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2017年4月28日

造ったダムはフル活用して発電すべし-太陽光、風力、バイオマスの陰に隠れる水力発電を推進-17.04.28

<小水力発電はずっと前から推進>
 世の中挙げて、再生可能エネルギーの大合唱である。よほど凝り固まった原発推進論者でも、大した発電量にならないとか、高い電気量になると文句は言いつつ、ダメだともやめるとも言っていない。そして、いつも私が食べ物で使い始めた「地産地消」にすべしということもついて回る。
 私は30数年前、『農的小日本主義の勧め』を上梓したのをきっかけに、東大の駒場キャンパスの環境意識の高い学生の勉強会に呼ばれて講演したことがある。その中のリーダー的存在だった中島大氏が「全国小水力利用促進協議会」の事務局長をやっているのに呼応して、国会では超党派の「水力発電の有効活用を促進する議員連盟」の事務局長をしている。ところが、これだけ再生可能エネルギーが宣伝されているというのに、太陽光パネルや風力ばかりが話題になり、水力発電が忘れられていることに、歯がゆい思いをしていた。

<明治のころに来日した外国人がうらやむ水エネルギー>
 4つのプレートが押し合ってできた高い山がある。そこに夏は温帯モンスーン・台風が太平洋側に雨をもたらし、冬はシベリア高気圧が日本暖流の湿気を吸い込んで山にぶつかって大量の雪をもたらす。こうして日本は平均雨量が1800mmと世界平均の倍になる。日本の川は、明治の頃30年にわたって土木を教え「砂防の父」といわれるオランダ人 ヨハニス・デ・レーケ(1873年から30年間滞日)は「日本の川は滝」だと称し、電話を発明したグラハム・ベルも1898年来日した折「川の豊富な水資源を利用して、電気をエネルギー源とした経済発展が可能だろう」と述べるなど、水力発電の好条件に恵まれている。つまり、豊富な水量と急峻な川があり、位置エネルギーでいくらでも発電できるのだ。ただ、ベルも日本が短期的にこれほどまでに発展し、膨大な電力を消費する国になるとは予想できなかった。

<竹村元河川局長の水力発電の勧め>
 こうした折、国土交通省河川局長を務めた竹村公太郎氏が著書『水力発電が日本を救う‐今あるダムで年間2兆円越えの省電力を増やせる-』が、「発電施設のないダムにも発電機をつけるなど既存ダムを徹底活用せよ!」「持続可能な日本のための秘策)」「新規ダム建設は不要」「世界でもまれな「地形」と「気象」でエネルギー大国になれる!」(本の帯)で、プロの眼からみた水力発電の可能性を優しく教えてくれている。当然上記の議員連盟の講師にお招きし、著書も熟読した。
 世界は大きなダムは川の生態系を乱しており、害が多すぎため古いものから撤退すべしというのが多数説である。しかし、この点はプロから言わせると少し違っていた。土砂がたまり耐用年数もせいぜい150年ぐらいと思っていたら、岩盤に直接連結する形になっており、大きな地震にはびくともせず、土砂を流したり取り除いたりするとかなり長く使えるという。
(「そういえば、ダムが地震で決壊した話は聞いたことがない。」と書いておりましたが、東日本大震災時に福島県 藤沼ダムが決壊し、死者・行方不明も出しているとご指摘をいただきました。また、熊本震災の折に大切畑ダムが決壊の危機にあったとのご指摘もいただきました。事実誤認で誠に申し訳ありませんでした。ご指摘いただいた方々にお礼を申し上げるととともにお詫び申し上げ、削除いたします。)

<発電のための4つのダム有効活用提案>
 氏は大きく分けると4つの方法を提案している。
 Ⅰ 現在治水のために満杯にしていないが、こうしたダムの空き容量を発電にフル活用する。
 Ⅱ 既存のダムを嵩上げして容量を増やして発電する。
 Ⅲ 現在使われていない砂防ダムや農業用水ダムで発電する。
 Ⅳ 地方自治体中心に小水力発電で地域の電力を補う。

 Ⅲ、Ⅳはよく知っていたが、ⅠとⅡはまったく初耳だった。このことをネタに4月10日の決算行政監視委員会の分科会で1時間、質問した。

<Ⅰ 1954年からは格段に進歩した気象予測>
 ダムはもとは「治水」すなわち洪水防止が中心だったが、途中から「利水」が加わり、大半の大型ダムは多目的ダムと呼ばれるものになった。ところが、治水が重視されるあまり、洪水に備えて満水にせず、常に大雨を受け入れるようにしている。
 1954年台風15号のため洞爺丸沈没事故が起き、1155人が死亡する日本最大の海難事故となった。台風の予測がままならなかったからである。ところが、今や天気予報ははずれることがほとんどなくなり、上流で雨が大体どのぐらい降るか予測できるようになった。それに合わせてダムの水を減らして準備すればよいのに、相変わらず昔のルールで運用しているというのだ。満水にして発電すればかなり効率が上がる。
 ドイツは再生可能エネルギーを優先して使うことが義務付けられているが、太陽光も風力も天候に左右される電源である。しかし、気象予測の精度が増し、太陽光の強さも風の吹き具合もかなり予測できるため、調整電源をどれくらい使わなければならないか早目に通報できる仕組みになっている。日本はもっと正確な予測が可能なはずである。

<Ⅱ 既存のダムの嵩上げ>
 ダム建設には人口湖の下に埋もれる山村の悲劇がついて回る。環境を破壊し生態系を傷つけることも多い。また、竹村氏は水需要は1990年をピークに減少しており、もうダムを造るべきではないと断じている。一方で、せっかく好適地に造ったダムを発電用にリフォームし、有効活用すべきと主張している。ダム造成に伴う補償交渉の必要もなく、ただコンクリートを多く使うだけですむからだ。大体のダムは擂鉢状になっており、上のほうが大きく広がっているため、10m嵩上げしただけで容量は一気に倍になることもある。これで発電能力も倍増する。

<日本に大型ダムは不要>
 国際的にはダムは批判の対象となっている。水害を思ったほど防げず、住民生活や自然環境を破壊する。土砂を堰止め、自然のバランスを崩す。2000年に世界銀行が『世界ダム委員会報告』で、ダムは今後はあまり投資の対象にしない、撤去すべきと報告した。日本でも前原国交大臣が、八ッ場ダムをやめると言い出して混乱が生じた。2018年賛否が分かれた川辺川ダムが撤回に追い込まれた。洪水防止のために代わりに考案されたのが、スーパー堤防だが、こっちも遅々として進まない。
 かつて外国から原材料を輸入・加工・製品化し輸出して儲ける、いわゆる加工貿易立国のため、東京湾・伊勢湾・大阪湾の海辺を埋め立て工場に明け渡した。また、八郎潟を筆頭に干拓が行われて農地が造成された。しかし、今は辺野古の埋め立てや諫早湾干拓ぐらいしか話題にならない。休耕地が急増するのだから農地造成はとっくの昔からほとんどやっていない。更に空家が13%も生じており、住宅地の造成も大型マンションも少子化時代の下では不要なのだ。つまり、日本の国土をいじくり回す時代ではなくなったのだ。
 ところがいまだ国交省直轄27、補助34ものダム建設が行われている。最近の東京新聞が長崎石木ダム反対の動きを伝えている(4/16「こちら特報部」)。長野県でも上高地に近い「霞沢第2号」砂防ダムが作業道建設に10年もかかり、本当に必要かと疑問が投げかけられている(4/20信濃毎日新聞)。原発といいダムといい守旧国であり、日本は安全や景観はいつも二の次である。

<中山間地はどこでも小水力発電の適地>
 それに対して、将来有望なのが小水力発電である。というも水をせき止めるダムを思い浮かべる人が多いが、急な水路をらせん状に回転するものから、本流からちょっと横に流して発電してすぐ戻るものもある。デ・レーケやベルが驚いたとおり、日本には豊富な水量と急峻な地形がある。これらの総電力でも1400万kwhに相当する。つまり過疎に悩む中山間地ではいとも簡単に電力エネルギーの地産地消が可能なのである。竹村氏は、川という公共財はやはり地方自治体が中心となるべき、退職しても元気な発電技術者に参加してもらえ等具体的なことも提案している。
 北アルプスを望む安曇野は「さとやまエネルギー」という再生可能エネルギー会社が、高さ18mの既存の砂防えん堤に穴を開け、最大出力700kwh(一般家庭1000世帯の電力を賄う)小水力発電を計画している。売電収入の一部は、高齢者の交通手段の確保、農業振興、登山道整備などに役立てる計画である。竹村氏の提案通り、地元出身の大手プラントエンジニアリングの企業の勤務経験のある37歳の若手代表が中心となっている(4/21信濃毎日新聞「地域課題解決へ小水力発電活用」)。やればできるのだ。

<治水・利水・環境+再生可能エネルギー>
 日本は1896年氾濫を防ぐため河川法を制定している。土木の先進国フランスが治水と舟運を目的に河川法を制定する2年前である。1964年に第一条に「河川が適正に利用される」と利水が加えられ、大半のダムはいわゆる「多目的ダム」となっている。更に環境を問題とすべく1997年に「河川環境の整備と保全がされる」と改正された。これだけ再生可能エネルギーの必要性が叫ばれているのである。「水エネルギーの有効活用」も加えておいてしかるべきであるというのが竹村氏の主張である。
 竹村氏の試算によると①満水利用で900億kwh②嵩上げで343億kwh③発電に利用されていないダムや砂防ダム、農業用水路等で1000億kwhで合計2000億kwh余りになる。1kwh20円とすると200兆円の稼ぎとなる。そこにおまけの小水力発電1400万kwhもつながる。太陽光、風に負けずに水も有効活用し、原発のない日本を造らなければならない。

決算行政監視委員会会第4分科会資料

2017年4月21日

ふるさと納税を進めるなら「ふるさと投票」こそ理に適う-学生に地元の不在者投票を認めるべき- 17.04.21

<地元で投票できない学生の出現>
 日本の行政ルールはきちんとしている。その元はやはり「住所」であり、どこの学校に行くか、どこで税金を納めるか、どこで投票するのか等は皆住民基本台帳に登録された住所地を基本としている。
 ところが昨年の参議院選挙の折、故郷を離れて大学等に行った学生の一部が、住民票を残したままの地元で、「居住の実態がない」という理由により、選挙人名簿に登録されず、選挙権が行使できなかった。選挙権年齢が18歳に引き下げられた最初の国政選挙であり、注目を浴びたことから、明るみに出たものと思われる。

<住民票を地元に残す多くの学生>
 身近な問題なので、私は4月12日(水)の倫選特委で質問に立ち、これを取り上げた。
 1954年の最高裁判決で、学生の住所は下宿先とされた。その後総務省は1971年通達でこのことを裏打ちしている。同時にサラリーマンの単身赴任者の場合は逆に家族の居住地とすることも通達された。学生と社会人を別扱いしたのである。
 そして前述のとおり、日本は何事も原則として住所中心で動いている。だから2016年春に高校を卒業して巣立った学生はすぐに下宿先に移転届を出して3か月過ぎていれば、下宿先で選挙権を行使できることになる。ところが「明るい選挙推進会議」のインターネット調査によると、63.3%の学生が住民票を親元に残したままとしていた。この場合、地元で選挙権を行使でき、郵便で投票用紙を取り寄せ、近くの投票場で期日前投票ができることになっている。
 不在者投票には手間はかかる。有権者は地元に申請書を送り投票用紙を要求するのに82円の郵送料だけですむが、地元の市区町村は投票用紙を簡易書留郵便(392円)で送ることから経費が嵩む。但し、国から1人当たり753円の補助が出ている。また、下宿先の市区町村にも別途の手当がなされている。私も、正直少しでも投票率を高めようという総務省の手厚い配慮に感心した。

<居住実態調査の過疎市町村と大都市の格差>
 ところが、特に北海道の一部の町村が律儀にも地元で居住実態を調査し、学生は下宿先に移動してしまい実際には居住していない、という理由で選挙人登録せず、数100人が折角の投票権を行使できなかった。同じ北海道でも札幌市のような大都市はとてもチェックできないので、地元での選挙を認めている。毎日新聞の県庁所在地への事後調査によると、大半の市が札幌市と同じような対応をしている。つまり、きちんとチェックされた市町村を地元とする学生が割をくったことになる。扱いに差が生じてしまったのである。
 大都市の代表、横浜市は2万部のリーフレットを作成し、市内の27大学の学生に、選挙での投票を呼び掛けた。総務省の定めるルール通り、まず住民票を横浜市内に移すように促すとともに、移していない者には地元での不在者投票を呼びかけた。しかし、こうした努力もあまり効かなかったようで、高校在学中に投票できるものが多い18歳の投票率が51.17%地元を離れた者が多い19歳が39.66%とかなり差がついた。

<単身赴任者は投票も納税も家族の居住地>
 総務省は住所について、1971年には単身赴任者は家族の居住地としたが、1982年には必ずしも家族の居住地にしなければならないということではない、と県から問い合わせに答え混乱させる。つまり転勤族はどちらでもよいとされたのである。
 私は、今地元長野では駅前のワンルーム・マンションに住んでいる。12階建てで住民の大半は転勤族。しかし、住民票は家族のいる首都圏であり、総選挙になっても居住地・長野に投票権がない。大半が、長野営業所長なり支店長なりと1番の高給取りなのに、住民票が家族の元にあることから、地方税も一銭も長野県や長野市に納めていないのだ。これでは地元財政が圧迫されるのは当然である。
 ただ、こちらは長野市が調査をして、居住実態が長野にあれば課税できることになっているが、地方中核都市は面倒くさいのだろう。ほとんどそこまでしていない。これが北海道の過疎町村なら放っておかないだろうが、残念ながらそういう町村には高給単身赴任者はいない。ふるさと納税もあるが、その前に本社のある都心部なり首都圏から地方に単身赴任しているエリート会社員に、その地方の勤務地に住民登録を義務付け、その地方で地方税を払わせるのが先である。少なくとも中央官庁から地方自治体や地方支局部局に出向している公務員は、地方の勤務地の住民票を移している。

<地元に時々帰るだけの国会議員は両方とも地元>
 ここで国会議員の扱いにも触れないとならない。ほぼ全員が選挙区に住民票を置いている。しかし、東京の永田町にいることのほうがずっと多く、地元は金帰月来で週末だけである。近頃のように通年国会になうと尚更である。閣僚はもちろん首相となると地元入りなどはほとんどできない。ところが、1977年の住民基本台帳事務処理要領にある「住所の認定に当たっては客観的居住の事実を基礎とし、これに当該居住者の主観的居住意思(つまり選挙民に住む)を総合して決定する」に則ったのだろう。どこの選管からも客観的な居住がないなとどクレームをつけられていない。

<地元(故郷)に住みたいという学生の意思は尊重すべし>
 私は、農林水産省に30年いる間、外国2回(5年)に加え国内では独身寮2カ所公務員宿舎等5カ所と転々とし7カ所で投票した。しかし、誰に投票したかからっきし覚えていない。思いは我がふるさと長野県、特に長野1区にあり、小坂善太郎・倉石忠雄から始まり、中沢茂一、清水勇、若林正俊、田中秀征・・・のほうが関心が高かった。
 今、下宿生の一部が故郷との絆を断ち切られたくないという主観的居住意思から、住民票を下宿先に移さず故郷(地元)に置くとしたら、国政政治家や単身赴任者と同じく、そこで選挙権を行使させてもよいのではないか。さもなければ学生だけを差別していることになり、均衡を失する。
 もっと屁理屈をいえば、新幹線で1時間半の実家に週末ごと帰郷している学生がいたとしたら、単身赴任者が週末ごとに家族の居住地に帰るのと何ら変わらない。それを学生とサラリーマンで区別する理由が見当たらない。
 またけなげにも、大学は東京だが必ず地元に戻るという強い意志の下に、生まれ育った地元に住民票を置いたままにすることは許されてしかるべきである。そういう人材を地方は必要としているのであり、選挙も一時的な居住地より、今後ずっと住み続ける地元でしたいと思うのは自然なことである。私がその典型である(ただ、国政政治家になるなどとは思っていなかったが、質問時には、それが昂じて政治家になってしまったと、いつもの冗談を付け加えた)。

<成人式を地元(故郷)で出たいという切なる願い>
 もう一つ地元に住民票を残すある健気な理由が、20歳の成人式は同じ小・中学校に通い、思い出もいっぱい共有する竹馬の友と一緒に出たいという願いがあるようだ。長野では地区ごとの記念写真を撮る。東京の知り合いになったばかりの学友と成人式に出てもあまり楽しくないのはわかろうというものだ。
 長野1区内の成人式と住民票への関係を調べてみたら、大体が、中学校の卒業名簿をもとに、案内状を送り、住民票の有無に関係なく全員を有資格者としている。地元になんとかしてつなぎとめ、帰ってきてほしいという願いが伝わってくる優しい対応である。1月に大雪で覆われる北信州は8月15日のお盆、中野市はちょっと変わって5月4日に行っている。これは、故郷を離れた者も帰省し、帰省していることを念頭においているからである。
 ところが、人口が多い横浜市は冷酷である。横浜市内で宇暗レ育っても、今市外に住んでいる者は出席できない。理由は新成人が3万6000人を超え、会場の収容力の問題から無理だとホームページで堂々と述べている。ここに冷たい横浜市と暖かい長野県との差がくっきりと垣間見られた。

<ふるさと投票を認めるべき>
 住民票(住所地)と選挙権、成人式、納税義務の関係は、きちんと整理が必要である。と同時に、投票率を上げ、地方に肩入れする(定住・財政)ことを考えたら、自ずと結論が出よう。ふるさと投票を認め、地方で納税させることである。もう一つ、これを推し進めるとしたら、国民が自分の生まれ育った過疎地の市町村を応援すべく、本当にふるさと納税をしたいというなら、例えば地方税の半分を認め、投票権(少なくとも国政の投票権)は認めていくのが、国土の均衡ある発展にも地方の活性化にも役立つのではないか。

17.04.12倫選特別委員会資料

2017年4月14日

【種シリーズ1】世界的企業の儲けの「タネ」は種-穀物種子を民間ビジネスに任す時代錯誤は許されず-17.04.14

 私は30年農水省に努めたが廃止法案というのはそんなにお目にかからなかった。なぜなら、次の施策が必要となり古い法律が時代遅れとなると、新しい法律を作ると同時に古い法律を附則で廃止していたからだ。それを農林水産省は今国会で主要農作物種子法と農業機械化促進法の二本の廃止法として提出してきた。異例である。

<世界がタネに向いている>
 今日本の世界的企業というとトヨタ、日産、本田等が控える自動車業界だろう。他にシャープや東芝という衰退企業もあるが家電業界もある。世界はとみると相変わらず石油業界が力を持っているが、石油化学業界は、農業化学品(農薬、肥料)からアグリビジネスに手を染め、その延長線上で枯渇する石油から永遠に続く種に主力を移し始めている。アメリカがTPPで最も力を入れた製薬業界も巨大になりつつあるが、最近の目玉は生物製剤すなわちバイオ医薬品である。
 そして世の中は、次の時代の儲けのタネを探して鵜の目鷹の目である。かなり前にモンサントがアメリカの種子会社を買収している。ところが最近そのモンサントがスイスの巨大医薬品・化学品メーカーのバイエルに買収された。その買収額は660億ドルと史上最高だった。これより先に巨大な2つのアグリビジネス社、ダウ・ケミカルとデュポンが合併しており、更にもう一つ大手シンジェンタが中国化工集団(ケム チャイナ)に買収されている。よるつまり、世界の企業が次の儲けの「タネ」としてバイオにそして「種」に注目しだしたのである。農業界では「種子を制する者が世界を制する」といわれたが、それがあらゆる業界に広まっている。

<除草剤の耐性品種からターミネーター>
 モンサントのやり口を見れば、種を制すればボロ儲けできることがよくわかる。もともと化学会社、除草剤や農薬を造っていたが、自社の除草剤にびくともしない遺伝子組み換え(GMO)種子を創り出した。大豆のラウンドアップ・レディである。こうして農民に種子と除草剤をセットで売りつけ、毎年モンサントから多額の生産資材を買わないとやっていけない農業・農民を造り上げたのである。更に悪いことに、勝手に飛んできた種で育ったのに、無断で自社のGMOを使ったと賠償金をふんだくっている。その一方で、自家採種をさせないためF1種子ばかり作ることになり、農業・農家をますますがんじ絡めにしていく。いわゆるターミネーター・テクノロジーである。
 これがアメリカにとどまらず世界に広まっていき、日本にも手が伸びてくることは必至である。いつか米の種子が、すっかりバイエル(モンサント)に支配されているおそれもある。中村靖彦著『種子は世界を変える』(農林統計協会)「モンサント社の戦略」に詳述されているとおり、モンサントはしっかりと日本を標的にしてとっくの昔から研究開発を続けてきたのである。

<公共の財のタネを民間企業に明け渡す愚>
 日本は種の重要さを分かっており、1952年主要農作物種子法を制定し、幾多の改正を経て、米、麦、大豆の主要農作物について国と県が大きく係わって種の供給をしてきた。優れた特性を持った品種を奨励品種に指定し、都道府県など公的機関が定めたほ場で種子を低価格で農家に種子を提供してきた。
 ところが、経済界が奨励品種制度が民間育成品種の採用を妨げ、民間による新品種開発を阻害しているとして、度々規制緩和を要求してきた。今回、こうした要望を受けて前述の規制改革推進会議の「二人羽織」法案・農業競争力強化支援法案とともに主要農産物種子法の廃止を打ち出してきた。そればかりでなく、8条で「民間事業者が行う種苗の生産及び供給を促進するとともに、公的試験研究機関が有する種苗の生産に関する知見を民間事業者へ提供することを促進する」としている。何という愚かな改悪か私は目を疑った。ずっと日本国の税金で、まじめな研究者と農民が一緒になって育成してきた米の種子が、外国企業の手に渡り、生物特許やUPOV(植物新品種保護条約)によるPVP(植物品種保護)により独占権を与えられ、日本の農業が外国大手アグリビジネスに牛耳られる途を開いたのである。

<独占種子会社がタネ代をつり上げる>
 コシヒカリは福井県の農業試験場で開発され、日本中に広まった。各都道府県の農試験場は今も県作ブランドの開発に力を入れている。しかし、県の農試がこれで種代を高くしても暴利をむさぼることはできない。ところが8条は、この米の種子の遺伝子に関する知見を民間産米・みつひかりを開発した三井化学アグロに渡せということなのだ。そうなると公共研究機関が開発した品種を基に新品種を改良すると、高い価格で売りつけることになる。現に、今も業務用米のみつひかりの種子は20Kgあたり80,000円と北海道のきらら397の7,100円の10倍以上である。これがバイエル(モンサント)等外国企業に渡ったらもっと悲惨な目に遭うことになる。値段を上げられるだけでなく、突然供給を止められるたりすると食料安全保障の面からみても由々しき問題だ。
 生産資材の価格を下げ、流通経費を少なくして、農業競争力を強化しようという立派なお題目の法案が、いつのまにか「大手種子ビジネス強化支援法」になっている。

<農民は単なる儲けの道具としか考えられない大手アグリビジネス>
 アメリカは、ウルグアイラウンドにおいて自ら物を造ることをそっちのけで、サービス、金融・投資とか知的財産で儲けようとしていた。いわゆる新3分野である。ところがあまりうまく事は運ばなかった。そこで次はTPPでアメリカの特許法の条文をそのまま引用する形で、知的財産権の強化を図りまんまと成功していた。つまり、アメリカは前述のモンサントの例にみられるように、農業も工業も知的財産権で首根っこを押さえんとしているのだ。要は汗水垂らして働く農民の資材を牛耳り、虚業で儲けようという魂胆である。トランプ大統領の出現で、その野望は再び頓挫したが、大手アグリビジネスには、国民も農民も生命も環境も眼中にない。あるのは儲けだけである。

<植物が無から有を生じる、真の生産を担う>
 種子は、民間企業のものでも、一農民のものではない。農民にも国民にも大事な「公共財」なのである。国や県が責任を持って育成し、維持していかなければならないものである。それを日本は民間ビジネスに放り投げんとしているのである。
 世界の情勢は全く逆に動いている。種子を国を挙げて集めている。遺伝子組み換えも元になる遺伝子がなければ組み換えできない。人間は植物由来の食べ物に準拠して生きていかねばならない。太陽エネルギーで無から有を生じさせてくるのは第一に植物である。だから大切なのだ。主要農作物種子法は廃止ではなく、「農作物種子法」と名称も変え、他の主要な作物まで対象範囲を拡げ、国家が日本国民の食料安全保障のために、日本の気候・風土に合った種子を確保していかなければならない。種子は「農業の戦略物質」である。

<自家採種でなくともせめて自国採種が必要>
 私は、冬の氷の張った樽を割って出して食べる野菜沢菜漬が大好物である。この野菜沢菜の元は坊さんが京都からもたらしたといわれている。何年にもわたって北信州の気候・風土に合うべく種が変わり、その適した種を農民が選別してきたのである。GMO種子と違い、何100年もかかって作り上げられたものである。同じように広島に渡ったのが高菜になったそうで、元は同じだという。私の記憶では、我が家の農業でもまくわりうりもキュウリもスイカもトウモロコシも自家採種だった。つまり、種は自家採種が当たり前だったのだ。
 ところが、いつの間にか種はきれいなカラーの袋に入った購入種に変わった。日本には、タキイ、サカタ、カネコ等世界的にみてもトップレベルの種会社もある。だから、タネを他人の手に任せることに何の疑問も感じなくなっている。これに危機感を抱いているグループもいる。日本有機農業研究会である。重要な活動の一つが自家採種である。米・小麦・大豆は趣味の花や代替のきく野菜のタネと違うのだ(世界の種子市場は3兆円、うち穀物が9割)。せめて「自国採種」にしておくのが当然であり、外国採種は控えないとならない。

<日本は国を挙げて種の品種改良・研究開発をすべし>
 多国籍アグリビジネス(農業バイオ企業)は、まず種子の寡占化をやり遂げ、次に遺伝子情報を囲い込み、知的財産権で世界の種子を独り占めしていくに違いない。これに対応するには、日本は国を挙げて種の品種改良研究開発をしていかなければならない。何でも自由化で自給率を平気で下げるばかりか、農業の根幹である種まで外国に委ねて改革だと悦に入っているノーテンキには呆然とするばかりである。私は、世界の潮流と逆行し、規制改革推進会議の言いなりの最近の農政に怒りを覚えている。
 これでは、日本はますます危うい国になっていく。軍事安全保障とエネルギー安全保障(原発)にだけは異様にこだわるのに、日本国民の生命をつなぐ食料安全保障には全く無関心なのだ。北朝鮮がミサイルや核兵器にうつつを抜かしながら、食料でガタついているのになぜ気付かないのだろうか。このアンバランスは是正していかなければ、日本は潰れてしまうと心配している。

2017年4月13日

農業・農村の実態からかけ離れたアベノミクス農政 -規制改革推進会議の「二人羽織」法案で現場が混乱するだけ-17.04.13

 4月5日、民進党のトップバッターとして農林水産委員会の質問に立った。農水省提出8本の法律のうち1番重要な「農業競争力強化支援法」の審議で、4月6日には農水委を通り、11日の本会議で野党の反対するなかで衆議院を通過してしまった。多勢に無勢で数の力はいかんとも覆しようがない。

<事業統合と新規参入と逆方向を向く「支離滅裂」法案>
 この法律はいわゆる安倍農政の延長線上にあり、2015年の農協改革の流れに沿っている、いわく、日本農業の競争力を高めるため、農業資材業界と農産物流通業界等(農林水産省はこの等には食品加工業界も含まれると説明)の事業再編と事業参入を進めるというのだ。構造的に不況に陥っている業種や縮小しかない業種について事業再編がよく行われる。そんな状況にある業界はあまりないのに、肥料業界と飼料業界を例に、多数の中小企業が多すぎるので再編せよという。そこで、事業参入の例として、4社(クボタ、井関、ヤンマー、三菱マヒンドラ)の寡占状態にある農機具業界だけがあげられる。ところが他の業界がどうなのか皆目わからない。例えば、米流通業界なり製粉業界(小麦)なりが一体どっちにあたるか皆目わからないのだ。つまり、二方向を追う「支離滅裂法案」である。

<何を目指しているのかわからない「ピンボケ」法案>
 肥料価格が韓国と比べて高く、銘柄数も倍近くあるから、事業再編が必要という。牛肉の質で値段が違うように、肥料にも質の違いがある。同じ成分で比べたら、日本の肥料は肥料効果が高いから価格も高くなる。それだけのことだ。
 韓国は気候はそれほど大きく変わらない。それに対し日本は北から南まで長く、土壌条件もバラエティに富んでいる。作物も50年前のようにコメが半分以上を占めることはなく、青果物を筆頭に少量多品種生産が行われており、それに合わせた肥料も多くに銘柄になっていただけのことだ。それを政府が介入して統合させるというのは「ピンボケ法案」以外の何物でもない。

<ついに稲作まで機械化>
 米は八十八手の手間がかかり、小麦と比べて機械化するのはむずかしいといわれていた。しかし、持ち前の研究熱心と培われた技術により、いつの間にか田植え機、バインダー、コンバインと見事に機械化に成功した。といっても1960年以前では耕耘も馬や牛に鍬を引かせていたし、田植えは一斉に並んで手で植えていた。田の草取りも農機具といえば「ゴロ」と呼ばれる畝間を転がす手押しのものぐらいだった。かくいう私は牛の鼻の緒を引き、爪の先に泥をつめて、田んぼに這いつくばって草取りした最後の世代である。だから機械化による労働力の削減は痛いほどわかる。

<一気に機械化が進んだ1990年代>
 東京オリンピックの前後に、ガーデン・トラクターとか豆トラとか呼ばれ、リアカーを引っ張るとともに田畑を耕耘する小さなトラクター兼耕耘機がどこでも使われるようになった。その後、高度経済成長の波に乗り、日本の農機具は急速に売り上げを伸ばした。1977年には約7700億円の出荷額のピークに達した。その後は下降するばかりで推移している。それでも1980年代以降も、コマツ、豊田機械、本田、石川島芝浦(現シバウラ)の大手がトラクター等農機具を造っていた。ところが1990年代前半までにすべてが撤退し、現在のクボタ、井関、ヤンマー、三菱マヒンドラの4社体制が出来あがった。日本の農業が規模拡大を果たした専業農家と、兼業農家に二極分化してしまったからである。

<一人よがりの「お節介」法案>
 トラクター、田植え機、コンバインでみると4社の供給割合は1980年代で7~8割になり、1990年代以降は9割以上を占めている。肥料業界とは違う方向に動いたが、それぞれが得意な関連業界や中小企業に部品を発注したりして、やはり農民の細かい注文に応えている。いってみれば自動車業界と同じような産業構造になっている。それを国がバックアップして新規参入させるというのである。もしも農業が成長産業で儲かるならとっくに新規参入企業が増えている。衰退している産業相手では儲けも少ないから新規参入がなかっただけの話だ。
通常、法案化がなされるのは、国民なり農民なり業界なりから強い要請がある場合である。ところが、関係業界からそういう声が少しも聞こえてこない。それを上から目線で一人よがりの「お節介」法案なのだ。

<将来有望な輸出産業になると見込まれる農機具業界>
 ここでも韓国との比較がなされ、高いといわれるが、当の韓国農民は少々高くても故障が少なく、長持ちし、サービスも行き届く日本の農機具を買っている者も多い。肥料同様、質が違うのである。
 アジアの近隣諸国で同じ日本のように稲作の機械化が進んでいる国はない。従って稲作関係は国際比較はしにくく、割高になっていることは事実である。農産物輸出ばかりが宣伝されているが、農機具業界は稲作関係の輸出市場が拡大していくことが見込まれる有望産業である。

<兼業機会を作り出すための農機具購入>
 小さい耕地面積しかない兼業農家が年に2~3日しか使わない高い農機具をなぜ買うのか。いつも聞かれることである。農作業には適期があって、作業は集中する。だから、農業収益でとても採算が合わなくとも農機具を揃えざるをえない。およそ経済人とはいえない行動をとる。
 これは農家が農業だけで収入や家計を考えているのではなく、農家全体として考えているからである。つまり、兼業機会を作り出すために、兼業収入をつぎ込んでまで農機具を買い揃えたのである。
 少々学術的になるが、このことを生産費の調査でみると見事に説明できる。一時肥料をしのいで農機具費が生産量の最大の割合(30%前後)を占めた。ところが、労働費を農機具費の合計は約60%強とほぼ一定している。ということは労働時間を大幅に短縮できる農機具は、労務費を下げるために使われたともみれる。つまり兼業農家の高価な農機具の購入は、農業労働時間を少なくし、兼業機会を得るためのものだったともいえるのである。

<時代遅れの「規模拡大編重」法案>
 農業は、日本の産業構造の変化に合わせて見事に対応し、農民は農村地域社会に住み続け、地域の安定に貢献してきたのである。それを我が国の農政は口を開けば規模拡大の大合唱で、兼業農家に農業をやめてもらい、農地の専業農家への集積を叫び続けている。しかし、中山間地域では大区画は無理である。まだ長野県のように果樹・野菜が中心だと2夫婦が揃っていてもせいぜい2haが限度である。新潟の平野部ならば、何10haの稲作も可能だが、それでも田植え期や稲刈り期が集中しては農機具が間に合わないため、わざと多品種にしなければならない。農業とはお天道様と付き合いながら地道にやらなければならない産業であり、いつでもどこでも誰でも機械で大体同じ物を造れる工業とは違うのである。
 それにもかかわらず農水省は農業だけでモノを見て、兼業農家を追い出し専業農家だけを優遇しようとしている。農家全体が豊かになることも農村社会全体が活性化することも忘れているのだ。

<現場と乖離した規制改革会議の「二人羽織」法案>
 私が反対する1番の理由は、本法案が農林水産省の官僚が考えたものでも与党の自民党・公明党が考えたものでもないことにある。官邸に設けられた規制改革推進会議が注文をつけていやいや出来上がったものである。いわば「二人羽織」法案である。もっといえば農林水産提出ではなく、規制改革推進会議提出法案なのだ。目的は一つ、農協、特に全農から、農業生産資材の仕事を奪わんとする悪い意図があるだけだ。

<農業所得増大を忘れた「羊頭狗肉」農政>
 農機具でみると、農業資材は他の資材と比べてそれほど占有率が高くない。しかし、全農は農民の立場に立って、寡占状態になった農機具業界と交渉して、少しでも安く提供するのに大事な役割を果たしてきたのである。もし全農がなければ、もっと高い農機具を買わされていただろう。それを全農に代わって企業がもっと強欲に農民を儲けの種にせんとする邪悪な法案なのだ。
アベノミクス農政は農業所得を減らし、経済界に儲けさせる「羊頭狗肉」農政である。