« 須高・岳北・中高 国政報告会 開催のお知らせ | メイン | 原発廃止で世代責任を果たす -民進党の起死回生の政策に原発廃止を掲げるべし- 17.02.24 »

故岡野俊一郎氏の嬉しい誤算 -日本人に本当にサッカーは根付くのか- 17.02.19

<誰とも話せる私の特殊な役割>
 今から約30年前、私は岡野さんと徹夜で話し込んだことがある。いや、一緒に徹夜で話をさせられた。臨教審(1985~87年 中曽根内閣)の合宿の時である。埼玉県の嵐山町の国立女性教育会館で真剣に議論が行われた。私は農水省から派遣された、いわば助っ人の事務局員、岡野さんはスポーツ界を代表する有識者として、スポーツと教育の関係を中心に見識を期待された委員だった。合宿は事務方も大変で、1日の審議のまとめ、中間報告を急がねばならなかった。もちろん中心はプロの文部省(当時)の出向者であり、助っ人の私の役割は意外なところにあった。夜一杯飲みながらの懇親会にお喋りで誰とも話せる(?)私の特技を使って、談論風発の岡野さんのお相手を務める羽目になった。そして、他の人たちがどんどん消えていく中、私と岡野さんだけが残り本当に徹夜のサッカー論議となった。

<私の意地悪質問にことごとく答えてくれた岡野委員>
 日本の企業が運動部出身を好む疑問等、教育と実社会の関係などの話は勿論、本番の審議会でも披露されていたが、座談のうまさと明確な分析はまさに一品であった。ただ、私にとって印象深かったのは、初めて聞くサッカーの薀蓄話であり、今も耳にこびりついている。といっても私が、日本でサッカーの人気がいま一つ盛り上がらない理由はなにか、ミュンヘン五輪で銅メダルをとっていたのに、その後ダメなのはどうしてか、日本にすっかり馴染んだ野球と違い、どうも日本の文化に合わないのではないか、といった結構きつい質問をしたこと対して、真剣に応えてくれたのである。

その岡野語録の一端を紹介したい
<メキシコオリンピック銅メダルは天才杉山、釜本の成せる技>
(1)世界の大半の国では、サッカーが1番人気のあるスポーツだ。ボール一つででき、金がかからないからだ。サッカー以外が人気のスポーツの国は、1.アメリカ、2.日本、3.キューバが野球、4.インド、5.パキスタン、6.バングラデシュがホッケー、7.カナダがアイスホッケー、8.フランスの自転車・・・岡野さんは丁寧に解説してくれたが、残念ながらすべては覚えていない。たぶんクリケットのイギリスやオーストラリア等であるが、11カ国だけは確かである。

(2)メキシコオリンピック(1968年)の銅メダルはまさに奇跡だったが、二人のエース杉山 隆一と釜本邦茂は本当に天才だった。あれだけの選手はそうざらには出ないだろう。奥寺康彦がドイツのプロのリーグにいるがとても及ばない。日本のレベルでよく銅メダルが取れたと思うが、個人プレーが幅を利かすサッカーで、偶然二人の天才がいたからだ。今後もあれだけの選手はなかなかでないだろう。

<日本人の性格に緊張感溢れるサッカーは不向き>
(3)日本人は個人ではいま一つだが、結束力が強く団結すると力を発揮するといわれる。サッカーは典型的な団体競技だが、どうも日本人の協調性が勝利に直結しない。それは全体の流れを見る眼が養われていないからではないか。つまり、ゲーム全体を俯瞰的に見ることができる者が少ないからだ。釜本はシュート力だけでなく、ゲーム運びもできた。つまり、農耕定着民族で、1ヶ所でドンと腰を据えて仕事をすることが得意だが、狩猟民族のように眼をあちこちに向けて物事を考えることは苦手なため、サッカーのようにグランド一面を見渡して動き回ることがあまりよくできない。
(4)日本人はサッカーの観客にあまりむいていない。相撲があるが、制限時間いっぱいまでは升席でお喋りして酒を飲んでいられる。緊張して見るのはほんの一瞬である。野球も外野席では芝生に寝転がってビールを飲みながら見ていて、クリーンアップトリオが打席に入る時とか、満塁などの好機しか気を張って見ていない。それに対しサッカーはずっと見ていないと、一瞬のうちにゴールが決まる。日本人にはずっと緊張してゲームを見る忍耐力がない。だから、サッカーをずっと見続けるという観客が増えない。そのため、サッカーがプロのリーグを造っても観客数は伸びず、やっていけないのではないか。

<数字好きの日本人にも向かないサッカー>
(5)日本では運動神経のいいのは大半がまず野球に行ってしまう。例えば、足の速い柴田勲などはサッカー選手としても一流になれると思うが、野球ばかりになびいてしまいサッカーの裾野が広がらない。これがサッカーがいま一つ盛り上がってない理由の一つだ。
(6)プロ野球が日本にすっかり定着しているが、同じ団体競技でも記録が個人記録として選り取り見取り。首位打者、本塁打王、打点王、盗塁王、最多勝利投手、奪三振数、防御率・・・と、数字に強い日本人にはピッタリだが、サッカーには得点王とアシスト数と数少ない。これも数字好きで個人対個人の名勝負が好きな日本人には魅力にいま一つ欠ける。
(7)今テレビが普及したことで、世界中の人が世界の一流チームの超一流選手のプレーを見ることができる。一部の熱狂的サッカーファンは眼がそっちのほうにいってしまい、レベルの低い日本のサッカーに興味を示さない。日本のサッカーファンはいきなり世界に関心がいってしまった。

 この後数年は岡野さんに年賀状をお出ししたが、その後の接点は皆無だった。

<嬉しい誤算でJリーグ誕生>
 この岡野「日本サッカー悲観分析」の数年後、1991年に日本サッカーリーグが誕生、93年Jリーグとなり、いつの間にかすっかり日本に定着した。プロ野球にも本拠地があり、昨年の広島のような熱狂的な地元ファンに支えられている。しかし、サッカーには、もっと身近なホームがあり、結びつきが強くなっている。この点は、郷土愛の強い日本にまさに向いている。私がパリ勤務をしていた1991年7月から94年8月までの3年の間の出来事であった。それだけが日本に変わったという印象を持った。この間に大きく変わったのがもう一つ、首下げペットボトルだった。
 私は嵐山の夜の悲観分析にもかかわらず、これだけ隆盛を誇るようになったJリーグについて、再び話を伺う機会を持てたらと思ったが、ついに実現しなかった。

<今やプロ野球と肩を並べるJリーグ>
 日本人とサッカーについて、岡野さんの論の延長線上で見れば、日本人の気質が変わったのかと問い直したいところだ。中田英寿や本田圭佑といったスター選手も出現したが、釜本のようにオリンピックで得点王になるような傑出した選手ではない。世界の迫力あるゲームは昔以上にテレビでいつでも見られる。個人記録は相変わらず少なく数字好きの日本人向きではない。それにもかかわらずうって変わって大人気である。
 ただ、Jリーグは巨人のような特殊な全国ブランドチームがなく、全国に広く分散し、地元密着型のチームであることが一つの力となっているのであろう。プロ野球チームなどとても持てない長野県でも、松本市に山雅FCがあり、長野市にもAC長野パルセイロがある。慌てた野球界にも独立リーグなるものができ、私の地元中の地元中野市を練習地にする信濃グランセローズもできた。サッカーでは一部リーグ、二部リーグときちんと分けられ、入れ替え戦も行われる。野球には世界一を決める大会としてWBCがあるが、盛り上がりはサッカーワールドカップの比ではない。よくないことだがFIFA(国際サッカー連盟)の不祥事が生じるぐらいの巨額の金が動く。オリンピック以上のスポーツ・イベントとなっている。日本のサッカー人気も世界に引っ張られている感もなくはない。イチローをはじめとして、アメリカ大リーグで活躍する日本人も多いが、サッカーの世界(ヨーロッパプロリーグ)への日本人進出はその比ではない。

<何でも多様化し、プロスポーツも多様化>
 一方、飲み物や食べ物の好みも多様化し、何でも手に入るようになった。歌などは変わりすぎて私には今流行している歌など何一つ歌えないし、紅白歌合戦で名前がわかる出場者は減るばかりである。美空ひばりのように誰でも口ずさむことのできる国民歌謡は昭和で消えたといえよう。スポーツも同じ傾向があり、それこそ多数のプロスポーツが行われるようになり、観られるようになった。サッカー界でも、なでしこジャパンの世界一という意外なおまけまでつき、澤穂希は一躍世界に名が知られた。しかし、これまた高度経済成長期のON(王、長島)のような誰もが知っている国民的スポーツ選手も出にくくなっている。
 私は岡野さんにたっぷりとサッカーの魅力とダメな所について薀蓄を個人伝授していただいた。多分、草葉の陰でJリーグの大人気を大喜びされているに違いない。今後、多様化するプロスポーツの中で、サッカーがどのように定着していくか、岡野さんの予測を聞いてみたかった。

<たぐいまれな人材岡野さんの幸運>
 釜本が世界に名を轟かせていたころ「サラリーマンで8時間働いてから練習している」と世界の記者に答え、信じてもらえなかったという。プロはいなかったのだ。岡野さんはスポーツ界では珍しい東大出、語学も達者でドイツのクラマー・コーチとのつなぎ役も務めた。もし大企業のサラリーマンだったら、若くしていろいろな役職などに就く余裕はなかっただろう。ところが、和菓子屋「岡埜栄泉総本家」の御曹司で自由時間がとれるという恵まれた環境だった。だからサッカー界に限らず、JOC、IOCそして臨教審委員と、まさに日本スポーツ界の顔となった。日本の○○界に岡野さんと同じく世界に通用する人材はそれほど多くはいまい。そして、このままの日本の体質が続くかぎり、なかなか代わりの国際的教養人は育たないだろう。
 日本は今、2020年東京オリンピックで小池東京都知事と都議会とスポーツ政界の2人のドン(?)との確執が新聞紙上を賑わせている。岡野さんがもうひと回り若かったらIOC委員としてオリンピックに深くかかわり、見事な調整役を演じてくれたかもしれない。その意味では日本は大切な人を失ったことになる。

 ざっくばらんに接してくれた岡野さんの訃報に際し、ご冥福を祈って、思い出のサッカー談義を書かせていただいた。