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2017年3月28日

森友学園問題の焦点化は解散狙いか- 謎だらけ、疑問だらけの政府の対応 – 17.03.28

 参議院予算委員会で連日森友学園問題が取り上げられ、国有地の極端な値引きや100万円の授受に関心が集中している。しかし、「海外メディアが恐れる安倍日本の右傾化・国家主義化 - 塚本幼稚園児の『安倍首相ガンバレ』の衝撃 - 」(しのはら孝ブログ17.03.14)で述べたとおり、私は本質的な問題は外国メディアの指摘どおり、塚本幼稚園の運動会の園児の宣誓等に見られるUltra–Nationalist School(超国家主義的学校)・ Far-Right(極右) 的な傾向にあると思っている。今は籠池泰典理事長と安倍晋三首相・夫人は袂を分っているが、国会での初期頃の答弁どおり安倍夫妻は学園の教育方針に賛同していたのである。私は、この一点を持って安倍首相は辞任すべきと思っている。 
 しかし、3月23日の籠池氏の証人喚問があったこともあり、残念ながら国民の関心は今は籠池劇場にばかり向いてしまっている。以下に、本件について私の考えを述べて報告する。

<疑問1. 政府・与党はなぜ籠池証人喚問に応じたのか>
 野党の籠池証人喚問要求に対して与党は一切受け付けなかったが、竹下自民党国対委員長が突如、安倍首相が侮辱されたからという理由で一足飛びに証人喚問に応じてきた。なぜか。

(推論1. 一挙に幕引きを図る) マスコミに報道されているように、政府は大したネタは出てこないと踏んで、嘘をつくと偽証罪に問われるという縛りをかけて幕引きを図ったのかもしれない。
 籠池氏の資金不足を指摘した西田昌司参議院議員は、本件の本質とは無関係で失礼だと逆襲されて失笑をかった。籠池氏は葉梨康弘衆議院議員の畳みかける質問にも平然と喰ってかかった。与党の準備された喚問は失敗に終わった。昭恵夫人と籠池夫人とのメールのやり取りは、取り上げると予想していたのであろう。菅官房長官記者会見で国会審議と同時に公表した。夜にはご丁寧に昭恵夫人のフェイスブックで反論を試みている。万全の用意をして臨んだことがうかがえる。文面はいつもの昭恵調ではなく、「当該」といった役人調であった。他の者が作成したとみてよい。
後者は昭恵夫人の証人喚問要求の口実を与えてしまった。国民の疑念はさらに増している。こうして早期幕引きという目論見は完全に失敗している。

(推論2. 腹を立てた官邸(安倍首相)の勇み足) もう一つ、予算委のメンバーの現地視察における籠池氏の率直な発言に腹を立てた官邸、特に安倍首相本人の意向により、証人喚問になったとも言われている。与党国対もまずは立法府の立場から国会運営を考えなければならないが、実態は違う。安倍独裁体制下、ある程度独立していていいはずの国会のことも、安倍首相の意向を汲みながら、官邸の意向を最大限忖度して進められている。
 しかし、私は安倍首相の怒りがもとで証人喚問が行われたとは思えない。もし、そうであったとしたら与党も末期症状といえるが、そこまでは至っていない。長年の政権与党はまずは政権維持で動き、野田政権のような未熟な対応はしないのではないか。

(推論3. 加計学園隠し) 私は危険を冒してまで籠池証人喚問に応じたのは、危機を感じた与党が政権維持のためにわざと籠池劇場を作り上げているような気がする。真意は森友学園よりもずっと性質(たち)が悪い加計学園問題隠しにあると思われてならない。つまり焦点ずらしである。韓国は国内政治が混乱してくると、すぐに国民の目を外交、すなわち「日本憎し」に向け、慰安婦問題と竹島問題で強硬路線をとり始める。これが典型である。
 大学の設置基準というのはあまり透明でないというのは国民も知っている。古い話になるが、民主党政権時代の末期、田中真紀子文科大臣が既に決められていた大学の設置を、定員割れの大学が多いのに今更大学が必要か、と疑問を呈して取り消すと言い出して問題になったことがある。
 こうした中で、安倍首相の20代からの友人(加計孝太郎氏)がトップの加計学園グループが、今治に獣医学部を擁する大学を造るというのは不自然で極まりない。なぜなら、日本の畜産は縮小の一途であり、安倍政権はそこに更にTPPで追い討ちをかけようとしていたのである。畜産業界に獣医師が今以上に必要とされる事情はどこにも見当たらない。
 獣医学会も獣医師会も要望するどころか逆に新設に反対していた。地方創生が工場の誘致というのは、数10年前の話で、今や大学ぐらいしか残っていない。そこに飛びついた今治市の事情は手に取るようにわかる。52年もの間、他のどこにも認められなかった獣医学部の新設が突如実現したのは、何か違う力が働いたからに違いない。

(推論4. 解散の大義名分つくり) 3月20日のサンケイは、4月23日投票日の解散がありうると報じた。
 前々から安倍首相は早期解散を提案していたが、断行できずにいた。よく報じられているが、安倍首相は2020年夏、首相として東京オリンピックを迎えたいという一念で政治日程を考えているらしい。そうなると、一刻早く総選挙で勝利し、その後はてこでも動かずオリンピックまでしがみつくというシナリオである。
 そこに立ちはだかるのが、7月の東京都議選。ここで小池「都民ファーストの会」に惨敗すると、秋の総選挙にも響くことになる。そこでその前に何とかケリをつけようという思惑が透けて見えてくる。ところが解散の大義名分がない。2012年は消費増税、2014年はアベノミクスと、こじつけの理由を探し出した。いくら何でも「野党も準備できていない」、「これ以上森友や加計で追及されるとまずい」、「景気が後退する前に」といった本音(?)は理由にならない。そこで浮上したのが森友学園の問題である。安倍首相・昭恵夫人を信じるか籠池理事長を信じるのか、解散で信を問うというお粗末な筋立てである。
この推論は当たってほしくないが、3月27日(月)の予算案の成立後の展開をみないとならない。

<疑問2. 昭恵夫人をなぜ私人と位置付けるか>
 私は、アメリカ大統領夫人と同様に完璧な公人だと思う。普通の一般議員夫人とも閣僚夫人とも違うのである。首相夫人だから注目される。だから、内閣府の職員が専属で随行する。公務だからである。
 証人喚問でも明らかになったとおり、昭恵夫人が国有地の払い下げで財務省にかけあっているのである。これだと政治が関与したことになってしまう。そこで私人として関与しただけだと言いくるめるために、私人だということで押し通すことにしたのであろう。そして今、谷査恵子首相夫人秘書が一般的に丁寧に対応しただけという詭弁を弄し、罪も擦り付けんとしている。必死で逃げ切ろうとしている様が見えてくる。

<疑問3. なぜ経済産業省からの出向女性が昭恵夫人付きなのか>
 首相夫人が活動するのは何も安倍首相夫人に始まったことではない。ただ、今までにこんなに積極的にあちこち行ってしゃべりまくる首相夫人がいなかっただけである。内閣府に急に組織が必要になる時は、定員増もままならないので、関係省庁からの出向で穴埋めする。しかし、定着したら内閣府の定員として位置付けなければならない。いまだに経産省から内閣府の出向で済ませているのはおかしい。
 今、官邸の指揮系統が、経産省出向者に握られている。今井政務秘書官、長谷川広報官等経産省の出身者がこぞって官邸の側用人的働きをしている。昭恵夫人秘書もその意に沿って動く経産省の出向者が都合がいいということになる。こうした恣意的な人事が横行しているのである。

<昭恵夫人証人喚問は必須>
 籠池氏の証人喚問、国民の大半は驚いて見たに違いない。あまりに堂々とした対応をしたからである。籠池氏は、偽証罪を覚悟で証言したのに、一方の昭恵夫人はフェイスブックで一方的に都合のいい反論を述べるだけである。黙っていれば証人喚問までする必要はなかったかもしれないが、姑息な手段を講じられては不公平である。今回は、7割近くの国民が昭恵夫人の証人喚問を支持しており、昭恵夫人の証人喚問は絶対必要である。

2017年3月21日

遅ればせながら急速に禁煙が進むのは大歓迎 -中途半端はやめ、受動喫煙の機会をなくすのが先決- 17.03.21

<蚕からりんごまでの試行錯誤>
 私は、中野市田麦のごく普通の農家に生まれ、中野市の農業の変遷を肌で感じながら育った。物心がついたころには、家中がいつも蚕(お蚕様)に占領されていた。祖父母と父母兄弟3人が小さなお勝手で食事をし、座敷も茶の間も納屋も蚕だらけだった。しかも、危機分散のため春から夏、秋と次々に時季をずらして飼うため、冬を除き1年の大半は蚕のほうが人間よりも大事にされていたような気がする。だから、家を糞の臭いだらけにする蚕は好きになれなかった。
 ところが戦前から戦後にかけて輸出の花形だった生糸も不振となり、長野も変革を迫られていた。そんな折、りんごが青森から導入されると、消毒が桑の葉にかかり蚕にやれなくなり、桑畑が平地から忽然となくなった。
 それからリンゴが定着するまで、それこそいろいろな作物が試された。我が家でも山羊と羊と鶏を飼っていたが、そこにアンゴラ兎が入り込んだ。大きな兎用の木のアパートのような棚ができ、数10匹(羽)飼われたが、あまり採算がとれずにしばらくしてやめた。

<途中で取り組んだ葉タバコ>
 次に取り組んだのが葉タバコの栽培だった。私の小学生の頃(1950年代中頃)である。葉を摘むと手が真黄色というよりも黒ずんだ。葉っぱを玄関の横の小便用の「タメ」に入れると、「ゴジ」と呼んでいたうじ虫がすぐ死んだ。その毒性の強さに感心した。今はいろいろ機械化されているが、50年以上昔は何事も手作業である。今考えると信じがたいが、普通の縄の間に葉を挟み込んで、5~6mのものをいくつも作り、洗濯物と同じように干した。もちろん私も手伝ったが、もう一つ私に任せられた仕事は家にいて雨が降ったらすぐ取り込むことだった。

<蚕に次ぐ嫌な作物が葉タバコ>
 しかし、私も子供であり、50m北のお宮から友達の声が聞こえるとついついそちらに行ってしまった。そして遊びに夢中になり、雨が降っても気づかないことが度々あった。取り込みが間に合わず、すっかり濡らしてしまい、大目玉をくらった。田植えも稲刈りも、りんごの摘果も袋掛けも1人前にこなし、褒められこそすれ怒られたことはなかったが、タバコの乾燥取り込み作業だけは、今も続く忘れん坊癖(?)が災いして数回ミスをしてしまった。
 かくして、タバコはその毒性と取り込みミスによる叱責とで、蚕に次いで私が反感を抱く作物になった。膨大な手間にもかかわらず収入が少なかったため、葉タバコも5~6年で撤退した。

<麻雀で知った受動喫煙のひどさ>
 もちろん、皆と同じ悪ガキでもあり吸ってみたがむせて苦しく1回でやめた。その後はタバコを吸うことは皆無であった。ただ、無知とは恐ろしいもので、受動喫煙がそんなに体に悪いとはつい最近まで知らなかった。
 周りはタバコ吸いだらけだったが、気にもとめなかった。麻雀は嫌いだったが、どうしても面子がたりないという時にせがまれて仕方なく麻雀卓を囲んだ。最初は勝っていても後半バタバタと負けることが多かった。私はやはり体力がないのと嫌々やっていることが災いして、後半負けるのだろうと思っていた。ところが負けはどうも受動喫煙のせいかもしれないと思うようになった。
 麻雀好きは大体タバコ吸いが多い。雀卓には灰皿がついていた。ほとんどの人がタバコを吸いながら麻雀をするからだ。だから、雀荘ほど煙がむんむんとしている所はない。他の仲間は大体タバコ吸いで、タバコは慣れているのに、私は普段はタバコに無縁なのに雀荘の受動喫煙でタバコの煙をたらふく吸い、いつも頭がクラクラして気分が悪くなることもあった。このことが分かってから、私は麻雀の誘いをきっちりと拒むようになった。トンチンカンな話だが、受動喫煙の被害を麻雀の後半の負け込みで察知したのである。

<帰省列車の忌まわしき経験>
 だからといって禁煙をどんどん進めるべきだなどと出すぎたことは考えなかった。つまりそれだけタバコは日常生活にはまりこんでいた。ただ1度だけこらえきれずに文句を言ったことがある。
 お盆休みで東京から長野に帰省するあさま号の急行列車の中、今と違い長野・上野間が3時間30分かかった頃である。私は早くから上野駅のホームに並んで自由席に座ろうと思っていた。ところが、前に並んだ人が次々と帽子や物を置いて席を占領してしまった。ひどいなぁと思いつつも私を含め誰も小言を言わなかった。アメリカ人ならそんなみえみえの不正は許さないだろう。
 もちろん超満員電車、そこにうだるような暑さが重なり、とても生きた心地はしない。これも今では信じられないことだが、座席には引き出しの灰皿がついていた。忌々しい不正席取り連中の大半がタバコ吸いだった。その置きタバコの煙が嘆息をつく私の鼻に入ってくるのが見えた。私は腹が立ち、その場を離れて車掌さんの所へ行き、こんな混んだ列車の中ではタバコを吸うのを自粛するようにアナウンスしてくれ、と要請した。その車掌は素直に従ってくれた。喧嘩になるといけないので元のところに戻るのはやめた。

<珍しく頑張る厚労省にエールを送る>
 以来数十年、いつの頃からか突如禁煙が広まり始めた。大半の室内は禁煙、飛行機も全面禁煙、列車も特別な喫煙車以外は吸えなくなった。それこそ夢のような展開である。しかし、世界と比べるとWHOの分類では日本は最低レベルである。安倍政権は組織暴力犯罪取締り用の共謀罪を、いつの間にか東京オリンピックに備えたテロ対策の強化法案だと言い出し、今国会に提出した。厚労省も3年半後の東京オリンピックまでに国際基準の禁煙体制をしこうと珍しく重い腰を上げた。口実は同じものを使っている。
 よくしたもので、世の中は予想以上に禁煙社会になりつつある。真冬の支持者訪問でも夕方の玄関先で赤い灯がチラチラ見える。子供がいるからと家を追い出された哀れな父や祖父たちである。信州の冬は寒いのに、そこまでしてタバコを吸いたいのかと滑稽に思えてくる。身近でいえば、我が長野事務所でもタバコ吸いが多数を占めるが、タバコ嫌いの女性陣が決定権を持ち、室内はとっくの昔から禁煙である。

<ついにできた受動喫煙防止法案>
 そして最後のトドメがいわゆる「受動喫煙防止法案」である。
 飲食店も30㎡以下のバーなどに限って例外として喫煙を認めるが、レストランや居酒屋などは屋内禁煙(喫煙専用室の設置可)とする。悪質な場合、施設経営者に最大50万円、タバコを吸った本人に30万円の過料を科すことになる。あまりの急展開で喫煙者はさぞかし戸惑っていることだろう。喫煙者には悪いが私は大賛成である。

<狂った与党自民党の横槍>
 ところがここでも巨大与党自民党が狂った動きをしだした。カジノ法案と同じである。タバコ議連が反対の狼煙を上げ骨抜きにしようというのだ。飲食店は小さなところが多く喫煙専用室が設けられない。だから、店により禁煙・分煙・喫煙の選択を可能にすべきだ(つまり、喫煙可能を売りにする店も認める)というのだ。更に、事務所などは規制対象外にするといった対案を作成した。いつも政府・与党が一体でことを進めるのに、政府案に与党の200人もの巨大議連がこぞって真っ向から反対するのは珍しいことである。

<世論は完全に受動喫煙防止を支持>
 世論はどうかとみると興味深い。
 日本禁煙学会の調査によると、73%が「例外なき屋内禁煙」に賛成、反対は9%。他人のタバコを不快に思うものは、非喫煙者で90%、喫煙者でも45%だった。これに対し、大反対は料理屋の類だが、禁煙になったら行く回数が「増ええる」42%と「減る」13%の3倍を上回った。酒飲みとタバコ吸いも大体一致するので、タバコを禁止になどしたら飲みに行くかという人が増えるだろうし、本当のところどうなるかわからないが、私は全面禁煙のほうが少なくとも子供連れの客が増えるような気がする。
 もう一つ大きな成果は、喫煙者本人が吸う機会が減り、その結果病気もしにくくなり、健康で長生きできることである。タバコが吸えなくて苛々してノイローゼになる人はほとんどいないだろう。あとはタバコ生産者への手当が残るだけである。一日も早い法案の成立を願うばかりである。

2017年3月14日

海外メディアが恐れる安倍日本の右傾化・国家主義化- 塚本幼稚園児の「安倍首相ガンバレ」の衝撃 - 17.03.14

 参議院に移った国会論議は、森友学園一色である。安倍首相は野党の追及に対して、声を荒げて応戦しているが、どうみても不可解なことだらけである。私も農水省の役人時代に、国有地の払い下げに出くわした。その経験からいっても、真面目な役人が何もなく、自らの判断で9億円を1億円に引き下げることなどするはずもない。外部からの圧力があったことは確実である。
 そうこうするうちに大阪府が小学校の認可を先送り、籠池森友学園理事長が申請を取り下げ、理事長辞任を表明。大団円を迎えつつあるが、これで終わらせてはならない。
 更に国家戦略特区を悪用した加計学園疑惑が控えている。こちらは安倍首相の親友がからんでおり、如何わしさは森友学園の比ではない。こちらこそ、疑惑を解明させなければならない。

<塚本幼稚園の右傾化教育を危険視する海外メディア>
 安倍首相への批判をすっかり忘れていた日本のメディアも一斉に報じ始めたが、途中から外国のメディアも俄然興味を持ち出した。しかし、その着目点はかなり違っている。塚本幼稚園の「安倍首相ガンバレ」の連呼に、日本の国家主義復活の兆候を感じとったのである。
 もちろん安定した安倍政権の最大の危機と報じ、如何わしい土地取引のモミ消し工作にも触れているが、一番の力点は塚本幼稚園の異様な行状に置いている。つまり上記の安倍首相礼賛、韓国・中国を対象にしたヘイトスピーチ(この場合は個人の家庭への手紙)、教育勅語、国家主義を煽る日本会議、神道小学校等が詳細に紹介されている。一様に人権、国籍、宗教による差別に注目し、日本の軍国主義の復活を懸念している。日本のメディアがこぞって籠池理事長のTVウケする強烈なキャラクターに振り回されるだけなのに対し、海外メディアはしっかりと日本の危険な動きを見据えている。
 小学校から各国の子供たちを集める、いわゆるインターナショナル・スクールがあちこちにあるが、森友学園のことを嫌味を込めてナショナリスト・スクール(Nationalist School)と冷やかしている。

<森友学園より塚本幼稚園>
 日本のメディアは専ら森友学園がらみのスキャンダルに焦点をあてているが、欧米なりアジアの近隣諸国の関心は全く異なる。私は、米、英、仏、独、中、韓国、香港、NZ、シンガポールの主要各紙に目を通したが、予想以上の彼我の扱いの違いに驚かされる。
 典型例は、森友学園よりも塚本幼稚園が先に出てくることである。日本の国会では、安倍夫人の塚本幼稚園での講演が公人か私人かといった、些細などうでもいいことをつっつかれているが、そんなことはどこの海外メディアにも一言も書かれていない。8億円も一気に引き下げられた国有地の売却を巡るモミ消しでもなく、圧倒的に塚本幼稚園の驚愕の教育方針である。逆に、日本のメディアでこのことに警告を発したのは毎日新聞の「与良政談」(3/1)しか知らない。

<米・英は超国家主義的安倍政権を危険視>
 本来はアメリカこそこうした動きに敏感なはずだが、自国のユニークな政治家(トランプ大統領)が人種人権がらみで放言を続けているので、遠慮したのか見出しには明確な人種差別や右傾化教育への言及はない。しかし、記事になると超国家主義的(ultra-nationalistic)考えの男から始まり、2015年昭恵夫人が「夫も教育方針について素晴らしいと思っている」というスピーチを紹介している(3/2 ワシントンポスト)。また、一応土地取引に伴う問題も報じているが、関心は韓国と中国に向けたヘイトスピーチと愛国主義を育成する教育の危うさを酷評している。

<英仏両国も国内の右傾化に重ね合わせて異様さを詳細に紹介>
 イギリスが、ガーディアン(2/24)、エコノミスト(3/4)ともに超国家主義的をタイトルに使い、その危険を指摘している。3歳から5歳の幼児が、毎朝天皇の肖像にお辞儀し、国を守るために自らを捧げると誓う、という異様な光景を写真とともに報じている。戦前の教育勅語の暗唱ですら我々日本人にも異様に映るのだから、外国人が驚くのも無理はない。ガーディアンはもちろん韓国・中国への差別を助長する文言も糾弾している。毎朝国歌を歌い、軍事基地にも遠足に行き、1890年にできた教育勅語を暗唱させることを詳細に紹介している。右傾的な日本会議のメンバーが内閣に多数おり、憲法改正も目指している。
 仏の代表2紙〔ルモンド(2/27)、フィガロ(2/24)〕も同様に、保守的政治家安倍晋三と国家主義的経営者籠池の結び付きによる「日本で初の神道小学校」として瑞穂の國記念小學院(安倍晋三記念小学校)を紹介するとともに、ビデオで放映された幼稚園児の「安倍首相ガンバレ」が愛国心を植え付けていると報じている。ドイツも極右(far-right)学校に力点を置き、教育勅語の暗唱に驚きを隠さない。ここでも土地取引がらみはさっと触れるだけで、森友学園よりも塚本幼稚園に力点を置いて報じている。
 
<ヘイトスピーチを嫌がる韓・中>
 当然のことだが、近隣の韓・中は怒りを込めて塚本幼稚園の問題を集中的に報じている。中国の新華社は2月22日以来連日にわたり、ヘイトスピーチと国家主義的教育の詳細を報じている。
 韓国の中央日韓は2/17、塚本幼稚園が「よこしまな考えを持った在日韓国人や支那人」という嫌韓内容が含まれた文書を配布したと不快感を露にした。朝鮮日報も同じく「ヘイトスピーチ防止法」に抵触するかもしれない宣誓や文書配布を取り上げている。運動会で園児が「尖閣、竹島、北方領土を守れ」「日本を悪者として扱っている韓国・中国が心を改め、歴史教科書でウソを教えないようにお願いします」と叫んだことも紹介している。日本のメディアが取り上げない、嫌韓の悪口は韓国メディアが見逃さないのは当然である。
 我々日本人でも、こんな幼稚園があったのかと驚かされるくらいだから、第二次世界大戦の記憶がずっと鮮明な韓・中両国は日本の再軍国主義化を懸念して、塚本幼稚園の教育とそれを礼賛する安倍首相と夫人に目を光らせるのは当然である。この両国もまた、土地取引とスキャンダルにはほとんど関心を持たず、塚本幼稚園にみられる日本の韓国人・中国人に対する差別的言辞と危険な教育に危険を感じたのだろう。

<日本が誤解される恐れ>
 金正恩体制の北朝鮮が、国民にいつからあの一糸乱れぬ礼賛スタイルを教え込んでいるか知らないが、まさか3歳や5歳児にはしていないのではないか。秋の運動会で「安倍首相ガンバレ」「安保法制通過おめでとうございます」という宣誓は、金正恩体制以上の思想教育、ゴマすりである。
 私が憂うるのは、こうした右傾化はごく一部の特殊例なのに、この騒動で塚本幼稚園類似の教育が日本の全国各地で行われているという誤解を諸外国に与えることである。外国の主要各紙をよく読むとそこまではいっていないが、昔の軍国主義的国家日本を知る人たちが日本の国会主義化や右傾化を心配するのは無理もない。

<右傾化に鈍感になった危険な日本>
 鈴木善幸政権の時、伊東正義外相は日米同盟を軍事同盟と称して外相を辞めている。ところが、今は日米軍事同盟が当然視されている。森喜朗首相は日本を神の国と称し、支持率が10%を割り短命に終わった。かつて日本は抑制の効いた健全な国だったのだ。前者は1982年、後者は2000年とそれほど昔のことではない。
 ところが今は昭恵夫人が名誉校長をし、安倍晋三記念小学校名で寄付を募ったというのに、拒否したが勝手にやった、という言い訳で何も糾弾されていない。問題の森友学園や塚本幼稚園の教育方針にも当初は敬意を表していたというのに、こちらも問題だと言葉を翻し、平然としている。挙句の果てに稲田朋美防衛相は、「教育勅語の核の部分は取り戻すべきだ」と悪乗りしている。月日の経つのは早く、価値観の急速な変化も驚くばかりである。私は、土地取引や補助金申請のデタラメよりもこちらのミスや言動のほうが問題だと思う。岡目八目か海外メディアは気付き、日本は気付かない。
 交通安全標語をモジった「赤信号皆で渡れば怖くない」ではないが、日本は一歩ずつおかしな方向に歩み始めている。ここらで性根を入れ替えて阻止しないと、いつか来た道に迷い込む恐れがある。政治が頑張らないとならない。

2017年3月 9日

便利さ追及の馴れの果てに宅配便が急増 -通販通じスマホで注文する買い物は行きすぎではないか-17.03.09

 安倍内閣はあまりにも企業寄りの政策を進め過ぎたためか、「働き方改革」と称しプレミアムフライデーを宣伝し始めた。その一方で、ヤマト運輸が宅配便個数の増大に音を上げて時間指定の宅配のうち、昼(12時から14時)と夜(19時から21時)の配達をやめるべく手を打ち始めた。ドライバーが休みを取るためと、夜の残業減らすためである。

<没落したスーパーの雄・ダイエー>
 かつてダイエーは、日本の高度経済成長に乗り繁栄を謳歌していた。中内功はのし上がってきた流通業界の雄だった。経団連の役員は鉄鋼業とか日本の屋台骨を支える産業界の社長・会長ばかりだったが、中内は流通業界から初めて幹部入りした。ところが、50年も経っていないのに今やダイエーは世の中から忘れ去られつつある。没落の原因として、借金をしながらもひたすら拡大を目指した経営方針も挙げられるが、日本人がスーパーの薄利多売の商品に群がらなくなったことが主因と思われる。

<通販企業が物流・買い物を変える>
 ここ数十年で物の流通は大きく変わった。日米構造協議の結果、大規模店舗規制法が緩められ、ダイエーの進出を後押しした。その結果、地方の商店街はシャッター通り化し、買い物客は郊外のショッピングセンターになびくことになった。そして今、また2000年代からアマゾン・楽天・ヤフー等通販サイト運営企業が急速に事業を拡大し、スマートフォンから簡単に注文できるようになった。こうして今再び流通業界に大きな変化が起きつつあり、駅前の大きなスーパーも郊外ショッピングセンターも売り上げが減り始めている。インターネット通販で注文し、家に必要なものが直接届けられるようになったからである。つまり、買い物に行かずに済むようになったのだ。
 それでも家電製品などは、実物をこの目で確かめないと不安な人もいる。しかしその場合でも駅前の大型家電店に行き、通販で目星をつけた物をじっくり見て店員の説明を聞いても買わずに家に戻り、パソコンから注文、翌日には届けられる。これが続くと、今隆盛を誇るヤマダ電機もK'Sデンキも消え去る運命にある。

<次々に消える個別の商店>
 生鮮食料品ぐらいは商店街でと思いきや、さにあらず、毎日の仕入れの伴う魚屋、八百屋が消え、辛うじて肉屋が残っているだけである。買い物客はとっくに皆スーパーに取られてしまったからだ。長持ちする商品などはこぞって量販店の独壇場になってしまった。また、本の世界でもアマゾンが幅を効かし、地方の小さな本屋がそれこそアッという間に消えていった。立ち読みして思わぬ掘出し物に巡り合い一気に読み終わるといった、古典的なこともできなくなった。これも皆パソコンを通じてすませるようになった。
 今、家電店も静かにきえつつある。パナソニック、日立、東芝、シャープ・・・とアメリカから日米構造協議で見事すぎる「系列」と批判されたメーカーごとの販売網も消えつつある。テレビが故障しても量販店は修理などは無関心で、故障したらもう買い替えなくてはならなくなった。故障したものを丁寧に修理し、改善に役立て、次の高性能な製品を生み出してきたのに、今はそのサイクルもなくなった。これは今後の日本の技術改革の大きなマイナス要因となると思われる。また、店を下支えする人柄のいい店員もどこにもいなくなった。毎度ありがとうございます、と言って届けてくれる顔馴染みの店員さんはもう天然記念物である。

<急成長を遂げる宅配業界>
 その代わり急激に増えているのは宅配である。1990年の9億個から2016年には38億693万個と4倍強に増えた。6年連続過去最高を更新し続け、伸び率も6.4%と8年振りの高水準だ。最近5年(2010~15年)でも2倍に増え、2015年のネット通販の市場規模は13兆7700億円と5年前と比べて1.8倍に増えた。6兆円を割り込んだ百貨店と大違いである。このため、昨年末はとうとう配達できない荷物も出たという。ただ問題があり、効率がいいようにみえるが、2割が再配送になっている。このためマンションの宅配ボックスの奪い合いが生じている。共働き世帯が買い物に行く余裕がないことから、通販に頼る確立は高くなる。共働き世帯は留守がちになるため、再配達が増えるという悪循環である。
 シャッター通りの代わりに忙しくなっているのは宅配便会社のドライバーである。消費者ニーズが変化し、荷物は小口化、多頻度化していった。このため人手不足で過重労働という悪循環が続くことになる。ドライバーの有効求人倍率は2.68倍と全産業平均の1.36倍の倍近くに達している。ところが若者は敬遠し、平均年齢は47歳に達している。そのためヤマト運輸はOB再雇用に踏み切らざるをえなくなった。

<悪化するドライバーの労働条件>
 音をあげたヤマト運輸の春闘では、労組が総荷受量の抑制を要求している。当然のことである。宅配業界で一世を風靡した風雲児・小倉昌男は「サービスが先、利益は後」とのたまっていた。この結果、過剰サービス合戦となり、時間指定や大手通販の無料配送が浸透していった。たく側にしても留守宅に行って再配達は二重手間であり、両方にメリットがあったが、残業増につながっていった。長時間労働が日常的になっており、労働基準監督署から注意を受けたところもある。このため、ヤマト運輸は、7万6000人の未払い残業代をすべて支払う方針を決めた。
 一方で消費者は宅配業界の顧客至上主義に乗じて要求をエスカレートしていった。こうして買い物を通販でするのが日常化し、歪みがますますひどくなっていった。資本主義が自由主義のスローガン「より速く」はこのあたりで考え直す必要がある。

<コミュニティが潰れ、CO2の排出が増えるばかり>
 我々はどこまでも便利さを追求してきたが、明らかに行き過ぎである。買い物に伴う会話がなくなると近所の付き合いも薄れ、街から潤いが消えていき、コミュニティが潰れていく。
「より速く」は葬り去らなければならないとしても私はかねてから物の輸送はなるべく少なくするのが環境に優しい生き方の基本であり、「地産地消」を提唱してきた。そうした観点からすると、何でもかんでも宅配便に頼るのはこれに大きく反し、配達に伴うCO2の排出もバカにならない。かくいう我が事務所も大半の文房具は通販で購入しているのが現実である。
 荷物が増えると利益が上がると思われていたが、荷物の伸び幅は予想を超えた。ただ、通販経由の利幅の薄い荷物が多く、営業利益増にはつながっていない。かくなる上は、荷受量を抑制する方策が必要であり、運賃の値上げで個数を抑制するのも対策の一つである。便利になる分応分の負担も強いても仕方あるまい。ドライバーの労働条件の改善もままならない。

<日本郵便に代わる「日本宅配便」に一本化、郵便受けに代わり「宅配ボックス」>
 SNSを通じたコミュニケーションにより郵便(ハガキ、手紙)が急激に減少している。それに対し宅配業界は46.7%を占めるヤマトをはじめ、佐川(32.3%)、ゆうパック(13.8%)、カンガルー(3.6%)等と乱立し宅配車を走らせている。これらの宅配便会社を「日本宅配便」に一本化して、効率化し、CO2の排出も抑えることが考えられる。既に宅配便会社で宅配物をお互いに融通し合い始めている。それならばいっそうのこと1社にしてしまったらどうかということである。すべての荷物をコンピューターを駆使して振り分け、地区ごとに一つにまとめて、郵便配達よろしく宅配便が朝一斉に各戸に届けることである。
 宅配便が日常生活に必要不可欠なら、民から官に上げて効率化を図りつつ、環境にも優しいものにしないとならない。将来は各戸には郵便受けに代わり宅配ボックスを備え付けることも考えたらよい。
 しかし、こんなことにならないように便利さの追求をセーブし宅配便は少なくするしかないのではないか。