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70年の高社郷集団自決者の慰霊法要-満州の地に向けて百名がふるさとを斉唱-15.09.01

 終戦記念日から10日後の8月25日、中野市東山公園の一角に建つ満州開拓者殉難慰霊塔前において、戦後70周年の慰霊法要が行われた。集団自決により絶命した五百余名の命日であるこの日は、高社郷同志会が慰霊の参拝を毎年続けてきたが、高齢化により年々参拝者が減少して、昨年はとうとう5人だけになっていた。
 しかし、今年は戦後70周年にちなみ次世代を担う地元の高校生約70名にも参加してもらい、当時の悲劇を語り継ぎ、平和追求への思いを若い世代に託すことができた。
 この間の経緯を若干記録として書き留めておきたい。
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<劣化した台座が陥没>
 慰霊塔は1950年に建立されたが、14年4月突然西側に傾いてしまった。建立された当時は物資も豊富ではなく、2tもの石碑を支える台座部分に十分なコンクリートは使われていなかったようだ。
 私が一昨年(13年)の参拝に参列した際に同行させたK秘書のところに、事務局長滝沢博義さんから慰霊塔が傾いてしまったという連絡が入った。「何としても今年(14年)の参拝に間に合うように修復工事ができないものか」との懇願があり、公園を管理する中野市をはじめ関係各所に修復工事の可能性を見出すためK秘書を走らせた。

<冷たいお役所と膨大な見積もり>
 役所では「東山公園の管理はしているものの、慰霊碑は当市の所有ではなく、修復をはじめ管理をしていた前例はない」としてあっさりと断られてしまう。そこで民間業者に工事を発注して、その費用を何らかの方法で捻出するしか方法がなくなり、複数の業者に相談するも、8月25日にはとても間に合わず、費用も400~500万円を要することがわかった。北満の地で無念の最期をとげられた御霊を思い、参拝を続けてこられた同志会の皆様の期待を裏切るような杜撰な工事はできない。

<篤志家の心意気で修復完了>
 そうした中、土建業に携わっている市川久芳さんが、「このような集団自決という悲劇の中を生き抜いて、命日には毎年集まり合掌する同志会の皆様に傾いたままの慰霊塔を見せられない」「工事は必ず8月25日までに仕上げる」「今は費用の心配をするな、後で一緒に考えよう」と即断即決され、修復工事がすぐに進められた。その結果8月25日の2週間も前に修復工事が完了した。
 慰霊塔の劣化は全国各地でみられるようで、読売新聞(15年6月10日)は、「794ヶ所管理不足」と伝えている。厚労省も1万3174ヶ所もある慰霊碑の実態を3年かけて調査するという。我々は、全国に先駆けて整備したことになる。
 ただ問題は、満州の地で一家全員が自決し、直系の子孫がほとんどいない特殊な慰霊碑をどうやって守っていくかが問題である。

<今でも薄れることのない同級生への思い>
 昨年の参加者のうち1人海野定男さんは、実はご遺族ではない。365日この慰霊塔の前まで歩き合掌、いわゆる日拝(にっぱい)をしているという。小学校の同級生2人(男1、女1)が、それぞれ家族全員で満州に渡った。終戦から暫くしても帰ってこない。高社郷の集団自決で同級生を2人も失ってしまったことについて知らされたのは、終戦からかなり先になってからのことであった。親しかった同級生への思いは今でも薄れることなく、ただただ日拝を続ける。だから慰霊塔の台座が陥没して傾いていることに誰よりも先に気付いた。

<70周年にちなみ70名の地元高校生>
 昨年の参拝を終えて、滝沢さんは「せっかく慰霊塔を修復してもらいながら、5人だけでの参拝になり申し訳ない」と言われた。しかし、申し訳ないのはこちらの方である。年々参拝者が少なくなっていくことを知りながら、我々後世代にはこの悲劇を次の世代に伝えていくという努力が足りなかったのだ。
 こうした折、また市川さん(14年秋に飯山市議になっている)から「この際、70年にちなんで次の世代を担う若者を70名呼ぼうではないか」という話が持ち上がった。そして地元の中野立志舘高等学校、中野西高等学校から、実際に約70名もの生徒が平和教育の一環として参加、更には引率の先生のみならず、校長先生にも参加していただいた。若い世代3人の代表も「これからもできるだけ体験者の話を聞いて、過去をしっかり受け止め、子孫たちに伝えていきたい」と心のこもった立派な挨拶で返してくれた。
今年の慰霊法要には昨年とうってかわって、関係市町村から来賓が参加した。また、これら全ての市町村の議員が実行委員として名を連ねた。

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<高山すみ子さんも車椅子参加>
 毎夏、静養のため軽井沢に来られる天皇・皇后両陛下は、満州から引き揚げた人々が関係した大日向地区を度々訪問されてきたが、戦後70年周年の切れ目の今年も訪問された。村の半分近くが満蒙開拓に行き、半分以上の者が満州で死亡している。 
 2人の子供を集団自決で失い、その後に現地から奇跡的な生還をされた『ノノさんになるんだよ』の著者、高山すみ子さんは、会場に着くなり「こんなにたくさんの若い人たちに参加してもらい嬉しい」と涙を流した。高山さんは先週まで入院していて、先日退院してきたばかりで、今年は車椅子での参加になった。

<滝沢さんのこらえられなかった涙>
 昨年私は長野市川中島町在住の滝沢さんのご自宅まで当時の話を伺うために訪問している。弟と妹を亡くし、思い出すだけでも辛く耐え難いであろう当時の記憶について、滝沢さんは涙も見せずにきちんと語ってくれた。聞いているこちらが涙をこらえるのに必死であった。
 故郷を思いながら二度と戻れなかった皆さんに、我々の声が届くように、満州の方を向いて、「故郷」を合唱した。私も遠い満州の地に届けといわんばかりに大声で歌った。「故郷」の合唱中に、無念の最後を遂げた同胞を思い出したのであろう、滝沢さんの目にも涙があった。

<来年もこの場所で>
 例年は滝沢さんの用意する供養饅頭を手に信州中野駅前の食堂まで移動し、ゆっくりと昔話をしてから散会になる。特に式次第と焼香が早く終わってしまった昨年は、到着が早すぎて駅前の食堂が開店しておらず、しばらく店内で待たされたほどだった。
 今年は寂しい昨年とはうって変わって滝沢さんも高社郷同志会の皆さんも多くの報道陣に囲まれて、なかなか歓談する時間に恵まれなかった。慰霊塔のある東山公園でそれぞれの皆さんがしばしの別れを惜しんだ。それぞれの帰途につく前に「お元気で。来年も必ずこの場所で会いましょう」と声をかけあい励まし合う姿だけはいつも一緒である。

<二度と同じ過ちを犯してはならない>
 私は今でも思う。たった一人でもいい。誰かが戦争が終わったことを知らせてくれたら、高社郷の集団自決という悲劇は防げていたはずである。特定秘密保護法で国の秘密を守るための処罰を強化する前に、国が必要な情報を国民に提供しないがために不利益がもたらされることにこそ処罰を強化しなくてはいけないのではないか、と私は直接安倍総理に質している(14年1月31日予算委員会)・(14年2月7日 篠原孝ブログ「高社郷集団自決の悲劇を繰り返さないために」)。
 しかし、今の我が国は安倍政権の暴走により集団的自衛権の行使までが容認されそうな事態に陥っている。国の犯した過去の大きな過ちによって、今もなお悲しみの涙を流している人が数え切れないというのに、この国はまたあらぬ方向に暴走を始めた。8月30日、国会周辺で10万人デモ、全国で100万人集会という反対の声が上がるのは当然のことである。
 国政を担う一人として、同じ悲劇を繰り返さぬために全力を尽くさねばならないと決意を新たにした。