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2016年9月29日

【TPP交渉の行方シリーズ59】世界文化遺産・和食は日本農業が生み出したもの‐TPPで効率一点張りのアメリカ農産物に席巻されてはたまらない‐16.09.29

 前回、民進党代表選に絡み、もう一つ短いブログを書くと予告したが、蓮舫が圧勝し、野田幹事長指名で、民進党の中は少々混乱しながら・・・、いや少々ではない、大混乱をしながらスタートしているので、この点については論評するのは差し控えたい。
 この臨時国会は、いつもの重要案件として補正予算のほかに、天皇の生前退位にともなう皇室典範の改正問題もあるが、やはり図抜けて大きいのはTPPの承認案件である。

<TPP特委の筆頭理事拝命>
 私は前通常国会でもTPP対策特別委員会委員にはなっていたが、諸般の事情によりたった1回30分しか質問せず、尻切れトンボに終わった。西川公也委員長の暴露本とか、情報公開しない黒塗り資料(ノリ弁当と称される)とかばかりで、なぜ内容の審議をしないのだという苦情も寄せられた。しかし、結果的に承認されず継続審議となった。
 今国会では私が筆頭理事となった。つまり、今まで以上にTPPの行方に大きく関わっているのだ。「TPPを慎重に考える会」の会長として先頭に立って反対してきた私の筆頭理事就任で、民進党もやっと本腰を入れて反対する姿勢を鮮明にした、と報じているマスコミもある。
 ところが、今まで何とかしのいできたのに、私が筆頭理事の時に通されてしまったとなると、私の力不足ということにもなりかねない。そんな濡れ衣を着せられないためにも、きちんと対応していきたいと思っている。

<妥協の産物SBSに生じた調整金問題>
 そうした矢先、一般の国民の皆さんにはなじみが薄いがSBS (Simultaneous Buy and Sell、売買同時入札)による米取引でとんでもない事実が明らかになった。ウルグアイラウンドの結果77万トンのミニマム・アクセス米を外国から輸入しなくてはならなくなったが、そのうちの10万トンは輸入業者(商社)と買受資格者(卸業者)がペアで申込むことになっている。それを指して同時(Simultaneous)と言っている。
 これは、TPPにも絡んで大問題となる。「コメは守った」「国産米以下に安く販売させない」「同量は備蓄米にする」と言っておきながら、7万8,400トンを米国と豪州からSBSで購入するということが決められている。そうすると、外国産米に引っ張られて国産のコメの価格が更に下落することは明らかである。影響が「ゼロ」だと言っている試算もやり直さなければならない。これを放置しておくと米の価格はどんどん下がり、日本の農業はガタガタと崩れていく可能性がある。まさに蟻の一穴となるおそれがある。(これについてはややこしいので別途報告する)

<農業の究極の目標>
 政府も財界も、TPPに備えるのに農産物を少しでも安くということで、効率一点張りのアメリカ型農業を推進して、規模拡大とばかりいっている。小泉進次郎農林部会長は、若さを活かして現場に出かけている点は立派だが、どうも市場メカニズムに任せれば日本農業が強くなると勘違いしているのではないかと心配である。
 私は、役人時代(30代前半)に、アメリカ型農業は資源収奪型で長続きしないと否定し、21世紀は労働生産性を重視する日本型農業が生き残ると論文を書いた。その結果、少々普通の役人の道を踏み外すことになってしまった。
 私の主張は、農業の役割とは何かをよく考えれば、おのずと行き着く結論である。農業は、消費者により良いものを提供することが一番重要である。良いものには安全なもの、おいしいもの、安いものも含まれる。日本の消費者が安さばかりを気にしているとはとても思えない。農業の究極的目標は、健康的な食事を提供することである。

<アメリカの農業は問題だらけ>
 そういった観点からすると世界のおいしい料理は、日本、フランス、中国等である。どこのグルメ本を見ても、アメリカ料理はうまいとか、気の利いたアメリカ料理のレストラン、といった記載は見当たらない。アメリカ農業は規模拡大ばかりで、食の安全性もほったらかしにし、農薬や化学肥料を使い、はたまた地下の化石水を使って今だけの生産量を高めている。地下の化石水がなくなってしまったら灌漑排水ができなくなり、毛細管現象で塩が吹き出し、二度と作物のできない土地が増えてくる。
 今だけ、金だけ、自分だけというのが典型的なアメリカ農業である。私はこれを鉱業的農業(Mining-like Agriculture)と呼んだ。将来の世代のことも消費者のこともあまり考えていない。

<食の安全より長持ちを優先>
 収穫してからもメチャクチャである。リンゴはガス冷蔵させ、いつでも見せかけの新鮮さを保てるようになっている。スーパーに並べて何日もきれいにみせるためポストハーベスト農薬には際限がない。パリ滞在の3年間で、あちこちのコメを食べてみたが、我が家ではアメリカ米は全く使わなくなった。イタリア米もフランス米もスペイン米も皆コクゾウムシが湧いてくるのに、カルフォルニア米だけはいつまでも虫が湧いてこなかったからだ。この格差はポストハーベスト農薬の差から生じている。虫に悪いものは、程度の差こそあれ、人間にも悪いに決まっている。

<化学的農業で「沈黙の秋」の訪れも間近か>
 もっと悪口を言わせてもらえば、食の安全がなっていない。いまだにO-157が問題になるぐらい衛生面では遅れている。こちらは改善すればいいのでまだいいとして、問題は、その恐ろしい化学的農業、工業的農業振りである。
 農薬は空から撒いてそれこそ一網打尽、害虫だけでなくすべての昆虫を殺してしまう。太平洋の流し網漁業は目指す魚だけでなく、海鳥や海亀まで殺すと禁止された。それなら、大平原の生き物全体を死に追いやる空中農薬散布や除草剤の使用こそ禁止すべきだが、全くそうした動きは見られない。生物多様性も何もあったものではない。これでは「沈黙の春」が来てもおかしくない。そこにもってきて、またネオニコチノイド系農薬で、ミツバチが減っている。虫媒により実るトウモロコシや菜種は種を作れず、収穫ゼロの「沈黙の秋」がいつ訪れるかもしれない。

<家畜の世界のドーピング競争>
 人の手がより多く加わった畜産はもっと壊滅的である。成長ホルモンでやたら太らせ、乳量も増やす。人間は筋肉増強等のドーピングが禁止され、オリンピックの出場も禁止されているが、家畜の世界はドーピング競争(?)真っ盛りである。こんなまがい物を食べていては、我々の体が蝕まれるばかりである。抗生物質もふんだんに使われ、その肉を食べた人間は、いざという時に効かなくなる恐れもある。
 その乱れたアメリカ農業が生み出した食がアメリカ料理として世間に受け入れられていないということは、アメリカ農業が根本的に間違っている証拠ではないか。

<日本型農業・和食の普遍性>
 その逆が和食である。数多い料理人の皆さんには悪いが、料理の良し悪しは半分以上素材の良し悪しで決まる。より良い素材、すなわち食材を提供しているのが、日本農業なのだ。丹精込めて作った日本の野菜、果物であり、コメ、つまり質のいい食材。その上に和食は成り立っているのである。つまりは日本型農業のほうがアメリカ型農業より優れており、世界に広まる普遍性があるということだ。
 持続的農業(Sustainable Agriculture)の一つの見本が、篤農家が先祖伝来の農地で、慈しみ育てる日本型農業であり、永続的農業(Permaculture)と呼んでしかるべきものである。ところが、これに当の日本が気付いていない。

<思わぬ詩人の援軍>
 このアメリカ型農業と日本型農業の比較をしている私の文章を読んで、もっと的確な言葉で表現してくれたのが、今は亡き堤清二(詩人:辻井喬)氏である。「農林水産省の篠原さんが書いたとおり、あの無味乾燥なアメリカ食しか生み出せないアメリカ農業は絶対に良いとは思えない」と味方をしてくれた。「自分は旅が好きで、アメリカは気軽に行ける国だ。ただ、旅の楽しみの半分以上はその地域のおいしいものを味わうことである。しかし、アメリカのアイダホ州は芋の産地でも、芋料理があるわけでもない。中西部に延々と続くトウモロコシ畑があっても、うまいトウモロコシ料理があるわけでもない。その意味ではアメリカは悲惨な国である。『どれだけまずいか試してやろう』的な食べ歩き旅行しかできない、と嫌味を言い放った。だから、篠原さんが言う日本型農業のほうが健全で、世界的普遍性があるということに共感を覚える」と対談番組で述べていた。
 さすが詩人、私よりもわかりやすいどぎつい表現が得意である。

<TPPこそ安保法制・憲法改悪より危険>
 「どれだけまずいか試してやろう」的な食べ歩きに対し、日本は地域ごとに特産物がある。これをワンパターンの効率一点張りのものになっていったら、地域特産物は次々に消えていってしまう。このことが全くわかっていない。TPPは日本の町の風景も変え、似た風景ばかりのアメリカの町と同じにしてしまうのだ。
 因果関係を立証するのはむずかしいが、昔はそれほどなかったアトピーや発達障害が激増している。化学的農業の蔓延と無縁ではないのではないかと思う。安倍首相は、やたら日本人の命を守るためと称して安全保障に熱心である。その一方で、TPPで日本農業を壊し、食の安全を度外視してアメリカ産の農産物を食べさせられたら、それこそ日本人の命が危ないことをわかっているのであろうか。
 こういったことを考えると、まさにTPPには大反対せざるを得ない。何度も言っているが、TPPは日本の農業を崩壊させるだけでなく、日本の社会やシステムを全てガタガタにし、安保法制や憲法改正以上に危険なものである。この秋の臨時国会は、TPPを絶対に阻止することに全力を挙げていくつもりである。

2016年9月14日

二重国籍であることが判明した今は、潔く代表選は辞退すべし ‐説明が二転三転は代表候補者として失格‐ 16.09.14

 私は、蓮舫の二重国籍問題が取沙汰されて以来、大きな問題にならなければよいが、とずっと心配し続けてきた。9月7日は、長野の三候補揃いの集会ももともと前原候補のために設営した会に、肝心の前原来ず、玉木一人の参加となった。かつその玉木が長野駅前街宣をさせてもらえないというとんでもない愚かなことが起きていた。
 しかし、それよりも何よりも本件が気になり、蓮舫本人にきちんと対応しているのかと念を押した。前日の6日に台湾籍の放棄手続きを行っていたこともあり、いつもの笑顔で決着済みと答えていた。
 ところが、私の懸念していた通り何一つ解決していないので、週末に時間をかけてまとめたブログ案を、9月12日には蓮舫に届けている。事を穏便にすませるため、代表選を辞退してほしかったからである。しかし、翌日台湾当局から台湾籍が残っていると連絡があったことを受け、緊急で記者会見が開かれたが、ちょっと謝っただけですましている。私には到底理解できないことである。かくなる上は、やはり私の考えをこのブログ・メルマガで明らかにしないとならない。9月12日版を一部修正してお届けする。
 なお、私は前原議員の推薦人になっており、それ故に蓮舫に代表選辞退を迫っていると勘違いされる向きもあるが、そのような狭い了見では全くない。この点は引き続き短い第2段も続けて書くので、併せてお読みいただきたい。

【9月12日版より】
<危うい祖国を持つアグネス・チャンの子への想い>
 私は20代の頃、香港生まれでたどたどしい日本語を話し歌うアグネス・チャンのファンであった。1976年から2年間、アメリカに留学させてもらったが、ちょうど同じ頃、彼女がカナダのトロント大学にいたと記憶している。
 日本で活躍する彼女はその後日本人と結婚したが、3人の子供は、それぞれ生地主義で国籍が得られるカナダ、アメリカ、香港で出産している。いつなくなってしまうかもしれない危うい香港が母国であり、子供にいざという時に備えて国籍を2つ持たせていたのだと解説されていた。アグネス・チャン自身は、英国国民(海外)という国籍である。
 日本のように平和な国では考えられないことである。私は子を想う母の気遣いに感心した。

<蓮舫の父の祖国への想いを理解>
 ここからは推測である。
 蓮舫の父、謝哲信は日本でビジネスをして成功したのだろう。しかし、台湾は複雑な位置づけの国(地域)であり、日本も国としては認めていない。その点ではアグネス・チャンの故国(地域)の香港よりもっと複雑である。いつ中国に併合されるかもしれないし、いつ戦乱に巻き込まれるかもしれないと、子供たちの将来に想いを巡らせていたに違いない。
 それが、1985年1月1日から母親が日本人なら日本国籍が与えられることになった。平和な国、日本の国籍を我が子にも授かろうとするのは、自然の成り行きである。報道されているとおり、17歳の蓮舫は父親と台湾の駐日代表処に赴き、母親、斉藤桂子の娘として斉藤蓮舫という日本国籍を得て台湾籍放棄の手続きを行ったと蓮舫は理解していたらしい。
 これなら、父親が自分の祖国への想いも断ち難く、いつか成功した暁に祖国への帰国も念頭に、内緒で娘の蓮舫にも祖国の国籍を残しておいたとしても不思議はなく、責められるべきではない。アグネス・チャン同様に危うい祖国を持つ国の人たちの不安な気持ちは、一般の日本人には到底理解できないだろう。

<民進党代表選出馬故の二重国籍問題>
 日本の国籍法は、「外国国籍を喪失していない場合は、外国国籍の離脱の努力をすること」という努力義務にとどまっている。また日本の役所では当事者が外国国籍をもっているかを確認するのは難しい。従って日本に二重国籍者は多くいるが、普通の人では二重国籍が何だかんだと問題にされることはそれほどあるまい。蓮舫が国会議員となり野党第一党の党首選にまで出馬したため、二重国籍ではないかとの問題が俄然クローズアップされてしまったのだ。

<アメリカ大統領の国籍条件>
 アメリカ大統領は、出生によるアメリカ合衆国市民権保持者(①国内で出生して生地主義に基づいて国籍を得た者、あるいは②合衆国市民を両親として海外で出生した者)、つまり、生まれた瞬間から米国籍を持っていたことが必要であり、移民で帰化した者はなれないのだ。シュワルツェッガーは、カルフォルニア州知事の後、大統領選への出馬の声がかかりかけたが、オーストリア生まれの帰化アメリカ人だったため、すぐに立ち消えになった。従って、アメリカなら蓮舫は大統領になる資格がない。
 アメリカ大統領選になると国籍問題が続出する。2008年の大統領選の時は、オバマの出生について、共和党がテッド・クルーズを中心に攻撃した。ところが因果は巡り、今度は共和党の大統領候補の予備選でトランプから、クルーズがカナダのカルガリーでアメリカ人の母と亡命キューバ人の父の間に生まれたことが問題にされ、2014年5月、カナダ市民権を放棄している。

<国政政治家に二重国籍は認めるべきではない>
 日本の場合は、帰化して日本国籍をとれば国会議員に立候補でき、国会議員になれば、内閣総理大臣になる資格がある。ところが二重国籍については禁止されておらず、一般的な努力義務として、他国の国籍は放棄・離脱すべきとされているだけである。
 政治献金に関しては、外国籍の者からの寄附は禁止されている。前原誠司は外相当時、昔なじみの韓国焼き肉店主からの5万円の献金(5年間)で政治資金規正法違反に問われ、外相を辞任している。
 議院内閣制のもと、与党の国会議員は内閣入りし、一時的に国家公務員となる。総理大臣、外務大臣はもちろん、外交問題を抱えない大臣などいないのだから、内閣入りした者に二重国籍を認めてはなるまい。そして、国会議員は野党議員といえどもいつ政権交代するかもしれず、いつ何時、内閣入りするかもしれないのだから、二重国籍は認めないのが筋であろう。その前に議員外交もある。日本の法律には不備がある。国会議員に二重国籍を認めないよう即刻規定する必要がある。

<民進党幹部は総力を挙げて対応すべし>
 2004年、菅直人代表は保険料未納で代表を辞任している。鉢呂吉雄は2011年、福島第一原発事故後、周辺市町村を「死の街」と言い、記者に「放射能を分けてやるよ」と軽口を叩いたことで辞任している。私はいずれも辞任する必要はないと思っていたが、民主党は守ろうとしなかった。
 蓮舫の二重国籍問題は、岡田代表のいうように「多様な価値観をお互いに尊重する」といった突飛な理屈で済まされる話ではない。多様性と国籍問題とは全く別物である。蓮舫自身は今代表選の最中であり、とても一人では対応できない。蓮舫は、15日には代表になるかもしれない大切な政治家である。民進党執行部が一丸となって対応し、仲間を守らなければならない。ところが残念ながらそうした気配が見られない中、時間だけが過ぎていく。

<複雑な制度の中で混乱が生じただけ>
 蓮舫の場合は、本人が言っているように、台湾籍放棄の手続きが済んでいると思っていたのであろう。蓮舫は、産経新聞のインタビューで、帰化しているのではという問いに「帰化じゃなくて国籍取得です」と答え、台湾籍が残ったままではないかという問いに対して「質問の意味がわからない」と全く答えていない。
 そもそも20歳にならないと台湾籍放棄はできないらしい。そうだとすると、そもそも1985年17歳の時の手続きは日本国籍を取得し、それを台湾に届けて、合法的な二重国籍になっただけではないか。しかし、前述のとおり父の為せるわざで蓮舫に罪はない。

<蓮舫は過去の発言のブレを素直に訂正すべし>
 92年6月25日朝日新聞夕刊のインタビューで「19歳の時、兄弟の就職もあって日本に帰化した。赤いパスポート(日本国籍)になるのが嫌で哀しかった」と述べているが、この時に帰化したと発言している。また、93年3月16日朝日新聞夕刊の新ニュースキャスター決定の記事で、蓮舫は「在日の中国籍の者としてアジアからの視点に拘りたい」と逆に中国籍だと称している。更に97年の雑誌「CREA」2月号では「自分の国籍は台湾」と述べたが、今回その矛盾をつかれると「多分、編集の過程で『だった』という部分が省かれてしまった」と釈明した。その後も発言がぶれまくり釈明も釈然としない。
 事実はわからないが、過去の発言をみるかぎり、蓮舫もしっかりとわかっていたのではないか。そして20歳になった後、必要な離脱手続きが多忙な芸能活動の中で、できていなかった可能性がある。だからこそ9月6日台湾の駐日代表処に赴き、台湾籍を放棄する書類を提出したのだろう。これで名実ともに日本人になりきったのであり、少なくとも今後はとやかく言われる筋合いはない。しかし、現在進行中の代表選が問題である。

<15日の投票日までに決着をつけるべき>
 蓮舫は15日には代表になるかもしれず、その先には日本国総理になるかもしれないのだ。一日も早く、進んできちんと説明して代表選の投票日前にケリをつけるべきである。1985年に台湾籍を放棄したかどうかが判明するのは投票日後だと説明し、それで済ませている。そんなあやふやなことでは、仮に代表になったら、すぐさまこの問題が再び炎上し、民進党はまた声価を下げることになってしまう。今自民党もマスコミも比較的静かだが、代表になってから総攻撃をかけようと手ぐすねひいて待っているに違いない。
 台湾籍もある二重国籍であったことをチェックせずに代表選に出馬した非は担いだ現執行部ばかりでなく蓮舫自身にもある。二重国籍でなかったことを投票日までに証明できない時は、代表選から降りるべきではないかと私は思う。ただでさえ混乱の多い民進党が更にガタガタするという忌わしい事態は回避しないとならないからだ。【9月13日、二重国籍だと判明した今は潔く退くべきである】

<守りも強くならねば代表は務まらず>
 私は、蓮舫はいくら女性という世界の大潮流に乗った政治家といえども、残念ながら今の民進党の代表にふさわしいとは思わない。増子輝彦の指摘するとおり、政権選択を狙う衆議院議員ではなく、まだたった13年目の参議院議員であり、明らかに経験不足である。
 会社勤め等組織で仕事をした経験がない。組織運営の経験が全くないという点では、我が党に多くいる元松下政経塾、ジャーナリスト、弁護士等に共通の難点である。そして、これらの人たちに共通するのは、問題点を攻撃的に追求するのは上手くても、今回のようなスキャンダルの守りにはどうも弱すぎるのだ。こうした者はとても組織のトップは務まらない。
 アメリカの大統領候補は、1年間の予備選の間にこうしたスキャンダルでふるいにかけられ、くぐり抜けた者だけが選ばれていく。そうしてみると、蓮舫も代表にならんとして最初の関門にさしかかっただけの話だ。これを代表選前にクリアできない時は【9月13日クリアできてないと判明】、得意の男気(?)を発揮して、民進党に迷惑をかけないためにさっと身を引くべきではないか。

<民進党の代表には10年早すぎる>
 私は、蓮舫は東京都知事として8年間都の行政をたっぷり経験してから、国政に復帰して党代表なり総理を目指すのが正道ではなかったかと思っている。オバマは違うが、最近のアメリカ大統領の大半は知事を経験した者がなっている。これは単なる偶然ではない。州知事として統治(ガバナンス)をたっぷりと学ぶのである。蓮舫は今48歳、68歳のヒラリー・クリントンと比べて20歳も若い。こういうスキャンダルもきちんとクリアし、もっと地道な政治活動をたっぷりしてから出直すべきである。
 そのほうが本人のためにも民進党のためにも、そして日本の政治のためにもよい結果をもたらすことになる。「今だけ」に固執してはならない。まだ将来が開けているのだ。

2016年9月10日

民進党初の代表選ー前原代表で政権奪還を目指すー16.9.10

 民進党初の代表選が9月2日告示された。9月15日投開票である。

<政策の完璧に合う人はいない>
 野党共闘のときもそうだが、政策が一致しないといけないとか、綱領が違うのでダメだとか、よく言われる。それを代表選に当てはめると、なかなか候補者は探せない。
 例えば私は、TPPは絶対反対、原発も福島第一原発事故のずっと前から事故の発生を予想し、原発を敵対視していたし、憲法9条もむしろ絶対に海外に自衛隊など派遣してはならないと改正すべし等の考えを持っている。こんなどぎつい政策にすべて賛意を表してくれる者は、阿部知子ぐらいである。
 同じ党でも政策がすべて一致する人などいない。その前に、今の3人の候補は一応、今のTPPには皆反対、原発は黙して語らず、憲法改正は9条はともかく議論はしていく、とほとんど変わりはなく、熾烈な論戦は行われていない。だから、とりあえず政策の違いに目をつぶらなければ代表選などやっていられない。

<今回の代表選の考慮事項>
 代表選を巡って私はブログを書いていない。正直すぎる過激すぎる長野駅前限定の街宣ビラは二度ほど配布しているが、ブログ・メルマガは控えてきた。しかし、投票日が近づいてきたので、私の考えを明らかにしなければならない。
 第1に、新生民進党にふさわしい新鮮味のある人でなければならない。増子輝彦参議院議員がいち早く「当選5回以上の衆議院議員」と条件をつけたが、誰もが納得する。第2に、第1の具体化で、3年3ヶ月の政権運営の失敗という負の遺産を背負った者は好ましくない。第3に、これまた第1、第2の延長線上にあるが、今の執行部を一新できる者でなければならない。第4に、これだけガタついた民進党をまとめあげていく力量のある者が望ましい。つまり、経験豊富な政治家が必要なのだ。第5に、やはり世間に向けて政権交代に向けて発信のできる者でなければならない。
 ところが、これまた全てを兼ね備えた者は見当たらない。例えば、第1の新鮮味を重視しすぎると第4の経験豊富と矛盾してくる。だから、結局は何を重視して選ぶかで考えていくしかない。

<政権奪還のための戦闘集団へ更生させる>
 蓮舫VS前原誠司VS玉木雄一郎(最後まで推薦人集めをし20人に達した)の三つ巴の戦いとなった。私は上記の条件をいろいろ考慮し、いろいろな経緯から前原の推薦人になっている。というよりも相当主体的に前原擁立に動いたといってよい。前原はTPPに賛成していたし、いろいろ考え方が違うのに、なぜ推薦人になったのか、というお叱りのメールや電話をいただいている。
 当初は、代表選は行われず、蓮舫独走で無投票という雲行きであった。私は代表選のようなものは嫌いだが、全く逆に代表選をやらずにだらだらと代表が決まるというのはよくないと常々思っていた。特に今の執行部はよく批判の対象となっているが、民主党政権時代と同じ、例のメリーゴーランド人事よろしく、同じ顔ぶれが同じような役に就き、相変わらずの党運営を進めている。こうしたことが続くことは絶対に党のためにも国民のためにもならない。
 今の執行部は、かつての社会党・社民党化している面もみられ、なんとしても政権交代を果たそうという気概が見られなくなっている。自分達が幹部としてそこそこのサイズの野党を牛耳っていけば選挙も安泰、と今の立場に安住してしまっているのだ。私は、ここにこそ、重大な危機感を抱いている。従って今回の代表選は、民主党政権を潰した時のままの今の執行部を一掃し、再び政権奪還に立ち向かう戦闘集団として更生させなければならないというのが出発点である。
 上記の条件でいえば、第3、第4、第5、中でも第4を重視したということになる。

<ニュー前原>
 女性ブームの中、蓮舫の当選の可能性は高い。私も、蓮舫が現執行部と袂を分かち、民進党の再興に全力を尽くすと言うなら一考の余地があった。しかし、民主党を崩壊させた野田元首相他現執行部の姿がちらちらと見える。つまり、蓮舫代表は傀儡にしかならない。蓮舫の有利が報じられる中、チャレンジできるのは前原ぐらいしかいない。
 私は用もないのに酒を飲んだりだべったりといった付き合いはあまりしないので、正直前原とは偽メール事件以来10年、まとまった話はしてこなかった。ところが、私が京都大学の縮小社会研究会の講演で招かれた折に、声をかけたことがきっかけで、昨年の秋頃から交流が再開した。10年ぶりの前原は生意気さばかり目立った当時とは違ってきていた。言ってみれば「ニュー前原」であった。
 2005年、郵政解散の選挙で敗北した岡田代表辞任を受けて行われた代表選で、前原が立候補し、私は推薦人の依頼を受けていたが、「今は早すぎるし失敗する」「10年後に昇り調子のときの代表がふさわしい」と立候補にも反対し、推薦人にならなかった。私の懸念したとおり、上述の偽メール事件で7カ月で辞任に追い込まれた。その時に、10年後の再起を目指せとエールを送ったが、早いものであれから10年経ってしまった(しのはらブログ: 06.4.3『前原代表に10年後の再起を期す』、08.6.17『前原前代表の民主農政批判への反論』、08.8.9『前原問題でもグッとくる応援のお手紙』)。

<幹部で初めての本格的お詫び>
 民主党を潰したのははしゃぎまくった現執行部の人達だ。偽メール事件当時は前原が代表であったが、事件の主犯は野田国対委員長だった。また2012年解散総選挙の惨敗は野田首相がやらかしたことである。そうした意味では重大戦犯は野田であるが、その時執行部に常にいた前原も戦犯であり同罪である。まずはお詫びすることから始めなければならないが、当時の執行部はほとんど国民にお詫びをしていない。あれだけ期待されたのに見事に失敗し、そのトップ達がほとんど反省の色を示していないのは問題である。そのような中、前原は自分が戦犯であること、そして反省を最初に口にした。遅きに失した感があるが、これだけ国民に見放され、選挙で負け続けたのであり、当然のことである。
 前原は、出馬会見等でこの戦犯というフレーズを何度も使った。こうした前原の謙虚な姿勢を評価し、我々素交会のグループから6人もの推薦人を出している。前原が代表を務める凌雲会は、新聞報道では25人とかいわれているが、実際はずっと少なく、凌雲会からは7人しか推薦人になっていない。また、長島昭久の国軸の会から3人、旧維新5人というくらいで、その他3人で24人になっている。
 前原はこの10年間、相当艱難辛苦乗り越えてきており、民主党を壊した経験者が反省の上に立ち、失敗を糧にして民進党を立て直してもらわなければならないと思っている。

<もともと嫌いな代表選>
 振り返ってみると13年間の中で、民主党時代から数えて何と10回目の代表選だが、最初の5回は全くタッチしていない。しかし、最近の4回は擁立に動き回ったり、推薦人となったりしている。
 衆議院議員になりたての頃、議員会館の隣の部屋に河村たかし(現名古屋市長)がいて、いつも代表選に出たがっていた。推薦人が集まらず困っていたので、「一度でいいから河村たかしを代表選に出馬する機会を与える会」の会長だとか言っていたぐらいだった。当時は菅グループ(国のかたち)にも所属していたが、一度も代表選の推薦人になったことも事務局入りしたこともなかった。代表選に冷や水をかけるようだが、私はもともと内輪で争う代表選などは嫌いだからだ。

<ズルズルと代表選に絡む>
 突然代表選に絡み出したのは、2011年の9月からである。当時、このままいくと組織の経験がなく、党運営や政権運営があまり得意ではない未熟な政治家に民主党を潰される、という危機感から、鹿野道彦農水相を代表選に引っ張り出した。ところがなかなか理解していただけず、野田政権が誕生してしまった。心配した通り、民主党は彼らに潰されてしまった。
 野田自爆解散による大敗北後の2012年12月26日の代表選は、私はきちんと党員・サポーターも含めて代表選挙をすべきだと訴えたが、国会議員だけの投票となり、海江田万里に決まった。海江田落選後の2014年12月は、私の名前が出かかったが、突然出馬したいと言い出した長妻昭にさっさと譲った後、長妻の推薦人になっている。今回の玉木雄一郎の出馬への執念と比べると何とあっさりしているのかと思われるが、羽田孜元総理に説得され、受け身で政界入りした者と若くして政界に飛び込んだ野心家との違いである。(14.12.27『民主党代表選に名前が現れた理由』)

<人気で選ばれる党首は?>
 こんなことを言っては何だが、47歳、48歳、54歳というのは正直あまり好ましくない年齢構成だと思っている。なぜならば、民進党に一番求められているのは落ち着きであり信用なのだ。もう少し老長けた、もののわかった人が代表にならないと党をまとめられないと懸念している。ただ、民進党にそうした政治家が本当にいなくなってしまった。ちなみに私が47、48才の頃は、水産庁企画課長として海洋法条約の批准と200海里の設定、海洋資源の保存管理制度の法制化に取り組んでいた。そして国会議員になったのは、55才の時である。そこからすると、3人ともはっきり言ってまだまだ未熟な政治家でしかない。
 私は、代表選を開かれたものにするとか、党員の声を聞くといいつつ、結局人気者しかなれない今の仕組みはあまりよくないと思っている。例えば、今の世の中では鈴木善幸、竹下登のような地味な政治家は総理総裁にはなれないということになる。その意味で政治家だけで、きちんとした人を選ぶということは、一つのやり方ではないかと思っている。そうでないと、いつも選挙の顔ばかりを強調した顔ぶれにしかならない。そうした中、7年の玉木、13年の蓮舫と比べ、23年間も政治家をしている前原が一番ましだというのが私の結論である。