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2014年07月29日

滋賀県知事選シリーズ③三日月勝利の要因分析 ―民主党の反転攻勢の突破口とすべし―14.07.29

 「敗軍の将、兵を語らず」の逆で、私は滋賀県知事選勝利についてあまり語らないでおこうと思っていた。しかし、岡田元副総理が滋賀県知事選の勝利を「敵失」と片付け、野田元首相が「ゆめゆめ民主党が復調したなど勘違いしてはいけない」などと冷水ばかり浴びせているので、前号に触れたが、自らの主張である代表選前倒しには都合の悪い勝利だから素直に喜べないのか、と勘繰りたくなる。
タイミングの悪い解散で多くの同僚の議席を奪ってしまったのであり、「この勝利をきっかけに民主党の再生に結びつけてほしい」と前向きに評価するのが当然である。それを2人の元党代表・現最高顧問による反転攻勢の出鼻を挫くような言動は、必死で戦い、勝利してきた我々には釈然としない。そこでこの勝利の要因、意義を申し述べたい。

<嘉田前知事の獅子奮迅の活躍>
 今回の勝利の要因の一つは、三日月大造(43)、嘉田由紀子(64)、武村正義(80)の息子・母・祖父トリオができ上がったことである。いずれ嘉田前知事が明らかにされると思うが、実はこの絶妙なトリオの形成は、2月中旬から始まっていた。もちろん多少の紆余曲折はあったが、用意周到に準備され、着々とできあがっていったのである。この間に示された嘉田前知事の、「滋賀の草の根自治は死守」「滋賀県政を原発を推進する元経産官僚に渡すわけにはいかない」という執念には鬼気迫るものがあった。そして不出馬宣言された5月7日から7月12日まで2カ月間、それこそ身を粉にして三日月当選のために奮闘された。身近で見ていて健気な姿に敬意を表さずにはいられなかった。女の一念の凄まじさを痛感した。
 小鑓候補に2ヶ月余遅れて、三日月候補と嘉田前知事が、がっちりと握手した二連ポスターが貼り出されたのは5月下旬のことであった。それと同時併行して嘉田知事は三日月候補にピッタリ寄り添い、各地の集会場やイベントの人ごみの中を三日月をよろしくと頭を下げて回った。私の知る限り、ここまでのめり込んで後継候補の応援した前知事はいない。今回の三日月勝利の原動力は、第一に嘉田前知事の全面的バックアップにある。

<武村知事の踏ん張り>
 もう一人、この選挙に多大な貢献をされたのが武村元知事である。武村元知事は、大動脈瘤破裂と糖尿病で体調を崩され、一時は相当弱っておられたが、齢80才にして益々元気になられた。滋賀県下でマイクを握られたのは政界を引退されてから初めてのことであった。40年前の自分の姿も三日月候補に投影されたのであろう。「草の根自治」を訴えられた。それを継承するのが嘉田前知事と三日月候補という構図で、滋賀県各地を3人で回って演説会を開いた。あのご老体でよくあちこち連日連夜数か所演説会に出席できるなと感心した。三日月勝利をものにし、民主党の反転攻撃のきっかけにしたいという願いは私と共通だった。つまり滋賀県民のためだけではなく、日本の国政にくさびを打ち込むために奮闘されたのである。そして、それが見事に結実した。民主党はこの好機を捉えなければ罰が当たる。

<無党派層に食い込んだ「チームしが」>
 嘉田前知事の周辺の人たちは最初から民主党を隠し、2回の知事選を支えたグループ中心に選挙活動をすると決めていた。民主党幹部も知名度が高い6人衆も一度も滋賀県入りすることはなかった。
 その結果できたのが、嘉田前知事と三日月候補を共同代表とする「チームしが」である。06年の1回目の選挙は22万票で、国松現職知事との差は3万票だったが、4年前は参議院選挙と重なったとはいえ、42万票という滋賀県史上最高の得票で、上野賢一郎氏(現自民党衆議院議員)にダブルスコア―で勝っている。このうちの大半が三日月票となれば勝ち、その1/3が小鑓に行けば負けると票読みされていた。
 「チームしが」は『中央は何するものぞ』という草の根自治を守る象徴的存在となり、卒原発や草の根重視で女性票や若者票を惹き付け、今回の勝利に大きく貢献した。
 
<「卒原発」・「被害地元」の後継認知が三日月逆転の理由>
 巷間では、7月1日の集団的自衛権の閣議決定が拙速と受け取られ、一挙に三日月有利に転じたということになっている。もちろん影響はあっただろう。しかし、実はそのずっと前から三日月候補は、嘉田前知事の「卒原発」・「被害地元」をしっかり受け継ぎ連呼し続けることにより徐々に小鑓候補に近づいていったのである。
 こうした中で、前通常国会後半に他の全野党が反対する中、民主党が原子力協定に賛成したことがかなり三日月候補の足を引っ張った。嘉田前知事の脱原発等環境への政策を支持してきたいわば親衛隊の皆さんが、三日月候補本人も反対の姿勢を示さなかったことを気にして、本格的に支持するにとまどっていた。告示前の集会でもあちこちでこの点について問い質された。何回も会合を重ね、リーフレットに明確に卒原発を示すことにより、この誤解が徐々に解かれ、三日月候補の支持率はぐんぐんと上がっていた。その結果6月末の時点で小鑓候補を数ポイント上回り、既に4~5万票の差がついたともみられていた。

<自・公の空中戦対民主の地上戦>
 嘉田知事の支持率は一時は下がっていたようだが、自民党があまりにも露骨な候補を送り込んだが故に、嘉田前知事に同情する人たちが増え、嘉田人気を完全に復活させてしまった。そればかりでなく純粋で勝気な嘉田前知事の炎に火をつけてしまった。それにもかかわらず、自民党側は嘉田降ろしに成功したから、これで勝利は確実と気を抜いた感がある。終盤になり慌てて延べ200人に及ぶ閣僚、女性キャラバン等を総動員したが、時既に遅しの感があった。しかも小鑓候補を本当に知る者はなく、結局とってつけた紹介しかできず、話は専ら嘉田県政の悪口に終始した。滋賀県民にとっては自ら選んだ知事に難癖をつけられて、いい気はしない。逆効果絶大(?)だった。これらはすべて明らかな戦略ミスである。ただ、自・公の凄まじい巻き返しはさすがであり、最後は1万3千票差まで縮められてしまった。
 それに対し、三日月側は専ら嘉田人気に便乗して選挙戦を進めた。民主党は表には出なかったが、三日月候補は民主党の衆議院議員10年の実績があり、民主党隠しは殆ど何の意味もなかった。同僚議員が地道に応援に入り込み、秘書団も張り付いて動き回った。選挙は空中戦ばかりではなく、こまめな集会や労組等組織票の積み重ねといった地上戦が不可欠である。09年に全議席を独占した従来の民主党組織も大きな力を発揮した。いつもとは逆に、自民党の空中戦に対する民主党の地上戦の戦いとなり、後者が勝利を収めたのである。

<野党一丸は自・公+維新(+結)より強し>
 今回の選挙は、橋下大阪市長が小鑓候補応援に駆けつけるなど、自・公に維新がついた。維新は衰えたとはいえ、関西地区では依然それなりの勢力を持っている。12年末総選挙ではみんなの2区(26,978票)を除き、維新は1、3、4区に擁立し125,998票も得票し、第3極合計で152,977票と民主の207,333票に5万票近くに迫っていた。ちなみに自民党は、249,318票だった。投票率の差もあるが、おおまかにいうと小鑓候補は、240,652票とほぼ自・公票と同じだったのに対し、三日月票は、253,728票と、約5万票を第3極から奪い返したことになる。
 小鑓側が自・公+維新に対して、三日月側は民主を中心とする野党という構図で勝利した。この勝利は右傾化する自・公と更に右寄りの次世代の党や維新、結がくっついても、民主が中心となり穏健中道を鮮明にしていけば、1人区でも勝てることを証明している。
 
<総支部長不在で出遅れが響き勝てなかった1区>
 県全体では僅か1万3,076票差にすぎず、17市町でもそれぞれ大接戦が演じられた。ただ注意を要するのは、1区の大票田大津市で敗れ、4つの区でも1区のみ敗れたことである。13市のうち前述の1区大津市・高島市と上野賢一郎自民党衆議院議員の出身の長浜市の3市以外は勝利している。12年末の総選挙では川端氏の1区の惜敗率が三日月候補の3区に次いでいたのに、今回は4つの区の中で唯一小鑓候補に負けてしまった。12年年末衆院選と比べた民主党の得票率の回復ポイントは県全体では15.76ポイントなのに対し、1区は11.33と最小だった。理由は川端氏が総支部長となっておらず、空席のままだったことである。
 民主党は、300選挙区のうち半分以上もある総支部長空席区は、滋賀1区と同じ状態であることを肝に銘じなければならない。来るべき総選挙に備えるのは、代表を代えることなどではなく、一日も早く総支部長を決めることである。

<野党としての立ち位置の明確化が必要>
 三日月候補は、集団的自衛権の行使と原発について反対し、明確な対決構図を作った。滋賀県民はその姿勢を評価したのである。このことはTPPも含め、国民(有権者)に対して民主党の野党としての立ち位置をはっきりとさせなければならないことを示唆している。
 三日月勝利は敵失などと片付けるには重すぎる結果なのだ。枠組みをしっかり決め、野党民主党の政策を明確に訴えていけば、小選挙区でも勝てるということを示しているのである。

<政治は潮目が変われば変わる>
 今絶好調の安倍首相も第1次安倍政権下での悔いとして、靖国神社に参拝しなかったことと参議院選挙に敗北したことをよく挙げていた。そして今回の滋賀県知事選の不利な情勢報告に対し声を荒げ、豪、NZの出張先からも電話で指示が飛んだともいわれている。それだけ選挙の敗北を恐れていたからである。
 民主党の大半の皆さんは忘れかけているが、07年参院選の大勝は、1人区で自民党が6選挙区しか勝てず、23選挙区で敗北したことにある。その原動力になったのは、農業者戸別所得補償である。小沢代表が1人区のみ回り、ビール箱の上で、ひたすら訴えた姿を記憶している人は多いのではないか。このことは、敗れて政権の座を去ることになった安倍首相が最も胸に刻んでいることである。
 政界には、2度あることは悪夢のように3度目も起きると縁起を担ぐ人が多い。安倍首相は今回の同じような局面による敗北に心中穏やかではいられまい。秋の福島・沖縄へと続き、崩壊への第一歩となるかもしれないからである。それを、勝った民主党が、あまり大したことではないとたかをくくっていては始まらない。
 滋賀県知事選で潮目は変わったのであり、我々は、ここで一気に畳みかけ、2つの知事選をものにし、安倍政権の暴走を止め、政権交代につなげていかなければならない。

2014年07月27日

党員・サポーターによる代表選は一理あるも今はその時ではない ―7/23岡田克也公式ブログはあまりに御都合主義が過ぎる― -14.07.27-

 6月24日の両院議員総会(マスコミにフルオープンの場)で、若手議員が海江田代表は「暫定代表」でしかないと発言した。野田首相辞任を受け、党員・サポーターを含めた選挙で選ばれていない代表だからというのがその理由である。自ら選出した代表に対して失礼極まりない言動である。

<岡田暫定代表(?)が本物代表になったきっかけ>
 暫定代表で思い出すのは、2004年春菅代表が例の保険料の未納で辞任をした後を受けて代表になった岡田代表である。小沢代表になりかかったのを多分皆と同じ未納問題があったのであろう、小沢氏が固辞したことから、岡田幹事長にお鉢が回ってきた。本人も周りも暫定と思っていたはずだが、7月の参院選で1人区が13対14と、自民党と対等に戦い、全体で初めて50対49と民主党が第1党になった。

 私はこの時に鹿野道彦NC農林水産大臣の下、後に農業者戸別所得補償と呼ばれる「直接支払い」政策を民主党農政の目玉にし、1人区に110万部の農政ビラを配布した。異例のことであった。民主党が01年の参院選では1人区は1つもとれなかったのと比べると大躍進だった。 岡田代表はこの勝利で暫定から本物(?)の代表と認められるようになったと思う。

<起死回生の機会を失った12年9月の代表選>
 確かに党員・サポーターも含めて代表を選ぶべきという意見には一理ある。私は過去の失敗をあげつらいたくはないが、少なくとも岡田氏を含めた野田執行部には絶対に言われたくない。なぜならば12年秋に2回にわたり、私(あるいは私たち)の提案を拒否していたからである。
 まず、12年9月の定期の代表選(党員・サポーターを含めた)をやらないですまそうとしていた。我々は、首藤信彦会長の下、代表選実施のために「民主党復活会議」を作り、やっと代表選に漕ぎ着けた。そして野田首相に、鹿野、赤松、原口の3氏が挑む形となった。
 ところがその後が汚かった。①地方への実質的選挙期間は僅か5日間しかなく新人には圧倒的不利、②全国遊説も、3カ所のみ(自民党は19か所) ③党員・サポーター・地方議員に対し、投票用紙だけが送られ、立候補者の政策等はマスコミを通じてしか知らされず等で、代表選すなわち総理を決める選挙は少しも盛り上がらなかったのである。いや、わざと盛り上がらないようにしたのである。その結果、投票率は僅か33%、つまり2/3は棄権し、民主党の支持者ですら野田政権に強烈なNOを突き付けたのである(「前途多難な野田民主党の再出発」-12.9.24- 参照)。
 当時、野田政権の支持率は20%そこそこ、国民の間には、期待していたのになんだと失望感が広まっていた。こうした状況の中でこそ正々堂々とした代表選が必要だったのである。「全国を候補者が回って街頭演説や討論会をやったりし、それに対しての国民の皆さんの理解を増す。あるいは政策論や党運営についてもしっかりとした議論ができ・・・」(岡田ブログ)ということが、ここでこそドンピシャ当てはまったのだ。それをしなかったのは、岡田氏を含む野田執行部なのだ。

<自爆解散後の「党員・サポーターでじっくり代表選」の篠原提案の拒否>
 次はひどさがもっと明白である。12年12月19日、衆議院選挙を大敗北した後の突然の両院議員総会で、21日に代表選をするという拙速な日程が提案された。それに対して、私は猛然と食って掛かった。「国民はどうやって民主党が再生していくかを見ている。かつて自民党が下野した時、特別国会の首班指名は若林正俊両院議員総会長を暫定的な首班指名候補として乗り切り、その後じっくり時間をかけて全国を駆け巡り総裁選を行った。谷垣、河野、西村の3氏の中から谷垣総裁を選び、再生に向けてスタートを切った。民主党も同じことをやればよい。ちょうど1月中旬には党大会がある。それまで1カ月かけて全国の党員・サポーターにも参加してもらい真剣に党再生を任せられる代表を選ぶべきだ」と提案した。
ところが、当時の執行部は私の発言の一部だけしか取り入れず、ちょっと先に延ばしただけで、いつものとおり議員だけで代表を選んだ(「両院議員総会(12月19日)の新代表選出延期の顛末」 -13.2.14- 参照)。

<自ら決めたルールも守れないご都合主義>
 そういうことをしていた当時の執行部が、今平然と「党員・サポーターを巻き込み、求心力のあるリーダーを」(岡田ブログ)と言い出すのには唖然茫然である。御都合主義が過ぎる。一般的に筋を通す岡田といったイメージが定着しているが、断定的なものの言い方がそうさせているだけであり、事実は全く逆である。そればかりか、わざわざ代表の任期を3年と決めたのに、今回も選挙に向けて間に合わないから前倒しすべしと勝手にルールを変えようとしているのである。つまり自ら決めたことを守れないのだ。
また、民主党は党員・サポーターの参加する正式な代表選は10年秋の菅・小沢と12年秋の2回だけである。となると、それ以外はいずれも暫定代表にすぎず、10年の菅代表と12年の野田代表の2人だけが求心力のあるリーダーということになる。しかし結果は全く逆で、2人とも独善的になり、野田首相の時は与党なのに離党者が出るという遠心力(?)のあるリーダーになってしまった。そして政権崩壊につながっていった。

<6人衆は発言を控えるべし>
今の民主党の低迷の元凶は、野田執行部の党運営、政権運営の強引さ、拙劣さにあるのは万人が認めるところである。海江田執行部は自爆解散による大敗北という負の遺産を背負って、今四苦八苦しているにすぎない。自分たちのヘマを棚に上げて、代表選で「選挙を乗り切れるパワーのある執行部を選ぶ」(岡田ブログ)というのは虫がよすぎる。前述のとおりそういう代表選を、誤魔化して避けて通ってきたのが他ならぬ6人衆なのだ。
 岡田ブログをもじって言えば、6人衆の皆さん1人ひとりが、まず自らきちんと反省し、その上で、今民主党が何をすべきかを冷静に考えて、具体的筋道を示してもらうのが先である。例えば政権与党時代(あるいはそれ以前から)常に枢要ポストにあって、知名度は抜群であることから、2人一組になり、議席を失った同僚議員のミニ集会に駆け回り、自ら汗をかき、罪の償いをすべきなのだ。
 郵政解散へのまずい対応(05年8月)、ニセメール事件(06年3月)、そして12年12月の自爆解散と3度にわたって民主党を奈落の底に突き落とした責任者の皆さんは、しばらく引っ込んでいるというのが矜恃というものではなかろうか。それを岡田最高顧問が常任幹事会で代表選前倒しを主張するのは筋違い以外の何物でもない。
 また、岡田氏はマスコミに代表選出馬の意志を問われても明確に答えていない。これで本人が対抗馬として出馬するのは、政界の常識からして考えられない。それならそうともっと前から正々堂々と言うべきことなのだ。

<滋賀県知事選勝利を機に立ち位置を明確にし攻勢に転ずる>
 政治には権力闘争がつきものである。自民党では派閥闘争が今も続いている。それに対し民主党は「鳩山降ろし」(02年秋)、「菅降ろし」(04年春)、「小沢追い出し」(10~12年)、「菅降ろし」(10年夏)と続き、今の「海江田降ろし」につながっている。このような悪しき党内文化はこの際払拭する必要がある。
 やるべきことは前倒しの代表選などではなく、集団的自衛権(憲法改正)、原発(再稼働)TPP等について、野党としての立場を明確にしていくことである。13日の滋賀県知事選では、三日月候補は、前2者について明確にNOを言い、勝利したのである。発信力がない、リーダーシップに欠けるとよく批判されるばかりの海江田代表の下でも、自民党・公明党の組織を挙げての総力戦にもかかわらず勝利したのである。6人衆に代表される古い民主党の手助けなど一つも受けずに、嘉田前知事と武村正義元知事の全面的応援を受けて草の根自治を求める三日月陣営が勝ち抜いたのである。
 滋賀県知事選の勝利は、民主党の再生、政権奪還に向けて何をしたらよいのか、そしてどういう方向を目指すべきかを教えてくれている。我々は一致団結して進むしか途は残されていない。

2014年07月25日

海江田代表を支えるのが筋 ―国民は民主党のゴタゴタに辟易している- 14.07.25

一般的には予想外(私は勝算あり)の滋賀県知事選の三日月勝利から一週間、民主党は再生に向けて再スタートを切っていいはずであるが、また変な動きが見られる。つくづくこの党の代表をやたら代えたがる癖が嫌になる。海江田代表を代える、いわゆる「海江田降ろし」である。

<部下は上司を選べず>
私が農林水産省の中間管理職の頃、「某剛腕局長にとてもお仕えできないので、異動させてほしい」と言ってくる後輩がいた。私はそれに対して、「馬鹿なことを言うんじゃない。上司は部下を選べるが、部下は上司を選べない。上司が変わるのをじっと我慢して待つしかないんだ」といって追い返した。しかし、私は秘書課にこの後輩の要望を伝え、先に別の局へ異動させてやった。ところが世の中皮肉なもので、その局長が、その後輩のその異動先の局長として異動していったのである。私の温情は仇になってしまった。

<代表を選んだ責任は我々にある>
 それに対して、政党の代表は自分たちが選んでいる。政策についてはいろいろ議論が分かれてもいいが、人事についてはその選んだ者に従っていかなければ、組織としての秩序が保てない。石原環境相の「金目」発言があったが、野党はすぐさま安倍首相の任命責任を問う。それならば我々にも代表を選んだ責任がある。
それを党規約にない代表降ろしを公然とやり出す人がいるというのは、明らかにルール違反である。およそ組織の論理がわかっていない人たちの動きである。かつて古い自民党の権化ともいうべき金丸信副総裁が、「ぼろ神輿でも、担がなければならない」といって、嫌いな(?)総裁を支えていた。政権与党も経験した、結党以来16年の歴史のある我が民主党に、いまだ任期途中なのに代表を代えて党を活性化しよう、と言い出す幹部がいる。政党組織のなんたるかをわきまえない節度のない発言である。

<奇妙な代表選前倒し論>
 彼らの言い分は2つあるが、私はとても理解できないことばかりである。
 1つは、昨年の参議院選挙の惨敗の後、「1年後に結果が出ていなければ、恥を忍んで代表の立場をお願いすることはない」と海江田代表が発言したことに端を発している。いわゆる6人衆のうち、玄葉、安住、前原の3氏が成果は上がっていないとして、かねてから代表選前倒しを主張している。2つ目は、どう見ても民主党は沈滞している、打開するためには何かきっかけが必要であり、それには代表選を行い、新しい代表を選ぶのか手っ取り早いというものだ。そこに、党員サポーターが一丸となって代表を選び、民主党を再生の姿勢を示すべきだといった、とってつけたお題目がくっついてくる。
7月22日常任幹事会で岡田最高顧問が主張し出し、その後マスコミに公表し、23日には自らのブログに詳述している。最高顧問という立場の者が公然と言うようなことではない。

<分裂しなかったことも成果の一つ>
 確かに目覚ましい成果はないのかもしれない。それに確かに出所進退に関る発言は軽々すべきではないのに、海江田代表が少々軽率だったというそしりは免れない。しかし、それだからといって民主党の再生の目途が立たないことを、代表一人に押し付けるのは責任転嫁でしかない。
私が敢えて成果を挙げるとすれば、この党が分裂しなかったことである。維新もみんなも我々よりも小さい党であるにも関わらず分裂している。そうした中で、民主党が分裂しなかったのは、海江田代表の穏やかな性格ゆえかもしれない。よく発信力の不足を指摘されるが、あまり大言壮語せず、片方の方向に突っ走ることがなかったことが幸いしたといえる。
私は、逆に今までの民主党の代表というのは、やたら声を張り上げ突っ走ったり、変わったことを言い出す人が多すぎたような気がする。特に政権の維持・継続よりも自分の成果をあげんとするような代表ばかりを戴いてきたことに問題があった。混乱期には目立たずになんとか融和を保って行こうというトップのほうが向いており、その方が据わりがよい。角福戦争・40日抗争・ハプニング解散の後の鈴木善幸首相が典型である。

<天の声は「内紛はやめてくれ」>
 党を活性化するために代表選という2番目の理由は、全く聞く耳を持たない。代表選をやればその党が活性化するというなら党規約で毎年やるようにしたらいい。安定を重視し任期を3年にしたというのに、逆のことをやり出すというのはとても理解できない。民主党は自ら決めたルールを平気で破ったり、今回のように都合のいいように変えてしまう変な文化ないし悪癖がある。
私は、地元長野の選挙区でも、大津に17泊した滋賀県知事選でも、多くの市議・県議や有権者に会っている。そうした人たちの声は、「もう民主党のゴタゴタ内紛はやめてほしい」であり、「海江田降ろしなどとんでもない、代表選なぞ絶対にやってほしくない」というものである。民主党がいちばん飽きられたのは、まとまりがない、決められないということであったからである。
今ここで民主党が分裂気味の代表選をやったら、また何をやっているのかと批判されるのは目に見えている。折角滋賀知事選で勝利し、「安倍政権は危うすぎる。民主党に頑張ってもらわなくては」と、国民の皆さんが思い始めているのに水を差すことになってしまう。絶対得にはならないと思っている。

<議員にも代表選前倒し論はほとんどなし>
 各県連幹事長や地方自治体議員の意見を聞くということも行われている。しかし、各県の議員といっても、その国会議員の息のかかった声が代弁されるに決まっている。例えば仙台で開催されたブロック会議幹事長・選挙責任者会議で某県の幹事長が、代表選の前倒しすべしと意見を述べたというが、誰しもすぐその背後の国会議員が目に浮かぶはずである。
中には確かに民主党の風だけで当選している人は、藁にもすがる思いで、代表を代えて順風にしたいと思うかもしれない。しかし、まともな議員、すなわち自ら有権者と接して足で地元活動をしている人たちは、今は代表選などしている時ではないと言う人が大半である。
私は、海江田代表が100点満点だといっているのではない。今は火中の栗を拾った代表に敬意を払い、我々が必死で支えていくべきなのだ。ここで代えたとして、来年の統一地方選挙をもし負けるようなことがあれば、またその代表を代えろという話になるに決まっている。

<バラバラ感を出すだけの代表選前倒し>
 代表選をするのが、民主党に関心を持ってもらうのに1番手っ取り早いというのは安易すぎる。前述のとおり、余裕があったりする時はそうだろうが、今は全く事情が異なる。維新もみんなも分裂したのに、民主党はしっかり団結していると思われている時であり、ここで民主党もバラバラではないかという印象を与えるような愚かなことはしてはならない。
 円満に代表選をやるならいいではないか、と楽観的なことをいう者もいるが、それは永田町の論理でしかない。大半の有権者、なかんずく民主党支持者あるいは民主党に期待している者は、代表選の前倒しなどしたら、民主党も他の野党と変わらないと失望するだろう。
有権者の目は節穴ではない。こんなときに代表選をやったら、民主党は言い方は悪いが、それこそ社民党と同じ運命を辿って行ってしまう。
ここは海江田代表に踏ん張ってもらい、それを我々が一丸となって支える以外にない。

2014年07月11日

滋賀県知事選シリーズ② 三日月個人演説会の篠原スピーチ ―本音ユーモア紹介-14.07.11

 「チームしが」が主体、かつ民主党は前面に出ないということで、ずっと滋賀に陣取ってはいるが、あまり三日月候補のヨイショ紹介(?)をする機会がない。それでも数回あったので、そのエキスをつなげて紹介しておく。

<中学生徒会長、高校生徒会長、松下政経塾→知事?>
 三日月候補のリーフレットを見て下さい。
 この一頁(A1頁)にぎっしりかかれた履歴、国会議員となってからは国交副大臣とかごく普通ですが、ユニークなのは日吉中学校生徒会長、膳所高校も生徒会長、挙句の果ては政治家の登竜門、松下政経塾。
 私はこの原稿を見た時「こんなもの止めとけ、嫌味になる。目立つことが好きで、人前で演説するのが好きで、その延長線上で知事になるみたいに思われるだけじゃないか」と削除すべしと意見を述べました。しかし、後で別の弁士が触れると思いますが、これには理由があるのです。

<1年だけの松下政経塾、8年の会社員はましな経歴>
 私は、松下政経塾はあまり好みではありません。ここは大学を卒業して5年も行くところですが、そんなにいっていると、やれ、橋下市長に100%合流するとか、海江田代表はやめてもらうべきだとか変なことを言う政治家になってしまうのです。しかし、三日月候補は、よくみていただくとわかるのですが、1年で中途退学しています。だからおかしくならずに済んでいます。
 それにJR西日本に8年も勤めていて、社会人として十分経験を積んでいます。だから常識も備わっています。

<付き合いの良さが表れた議員連盟の数>
 次に、この数多い議員連盟、これだけではありません。
私などほんのちょっとしか入っていません。会費は月100円~数千円ですが、ちりも積もれば山となりますので、財布をにぎっている妻にチェックされ、単なるお付き合いではなかなか入らせてもらえません。それを三日月候補は、お金持ちなのかこんなに入っています。本当に気が良くて付き合いのいい人なのです。

<「農協は農家のためになっているんですか?」という率直な質問>
 彼は、また本当に素直な人です。農政畑の長い私の役割はいつも農協を回って支持を訴えることです。今回、何人かの組合長さんが、「規制改革会議は農協の何たるかを全く分かっていなくて頭にくる。篠原さんにはTPPでも頑張ってもらっているのはよくわかっているけど、三日月さんは・・・」と同じことを言い出しました。
 民主党の与党時代、滋賀県選出の国会議員との懇談会で、三日月候補が「農協は農家のためになっているのですか」と問いかけ、大議論になったのだそうです。私にはいつもの大声で素直に挑んでいる姿が目に浮かびました。正直者で、少々無鉄砲なところがあります。しかし、だれも憎む人はいません。愛嬌があるからです。

<議運・国対で学んだ収拾策>
 この後、彼の真骨頂が表れます。
 議論の中心にいた実力派の某農協組合長にすぐさまお詫び方々ご挨拶に行っています。雨降って地固まる例えよろしく、これ以降親密な関係になっていきます。各党の思惑がぶつかり合い、意見対立が解けず、各党が持ち帰り、一夜明けて前日の激論はさておき、また折衝。議運・国対の訓練がそのまま地元活動にも活かされたのです。
 政策的には嘉田知事の8年の経験の足許にも及びませんが、嘉田知事が苦労された議会との駆け引きは、多分三日月候補が数段上のはずです。突っ走り続けたあとの知事は、ちょっと元気すぎるかもしれませんが、調整力抜群の三日月候補が向いているのです。

<野次中隊長 三日月を欠き寂しい国会>
 塩村都議への鈴木自民党都議のはしたないセクハラ野次が世界でも批判されていますが、実は三日月候補も、大きな声を活かした野次議員だったのです。しかし、皆さんご安心ください。野次のセンスはそれほどなく、自分のように大きな声がいいと思っているのでしょう。「もっと大きな声を出せ」とか「気合が入っとらん」とか、何の気にもならない、従って少しも記憶に残らない野次ばかりで、人身攻撃的な野次など出来ない議員でした。
 私がいろいろ茶化して紹介しているのを知っていますので、数日前すれ違った時に「篠原さん、野次のこと言ってる?」と心配していました。少しも言っていなかったのですが、本人が心配しているようなので、健全な野次だと皆さんにお伝えしておきます。

<誰にも愛されるキャラ>
 ひょっとすると三日月候補は、党内よりも他党に友人が多いかもしれません。それだけ議運・国対で長く縁の下の下支えを集中的にしてきたのです。滋賀県知事選への出馬、大半の党の皆さんは大丈夫かと心配し、引き留めた人も多くいました。それだけ魅力のある男なのです。それを振り切っての出馬は、三日月候補のふるさと滋賀を何とかしたいという気持ちがそれだけ強力だったということです。実は、三日月出馬にそこそこ関わっていることを知った同僚議員からは、私に対しても「なぜ止めてくれないんだ」と非難の目さえ向けられました。
 しかし、最後は男三日月の英断に皆がこぞって拍手をし、大送別会を開いて送り出してくれました。

<芸術家に認められたいい顔>
 あの変な風に突っ立った髪と、どことなく皆丸っこい目、口、鼻で出来上がった丸い顔は、漫画にしやすい顔でもあります。イケメンには程遠い容姿です。
 私は、加藤登紀子さんが、三度目の出馬をしなかった嘉田知事に詰め寄る現場に偶然出くわしました。嘉田知事が恐る恐る出した三日月候補の写真を初めて見た加藤さんが言いました。
「いいじゃない。イケメンなんかじゃなくて愛嬌のある顔で。これならいい」と一発で決着しました。私は「アーティストにほめられた顔だから自信を持て」と三日月候補を励ましています。夫人が付きりで選挙運動をやっておられますし、民主党の議員にありがちな女性スキャンダルとも無縁です。

<丈夫すぎで体調不良になれず>
 三日月候補は、嘉田知事の眼目的政策である「被害地元」等脱原発政策等をそっくり踏襲しています。しかし、他の全野党が反対する原子力協定に賛成した民主党に、嘉田知事の熱狂的支持者から大きな疑問が提示されました。
 実は、私はその他大勢の副幹事長の一人でしかありませんが、一応海江田・大畠体制を支える立場ですから、党の極めてヘンチクリンな方針ですが、何かとガタつくことの多い民主党、じっと我慢して賛成するつもりでした。いろいろどんでん返しがあり、体調不良で採決を欠席しました。そして厳重注意という処分を受けました。
 怒ったのは純粋無垢な嘉田知事、「三日月さんも篠原さんと同じように体調不良になればいいのに」。私の援護射撃は「丈夫(「だけ」ではない)が取り柄の三日月さんが、体調不良になるわけがない」。私のように党内出世など全く無関係に自らの政治信条を全面に出せる政治家はそれほどおらず、40代の中堅はやはり党の方針には従わなくてはなりません。まして、議運・国対は党議拘束を守らせるのが仕事。彼は、本心は当然私や嘉田さんと同じく、原発輸出などとんでもないという意見でしたが、それを採決の場で表せませんでした。この点は切にご理解いただきたいと思います。

<総理になるかもしれないダークホース>
 私は、こんなことは本人に一度も言ったことはありませんが、将来、ひょっとして総理になるかもしれないと思って(嫌がられながら、余計な世話を焼いて)いる数少ない政治家の一人です。本当のところはわかりませんが、私のこういう勘というか見通しは、結構な確率で実現しています。実は武村正義さんも、将来総理にと私が期待した一人でした。
 とらぬ狸の皮算用ですが、もし皆さんに知事に選んでいただけたら、嘉田知事と同じように2期8年で全力で知事を勤めあげ、再び国政に復帰し総理を目指してほしいと思っています。
 オバマは違いますが、アメリカの大統領の大半は州知事として統治の訓練を積んだ人がなっています。滋賀県から短命に終わった宇野宗佑を超える総理を育てるつもりで、是非三日月大造候補を知事に選んでいただきたいと思います。
 私はそのため「チームしが」の事務所と狭いホテルの一室に陣取って、周りに気を使いながら三日月応援をしています。13日には是非万歳をさせてください。

滋賀県知事選シリーズ① 三日月滋賀県知事候補応援―勝利して安倍政権の暴走にブレーキ-14.07.11

私は、5月24日の「チームしが」事務所開き以来、出入り15日に及び、大津の安ホテルに泊まり滋賀県知事選の応援に明け暮れている。12年末の野田自爆解散の大敗北以来、同僚議員の選挙応援は、平岡秀夫山口県区参議院補選、打越明司鹿児島2区補選に次いで3回目だが、今回幸いに手応えを感じつつある。

<篤農家松井浄蓮に始まる滋賀県との縁>
 私は、同じ大津のホテルに陣取っているが、1979年以降貯めておいた滋賀県関係者の名刺のコピーを持参している。いつの頃からか名刺を各県別に整理し始めたが、滋賀県は少ない部類に属する。それでも一箱に達している。ただ年代が偏り、ほとんどが1980年代のものである。奥村展三前衆議院議員にチェックしてもらったところ、大半が亡くなっていた。

 私は、ふとしたきっかけから農政についてモノを書き始め、本をだし、それが故に全国各地に呼ばれるようになった。そうした一人に、大津市坂本の萬世協会、麦の家に住む松井浄蓮という篤農家がいた。エコノミストに掲載された拙論「アメリカ農業の知られざる弱さ」(1981年9月22日号)を読み、私の職場、内閣府の内閣総合安全保障閣僚会議担当室に尋ねてきたのだ。当時既に80才を超え、作務衣に高下駄で内閣府(総理府)の守衛さんから「変な人が篠原さんに面会に来ている」と電話があった。
 私を見て「フーフー」と言いつつ、上から下まで眺めていた。「こげな若い人とは思わなんだ」が第一声だった。私には、このような農家の老人がエコノミストを読んでいること自体が不思議だった。

<聴衆の一人が武村正義知事>
 そして、坂本の麦藁で葺いた家の囲炉裏端での勉強会にお邪魔した。ただのメンバーではなかった。もちろん近隣の農家の皆さんもいたが、猪木正道、山岡力、渡部忠世京大教授の方々、比叡山の高僧、そして若き日の武村正義滋賀県知事がいた。私のほうこそ話を聞かせていただきたい人たちばかりであった。
 それから10年間1991年にOECD代表部への出向でパリに行くまで、毎年1回は必ず勉強会に参加した他、全国各地の松井ファンの所へも一緒に連れて行かれた。松井さんはただの農民ではなく、1961年のはるかかなた昔、農業基本法成立時に、自民党の農林部会に唯一反対論を述べる参考人として呼ばれていた。その時の小委員長が井出一太郎衆議院義員(後の農林水産大臣、官房長官)。「小さくともやっていける、規模拡大ばかりは間違っている」と意見陳述したという。拙書「農的小日本主義の勧め」と通ずる考えであった。

<三日月出馬への関わり>
 武村さんとも1983年以来、30年間以上の付き合いになる。私の全国後援会会長もやっていただいている。嘉田由紀子知事も10年以上前からの知り合いのエコロジスト仲間である。詳しい経緯は一切省くが、今回の滋賀県知事選出馬、嘉田知事からのバトンタッチ、武村・嘉田・三日月トリオの結成には少なからずかかわっている。
 かくして今回の滋賀県知事選の責任の一端を担わなければならない立場にあるため、今日7月11日で15日目の大津滞在になる。

<効果がそれなりにあった農協回り>
 私のこうしたときの役割はいつも決っている。農協(16)巡りである。6月9日に回り始めたが、組合長の皆さんにもなると、私が何をしているか知っている方も多く話が弾み、途中で中断。2回目は、告示直前の25日になってしまった。
 その間6月13日に、それこそデタラメな規制改革会議の農業委員会、農協、農業生産法人に関する提言がまとめられた。18日には農林水産委員会でこの件で質問した。後藤田正純内閣副大臣が、用意されたダラダラ答弁を長々とするのに辟易した。
 その時の質問一覧、議事録、私のいつも用意する関係資料を持って、残りの農協を回った。農政連(農協の政治団体)は、いつものとおり自民党系の候補の推薦を決めていたが、アベノミクス農政批判(シリーズブログ1~6)にあるとおり、農協側、農家側の反発はかなり強い。これが次号のちょっとした話もあるが、三日月有利に動くことは間違いない。私は、名刺交換した相手の皆さんのメールやFAXに上記のブログも送付して、三日月支援を訴えた。いつにも増して効果はあったと思っている。

<ナイスガイ三日月大造>
 順序が逆になったが、三日月大造候補を紹介しておかなければならない。
 一言、「ナイスガイ」(いい奴)である。43才と私と二回り近く違う。彼は若いので「三日月」と呼び捨てにする当選同期議員が多いが、私は秘書も記者も官僚も党職員も皆年下になってしまったが、全員「さん」付けで呼んでいる。調子のいい三日月さんは、尊敬の念が込められているとは思えないが、私を形だけは(?)「先輩」と呼ぶ。
 私のそこそこの鑑識眼からすると、なかなかの上玉で、ひょっとして将来の総理候補かもしれないと思い、多分嫌がられていると思うが、少々お節介をし、世話を焼いてきた。将来性を見込んだからに他ならない。

<数少ない議運・国対肌>
 「民主党には、理屈をこね政策を話す立派な人はいっぱいいるが、まとめ役や裏方をきちんとできる人が少ない。三日月さんは、声はでかいし、人柄はいいし、物怖じしないし、調子もいいし、議運・国対をやったらよい。民主党は政権運営がからきし下手クソだったのもここに問題があったからだ。竹下登首相も大島理森副総裁も皆議運・国対育ち、民主党にも必要になるから、そっちで汗をかいたらいい」が私のアドバイス。もう一つ余計なことを言うと「第二の安住淳」を目指し、超えろということである。
 それに従ったのかどうか不明だが、少なくとも議員をやめる以前は、議運の筆頭理事で国対副委員長、誰からも愛される男である。有権者の目も節穴ではない。接すれば接するほどファンが増えていくタイプである。

<日吉中学校生徒会長の手腕>
 嘉田後継として知事選出馬話が持ち上がった時は、大半の同僚議員は止めた。しかし、私は積極的に背中を押した。一議員より組織のトップに向いていると思ったからだ。後述(例の私のユーモア入り紹介話)もするが、日吉中学校が荒れ狂っていた時に、生徒会長として「We love日吉」というスローガンの下にまとめ上げ鎮静化させたという。大物政治家の片鱗を当時からみせていた。彼が政治家を目指すことになる原点という。
 初出馬の折り、川端達夫県連代表の所にいい大人が「中学生の三日月さんに大変お世話になった。そのころから政治家に向いている。いつか政治家になってほしいと思っていたらやっと出てきた。是非当選させてほしい」と言ってきたという。「いい大人が何で中学生の三日月の世話になるんだ」と不思議に思ったところ、当時の日吉中学校のPTA会長だった。困り果てていたのを見事に収拾してくれたのが少年三日月であり、その資質を当時から見抜いていたのだ。
膳所高校、一橋大学を経て、JR西日本に8年間務めた後、一念発起して松下政経塾に入り、2003年衆院選挙に初出馬以来4期連続当選。与党時代は国土交通副大臣も勤めている。
 衆議院議員の座を捨てての出馬も、JR西日本退職と同様に決断のいることである。要するにトップの資質として必要な決断力もある。とうより大胆すぎるぐらい大胆なのだ。

<慢心が過ぎる安倍首相と一強与党自民党>
 自民党は鹿児島2区補選では、日米共同声明まで遅らせ、合意の記者発表もごまかすなど相当いかがわしい気配りを見せた。しかし、今回は完全に舐めてかかっていたのか、安倍首相は、国会中とこだわっていた集団的自衛権の閣議決定をいったんは延期したが、自衛隊発足60周年の記念日7月1日にぶつけてきた。趣味の方を大事にして、滋賀県知事選を忘れていたのだろう。安倍政権は慢心によりつまらぬ意地で政権運営をし出しており、安倍政権の余りの暴走に、自民党支持者ですら恐怖感を抱き始めている。
 幸いにして、自民党の度重なる敵失、すなわち集団的自衛権に関する閣議決定、都議会と国会での女性蔑視ヤジ、石原環境相の「金目」失言等々があり、三日月候補に風が向きつつある。マスコミ各紙の世論調査も、三日月僅かながらのリードと伝え始めた。国会議員選挙と異なり、勝ち馬に乗らんとする人たちも現れている。

<地道な選挙活動に徹する>
 自民党は、石破幹事長以下閣僚や人気の小泉進次郎内閣府政務官等総出でテコ入れ中である。対する我が民主党は、自民党対民主党の対立を避けるため幹部や大物著名議員が前面に出ることは避けつつ、私のような同僚議員が中心となって三日月応援を行っている。
 選挙活動の中心は、40年前の武村県政以来の草の根自治の伝統を受け継ぐ「チームしが」であり、個人演説会は前述のトリオに地元関係国会議員、地方議員等が弁士となっている。私も人手が足りなくなった時には、弁士に駆り出されている。
 私は、事務所で皆さんに迷惑をかけないように、応援に入ってくれた同僚国会議員をねぎらう役目を果たしている。7月10日の夜には一般の方々に電話かけもしてみたが、2時間80人で完全拒否は2人だけ、なかなかの好感触である。このままの好いムードが続いてくれたらと願っている。このあたりで安倍政権の暴走を止めないとならない。

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