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滋賀県知事選シリーズ③三日月勝利の要因分析 ―民主党の反転攻勢の突破口とすべし―14.07.29

 「敗軍の将、兵を語らず」の逆で、私は滋賀県知事選勝利についてあまり語らないでおこうと思っていた。しかし、岡田元副総理が滋賀県知事選の勝利を「敵失」と片付け、野田元首相が「ゆめゆめ民主党が復調したなど勘違いしてはいけない」などと冷水ばかり浴びせているので、前号に触れたが、自らの主張である代表選前倒しには都合の悪い勝利だから素直に喜べないのか、と勘繰りたくなる。
タイミングの悪い解散で多くの同僚の議席を奪ってしまったのであり、「この勝利をきっかけに民主党の再生に結びつけてほしい」と前向きに評価するのが当然である。それを2人の元党代表・現最高顧問による反転攻勢の出鼻を挫くような言動は、必死で戦い、勝利してきた我々には釈然としない。そこでこの勝利の要因、意義を申し述べたい。

<嘉田前知事の獅子奮迅の活躍>
 今回の勝利の要因の一つは、三日月大造(43)、嘉田由紀子(64)、武村正義(80)の息子・母・祖父トリオができ上がったことである。いずれ嘉田前知事が明らかにされると思うが、実はこの絶妙なトリオの形成は、2月中旬から始まっていた。もちろん多少の紆余曲折はあったが、用意周到に準備され、着々とできあがっていったのである。この間に示された嘉田前知事の、「滋賀の草の根自治は死守」「滋賀県政を原発を推進する元経産官僚に渡すわけにはいかない」という執念には鬼気迫るものがあった。そして不出馬宣言された5月7日から7月12日まで2カ月間、それこそ身を粉にして三日月当選のために奮闘された。身近で見ていて健気な姿に敬意を表さずにはいられなかった。女の一念の凄まじさを痛感した。
 小鑓候補に2ヶ月余遅れて、三日月候補と嘉田前知事が、がっちりと握手した二連ポスターが貼り出されたのは5月下旬のことであった。それと同時併行して嘉田知事は三日月候補にピッタリ寄り添い、各地の集会場やイベントの人ごみの中を三日月をよろしくと頭を下げて回った。私の知る限り、ここまでのめり込んで後継候補の応援した前知事はいない。今回の三日月勝利の原動力は、第一に嘉田前知事の全面的バックアップにある。

<武村知事の踏ん張り>
 もう一人、この選挙に多大な貢献をされたのが武村元知事である。武村元知事は、大動脈瘤破裂と糖尿病で体調を崩され、一時は相当弱っておられたが、齢80才にして益々元気になられた。滋賀県下でマイクを握られたのは政界を引退されてから初めてのことであった。40年前の自分の姿も三日月候補に投影されたのであろう。「草の根自治」を訴えられた。それを継承するのが嘉田前知事と三日月候補という構図で、滋賀県各地を3人で回って演説会を開いた。あのご老体でよくあちこち連日連夜数か所演説会に出席できるなと感心した。三日月勝利をものにし、民主党の反転攻撃のきっかけにしたいという願いは私と共通だった。つまり滋賀県民のためだけではなく、日本の国政にくさびを打ち込むために奮闘されたのである。そして、それが見事に結実した。民主党はこの好機を捉えなければ罰が当たる。

<無党派層に食い込んだ「チームしが」>
 嘉田前知事の周辺の人たちは最初から民主党を隠し、2回の知事選を支えたグループ中心に選挙活動をすると決めていた。民主党幹部も知名度が高い6人衆も一度も滋賀県入りすることはなかった。
 その結果できたのが、嘉田前知事と三日月候補を共同代表とする「チームしが」である。06年の1回目の選挙は22万票で、国松現職知事との差は3万票だったが、4年前は参議院選挙と重なったとはいえ、42万票という滋賀県史上最高の得票で、上野賢一郎氏(現自民党衆議院議員)にダブルスコア―で勝っている。このうちの大半が三日月票となれば勝ち、その1/3が小鑓に行けば負けると票読みされていた。
 「チームしが」は『中央は何するものぞ』という草の根自治を守る象徴的存在となり、卒原発や草の根重視で女性票や若者票を惹き付け、今回の勝利に大きく貢献した。
 
<「卒原発」・「被害地元」の後継認知が三日月逆転の理由>
 巷間では、7月1日の集団的自衛権の閣議決定が拙速と受け取られ、一挙に三日月有利に転じたということになっている。もちろん影響はあっただろう。しかし、実はそのずっと前から三日月候補は、嘉田前知事の「卒原発」・「被害地元」をしっかり受け継ぎ連呼し続けることにより徐々に小鑓候補に近づいていったのである。
 こうした中で、前通常国会後半に他の全野党が反対する中、民主党が原子力協定に賛成したことがかなり三日月候補の足を引っ張った。嘉田前知事の脱原発等環境への政策を支持してきたいわば親衛隊の皆さんが、三日月候補本人も反対の姿勢を示さなかったことを気にして、本格的に支持するにとまどっていた。告示前の集会でもあちこちでこの点について問い質された。何回も会合を重ね、リーフレットに明確に卒原発を示すことにより、この誤解が徐々に解かれ、三日月候補の支持率はぐんぐんと上がっていた。その結果6月末の時点で小鑓候補を数ポイント上回り、既に4~5万票の差がついたともみられていた。

<自・公の空中戦対民主の地上戦>
 嘉田知事の支持率は一時は下がっていたようだが、自民党があまりにも露骨な候補を送り込んだが故に、嘉田前知事に同情する人たちが増え、嘉田人気を完全に復活させてしまった。そればかりでなく純粋で勝気な嘉田前知事の炎に火をつけてしまった。それにもかかわらず、自民党側は嘉田降ろしに成功したから、これで勝利は確実と気を抜いた感がある。終盤になり慌てて延べ200人に及ぶ閣僚、女性キャラバン等を総動員したが、時既に遅しの感があった。しかも小鑓候補を本当に知る者はなく、結局とってつけた紹介しかできず、話は専ら嘉田県政の悪口に終始した。滋賀県民にとっては自ら選んだ知事に難癖をつけられて、いい気はしない。逆効果絶大(?)だった。これらはすべて明らかな戦略ミスである。ただ、自・公の凄まじい巻き返しはさすがであり、最後は1万3千票差まで縮められてしまった。
 それに対し、三日月側は専ら嘉田人気に便乗して選挙戦を進めた。民主党は表には出なかったが、三日月候補は民主党の衆議院議員10年の実績があり、民主党隠しは殆ど何の意味もなかった。同僚議員が地道に応援に入り込み、秘書団も張り付いて動き回った。選挙は空中戦ばかりではなく、こまめな集会や労組等組織票の積み重ねといった地上戦が不可欠である。09年に全議席を独占した従来の民主党組織も大きな力を発揮した。いつもとは逆に、自民党の空中戦に対する民主党の地上戦の戦いとなり、後者が勝利を収めたのである。

<野党一丸は自・公+維新(+結)より強し>
 今回の選挙は、橋下大阪市長が小鑓候補応援に駆けつけるなど、自・公に維新がついた。維新は衰えたとはいえ、関西地区では依然それなりの勢力を持っている。12年末総選挙ではみんなの2区(26,978票)を除き、維新は1、3、4区に擁立し125,998票も得票し、第3極合計で152,977票と民主の207,333票に5万票近くに迫っていた。ちなみに自民党は、249,318票だった。投票率の差もあるが、おおまかにいうと小鑓候補は、240,652票とほぼ自・公票と同じだったのに対し、三日月票は、253,728票と、約5万票を第3極から奪い返したことになる。
 小鑓側が自・公+維新に対して、三日月側は民主を中心とする野党という構図で勝利した。この勝利は右傾化する自・公と更に右寄りの次世代の党や維新、結がくっついても、民主が中心となり穏健中道を鮮明にしていけば、1人区でも勝てることを証明している。
 
<総支部長不在で出遅れが響き勝てなかった1区>
 県全体では僅か1万3,076票差にすぎず、17市町でもそれぞれ大接戦が演じられた。ただ注意を要するのは、1区の大票田大津市で敗れ、4つの区でも1区のみ敗れたことである。13市のうち前述の1区大津市・高島市と上野賢一郎自民党衆議院議員の出身の長浜市の3市以外は勝利している。12年末の総選挙では川端氏の1区の惜敗率が三日月候補の3区に次いでいたのに、今回は4つの区の中で唯一小鑓候補に負けてしまった。12年年末衆院選と比べた民主党の得票率の回復ポイントは県全体では15.76ポイントなのに対し、1区は11.33と最小だった。理由は川端氏が総支部長となっておらず、空席のままだったことである。
 民主党は、300選挙区のうち半分以上もある総支部長空席区は、滋賀1区と同じ状態であることを肝に銘じなければならない。来るべき総選挙に備えるのは、代表を代えることなどではなく、一日も早く総支部長を決めることである。

<野党としての立ち位置の明確化が必要>
 三日月候補は、集団的自衛権の行使と原発について反対し、明確な対決構図を作った。滋賀県民はその姿勢を評価したのである。このことはTPPも含め、国民(有権者)に対して民主党の野党としての立ち位置をはっきりとさせなければならないことを示唆している。
 三日月勝利は敵失などと片付けるには重すぎる結果なのだ。枠組みをしっかり決め、野党民主党の政策を明確に訴えていけば、小選挙区でも勝てるということを示しているのである。

<政治は潮目が変われば変わる>
 今絶好調の安倍首相も第1次安倍政権下での悔いとして、靖国神社に参拝しなかったことと参議院選挙に敗北したことをよく挙げていた。そして今回の滋賀県知事選の不利な情勢報告に対し声を荒げ、豪、NZの出張先からも電話で指示が飛んだともいわれている。それだけ選挙の敗北を恐れていたからである。
 民主党の大半の皆さんは忘れかけているが、07年参院選の大勝は、1人区で自民党が6選挙区しか勝てず、23選挙区で敗北したことにある。その原動力になったのは、農業者戸別所得補償である。小沢代表が1人区のみ回り、ビール箱の上で、ひたすら訴えた姿を記憶している人は多いのではないか。このことは、敗れて政権の座を去ることになった安倍首相が最も胸に刻んでいることである。
 政界には、2度あることは悪夢のように3度目も起きると縁起を担ぐ人が多い。安倍首相は今回の同じような局面による敗北に心中穏やかではいられまい。秋の福島・沖縄へと続き、崩壊への第一歩となるかもしれないからである。それを、勝った民主党が、あまり大したことではないとたかをくくっていては始まらない。
 滋賀県知事選で潮目は変わったのであり、我々は、ここで一気に畳みかけ、2つの知事選をものにし、安倍政権の暴走を止め、政権交代につなげていかなければならない。