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2015年3月25日

【集団的自衛権シリーズ4】国民の大半は集団的自衛権の行使は望まず -いつの間にか集団的米衛権・他衛権に変わってしまう危険-15.03.25

<漠然とした不安を抱く国民>
 3月21日、新聞各紙は一斉に自公両党の安全保障協議が正式合意したことを報じた。国の根幹を揺るがす大きなことになるかもしれないからだ。しかし、国民は日本の自衛隊が今後どういう役割を担っていくのかさっぱりわからないのではないか。私が週末開くミニ集会には様々な国政の課題が取沙汰され、核心を突いた指摘も受けるが、本件について細かいことは聞かれたことが一度もない。「保秘義務」とやらでさっぱり情報が流れてこないTPPと比べると、抽象的情報量は桁違いに多いのに、肝腎のところが不明確だからだ。これでは、海外で武力を行使しないという原則がなし崩しにされることに対し、不安になるには当然である。

<集団的「米衛権」から集団的「他衛権」へ>
 私は、少々荒っぽいが「集団的自衛権とは、アメリカが戦争を始めたら一緒に戦うこと」と説明してきた。ところが、最近はアメリカだけでなく、やれオーストラリアも同じだとか、他の国も入るとか拡大してきている。いくら後方支援に限定するといっても、いつかは解釈が拡大され戦闘に手を染めなくなるかもしれない。その前の与党協議の間ですら、もう徐々に拡大解釈されているのだから、いざという時には「歯止め」など効くはずがない。つまり、細かい条件を法律で定めたところで、何の役にも立たないということだ。
 集団的自衛権が今でさえ「集団的米衛権(アメリカを守ること)」になりかけているとういうのに、更に進んで「集団的他衛権(他国を守ること)」にまで拡がっている。それこそ「切れ目のない」拡大が持ち受けているだけである。

<各紙にみる見出しの違い>
 私の手許にある新聞の一面の見出しを拾ってみる。
信毎:「自衛隊活動拡大法制化へ。安保5分野自公が骨格合意。歯止め持ち越し
朝日:「自衛隊海外派遣拡大へ。憲法解釈の変更法制化。自公、安保枠組合意。
    (解説)世界の警察、米を肩代わり
読売:「自衛隊活動5分野で拡充。自公安保法制正式合意。
    (憲法考)制約だらけから転換」

<見出しに透けてみえる各紙の安全保障観>
  見出しだけでも、各紙の主張がそのまま反映している。各紙共通しているのは、自衛隊海外派遣なり活動が拡大されることだが、その表現振りからして意図が透けてみえる。
読売は明らかに今回の流れを歓迎している。国民の不安を承知した上で「海外派遣」と言わず「自衛隊活動」と言いくるめ、「拡大」と言わず「拡充」だと誤魔化している。加えて、コラム「憲法考」では、憲法第9条の制約があるという前提に立ち、「制約だらけから転換」は、いいことだと読者を誘導している。
  反対にあくまで否定的なのが朝日である。「自衛隊海外派遣拡大」と正直に伝え、憲法改正せずに「憲法解釈変更を法制化」するのは問題だと批判している。解説では、世界の警察官として振舞うアメリカを肩代わりせんとしていると懸念を表明している。見出し一つをとっても対立軸が明らかである。

<主張の違いは民主主義国の証し>
 我が愛すべき郷土の良心的新聞、信毎は自衛隊活動の用語は読売と同じだが、「拡大」だとし、「歯止め持ち越し」と、やはり今後の雪崩を打った解釈の拡大や自衛隊の海外活動の拡大を心配している。朝日等よりである東京は、社説で「『専守』変質を憂う」と否定し、サンケイは逆に「『仲間を守る国』への前進だ 実効ある条文作りをめざせ」と自衛隊の海外派遣を積極的に支持し、毎日(「どんな国にしたいのか」)と日経(「なお宿題が山積みだ」)は、疑問を投げかけている。この違いは、原発についても概ね当てはまり、朝日・毎日・東京は否定的で読売・サンケイ・日経はイケイケドンドンである。
 私はこのように各紙の主張の違いがあることは、日本が極めて健全であることを示しており、結構なことだと思う。ところが、もう一つの重要課題であるTPPについてだけは、全紙が推進なのは異様である。私が戦前に全紙が戦争に加担したのと同じく、「経済拡大戦争」にこぞって提灯記事を書いていると批判する所以である。

<何でもありのごった煮合意内容>
  集団的自衛権の言葉ばかりが先行しているが、実は中味はもっと広い。合意の全文は、治安維持任務の追加、周辺の拡大、米軍以外への支援、他国軍を後方支援する恒久法の制定、PKO活動を国連決議以外に拡大等幅広い分野にまたがっている。
 14年7月1日の閣議決定は、我が国の安保政策についての宣言のようなものだった、今回の与党合意は連休明けとされる法案提出を意識した技術的なものにすぎず、日本の国のあり様は何も示していない。それにもかかわらず、安倍政権は統一地方選を終えたらすぐドタバタと審議して、すべての法案を一気に通すつもりである。


<国民は性急な議論を支持せず>
  こうした動きに国民は納得していない。いくら後方支援に限り戦闘活動はしないと言訳しても、国民は信用できないでいるのだ。安倍首相は12年末と14年末の2度の総選挙で圧勝したから、国民の負託を受けていると言い張る。しかし、選挙に勝ったからといって、何でもやっていいというものではない。
 毎日新聞の3月14、15日に行われた調査では、52%が今国会での成立に反対している。支持は32%にすぎない。他紙も大体同じ数字である。政治は何よりもこうした国民の民意を重視しなければならない。
 
<日本の評判を落としてはならず>
 国際社会は何も日本の自衛隊の海外派遣を要請していないことだ。正確にいうとアメリカは自国に都合のいい後方支援だけはしてほしいと願っている。だからその限りにおいて歓迎である。このため5月の連休中の安倍首相の訪米時に、池田首相以来54年振りの米議会演説が用意されているという。いわばご褒美である。
 それに対し中国や東南アジアの周辺国は日本の自衛隊の海外活動には懸念を示しつつ、注視している。いくら第二次世界大戦後70年といっても、大戦中の日本軍の活動を忘れていない。その前に明確に警告を発したのが世界の火薬庫、中東である。今回の安倍中東歴訪、2億ドル援助発言等に対しても、イスラム国は過剰に反応した。イスラムでも何でもテロには厳格に対処しなければならないのは当然だが、わざと誘発するような行動にでることはない。
 今後の日本の自衛隊の動きによっては、日本がアメリカと同じ眼でみられるようになってしまうおそれがある。日本の信頼を損なわないような慎み深い行動が必要である。

<アメリカの一部の声に応ずる必要なし>
 日本は海外で血を流すことを拒否し続けた立派な国であり、それゆえに戦禍に巻き込まれることはなかった。この70年の間に平和国家日本のイメージがすっかり世界に定着している。こうした姿勢が国際的に大きく批判されることはない。
 アメリカの一部だけが湾岸戦争の折に金だけ出して人を出さないことに対し、「Show the Flag」と言って批判した。イラクに侵攻されたクェートが感謝を述べた対象国に日本が入っていなかった。この二つががトラウマになって、集団的自衛権を認めんとする一連の動きが始まったともいわれている。しかし、事実は異なる。アメリカの声は、毎度おなじみのいわゆるジャパン・ハンドラー(日本の専門家)の声であって、アメリカの大勢ではない。アメリカはむしろ、日本が軍事大国にならないことを望んでいる。
 もし、日本が朝日の心配するとおり、世界でアメリカの肩代わりをし出したら、アメリカはすぐブレーキをかけてくるだろう。例えば、前述の安倍首相の米議会演説に対し、米退役軍人の有力団体は戦争中の日本の過ちを安倍首相が明確に認めるように注文をつけている。
 いずれにしても、安倍政権は長野のこの辺りの言葉でいうと「ちょんこづいている」(調子に乗り過ぎている)。国会が民主党を中心に自制を求めていかねばなるまい。

2015年3月20日

【アベノミクス農政批判シリーズ 9】官(邸)強(自民)党弱一強多弱は国民や農民の声の無視につながる- 政策決定システムが国民から離れていく危険 -15.03.20

 3月13日、例年よりだいぶ遅れて予算が衆議院を通過した。当然、我々民主党を含め野党は反対している。しかし、よく言われる一強多弱、自民党だけが大量議席を得て、暴走を続けている姿は何の変わりもない。安倍政権は軍事的な面であらぬ方向に行く非常に危険な政権と言われているが、そもそも民主主義政治をないがしろにする危険の方が大きい。

<官邸政治の始まり>
 いつの頃からか官邸がリードするために、官邸になんとか会議というのがよく設置されるようになった。そうした我侭は、私の記憶では一内閣にひとつぐらいは許されていた。私が内閣総理府に出向した鈴木内閣の時の総合安全保障関係閣僚会議担当室もその一つだった。これは福田内閣の牛場信彦対外経済担当相に始まり、大平内閣の補佐官制度と9つの勉強会グループ(田園都市構想等)と続き、鈴木内閣の後半の第二臨調、中曽根内閣の臨教審と続いた。ところがいつの頃からかそうした大胆な政策ではないけれども、官邸に首相の肝煎りで様々な会議が設置されるようになった。

<度が過ぎ始めた小泉経済財政諮問会議>
 記憶に新しくかつ強力だったのは小泉内閣の経済財政諮問会議であろう。法律的な根拠は何もない。そこに竹中平蔵以下、勝手なことを言う学者、評論家等を集めて政策を決定した。つまり国会を軽視し、いわば総理の趣味で政策を打ち立てるシステムである。議院内閣制なので閣僚も議員から選ばれる。ところが国民が選んでいない輩が○○会議にでばるのである。形は違うが内閣参与という一本釣りも多用されるようになったそれがピークに達したのが鳩山内閣、菅内閣の時である。私はこれらの官邸の思いつきの人選は、民主主義を踏みにじるものであり、邪道だと思っている。

<バランスをとった食と農林漁業の再生実現会議>
 菅内閣の時に私は閣内にいたが、菅内閣は2つしか造っていない。「新成長戦略実現会議」と私が菅元総理に強く申し出てできた「食と農林漁業の再生実現会議」である。後者はTPPの交渉に参加しかかった菅首相を、一副大臣の私が説得して、それを覆すべく設立した官邸内の組織である。農政をてこ入れするために使おうとしていたのである。官邸内で数回会合を開いていた。
 しかし、そのメンバーは謙虚である。農協のトップである茂木守全中会長、生源寺真一東大教授、財界の代表で三村明夫新日鉄会長、栃木県の女性農業士、歌手の加藤登紀子(夫が自然農法)等バラエティーに富んだ人たちを交えて検討を始めていた。農林水産行政にてこ入れするために使おうとしていたのである。メンバー構成は極めてバランスのとれたものだった。

<偏る安倍政権の○○会議等>
 ところが安倍政権は酷いものである。典型的な例が安保法制懇である。集団的自衛権を認めるという方針の下に議論を始められ、なんとそのメンバーは全員が集団的自衛権の行使を容認する人たちである。予算委員会での私の「偏りすぎる」という指摘に対して、「空疎な議論を排すため」というとんでもない答弁をしている。何か揉め事を決めるための○○審議会というのは賛成派、反対派、中立の三者で構成するのが普通である。それを安倍首相は結論ありきで進めているのだ。後々の新聞報道等によると、そのタカ派の有識者の意見もほとんど無視され、官邸に巣食う一部の人達だけで政策が決められているのである。

<格好付けの規制改革>
 一方、真逆になっているのは、農民や農協関係者の怒りをかっている農協改革である。法律的根拠がない産業競争力会議が大手を振って歩いている。三村明夫(日本商工会議所会頭)等財界人や、小泉内閣から復活(?)参加の竹中平蔵等がメンバーである。規制改革会議は一応法律的根拠があるが、農業問題、医療問題、労働問題この3つを目玉に「規制改革、規制改革」と騒いでいる。安倍首相は外国でも「岩盤に穴をこじ開けるドリルの刃になる」などと、格好のいいことを言っている。日本が諸々の規制でビジネスがしにくくて困ると世界から批判されてもいないのに、いかにも規制だらけの国のように宣伝しているのだ。

<専門家や関係者抜きで進む農政改革>
 ところが、農政問題、農業問題を議論しているというのに、農業関係者はこの両方の会議に誰一人として入っていない。安倍首相の言葉を借りれば、空虚な議論どころではなくて、「空っぽの空回りの議論」しかしていない。そして案の定、奇異な意見が続出してきている。その一つが農協改革である。更に悪いことに農協改革に隠れて農業委員会や農業生産法人の改革も行われんとしている。これは明らかに改悪である。
 共通するのが、国民や農民を政策決定の場から離させようとする動きである。農政のまとめ役、全中いじめはその一環の最たるものである。

<文句を言わせない強権政治>
 かつて自民党政治が華やかであった頃、日本の圧力団体は、経団連財界「6」農協「3」医師会「1」と言われた。その全中を農協法上の機関から、社団法人にして力を削ごうというのである。農業委員会では農業委員会法により、農業及び農業者に関する事項について意見を公表し、行政庁に建議することは認められている。ところが、これも法律からなくそうとしているのである。 2つの方向は完全に一致する。政府は農民の声、農協の声、農業委員会の声を聞く気がないという姿勢である。

<農民を格付けする上から目線農政>
 そして、もうひとつそら恐ろしいことが進められている。随所に出てくる認定農業者である。5年間の計画を立て市町村に申請し、立派な農家だと認められたのが認定農業者になる。その認定農業者が農協の理事も農業委員会も半数以上が占めなければならないとい法改正されることになる。
 我々が作った農業者戸別所得補償は経営所得安定対策などと名前は変えられているが、政権奪取後もほとんど変えずにそのままの仕組みが残されていた。ところが何と2015年度から対象を認定農業者に絞ろうとしている。2006年の経営所得安定対策の「4ha以上の認定農業者と20ha以上の集落営農」の再来である。今回はさすがに面積要件は外されているが、日本の農業・農民の実情から全くかけ離れた典型的霞ヶ関農政であり、官邸の浮世離れした農政の象徴である。
 大げさに言うと、国民を認定国民と非認定国民に分け、認定国民にしか相手にしないというとんでもない仕組みである。つまり、農民を分断し、一部の農業者しか対象にしないという政策なのだ。皆が一緒に助け合う日本社会の典型である農村には全く受け入れられない政策である。安倍政権の独善的な姿勢が安全保障政策よりも先に農政に表れている。

<江戸時代の農民いじめが起きつつある現実>
 地方の声を聞かず、一部の人の声だけを政治に反映させる、一握りの支配の始まりである。つまり安倍内閣のもとで民主主義が大きく音を立てて崩れつつあるのだ。江戸時代の「百姓は生かさぬように殺さぬように」ということが言われたと習った。しかし、安倍政権は農協を潰し、小さな農民を捨ててでもいいという姿勢を明らかにしている。そして、TPPに反対する農民・農協を、「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」 を今この現代で平然と実行しているのである。危険極まりない悪政である。

2015年3月13日

政治とカネ―政治家が襟を正し、企業・団体献金の廃止しか解決方法はない―15.03.13

<政治資金規正法は典型的なザル法> 
 国会では、先週から今週にかけて「政治とカネ」問題が吹き荒れた。下村博文文科大臣の特殊なケースを別として、問題は献金した企業が国の補助金をもらっていたことに集中した。

 (1) 政治資金規正法では、補助金受領企業は、補助金交付決定から1年間は政治献金をしていけないことになっている。違反には罰則(3年以下の禁固又は50万円以下の罰金)がついている。

 (2)政治献金を受ける政治家は、その事実を知らない場合は法に抵触しない(→政治家は知らなかったから違法でないとして返金ですませている)。

 (3)試験研究や災害復旧に関するものや利益を伴わない補助事業は例外扱いされ、また、交付者が国でない場合や寄附する団体が別だと違反にならない (政治家が例外で違法ではないと強弁に使う)。

つまり、典型的な不鮮明な規定、すなわち「ザル法」なのだ。

<噴出する違法献金>
 かくして、閣僚からぞろぞろ(安倍、麻生、菅、甘利、林、宮沢、塩崎、下村、西川、上川、望月)と、補助金受領企業からの献金という政治資金規正法違反が明らかとなった。また、高村、大島、石原等自民党幹部にも波及した。当初、上記の(3)を理由に違反していないという者もいたが、(2)に移り「知らなかった」と言い訳し、大半が返金している。
 いくらザル法とはいえ、見苦しい限りである。たぶん、企業献金を受けている大半の議員がこの問題を抱えていると思われる。西川農相は既に辞任している。大きな権限を持つ閣僚たる者身辺を身ぎれいにしておく義務がある。
 いつものことだが、この問題を追及していた民主党にもブーメランよろしく戻ってきて、岡田代表以下数人(福山、玉木、岸本、武正)も同罪だと新聞報道された。野党とはいえ国民に疑問の目でみられるようなことは許されまい。これこそ泥縄式の典型で国民もあんぐりというところである。

<見苦しい言訳>
 いちいち補助事業の対象企業かどうかを問い質すには時間がかかりすぎる、わざわざ献金してくれている企業に対し、補助事業の対象となっているか否かと聞くのは失礼に当たる等言訳が続く。
 細かい領収書の添付もそうだが、企業が補助金受領企業かどうかのチェックにはかなり手間暇がかかることは事実だ。しかし、そもそも政党助成金と企業献金を二重に受け取ることは、国民との約束違反なのであり、浄財をいただく議員はそのぐらい手間をかけるのが当然である。

<微々たる改正では国民は理解せず>
 今のルールのままで規正の目的を達成するとしたら、政治家が企業から政治献金を受ける時は、1年間補助金を受給していないかどうかをきちんと確認する以外にない。民主党では、議員等にきちんと確認するようにという、幹事長名の文書を3月6日付けで出している。
 国民は、1995年に国民1人当たり年250円の税金で政党助成金制度を導入したことを知っている。企業・団体献金の廃止をにらんでのものであり、320億円が政党に配分されている。個人への企業・団体献金は禁止されたが、政党や政党支部への献金は認められるという抜け道が残され、20年来の約束が果たされていない。今回、注意喚起や罰則の強化などの微調整でお茶を濁そうとしても、国民は納得しまい。
 15年3月9日に公表されたNHKの世論調査で、前月比8ポイント減の46%となり、自民党の支持率も4.5ポイント減の36.7%と大きく低下している。日本国民は政治とカネには敏感なのだ。

<企業献金禁止>
 まず最低限政治家は知らなくとも罪に問われるように改正すべきである。罰則は、企業・政治家ともずっと高くして痛い目に合せたらよいのではないか。
 一番すっきりするのは、一切の企業・団体献金の禁止(パーティ券の購入も禁止)である。民主党は、野党時代、岡田政治改革本部長の下に企業・団体献金の受け入れ全面禁止を決めている。また、2009年の政権公約にしたこともあるが、政権に就いたら反故にしてしまった。そして、今もまた、踏ん切りがつかないでいる。自民党は、安倍総裁(首相)を筆頭に禁止は困難と決めてかかっている。政治不信が投票率低下につながっており、こんな時こそ、与野党一致して襟を正さなければならない。

<個人献金中心が筋>
 その上で、日本にも政治に寄付(個人献金)をする習慣を植え付けていくべきである。お寺だと何百万円、神社だと何万円という寄付が日本にも定着している。政治は逆で、数十年前まで、お金をもらって名前を書くことが行われていた。それを票とお金を両方出して支える気持ちに切り替えてもらう以外にない。それには政治家への寄付に係る税額控除の制度を拡充する必要もあり、時間がかかるが、政治家側も努力すべきことだ。
 民主党は2000円のサポーターという制度があるが、昨今の民主党の体たらくのため「篠原さん個人には出すけど、民主党には嫌だな」という方も多い。党のサポーターではなく個人のサポーター、つまり個人献金に切り替えていけばよい。
 ただし、個人献金に限定したところで、既に某業界がしていたが、10人の役員が一律3~5万円ずつ均等に個人献金することですり抜けられる。「蛇の道は蛇」でどこにも抜け穴(loop hole)があるのが難しいところである。

<閣僚は辞任、民主党は役職停止でケジメをつける>
 さて、問題は、今回のケジメである。
 許認可権限を持つ大臣が補助金受領企業から献金を受けることはとても許されない。一般的に閣僚は普通の議員と比べより襟を正さなければなるまい。その意味では、安倍内閣のひっかかった閣僚は全員何らかのケジメをつけて当然である。きつく言えば、関係閣僚の総退陣、内閣改造である。
 そして、そのためにも、権限を持たない野党とはいえ、岡田代表ぐらいは率先してケジメをつけるべきである。代表は、支持者の贈り物も決して受け取らないという。それなのに、企業の政治献金を受け取るのは首尾一貫しない。この際、自ら身を律して役職停止数カ月ぐらいのケジメをつけ、居据わる閣僚に刃を突き付けるべきである。2度目の網膜剥離の手術であまり動けないようであり、ゆっくり休養して体調を整えたほうが後々のためでもある。偶然だが、はじめて2人の代表代行を置いているのであり、しばらく文字通り代行してもらえばすむ。
 マスコミもここまで補助金受領企業からの献金を調べて暴いてくれたのである。民主党は、威丈高に居直る安倍政権に一撃を加え、政治とカネの問題を反転攻勢のきっかけにしないことには、野党第一党の存在意義が問われても仕方あるまい。