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【TPP交渉の行方シリーズ50】雪深い中山間地域を放っておいていいのか -TPP対策は農業経営規模の拡大ではない- 15.12.07

<TPPはまだ署名も終わっていない>
 政府自民党は、TPPの影響試算をする前に対策を講じるとしている。これはTPP対策ではなく、もともとやらなければならないことをTPP対策と称しているにすぎず、それを証明するようなものだ。TPPは批准はおろか署名すらしていないのに、あたかも日本では成立したがごとくいわれ、マスコミは提灯記事を書いているが、世界はそうではない。
 特にアメリカでは、大統領候補は誰一人賛成せず、クリントン(民主党)、トランプ(共和党)等の有力大統領候補が押し並べて反対を表明している。署名は早くて2月上旬といわれており、国会に提出されて審議されるのはいつになるかわからない。

<私の北の過疎地へのえこひいき>
 私は、今国会が閉会中なので、ほぼ毎週末全国各地のTPPを心配する人たちの会合に講師として出かける一方、地道に支持者訪問やミニ集会といった地元活動を続けている。
私は、そもそも政治は弱者の方に目を向けるべきだと思っているので、選挙に出た当初から足が過疎地に向いた。選挙期間中も「大票田長野市が7割の有権者を占めるというのに、代議士は中野市をはじめ有権者数の少ない北の方にばかり行っている」と叱られたりもした。
 最初の当選後も、どういうことをしたらいいのかよくわからなかったので、最北の栄村から訪問し始めることにした。ただ、その頃の名簿は今と違って、1/5か1/6ぐらいしかなく、あっという間に終わってしまった。

<車が雪道に埋もれて悪戦苦闘>
 2004年末、雪が降る前に訪問しなければ、ということで、当時1人しかいなかった男性地元秘書と飯山地区の支持者訪問をしていた。野沢温泉村、木島平村とだんだん南に下り、飯山まで来ていた。しかし雪が降り始めると大変だった。雪に車が埋もれ、私が後ろから1人で全力で押し、タイヤが空転して掻いた雪で体中が真っ白になり、その場にヘタリ込んだ。助けてくれそうな車も通らず途方に暮れた。雪国の地元活動は、体力勝負なのだ。

<山間のえのき茸栽培農家>
 豪雪で知られる長野・新潟の県境の富倉地区にお邪魔した。まず相当廃屋があり、どこに人が住んでいるのかわからない。カーナビも過疎地を軽視して正確には働かない。そこで、片っ端から訪ね歩く以外になく、効率の悪いことを繰り返していた。もう人家はないと帰ろうとしていたところ、坂の上に小さな家が見えたのでそこへ行こうとしたところ、秘書が「この辺は人は住んでいないでしょう。また車がはまると困るので、ここから歩いて行ってください」と嫌がった。私は「煙がたっているから人が住んでるはずだ」と、70~80m歩き、辿り着いた。煙は炊飯の煙ではなく、えのき茸の栽培の際に発生する蒸気であった。

<温かく迎えてくれた老夫婦>
 「ごめんください」と言うと、地面に顔がつかんばかり直角に腰の曲がったおばあさんが「あれっ、篠原さん。こんな所まで来てくれて。お茶を飲んでいかっしゃい」ということになった。秘書を待たせていることが気になったが、寒かったので腰を下ろすことにした。するとそのおばあちゃんは「おらちのじいちゃんはもう耳が聞こえなくなっちまって、年をとっちまって困っちゃってるんださ」と言って、奥へご主人を呼びに行った。ご主人が来ると「代議士がこんな奥まで来てくれたのか」と耳の遠くなった人特有の大きな声で喜ばれた。
 まだ国会議員になって1年しかたっていなかった時である。「民主党の衆議院議員の篠原孝です」と名乗ると「どこの衆議院議員だい」と聞かれることが多かった。それをちゃんと認知されていたことに安堵した。おじいさんのほうは「篠原さん見てくんねえかい、うちのばあちゃんは、年がら年中お辞儀している。歳はとりたくねえもんだ」と言う。私は頬が緩んだ。お互いに自分のほうがしっかりしていると言わんばかりなのだが、仲睦まじくいたわり合うご夫婦であることが伝わってきた。

<中野市に移り住む息子>
 聞くところによると息子さんが中野市新井に住んでいるという。田んぼを隔てたところが私の出身地の田麦だと言うと、前以上に親近感を持っていただいた。
 「えのき茸をやる人がいっぱいいたが、ホクトと雪国マイタケに押され皆やめていく。しかし、俺は死ぬまでこれをやるしかない」と嘆息をついた。元々は農家の冬の仕事として始められたえのき茸栽培である。ところが天候に左右されず、企業化できるので、二大きのこ産業が、中山間地域で一生懸命やっている農家の仕事を奪ってしまったのだ。そして、これが今も続いている。

<中野市に400人の富倉出身者>
 3~4mも積もる雪に耐えられず、多くの人が離村している。十余年前になるがその時既に集落の1/3は既に廃屋になっていたと思う。それから数年、中野市の支持者訪問をしていると、よく富倉で見た苗字に突き当たった。田舎では苗字でお里が知れる。
 400名ほどが富倉から中野に移住し、市議会議員を1人出せるぐらいの勢力であるという。私が「それであれば是非出したらよいではないですか」と言うのに対して笑うだけだった。せっかく集落に溶け込んでいるのに、地元の人を出し抜いて、市議会議員を出すなどというのはご法度であり、そんなことはできないのだ。そこが大都会とは違うのである。

<適当な田舎の中野に住みつく>
 中野への県の北部からの移住者の職場がもっと南の須坂市や長野市が多いのに、何故かしら中野に居を構えている。理由を聞くと、長野だとあまりにも都会で違和感があるが、中野辺りだとちょうど飯山と同じような田舎の雰囲気があり心が落ち着くのだという。雪深い里に残してきた年老いた両親に何かあった時にすぐ駆けつけられるという事情もあった。それからもう一つ、自分が残してきた田んぼや畑に、時たま行って面倒を見る「出作」にもちょうどいいということもある。皆、親孝行で故郷想いなのであり、こうした人たちが地方を支えているのだ。

<中山間地域に政治の光をあてる>
 12月、北信濃はまた雪の季節を迎えている。今年は暖冬だとはいえ、また2m、3mの大雪に覆われることは間違いない。お互いに冗談を言いながら助け合って生きている老夫婦、必死で故郷の近くにしがみついて生きようとしている人たちの労苦に報いるのが政治ではないかと私は思っている。
 ところがTPP対策では規模拡大といったような絵空事にばかり関心が向けられ、こういった中山間地域は忘れ去られている。
 もう一つ私が悲しいのは、富倉峠の向こう側に柏崎刈羽原発というもっと恐ろしい脅威があるということである。政治が何とかしなければ、富倉に残って頑張っている人も中野市で富倉を背負って生きている人も浮かばれない。