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2015年9月20日

【集団的自衛権シリーズ11】日本を戦争に追いやる安保法制  -政権を奪取し廃止法で葬るしかなし- 15.9.20

 私は今この原稿を、枝野幹事長の安倍内閣不信任決議案の趣旨説明を聞きながら書いている。いつものように民主党側から拍手が繰り返され、自民党側からヤジが飛んでいる。
 しかし、いくらフィリバスター(長時間演説)をしても多勢に無勢、不信任案は否決されてしまう。総選挙でボロ負けしているのだから仕方があるまい。自公政権がこれだけデタラメなのに民主党への支持は全く回復していない。改めて3年3ヶ月の無様な政権運営による不信の巨大さを痛感する。その大失敗の一翼を担った枝野幹事長がいくら舌鋒鋭く安倍内閣を糾弾しても、国民の耳にはむなしく響くだけだろう。

<そこそこの安保の有識者としてのイライラ>
 今回の安保法制、問題が多数ありすぎて、私はブログにまとめるにも面倒になり、あまり書いてこなかった。1982年内閣総合安全保障関係閣僚会議に出向して以来、ずっと安保問題を追ってきたが、今回の論戦には1度も参加の機会がなかった。それも重なりずっとイライラしながら見守ってきた。そして、これだけ国民の反対の声が大きいのに結局廃案に持ち込めなかった。これが悲しい。非力をお詫びしないとならない。枝野フィリバスターを聞きながら、ここに簡単に私の気付いた問題点をあげてみる。

<憲法違反は明白>
 去る6月4日憲法審査会に招いた長谷部、小林、笹田3人の学者が憲法違反と発言してから、一気に違憲問題が噴出した。しかし、そもそも憲法改正でしなければならないものを、それができないので解釈で変えようとしていたのである。集団的自衛権の行使は、専守防衛や自衛隊の海外派遣禁止等憲法9条から大きく逸脱していることははじめから明らかである。もともと筋が悪すぎることをゴリ押ししているのである。これを国民が理解するから、8割が説明不足、6割が今国会での法案成立に反対し、国会周辺デモが続いてきたのである。
 昭和47年政府見解を急に変え、砂川判決を持ち出すのは憲法学者が許すはずがない。もともと論理的に破綻し切った法案なのである。これだけの大転換をしたいなら、国民投票法もできたのだし、憲法改正という王道を歩まなければならない。そしてそれができないなら、諦めるべきなのだ。それを多数でゴリ押しするのは許されない。

<平和を維持するためという大嘘>
 国際情勢が変化したため日本の防衛が危機に晒されている。そのため日米同盟を強化してアメリカに助けてもらいつつ日本を防衛しなければならない。平和安全法制は、平和を維持するためのものであり、日本の危険を減らすことになる。これが安倍内閣やそれに追随する公明党の言い分である。
 よく言うわと唖然とするばかりである。1945年の終戦前70年間の歴史をみると、台湾出兵(1874)、日清戦争(1894)、日露戦争(1904)、満州事変(1931)、支那事変(1937)、太平洋戦争(1941)と日本は戦争ばかりしていたのである。しかし、戦後70年、平和憲法の下、日本は戦禍にみまわれることがなかったのだ。その平和憲法が国防情勢の変化に対応できていない、などという詭弁は誰が考えても通用しない。憲法9条があるが故に下手な対応をせずに平和を維持できたのである。
 この論理も最初から破綻している。だから、戦争法案と呼ばれるのも当然である。それを平和安全保障法案などと呼称するのはまさに笑止千万である。

<先行した日米防衛協力指針(ガイドライン)こそ国民無視、国会軽視>
 安保法制論議の中でいつも批判されたのが、4月29日の安倍首相の夏までに通すというアメリカ議会での演説である。国民無視、国会軽視は明らかなのだが、それよりも重大問題は、この法案の内容を先取りした日米防衛協力指針(ガイドライン)が法案の審議に先立つ4月27日には作成されてしまったことである。不思議なことにこの点はほとんど追及されてこなかった。しかも、日米の軍事協力の根本に定めるガイドラインを、行政協定と称して国会は何も関与できないでいる。この延長線上に共産党の小池議員が審議の後半に暴露した統合幕僚監部の法案の成立を前提とした内部資料がある。
 14年7月1日に閣議決定を急いだ理由は、まさにこの日米ガイドラインを14年中に改定するのが約束であり、そのためには秋の臨時国会に安保法制を集中的に審議して仕上げなければならないと言っていたのである。ところが臨時国会は消費増税の延長と、抜き打ち解散に使っただけである。それにもかかわらず、法案の前にちゃっかりとガイドラインを改正していたのである。つまりアメリカとの約束を先にして、それを追認するために安保法制を通さんとしているのである。順序が完全に逆になっている。これが安保法制がアメリカにおもねるために打ち切られていることを切実に物語っている。

<戦死しない自衛隊員>
 原発安全神話と同じく、自衛隊安全神話を唱えている。戦争が行われている戦場には派遣しないので戦死はなく、この法案により自衛隊員はより安全になるというのだ。これを現場に赴かなければならない自衛隊員は信じるだろうか。
後方支援しかしないから大丈夫というが、戦争でもスポーツでも一番弱い所を叩くのが鉄則である。かつて小泉総理以外の担当閣僚に答弁させまいと「ソーリ、ソーリ」と連呼した辻元清美議員は、安倍首相が答弁しようとするのを制して、あやふやな答弁を繰り返す中谷大臣に答弁を求めた。弱いところを突こうとしたのである。戦場でも、実践経験がなくいわば弱味を持つ日本の自衛隊が相手国から真っ先に攻撃対象となることは目に見えている。
 それを戦死はなしとして、仮に亡くなっても公務災害死と同様にしか扱われない。これでは身を呈して国家のために命を落とすかもしれない自衛隊員に対して、あまりに冷たく失礼である。
 また、危険な事態になるのではないかという問いに対して、その時は現場の指揮官が撤退の判断をする、という無責任な答弁をしている。戦死者が出たら、危険な戦闘地域から退却命令を出さなかった現場の指揮官のせいにされてしまうのだ。こんな不備な法律の下で「戦地」に赴くのはあまりに酷である。


<核兵器を運搬させられる日本>
 白眞勲議員は、後方支援で核兵器を運ばされるのではないかと問題点を指摘した。それに対する答弁が振っている。理論上はありうるが、日本には非核三原則があるので、実態上はありえないというのだ。白議員は、核兵器は運んではならないと法文上明記しろと追及を続けたが、不明確なまま終わっている。

 現実の世界では核兵器の存在場所は超のつく特定秘密である。アメリカに限らず核兵器保有国は、どこに核兵器があるかは極秘であり友好国にも明らかにしない。日本はこの点最も腰の引けた国である。領海は12海里と決められているにもかかわらず、各国の潜水艦が日本の津軽、宗谷等5つの国際海峡を通過できるように、わざと3海里にしているのだ。これは実は非核三原則の「持ち込ませず」のチェックができないための措置である。ということは、日本はアメリカ軍にこの武器が核兵器か否か尋ねる気が元からないのだ。こうしたことから、戦場では知らないうちに核兵器を運ばされることになる。
 世界唯一の被爆国が核兵器を運ぶことになるかもしれないのである。安保法制は憲法9条ばかりでなく、非核三原則をも蔑ろにしてしまうのだ。こんな悪法は許されるはずがない。

 国民の声を無視して暴走を続ける安倍内閣に内閣不信任を提出するのは当然である。今後、安倍内閣打倒のために全力を尽くしていかなければならない。

2015年9月 2日

【集団的自衛権シリーズ10】不道徳を改めよ安倍内閣 - 道徳好きの安倍首相が不道徳な政治を連続する不思議 - 15.09.02

 安倍首相は道徳が大好きであり、前回第一次安倍内閣の時は、教育問題について全力を傾注した。その延長線上で道徳を正教科にすべきだということが今も検討されている。ところが、その安倍首相や安倍内閣が全く不道徳な政策ばかりを連続している。私はこれには腹がたつばかりである。

<TPPの大嘘不道徳>
 その第一はTPPである。12年12月、野党自民党はTPP断固反対といって総選挙を戦った。「ブレない、TPP断固反対、ウソつかない」という政策ポスター(選挙期間中に貼りだせるので「流し込み」ポスターと称される)が作成された。私の選挙区は私自身が反対しているのでほとんど貼られなかったが、北海道や九州ではペタペタ貼られた。それでもって北海道は15議席から2議席に、九州は30議席から3議席に激減、意外に知られていないが中国ブロックは12年に2議席に減り、14年も2議席のみ。四国ブロックも12年14年と続いて2議席のみ、北海道と九州は14年にはいくららか回復したのに、全くその兆しがみられない。つまり農山村地帯では自民党は大嘘ポスターで大勝利を収めている。もっともその大きな要因は、TPP推進などというとんでもないマニフェストを掲げた民主党にあるのだが。
 ところが、舌の根も乾かない13年の2月に訪米し、オバマ大統領と握手をし「聖域なき関税化というのは、交渉によっては例外もありうる」といって、しゃしゃあと交渉に参加している。そしてその時に突き付けられた国会決議(重要5品目は守る、ISDSは拒否する、日本の国民皆保険は守る)を、7月下旬のマウイ島の閣僚会議では、ことごとく反故にしているのが明らかになりつつある。米、牛肉、豚肉、乳製品でベタ折れなのだ。これだけの公約違反、すなわち不道徳をしておいて、TPP交渉を纏めようとしている。
 オバマ大統領は正直に、自分のレガシー(遺産)にしたいと言っているが、安倍首相はアベノミクスの三本の目の矢がさっぱりないので、TPPをその目玉にしようとし必死である。今や日本が一番前のめりである。嘘つきはどろぼうの始まりといわれるが、大嘘は不道徳のさえたるものである。

<東京オリンピックの大見得不道徳>
 2番目は東京オリンピック絡みである。リオデジャネイロのIOC総会で、「福島については、統制されております。東京にはいかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく。今後も及ぼすことはありません」と言い放った。その後の記者会見で質問した6人の記者のうち4人が汚染水漏れについて尋ねた。ところが安倍首相は大丈夫といってかわし、東京開催が決まっている。私も、オリンピックの久方振りの日本開催は嬉しいことなので、東京に誘致するためにはこのくらいの大見得はしかたがない、と書いたことがある。
 しかし、今は私は前言を改めたい気持ちになっている。福島の原発の状態は結構深刻ではないかと思えるからだ。
 チェルノブイリに2度行き、そのうち一度は石棺のすぐ近くまで行ったが、日本も石棺を造ったりして放射能漏れを防がなければいけないのではないか、事故原発の中の状態がどうなっているか分からない点では、福島はチェルノブイリより深刻なのではないかと心配が尽きない。
 それよりも何よりも、東京金町浄水場の水道水は、13年末3月23日には100㏃を超える放射性ヨウ素が検出されており、幼児が使用を控えなければならなかった。ところが安倍首相は桜井充参議院議員の質問に答えて、汚染水による影響が東京に及ぶことはないということで、間違ってはいないと強弁している。明らかに国際的にも嘘の上塗りをしているのである。いくら国威発揚のためとはいえいかがなものかと思う。やはり不道徳がすぎるのではないか。

<安保法制の姑息な不道徳>
 3番目は安保法制である。私は正々堂々と憲法改正をしていくのなら、普通の国になってもそれはそれで仕方がないと思う。日本国民が判断するのである。ところが、それを解釈改憲などといって、憲法改正の手続きを踏まずに大方針を変えるというのは、いかにも不道徳であり、あまりに姑息である。海外で武力行使していく途を開く法案だから「戦争法案」だという人もいる。ただ、日本は永らく軍事絡みの事は安全保障といってきたので、今回のとび抜けた法律はひどさを表すために戦争法案とこき下ろしても仕方ないと思う。しかし、さらに図に乗って「平和安全保障法案」というのはごまかし以外の何物でもない。
 こんなことは許されるべきではない。この件は今盛んに議論されているのでこれ以上付言しない。

<原発再稼働・輸出の無責任な不道徳>
 4番目は、原発絡みである。誰が安全と言っているのか。誰が再稼働していいと言っているのか。九州電力社長なのか、原子力規制委員会なのか、宮沢経済産業大臣なのか。あるいは安倍首相なのか。
世論調査では再稼働反対が多数を占め、九州電力のこの夏最大の消費量は90%に留まった。国民の大半は原発の安全性に大きな疑念を持っている。どうやってだれの責任で再稼働を決めたのか不明確なまま、川内原発は再稼働している。
 エネルギー基本計画でも、ベースロ-ド電源として原発が重要だとして2030年の電源構成を20%とした。40年の寿命を延ばさなかったら実現できない数字である。更に、もう一つのインチキが東芝の粉飾決算である。社内抗争とかいわれているが、ウェスティング・ハウス社との提携もあり、明らかに原発に関係している。つまり原発絡みは不道徳の連続なのだ。
 原発がらみでもう一つ重大な不道徳は、日本で新設が出来ない原発を外国にしゃあしゃあと輸出せんとしていることである。私はこのことに大反対し、党の方針に反し本会議採決を退席し処分を受けている。前国会の原発輸出のためのトルコとアラブ首長国連邦との原子力協定については、民主党以外の全野党が反対していた。そうした中、民主党の賛成は、国民に異様に見えたに違いない。原発のセールスマン日本が輸出先の安全よりも自国の金儲けを優先していることが見え見えで、恥ずべき無責任に極まれりの不道徳である。

<オリンピックを金儲けの道具にする>
 5番目は、やたら建設費がかさんでしまった新国立競技場である。これも原発再稼働同様誰が決めたのかさっぱり分からずに、工事費が膨れ上がっている。よくあることだが、オリンピック利権とか言われているようなのもがあるのかもしれない。人口も増えず、企業の設備投資も進まない中、64年来のオリンピックは関連業界にとっては、またとない稼ぎ時である。皆が国家の大事業にかこつけて金に糸目をつけない政府に付け込むのは目に見えている。
 しかし、流石に安保法制がらみで支持率が低下していることに恐れをなした安倍首相がようやく撤回した。国民の知らない水面下で繰り広げられた不透明な工事費の高騰は、日本ははからずもオリンピックのスタジアムを金儲けの対象としてしまう、不道徳な我利我利亡者振りを世界に、そして日本国民に示してしまったのである。
 余りに生々しいので言及はわずかにするが、エンブレムの変更という二重のチョンボも生じてしまった。やはり不道徳なことをしていると天は見逃してくれないようだ。

<オリンピックは仙台や大阪がよかったのではないか>
 私は、安倍内閣の一連の不道徳はこの際全て返上すべきだと思っている。1番の政策課題である安保法制はすみやかに廃案にする。TPPはアメリカにこれだけ翻弄されているのだから、交渉は止めて撤退する。原発も私はすぐにでもやめるべきだと思うが、百歩譲るとして、余程安全が確認されたものだけ例外的に再稼働し、40年ですべての廃炉にしていくことである。その代わりに再生エネルギーに全力を傾注すべきである。
 東京オリンピックは返上すべきではないかと言いたいところだが、ここまで進んだ以上もう後戻りも出来ない。残念なのは、なぜ大阪とか名古屋で開催しようとしなかったのか。地方を活性化しなければならない、東京一極集中がいけないと言っているのだから、国を挙げて被災地仙台という発想がないのだろうか。大阪も大阪都構想とかカジノにうだつをあげずに、オリンピックを大阪で開催し、関西の復権にもつなげたほうが、ずっと日本全体の活力アップにつながったはずである。

<日本の政治に最大の道徳を取り戻す>
 その代わり、日本の復興なかんずく福島原発の収拾にこそに全力をあげるべきだと思っている。今なお仮設住宅で暮らしを強いられている人が10万人近くいるし、福島第一原発の収束の見通しも立っていない。こういった時に、TPPだ、安保法制だ、原発の輸出だ、オリンピックだなどといっている余裕はない。被災者のことを考えたら、東日本大震災からの復興以上に大事な政策はない。
 何よりも政治は最高の道徳と言われており、その政治が不道徳なことをしていては支持率も下がって当然である。民主党を含め他の野党がこの安倍政権の不道徳をきちんと問いたださないことに私は歯ぎしりをしている。

2015年9月 1日

70年の高社郷集団自決者の慰霊法要-満州の地に向けて百名がふるさとを斉唱-15.09.01

 終戦記念日から10日後の8月25日、中野市東山公園の一角に建つ満州開拓者殉難慰霊塔前において、戦後70周年の慰霊法要が行われた。集団自決により絶命した五百余名の命日であるこの日は、高社郷同志会が慰霊の参拝を毎年続けてきたが、高齢化により年々参拝者が減少して、昨年はとうとう5人だけになっていた。
 しかし、今年は戦後70周年にちなみ次世代を担う地元の高校生約70名にも参加してもらい、当時の悲劇を語り継ぎ、平和追求への思いを若い世代に託すことができた。
 この間の経緯を若干記録として書き留めておきたい。
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<劣化した台座が陥没>
 慰霊塔は1950年に建立されたが、14年4月突然西側に傾いてしまった。建立された当時は物資も豊富ではなく、2tもの石碑を支える台座部分に十分なコンクリートは使われていなかったようだ。
 私が一昨年(13年)の参拝に参列した際に同行させたK秘書のところに、事務局長滝沢博義さんから慰霊塔が傾いてしまったという連絡が入った。「何としても今年(14年)の参拝に間に合うように修復工事ができないものか」との懇願があり、公園を管理する中野市をはじめ関係各所に修復工事の可能性を見出すためK秘書を走らせた。

<冷たいお役所と膨大な見積もり>
 役所では「東山公園の管理はしているものの、慰霊碑は当市の所有ではなく、修復をはじめ管理をしていた前例はない」としてあっさりと断られてしまう。そこで民間業者に工事を発注して、その費用を何らかの方法で捻出するしか方法がなくなり、複数の業者に相談するも、8月25日にはとても間に合わず、費用も400~500万円を要することがわかった。北満の地で無念の最期をとげられた御霊を思い、参拝を続けてこられた同志会の皆様の期待を裏切るような杜撰な工事はできない。

<篤志家の心意気で修復完了>
 そうした中、土建業に携わっている市川久芳さんが、「このような集団自決という悲劇の中を生き抜いて、命日には毎年集まり合掌する同志会の皆様に傾いたままの慰霊塔を見せられない」「工事は必ず8月25日までに仕上げる」「今は費用の心配をするな、後で一緒に考えよう」と即断即決され、修復工事がすぐに進められた。その結果8月25日の2週間も前に修復工事が完了した。
 慰霊塔の劣化は全国各地でみられるようで、読売新聞(15年6月10日)は、「794ヶ所管理不足」と伝えている。厚労省も1万3174ヶ所もある慰霊碑の実態を3年かけて調査するという。我々は、全国に先駆けて整備したことになる。
 ただ問題は、満州の地で一家全員が自決し、直系の子孫がほとんどいない特殊な慰霊碑をどうやって守っていくかが問題である。

<今でも薄れることのない同級生への思い>
 昨年の参加者のうち1人海野定男さんは、実はご遺族ではない。365日この慰霊塔の前まで歩き合掌、いわゆる日拝(にっぱい)をしているという。小学校の同級生2人(男1、女1)が、それぞれ家族全員で満州に渡った。終戦から暫くしても帰ってこない。高社郷の集団自決で同級生を2人も失ってしまったことについて知らされたのは、終戦からかなり先になってからのことであった。親しかった同級生への思いは今でも薄れることなく、ただただ日拝を続ける。だから慰霊塔の台座が陥没して傾いていることに誰よりも先に気付いた。

<70周年にちなみ70名の地元高校生>
 昨年の参拝を終えて、滝沢さんは「せっかく慰霊塔を修復してもらいながら、5人だけでの参拝になり申し訳ない」と言われた。しかし、申し訳ないのはこちらの方である。年々参拝者が少なくなっていくことを知りながら、我々後世代にはこの悲劇を次の世代に伝えていくという努力が足りなかったのだ。
 こうした折、また市川さん(14年秋に飯山市議になっている)から「この際、70年にちなんで次の世代を担う若者を70名呼ぼうではないか」という話が持ち上がった。そして地元の中野立志舘高等学校、中野西高等学校から、実際に約70名もの生徒が平和教育の一環として参加、更には引率の先生のみならず、校長先生にも参加していただいた。若い世代3人の代表も「これからもできるだけ体験者の話を聞いて、過去をしっかり受け止め、子孫たちに伝えていきたい」と心のこもった立派な挨拶で返してくれた。
今年の慰霊法要には昨年とうってかわって、関係市町村から来賓が参加した。また、これら全ての市町村の議員が実行委員として名を連ねた。

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<高山すみ子さんも車椅子参加>
 毎夏、静養のため軽井沢に来られる天皇・皇后両陛下は、満州から引き揚げた人々が関係した大日向地区を度々訪問されてきたが、戦後70年周年の切れ目の今年も訪問された。村の半分近くが満蒙開拓に行き、半分以上の者が満州で死亡している。 
 2人の子供を集団自決で失い、その後に現地から奇跡的な生還をされた『ノノさんになるんだよ』の著者、高山すみ子さんは、会場に着くなり「こんなにたくさんの若い人たちに参加してもらい嬉しい」と涙を流した。高山さんは先週まで入院していて、先日退院してきたばかりで、今年は車椅子での参加になった。

<滝沢さんのこらえられなかった涙>
 昨年私は長野市川中島町在住の滝沢さんのご自宅まで当時の話を伺うために訪問している。弟と妹を亡くし、思い出すだけでも辛く耐え難いであろう当時の記憶について、滝沢さんは涙も見せずにきちんと語ってくれた。聞いているこちらが涙をこらえるのに必死であった。
 故郷を思いながら二度と戻れなかった皆さんに、我々の声が届くように、満州の方を向いて、「故郷」を合唱した。私も遠い満州の地に届けといわんばかりに大声で歌った。「故郷」の合唱中に、無念の最後を遂げた同胞を思い出したのであろう、滝沢さんの目にも涙があった。

<来年もこの場所で>
 例年は滝沢さんの用意する供養饅頭を手に信州中野駅前の食堂まで移動し、ゆっくりと昔話をしてから散会になる。特に式次第と焼香が早く終わってしまった昨年は、到着が早すぎて駅前の食堂が開店しておらず、しばらく店内で待たされたほどだった。
 今年は寂しい昨年とはうって変わって滝沢さんも高社郷同志会の皆さんも多くの報道陣に囲まれて、なかなか歓談する時間に恵まれなかった。慰霊塔のある東山公園でそれぞれの皆さんがしばしの別れを惜しんだ。それぞれの帰途につく前に「お元気で。来年も必ずこの場所で会いましょう」と声をかけあい励まし合う姿だけはいつも一緒である。

<二度と同じ過ちを犯してはならない>
 私は今でも思う。たった一人でもいい。誰かが戦争が終わったことを知らせてくれたら、高社郷の集団自決という悲劇は防げていたはずである。特定秘密保護法で国の秘密を守るための処罰を強化する前に、国が必要な情報を国民に提供しないがために不利益がもたらされることにこそ処罰を強化しなくてはいけないのではないか、と私は直接安倍総理に質している(14年1月31日予算委員会)・(14年2月7日 篠原孝ブログ「高社郷集団自決の悲劇を繰り返さないために」)。
 しかし、今の我が国は安倍政権の暴走により集団的自衛権の行使までが容認されそうな事態に陥っている。国の犯した過去の大きな過ちによって、今もなお悲しみの涙を流している人が数え切れないというのに、この国はまたあらぬ方向に暴走を始めた。8月30日、国会周辺で10万人デモ、全国で100万人集会という反対の声が上がるのは当然のことである。
 国政を担う一人として、同じ悲劇を繰り返さぬために全力を尽くさねばならないと決意を新たにした。