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同じタカ派、中曽根と安倍の大きな違い-国家戦略ない安倍政権は危ういかぎり- 16.01.27

<中曽根元首相の提唱によるAPPF出張>
 1月14日から23日まで、アジア・太平洋議員フォーラム(APPF)への出席のためカナダのバンクーバーに出張した。国会は、参議院の補正予算審議が行われる1週間に当たり、衆議院はほとんどの会合がないため、国会開催中なのにゆっくり出張できるという仕組みである。
 中曽根康弘元首相(以下敬称略)が提唱して始めた会合であり、毎年日本から5名程度参加し、24回目を迎えている。当然私は初めての出席であるが、英語で議論しないとならないため、通訳がいるとはいえ英語ができる者のほうが望ましい。今まで私にこうした会合への出席の声がかかることはほとんどなかったが、民主党からは私1人だけ、自民党からは中曽根の秘書を長くやり、衆院5期、参院1期のベテラン柳本卓治氏、元外交官の山口壮氏(衆5)の2人、公明党角田秀穂氏(衆1)、参議院からもう一人田中茂氏(無所属)の計5人。

<珍しい2人の継続的対応>
 柳本氏は連続出席13回、田中氏は事務方とし第1回(1993年)からずっと参加しているという。日本にしては珍しく継続性のある対応がなされている会合だった。大体の国から2~5程参加し、今回で見ると各国から46本の議案が提案され、それをもとに4~5つの分科会(ワーキンググループ)に分かれて議論をし、最終的に27本の決議文が採択された。私は「中東和平プロセス」を担当し、議論に参画した。
 会議自体は、ぎすぎすしたものではなく、共通論議を持つために現下の課題について意見を言い合うことにより共通認識を持ち、友好を深めるといった類のものであり、議員外交の一つである。柳本・田中両氏は、中曽根の秘書を勤めた関係で、APPFの頼もしい常連だった。

<大勲位中曽根の大きな器>
 お二人から中曽根のことを書いた著書をいただき、行き帰りの飛行機の中で通読させてもらった。おぼろげながら知っていることも多かったが、改めて大勲位中曽根康弘の器の大きさを痛感した。
 中曽根は、世界平和研究所も設立している。連続当選20回、56年衆議院議員をやり、5年間首相を勤め、最後は小泉純一郎首相から比例区への転出を詰め寄られ、「政治的テロ」と怒りながら2003年85歳で引退、今97歳で健在である。
 三角大福中と称される派閥間抗争の果て、最後に首相となり、後述するように世界の首脳と対等に渡り合える大政治家となった。今、思い返してみると、最近のチャラチャラした首相と比べると圧倒的に存在感があった。
 以下同じタカ派の安倍首相(以下敬称略)と比べてみる。

<靖国参拝を自制した中曽根と虚勢を張る安倍>
 安倍は3世議員で、当選5回、戦後最年少の53歳で首相の座に就いた。それに対し、中曽根は群馬の材木屋の次男で、内務省、海軍を経て、戦後すぐ衆議院議員になったものの、同期の田中角栄の後塵を拝すこと10年、64歳になっていた。
 2人ともタカ派で、憲法改正を主張していたし、靖国神社への参拝にもこだわりをみせた。中曽根は1985年8月15日終戦記念日に、戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝した。中国ではこのことは大問題になった。ところが、翌86年からは、中国との関係も考慮して参拝しなかった。それに対して安倍は、アメリカや側近の静止にもかかわらず、再任1年目の2013年12月26日に突然参拝した。中曽根は胡耀邦総書記との友好関係もあったが、一国のトップとして日本外交の行末を考えての自制だった。安倍は、自らの趣味を全面に出し、中韓の関係を悪化させても平然としていた。私が、一昨年の予算委で近隣国と敵対関係になる点で、日本が「極東のイスラエル化」していると詰問した所以である。

<中曽根仕事師内閣と安倍お友達人事>
 閣僚人事も違いが極立つ。中曽根は、自分と安全保障観等が大きく異なり、派閥も違う田中派の重鎮後藤田正晴(内務省の先輩)を内閣の要・官房長官に据えた。つまり側近人事なりお友達人事などせず、仕事のできる者を閣僚に据えた。それに対して安倍は、第2次内閣の最初を除けば、自らの趣味でお友達人事を繰り返し、また女性登用とやらで国民の人気取りをしている。片や仕事師内閣、片や趣味の人気取り内閣である。

<百戦練磨の中曽根とキャリア不足の安倍>
 中曽根は、弱小派閥を率いてのし上がろうとしていたことから、政局をよく見ていたのだろう「風見鶏」と呼ばれた。そして鈴木善幸の後を受けてやっと首相になった。外相か蔵相のどちらか1回という首相の条件は満たしていなかったが、科学技術庁長官、運輸相、防衛庁長官、通産相、行政管理庁長官、自民党総務会長、同幹事長と豊富な経験があった。一方、当選回数の少ない安倍は省を抱える大臣はしたことがなく、小泉に取り立てられて官房長官をしただけである。政治的キャリアは雲泥の差がある。

<中曽根の財政再建とバラマキの安倍>
 政治手法も違っている。中曽根は、鈴木善幸の要請により土光敏夫第二臨調会長と二人三脚で行政改革に取り組み、国鉄民営化を成し遂げた。1982年に首相の座に就くと「増税なき財政再建」を貫き、予算編成も対前年増を認めないマイナスシーリングを継続した。今のような国の借金経営を潔しとしなかったのである。その結果、次の竹下登内閣では1990年15年振りに赤字公債に頼らない予算編成が実現できた。
その後、財政再建のため売上げ税の導入を試みたが国民の抵抗があり失敗し、次の竹下政権の消費税までおあずけになってしまった。しかし、これも中曽根が汗をかいたことが結実したのである。中曽根は、行政改革ばかりでなく財政改革にも真剣に取り組んだのである。
 それに対し、安倍は経済重視を謳い、三本の矢なる言葉で国民を欺きながら放漫財政に堕している。消費税の10%への増税を延期し、軽減税率の導入も決めている。さらに見苦しいのは、年始早々の補正予算の審議でもさんざん攻撃された、低所得者への3万円の臨時給付金である。これまた趣味の憲法改正に向けて参議院でも3分の2を得るための人気取り(バラマキ)政策である。国家の財政再建などどこ吹く風という無責任な政治を続けている。

<中曽根首脳大国外交と安倍の弱小国外遊>
 最も大きく異なるのは外交姿勢である。
 中曽根は、1983年1月早々日韓国国交正常化後初めて公式訪問、全斗換大統領と会談し40億ドルの経済協力を約束し両国関係を発展させた。中旬にはアメリカに赴き、レーガン大統領とは後々ロン・ヤス関係と呼ばれるきっかけを築き上げている。4月にはASEANにも飛び、アジア重視の日本の姿勢を明らかにしている。APPFはまさにこの延長線上にある。
 これに対し、安倍は中国と韓国の関係をこじらせ、アメリカともうまくいかず、TPPや安保法制でゴマをすりまくって、やっと日米同盟を維持しているにすぎない。地球儀俯瞰外交とやらで、とりたてて用事もない弱小国を訪問してはODAをばらまき、外交をしているつもりになっているだけである。
 中曽根はウイリアムズ・バーグサミットでも、その日本人離れした堂々とした体躯もあって他国の首脳と比べても見劣りせず、積極的に発言した。5年のうちにレーガンばかりでなく、ミッテラン、サッチャー、ゴルバチョフ等とも友好関係を造り上げ、日本の存在感を高めている。オバマに信頼されず、中間首脳に毛嫌いされる安倍とは格が違ったのである。

<憲法改正を封印した中曽根とこだわる安倍>
 一方中曽根は、若い時から何かとアメリカにおもねる吉田茂に対抗して憲法改正を叫んでいたが、首相の間はその時にあらずとして封印して臨んだ。
 国家を担うという姿勢が大きく違っていることがよく分かる。よく政治の劣化といわれるが、首相の劣化が特に著しい。それにもかかわらず、衆参ダブル選とか自民党総裁の任期延長(いずれも1986年)とか、安倍には中曽根を意識した政局対応が見受けられる。
 国家戦略を練りに練った上での中曽根と違い、安倍はやり方があまりにも姑息であり、日本を危うい方向に向けていくだけである。危険を感じざるをえない。