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巧みな党内運営で分裂を防ぐ維新の会-両院議員総会の採決で切り抜ける松野頼久幹事長の知恵―14.03.26

<特定秘密保護法で維新の会は両院総会採決>
 特定秘密保護法は、民主党は反対したが、維新の会は修正で合意し、結局は賛成した。みんなの党は、3人が退席、江田憲司は離党し分裂の引き金になった。維新の東(石原系、立ちあがれ日本)と、西(橋下系、大阪維新の会)の対立はいつものことだが、特定秘密保護法をめぐってさらに複雑な様相を呈した。東でも修正合意に賛成する藤井孝男、山田宏と、法案に反対する片山虎之助、小沢鋭仁、松野頼久に割れた。両院総会では藤井と片山が怒鳴り合う一幕もあった。
 しかし、この状況を切り抜けたのは、松野幹事長と小沢国対委員長の知恵である。両院議員総会で採決をし、賛成27、反対23でようやく賛成ということで分裂をまぬがれている。

<原子力協定を巡り両院議員総会の採決で再び分裂回避>
 これと同じことが、議論の多いトルコとアラブ首長国連邦(UAE)との原子力協定でも行われた。対トルコが賛成25、反対33で「反対」、対UAEも賛成28、反対31で「反対」で、反対することになった。これにクレームをつけたのが石原慎太郎共同代表である。例の調子で、「ばかばかしい。(多数決は)高等学校の生徒会のやり方だ。私は採決の時賛成しますよ」、「1年生と何十年もやってきた議員が同じ1票なんておかしい」等暴言を吐いた。

<暴走老人石原慎太郎共同代表も党決定に従う>
 この問題について石原共同代表が調査会長を任されたところ、3月6日の第1回エネルギー調査会は、会長の独演会となり、「自分は党の方針に反対で原子力協定には賛成なので賛成する」と明言した。それに対して大阪維新の会系若手議員の浦野靖人が「党を出ていったらよろしいですやん」と離党勧告し、その後も別の議員が「出て行ったらいいじゃないか」と批判を続けた。たまりかねた園田博之が「石原さんがそんなことを言うと党崩壊につながる」と発言の撤回を求めたが、石原共同代表は応じなかった。その後、調整がなされ、石原共同代表も矛を収め、党の方針通りに反対していくことになった。
 高校の生徒会だろうと国政政党だろうと、民主主義の基本は多数決であることをまざまざと見せつけた一件だった。

<松野幹事長に引き継がれた党の決定システム>
 私はこの一連の動きを横目で見ながら、松野幹事長の見事な党内ガバナンスに感心していた。そして、昔の一件を思い出し、「あの時にも両院議員総会を開いていたら」と悔やんでいた。
 先日松野幹事長と廊下であった折りに、「社会保障と税の一体改革でもめた時に、篠原さんが両院議員総会で採決をして、分裂を防ごうとしたのを、今私がやっているんです。あの時も篠原さんの提案通りしていたら…」ということを言い出した。私のかいた汗は、あの時は野田執行部の愚かな独善的対応により実ることがなかったが、こんなところに生きていたのである。
 維新の会の安倍首相を凌ぐタカ派的体質の政策はとても私には相容れられないが、党運営については一致する。政治は異なる意見をどうまとめるかの芸術でもある。

<民主党分裂の引き金になった執行部の裏口からの遁走>
 台風一過の2012年6月18日、雨と風が強い夜、党本部の地下で、社会保障と税の一体改革の真剣な議論がまた行われた。皆も必死でなんとかまとめなければならないと、中山義活議員が意見を言いまとめるための提案をしたところで、突然進行役がこれで打ち切ると宣言。執行部(ひな壇に並んでいた者)が、用意してあった裏口から遁走したのである。取り残された我々は、虚しさだけが残った。私はこれが党分裂の引き金になったと思っている。
 TPP、原発再稼働についても野田執行部は強引そのものであり、こんな不透明な進め方をする政党にはいられないという怒りが込みあげている時であった。逆に言えば、きちんと民主的に決めるなら、政党人として当然従うという声も広がっていた。

<両院議員総会に向けたたった1人の署名集め>
 詳細は二つのブログ「台風直撃の日の民主党合同会議(2012.6.25)」と「消費増税法案の採決に棄権した理由(2012.6.27)」に書いたが、私は、社会保障と税の一体改革で、このままいくと党が分裂してしまうという危機感から行動を起こした。
 6/7に「民主党の『民主的合意形成を実現する集い』」の会を立ち上げ、私一人の名前で両院議員総会の開催を求めて署名を集めた。全議員の3分の1(当時は132名以上)の要請があれば、速やかに両院議員総会を開かなければならないという党規約があり、156名の署名を集めて両院議員総会を要請した。ところが、野田執行部はこれに対し、党の命運を決する問題だったのにもかかわらず、政策マターは扱わないとか言い訳し、私の集めた156名の要請を無視し、両院議員総会を開催しなかった。私は、代議士会で「こんな正当な手続きも踏まない政策にはとても賛成できないので棄権する」と発言し、採決を棄権した。多くの同僚が反対・棄権し党を去っていった。その中に松野頼久(反対)、小沢鋭仁(棄権)がおり、後に維新の会に合流した。

<回避できた民主党の分裂>
 私は今でも正々堂々と採決して賛否を決めていたら、少しは造反する者が出ても、分裂することはなかったと思っている。石原共同代表が反対の大義を失うように、小沢一郎はじめ反対者は離党の大義を失い、離党できなかったであろう。たらればの話だが、分裂を防ぎ、まだ民主党政権が続いていたかもしれない。
 野田執行部は世紀の大事業をやるのだなどと舞い上がり、党内融和のために汗もかかず知恵も出さず、せっかくの政権の座をみすみす放り出してしまったが、その混乱をじっと見ていた勘のいい松野幹事長は、あの時の教訓をしっかりと記憶し、今維新の会の党内運営に取り入れているのである。そして、あのうるさい一言居士の石原共同代表も従うことになっている。彼我の政治感覚の差、度量の差を感じずにはいられない。

<懐の深い自民党の暴走チェック機能>
 安倍内閣がいまだ60%近くを維持する高支持率に恐れをなしてか、自民党内でも村上誠一郎が一人気を吐くぐらいだった。しかし、特定秘密保護法がろくに党内議論もせずに無理して通したことから流れが変わった。幹事長も政調会長も総務会長もと党三役がそろって、集団的自衛権の行使容認について慎重な対応を求め始めた。
 極めつけは9年ぶりの総務懇談会である。これまでの開催例をみると、03年のイラク復興支援、05年の郵政民営化と、党内を二分する問題の時には開催されている。
 自民党総務会は、やんわりと安倍首相の「解釈改憲」なり「閣議決定による集団的自衛権行使容認」にくぎを刺した。やはり、与党経験の長い政党には知恵が潜んでいる。これを宏池会OBの古賀誠がバックアップしている。

<民主党に訪れる試練>
 民主党は今その「立ち位置」が問われている。国民に対しては「居場所」という言葉を度々使ってきたが、野党民主党がどういう方向に行くのか国民は注視している。特定秘密保護法の反対、集団的自衛権の行使は容認せず、と党内の意見をまとめてきている。次の関門は、トルコとアラブ首長国連邦との原子力協定である。
 私は、与党時代、ヨルダン、ベトナム等との原子力協定に棄権し、全役職停止という処分を受けている。 前回は、党内論議が行われていることを知らずにいて、急に本会議にかかったので棄権した。しかし、今回は5回の党内論議に皆勤し、大反対の意見を述べている。
 民主党は与党からの大量離党者がなぜ生じたのか、そしてなぜ3年3ヶ月の短い政権に終わってしまったかを真剣に反省し、党内運営にもっと汗をかき知恵を絞らないとならない。