« 2016年6月 | メイン | 2016年8月 »

2016年7月26日

反グローバリズムのはしりだった海洋法条約 -里地・里山・里海の日本型思想が持続社会を造る- 16.07.26

 参院選が終わったと思ったら、すぐ東京都知事選が始まり、秋には民進党の代表選、臨時国会が控えている。暑い夏が続き政治の世界も騒々しい。しかし、ちょっと違って、海の話題に触れてみたい。

<南シナ海を巡る海洋法裁判所の仲裁判決>
 南シナ海が中国の海洋進出で揺れている。7月12日の海洋法裁判所の仲裁では、中国が南シナ海に設定した九段線など中国の主張はほとんど認められなかった。中国は無視すると宣言し、ASEAN諸国との衝突の火種になり、米中激突の危険さえはらんでいる大問題である。海洋法条約第8部(第121条)は、排他的経済水域(EEZ)や大陸棚を持つ島か、人間の居住又は独自の経済的生活を維持できない岩かについて規定しているが、初めて客観的基準が示された。
 この岩の定義は、日本の沖ノ鳥島にも及んでくる。昔とった杵柄<1978年ワシントン大学法学修士・海洋法>で気になるところだが、もっと真剣に目を向けて考えなければならないのは、沿岸の海のあり方である。

<今や昔の遠洋漁業大国・日本>
 かつて日本は世界の海に出かけ、魚を獲りまくった。しかし、世界が魚を獲りまくる外国漁船に疑問を感じ始め、海の秩序について議論が始まった。そして1982年第3次国連海洋法会議で、ようやく採択された。
 日本も批准して海洋法条約が発効したのは今から20年前の1996年7月20日のことである。そして、この日が「海の日」の祝日と定められた。私は水産庁の企画課長(海洋法対策室長)としてこの条約の批准、そして排他的経済水域の設定、海洋生物資源の保護及び管理に関する法律をとり仕切った。

<海洋自由から海は「人類共有の財産」>
 海洋自由については、世界は貿易も人の交流も通信も何もかも「自由」を前面に出すルールが定着しつつある中、この時をもって閉鎖の時代に突入したのである。特に漁業の世界では、沿岸国の権利が絶対視され、200海里内の漁業の権利は一般的に沿岸国のものとされ、自由に漁業活動できるのは公海だけとなった。ところが、公海の漁業もサケ・マスは母川国の権利が重視され、マグロや鯨は資源保護の観点から制約がかかり、環境へのダメージが大きい流し網漁業等は禁止されることになった。つまり、航行の自由を除けば、制限される方向に舵取りしたのである。しかし、大半の人はこの変化には気付いていなかっただろう。
 海は誰のものかという議論は、結局資源は誰のものか、世界の国々を律する共通のルールという根源的な問題に行き着く。結論は、全てが人類共有の財産(Common Heritage of Mankind)であり、今や人間だけのものでなく、地球の全生物のものである、野放図に使わせないために沿岸国の管轄権を与えるというものである。つまり、各国の責任に任せられたのである。

<沿岸国に与えられた管轄権>
 漁業資源にしろ鉱物資源にしろ、開発能力がある先進国が勝手に使ってはならず、一義的な権利は沿岸国、大陸棚国にあることとされた。つまり、地元の皆さんに管理され、利用されるのが一番理に適っているということが決められたのである。
 しかし、この理屈は何も目新しいことではない。昔から利用している地元が有効活用できると改めてお墨付きを与えられただけのことである。つまり、自由競争に任せていたら、資源は枯渇し、環境が悪化する、それよりもずっと付き合ってきたし、今後もずっと付き合っていく沿岸国の住民の管理に任せるのがベストだ、という極めて真っ当な結論となったのである。
 これにより、世界の遠洋漁業は一変した。日本でも日魯漁業、大洋漁業、日本水産等の日本三大水産会社はこぞって世界の海から撤退を余儀なくされた。

<持続的漁業の好例は共同漁業権漁業>
 こうした中、世界の海洋生物資源管理学者から絶賛されたのが、日本の沿岸の漁協中心の漁業権漁業であり、日本漁民の自然との付き合い方である。世界の多くの国々で資源を枯渇させているのに、日本沿岸漁民は自らを律し、産卵期には漁をせず、禁漁期を設け、ずっと持続的漁業をしてきたのである。私が1976~8の2年間留学したワシントン大海洋総合研究所の授業の中では、今は当たり前の持続性(sustainability)が頻繁に登場し、資源管理の要諦は最大持続生産量(MSY:maximum sustainable yield)だと教えられた。
 私がぼやっと考えてきた疑問に答える理論であり、まさに「目から鱗」であった。以後の私の『農的小日本主義の勧め』という著作や、環境保全型農業、低成長型社会への転換といった考え方につながっている。アンチグローバリズムであり、成長至上主義への決別である。

<日本には当てはまらない「コモンズの悲劇」>
 漁業の世界では「コモンズの悲劇」が起っていた。生産能力が拡大し、こぞって魚を獲る先に待っていたのは乱獲であり、資源の枯渇である。皆の共通の資源、例えば空気を平気で汚し続けるような環境の悪化も、コモンズの悲劇の一種である。ところが、日本の自然と素直に向き合う姿勢は、漁業の世界でも「総有」(Commons)を生み出し、皆でルールを守って漁業を続けてきたのである。
 これも当たり前といえば当たり前である。外部の者は獲れるうちに獲って儲けようとするから、3年先や4年先のことなど考えずに乱獲する。枯渇したら外の漁場を探せばよいからだ。それに対し、沿岸漁民は、自分の地元の海にしか頼れないから丁寧に扱う。

<自然はすべて皆のもの、共有の財産>
 このことは、何も漁業に限ったことではない。農業にも林業にもそのまま充てはまる。日本では農地や土地の所有国が絶対視されているが、これもまた国のものであり、皆のものなのだ。西欧社会ではこれが徹底しており、勝手な転用など許されない。だから、パリ郊外の農地は昔のまま維持され、200~300年前の風景がそのまま残されている。

<ずれた宮城県知事>
 ところが、日本はこの原理・原則がまったく理解されず、逆の方向にばかり向かっている希有な国だ。
 宮城県知事が、こうした漁協がまとめてきた漁業権の真髄を踏みにじって企業に明け渡そうとしている。せっかく日本の周りの海から外国漁船を追い払ったというのに、地元とかけ離れた企業に漁業をやらせたら元の木阿弥である。企業漁業は世界中でやってきた一時的な利益に走る非持続的漁業を今度は自国で繰り返すことになるだけだからだ。

<流れ者が農地を荒らす>
 そして、農業の世界にも地の者でない企業の農業参入が画策されている。九州の農民作家、山下惣一の『タマネギ畑で涙して-タイ農村ふれあい紀行』(1990)を読んで、私も涙した。東南アジアに進出した日本の企業が、連作障害を知らない現地の農民に日本に輸出するタマネギを作らせ、数年経って森林は消え、農地が荒れて使いものにならなくなると、他の農村へ移っていくことが刻明に書かれている。残された農民が生きるすべを失う哀れな姿が目に浮かぶ。今、需要があるから作り儲ける。あとはどうなっても知らん顔。こんなことが許されていいはずがない。
 タイの農村で起きていることが、日本の農山漁村の行末と重なってくる。つまり、山下の6年後の著作のとおり『タイの田舎から日本が見える』(1996)のだ。日本の知恵で守ってきた持続的漁業や持続的農業が、時代遅れのグローバリズムや競争原理で壊されようとしているのである。

<イギリスのEUからの離脱も世界の潮流の一つ>
 イギリスのEUからの離脱は、専ら移民問題を中心に論じられている。しかし、イギリスの沿岸漁民は大喜びしているに違いない。EUの共通のEEZの中で、乱獲を繰り返す他国の漁船に歯ぎしりしていたからである。それよりも前にノルウェーは、漁業の共通水域を嫌ってEUには加盟していない。自分たちのことは自分たちで決めていく、独自性を保つ姿勢を貫いている。行きすぎた自由主義、グローバリズムの問題に早く気付いて方向転換したのは、実は漁業の世界だ。
 ノルウェーの見本があればこそ、イギリスもEUを離脱したのであり、ノルウェーは先輩国として、この動きを歓迎している。

<里地・里山・里海vs.経済至上主義>
 沿岸海域も農地も森林もそこに住んで生活している人以外に手を出させてはならない。そして今、日本では里地・里山・里海なる言葉が生まれている。
 この経緯をみれば、いかに宮城県知事や財界農政が目先の利益にだけに走り、長期的視点に欠けているかわかろうというものだ。

2016年7月14日

民進党は(東日本)農村政党に変貌を遂げた ―日本社会を壊すTPPと荒唐無稽な農協改革を阻止する― 16.07.14

[参院選 長野地方区 杉尾秀哉編]

 1人区になって初めての参議院選挙。民進党公認の杉尾秀哉候補(元TBSニュースキャスター)でいち早く野党共闘が成立し、全国注目の中、杉尾候補※(574,052票)が若林健太候補※(499,974票)に※74,078票の差をつけ当選した。中盤でのかなりの追い上げをかわし、1人区の民進党公認の中では第1位の得票率(52.5%)となった。野党側で1位は、山形の舟山康江(59.0%)だったことも嬉しいかぎりだ。
 投票率は前回比5.14ポイント増の62.86%と全国平均の54.70%を大幅に上回り、全国1位となった。有権者は激戦に引き込まれ、否が応でも関心が高まり、高投票率につながった。2009年の衆議院選挙は政権交代になると予想され、2位だった。これをみると長野県民は進取の精神に富んでいるのだろう。なお、前回よりの上昇幅は、同じく激戦で、田名部匡代が僅差(8052票)で勝利を収めた青森が9.06ポイントアップで、長野は第6位のアップ率だった。
※注【訂正とお詫び】
ブログ公開時に開票率100%以前の数字を掲載しておりました。上記のとおり訂正のうえお詫び申し上げます。

<3度の安倍総理応援を撥ね除ける>
 今回は異例尽くめの選挙となった。
 まず、安倍総理が3度も長野入りした。安倍総理は政策をほとんど語らず、民共共闘をなじり続けた。そして、「落下傘より健太さん」なる珍妙なフレーズを作り、選挙戦を次元の低い戦いにしてしまった。杉尾候補はそれに動じることなく、ジャーナリストとして培った明快な語り口調で、自らの理想の日本・社会像を述べ、実現のために今後の取り組むべき政策を語った。それが有権者の胸を打ったのだろう。淡々とまじめに進めた選挙戦の勝利である。
 安倍総理がしつこく長野県にこだわった理由の一つは野党共闘の粉砕である。16選挙区で無所属の野党共闘が成立したが、自公政権が恐れるのは、いわゆる長野モデルの民進党中心の野党結集である。これが衆院選にまで拡げられると、次の衆院選で一気に政権交代に進む可能性を秘めているからである。

<人気者小泉農林部会長の応援も打ち返す>
 安倍総理だけではない。今や政界の一番の人気者、小泉進次郎農林部会長も3回長野入りしている。二つ目の理由は若林健太参議院農林水産委員長を落とすわけにはいかないからである。農林水産委員長の落選は、長野県がTPPを拒否し、その延長線上で安倍政権にもNOを突き付けたことになるからである。これを避けたいがために長野入りしていた。

<信じ難い中傷ビラにもめげず>
 私は5回の国政選挙を経験したが、一度も中傷ビラなど見たことがない。それを今回、ニュースキャスター時代のことをあげつらう見苦しい中傷ビラが長野市内でも3回も配布された。このような汚い選挙は恥ずかしい限りである。特にこの手法が露骨に使われた2区(松本市など)で杉尾候補が差を広げたことからすると、中傷ビラはむしろマイナスに働いたようだ。

<賢明な長野県民の審判>
 賢明な長野県民は、総理の権力を振りかざした応援にも媚びず、人気者小泉農林部会長にも惑わされず、冷静な判断を下したことになる。安倍総理が応援に入った10激戦1人区のうち、自民が勝利したのは愛媛1県のみであり、政府与党の二枚看板の効果はほとんどなかったとみてよい。
 しかし、民進党は相変わらず低迷を続けており、野党共闘の岩手、山形、新潟、沖縄の無所属の4人をいれても35議席にすぎず、改選議席43には遠く及ばない。岡田代表が命運を共にすると宣言した三重県では辛うじて野党統一候補が勝利したが、全国的には明らかに敗北である。その結果、安倍総理が「信任を得た」と得意がることをまたしても許すことになってしまった。野党第1党の民進党の責任は重大である。

<自民党農政への不満が東北・甲信越の1人区の勝利と北海道の2議席獲得につながる>
 15年2月 16年夏の参院選における農政の争点化に備え、農協改革やTPPの不安のある農村向けに、全国の農協中央会への幹部の訪問を提案したが受け入れられなかった。またTPP反対の明確化を画策したが、なまくらなままに終わった。東北6県では、秋田を除き非自民が5勝している。山梨、長野、新潟でも3勝である。北海道では3議席中2議席を獲得した。西日本の1人区は大分(と三重)以外自民党が制している。
 農政問題が鍵を握っていた証拠である。何回も指摘しているが、2007年に小沢一郎代表の下農業者戸別所得補償を掲げて1人区23勝6敗の大勝利となり、09年の政権交代につながった。民進党がTPP・安倍農政への怒りに気付いて対応したら、32の1人区の半数以上を制し、07年に近い大勝利を挙げていたかもしれない。残念でならない。

<農村政党・民進党の誕生>
 民主党はかつて1区現象と呼ばれ、都市政党だった。今回も東京・愛知では2議席確保している。しかし、大阪と兵庫で議席を失い、千葉、埼玉、福岡の3人区と4人区の神奈川でも1議席のみで、07年にいずれも2議席を獲得したかつての面影はない。その意味では、少なくとも東日本では農村政党への衣替えが起こったのかもしれない。一方、自民党は2人区以上の地方区ですべて1議席は確保し、東京、千葉、神奈川の3人区以上では2議席を獲得しており、むしろ自民党こそ都市政党に変貌したのかもしれない。
 いずれにしても、民進党の再建のためには、農政に限らず、憲法改正、安保法制、格差、消費税、原発、社会保障等について、自・公に対抗する明確な方針が必要である。


[参院選 鎌谷一也比例区候補編]

<比例区票は伸びず>
 比例区は1175万票で11議席を獲得した。13年に比べ約400万票増え議席も4議席増えた。7月12日の毎日新聞の選挙分析結果によると、4党の比例代表の合計得票と32の野党共闘統一候補の得票を比較すると、28選挙区で候補者の得票が上回り、選挙協力は単純な足し算以上の効果を生んでいる。平均で21%に上回った。ということは、逆に21%比例区票が減っていたということであり、せっかくの1人区共闘が比例区に結びつかなかったことになる。
 私は、1人区の野党共闘を比例区でも、と野党統一比例名簿を求めてかなりのエネルギーを費やしたがこれも実現せずじまい。もし野党統一名簿が実現していれば、上記の相乗効果と与野党対決の構図が明らかとなり2000万票の大台も可能だったのではないか、と悔やまれる。
 私が選対本部長を務めた反TPPの鎌谷一也候補は民進党 候補の最下位(26,171票)の惨敗だった。日本農業新聞は、自民党公認候補と比較しながら、大きく取り上げてくれたにもかかわらず、大差をつけられてしまった。それ故私にはそもそも今回の選挙戦をあれこれ話す資格がないかもしれない。

<圧倒的な出遅れ>
 既存のブログで何度も触れたとおり、07年の小沢代表の指摘もあり、私は野党の比例区からも農民代表が出てもらわなければならないとずっと気になっていた。前述のとおり、農政の争点化の予感もあった。そして作秋には、鎌谷さんへのアプローチを始めていた。しかし、実現は4月下旬。遅すぎてしまった。比例区の候補は、大半は1年前から全国を回る選挙活動を始める。それを僅か2カ月ちょっとで戦い抜く突貫選挙になってしまった。

<名前を覚えてもらうには手間がかかる>
 比例区は政党名でも候補者名でも投票できるが、今回も74.8%が政党名を書き、個人名投票は4分の1にすぎなかった。このあおりを受けたのが、民進党公認の今候補者の中で最も遅い出馬表明(4月20日)となった鎌谷候補である。
 支持していても名前までいかず、大半の反TPP農民は民進党としか書かなかったに違いない。東北・甲信越の反TPPの野党に投じてくれた有権者が鎌谷一也の名前を知っていたらきっと名前を書いてくれただろうに、そうはいかなかった。比例区での名前の浸透には時間が必要なことを痛感した。
 私が懇請して出馬していただいた経緯もあり、すぐ全面的に支援する予定が、TPP特別委員会が4月いっぱい続き、5月は野党統一比例名簿の実現にかなりの時間を取られ、私は事前にほとんど支援活動ができなかった。

<得難い人材の働き場所>
 鎌谷候補ほど現場を知り尽くし、農政の知識も豊富な方は他の分野にもそうざらにいまい。TPPの危険性に当初から気付いて大反対している。そして何よりも全くズレた農協改革とやらが進められようとしている中、信連で金融担当20年、専門農協(鳥取県畜産農業協同組合)で20年の経験に基づいた見識を農政分野で活かしてほしいという、私の切なる願いがあった。TPPと荒唐無稽な農協改革が日本の安定的地域社会の基礎だった農村を壊すことが目に見えているからだ。
 しかし、民主党候補者の中で最下位に終わってしまった。鎌谷候補本人に対し、そして関係者の皆様方に本当にすまない気持ちでいっぱいである。参議院の比例区は本当に難しい選挙だというのが実感であり、いろいろ話すことはあるが、やはり、敗軍の参謀はあまり語ってはなるまい。ただただ反省するばかりである。

2016年7月 9日

参院選選挙活動報告 16.07.09

選挙活動が続き、机に向かって報告を書いている時間がなく、今日になってしまった。
この参院選に向け、私は三つの仕事をしていた。
一つは、比例区でも野党共闘すべく、小林節慶應大学名誉教授を中心にして、野党統一比例名簿の作成のため、汗をかいていた。しかし、これは結局実現せず、徒労に終わった。「国民怒りの声」もさっぱりマスコミが報じなくなり、この動きは止まってしまった。民進党が動かなかったからである。この件は今後の政権奪取への戦略上重要な教訓を秘めているのでまた別途まとめておくつもりだ。
二つ目は、長野の杉尾秀哉候補の応援。
三つ目は、私が選挙本部長を務める鎌谷一也比例区候補の応援である。
以下に6月には入ってからのものだけ時系列でまとめておく。

6/1(水) 通常国会閉会。
 ・両院議員総会。野党統一比例名簿の最後の動きをせんとするもできず。 <長野泊>

6/2(木) 小沢一郎意見交換 <東京泊>

6/3(金) 18:00 杉尾候補 長野駅前演説会
 18:30 杉尾候補 1区総決起集会(於メトロポリタン、ゲスト蓮舫) <長野泊>

6/4、5(土、日) 植樹祭(犀北館、Mウェーブ)  <長野泊>

6/8(水) 17:00 反TPPの農民代表鎌谷一也を国会に送る会(憲政記念館)
 ・山田正彦、鈴木宣弘等反TPP陣営勢揃い  <長野泊>

6/9(木) 1日中 鎌谷候補と長野県の農協回り(長野、上田、佐久、諏訪、伊那、木曽、飯田) <飯田泊>

6/10(金) 1日中 〃 (塩尻、飯山、山ノ内、中野、須坂)
 ・既に2日杉尾候補と農協回りをしており、合計4日費やす。
 17:30 農団労激励集会(JAビル) <長野泊>

6/13(月) 鎌谷候補と富山・石川・福井の農協回り、山崎一久・洋子夫妻訪問
 19:00 福井会合(民進党福井県連)
 ・富山駅で待ち合わせ、レンタカーを借り、鎌谷運転で2人で自民比例区候補を推薦している保守的な北陸各県を回る。
 ・東北と同じ米作県でTPPに不安を抱えながら自民に背を向け反発し、民進・野党候補が接戦をしている東北と比べ、北陸はなんと従順なのか。なぜ長野のようにならないのか。
 ・それにしても候補(予定者)が自ら運転して、選対本部長と2人だけの旅回り。他にこんな比例区候補はいないだろう。 <滋賀泊>

6/14(火) 鎌谷候補と滋賀の農協回り
 14:00 TPP学習会(アクティ近江八幡) <滋賀泊>

6/15(水) 篠原友人、知人に電話かけ、リーフレット送付
 ・全国後援会から農っぽい者150人に早々と鎌谷リーフレットを5部送付。過去の名刺交換した者の2000年以降から農っぽい者で自宅のわかる者数千人に鎌谷事務所のお姉さん達に手書きで宛名を書いていただき送付。ついに最後は面倒になったので全国後援会相手に送付。
 ・これより前に全農協(約800)と主要畜産関係団体に50部ずつ送付。選挙資金の大半は郵送代と印刷代で消えてゆく。 <鳥取泊>

6/16(木) 鎌谷候補と愛媛・香川・徳島の農協と全国農仲間回り
 ・徳島、高知の大西聡候補事務所に既に電話が20台以上設置されているのに感心。選挙に馴れていない鎌谷事務所と2人区のゴールデンシート選挙のままの杉尾事務所との差を実感。 <東京泊>

6/17(金) 18:00 鎌谷候補京都会合(キャンパスプラザ京都) <東京泊>

6/18(土) 15:30 福島「アベ政治は許さない」農民決起集会
 18:30 福島増子輝彦候補郡山決起集会
 ・途中で財布がなくなり大弱り。そういえば前回財布をなくしたのも飯山市長選の最中。前回は出てこなかったが、今回はお迎えいただいた車の中から出てくる。 <東京泊>

6/19(日) 14:00 鎌谷候補大決起集会(とりぎん文化会館) <東京泊>

6/20(月) 鎌谷候補と山形県の農協回り
 ・自民候補を推薦しない山形は、長野と同じく好意的。
 ・JC主催討論会に出席する。舟山候補と相手候補の力量の差は歴然。舟山勝利は近い、よかった。 <山形泊>

6/21(火) 篠原一人で山形庄内農協回り
 ・1982年以来の講演行脚で全国各地に友人がいるが、庄内にも多くいて、かつての農協青年部長が今や組合長、鎌谷・舟山よろしくの後は昔話も。 <長野泊>

6/22(水) 8:00 杉尾候補 出陣式(メトロポリタン)
 19:00 鎌谷候補 出陣式(鳥取いなば船岡支店)
 ・国会議員がおらず私が選対本部長を務める。鎌谷出陣式と長野地方区杉尾出陣式とのダブりを困っていたが、比例区は総務省で七つ道具をもらって飛行機で届けてからとのこと。私も運び人の一人となり、無事両方に出席。 <鳥取泊>

6/23(木) 鎌谷第2街宣車で島根の農協回り(神門出雲市議が案内) <出雲泊>

6/24(金) 鎌谷第2街宣車で島根の農協回り。米子で野党3党合同演説会を傍聴。
 ・福島浩彦鳥取島根合区候補と鎌谷候補とのセット選挙を提案するも、先方は乗ってこず。野党共闘もいろいろある。 <鳥取泊>

6/25(土) 夕方 滋賀 林久美子候補応援(3か所)
 ・今回選挙期間中の応援は2県のみであとは鎌谷に専心するつもりが、北沢県連代表から「杉尾危うし」の帰還要請。鎌谷陣営には私しか国会議員がおらず、やるべきことが多すぎて長野には当分帰れず。 <東京泊>

6/26(日) 18:00 杉尾個人演説会(古牧、芹田、大豆島、安茂里) <長野泊>

6/27(月) 鹿児島空港に降り立ち、鎌谷第2街宣車で鹿児島5区(森山農水相の選挙区)農協回り。えこふぁーむ訪問、宮崎へ。 <宮崎泊>

6/28(火) 宮崎の農協に鎌谷支持のお願い、6年前に付き合った市・町長も表敬 <宮崎泊>
 ・本当は事前に二人で回っておきたかったが、野党統一比例名簿根回しで永田町に張り付いていたため、告示後になってしまった。第2街宣車を大阪港からフェリーで宮崎港に行かせ、私が後から乗り込むことにした。
 ・それならば、森山農水相の地元もついでに回ることにし、27日(月)朝、鹿児島空港で小山展弘議員秘書と合流。ネットではオンボロ車が「ロシナンテ号」と名付けられて紹介される。県連の空いていた車を充てがったもので、高速道路でも90kmがせいぜい。今どきナビのない小さい車。
 ・島根も所狭しと自民党候補のポスターが貼ってあったが、鹿児島はそれ以上。
度が過ぎている。農業関係者は多分、腹わたが煮えくりかえっているだろうに、ここまで政権与党に忠誠を尽くすのは異様である。

6/29(水) 18:30 宮崎を終え大分入りし、農協回り <東京泊>
 ・宮崎は2010年夏、口蹄疫現地対策本部長として善政したことで畜産関係者にそこそこ知られることから、3日間街宣車共々あいさつ回りを思い立つ。
 ・夜は、農水省の同期で旧民主党衆議院議員になった川村秀三郎、そして井上紀代子県議と宮崎の牛肉と郷土料理をすっかり堪能。

6/30(木) 18:30 舟山康江個人演説会(山形鶴岡)、終了後JRで鶴岡から新潟へ。 <長野泊>
新潟から深夜(23:34~2:35)高速をとばして長野へ

7/1(金) 8:00 中野の荻原キノコ園で杉尾候補とともに朝礼 <長野泊>
 17:00 田城郁比例区候補の長野駅前街宣集会
 18:00 杉尾候補個人演説会(浅川、吉田、三輪)ゲスト辻本清美
 ・30日鶴岡泊の予定が、秘書の手違いから7月1日にどうしても出席しなくてはならない朝礼がセットされたため、徹夜に近い強行軍。その後も辻本清美ゲストも加えた街宣が入っていたが、午後3時頃まで休ませてもらう。

7/2(土) 電話かけの1日 <長野泊>

7/3(日) 比例区街宣車で長野市内街宣。夕方電話かけ <長野泊>

7/4(月) 鎌谷第2街宣車と比例区車の2台で1区の農村部を街宣 <長野泊>
 ・オンボロの鎌谷街宣車が長野に来るのは無理なので、4、5、6日の3日間のために長野で街宣車を新しく借りる。看板はロシナンテ号と全く同じで高くつく。
・福島伸享衆議院秘書が鳥取から戻る途中に、標記(七つ道具)を長野に届けてもらうというリレー。これまた大変な労力。
  
7/5(火) 鎌谷第2街宣車と比例区車の2台で1区の農村部で街宣 <長野泊>

7/6(水) 〃 夕刻、杉尾街宣車とともに市内街宣 <東京泊>
 18:00 杉尾個人演説会(松代、更北、川中島、篠ノ井)
 ・杉尾車とダブルで1区内を街宣と思いきや、他の選挙区に割り振ったため、調整できないとして、6日夕刻1時間半だけしか一緒にできず。

7/7(木) 朝一便で鳥取に標記(七つ道具)を届ける <鳥取泊>
 18:00 鎌谷個人演説会(智頭、用瀬)


今回の選挙は、誤算続きだった。
第一は、野党統一比例名簿ができなかったこと。第二にかなりリードしていたはずの杉尾候補が大変な追い上げをくらったこと。安倍総理と小泉進次郎農林部会長の自民党の二枚看板が、3回も長野入り、大接戦になっている。私は、周りに電話かけしかないと命じ、自らも電話かけの最中である。
このため、出遅れた鎌谷応援を十分にするはずが、結局長野に10日近くいる羽目になってしまった。ただ7月4日、日本農業新聞が6段抜きで鎌谷候補と自民党の公認候補と対比して大きく扱ってくれたことが嬉しかった。私は農協回りの時に、いつも農民・農村・農協代表は多いほうがよく、2人揃って当選させてほしい、と頼んで歩いた。それがまさに紙面に実現したことである。
 あとは7月10日の審判を待つだけである。