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悩める特許の帰属  「社員の発明は会社のもの」となり、中村修二教授の意に反す -15.07.11-

<ノーベル物理学者中村教授の問題提起>
 特許の世界など一般の皆さんには馴染みのない世界である。しかし青色発色ダイオード(LED)を発明して自分の勤めていた会社を訴えて、特許の権利は自分にあると物議を醸した中村修二ノーベル物理学賞受賞者は誰でも知っている。この一件を契機として経済界は、発明者主義から法人帰属へ改正を経済産業省に要望し出した。
 日本では明治の時代から発明した個人に特許は帰属することになっていた。だから中村教授はその権利を主張しただけのことである。2005年、日亜化学工業と和解が成立し、8億4400万円の支払いを受けた。そして、今回の改正は、企業の要請を全面的に受け入れて法人帰属にするというものである

<アメリカは発明者帰属>
 世界を見渡してみると当然アメリカは個人に帰属することになっている。ただ、アメリカは契約社会であり、企業と個人の間で契約がきちんとなされていて、全く発明者にだけ100%帰属するわけではない。実際にはその企業に行って仕事をしながらその企業の研究開発費で研究してきた場合は企業に帰属することになっているという。

<特許・商標等を無視する中国にも一部の理>
 特許の世界というのは意匠権、実用新案権等も含め人工的な世界であり、馴染みにくい。例えば中国はこのようなことにほとんど関心を持たず、無視してやっていたが、やっとそうしたことは許さないという社会になってきている。中国のインチキ商標で松阪牛の「阪」を「坂」にして、いかにも高級肉らしく売っている。それからリンゴを青森リンゴと日本の地名を付けそのまま売っている。これらは明らかに商標権の違反であるが何とも思わない。今も横行しているのかどうか知らないが、昔はまるっきりデザインの似た「GUCCI」の革製品が中国では平気で安く売られていた。
 こういったことは枚挙にいとまがない。逆の側からすると「同じように真似して作ってどこが悪い」ということになる。後述するように、私はこっちの考えに与したい気持ちも持っている。中々悩みが深い問題である。

<時代に逆行するかもしれない法人帰属>
 私が経産委員会で問い質したのは、滅私奉公の時代でもなく終身雇用の時代でもなくなってきている今、法人帰属というのは逆なのではないかという疑問である。つまり会社が命、社畜と呼ばれるくらいの奉仕をしていた時は法人帰属でいい。
 しかし、転職情報誌が氾濫し、多くの若者が平気で転職する時代であり、個人すなわち発明者主義が時代の流れではないかと思う。ただ一つの発明でいい製品ができるということは少なくなり、総合力でできあがるとしたら、法人帰属のほうがいいのかもしれない。

<なんでもアメリカに合わせる必要はない>
 それからもう一つは何でもアメリカに合わせようとすることが問題である。TPP交渉では、知的財産権のことも秘密で行われているから分からないが、特許権はアメリカでは25年という。アメリカは特許で稼ごうという魂胆がみえみえである。アメリカに合わせようというのであれば、アメリカの発明者主義にしておいた方がTPPに入っていく場合でも自然ではないかと思うが、どうもそうなっていない。
 私はまた大勝軒を例にして(ブログ2015.4.19)述べたが、全く違う考え方があるのではないかということを指摘したところ、皆し~んとして聞き入っていた。
 後で触れるが、これは新しい技術を開発した時の二つの生き方で「オープンクローズ戦略」(オープンは特許を取って公開し、特許料を取る/クローズは絶対に秘密を明かさずに自分のところだけで作り続ける)のどちらでもない生き方である。つまり、大勝軒の山岸社長は完全な「超オープン」で、特許も取らずに50人の弟子に全ての技術を伝授するということをしており、日本はむしろこのやり方の方が向いている、と特許に冷や水を浴びせた。

<農業の世界に特許は不要>
 それから農業の世界では「隣り百姓」といわれており、隣りの枝をひとつ折り、隣りの種籾をもらって新しい技術なり品種が広まっていく。日本は江戸時代の青木昆陽の「甘藷」も3年で全国に広まったと言われている。今でも農業界では先進地視察が引きも切らない。つまりノウハウや技術は共有して持つものである、というのが一般的なのだ。こういった考え方は時代遅れと言う人もいるが、私はむしろ最も合理的なことだと思っている。
 職務発明についてのことだが、農林水産省の筑波の研究者も特許などという感覚はあまりない。それは時代遅れでよくないことだと言われるかもしれないが、彼ら研究者に言わせると当然のことだと思われてくる。つまり国から給料はもらって好きな研究をさせていただいている。それで研究成果が出たら、一時も早く皆に使って欲しい、自分の研究成果を役に立てて欲しいと願うのが先であって、特許を取って自分がお金儲けをするというような考えは更々ないのである。私は極めて健全な倫理観ではないかと思う。

<URの頃のBHNの考えは妥当>
 それが恵まれた人、つまり農林水産業の分野でいえば一人の農家や漁家が研究開発できるわけではない。世界中でも公的機関が研究をしている。だからその国のもの、その地域のものという観念で、個人のものではない。つまり特許の世界は造り上げられた人工的世界であり、一時も早く公開していくのは当然ではないかと思っている。一人が独占したりしてお金を取り続けるのは良くないと思っている。 
 ウルグアイ・ラウンドの頃に「Basic Human Needs(BHN:基本的人間必要)」という言葉が使われた。知的財産についての議論をし始めたところ、医療と食糧は人間が生きていく上で絶対に不可欠で、BRICS(Brazil, Russia, India, China, South Africa)等発展途上国はBHNは特許の例外にすべきではないかという主張をした。20数年前ではあるが、私はもっともだなあと思っていた。

<特許を重視しすぎるのは得策にあらず>
 エイズでみると、この問題が明らかになってくる。エイズの薬は特許があるがために高くて、発展途上国では手が出なかった。特許が切れると一気に安くなり、ジェネリック医薬品のお蔭で多くの患者が救われることになった。
 私は、あまり特許、特許と声高に主張することには賛成できない。研究開発意欲を企業に持たせることは大切だが、それで財産を稼ぐとか儲けるというのは邪道である。特許の見返りは、研究開発費が賄えてそこそこ利益が出たぐらいでよいのではなかろうか。そういう点では、私は筑波の農業系の研究者の倫理が真っ当であると思っている。