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2015年12月11日

野党統合で新党結成を急ぐべき -安倍政権打倒のために参議院選挙を勝ち抜く- 15.12.11

<欠席者から私に発言依頼があった両院議員総会>
 12月10日朝8:45より維新との統一会派問題で民主党の両院議員総会が開かれた。国会閉会中であり、もともと11日の金曜日の予定だったものが、1日早まり急に8:45になり、且つ10時から数委員会の閉会中審査があるので1時間という時間しか与えられていない。従って、出席者は半分に満たない60人だけ、私のもとには、もともと予定が入っていた上に、急な開催なので出られなくなったから、これだけは言ってくれというメールや電話が多数あった。そのため、私はメモに書き留めそのメモに則って発言した。かなりきつい発言なので、いつものとおりジョークを入れて柔らかめのトーンにすることを心掛けた。
 時間をあまりかけてはいけないので、すべてを言い尽くせなかったが、本報告では私の言いたかったことも加えて再録する。

<統一会派は賛成するも新党を急ぐべし>
 私は、今日はメモを基にして発言します。なぜかというと、今日は委任状の提出を求められましたが7~8人から迂回委任を受け(笑)、これを言ってくれあれを言ってくれと頼まれているので、忘れるといけないのでそうさせてもらいます(笑)。
 維新でも同じような手続きがあり、ほとんど反対がなかったようですけれども、私に委任してこられた人にも、野党統合に対する反対者は1人もいませんでした。だからといって執行部の皆さんに安心していいということではありません(笑)。タイミングが遅い。岡田代表がリーダーシップを発揮して、もっとビシバシスピード感を持ってやってほしい。前向きにやってほしいということです。結論を言うと、野党を結集し、新党の結成を急ぐべきだということです。
 私は、大敗北の節目の2012年12月19日の両院議員総会を思い出しています。その時も再スタートのために、党員・サポーターを巻き込み代表選挙をやるべきと意見を言いました。しかし、残念ながら実現せず、後に海江田降ろしにこの理屈(本格的代表選)が使われました。

<国民の期待の受け皿にならず>
 まず、統一会派で物足りない理由は、新鮮味がないことです。野党統一会派は、永田町辺りでしか意味がわからず、一般国民に何もアピールできません。国民の自民党に代わる政党という受け皿にはとてもなれないということです。
 次に、衆議院では92人、参議院では64人と勢力を大きくし国会論戦で政府を追い詰めるということですが、そんなことで国民が納得するでしょうか。政権を降りて3年、私も予算委員会をやらせていただいたことはありますが、いくら閣僚のスキャンダルを追求し、辞任に追い込んだとしても、支持率は上がるどころかむしろ下がっています。安倍政権が危険で見ていられないという人が多い中、7%と少しも改善は見られません。年金を攻めたりした頃の上り調子の政党ではないし、もういくら政府を追求しても支持率を上げることはできないのではないでしょうか。思い切った行動が必要なのです。

<拙い党運営・政権運営が招いた分裂>
 それから3番目、今回の統一会派は言ってみれば婚約で、婚約解消の可能性もあります。やはり結婚したので解消したらまずいという風にしなくてはいけないと思います。といっても今や平気で別れてしまったりしますが・・(笑)。それに対して、また分裂するのは嫌だ、だから党が一つになるには慎重にという話はありますが、それは党運営が拙かっただけであり、きちんとやれば避けられたのです。それを社会保障と税の一体改革の熾烈な議論の最中に、ひな壇の後ろの扉を開けて、執行部が突然逃げ出すといった信じ難い進め方をしていたから党が分裂したのです。3年3ヶ月政権運営・党運営の失敗を反省してもらわなければなりません。私は安倍首相が07年の失敗に学んでいろいろ改めているのに比べ、我が党は反省して改善する姿勢に欠けていると思います。
 例えば県連代表だから持ち上げるわけではないですが、北沢俊美安保調査会長は、見事に議論を尽くして安全保障という難しい問題を纏めています。そもそも政策・理念の一致といいますが、政治家の意見はまちまちで全員一致するなどありえません。私と岡田さんとは違うことのほうが多いですが(笑)、同じ党で仲良くやっています。

<党名変更は国民に不退転の決意を示すため>
 新党が必要な理由は簡単です。国民は暴走する安倍政権に代わりうる受け皿・責任野党を求めています。ところが民主党は3年3ヶ月のミスで信頼を完全に失っています。ひな壇にならんでいる銘柄議員の皆さんは、選挙基盤がしっかりしており、痛みを感じておられないかもしれませんが、比例区でやっと這い上がってきている人たちは、民主党ということで門前払いを受けています。私なども、「篠原さんも民主党でなければ名前を書いてやるのだけれどもな」と言われます。維新のために党名を変えると誤解している人もいるかもしれませんが、民主党が自ら過去の名を捨て、国民に対して主体的に不退転の決意を示していくべきなのです。
 代表はよく「看板を替えても中身を変えなければダメ」と言ってますが、看板ぐらい替えられなくてどうするのでしょうか。だからいくら参議院の候補者を募集しても、変わり映えのしない民主党に人が集まらないのが現実ではないでしょうか。このままでは1人区で勝てる見込みが立たないからです。

<死ぬ気で取り組む政権奪還>
 私はいつも建設的、具体的意見を述べてきましたが(笑)、今回もそうします。望むらくは年内に、遅くとも1月の党大会までに維新と水野賢一さんだけでなく、共産党を除く全野党に野党結集を呼びかけ新党を造るべきだと思います。12月7日の岡田・松野会談の後の記者会見を聞いても、松野代表はそのようなことを盛んに言っておられるのに岡田代表はつれない。しかしこの呼びかけは、松野維新代表でも志位共産党委員長でもなく、野党第一党の岡田民主党代表から言ってもらわなければなりません。影響力が段違いです。
 岡田代表も自民党から飛び出て非自民をずっと貫いている尊敬すべき信念の政治家です。20年経ち、羽田さん、鹿野さんが去り、今は衆議院ではたった1人、参議院で北沢さん、前田さん、増子さんの3人の計4人だけとなりました。もし岡田さんがそのまま自民党に留まっていたら、とっくに岡田総理が誕生していたのかもしれません。だから代表選の時に、このままでは死んでも死にきれないと決意を述べておられたはず。それは羽田(孜)さんの思いと同じです。やはり自民党から政権を奪還して岡田総理を実現していかなければなりません。

<反安保法制、反TPPで1人区を回る>
 今は、自民党の安保法制・TPPでの敵失が沢山あります。だからいいチャンスなのです。16年の参院選は32の1人区が勝負です。ここで勝って総選挙に結びつけねばなりません。
 そういう意味では、2007年に好例があります。小沢代表は農業者戸別所得補償に飛びつき、1人区をビール箱の上にのっかり〇〇村や〇〇町の農村地帯でマイクを握り続けたのです。そして、自民党は29の1人区で、群馬、福井、和歌山、山口、大分、鹿児島の6県しか勝てず、民主を中心とした野党が23勝したのです。この大敗北で安倍首相は秋の臨時国会で突然退陣したのです。国会論戦もさることながら今幹部が現場を回って、参議院選挙勝利のために一丸となってやっていかなければなりません。そのためには、岡田代表がリーダーシップを発揮し先頭にたって政権を奪還しなければなりません。以上終わります。

<その他の主な意見>
 野党統一会派に反対はなく、大半が新党を急げというものばかりだった。敬称略で紹介すると、古川元久「岡田代表のリーダーシップが必要」福田昭夫「政策で政権交代を狙うというが、イギリスの政権交代は2割が政策、8割が敵失である」、増子輝彦「参院選も大切だが、政権交代は衆院選であることを見据えるべき、質問だけでは勝てないので新党にすべし」鈴木貴子「落選議員が戦いやすい環境を作るべく新党が必要、もっと代表に喜怒哀楽の表情を明らかにしてやってほしい」(父上を念頭に置いたか?)等が述べられた。

<心機一転頑張るつもり>
 ただ残念ながら岡田代表の総括は、いつものとおり発言者に対する「喜」がほとんどなく、私の冗談に対し「私と篠原さんとはそんなに理念は違うわけではない」(笑)といって爆笑を誘ったぐらいで、幅拾い新党結成について触れなかった。思い起こすと、同僚議員の前で岡田さんとやりあうのは何回目かよく覚えていないぐらいだ。そろそろ卒業したいと思うが、どうもそうはいかないことが多い。
 我が民主党の2016年はまたまた前途多難な幕開けとなるが、心機一転がんばるつもりである。

2015年12月 7日

【TPP交渉の行方シリーズ50】雪深い中山間地域を放っておいていいのか -TPP対策は農業経営規模の拡大ではない- 15.12.07

<TPPはまだ署名も終わっていない>
 政府自民党は、TPPの影響試算をする前に対策を講じるとしている。これはTPP対策ではなく、もともとやらなければならないことをTPP対策と称しているにすぎず、それを証明するようなものだ。TPPは批准はおろか署名すらしていないのに、あたかも日本では成立したがごとくいわれ、マスコミは提灯記事を書いているが、世界はそうではない。
 特にアメリカでは、大統領候補は誰一人賛成せず、クリントン(民主党)、トランプ(共和党)等の有力大統領候補が押し並べて反対を表明している。署名は早くて2月上旬といわれており、国会に提出されて審議されるのはいつになるかわからない。

<私の北の過疎地へのえこひいき>
 私は、今国会が閉会中なので、ほぼ毎週末全国各地のTPPを心配する人たちの会合に講師として出かける一方、地道に支持者訪問やミニ集会といった地元活動を続けている。
私は、そもそも政治は弱者の方に目を向けるべきだと思っているので、選挙に出た当初から足が過疎地に向いた。選挙期間中も「大票田長野市が7割の有権者を占めるというのに、代議士は中野市をはじめ有権者数の少ない北の方にばかり行っている」と叱られたりもした。
 最初の当選後も、どういうことをしたらいいのかよくわからなかったので、最北の栄村から訪問し始めることにした。ただ、その頃の名簿は今と違って、1/5か1/6ぐらいしかなく、あっという間に終わってしまった。

<車が雪道に埋もれて悪戦苦闘>
 2004年末、雪が降る前に訪問しなければ、ということで、当時1人しかいなかった男性地元秘書と飯山地区の支持者訪問をしていた。野沢温泉村、木島平村とだんだん南に下り、飯山まで来ていた。しかし雪が降り始めると大変だった。雪に車が埋もれ、私が後ろから1人で全力で押し、タイヤが空転して掻いた雪で体中が真っ白になり、その場にヘタリ込んだ。助けてくれそうな車も通らず途方に暮れた。雪国の地元活動は、体力勝負なのだ。

<山間のえのき茸栽培農家>
 豪雪で知られる長野・新潟の県境の富倉地区にお邪魔した。まず相当廃屋があり、どこに人が住んでいるのかわからない。カーナビも過疎地を軽視して正確には働かない。そこで、片っ端から訪ね歩く以外になく、効率の悪いことを繰り返していた。もう人家はないと帰ろうとしていたところ、坂の上に小さな家が見えたのでそこへ行こうとしたところ、秘書が「この辺は人は住んでいないでしょう。また車がはまると困るので、ここから歩いて行ってください」と嫌がった。私は「煙がたっているから人が住んでるはずだ」と、70~80m歩き、辿り着いた。煙は炊飯の煙ではなく、えのき茸の栽培の際に発生する蒸気であった。

<温かく迎えてくれた老夫婦>
 「ごめんください」と言うと、地面に顔がつかんばかり直角に腰の曲がったおばあさんが「あれっ、篠原さん。こんな所まで来てくれて。お茶を飲んでいかっしゃい」ということになった。秘書を待たせていることが気になったが、寒かったので腰を下ろすことにした。するとそのおばあちゃんは「おらちのじいちゃんはもう耳が聞こえなくなっちまって、年をとっちまって困っちゃってるんださ」と言って、奥へご主人を呼びに行った。ご主人が来ると「代議士がこんな奥まで来てくれたのか」と耳の遠くなった人特有の大きな声で喜ばれた。
 まだ国会議員になって1年しかたっていなかった時である。「民主党の衆議院議員の篠原孝です」と名乗ると「どこの衆議院議員だい」と聞かれることが多かった。それをちゃんと認知されていたことに安堵した。おじいさんのほうは「篠原さん見てくんねえかい、うちのばあちゃんは、年がら年中お辞儀している。歳はとりたくねえもんだ」と言う。私は頬が緩んだ。お互いに自分のほうがしっかりしていると言わんばかりなのだが、仲睦まじくいたわり合うご夫婦であることが伝わってきた。

<中野市に移り住む息子>
 「えのき茸をやる人がいっぱいいたが、ホクトと雪国マイタケに押され皆やめていく。しかし、俺は死ぬまでこれをやるしかない」と嘆息をついた。元々は農家の冬の仕事として始められたえのき茸栽培である。ところが天候に左右されず、企業化できるので、二大きのこ産業が、中山間地域で一生懸命やっている農家の仕事を奪ってしまったのだ。そして、これが今も続いている。

<中野市に400人の富倉出身者>
 3~4mも積もる雪に耐えられず、多くの人が離村している。十余年前になるがその時既に集落の1/3は既に廃屋になっていたと思う。それから数年、中野市の支持者訪問をしていると、よく富倉で見た苗字に突き当たった。田舎では苗字でお里が知れる。そういえば、息子が新井(中野市田麦のすぐ近く)に住んでいるという人もいた。
 400名ほどが富倉から中野に移住し、市議会議員を1人出せるぐらいの勢力であるという。私が「それであれば是非出したらよいではないですか」と言うのに対して笑うだけだった。せっかく集落に溶け込んでいるのに、地元の人を出し抜いて、市議会議員を出すなどというのはご法度であり、そんなことはできないのだ。そこが大都会とは違うのである。

<適当な田舎の中野に住みつく>
 中野への県の北部からの移住者の職場がもっと南の須坂市や長野市が多いのに、何故かしら中野に居を構えている。理由を聞くと、長野だとあまりにも都会で違和感があるが、中野辺りだとちょうど飯山と同じような田舎の雰囲気があり心が落ち着くのだという。雪深い里に残してきた年老いた両親に何かあった時にすぐ駆けつけられるという事情もあった。それからもう一つ、自分が残してきた田んぼや畑に、時たま行って面倒を見る「出作」にもちょうどいいということもある。皆、親孝行で故郷想いなのであり、こうした人たちが地方を支えているのだ。

<中山間地域に政治の光をあてる>
 12月、北信濃はまた雪の季節を迎えている。今年は暖冬だとはいえ、また2m、3mの大雪に覆われることは間違いない。お互いに冗談を言いながら助け合って生きている老夫婦、必死で故郷の近くにしがみついて生きようとしている人たちの労苦に報いるのが政治ではないかと私は思っている。
 ところがTPP対策では規模拡大といったような絵空事にばかり関心が向けられ、こういった中山間地域は忘れ去られている。
 もう一つ私が悲しいのは、富倉峠の向こう側に柏崎刈羽原発というもっと恐ろしい脅威があるということである。政治が何とかしなければ、富倉に残って頑張っている人も中野市で富倉を背負って生きている人も浮かばれない。