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規模拡大が極限に進んだ日本の畜産 -牛肉・豚肉・乳製品に関税が必要な理由- 予算委員会報告7 (兼TPP交渉の行方シリーズ16) 14.03.10

<二つの重大な誤解を解く>
 2月27日、私はTPPとエネルギーの集中審議で予算委員会に立った。TPP本体は、決裂であり、この件については自公の質問者が質していることを想定し、私は「なぜ牛肉と豚肉の関税が必要か」を根本から、国民に、そして閣僚や議員にわかってもらうために、講義調の質問をした。そのため、わかりやすいデータを時間をかけて作成し、11個のパネルで示した。
 余談だが、パネルは1枚だけは党が負担、残り10枚は自前であり、かなりお金がかかる。しかし、国民にわかってもらうためには必要な出費である。
 我が国の農業、農政については様々な誤解・曲解がある。安倍総理の言葉を借りるなら悪質なプロパガンダ、マインドコントロールである。その中から、日本の農業に関税がなぜ必要かということに関し二つの重要な誤解を解かなければならない。
 間違ったイメージの一つは、日本の農業は規模が小さく、規模拡大の努力をしていないということ、そして、もう一つは、保護が行き過ぎて競争原理が働いていないことである。

<耕種農業に向かない狭い国土>
 米、小麦、大豆、そば等のいわゆる土地利用型農業(耕種農業)については、規模拡大が進まない。1960年に0.88ha.だったものが2010年1.98ha. 2013年2.3ha.と僅かに拡大しただけである(予算委資料3)。農民は兼業化してもやはり自分の農地を耕したいという強い気持ちをもっており、1年に数日しか使わない高い田植機や稲刈機に巨額の投資をしている。経済学上ありえない非経済的行動をとっている。
 しかし、私は農民の農地への執着は極めて健全なことと思っている。農民が農地への愛情を失うようになったら、農業は亡び、国も亡んでしまう。だから経営耕地面積の規模拡大が進まないことを一方的に嘆く必要もない。ひたすら規模拡大を是として、農地を使い捨て、最終目的は転売利益を得ようという企業の手に渡してはならない。

<農家を守らずに生産性だけを目指した畜産は経済学上の優等生>
 2月26日夜、翌日の予算委の質問の整理をしている最中にテレビ朝日の報道ステーション古舘伊知郎キャスターの声が耳に入ってきた。産業競争力会議の新浪剛史ローソン社長と大根の契約栽培を始めた農家を紹介、やればできる日本農業といったストーリーの企画物だった。古館キャスターは日本農政は農家は守ってきたが、農業は守ってこなかったといういつもの一般的なコメントを述べていた。
 しかし、真実は全く逆なのだ。日本は農業の生産性を重視するあまり、効率性のみを追い求め、農家を見殺しにし、さっぱり守ってこなかったのである。だから農家戸数は急激に減少してしまった。それは、この50年間の畜産業の変遷を見るとよくわかる(予算委資料1)。
 一口に農業と言われるが、上述の耕種農業と面積をそれほど要しない農業、すなわち畜産や果樹・野菜等とでは大きく異なる。日本の農地なり土地の狭さの桎梏を持つ耕種作物とそうでないものとの差である。

<飼料穀物を原料とする加工畜産>
 日本の畜産は、いわば「加工畜産」である。この言葉も私はかなり昔から使い始めたが、今はすっかり定着している。つまり、外国、特にアメリカから約1200万tもの大量の資料用穀物(とうもろこし、こうりやん等)を輸入し、それを農家が肉、牛乳、卵に加工生産しているのが日本の畜産である。それは「これといった鉱物資源に恵まれない日本は鉱物資源を輸入し、それを原料にして製品を製造し、外国に輸出するという加工貿易立国で生きていくしかない」と、社会科の教科書で教えられたことの延長線上にある。
 鉱物資源と同様に農地も足りないのだ。だから広い農地を必要とする農作物の一部も輸入しないとならない。主食(米)は死守して日本で作るが、その他は外国から輸入しても仕方ないということになり、小麦、大豆、飼料穀物等は国内生産を諦め、輸入の拡大により対応してきたのである。

<鉱物資源も農地も足りない狭い日本>
 今、我が国の農林水産物の総輸入額約8兆円は、日本の農林水産業総生産5.7兆円を上回る。食料自給率は40%だが、生産金額でみた場合でも国内生産は42%とほぼ同じレベルだ。
 その点では、日本の畜産をもう一つわかりやすく言えば、いわばAnimal Farm(動物農場)なのだ。工業と同じように、外国から飼料用穀物を原料として輸入し、日本で加工品(肉、牛乳、卵)を生産しているが、工業との違いは、外国に輸出せず、ほとんど国内で消費していることである。その点、オランダは加工畜産で輸出し、日本の工業と同じことを農業(畜産)でしていることになる。

<卵は図抜けた物価の優等生>
 卵は物価の優等生といわれる。1960年も1Kg当たり198円、2013年の今もKg当たり194円とほとんど変わらない。他はすべて値上がりしているのにまさに驚異的なことである。(予算委資料5)
 この間にサラリーマンの月給は、1960年が1万8500円、2013年は32万3000円と17.5倍に、同じ農作物のコメは60Kg/円で、60年に4,162円であったものが、2013年には14,582円の3.5倍となっている。一方、杉丸太は、1㎥あたり60年に11,300円が、13年に11,500円と卵並みにほとんど値上がりしていない。急斜面ばかりで卵のように規模拡大ができないため、日本の林業は衰退し、中山間地域は限界集落だらけになっている。
 ちなみにJR運賃は、山手線1区間10円が130円と13倍、ビールが大瓶1本は125円が315円と2.5倍、森永ミルクキャラメルは、20円が120円になり、6倍となっている。つまり、卵と杉丸太以外は、程度の差こそあれ皆高くなっているのだ。

<にわとりが走り回る農家の庭先>
 1960年、鶏を飼っている農家戸数は360万戸もあった。いわゆる庭先養鶏である。どこの農家にも「にわとり小屋」があり、放し飼いされていた。私もそうした典型的な農村、農家で育っている。冬に注文した黄色いかわいいひよこが各農家に配られてきた。それを暖かい部屋でかつ電球で暖めて大事に育て、大きくなったら小屋に入れた。
 1960年代の農村は貧しく、また自給自足体制が相当残っていたのである。卵を産まなくなった老鶏は祖父が捌き、チキンカレーや鶏肉のすき焼きを作った。これは子供の誕生日の定番の料理だった。のどかな農家の暮らしが営まれていた。

<すさまじいインテグレーション>(予算委資料4)
 しかし、10年後の1970年、卵生産者は167万戸と激減した。急激に経済成長が進み、社会構造、産業構造が変化しはじめたのである。その後、養鶏と採卵鶏は急激に規模拡大が進んだ。いわゆるインテグレーションであり、今はわずか約3000戸(正確には約3000経営体)となった。1970年比560分の1に減り、飼養羽数の規模は70羽が今は49,400羽と706倍となった。大半の人々はこの極端な規模拡大への突進の事実を知らない。

<養豚は世界一の規模>(予算委資料1)
 日本の畜産業は他の分野もそれぞれ急激に規模拡大した。そして日米韓英独仏の6か国の中では、日本はアメリカに次いで規模が大きくなっている。なかでも養豚では1,435頭とアメリカの946頭を凌ぎ1番大きくなっている。ヨーロッパ諸国と比べた場合、他の畜産はイギリスには劣るが、大半は独仏を凌ぐ規模となっている。このように畜産の世界では効率性を重んじるあまり、畜産農家が次々と消えていくことことには何の意も注がなかったのである。
 このように、畜産の規模拡大、特化はすさまじいものがある。従って、規模拡大によるコスト削減は極限に達しているのである。古舘コメントと大きく異なり、日本は農家を見捨てて、農業だけを守ったのである。ところが、まことしやかに農家を過剰に保護したため、生産性が向上しなかったと、全く間違ったイメージが定着してしまっている。