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【アベノミクス農政批判シリーズ 9】官(邸)強(自民)党弱一強多弱は国民や農民の声の無視につながる- 政策決定システムが国民から離れていく危険 -15.03.20

 3月13日、例年よりだいぶ遅れて予算が衆議院を通過した。当然、我々民主党を含め野党は反対している。しかし、よく言われる一強多弱、自民党だけが大量議席を得て、暴走を続けている姿は何の変わりもない。安倍政権は軍事的な面であらぬ方向に行く非常に危険な政権と言われているが、そもそも民主主義政治をないがしろにする危険の方が大きい。

<官邸政治の始まり>
 いつの頃からか官邸がリードするために、官邸になんとか会議というのがよく設置されるようになった。そうした我侭は、私の記憶では一内閣にひとつぐらいは許されていた。私が内閣総理府に出向した鈴木内閣の時の総合安全保障関係閣僚会議担当室もその一つだった。これは福田内閣の牛場信彦対外経済担当相に始まり、大平内閣の補佐官制度と9つの勉強会グループ(田園都市構想等)と続き、鈴木内閣の後半の第二臨調、中曽根内閣の臨教審と続いた。ところがいつの頃からかそうした大胆な政策ではないけれども、官邸に首相の肝煎りで様々な会議が設置されるようになった。

<度が過ぎ始めた小泉経済財政諮問会議>
 記憶に新しくかつ強力だったのは小泉内閣の経済財政諮問会議であろう。法律的な根拠は何もない。そこに竹中平蔵以下、勝手なことを言う学者、評論家等を集めて政策を決定した。つまり国会を軽視し、いわば総理の趣味で政策を打ち立てるシステムである。議院内閣制なので閣僚も議員から選ばれる。ところが国民が選んでいない輩が○○会議にでばるのである。形は違うが内閣参与という一本釣りも多用されるようになったそれがピークに達したのが鳩山内閣、菅内閣の時である。私はこれらの官邸の思いつきの人選は、民主主義を踏みにじるものであり、邪道だと思っている。

<バランスをとった食と農林漁業の再生実現会議>
 菅内閣の時に私は閣内にいたが、菅内閣は2つしか造っていない。「新成長戦略実現会議」と私が菅元総理に強く申し出てできた「食と農林漁業の再生実現会議」である。後者はTPPの交渉に参加しかかった菅首相を、一副大臣の私が説得して、それを覆すべく設立した官邸内の組織である。農政をてこ入れするために使おうとしていたのである。官邸内で数回会合を開いていた。
 しかし、そのメンバーは謙虚である。農協のトップである茂木守全中会長、生源寺真一東大教授、財界の代表で三村明夫新日鉄会長、栃木県の女性農業士、歌手の加藤登紀子(夫が自然農法)等バラエティーに富んだ人たちを交えて検討を始めていた。農林水産行政にてこ入れするために使おうとしていたのである。メンバー構成は極めてバランスのとれたものだった。

<偏る安倍政権の○○会議等>
 ところが安倍政権は酷いものである。典型的な例が安保法制懇である。集団的自衛権を認めるという方針の下に議論を始められ、なんとそのメンバーは全員が集団的自衛権の行使を容認する人たちである。予算委員会での私の「偏りすぎる」という指摘に対して、「空疎な議論を排すため」というとんでもない答弁をしている。何か揉め事を決めるための○○審議会というのは賛成派、反対派、中立の三者で構成するのが普通である。それを安倍首相は結論ありきで進めているのだ。後々の新聞報道等によると、そのタカ派の有識者の意見もほとんど無視され、官邸に巣食う一部の人達だけで政策が決められているのである。

<格好付けの規制改革>
 一方、真逆になっているのは、農民や農協関係者の怒りをかっている農協改革である。法律的根拠がない産業競争力会議が大手を振って歩いている。三村明夫(日本商工会議所会頭)等財界人や、小泉内閣から復活(?)参加の竹中平蔵等がメンバーである。規制改革会議は一応法律的根拠があるが、農業問題、医療問題、労働問題この3つを目玉に「規制改革、規制改革」と騒いでいる。安倍首相は外国でも「岩盤に穴をこじ開けるドリルの刃になる」などと、格好のいいことを言っている。日本が諸々の規制でビジネスがしにくくて困ると世界から批判されてもいないのに、いかにも規制だらけの国のように宣伝しているのだ。

<専門家や関係者抜きで進む農政改革>
 ところが、農政問題、農業問題を議論しているというのに、農業関係者はこの両方の会議に誰一人として入っていない。安倍首相の言葉を借りれば、空虚な議論どころではなくて、「空っぽの空回りの議論」しかしていない。そして案の定、奇異な意見が続出してきている。その一つが農協改革である。更に悪いことに農協改革に隠れて農業委員会や農業生産法人の改革も行われんとしている。これは明らかに改悪である。
 共通するのが、国民や農民を政策決定の場から離させようとする動きである。農政のまとめ役、全中いじめはその一環の最たるものである。

<文句を言わせない強権政治>
 かつて自民党政治が華やかであった頃、日本の圧力団体は、経団連財界「6」農協「3」医師会「1」と言われた。その全中を農協法上の機関から、社団法人にして力を削ごうというのである。農業委員会では農業委員会法により、農業及び農業者に関する事項について意見を公表し、行政庁に建議することは認められている。ところが、これも法律からなくそうとしているのである。 2つの方向は完全に一致する。政府は農民の声、農協の声、農業委員会の声を聞く気がないという姿勢である。

<農民を格付けする上から目線農政>
 そして、もうひとつそら恐ろしいことが進められている。随所に出てくる認定農業者である。5年間の計画を立て市町村に申請し、立派な農家だと認められたのが認定農業者になる。その認定農業者が農協の理事も農業委員会も半数以上が占めなければならないとい法改正されることになる。
 我々が作った農業者戸別所得補償は経営所得安定対策などと名前は変えられているが、政権奪取後もほとんど変えずにそのままの仕組みが残されていた。ところが何と2015年度から対象を認定農業者に絞ろうとしている。2006年の経営所得安定対策の「4ha以上の認定農業者と20ha以上の集落営農」の再来である。今回はさすがに面積要件は外されているが、日本の農業・農民の実情から全くかけ離れた典型的霞ヶ関農政であり、官邸の浮世離れした農政の象徴である。
 大げさに言うと、国民を認定国民と非認定国民に分け、認定国民にしか相手にしないというとんでもない仕組みである。つまり、農民を分断し、一部の農業者しか対象にしないという政策なのだ。皆が一緒に助け合う日本社会の典型である農村には全く受け入れられない政策である。安倍政権の独善的な姿勢が安全保障政策よりも先に農政に表れている。

<江戸時代の農民いじめが起きつつある現実>
 地方の声を聞かず、一部の人の声だけを政治に反映させる、一握りの支配の始まりである。つまり安倍内閣のもとで民主主義が大きく音を立てて崩れつつあるのだ。江戸時代の「百姓は生かさぬように殺さぬように」ということが言われたと習った。しかし、安倍政権は農協を潰し、小さな農民を捨ててでもいいという姿勢を明らかにしている。そして、TPPに反対する農民・農協を、「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」 を今この現代で平然と実行しているのである。危険極まりない悪政である。