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親農派 野坂昭如氏の遺言 -戦争体験が風化し、食料がないがしろにされる風潮を憂う- 15.12.17

 私は、1982年に『21世紀は日本型農業で‐長続きしないアメリカ型農業』を書いてからは、農林水産省の役人としては珍しく黒子ではなく、表に出ざるを得なくなった。原稿や講演等を頼まれていた

<親農派三態>
 その時のレジメに親農派三態というものがある。農業に思いをはせて農業が大事だと言ってくれている外部の人たちを三分類したのだ。
 一つが、自然の法則から、つまり「地球の歴史」から見る人たち。エントロピー学派と呼ばれ、自然環境・国土資源の維持保全の観点から、国内の農業を振興すべきだと援軍をしてくれた。槌田敦(『地球文明の次は何か』)、槌田 劭(『未来につなぐ農的くらし』)、室田武(『水土の経済学』)、玉野井芳郎(『生命系のエコノミー』)。後に、「社会的共通資本」という概念を打ち出した宇沢弘文、室田泰裕、藤田祐幸等がこれにあたる。
 二番目は、「国家・民族の歴史」に注目する学者である。この人たちは、食料の安定供給というのを非常に大事にする。ヨーロッパ中世史の木村尚三郎、梅棹忠夫(『文明の生態史観』)、高坂正暁(『文明の衰亡するとき』)等が優れた文明論を展開し、国家存続のためにも、文明の維持のためにも農業が大切だと主張した。

<農業を愛した作家たち>
 三番目は、歴史というなら「人間の歴史」ともいえるが、要は物語を書く作家である。その筆頭に、野坂昭如、井上ひさしの2人が挙げられた。他に、深沢七郎、立松和平、今も存命中の方で挙げれば、倉本聰。他に詩人の山尾三省、谷川雁といった人たちである。芸術家というつながりでは、歌手の加藤登紀子、映画監督の山田洋次、作曲家の喜多郎などもいた。要は芸術家の感性で、物事の重要性を見抜く人たちである。
 いずれも経済合理性だけで引っ張られない、高い見識を持つ人たちである。

<辻井喬が理解した、私のアメリカ農業劣等論>
 先に他の人の話をしておくと、西武流通グループの代表 堤清二(辻井喬)もそのひとりであった。びっくりしたことに私の上記論文を読んでくれていたのであろう、どこかの他の新聞の対談の中に、「農林水産省の篠原孝さんが『アメリカの農業がいい農業であるはずがない』と言っている」と突然私の名前が出てきた。私は、「アメリカの農業が生み出すアメリカ料理というのは、とても立派な料理とは言えない。だからアメリカの農業こそ歪んでいるのだ。バラエティに富んだ味、新鮮さ、そして文化の香りがする日本料理を生み出している日本の農業の方がずっと健全だ」と主張していた。

<どれだけまずいか試してやろう食べ歩き旅行>
 辻井は文章のプロであり、私よりもっと的確な表現でアメリカの農業の問題点を指摘した。「アメリカのパーティーは願い下げだ。いつも同じ無味乾燥な同じ料理しか出てこない。旅行しても、地域の独特の食べ物がなく楽しみは半減してしまう。だからアメリカでは、『どれだけまずいか試してやろう食べ歩き旅行』しか出来ない」と断じている。言い得て妙である。財界人の中にあって、日本の地域に根差した農業と食を愛してやまなかった。

<朝日ジャーナルの激突討論>
 そうした中、私は朝日新聞の農政担当のベテラン辣腕記者の依頼で、朝日ジャーナルで当時華々しくデビューしていた経済学者の叶芳和と対談することとなった。「日本には500万の農家はいらない。50万の農家が10haずつ耕せばいいのだ」。それから4つの革命とか、いってみれば古典的な経済学の論理に則った農業論である。これが土光臨調の農業批判と相まって、もてはやされていた。私の農業論はそれと真っ向から対立するものと位置づけられた。

<どうしても対談に参加させろと要請した野坂昭如>
 今は廃刊になった朝日ジャーナルは、当時は粋な大学生やちょっと理屈をこねる人たちが、こぞってステータスシンボルとして持ちあるいていた。ところが問題が発生した。その対談にどうしても野坂昭如が参加させてほしいと言ってきたのだ。賢明な編集者は泣く泣く断っている。なぜかというと3人の対談になると、篠原・野坂対叶になることが明らかだからだ。
 1981年11月20日号に、『<激突討論>日本農業に未来はあるか 叶芳和VS篠原孝 「大きな農業」か「小さな農家」か』そしてその後に、『論争を読んで』ということで野坂のコメントが2頁ほど追加されている。
論争には参加せず、我々の原稿を読んで2頁のコメントを寄せたのである。野坂はしぶとく「論争には参加しなくていいが、多分大論争になるのでその場にいさせてくれ」と要望したそうである。私はそれだけ関心を持たれたことに感謝の気持ちでいっぱいだった。ところが、かのベテラン記者は、野坂が口を挟みたいのを我慢するのはあまりにもかわいそうなので、それも遠慮いただいたという。

<価値観が似たもの同士>
 野坂は『「食糧」と「食いもの」の違い』のタイトルの下、思いのたけを述べている。その一部を引用する。

「食糧」と「食いもの」の違い : 野坂昭如
 <前文略>国家的見地よりして、ものものしく述べる時、つい「食糧」という、軍隊用語にかも似たる、世間に馴染み難い言葉を使ってしまう。<略>われわれが、日本人の主食について考える時、どうも「食糧」派と「食いもの」派に分かれる傾向があるように思う。この対談でいえば、叶氏が前者で、篠原氏は後者。
<略>篠原氏の意見は、古めかしくいうなら、水とお天道様をなによりの恵みとして、農地を自由にさせる、耕したい者が耕し、その耕して得られた食いもので、島国に住む人間の、生活の大本を支えようというもの。<略>

<要は大地を守ることだ>
 ぼくは、極端なことをいうようだが、農産物の国際競争力を培う、即ち、自然と拮抗して、農業を営むよりも、日本の特別に恵まれた事情はあるにしろ、太陽と水をなによりのたよりとし、自然にできるだけ逆らわぬ、なごやかな農法を、外国に輸出すべきだろうと思う。<略>
 要は日本の大地を守ることであり、自然をこれ以上こわさないことだ。環境保全と農業は無関係じゃない。<後略>

<最後まで戦争と飢えと戦い続けた戦士>
 焼け跡で1歳の義理の妹を飢えで亡くし、少年院暮らしも経験している。埼玉に住みついてからは、自ら田んぼを耕していた。
 2003年に脳梗塞を患い、その後はずっと奥さんが口実筆記して原稿を書き続けたという。代表作は、アニメ、映画にもなった『火垂るの墓』であり、他に数々の文学賞を受賞している。参議院選挙に立候補したときも、「二度と飢えた子どもたちの顔を見たくない」ということで立候補した。典型的な戦中派、食糧難で困った世代である。
 野坂は、右傾化する日本を心配する一方、棄てられんとしている日本農業にエールを送り続けていた。作家として、ワイセツ裁判でも戦ったが、本当に戦い続けたのは戦争とそれによって引き起こされる飢えだったのかもしれない。私にとっては、野坂は数少ない、農を語れる文化人であり、かけがえのない人だった。

 一度野坂さんとお会いして、農業・食料についてとことん話ができたらなあと思っていたが、ついに叶わぬままお別れすることになってしまった。残念ながら今、作家で、これだけ農業に思い入れをもって発言してくれる人はいない。ご冥福を祈るばかりである。