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党員・サポーターによる代表選は一理あるも今はその時ではない ―7/23岡田克也公式ブログはあまりに御都合主義が過ぎる― -14.07.27-

 6月24日の両院議員総会(マスコミにフルオープンの場)で、若手議員が海江田代表は「暫定代表」でしかないと発言した。野田首相辞任を受け、党員・サポーターを含めた選挙で選ばれていない代表だからというのがその理由である。自ら選出した代表に対して失礼極まりない言動である。

<岡田暫定代表(?)が本物代表になったきっかけ>
 暫定代表で思い出すのは、2004年春菅代表が例の保険料の未納で辞任をした後を受けて代表になった岡田代表である。小沢代表になりかかったのを多分皆と同じ未納問題があったのであろう、小沢氏が固辞したことから、岡田幹事長にお鉢が回ってきた。本人も周りも暫定と思っていたはずだが、7月の参院選で1人区が13対14と、自民党と対等に戦い、全体で初めて50対49と民主党が第1党になった。

 私はこの時に鹿野道彦NC農林水産大臣の下、後に農業者戸別所得補償と呼ばれる「直接支払い」政策を民主党農政の目玉にし、1人区に110万部の農政ビラを配布した。異例のことであった。民主党が01年の参院選では1人区は1つもとれなかったのと比べると大躍進だった。 岡田代表はこの勝利で暫定から本物(?)の代表と認められるようになったと思う。

<起死回生の機会を失った12年9月の代表選>
 確かに党員・サポーターも含めて代表を選ぶべきという意見には一理ある。私は過去の失敗をあげつらいたくはないが、少なくとも岡田氏を含めた野田執行部には絶対に言われたくない。なぜならば12年秋に2回にわたり、私(あるいは私たち)の提案を拒否していたからである。
 まず、12年9月の定期の代表選(党員・サポーターを含めた)をやらないですまそうとしていた。我々は、首藤信彦会長の下、代表選実施のために「民主党復活会議」を作り、やっと代表選に漕ぎ着けた。そして野田首相に、鹿野、赤松、原口の3氏が挑む形となった。
 ところがその後が汚かった。①地方への実質的選挙期間は僅か5日間しかなく新人には圧倒的不利、②全国遊説も、3カ所のみ(自民党は19か所) ③党員・サポーター・地方議員に対し、投票用紙だけが送られ、立候補者の政策等はマスコミを通じてしか知らされず等で、代表選すなわち総理を決める選挙は少しも盛り上がらなかったのである。いや、わざと盛り上がらないようにしたのである。その結果、投票率は僅か33%、つまり2/3は棄権し、民主党の支持者ですら野田政権に強烈なNOを突き付けたのである(「前途多難な野田民主党の再出発」-12.9.24- 参照)。
 当時、野田政権の支持率は20%そこそこ、国民の間には、期待していたのになんだと失望感が広まっていた。こうした状況の中でこそ正々堂々とした代表選が必要だったのである。「全国を候補者が回って街頭演説や討論会をやったりし、それに対しての国民の皆さんの理解を増す。あるいは政策論や党運営についてもしっかりとした議論ができ・・・」(岡田ブログ)ということが、ここでこそドンピシャ当てはまったのだ。それをしなかったのは、岡田氏を含む野田執行部なのだ。

<自爆解散後の「党員・サポーターでじっくり代表選」の篠原提案の拒否>
 次はひどさがもっと明白である。12年12月19日、衆議院選挙を大敗北した後の突然の両院議員総会で、21日に代表選をするという拙速な日程が提案された。それに対して、私は猛然と食って掛かった。「国民はどうやって民主党が再生していくかを見ている。かつて自民党が下野した時、特別国会の首班指名は若林正俊両院議員総会長を暫定的な首班指名候補として乗り切り、その後じっくり時間をかけて全国を駆け巡り総裁選を行った。谷垣、河野、西村の3氏の中から谷垣総裁を選び、再生に向けてスタートを切った。民主党も同じことをやればよい。ちょうど1月中旬には党大会がある。それまで1カ月かけて全国の党員・サポーターにも参加してもらい真剣に党再生を任せられる代表を選ぶべきだ」と提案した。
ところが、当時の執行部は私の発言の一部だけしか取り入れず、ちょっと先に延ばしただけで、いつものとおり議員だけで代表を選んだ(「両院議員総会(12月19日)の新代表選出延期の顛末」 -13.2.14- 参照)。

<自ら決めたルールも守れないご都合主義>
 そういうことをしていた当時の執行部が、今平然と「党員・サポーターを巻き込み、求心力のあるリーダーを」(岡田ブログ)と言い出すのには唖然茫然である。御都合主義が過ぎる。一般的に筋を通す岡田といったイメージが定着しているが、断定的なものの言い方がそうさせているだけであり、事実は全く逆である。そればかりか、わざわざ代表の任期を3年と決めたのに、今回も選挙に向けて間に合わないから前倒しすべしと勝手にルールを変えようとしているのである。つまり自ら決めたことを守れないのだ。
また、民主党は党員・サポーターの参加する正式な代表選は10年秋の菅・小沢と12年秋の2回だけである。となると、それ以外はいずれも暫定代表にすぎず、10年の菅代表と12年の野田代表の2人だけが求心力のあるリーダーということになる。しかし結果は全く逆で、2人とも独善的になり、野田首相の時は与党なのに離党者が出るという遠心力(?)のあるリーダーになってしまった。そして政権崩壊につながっていった。

<6人衆は発言を控えるべし>
今の民主党の低迷の元凶は、野田執行部の党運営、政権運営の強引さ、拙劣さにあるのは万人が認めるところである。海江田執行部は自爆解散による大敗北という負の遺産を背負って、今四苦八苦しているにすぎない。自分たちのヘマを棚に上げて、代表選で「選挙を乗り切れるパワーのある執行部を選ぶ」(岡田ブログ)というのは虫がよすぎる。前述のとおりそういう代表選を、誤魔化して避けて通ってきたのが他ならぬ6人衆なのだ。
 岡田ブログをもじって言えば、6人衆の皆さん1人ひとりが、まず自らきちんと反省し、その上で、今民主党が何をすべきかを冷静に考えて、具体的筋道を示してもらうのが先である。例えば政権与党時代(あるいはそれ以前から)常に枢要ポストにあって、知名度は抜群であることから、2人一組になり、議席を失った同僚議員のミニ集会に駆け回り、自ら汗をかき、罪の償いをすべきなのだ。
 郵政解散へのまずい対応(05年8月)、ニセメール事件(06年3月)、そして12年12月の自爆解散と3度にわたって民主党を奈落の底に突き落とした責任者の皆さんは、しばらく引っ込んでいるというのが矜恃というものではなかろうか。それを岡田最高顧問が常任幹事会で代表選前倒しを主張するのは筋違い以外の何物でもない。
 また、岡田氏はマスコミに代表選出馬の意志を問われても明確に答えていない。これで本人が対抗馬として出馬するのは、政界の常識からして考えられない。それならそうともっと前から正々堂々と言うべきことなのだ。

<滋賀県知事選勝利を機に立ち位置を明確にし攻勢に転ずる>
 政治には権力闘争がつきものである。自民党では派閥闘争が今も続いている。それに対し民主党は「鳩山降ろし」(02年秋)、「菅降ろし」(04年春)、「小沢追い出し」(10~12年)、「菅降ろし」(10年夏)と続き、今の「海江田降ろし」につながっている。このような悪しき党内文化はこの際払拭する必要がある。
 やるべきことは前倒しの代表選などではなく、集団的自衛権(憲法改正)、原発(再稼働)TPP等について、野党としての立場を明確にしていくことである。13日の滋賀県知事選では、三日月候補は、前2者について明確にNOを言い、勝利したのである。発信力がない、リーダーシップに欠けるとよく批判されるばかりの海江田代表の下でも、自民党・公明党の組織を挙げての総力戦にもかかわらず勝利したのである。6人衆に代表される古い民主党の手助けなど一つも受けずに、嘉田前知事と武村正義元知事の全面的応援を受けて草の根自治を求める三日月陣営が勝ち抜いたのである。
 滋賀県知事選の勝利は、民主党の再生、政権奪還に向けて何をしたらよいのか、そしてどういう方向を目指すべきかを教えてくれている。我々は一致団結して進むしか途は残されていない。