくれませんのであまり知られていない事実です。
 放射能で汚染された農産物等出荷制限は、そこそこ有識者の私に任されました。任すことは任せ、自らやることはやる、その辺の呼吸を心得ている方なのです。一段落つくと、毎週末被災地に足を運ばれる姿勢にも頭が下がりました。
 緊張した大臣室で、どう扱われても気にしない(?)篠原ネタの笑いも連発して部下の官僚たちを和ませる気配りも大したものでした。私に仕えたい上司のアンケートがきたら、鹿野さんを一番にあげます。

2013年07月16日

鹿野応援 総括シリーズ11 「TPPの暴走を喰い止める」 - 13.07.16

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「TPPの暴走を喰い止める」
 今まで参議院選挙は1人区を中心に農政をPRするためあちこち出かけました。
直接支払い(農業者戸別所得補償)が民主党の看板政策の一つになったものの、候補者たちが有権者に話せるほど知識がなかったからです。一時は「篠原は農村地域限定の売れっ子議員」と冗談を言ってあちこちの農村に出かけました。その結果、6年前の07年の1人区23勝6敗に結びつきました。その後、民主党の皆さんは上り調子の民主党は当然に勝ったのだと驕り、農村への配慮を忘れてしまいます。そしてとどのつまりがTPPです。
 マスコミの予測によると、今回の1人区は自民が全勝の勢いで民主党は全滅、辛うじて戦っているのが、岩手(平野)、山形(舟山)、沖縄(糸数)の3県のみ。6年間の民主党を巡る情勢の変化には隔世の感があります。愚かにもTPPを連呼し、民主党を潰した幹部は、この惨状をどうみて、一体どのように反省しているのでしょうか。
 こうした流れに必死で抵抗し、日本の農業・農村を守り、菅・野田両首相のTPP暴走を止めるのに全力を注いだのが鹿野さんなのです。この件は鹿野農相1年9ヶ月の動きをまとめた『農・林・漁 復権の戦い』にまとめられています。
 日本の地方の復権のため、日本の再生のためには鹿野道彦の復活が必要です。

2013年07月15日

鹿野応援 総括シリーズ10 「男 鹿野道彦の最後の勝負」 - 13.07.15

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「男 鹿野道彦の最後の勝負」
 鹿野さんは、父君の跡を継いで1976年34歳で衆議院初当選。その後、2003年の10回まで連続当選を続けます。その後、05年に落選、09年に復活、そして12年に再び落選。かつての安倍派(清和会)のプリンスも71歳になってしまいました。自民党で農相と総務庁長官と閣僚2回、民主党政権で菅・野田両内閣で連続農相。民主党では、羽田さんが引退して、小沢さんも去ったので、当選11回は一番の当選回数でした。今、菅さんと横路さんが11回です。
 今回、海江田代表の直々の要請により、急遽立候補することになりました。私は、海江田代表こそ厳しい政局の中での党運営について、鹿野さんの経験が必要と痛感されたと思います。
 そして、ひょっとすると晩節を汚すかもしれない危険を冒してまで立候補に踏み切られたのです。多くの関係者は、この退潮一途の民主党で当選できるわけがないと言います。しかし、私は鹿野さんの政治家としての心意気に感じるものがあります。絶対に当選してもらわないとなりません。終盤になりましたが、今も必死に山形で長野で頑張っています。

2013年07月14日

鹿野応援 総括シリーズ9 「悪夢を見ているような気がした12年11月16日(木)と19日(月)」 - 13.07.14

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「悪夢を見ているような気がした12年11月16日(木)と19日(月)」
 05年8月、小泉首相の趣味(?)の郵政民営化のため、解散というバクチを打たれ、民主党は大敗北しました。といっても、113議席は確保しました。それを自ら一番いい時に解散できるというのに、308議席を57議席に減らした野田さんはおよそ政治センスに欠ける稀代の無責任首相といえます。
 この時の鹿野さんとの会話で印象に残っているのは、「小泉というのは変り者で何をしでかすかわからない。日本国がどうなろうと、自民党がどうなろうと、自分勝手な郵政民営化のために解散する」というものです。小泉さんと野田さんの違いは、口では自民党をぶっ壊すと言いつつ、逆に多くの議員を当選させているのと、格好いいことばかり言いながら、200人以上を落選させてしまったのとの違いです。
 歴史のアナロジー(類似性)というのがあります。
 鹿野さんは、12年11月、細野政調会長と馬渕担当がひな壇に座るマニフェストの全体会合で、大声を出して「こんなTPP推進などというマニフェストでは多くの同僚議員が討死する」と反対しました。いつも足して二で割るような調整しかしない細野さんは「私と鹿野さんに任せて…」と言いましたが、鹿野さんはきっぱりと「任せられない」と言い切りました。しかし、TPP推進の表現は変らず、その討死した者の中に鹿野さんも含まれてしまいました。あと700票余で比例復活するところでした。鹿野さんが悪影響を予測して警告したにもかかわらず、7年前と同じことが起こってしまったのです。
 2度とも鹿野さんの言に従っていたら大敗北は免れたはずですし、何よりも鹿野さんの落選は防げたのです。

2013年07月13日

鹿野応援 総括シリーズ8 「鹿野さんの政局をみる確かな眼」 - 13.07.13

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野さんの政局をみる確かな眼」
 選挙には滅法強く、盤石の選挙基盤でしたが、辞めた秘書が鹿野秘書をかたって悪さをし、鹿野さんは民主党に迷惑をかけてはいけないと責任を取って離党しました。そんなことしなくてもよいのに鹿野さんの潔さを物語っています。
 もちろん鹿野さんには何もやましいことがなく、すぐ復党しました。しかし、世の中、政治と金にうるさくなったのでしょうか、03年11月の選挙で、鹿野さんは初めて選挙区で敗れ比例復活しました。
 前述のとおり、私は鹿野NC農水大臣の下、すぐ農業再生プランの策定に取り組みました。04年の参院選に既に効果が出て、1人区で01年の0(2)勝25敗から13勝14敗と大善戦し、上昇気流に乗りました。
 ところが、鹿野さんの1期上の清和会の変わり種、小泉首相が郵政民営化を喚き出しました。亀井静香さんは郵政解散なんて150%ないと言っていましたが、鹿野さんは必ずやると断言していました。中山間地域の支持者訪問をしているという私に、郵政解散があるから人口密度の高い住宅地域を徹底的に回れと忠告しました。私は半信半疑で従いました。
 それだけではありません。郵政民営化の対抗法案を用意しておかなければならない。さもないと小泉にしてやられると主張し、赤プリで勉強会を重ね、法案を完成させました。そして、両院議員懇談会で提出すべしと提案したのに、岡田代表、仙谷政調会長、五十嵐NC総務大臣は拒否しました。
 鹿野さんの予言通り、05年8月8日、小泉首相は突然解散し、岡田、仙谷両首脳は選挙期間中にブレた発言をして民主党は大敗、鹿野さんも初めて議席を失ってしまいました。

2013年07月12日

鹿野応援 総括シリーズ7 「鹿野さんが自民党を離党したもう一つの理由」 - 13.07.12

羽田雄一郎さん(長野県区)鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野さんが自民党を離党したもう一つの理由」
 自民党には大きく分けて二つの流れ、すなわち経済や地方を大切にする宏池会・経世会と、憲法・教育・日米同盟を中心に据える清和会・志師会(中曽根派の流れ)です。東北の田舎のDNAが入り込んで鹿野さんも田名部匡省さん(青森)も、清和会が肌に合わなかったのかもしれません。一緒に飛び出しています。
 小沢さんは、自由党時代、自・自・公で自民党とくっつきました。民主党を壊した幹部は元さきがけが多いのですが(鳩山、菅、前原、枝野、玄葉等)、自・社・さ政権でやはり自民党と手を組んでいます。
 鹿野さんは、94年に新進党に入り、小沢さんと党首選を争いました。僅差で破れましたが、小沢さんは直後に解党してしまいました。その後、98年に民主党に参画し、副代表等役職をこなしてこられました。つまり、前回ブログのとおり、一貫して非自民を貫き通しているのです。

2013年07月11日

鹿野応援 総括シリーズ6 「福田派・安倍派(清和会)のプリンス」 - 13.07.11

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「福田派・安倍派(清和会)のプリンス」
 与党民主党政権の人事はでたらめで比較になりませんが、自民党の人事はかなりしっかりしています。昔なら政務次官人事が、衆院なら当選2回と決まっていました。当選5回の47歳で農林水産大臣は大抜擢です。最近の若い大臣では故中川昭一さんがいますが、51歳でした。
 鹿野さんの資質を見抜いた一人が清和会の長・福田赳夫さんで、安倍晋太郎さんの後の派閥の長は鹿野さんだと随所で明言されていたそうです。 清和会は、今、かつての経世会並みの大権勢を誇っています。最近でも、森、小泉、安倍、福田、そして再び安倍と首相を輩出するタカ派集団です。
 おわかりと思います。政治で「もし」はありませんが、鹿野さんが自民党に残っていたら、森首相も小泉首相もなく、鹿野首相が誕生していたかもしれないのです。
 しかし、血気盛んで正義感の強い鹿野さんは、1994年、二大政党制のもととなる政治改革法案の成立後、堕落した自民党を離党し、新党みらいの代表になります。大半の離党者は経世会(田中派)でしたが、清和会からも数人離党しました。そして以後ずっと非自民を貫いてきている、筋を通す人なのです。
 長野のブログの読者はおわかりと思います。そうなのです。羽田孜元首相と瓜二つの生き方をしている、数少ない誠実な政治家なのです。私が、羽田さんの口説きに負け(?)、鹿野さんに魅かれる理由がおわかりいただけると思います。

2013年07月10日

鹿野応援 総括シリーズ5.5 「15万枚のハガキと7万枚のポスター」

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「15万枚のハガキと7万枚のポスター」
 参院選は、長野地方区の北沢さんと羽田さんの選挙に全面的にかかわるのはもちろん、全国に出かけて応援してきました。特に6年前は、民主党が上り調子でもあり、2人区はゴールデンシートと呼ばれ、ほぼ民主と自民で分け合ってきたので、安泰党本部の命により、私は山形の舟山康江の選対本部長として大半を山形で過ごしました。そして羽田雄一郎さんは54万票(吉田博美さん30万票)と圧勝し、舟山康江さんも見事な初当選を果たしました。
 今回、私の尊敬する先輩政治家鹿野さんの急遽の比例区立候補で、再び山形に顔を出さなければならなくなりました。
 ところが、出馬表明が6月30日、準備は何一つ整っていませんでした。通常、参議院比例区(全国区)は残酷区とも呼ばれ、1年前から日本全国を飛び回らなければならない過酷な選挙活動が必要です。それを、告示前1週間を切ってからの出馬ですから大変です。
 手段は、15万枚の選挙用ハガキと7万枚のポスターしかありません。後者は、地域(山形)限定比例区候補という特殊性から山形県内に重点的に貼り、鹿野さんの出馬を伝えるべく今(7/10)やっと貼り出したところです。ハガキは後述する鹿野さんの代表選時集まった素交会のメンバーにも各地で出してもらうことにしました。
 幸い、地元紙山形新聞が、1面に山形地方区の4人の候補者とともに、たった1人の山形県関係比例区立候補者として紹介してくれ、鹿野出馬が県民に伝わりました。かつての中選挙区の有権者は大歓迎。元自民党議員だったたこともあり、鹿野さんの最後の戦いに党派を越えて一票を投じてくれそうなのが救いです。

鹿野応援 総括シリーズ5 「一緒に作った農業者戸別所得補償」 - 13.07.10

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「一緒に作った農業者戸別所得補償」
 私が衆議院議員に当選した2003年以降は、相当濃密的な付き合いが続きました。
 鹿野さんはNC農水大臣。菅代表の支持の下、農業再生プランを策定しました。この中の看板政策が小沢代表時代に名を変えて「農業者戸別所得補償」として役立つことになります。07年の参院選の1人区23勝6敗の原動力になり、今、自民党政権でも名前を変えられましたが、民主党の政策の中でこれだけ定着したものはありません。つまり、民主党の政権奪取のきっかけは鹿野・篠原コンビが作ったともいえるのです。すぐ飛びついた小沢さんの政治勘はさすがですが、種を蒔いたのは鹿野さんなのです。
 これ以来、もう完全な二人三脚で民主党農政を引っ張ってきました。
 ところが、この間に鹿野さんは悲運にあわれることになります。

2013年07月09日

鹿野応援 総括シリーズ4 「鹿野さんと篠原の付き合いの始まり」 - 13.07.09

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野さんと篠原の付き合いの始まり」
 鹿野さんと私が名前と顔がわかる付き合いを始めたのは、1980年、鹿野さんの農林水産大臣就任の時からです。同期の親しいSが秘書官になりました。
 農林族議員なら普通は大臣になられる前から知っているのですが、あまり深い付き合いはありませんでした。鹿野さんはもちろん自民党の農林部会には出席されていましたが、主として運輸族だったのです。派閥間の均衡等で自分の専門分野以外の大臣になることもあるのです。
 若干47歳、生きのいい若手政治家の大抜擢でした。大臣時代、アメリカのフロリダで初の5ヶ国農相会議が開かれ、ヤイター農務長官と渡り合いました。これ以来、農林族の重鎮としての地歩を築いてこられました。
 私が対外政策調整室長時代に日米構造協議でワシントンDCに出張した時、与党自民党の団長として同じ飛行機に乗り合わせ、ウォーターゲートホテル(ニクソン大統領の盗聴事件が起こった所)の一室で、翌日のヤイター長官との米問題の交渉の予行演習。肝腎の日米構造協議の打ち合わせに来ないと叱られてしまいました。ブリュッセルのUR会合も、羽田孜、加藤紘一の両巨頭とともに1週間一緒でした。

2013年07月07日

鹿野応援 総括シリーズ3 「足りない比例区候補」 - 13.07.07

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「足りない比例区候補」
21世紀に入ってから、2005年の小泉郵政選挙の大敗北はありましたが、民主党にはほぼ順風が吹いていました。
 そのため、参院選だけみると比例区は以下のとおりでした。
 01年 894万票(当選8人、立候補28人)
 04年 2194万票(当選14人、立候補26人)
 07年 2326万票(当選20人、立候補75人)
 10年 1845万票(当選16人、立候補45人)
 この間、06年政権交代選挙では2984万票もの比例区の得票となりましたが、12年末の自爆解散では968万票と、2000万票も一気に減らしてしまいました。このままいったら、01年の899万票で8人当選がせいぜい、ということになりかねないというのは誰にもわかります。
 怖気づいたのが、6月中旬の立候補は、19人と史上最少の人数。民主党の闘う姿勢が問われて当然です。因みに他党は自民党29人、維新10人、みんな15人、共産17人、公明17人といった具合です。
 他党と比べても、また過去(26人が最少)と比べても、民主党が少ないのは明らかです。
 しかし準備期間が少ないため、立候補できるのはタレントなどの有名人に限られる。その次が名の知れた大物落選議員で、白羽の矢が立てられたのが鹿野さんでした。

2013年07月06日

鹿野応援 総括シリーズ2 「鹿野さんの急遽出馬の背景」 - 13.07.06

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「鹿野さんの急遽出馬の背景」
私は、苦戦が予想される参院選に向け、やはり建白書をまとめ、幹部に届け説得を始めました。詳細は省きますが、12年末も自爆解散選挙で落選した大物議員に比例区に出馬していただき、一日も早く国政復帰していただくという単純なものです。
 これにはいくつかの理由があります。
①民主党の評判は地に落ち、比例区に民主党と書いてくれる有権者が激減している中(ex. 私の小選挙区票が約9万票、民主党比例区票が5万票で、4万票の差)、人名なら拒否感もなく書いてくれる。これにより、民主党全体の票を増やす必要がある。
②民主党には経験を積んだ議員が少なく、国会運営等にもいつも自民党にしてやられてしまう(ex. 前全国会の参議院では電気事業法が不成立、自民党にはめられた?)。ベテラン議員に早く復帰していただいて、自民党の暴走をとめる。
 この条件にピッタリあてはまるのが鹿野さんです。

2013年07月05日

鹿野応援 総括シリーズ1 「私の鹿野さんを応援する理由」 - 13.07.05

羽田雄一郎さん(長野県区)、鹿野道彦さん(比例区)を応援しています。よろしくお願いいたします。

「私の鹿野さんを応援する理由」
 日本の政治を変えるという熱気で自民党を飛び出したのが、羽田孜さんや鹿野さんたちです。紆余曲折を経て、二大政党制が始まりかけ、念願の政権交代を果たしました。しかし民主党の統治能力の欠如が露呈し、3年3ヶ月で終わってしまいました。
 私には、組織的的経験もなく(ex. ジャーナリスト、弁護士等)いや社会生活の実体験のない(ex. 松下政経塾即政治家)民主党幹部には、とても政権運営ができないことが見通せていました。だから政権交代前に主要官僚との面談の話を設けたりしましたし、政権交代後も建白書(?)を書き、進言してきましたが、有頂天になった上層部は聞き入れませんでした。
 そこで、2011年秋の代表選は、人格・経験とも申し分のない鹿野さんを代表選に担ぎ出し闘しましたが、143人の新人議員は鹿野さんの適格性がわからず、鹿野代表は実現しませんでした。野田首相の誕生で、私は確実に民主党政権の互解を予感しました。
 必死で防ごうとしましたが、ダメでした。
 そして、怖れていたとおりの自爆解散、鹿野さんの落選です。
 民主党の再生のため、そして日本の政治の再生のため、鹿野さんにはもう一度政界に戻っていただかなければなりません。

2013年07月03日

都議選の結果分析から見えてくる民主党再生の道筋-13.07.03

-基礎票だけで決まった東京都議選-

 都議選は稀にみる「基礎票選挙」だった。これといったがっちりした基礎票のない民主党はボロ負けである。その反対に、党としての揺るぎない基礎票(というより「岩盤票」)のある公明党と共産党、そして三番目に自民党が大勝した。この選挙結果を分析すると、日本の有権者の投票行動なり、政治に対する見方がみえてくる。

<区部5/89、多摩地区10/37の非対称>
 まず、最初に挙げなければならないことは、民主党が89議席もある23区内でたった5議席しか確保できず、東京の田舎ともいうべき区部以外(以下「多摩地区」という)が区部の半分以下の37議席しかないのに、倍の10議席を確保したことである(他に島部1議席がある)。菅元首相の選挙区(18区)の2つの1人区、武蔵野市と小金井市では僅差(それぞれ774票、447票)で敗れはしたものの、せいぜい2人区か3人区の多摩地区で自民の次に入り込んで当選している。3~8人区で1人も当選できない区部と比べると大善戦である。
 もちろん、選挙は最終的には党よりも個人であり、一概に言えないものの、多摩地区の有権者のほうが、民主党の候補者(大半が現職)を律儀に支持し続けたからである。

<東京の田舎・多摩地区の律儀な有権者>
 私の長年のメルマガ・ブログの読者はすぐ、羽田元首相が私に民主党入りを勧めた時に口酸っぱく語ったこと、すなわち「政権維持のためには、逆風だろうと律義に支持し続けている地方の有権者に支えられた議員をいっぱい造っておかないとならない。そのために農政が必要だ。君に農政を任すから出馬してほしい」を思い出されたと思う。このことがなんと東京の地方、多摩地区にも当てはまったのだ。
 地域の絆が希薄になり、それと併行して議員と有権者の関係も表面的な薄いものになった区部は、その時々の状況で投票先を変える人ばかりになってしまったのである。これを民主主義の成果という人もいようが、私は何か殺伐としたものしか感じない。

<大敗北は一に国政のトバッチリ、二にドブ板不足>
 都議選の大敗北は、国政における民主党の体たらくのトバッチリを受けたにすぎない。ただ、もとはといえば、4年前に政権交代という民主党の上潮ムードに乗って都議会第一党になれたのだから、もともと国会議員と運命共同体なのだ。21世紀に入ってから10年近くは民主党に風が吹いていた。05年も小泉自民党に大順風が吹きすぎただけで、別に民主党に逆風が吹いたわけではない。このことは、12年末の自爆解散の大突風と比べるとよくわかる。
 都議会議員も国会議員と同様に順風下の選挙しか知らず、地道な努力を怠ってきたことが第二の原因である。
 駅前の街宣活動が中心で、集会や訪問によるいわゆるドブ板選挙活動が足りなかったのである。自民党は野党転落後、必死になって地域活動をしだしたことから全員当選という偉業、結果につながった。要するに、民主党は議員と有権者が肌で接する機会をほとんど持てず、いま一つ個人の支持者を作れなかったため、党に逆風が吹くと一辺に吹き飛ぶような人たちばかりだったと言える。これは国会議員にも当てはまる。
 生活者ネットは地道な活動が実り、5人中3人当選し1つ議席を増やし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった維新を上回った。いかに普段の顔を突き合わせる活動が大切かをよく物語っている。それから精査してないが、労組系の候補が軒並み落選したのではないか。公明や共産並みの組織とはいえないのに、組織にどっぷりと胡坐をかいて地域活動を怠ってきたツケが回ったともいえる。

<経験不足の若い候補ばかりでは信頼されず>
 もう一つ民主党に自党症状がない欠点として、一仕事終え、やり遂げた者、つまりきちんと社会経験を積んだ候補があまりにも少ないことがあげられる。国政ではまともな社会経験がなく、政治しか知らない政治オタク(?)が、組織運営のイロハを知らず、政権は迷走を続けた。
 試しに候補者の平均年齢をしらべたところ、自民54.3才、公明56.2才なのに対して、民主は10才ほど若い46.6才だった。新しい党で仕方ない面もあるが、自民は当選4回以上が9人、公明は4人に対し、民主党はゼロ、3回すら4人だけ。都議会議員も、国政同様政治家になりたい、若さだけが取柄の者が多すぎたのではなかろうか。
 有権者に民主党が統治能力に欠ける素人集団であることを見透かされてしまったのである。民主党は国政でもそうだが、若ければいいということで候補者を選んできた嫌いがあるが、今や有権者はアマチュアに厳しい眼を向けるようになったのであろう。
 これがいいというわけではないが、私の地元の某市の市会議員は50代以上ばかりで、40代すらいない。地域の信頼を得た人しか選ばれていないのだ。地方自治はそのような人たちに任せるのが真当なのではないか。政治しかしらない政治オタクに任せてはならない。

<中選挙区で一本化調整できない戦略的ミス>
 ただ、よくみると、5つの大選挙区、品川(定数4)、世田谷(8)、杉並(6)、北(4)、江戸川(5)では、民主党から2人出馬で共倒れに終わっている。12年末総選挙をみたら、民主党への風当たりが強く、2人当選などできないことがわかりきっていた。それにもかかわらず一本化できなかったために、みすみす5議席を失っている。世田谷や杉並では、いくらなんでもどちらか1人は当選できると踏んでいたのだろうが、最も移ろいやすい有権者の集中する区部の選挙はそれほど甘くはなかった。本当は、野党協力すべきなのを、党内さえまとめられない状況では、他党との話し合いなどできるはずがない。国政のだらしなさの鏡ともいえる都議選だった。
 今更言っても愚痴にしかならないが、次点が18選挙区に及んでいる。後述の共産の最下位当選8人と好対照である。世論調査もしただろうに、それを分析し、重点地区に大物応援議員を投入するなどの追い込みなど、しぶとさに欠けたことを示している。
 引き続く参院選では5人区の東京地方区から大河原雅子と鈴木寛の2人の現職が出馬する予定となっている。都議選と同じような50%を割る低投票率となり、基礎票選挙が続くとしたら、1議席すら危うい状況である。当然一本化しなければならないが、こうしたことができるかどうかで、党幹部の鼎の軽重なり民主党の統治能力が問われることになるが、7月3日現在調整は不調に終わった。

<自公は本当には勝っていない>
 東京の自民党の支持率は、山口や鹿児島と比べるともともとは高くない。ただ投票率が09年と比べ54.5%から43.5%と11ポイントも下がったため、相対的得票率が25.9%から36.0%と10ポイントも上がり、59人全員当選という大勝につながった。得票数でみると146万票から163万票と17万票増えたにすぎないのに、38議席から21議席増の59議席となった。
 公明党は得票数を09年の74万票から64万票と10万票も減らしたものの、自民同様に23人全員が当選し、自公で過半数(64)を上回る82議席を占める結果となった。そして42選挙区すべてで自公がトップを占めた。
 一方、民主党は得票数を230万票から69万票と3分の1に下げ、前回の54議席(選挙前は離党で43議席)から15議席へと39議席も減らしてしまった。要は国政同様、民主党がズッコケたのである。

<共産党も票は伸ばしていない>
 共産党は42人のうち17人当選し、民主党を凌ぐ第3党になった。得票数は09年の71万票から62万票と10万票近く減らしたのに、相対得票率が僅か増加しただけ8議席から倍増する結果となった。野党(自公以外)が候補者を乱立させ、当選ラインが下がったからである。つまり、都議選でも12年末総選挙と同じく、民主・維新・みんなが票の奪い合いをしているのを尻目に、共産党が中選挙区なるが故の漁夫の利を得ただけのことである。17人中8人が最下位当選しているのがこれを如実に物語っている。
 従って、共産党の勢いは31の1人区、10の2人区で3人区以上が6都府県しかない参院選には連動しない。

<プロを大切にする共産・自民、プロを育てない民主>
 また特徴的なことは、元職5人が返り咲いていることだ。自民党もあまりの強腕に党内からも批判の多い千代田区の内田茂(元74才)をはじめとして、同じく5人が返り咲いている。それに対し、国政レベルでも「2期連続して小選挙区で勝てなかったら公認しない」という岡田幹事長の言に代表されるように(04年)、民主党はすぐ首をすげかえて若い者にしようとする。これでは民主党はいつまでたっても必死で這い上がるために汗をかく議員は生まれず、足腰の弱い風頼みの党からは脱皮できない。

<維新とみんなのつぶし合い>
 維新は34名、みんなは20名立て、それぞれ2名と7名が当選し、明暗を分けた。参院選では維新、みんなは協力関係にあったが、橋下発言で瓦解し、都議選では15選挙区で両党がぶつかった。その結果、両党が当選した所は一つもない。有権者は自民党の別動隊として同レベルにしかみておらず、完全に票が二分された。両党の争いで民主党は影が薄れて埋没し、最終的には共産党を押し上げる結果となった。
 都議選の最中(18日)に、石原慎太郎代表が、一時は第2党を狙う勢いだった支持率があまりに急落したため、橋下徹代表に慰安婦発言を詫びろと苦言を呈したのはわかるような気がする。維新は多くの候補者を立てたせいか、得票数は37万票とみんなの31万票を上回った。2党合わせると69万票で民主の69万票、公明の64万票、共産の62万票と大体並ぶことになる。自民だけが163万票と、都議会も国会と同様に1強多弱時代に突入してしまった。

<末期症状の基礎票選挙>
 12年末総選挙は、戦後史上最低の投票率となり、浮動票は自民もダメだけれども民主にもガッカリしたということで、第3極の維新・みんなに流れた。
 今回の都議選の投票率も、衆院選同様に、09年の54.5%から43.5%と11ポイントも落ち込み、史上2番目の低投票率となった。11ポイントはそのままかつての民主党の支持者が棄権したのであろう。第3極期待が、橋下慰安婦発言で維新がこけて、みんなが得して7議席も占めた。この10年の衆参選挙東京の平均得票数は、自民169万票、共産54万票で、今回の都議選はそれぞれ163万票、62万票とほぼ同じ。公明も64万票とほぼ基礎票どおりだった。まさに岩盤選挙で、基礎票のある自・公・共が勝ち残り、民主党だけが大敗北を喫した。
 
<民主党の再生は総合政党に戻るしかない>
 日本の選挙の構図はやはり万年与党自民党を中心に回っているのであり、これを崩さないと日本の政治は変わらないという羽田さんの指摘はその通りである。その意味では、自爆解散をして、たった3年3ヶ月で政権を自民党に返してしまった野田佳彦前首相の罪は、拭い去りようがない大罪と言わねばならない。
 民主党の再生を考えた場合に、途は一つしかないということがわかる。みんなや維新のように大人口を抱える都市部の世論受けを狙って、調子のいい政策を並べ立てていたのでは政権奪取はありえない。仮に政権奪取しても、今回の2つの選挙のように都市部で惨敗してまたすぐ第1党の座を奪い直されるのがオチである。それよりも、政治の助けを必要とする地方の人たち向けの政策を着実に実行し、信頼を得て支持を地道に拡大していくことこそ、政権奪還につながるのだ。

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