<流れが止まった京大キャンパス>
この秋、久方ぶりに母校京大のキャンパスを訪れた。私の学生時代は、中国の漢字(簡略体)の立て看板があちこちにあり、建物にもペンキでスローガンが掲げられていた。私はというと先輩からただで譲り受けた愛車(といっても古自転車)に乗り、大学のちょっと北にある上終町の3畳の下宿を往復していた。
40数年前と比べ、自転車は皆新品ばかりで、前輪を固定する自転車置き場に整然と並んでいた。図書館の前には昔と同じように学生が群がっていたが、月日の流れを感じてじ~んと来るものがあった。
<京都ならではの縮小社会研究会>
しかし、私は感慨に浸っているわけにはいかなかった。丸一日かけて作成したレジメ(「環的中日本主義の勧め」)をもとに、「縮小社会研究会」で1時間講演をしなければならなかったからだ。
「縮小社会」などと言えば、それこそしみったれており通常は相手にされない。特に威勢のいいことばかりを並べ立てなければならない政治家にはとても受け入れられまい。そういう点、首都東京の喧騒から離れた京大だからこそ、まじめになって「縮小」について語り合えるのだろう。この研究会は全国的には知られていないが、2008年に松久寛京大名誉教授(振動土学)を代表に京大の博士(教授)の皆さんが中心となって結成したグループであり、それ以来地道に研究会を重ねてきている。先輩格のグループに「エントロピー学会」がある。名称は異なるが、目指すべき理想社会は全く同じである。
<農的小日本主義と縮小社会の類似性>
世間はまだ経済成長の夢を捨てきれずにいるが、資源は枯渇に近づきつつある上に環境上の制約もあり、成長路線を突っ走ることはできなくなっている。市場拡大も発展途上国に少し残されているが、それぞれに国が自ら必要なものを作り出している。日本がいつまでも加工貿易立国を続けられるはずがなく、低成長は当然のこととして、縮小も視野に入れて将来設計をしていかなければならない、というものである。詳しくは「縮小社会への道」( B&Tブックス 松久 寛編者)をお読みいただきたいが、こうした考えで本をまとめたのは私の方がずっと先であり、1985年「農的小日本主義の勧め」を上梓している。そして今回、同好の士ということで、私にお呼びがかかった次第である。
<世界の先達の警鐘>
こうした考えは、世界ではケネス・ホールディングの来たるべき宇宙船地球号、という考え方(1966)に始まり、「成長の限界」(ローマクラブ)(1972)、「Small is beautiful」(人間復興の経済)(フリードリッヒ・シューマッハー)(1973)、「沈黙の春」(ルイチェル・カーソン)(1974)、「ソフト・エネルギー・パス」(エイモリー・ロビンズ)(1979)、「エントロピーの法則」(ジェレミー・リフキン)(1980)、「西暦2000年の地球」(アメリカ国務省)(1980)と続いた。私も何となく世界がこのまま進んでいいのだろうかと漠然と考え始めていた。そして、これらの書物により、まんざら間違っていなかったと一安心した。
<気づいた日本の見識ある人々>
日本でいうと、「自動車の社会的費用」(宇沢弘文)(1974)、「エネルギーとエントロピーの経済学」「水土の経済学」(室田武)(1979・1982)、「人間復興の経済学」(小島慶三)、「石油文明の次は何か」(槌田敦)(1981)、「生命系のエコノミー」(玉野井芳郎)(1982)、「破滅にいたる工的くらし」(1983)、「未来へつなぐ農的くらし」「共生」(槌田劭)(1981-83)が同じ考えにより書かれている。今でこそ多少現実味をもって受け入れられるが、高度経済成長のまっただ中の1980年代では、とてもまともに相手にされなかった。
近年では、さすが感性の豊かな日本の若手も同様の主張をし始めた。「定常型社会」(広井良典)(2001)、「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫)(2014)、「里山資本主義」(藻谷浩介)(2015)といった人たちである。
1時間の講演の内容をここに再現するには紙数が足らない。そこで私のレジメのエキスをなぞる形で紹介するので、我々の考え方を読み取っていただきたい。
<食の世界の縮小社会化>
世界各地で農場と食卓の距離を短くする方向に動き始めている。TPPの下、日本の農産物を輸出すればよい、などとトンチンカンなことが言われているが、縮小社会では食料の貿易量は減らさなければならない。
- スローフード(イタリア)は、1986年北部の小さな町ブラに始まる。ファストフードに対抗したもので、世界中に広まっていった。
- 身土不二は、そもそも仏教で別の使われ方をしていたが、日本で大正時代から「地元の旬の食品や伝統食が身体に良い」という意味で使われ始めた。この考えが韓国に広がり、有機農業の標語として開花する。
- 英語を話せるインテリフランス農民ジョゼ・ボベは、マクドナルドを「多国籍企業による文化破壊の象徴」に見立てて、中部の小村ミヨーに建設中だった店舗を破壊した。以後、反グローバリズムの旗手と評されることになる。
- 1994年、イギリスの消費者運動家の旗手ティム・ラング教授がフードマイルを短くすることを提唱し出した。私が農林水産研究所所長時代に「フードマイレージ」(重量×距離:tkm)として発展させた。
- 地産地消、旬産旬消(Produce Locally、Consume Locally:Produce Seasonally、Consume Seasonally)は、私が地のもの旬のものを食べるとよいということを四字熟語にしただけのことである。今は世界に広まっている。
この延長線上でWood Mileage, Goods Mileage(韻を踏んでいる)を使い、環境の世紀には貿易量もなるべく少なくしたほうが良いという論拠にしている。これは自由貿易こそ世界の基本ルールと考える人には、狂った考えとしか映らないであろう。
<地産地消は縮小社会の理想を具現化>
- 農政:地域自給率が向上し、不耕作地(耕作放棄地)の有効活用ができる。
- 消費者:顔が見える範囲で安心、トレーサビリティ(追跡可能性)の確保される。
- 生産者:食べる人の顔が見えることは何よりの励み、高齢者の生きがいとなる。もちろん小遣い稼ぎにもなる。
- 環境:フードマイレージはゼロに近い。
- 地域経済:地域通貨(エコマネー)などいらない。
- 地域社会:食が結ぶ連帯感が醸成される。食と農の世界で縮小社会にピタリのもとなる。
<江戸時代は宇宙船地球号の考え方を実現していた>
縮小社会の根幹は既に江戸時代にみられた。日本江戸末期から明治にかけて日本に来た外国人(ペリー、ハリス、イザベラ・バート、モース、オルコック等)の多くが日本紀行文なり日記に、江戸期の日本の素晴らしさを記している。それを渡辺京二が『逝きし世の面影』という名著で紹介しているが、現在と比較列記してみるといかに日本が変わってしまったかが見えてくる。
- 皆が幸せそうで笑顔であったが、皆しかめ面になってしまった。
- 子どもを大切にしていたが、育児放棄や児童虐待の報道が絶えなくなる。
- あまり働かなかったが、形式上はワーカーホリックに陥ってしまった。
- お祭り好きは同じだが、大きな祭りだけが残り、町や村の祭りは消えつつある。
- 街や村も今もきれいだが、一昔前はもっときれいだったと思う。特に中山間地は、今は空き家と耕作放棄地だらけになってしまった。
- 金持ちの生活も簡素だったが、今はどの家庭も部屋にモノがあふれている。
- 余裕があり文化は贅沢だったが、今は経済優先、余裕がなくなりケチり始めている。
- 何事も器用だったが、だんだん失われつつある。
- 犯罪がなく安全な生活も、国際化の下過激化の傾向がある。
- 人口は安定(中期以降3000万人)していたが、明治以降急激に増え、今は減少期に入っている。
それから150年余、日本はうまく西洋方式を取り入れて今日に至っている。しかし、当時開国を迫り自分達の方式を押し付けんとした外交官たちの大半は、本音はこのおとぎのような国、日本に変わってほしくないと願っていたのであろう。
それを今、日本はTPPで日本の仕組みをかなぐり捨てて、日本的なるものを全て失おうとしているのだ。愚かとしか言いようがない。
<日本は分際をわきまえて生きるのが賢明>
成長主義という宗教に陥った人たちには、縮小とか小日本とかはとても受け入れられないのはよくわかる。しかし、軍事大国主義も経済大国主義も小国日本には分不相応であり、必ず破綻する。それを安倍政権は安保法制とやらで、また軍的拡大路線を取り戻そうとしている。公約の2%物価上昇も実績できないのに、アベノミクスはとうとうGDP600兆円というでたらめな目標を掲げ出した。福島第一後もまだ苦の夢を追っているのだ。
一方で、東芝やVWにみられるとおり、利益主義も破綻し出した。もう成長や拡大の果ての破滅を救う道は、縮小しか残されていないかもしれない。縮小研究会は大胆にも持続社会(ゼロ成長)をも一斉に飛び越して、マイナス成長(縮小社会)を目指している。誰もがこのままでは危ういと薄々気付きながら、まともに考えるのを避けてきたのである。
余計な物は造るなと財界人に言っても拒否するだろう。余計な物を買ったり使ったりするなと言っても、消費者はキョトンとするばかりである。
そこで私は「環的中日本主義」なる造語で中庸を得た生き方を説明しようと思って、このタイトルの講演をした。どこまでわかっていただいたかわからないが、同じ価値観を持つ人が徐々に増えていることは実感できた。
[講演レジメ(PDF)]
[講演資料(PDF)]