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2014年07月10日

アベノミクス農政批判シリーズ6 「規制改革会議提言逐条(項目)反論コメント2」 14.07.10

<国の機関に入り込み好き勝手な提言をする厚顔無恥>
 前号で、経済界は自ら提言することをやめ、国の機関である規制改革会議の衣を繕って注文をつけだしたと書いた。しかし、よく考えてみると産業競争力会議も含め、これらを乗っ取り、そこをひっかきまわして提言しているといってほうが正確かもしれない。これは、利益相反どころの話ではない。政府を思いのままに操っていると言ってよい。(アベノミクス農政批判シリーズ4「安倍政権の〇〇会議は利益相反だらけ -企業に大甘の政策決定プロセス-」14.07.01)
 強引な政治手法のさえたるものである。国民に選ばれた我々国会議員を蔑ろにして、安倍政権が勝手に選んだ者に牛耳られているのである。民主主義の危機である。
 しかし、厚顔無恥は更に極まっている。その政府機関のメンバーが、また別途『経済成長フォーラム』なる組織を作り、更に好き勝手放題の提言をしているのだ。

<政府機関から罷免に値する経済成長フォーラムメンバー>
 新波剛史、八田達夫、本間正義(以上、産業競争力会議及びその分科会)、太田弘子、金丸恭文(規制改革会議)、高橋進(経済財政諮問会議)が、その面々である。
6月13日の提言後、6月20日に『企業の農業参入促進』のための提言-参入規制の緩和と製造業の生産手法導入をー』を出している。何が問題かというと、政府の2つの機関で自らメンバーとなって提言をまとめておきながら、その舌の根も乾かないうちに、その提言に盛り込まれなかった事項を入れ込んで提言しているのである。それでは一体政府の提言は何だったか、どこが違うのか、国民を混乱させる公私混同である。他の民主主義諸国では、こんなデタラメは絶対に許されないだろう。学者・評論家・財界人としての矜持も何もみられない。
 私は、絶対にどちらかは辞めるべきであり、両方で適当なことを言い、異なった提言を出すのは許されないと思う。

<総括論>
① 農地中間管理機構の創設
 ×今まで、いろいろな農地活動化の手段を講じてきたが、うまくいっていない。
この新組織も、行き場のない農地を抱えて、公的負担だけが増すお荷物になるのではないか。例えていうならば、全国で赤字にあえいでいる林業公社と同じ運命を辿ることが予想される。
 ×生産性の向上は大規模ばかりで達成されるわけではない。水田耕作や一部の畑作を除く、野菜・果物生産は規模拡大などできない。例えば長野県の果樹農業は、せいぜい2~3haが限度でそれ以上はやれない。このことが少しも考えられていない。
 ×新規参入ばかりもてはやすのは偏りすぎ。
 ◎農家に生まれ農村に育った後継者こそが希望を持って、農業に取り組める政策こそ重視すべきである。

② 農業委委員会等の見直し
 ×農業委員会の業務は農地利用関係ばかりではなく多岐にわたる
 ×農地利用最適化推進委員は農業委員と屋上屋を重ねるのみ

③農地を所有できる法人(農業生産法人)の見直し
 ×企業化と新規参入ばかりが前面に出すぎている。
   (企業の農地所有を諦めたが、農業生産法人を常設して普通の企業並みにし、農地所有をしようとしている。)

④農業協同組合の見直し
 ×地域の農協(単協)を持ち上げつつ、700の単協と勝手にビジネスをしようとしている経済界(一般企業)は、そのライバル(邪魔な存在)の県レベル(経済連)、全国レベル(全農、全中)の力を削ごうとしているだけ。

<個別編>
③農地を保有できる法人の見直し
  ア.(役員要件・構成要件の見直し)
  ×農業生産法人であるにもかかわらず、農作業に従事する法人には重要な使用人が1人いればいいように改正するというユルユルの条件を求めている。それでは普通の株式会社とほとんど変わらないではないか。
  ×構成要件も出資者も農業関係者を少なくする方向を目指しているが、人数も出資者も農業関係者以外が過半を超えれば上記同様に農業生産法人ではなくなってしまう。
   (農業生産法人の経営権を握り、実質的に企業の農地所有をしようとしている)
  ×もとの提言にあるように、一定期間(5年)農業に従事した法人は農地所有を可能としてゆくのは。一般の企業にも開放するための要件緩和であり、蟻の一穴となってしまう。
  ◎むしろ条件を厳しくして、農外企業の専横を許さないようにすべし。

イ.(農業拡大への対応)
  ×農地は保有しなくともいくらでも借りて規模拡大ができる。
(欧米は所有にこだわる者は少なく、大半が借地で農業をしている)
  ×ここにも是が非でも農地を所有し、転売利益を得たいという魂胆がみえている。
   (当初の案では農地の権利移動を農業委の許可制からほとんど意味のない届出制にしようとしていた)

④農協の見直し
 ア.(中央会制度から新たな制度への移行)
  ×(皮肉めくが)全中も県中も端から見ると影響力は大きくないが、さりとて重要な役割をはたしており、なくてはならない存在になっている。
  ×中央会制度が単協の自立を妨げているとの前提のもとに、他の法人法制に移行するとしているが、そもそもの前提が何か全く不明。自立を妨げているのは、むしろ後述する理事の選挙を認定農業者にする上から目線の規制改革会議の提言ではないか。
  ×中央会制度が単協の自由な経営を制約している事例が思い当たらない。
  ×もしも、中央の統制が単協の活動を制約してきたというなら、それは全中や県中でなく、農水省の農協所管部局ではないか。
  ×また、米の生産調整等の農政課題については、国が中央会に総合調整機能を任せて来たではないか。それを指導力を発揮させていないというのは矛盾も甚だしい。
  ×700の単協だけにしてしまい、あとは一般企業が経済連や全農に代わりその単協を相手にしてビジネスを展開したいという意図が丸見えである。

イ.(全農等の事業組織の見直し)
  ×一部の野菜等については、大手スーパーとの相対取引が増え、農産物は価格形成に大企業が影響力を行使している中、協同組合の理念に基づいた農協組織が共同販売で対抗しなければ、ますます農民や農村の立場が不利になってしまう。(つまり買いたたきが助長されてしまう)
  ×唐突に全農、経済連の株式会社化が提言されているが、農業者の利益増進以外の理由が示されていない。
  ×農業全体を一つの株式会社にでもするつもりなのか。
  ◎全農・経済連の下に既に多くが株式会社化しているが、本体は「1人は万人のために。万人は1人のために」という協同組合精神にのっとった組織でなければならない。
  ×地域の協同組合という組織の理念が全く理解されていない。
  ×経団連(一般企業)が全農・経済連にとって代わって農業ビジネスに参入したいという悪い意図が最も露骨に示されている。農協は組合員のための組織であり、株式会社にははいらない。

ウ.(単協の活性化、健全化の推進)
  ×農協は経済事業のためだけにあるのではない。金融、共済、営農等総合事業が必要。
  ×金融機関としての農協(JAバンク)、保険会社としての農協(共済)の仕事を何とかして経済界がとって代わろうとする提言であり、農業所得の向上や農業の活性化には全く結びつかない。
  ×「農協が経済界とも適切に連動して」の文言に経済界が経済連と全農に取って代わり、単協相手に商売をしようという魂胆が丸見えである。
  ×企業は利益の上がる単協しか相手にせず、他は切り捨てることは目に見えている。そこには協同組合でお互いに助け合うというシステムが存在しないからだ。その結果、利益だけを追い求めざるをえない。単協も、零細農家や手間のかかる中山間地域の農家は相手できなくなり、中山間地域はますます疲弊することになる。
  ×イの前段には、抽象的なことばかり書かれているのに対し、具体的なことは有利販売の数値目標と生産資材の調達先の効率化という2つのみ。後者は要は全農組織から購入せずに企業から直接買えということであり、あまりにも露骨である。
  ×総合事業がなくなれば、単協は成り立たない。
  ◎金融事業、共済等の利益で手薄になりつつある営農事業を活性化しないとならない。

エ.(理事会の見直し)
  ×正組合員が担い手ではない、という全く意味不明の論理が展開されている。(素人の文章でしかない)
  ×要するに農業に無関係の部外者を理事にしろと、おおきなお世話の介入をしている。組合員の自主性、単協の自立性を重んじると言いつつ、構成員にまで縛りをかけているのは大きな矛盾である。
  ×特に農業委員会と並び認定農業者を議席の半分にしろという介入は、規制のさえたるものではないか。それではメンバーの多様性がなくなるのではないか。
  ○理事に若い世代や女性の役目とあるが、理事は組合員が自主的に選ぶものである。規制改革会議が案件をつけるものではない。
  ×メンバーの構成員という組織の根幹に介入することは「規制をなくす」という規制改革会議の本分にもとる。

オ.(組織形態の弾力化)
  ×1人何役も兼ねている郵便局員が分社化により大混乱に陥り、また再び元に戻しているというのに、また「農協の分社化」が重視されている。いい加減同じ間違いをやめるべき。
  ×営農指導員が、ある時は融資担当にA農家が融資法先にふさわしいかアドバイスし、一斉貯金日には、顔馴染みの農家を回って貯金集めをし、時には安い資材の説明もするという1人何役もこなしている実態がわかっていない。
  ×農林中金・信連を単なる金融機関としかみておらず、全共連も保険会社としかみていない。根本は協同組合である。(生命保険会社も、元々は相互扶助的組合だった)

カ.(組合員のあり方)
  ×農業だけでは生計が立てられないため、兼業化し、更に農業から離れていった者が多くあり、それが准組合員が捉えている一番の理由である。しかし、元農民として農民的気質を持っているのであり、準組合員の拡大は何も問題にする必要はないのではないか。
  ◎准組合員や員外利用問題も槍玉に挙げる気配が感じられるが、地域の協同組合の役割を積極的に評価していくべき。
 
キ.(他団体とのイコールフィッティング)
  ○農協が行政の下働きをさせられているという指摘はある程度当たっている。
  ×ただ、農協が手助けしなければ、動いていかない事業も多くあり、ある程度仕方がないのではないか。これが農協がいかに地域全体を支配しているかという証しになっているのではないか。

アベノミクス農政批判シリーズ5 「規制改革会議提言逐条(項目)反論コメント1」 14.07.10

 私は1982年から3年間農林水産省大臣官房企画室に在籍した。主な仕事の一つが土光(敏夫)第2臨調の後を受け当時華やか(?)だった経済界(経団連・経済同友会等)の素人的農政提言に対し、すぐ反論を書き、コメントを作成することだった。もちろん行政管理庁(当時)の規制改革に関する指摘もあり、その反論もさせられた。経団連事務局の相手方が 今 人事院人事官の立花宏であり、経済同友会の責任者が故小島慶三(参議院議員)だった。やりとりが頻繁で、付き合いが濃密だったこともあり、すっかり親しくなりその後もずっと交流が続いた。

<昔とった杵柄で逐一反論>
 経済界は巧妙になった。提言が実は自らに都合のいい我田引水的なものになっているのを恥じたのかもしれない。今は自らの提言は控え、国の機関である規制改革会議の衣を繕って注文をつけ出した。それが今回の農協・農業委・農業生産法人に対しての提言である。
 ところが、世の中が少々変わり、恐れ多い内閣府の機関の提言のせいか、農林水産省は少しも反論していない。へたに咬みついたりすると、例の内閣人事局(官邸)から睨まれることになり、自らの人事に差し障りが出ては大変とおじけづいているのかもしれない。これが今霞が関を覆っている暗雲である。そこで野党議員という自由の身の私(?)が、怖気づいた与党議員や官僚に成り替わって30年前の昔とった杵柄で逐一反論してみた。かなり荒っぽいと思われるが、今後のあり方の検討の一助にしていただければ幸いである。(便宜上の②農業委員会をシリーズ5とし、それ以外をシリーズ6としてお届けする)

(注)×は反論、〇は妥当、◎は私の提言

②農業委員会等の見直し

ア.(選挙・選任方法の見直し)
a.公選制の廃止
 ×選挙以上に透明なプロセスがないのに、透明なプロセスにするために選挙制度を廃止するのは本末転倒
 ×農業委が名誉職となり選挙をやらないので、市町村長の選任にするというなら、報酬が少なく無投票が多くなった市町村議会議員も市町村長の選任にしてよいのか。選挙で選ばれることになっていることが、民主的なプロセスを担保している。
 ×一般人が対象の教育委員会と同レベルで考えられているが、私有財産である農地の権利に係る業務を行う農業委員は、市町村長の選任に馴染まない。それでは職員と変わらないのではないか。
 ×選ばれる農業委員も責任と自覚を持つが、選挙で自らえらぶからこそ選んだ者である農業委員の決定に従ってきたと思われる。市町村長が勝手に選ぶとなると、この選ぶ側の責任がなくなり混乱が生じるのではないか。

b.構成員の限定
 ×地域の自主性を重んずると言いつつ、農業委員の選挙は認定農業者の中からの選任せよというのは新たな規制の導入であり、自主性を削ぐことになる。自己矛盾
 ×農地の集積には貸し手(出し手)と借り手(受け手)の双方があり、受け手の大規模農業者や認定農業者ばかりだと調整が進まない。
 ◎むしろ大多数を占める出し手(零細兼業農家)の代表こそ多く入れておくべきではないか。
 ×利害関係なく公正な判断が出来る者とは具体的に何を指すのか不明であり、上記同様に大きな介入ではないか。 
 ×むしろ市町村長の息のかかった不正な者ばかりが論功行賞的に選任されてしまうのではないか。農地調整に公平性を欠き、農業委員会が役割を果たせなくなるのではないか。
 ○女性・青年農業委員を増やすのはよいが、これと認定農業者が過半数とは矛盾するのではないか。

c.人数の半減
 ×今、農業委員の数が多すぎて問題なのか。農業委員の人数を減らせば、機能的に対応できるという論理は理解できず。
 ×農業委員の数も半分。農業委員の半分を認定農業者にと、この提言は、根拠がなく、半分が多いが、どういう基準から「半分」を出してくるのか。
 ×農地利用の最適化や遊休農地対策等の強化といい、業務が増えるのに、人数を削減して業務を遂行できるのか。
 ◎平成の大合併により、地域との密着度合い薄くなっており、今は逆に100~200haの集落単位ごとに農業委員を配置することを基準にして数を増やすべきではないか。
 ○(月3万円程度の)報酬を引き上げるのは当然。多様で精神的にも疲れる業務に対しあまりにも薄給すぎる。

イ.(農業委員会事務局の強化)
 ○人事のサイクルが短く、現場の行政のプロが育っていないのは、農政分野に限らずどこの市町村(ないし都道府県)でも共通、従って複雑な農地問題についても人事サイクルを長期化し、プロを育成すべし。
 ×平成の大合併により、細やかな対応ができていない。大きな市になり過ぎたところも多くのそんな市は共同設置など不要。
 ◎もし、本当に共同設置するなら、各市町村の事務局を農業会議の下部組織とし、複数の市町村にまたがる事務局を各県に5から10置くことで効率化できるいのではないか。
 ◎農地行政のプロの育成を行い、人事も農業会議を中心にしてやったらどうか。

ウ.(農地利用最適化推進委員の新設)
 ×農地利用が大切と言いつつ、格下げした農地利用最適化推進委員に担当させるのは矛盾ではないか。恣意的に選任した農地利用最適推進委員のほうを思いのままに使うとしたら、とんでもない改悪。
 ×農業委員を減らしておいて、新たな農地専門の委員を創設するのは、屋上屋を重ね煩雑になるだけ。(農地が活用されていないことをあぶり出して、民間企業に最適利用させたいとする意図だけが先行、具体的提言の中で最も卑しい拙劣な提言)。
 ×農業委員ですらなり手がいないのに、一体いくら報酬を出して何人設置するのか。
  (企業の意見ばかりを代弁する者を多く任命し、農地を好き勝手に所有しようというのか)
 ×選挙で選ばれた農業委員ですら、個人の私有財産に絡むことには入りにくいのに、格下げされた農地利用最適化推進委員はなおさら入りにくく、業務は少しも進まないのではないか。
 ×不耕作地の増大は、農業委員や農地利用最適化促進委員により防げるのものではない。(農業自体の活性化により、儲かるようにすれば、自ずと農地を耕すことにつながる。)

エ.(都道府県農業会議・全国農業会議所制度の見直し)
 ×同じ趣旨と思われる(農協)中央会制度の廃止と比べ、何をどう進めるのか全く理解できず。ごちゃごちゃ難癖つけているだけで、今の仕組みの何がいけないのか、今後どう進めていくのか全く読み取れない。
 ×イの提言にある複数の市町村による事務局が県レベルに達したのが都道府県農業会議ではないのか。
 ×農業委員はせいぜい数年交代し、かつ行政事務は経験不足。こうした集団にしっかりした事務局が必要なのは常識。それをネットワークだけですますなどというのは全く的はずれ。
 
オ.(情報公開)
 ×今でも業務量が多いのに、農業委員を半減し、事務局を縮小して農地の利用状況調査を十分にできると思っているのか。
 ×新規参入する企業がたやすく農地情報を得たいがために、農地の利用状況を調査し、公表しろというのか。
 ×農業委員会にろくな報酬も与えず、監査だけ強化するというのか。

カ.(遊休農地対策)
 ×域外参入や農外企業だけを特記し、農業委員会をそのために働かせようとしている。
 ×農地中間管理権というわけのわからない新しい用語を作って複雑にするべきではない。
 ×利用意向状況調査とは何か。耕作する者がない農地をあぶり出して、早くはき出させるための資料作りをさせるのか。(悪い意図があまりに露骨に出すぎている。)

キ.(違反転用への対応)
 ◎新規参入者・農外企業が転用違反する可能性が高いので、これこそ重点調査し、利用状況の報告義務を課すべし。
 ◎農業委員会自体が原状回復の指導・勧告や処置を行えるようにして、即応できるようにすべきではないか。
 ×国や都道府県がさぼっているのに、その監視役を農業委員会に押し付けるつもりか。
 ◎国と都道府県が各地にみられる農外企業の産廃処理への違反転用の原状回復命令を強化させるべきではないか。
 ◎農業委員会の仕事をこれ以上増やすべきではない。増やすとしたら人数も増やすべき。

ク.(行政府への建議等の業務の見直し)
 ×農業委員会は農地問題だけを扱う機関(農地委員会)ではない。
 ×農民がますます少なくなる中で建議をやめたら、農業現場の声が届かなくなり、霞が関農政に堕していってしまうのではないか。
 ◎商工会議所にも、同様の役割があるのは、わざわざ法律からなくすことはない。

ケ.(転用制度の見直し)
 ×今までも十分円滑に転用が行われすぎたのではないか。(もっと言えば、野放図に転用されてきた)その結果、先進国ではまれにみる虫食い状態になってしまったのではないか。
 ◎ヨーロッパ諸国は転用が日本とは比較にならないほど厳しく規制されている。むしろ、転用規制を強化すべき。
 ◎狭小な農地の日本は、農地を守ることを最優先し、農業関連施設は、農地でなくなった遊休地に造るようにすべし。

コ.(転用利益の地域農業への還元)
 ○欧米では転用利益(capital gain)は個人の所有者にいかず、地方公共団体や国の収入となり、すべて公的に使われることになっている。つまり、農地(土地、海等のの自然)は万人のものであり、転売から利益を得ることは厳しく制限されている。
 ○農地は耕されてこそ農地であり、耕されなくなったら、別の耕作者に渡るので、ヨーロッパには原則として遊休農地(不耕作地)は存在しない。

2014年07月04日

集団的自衛権シリーズ2 安倍政権の暴走は民主党が止めるしかない -日本はいかなる理由があろうとも軍隊を海外に派遣せず- 14.07.04

<世間とかけ離れる上から目線の安倍政治>
 どの世論調査でも、憲法9条を改正したり集団的自衛権の行使を認めたりすることを支持する人はごく少数でしかない。
 私の手許にある共同通信の世論調査の最新のものは、集団的自衛権の行使に反対54%、賛成34%, 武力を伴う集団安全保障への参加に賛成18% 反対73%, 憲法解釈変更による容認に妥当ではなかったとするのが60%、妥当であるが31.7% いずれも半数以上が反対、妥当でないとしている。
 また、日経新聞には党派別の調査が掲載されていた。自民党支持者では一定の支持があるが、公明党支持者は反対が半数以上となり、男女別でみると、男性は行使容認の賛否は拮抗しているが、女性は53%が反対し、賛成は24%にすぎない。「平和と福祉」を掲げる創価学会婦人部の面目躍如である。他党のことであり余計なことであるが、公明党は今回のこの閣議決定で相当支持を失っていく可能性もある。

<安倍政権の危険性に気付き始めた日本国民>
 安倍政権は典型的な上から目線のお節介政治をしているのである。まさに自分の趣味の政治に乗り出したのである。そして自らの信念を貫く立派な政治家と勘違いして悦に入っている感がある。私が、13年10月21日の予算委員会で指摘した、「民主党的総理」になってしまっているのである。今まで、不思議に50%を超える支持率を確保してきたが、この短絡的決定に対し、日本国民は必ずや厳しい判定を下すであろう。なんだかんだと言いつつ、日本国民はバランス感覚に優れており、安倍政権を危険視し出すことは間違いない。

<アメリカも憂慮する日本のイスラエル化>
 安倍首相は、昨年12月26日、第2次安倍政権発足1周年の日に突然靖国神社に参拝した。秋にケリー国務長官、ヘーゲル国防長官の2人が揃って千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝し、バイデン副大統領が注意を促したにもかかわらず、自らの信念とやらを貫いた。一国のトップには自制が必要である。それを自ら歪んだ趣味をむき出しにし、国を危うくされては国民はたまらない。本人はスッキリしたかもしれないが、日本国にはズシリと重いツケが回ってきた。近隣諸国との関係悪化である。
 中韓のみならず、他の近隣諸国も加わり、はてはEU諸国までも安倍首相のあまりの猪突猛進に警告を発した。自らも最重要という日米同盟の相手国アメリカもビックリ仰天し、「失望」したと、きつい外交用語で懸念を表明した。私は、2月27日の予算委員会でこの無謀なやり方を批判し、「日本が極東のイスラエル化している」(近隣諸国とケンカばかりしてアメリカを困らせている)と追及した。珍しく「私の努力も足りないということは認識をしている」というしおらしい答弁があった。

<中韓の過剰反応を外圧として活用する新たな政治手法>
 うがった味方をすれば安倍首相はわかっていてわざと中・韓両国を怒らせているのかもしれない。すなわち、中・韓が過剰な反応をし、それが日本に跳ね返り、日本の保守化する国民を刺激し、安倍首相のタカ派的言動を許すことになる。かくして、自らの支持率を高め、趣味の集団的自衛権行使容認、自衛隊を国防軍へ改編、憲法改正等に結びつけようとしている節がある。要するに確信犯である。
 オバマ政権は、安倍首相の見え透いた魂胆を見抜き、極めて冷淡であり、本来なら保守政治家大歓迎なはずが、むしろ日本を警戒して安倍首相が極端な悪さをしないようにハラハラして見守っている感がある。だから4月下旬訪日し、すきやばし次郎で鮨をつまんで話しても打ち解けるはずがない。
 昔も今も外圧を活用して日本を動かすという受動的手法がとられている。安倍首相は、中・韓の日本批判という新たな外圧を使って、趣味の政治を推進しているようだ。その意味では、逆説的になるが、もっとも軟弱な姑息な政治家ともいえる。解釈改憲といい正々堂々としていないのだ。

<アメリカの本音は日本の後方支援>
 民主党政権のだらしなさの裏返しで、安倍政権には変な期待感があり、相変わらず高支持率を維持している。景気回復になるのではないかという淡い希望がつながっているのだろう。しかし、日本国民が見切りをつける前に、アメリカ政府が安倍政権と距離をおきつつある。
 オバマ訪日時の共同声明等では一応集団的自衛権行使容認を歓迎するといったコメントが出されている。日本政府が懇請したからであろうが、強大な軍事力を誇るアメリカが日本に助けを求めることなどありえない。13年秋の2+2会合(日本の外交・防衛トップ会合)では、アメリカ側が集団的自衛権の行使容認をアメリカが「歓迎」という表現は、中韓両国を刺激するので削除を要求、それを日本が押し切って残したと言われている。その後は惰性で歓迎が使われている。日本が本当に望むのは、「武力行使の一本化」(他国の後方支援にいても結局武力行使につながる)が解禁され、日本にいつでもどこでも後方支援(ガソリンの供給等)をしっかりやってもらうことであり、一緒に闘うことではない。ここでも真っ赤な嘘がまかり通っている。

<法律的には無効な手続き>
 憲法は衆参双方2/3以上で発議が行われ、国民投票で改正する。法律は衆参の2分の1以上の賛成で成立する。政令は閣議で決められる。憲法の本旨に悖るような解釈の重大な変更を閣議で行うというのは、政令と同じレベルということになり、手続き的にどうみても辻褄が合わない。閣議決定までのプロセスも、集団的自衛権のプロセスも、集団的自衛権の行使に賛成する者ばかりの安保懇談会でたった11回、その後13時間の与党協議だけというのは、あまりにも常軌を逸している。内閣の独走であり、法律上は無効の決定である。

<意味不明の15事例>
 役所が具体的事例を示す時は、決まって自らの説明に都合のいいものばかりを並び立てる。営利の15事例は、まさにその典型であり、我々野党民主党など、まともに取り扱って議論・検討する必要などない代物である。ところがまじめすぎる民主党は、いろいろ細かいコメントをつけて公表した。一方、当の与党では自・公の協議用というのに、いつの間にか話題にならなくなり、ついに閣議決定では少しも言及されなかった。
 事例などに惑わされずに、安全保障の原則、例えばいかなる理由があっても日本は絶対に外国に軍隊を派遣しない。ということを明確にするしかないのである。

<よけない理屈などいらずに日本を守る>
 私は、日本国の領土・領海を守り、日本人の生命を守ることについては、憲法は何も制約を設けていないと思っている。つまり、専守防衛、個別的自衛権の行使は国際的にも当然認められるのだ。
 それに対し、国際環境の変化により個別的自衛権では説明できない事態があり、そのために集団的自衛権の行使を認めないと対応できない、というのが容認派の主張である。ただ私には、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、「国民の生命や自由や幸福追求の権利が根底から覆される明白な危機がある」事態というのは、私にはとても想定できない。具体的に思い浮かぶ事例として、日本近海上のアメリカ艦船への攻撃が例に出されるが、地球の裏側ではあるまいし、日本への攻撃とみなして日本の個別的自衛権として反撃していいのではないか。

<長年の積み重ねを崩し、地道な積み上げをスッ飛ばす安倍政権>
 これを制度的に担保するなら、先に集団的自衛権の行使などと大上段に振り上げずに、地道に有事法制の整備を積み重ねていくのが正道である。安倍首相はどこか長年の積み上げを壊すことがお好きで、一つ一つの政策を積み上げるのもお嫌いなようである。何事にも性急な池田勇人首相に対し、政治に「寛容と忍耐」が必要だとブレーキをかけたのは、大平正芳官房長官だった。安倍政権の周りには、箴言する肝の据わった政治家がいないのは、日本の不幸かもしれない。
 
<民主党が踏ん張るしかなし>
 与党自民党は、かつての幅広さはなくなり、清和会(町村派)等のタカ派ばかりが幅を効かせている。連立与党の公明党に期待したが、junior coalitionと英語で表現されるように、与党にしがみつき、平和の党の精神からはずれてしまった。分裂した維新は双方とも自民党の上を行くズレ振りであり、これまた分裂したみんなと結も、左と右とバラバラである。
 我々民主党が立場を鮮明にして、巨大自民党、暴走安倍政権に対峙していく以外に安倍政権の誤りを質し、日本人の生命を本当に守る途はない。
 本件については、既に私のメルマガ・ブログに明らかにしているが『憲法9条の平和主義の精神を盤石なものにする改憲-13.06.27 ―私の恒久平和のための改憲論―』、私はいかなる理由があろうとも中ぐらいの国の日本は自衛隊を海外に送ってならないと思っている。

2014年07月03日

集団的自衛権シリーズ1 日本を危うくする集団的自衛権の行使容認の閣議決定-14.07.03

 7月1日(火)、もしデタラメな規制改革会議の提言が実行されると最後になる、私の選挙区の高山村の農業委員選挙が告示され、いつものとおり話し合いにより12人が無投票で当選した。混乱の真っ只中にある農業委員会であり、当選祝いが行われた4人の会場を回り、最後のひとつ前の新幹線「あさま」で上京した。

<国会議事堂駅前の思わぬ手荒い出迎え>
 私は明日からの滋賀県知事選の応援に行くため、資料の準備をしに夜11時ごろ衆議院第一議員会館719号室に戻らなければならなかった。しかし、丸ノ内線国会議事堂前駅を降りると、すぐ警官に呼び止められた。まだ首相官邸前で集団的自衛権反対デモが行われていたのである。私は、東京の電車の中では気がつく限り議員バッジをはずす。「お前国会議員のくせに座っているのか」と難癖を付けられたこともあり、今日もあさまに乗り込むと同時にはずしていた。
 そこで慌ててバッジをつけ、重いキャリーケースを持って駅の階段を登ったところ、会館へ到着するまでの100メートルで2度3度と尋問を受け、最後はついて来られた。その戒厳令下何とか事務所に到着し、今この原稿の校正をしている。対面の歩道では鐘と太鼓が鳴り、デモが続いている。ここにも怒りが渦巻いている。 
 私はしつこいブログ・メルマガを書いているが、今日閣議決定された集団的自衛権についてはほとんど触れてこなかった。関心がないからではなく、あまりにも机上の空論が多くて論ずる気も起こらなかったからである。

<安全保障に明け暮れた30年前>
 私は、1980年秋、鈴木善幸内閣とともに発足した内閣総合安全保障閣僚会議担当室に、食料安保の担当ということで農水省から出向を命じられ、2年間過ごした。そこで、猪木正道防衛大学校長(京大教授)、大学の恩師高坂正堯 京大教授等とともに日本の安全保障について勉強させていただく機会を得た。日本ではタブー視されていた分野であり、今思うとアメリカ留学に次いで猛勉したと思っている。それ以来、私は安全保障ウォッチャーの一人となった。鈴木首相は、今の安倍首相とは正反対で軍事は嫌いで、大平弔い選挙で大勝し気勢が上がる自民党に対し、軍事以外の「総合安全保障」で日本の安全を守っていく姿勢を打ち出していた。安倍首相の父君の安倍晋太郎はエネルギー安保を担う通産相だった。

<安全保障の碩学の警告>
 その時によく勉強会に参加していただいた一人が佐瀬昌盛防衛大名誉教授である。その佐瀬さんのインタビュー記事が6月30日の信濃毎日新聞に掲載されていた。懐かしい顔であり、30年前と同様の毅然とした口調が伝わってくる思いがした。日本の安全保障分野の碩学の一人であり、当然、安保法制懇の委員の一人になっているが、「時間不足で実質的な議論ができず」と批判されていた。安倍首相は、2月13日の予算委員会での私のあまりに偏った委員会構成ではないかとの指摘に対し、空疎な議論を排すために、専門家(集団的自衛権の行使の容認に賛成の者ばかり)を委員にしたと開き直った。しかし、内実はその委員ですらあきれる拙速な議論しかしていなかったのである。良識ある学者の思い余った末の警告である。

<保守派、タカ派も憂慮する拙速な方法>
 最初からこんなに歯止めが利かずに暴走しているのだから、今後の集団的自衛権の行使がいかに暴走するかは推して知るべしである。規制改革会議で全く議題にもなく、議論もされていないことが突然最終提言に出てくるのと同じ迷走劇が演じられている。政策決定プロセスがなっていないのだ。国のかたちを大きく変え、国の命運をも左右し、自衛隊員や国民の生命を危うくしかねない重大変更が見せかけの与党間協議と閣議決定だけで行われたのである。佐瀬さんも、「単なる政治セレモニーに付き合わされた」とお怒りで、「集団的自衛権はわかりにくい概念で、国民にとっては妖怪のようなもの」であり、それを議論せずにすぐに進めることに疑問を投げかけている。高坂さんも生きておられたら、多分安倍政権を一喝されるに違いない。
 高坂・佐瀬両教授は、今と違いほとんどが怖がって手を染めなかった日本の軍事問題、安全保障問題の重要性を、周りの大批判の中で正々堂々と展開した気骨のある学者である。今の時流に乗って時の政権に媚を売り調子のいいことを並べている、にわか保守派学者や評論家とは違うのだ。そういえば、昔から憲法改正派の小林節慶大名誉教授も、安倍政権の手法に「憲法の破壊、無視だ。国民には憲法改正を問うしかない」と憤っている。

<必要な国民への説明>
 この問題について、国会で議論すべきと野党は言う。ところが、TV中継には馴染まない。一般の人には「集団的自衛権」と「集団安全保障」も同じように聞こえてしまう。見回したところで、閣僚や国会議員の中でもわかりやすく論じられる者は皆無に近い。私自身もその能力不足の一人だが、今回ぐらいこの問題に触れねばならない。国民に問題の所在を明らかにするのも国会議員の役割であり、私なりに簡単に説明しておきたい。
 集団的自衛権とは、要はアメリカ(なり緊密な関係にある国)がどこかで戦争を始めたら、日本も参戦することに他ならない。限定的容認とやらの議論に、日本の周辺だけとか出てくるが、石破幹事長が正直に言うように地域限定は加えないのが論理的に正しい。というよりも、一旦認めたら、際限なく広がってしまい、抑えが利かなくなるのが世の常である。特に日本は何事にもその傾向が著しい。

<一挙に急変する日本社会>
 その一例を示すと、労働環境の急激な変化があげられる。高度経済成長の末期、日米通商摩擦が大問題になっていた頃、日本型経営が成功の一因ともてはやされた。終身雇用、年功序列等で、解雇の心配はなかった。その代わり社員に忠誠心が生まれ、一つの会社でずっと働き続けるのが当たり前だった。今も過労死するまで滅私奉公する会社員もいるぐらいである。それをアメリカの要求に従ったのかどうか知らないが、労働者派遣法で一般製造業にも労働者派遣が認められると、非正規雇用が瞬く間に増え、今や全雇用労働者の3分の1、2000万人に近づいている。そして、金銭解雇も導入しようとしている。
 同時に若者も就職したはいいが、自分に合わないとなるとすぐ転職し出した。本当の数は定かではないが、新規採用者の3分の1が3年以内に辞めているという。企業は残酷になり、残業代ゼロ、ブラック企業と一昔前と様変わりである。僅か20~30年で「日本株式会社」は消え、冷たい社会に成り下がってしまったのだ。
 日本あるいは日本は蟻の一穴で何かを認めると、一気にその方向に行ってしまうという危険な体質を備えているのである。

<限定容認派戦争への第一歩>
 労働条件が根底から覆されるのに20~30年となると、集団的自衛権の行使が認められると、いくら必要最低限などときれいごとを並べていても、20~30年後は、アメリカを凌いであちこちに自衛隊(国防軍?)を派遣しているかもしれないのだ。
 歴史は繰り返す。皆がそんな馬鹿なと思うことが平気で起こる国、それが日本なのだ。だから解釈変更とか、閣議とかで軍隊を海外に絶対送らないという日本の方針を軽々と変えてはならない。

2014年07月01日

アベノミクス農政批判シリーズ4「安倍政権の〇〇会議は利益相反だらけ -企業に大甘の政策決定プロセス-」14.07.01

<20年前は農水省のOBばかりの〇〇審議会>
 各省庁には、何々審議会がある。農林水産省には、1996年19の審議会があった。自社さきがけ政権が出来た時に、やはり自民党政権では全く手が付けられなかった改革が行われた。その一つに審議会改革があり、女性委員を1/3以上にするとともに、座長あるいは会長をその担当省庁のOBにしないことということである。その後、省庁のOBを一人も入れてはいけないことになった。御用審議会批判に応えるものであった。
 恥ずかしながら、調べてみてびっくりしたことがある。農林水産省19の審議会中、獣医師審議会を除いて、18の審議会のすべてが農林水産省のOBが座長あるいは会長になっていた。そういえば、農林水産省OBの小倉武一さんが大蔵省の税制調査会の会長を何年もやり、内村良英さんが関税率審議会の会長をやっているのを不思議に思っていた。大蔵省(現財務省)は自主的に自省のOBを座長にするのを避けていたのである。自分の省庁OBが座長では客観的な答申とはならないという、世間の目を気にしてのことだった。それに対して、何事も閉鎖的で普通の流れからちょっとずれがちの我が農林水産省はそうしたことに全く無頓着だったのだ。

<審議会から締め出された〇〇省OB>
 私は当時、農林水産省で最も重要な海洋法条約の批准、200海里排他的経済水域の設定、海洋生物資源を保護する法律等を総括する水産庁企画課長だった。そして、もう一つ当時沿岸漁業等振興審議会(現水産政策審議会)を担当しており、座長を元水産庁長官のOBから、小野征一郎東京水産大学教授に変えざるを得なかった。小野教授は嫌がられたが、国のルールだからと何度も懇願しなっていただいた。何回か続けるうちに立派な座長になっていかれた。やはり地位は人を創るのである。
 日本の役所はまじめである。私の知る限りでは、それ以降、ずっとこのルールがほとんど守り続けられてきた。
 その後私が知っているルール違反は、民主党政権時代の規制改革会議の下部組織にみられた。水産庁OBで過激な論陣をはるAの小松正之氏が委員になり、彼の書いたペーパーが突然全体の方針となって出てきた。私はこのルール違反を指摘し是正させた。もう一つは、今経産省は、総合資源エネルギー調査会の本委員に内藤正久元局長を入れ、分科会の委員に豊田正和元審議官を入れているぐらいである。


<アメリカのルール、利益相反>
 アメリカではもう一つ全く違った形のルールが存在する。アメリカでは民間企業の利益があるような場合、その政策決定プロセスにその企業の者が関わることを厳に禁じている。「利益相反」と言われている。要するにレフリーがプレーヤーを兼ねることは厳に戒められているのだ。
 日本でいえば、鳩山邦夫総務相のときに、オリックスの宮内義彦氏が「総合規制改革会議」の議長であり、その提案により郵貯の「かんぽの宿」が赤字続きなので売り渡すと決め、オリックスのグループに極めて低価格で一括譲渡されることになった。当然世間から問題視されたが、鳩山大臣の一言でストップされた。最近では通信販売の楽天の三木谷浩史氏(産業競争力会議)が薬のインターネット販売を緩和するということについての関与も指摘された。

<問題ある竹中平蔵氏の〇〇会議入り>
 労働法制を改める審議会の委員に、人材派遣会社のパソナの竹中平蔵会長が入っており、これも利益相反だと糾弾されている。公式の肩書は慶應義塾大学教授となっているが、パソナの会長でもあることはよく知られている。経済財政諮問会議や産業競争力会議は、関係閣僚も委員となっており、竹中氏のような民間の委員は「民間議員」と呼ばれている。役所OBを完全に排除しながら、労働規制緩和で利益の上がるパソナ会長が堂々と入り、労働移動支援の助成金の大幅アップ等の意見を述べ、それが実現されているのである。日本も利益相反こそ問題にしないとなるまい。つまり、〇〇会議には竹中氏のような者は一切入れず、まじめな学者等に限定すべきなのだ。

<今もあるちゃっかり政商>
 明治政府時代に政治と結びついた商売が公然と行われ、彼らは「政商」と呼ばれた。そして三井・三菱・住友等の財閥もすべてこの政商に端を発している。
 ところで、最近では政商の類は一切なくなったようにみえるが、巧妙になり、少々質(たち)が悪くなっているように思えてならない。その典型的例が今回の規制改革会議にみられる。座長の岡素之住友商事相談役は農業ワーキンググループの議論にも参加している。その住友商事は秋田の米や鹿児島の野菜に手を出している。そこが農協の役割を小さくし、企業の農業参入を増やすべしと提言している。正義の味方を装いつつ、実はちゃっかり自分の会社に有利な提言をしているのだ。利益相反に厳しいアメリカの基準に照らせば、ありえないことである。
 
<国民に支持された土光・本田コンビ>
 1980年、土光敏夫経団連会長を会長とする臨調は、82兆円に膨らんだ財政赤字(今は1100兆円)を是正すべく、国民的人気のある本田宋一郎氏を副会長にして、3K赤字(国鉄、国民健康保険、米)の改革に取り組んだ。土光家のメザシの朝食が放映され、その清貧振りにも尊敬の眼差しが向けられた。この結果、国民の広い支持を得て国鉄の民営化が進められた。
 そこには利益相反のひとかけらもみられず、公明正大な議論が行われている。それに比べ、財界首脳も小粒になり、卑しい決め方が横行しており、嘆かわしいかぎりである。これでは国民の理解は得られまい。

<目を疑う民間企業からの出向者ばかりの規制改革推進室の陣容>
 もっと許しがたいのは、内閣府の規制改革推進室の陣容である。役所側は、庶務を担当する内閣府4、行政改革の担当の総務省6、その他、関係省庁(農水省等)が9名なのに対し、何と民間企業からの出向者が17名を数えている。つまり、政策を担当する実働部隊は、役人よりも民間人が多くなっている。参考までにその企業を一つ残らず上げておく。
 IHI、NTTデータ、アサヒグループホールディングス、アステラス製薬、キャノン、新日鐵住金、住友商事、大和証券、トヨタ自動車、日本政策金融公庫、東日本旅客鉄道、みずほ銀行、三井住友海上火災、三井住友信託銀行、団体では、21世紀政策研究所、関西経済連合会、経済同友会 各1名の17名である。

<企業の言いなりに決められる提言>
 これをみたら、農業の企業参入や薬の規制の緩和等にどの企業が関心を持ち、その意を呈した提言の素案がどのように決められたか一目瞭然である。一度も議論されず、議事録を隈なくみても議論された形跡もない「中央会制度の廃止」が、なぜ突然提言に出てくるのか。原因は議員(委員)の偏りばかりでなく、事務局にもあるのだ。つまり、それぞれの企業が「農業生産法人の見直し」等で自分の都合のよいように提言を書いているということになる。つまり政府の政策決定が、企業にハイジャックされつつあるのだ。
 この提言が、次期通常国会の法律改正で実現し、上記の企業が利益を得て、その功績により経団連が政治献金関与を復活するとしたら、国民はとても目をつぶっているわけにはいくまい。企業の利益相反について日本はもっと厳しい態度をとっていかなければならないのではないかと思っている。

<民間委員より役所のOBのほうがまだまし>
 日本社会は、役人に対して冷たく前述のとおり、中央官庁のOBを審議会委員に絶対してはいけないとルールを造り上げた。確かに、20~30年前のように、審議会の委員の1/3近く担当省庁が役所のOBというのでは、いかにも手前味噌な議論が進み、御用答申しか行われないということで排除する必要がある。しかし、ゼロというのはいかがなものかと思う。
 私は、若い現役役人の頃、秘かに早くOBになって自由に意見を言える〇〇審議会の委員になりたいと思ったことがある。OBが、経験を踏まえてなるほど肯ける意見を述べているのに感心したからである。天下りの規制は当然として、そのものズバリの業界団体に天下っていない担当省OBまで完全に締め出すのはあまりにも行きすぎである。少なくとも、関連業界や団体が何のチェックもなく委員になっているのと比べ、バランスを欠いている。
 女性の1/3目標と同じく、1/5までは許すといった合理的なルールに戻すべきである。折角長年霞が関で官僚として経験を積んだ有識者の意見を活用できないのは宝の持ち腐れである。

<安倍首相の自虐規制史観>
 安倍首相は日本を世界で一番ビジネスをしやすい国に変える、自分は岩盤規制を打ち砕くドリルの刃になると大見得を切ってきた。菅直人首相が、「第三の開国」などとダボス会議でいったことに対し、自らの国が閉鎖的だと外国でいうなど、外交のイロハを知らないと批判した。そのとおりである。しかし、安倍首相も自分の国が規制だらけで、企業が仕事をしにくいと世界に告白している点で、菅首相と全く同じ間違いをしている。私は予算委員会で、安倍首相の口癖をもじって「自虐規制史観」ではないかと嫌味をぶつけた。
 安倍政権は、農業・医療・雇用を三大ターゲットにした規制改革で日本経済を活性化するという。あたかも規制が日本経済の「失われた20年」の元凶のような言い種である。私のみならず、他の誰もが原因は別にあると思うのが普通ではないか。第三の矢はもっと核心をついた正当な政策でなければならない。

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