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2017年6月26日

【加計シリーズ4】四国の獣医学部新設が国家戦略特区か -ライフサイエンスは無理だし、四国の家畜はもっと減少する- 17.06.26

<ごった煮の国家戦略特区>
 国家戦略特別区域法は、第1条で特区において「経済社会の構造改革を重点的に推進することにより、産業の国際競争力を強化するとともに、国際的な経済活動の拠点を形成することが重要であることに鑑み・・・」と定めている。そして、東京圏、関西圏、愛知県といった広域的なものから、仙北市、養父市といった小さな区域、そして問題の広島県・今治市まで10区が指定されている。広さもさることながら、区域の目玉も抽象的なものから具体的なものまで、わけのわからないものとなっている。
 例えば東京圏は「国際ビジネス・イノベーション拠点」として、23の改革メニューと75の事業がリストアップされている。都市再生特別措置法の特例から病床規制に係る医療法の特別まで、何でもござれで、正直なところ私には何が国家戦略なのかよく理解できない。

<今治市に的を絞った特区指定>
 そうした中に広島県となぜか瀬戸内海を隔てた対岸の愛媛県ではなく今治市がくっついて区域指定され、その中の8つの規制改革メニューの1つとして「獣医学部の新設に係る認可の基準の特例」があり、事業主体として「学校法人加計学園」が含まれている。
 他にもこの規制改革が何で国家戦略か、どこが国際競争力の強化なのか、どうやって国際的な経済活動の拠点が形成されるのか、さっぱり理解できないものばかりが並ぶ。加計学園の岡山理科大学獣医学部は、2017年1月20日に区域計画が作成されている。
 広島県にそれこそとってつけたように付け加えられた今治市の特区指定からして、加計学園ありきだったことが窺われる。このことは1番最近の暴露文書(?)でいえば、「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記されたとおり一目瞭然である。期限も安倍首相の意向で2018年4月開学と述べられている。

<どこへ消えたかライフサイエンスの拠点>
 当初はライフサイエンスの拠点と銘打っていた。しかし、四国の中ぐらいの市・今治市に新たに獣医学部を造ることが産業の国際競争力の強化につながり、今治市が国際的な経済活動の拠点になるのだろうか。そんな計画はどう捏造してもできないはずである。上記文書では「ハイレベルな伝染病実験ができる研究施設を備えること」と記されている。一方、愛媛県はというと、「ハイレベルの獣医師を養成されても嬉しくない」と正直であり、矛盾も垣間見ることができる。だから、途中から問題の「広域的」という言葉が入り、四国に獣医学部がないからという後付けの理由に変わった。さすがにライフサイエンスの拠点は世間からも理解されないとわかってのことである。

<獣医学部の偏在是正は構造改革特区の論>
 愛媛県の要望どおり普通の獣医師を育成することになったが、今度は国家戦略特区の名が浮いてくるという新たな矛盾が生じてくる。同僚の桜井充参議院議員は、この矛盾にいち早く気付いて追及していた。ところが、攻める野党はいつの間にか「総理のご意向」や、言った言わないの手続きにばかり向かい、本質を全く突いていない。獣医学部のない地域の獣医師の育成は、せいぜい以前の構造改革特区のことである。2007年から8年間に15回申請したというが、そちらのほうがまだ筋が通っている。しかし、家畜が増える見込みの全くない四国に、獣医学部がないからといって獣医学部を新設するのは、どう考えても国家戦略特区の話ではない。

<四国でライフサイエンスは無理>
 計画では160人という我が国最大の1学年定員に対し、既存の大学を上回る教授数の72人を集めることになっている。文系の法学部や経済学部は大教室で講義するだけなので定員が増えてもたいしたことはないが、今は臨床実習が伴う獣医学部は、国立大学で教授1人に約7人、私立大学で約21人の学生しか面倒を見切れていない。しかも、どこの既存の大学も教授数が足りていない。
 また、ハイレベルの教授陣というが、他の大学を定年退職した高齢教授かオーバー・ドクター(博士課程を修了したものの行く宛てのない者)だらけで、中間のいない教授陣しか集められないであろう。これでは人畜共通伝染病の世界最先端の研究などできるはずもない。何よりも、こうした学術的研究には、生物学、医学、化学等の他学部との協力が必要である。ところが、残念ながら近隣県の大学は十分に要求に応えられまい。その点、広域的に獣医学科が存在しないという文言に排除された京都産業大学のほうがずっと有利な条件が備わっている。関西圏の大学とすぐに連携できるからである。それよりも適地は、東京圏の東京農工大学(府中市)と日本獣医生命科学大学(武蔵野市)の拠点がある東京都の23区以外が最適地となる。

<家畜の減少著しい四国に獣医学部は不要>
 それよりも何よりも獣医師を育成したところで、生乳の指定団体制度をなくし、規制緩和に規制改革だと叫ぶだけのアベノミクス農政では、畜産も振興できない。現に急激な勢いで畜産農家戸数も減り、飼育頭数も減っている。獣医師の育成の前に、農業後継者の育成こそ急務なのに対し、農業を傷めつけるTPPや日EU・EPAを推進している。まさに矛盾に満ち満ちた戦略なき国政である。
 このままいくと、獣医師の対象とする畜産が四国にはほとんどなくなって、せっかくの獣医師も他の地域に行かないと仕事にありつけないことになる。四国に獣医学部の唯一の合理的理由である地方創生も何もなくなってしまう。
 今治市の特区指定は最初から「腹心の友」加計孝太郎へのプレゼント以外の何物でもなかったのだ。行政が歪められたどころか、すべてが大きな歪みの中で展開されてきたのである。今回の一連の事件(?)は国家戦略特区制度が「お友達優遇戦略」にとって代わられただけのことである。
 8月下旬には出される大学設置審議会の結論は、多分設置を許可せずに終わるであろう。そうでないと日本の民主的な法治国家とはいえないからである。

2017年6月21日

【加計シリーズ3】日本にも四国にも獣医学部は必要なし -規制緩和と言いつつ、お友達にエコひいきするイカサマ安倍政権- 17.06.21

 日本の畜産は、ずっと下り坂である。色々な数字のとり方はあるが、一つ例として、今から37年前の1980年を起点に現在畜産業はどれだけ縮小しているか、主要な家畜の頭数でみてみる。

<四国の畜産の減少率は全国を40ポイントも上回る>
 乳用牛は全国ベースでいうと190万頭いたが、今や140万頭と74%に減っている。同じときに6万頭だった四国は、2万1千頭と35%にまで減っている。肉用牛は203万頭から229万頭と全国的には増えているのに対し、四国は8万7千頭から5万1千頭と59%に減っている。豚は、全国では926万頭だったものが、788万頭と85%の規模に縮小している。四国では50万2千頭から24万2千頭と48%に減っている。つまり、畜産は長期的に縮小傾向にあり、特に四国の減り方は、全国と比べて40ポイント前後上回っている。

表〔家畜の飼育頭数の推移(全国・四国)〕


<獣医師の数も北海道・九州と比べて余裕がある>
 他にもう一つ、2015年現在での、上記3家畜の四国の割合をみると、乳用牛1.5%、肉用牛2.2%、豚3.1%。それに対して獣医師の数が3.4%もある。つまり、四国は獣医師に余裕があるのだ。
 獣医1人当たりの頭数を比較しても同じことがいえる。例えば、全国で獣医師は3万9,098人いるので、それをもとに割り算すると、乳用牛は獣医師の1人当たりの頭数は36頭、肉用牛は59頭、豚は202頭になる。それに対して四国はどうかというと、それぞれ15頭、38頭、108頭といずれも21頭、2頭、94頭少なく済んでいる。
 獣医師が足りないのは、実は畜産が盛んな北海道である。例えば、獣医師1人当たりは全国平均と比べ、乳用牛197頭、肉用牛143頭多い。豚だけは46頭少ないが、獣医師が足りないのは畜産の盛んな地域であり、四国などではない。
表〔2015年地域別主要家畜の飼育頭数・獣医師数〕


<160人の入学定員は四国の過剰な獣医師を生むだけ>
 獣医学部の入学定員でみるともっとこの落差が明らかになってくる。
 現在900人、ここに定員160人の加計学園(岡山理科大)獣医学部が今治にできることになると、1060人となる。
 北海道は、北海道大40人、帯広畜産大40人、酪農学園大120人の計200人と全体の22%になる。それに対して同じように畜産が盛んな九州は、鹿児島大30人、宮崎大30人と60人で全体の6%である。それなのに四国は160人と15%も占めることになる。上述のせいぜい全国の3%の家畜頭数にすぎない四国に過大な獣医師が誕生することになる。
 尚、女性の割合が増え続け、今や全在学者数6,275人のうち半数以上(50.6%)を占めるに至っている。女性の多くが犬・猫病院で小動物診療に従事し、これが産業動物診療(大家畜)獣医師不足の一因となっている。
表〔獣医学部入学定員・在学者・教授数〕


<分野別獣医師の偏在は医師の偏在と同じ>
 地方、特に過疎地の医師不足は酷く、ずっと続いている。つまり地域的偏在である。これを是正すべく、各県に一つある医学部にその県の医師となる県内出身者用の地域枠を設け、卒業生が出始めている。当然地元県への定着率は高く、尚且つ国家試験の合格も高いという。一方、産婦人科、小児科、外科等の生命に直接関わる科目の希望者が少なく、診療科目的偏在がある。
 前述のとおり、四国に足りないというのは、真っ赤なウソであるが、医師同様に獣医師でも分野別偏在が存在する。これも1980年と比べてみると、畜産動物診療が5,467人(21.7%)だったものが、2015年には4,317人(11.0%)と人数では1,130人減り、割合では11.7ポイント減っている。これに対して、いわゆる犬猫病院の小動物診療は、3,633人(14.4%)から15,205人(38.9%)と4倍強となり、割合も24.5ポイント増の約4倍増とねっている。
 この他公務員分野では、公衆衛生分野は大差ないが、農林水産分野は実数で1,000人減、割合で半減している。
表〔分野別獣医師の推移〕


<獣医師を増やして畜産を振興するのか>
 これからみてもわかるとおり、四国に獣医学部を造る必然性は全くない。いや、日本に造る必要はない。だから、50年間も獣医学部が新設されなかったのだ。つまり需要はどんどん減っていたし、今後はもっとスピードを強めて減っていく。そうした中でも、四国の畜産を振興するために、それこそ特区に指定して欧米並みの手厚い農政をするのならいいが、アベノミクス農政は真逆の方向を目指している。
 TPPで一番影響を受けるのは乳用牛・肉用牛・豚の畜産である。日EU・EPAでも、チーズ等の畜産物の関税を下げる妥協をしつつあり、それに拍車をかけんとしている。それを獣医師の偏在を直すために四国に新設するというのは本末転倒もいいところである。


<日本の畜産の悲惨な将来像>
 世界は自国の農業を守りきっている。つまり最初から「自国農業ファースト」なのだ。その中でも畜産は金額的には最大の分野を占め、手厚い優遇農政が行なわれている。その中でも酪農は朝と夕方の二回搾乳する、まさに労働集約的農業そのものであり。勤勉の象徴であることから一番優遇されている。だからEUではよく「ミルクの湖、バターの山」といった過剰生産が問題になる。
 日本の農業が過保護というのは、安倍首相の言葉を借りれば「デマゴーグ」「決めつけ」「印象操作」でしかない。日本ほど農業を衰退にまかせた政府はない。
 日本は何も手を打っていない。別表に折れ線グラフで、このままの減少傾向が続いた場合、日本の家畜の飼育頭数がどれだけ減少するか示してみた。これを直すには、自国の食料を自国で賄うという確固たる農政しかない。
 安倍政権はTPPやEPAでさんざん畜産を犠牲にしておいて、一方で獣医学部の新設により日本や四国の畜産を振興できるというのであろうか。論理が破綻している。
グラフ〔家畜の飼育頭数の将来予想(全国)〕
グラフ〔家畜の飼育頭数の将来予想(四国)〕


<とってつけたライフサイエンスの研究>
 それよりも何よりもその前に、国家戦略特区は成長産業を造り出すというのが目的であり、地域の偏在をなくすなどという目的のためではない。よしんばそれを認めるとしても、それは構造改革特区であって、わざわざ広島・今治を特区にしてやる必要はない。
 今治に狙いを定めていたのは明らかなのだ。安倍首相は、最初の頃は世界と競争してライフサイエンスの研究、と言っていた。今や誰の目にも明らかになったとおり、獣医師の偏在是正、そしてスピード感のある規制緩和と言い方を変えた。ライフサイエンスのことを考えるのであれば、四国のこれといった蓄積がないところで、世界を相手に研究ができるはずがない。私が質問に立ったら指摘しようと思っていたことだが、松本洋平内閣府副大臣の地元に近い府中市と武蔵野市に東京農工大と日本獣医生命科学大の2つがある。東京圏に世界と競争できる研究拠点を造るのがベストである。


<たった一つの合理的理由は全国共通の地方創生のみ>
 途中で加計学園にエコひいきされ、あえなく消えていった京都産業大は、前々から準備して畜産学科ができている。学者も集まりつつある。東京と同様に今治よりもずっと研究蓄積が進んでいる。ここでも今治に獣医学部を造る理由は見当たらない。
 日本の大きな政策課題の一つが地方創生である。農村産業地域導入法もできたし、未来投資促進法等もできたりしているが、高度経済成長時代と違って工場が地方へ行くことは少ない。そこで、地方の活性化は今や大学の誘致くらいしかなくなっている。だからどこも大学の誘致に熱心なのだ。私の地元長野でも、長野県立短大が4年制になり、長野大学が公立大学となった。長野市に看護学部を造る話も進んでいる。今治市がずっと獣医学部に固執し続けた理由はある。しかし、国が、特に今治だけを特別扱いする疑問はここにも存在する。


<恥知らずの「お友達優遇戦略」は許されず>
 国会論議では、安倍首相の「腹心の友」加計孝太郎へのエコひいきと、それを忖度した旧内閣府の強引なやり方ばかりが問題にされたのだ。公平性・透明性に著しく欠ける決定がなされたことは明らかである。しかし、残念ながら国家戦略特区のそもそもの目的との合致がほとんど議論されなかった。今治での獣医学部新設は国家戦略とは無関係である。
 安倍政権の言っていることは最初から辻褄が合わない。国会の論戦は「総理のご意向」「官邸の最高レベル」の文書があったかないかといった手続きの問題に終始してしまったが、この今治市に岡山理科大獣医学部というのは、そもそも根本から狂っていたのである。8月の文科省の審議会の結論は、新設を認めず、となる気配が濃厚である。
 この問題について数字を羅列して説明させていただいた。尚、詳しい数字の資料は、ブログに添付するのでご参照いただきたい。


 追記:6月19日の安倍首相の記者会見があまりにひどいので、加計問題がいかにおかしいのか、今後項目ごとに連続してブログ・メルマガにまとめてみる。

2017年6月20日

【加計シリーズ2】 恐ろしい官邸の人事介入 -安倍内閣の嘘は一丸となって糾弾するしかない- 17.06.20

<アメリカのチェック機能>
 アメリカではトランプ大統領が果敢に政策を実行している。重要な公約の一つであるTPPからの離脱はどこからも文句が出ていない。NAFTAからの離脱は何度も明言していたにもかかわらず、折れて再交渉に妥協した。これもさしたる波風が立っていない。それに対し、イスラム各国からの入国禁止という強権発動が地方裁判所で違憲とされ、司法がトランプ大統領の暴走にストップをかけている。
 いろんなことをしているトランプ大統領だが、よくみると一貫しているのは、自分の掲げた公約をすべて実行しようとしているだけのことである。もともと大半のアメリカのマスコミを敵に回して当選しているが、大統領になってからはマスコミのトランプ攻撃はより激しさを増している。それにもかかわらず、トランプ支持者(つまり彼に投票した者)の多くは支持し続けている。

<大統領の暴走を許さない民主主義国アメリカ>
 パリ協定からの離脱は、大統領になってから一度も触れていなかった。私は、相当迷っているだろうと想像し、これこそ穏便に済ますだろうと思っていた。ところが、離脱したので正直驚いた。しかし、政権内部からも擁護しようとした石炭産業からも批判の声が上がっている。
 そしてロシア選挙干渉疑惑である。今度は議会がコミーFBI前長官を呼び出してチェックし始めている。『 議会の厳しいチェックを受けるトランプ政権 - 三権分立の効く民主国家アメリカ - 』17.05.12 のブログ、メルマガで述べたとおり、アメリカは本当に三権分立が機能している国である。それに対してわが日本はどうかというと全くなっていない。野党がそろって前川前次官の証人喚問を要求しても、与党自民党は拒否し続けている。行政府をチェックするという立法府に課せられた使命を果たしていない。

<安倍一強が極まる日本>
 菅官房長官は記者会見で「総理から一切指示はない」と言い切っていた。そこに「総理の意向だ」「官邸の最高レベル」といった文書が出てくると、今度は「怪文書みたいな文書だ」と全否定した。その後一応文科省で調査をしたが、1日後に何も出てこなかったと言い放った。
 そして今度は前川前次官が存在するといっても再調査はしないと言い張っていた。ところが6/8の官房長官記者会見で厳しい質問攻めに遭い観念したのだろう、翌6/9松野文科大臣が一転、追加調査すると記者会見。通常国会の会期末を狙って6月15日に大半の文書の存否を認めることになる。アメリカと比べて、とても民主主義国家とは言えない。麻生副総理はアメリカのパリ協定離脱に対し、「所詮そのような国」と言い放ったが、アメリカから見ると日本こそどうしようもない国と映るに違いない。

<見苦しい官邸の前川前次官中傷攻撃>
 どこが酷いかというと、官邸の各省の人事に対する恐ろしい介入である。大臣、副大臣、政務官は政治家である。首相や官邸が人事で睨みを効かせて当然である。ところが今や前号で指摘したとおり、内閣人事局を通じて各省にヒラメ官僚を育成し、根付かせるだけではなく、心ある官僚の追放をし始めたのである。政権交代のたびに中央省庁の幹部も交代する、アメリカの回転・ドア人事でも最初は大統領が権力を行使しても、その後の各省の人事は各省の長官任せである。そうでないと各省の秩序が保てない。それにもかかわらず、日本は内閣人事局ができてまだ3年なのに、もう官邸が全てを取り仕切り始めている。
 前川前次官に対する菅官房長官の人格的攻撃が特に酷い。
 読売新聞が5月22日の朝刊で前川前次官の出会い系バー通い記事で先鞭をつけた。前川前次官が加計学園に獣医学部を認めることが「総理の意向」だという発言が朝日新聞(5月25日)に掲載される3日前のことである。読売の御用新聞化は誰の目にも明らかになりつつあるが、あまりにも露骨な前川潰し記事である。

<少しは反省した読売>
 読売は、出会い系バーは「売春の温床」だとし、「教育行政のトップとして不適切な行動に対して、批判が上がりそうだ」と提灯記事を書いた。そしてそれに喜んで呼応したのが、第二の権力者菅官房長官である。翌5月26日の記者会見で、「教育行政の最高責任者がそうした店に出入りして、小遣いを渡すようなことは到底考えられない」と断じた。その他にも「天下り問題で地位に恋々としていてやめなかった」と悪口を言いまくった。あまりに稚拙でみえみえの連係プレーに失笑を禁じざるを得ない。
 一方で、「官邸の最高レベルが言っている」とか「総理のご意向」とかは事実でないと強弁し続けた。前川前次官の発言を否定するために、とうとう御用新聞に情報を流し(既に杉田官房副長官から菅官房長官に伝わっていた)、更にその記事を悪用したのである。
 読売のこの突出した記事が国民やジャーナリズム界から総批判を受けることになった。さすがにむきが悪くなった読売は、後日社会部部長がわざわざ反論を掲載している。大人の国フランスでは、政治家の女性スキャンダルが大きく報じられることは少なく、まして政治に影響することはほとんどない。それを遅れた日本は政争の具にしている。

<ますますひどくなる官邸>
それに対し、官邸はますます暴走した。安倍首相は6月1日ニッポン放送(読売系列)のラジオ番組で、前川前次官が官邸に来たけれど一体なぜその場で反対しなかったのかと開き直った。前川前次官は、この点については現職中に意見を言わなかったことを素直に反省している。
 それならば、前川次官がそこで反旗を翻したところで、安倍総理は聞いたのだろうか。今の現状を見ていると聞き入れてくれたとは到底思えない。それどころか怒って数日後に更迭したのがオチだろう。というのは、森本康敬釜山総領事が朴槿恵大統領が弾劾されんとし、北朝鮮がミサイルと核の実験を繰り返す中、駐韓大使を二人とも日本に引き上げたことについて私的会合で批判的なことを言ったら、すぐに代えられているからだ。このことからすると、前川前次官は天下り問題の前に飛ばされていただろう。辞めて失うものがなくなったからこそ今回の思い切った発言・行動ができたのである。

<霞ヶ関の反乱につながってほしい>
 ところが、問題はその後も続く。後任の事務次官は、前川前次官が予定外に早く退めたからなれたので、反旗を翻そうとしない。それよりちょっと後に控えている後輩も、安倍内閣はあと3年も4年もやるかもしれず、嫌われたら出世は出来ないので当然口をつぐむ。こうして日本の官僚制度は「政僚」ばかりとなり死につつあるのだ。辛うじて反旗を翻せるのは、その下の下の部下である。つまり、安倍総理がとっくに総理でなくなったあとに幹部になる者なら真実を語れる。やっと心ある若手官僚が見るに見かねて文書の存在をやっと語り始めた。なぜならば、私生活まで監視し、御用新聞にバラす恐ろしい手口に霞ヶ関は震撼し、自らの危機を感じ始めたからである。

<マスコミも安倍追及に本腰>
 これにはマスコミも追従した形となった。私は6月8日の菅官房長官記者会見はテレビのニュースでしか見ていないが、一人の女性記者が敢然と正論の質問をぶつけ、しつこく追及していた。今回はこの記者会見が契機となり、さすがの菅官房長官も再調査しないとならないと腹をくくったようである。
 今日6月9日松野文部科学大臣が再調査をすると言い出した。これで化けの皮が剥がれていってほしいと願っている。日本が民主主義国家であることを示すためには、相当のいかがわしいことが行われていることが明らかにされ、安倍総理がその責任をとって退陣する以外に今の日本の政治を自浄させる道はない。

2017年6月11日

【加計シリーズ1】 官邸の政僚が虎の威を借りて政策を歪める -既得損益打破と言いつつお友達をエコひいき優遇する安倍首相- 17.06.11

 今まで折に触れ、「政僚」(政治的官僚)の危険性を指摘してきた。政治が官僚人事に介入すると、官僚はポストを与えられなければ仕事ができないので、国家の将来を捨ておいて人事権を握る政治家に追従してしまうことが想定されたからである。そして、私が心配したとおり、加計学園をめぐるドタバタ劇の中で官邸の政僚が安倍首相の意のままに(意を忖度して)跋扈し、政策が歪められる姿がくっきりと浮かび上がってきた。

【政僚シリーズ】
【1】日本の官僚制度の危機14.08.24
【2】西村内閣府副大臣のTPP情報公開撤回の怪15.05.24
【3】橋下徹市長政界引退宣言にみる政治家の出所進退15.05.24
【4】安倍官邸の経済優先外交は頓挫の連続16.12.07

<一括採用・一括人事から内閣人事局へ>
 何を血迷ったか、2007年7月第一次安倍政権の下、「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」が、国家公務員の人事を内閣で一元管理して、内閣機能の強化を図るための検討を始めた。福田康夫内閣に代わり、官僚人事を一元して内閣人事庁が提案された。官僚国家フランスの仕組みを念頭に置いたものである。これに対し、元通産官僚の町村信孝官房長官が「閣僚(各省の大臣)の人事権が弱まる」と反対した。その後、麻生政権でも与党自民党内ですらまとまらず、なかなか実現しなかった。
 民主党政権時代にも検討された。確かにあまりに省益にこだわるのはよくないが、それを直すための改革で、一括採用・一括人事などを導入したら、それこそ「角を矯めて牛を殺す」ことになる。日本の役所にプロがいなくなり、皆がジェネラリスト(なんでも屋)になってしまう。私は今日の姿を十分に予想できたので何かにつけ反対した。

<安倍内閣で完成した内閣人事局>
 ところが、ごく一部の人たちで議論が進み、私は他の多くの案件もあり、ほとんど党内の議論に参加できなかった。そのうちに、いつの間にか委員会に回されてしまった。そこで窮余の策として内閣委で質問しようとしたが、当局が恐れたか(?)、させてもらえなかった。
 ただ、幸いにして民主党の力不足からか民主党政権下では内閣人事局はできず、2014年次の第二次安倍政権になってから出来上がった。つまり、第一次安倍政権で始まり、紆余曲折を経て第二次安倍政権で完成し、今まさにそれが濫用されているのである。気がつかれないことだが、安倍政権の強権的性格の根源は実はこの内閣人事局にある。

<あまりの官邸介入が行政全般を歪める>
 大半の人は官邸が600人の指定職(部長審議官以上)を知る由もなく、大したことないだろうとタカをくくっていたに違いない。ところが安倍政権は、根拠もなしで規制緩和を叫びながら、官僚統制は全く逆の方向に進めた。上ばかり見て動く、いわゆる「ヒラメ官僚」は大臣を飛ばして官邸を見て仕事をしだしたのである。人事権が内閣人事局に移ると、上司は大臣・副大臣・政務官の各省の政治家ではなく、官邸になってしまったのだ。この数年、あまりに官邸の介入が凄まじかったため、あちこちで混乱が生じている。例えば、今国会、農林水産省所管の法律は8本あったが、そのうち5本は内閣の規制改革推進会議提出といってよい。

<国会議員と霞ヶ関幹部を操る官邸>
 私は安倍一強体制の強権的態度からして、内閣人事局に不安を抱いてきたが、まさに的中してしまった。小選挙区制度により議員の生殺与奪の権限を掌中に納めた上に、内閣人事局により各省の幹部を欲しいままに操り出したのだ。
 まともな社会では、やはり行き過ぎはいつか是正されていく。今回、加計学園問題での前川喜平前文科事務次官の正直な告白により、そのいかがわしい指示、命令系統にヒビ割れが生じ始めたのである。

<小松一郎法制局長官から始まった官邸の人事介入>
 総理が自ら乗り出した第一番目の人事は、小松一郎駐仏大使の内閣法制局長官への起用である。法制局は内閣の法の番人として各省庁のとびきり優秀な人材が参事官として出向し、その中から4人の部長が生まれ、総務主幹-次長-長官となっていく。他省庁の高官がいきなりなったことなど皆無である。安保法制をどうしても通したいという思いからのメチャクチャな人事だった。小松氏は第一次安倍内閣で安保法制を検討した時に国際法局長を務めていた。しかし、司司(つかさつかさ)の役職がある。いくら条約課長、国際法局長を歴任したとはいえ、ルールを大きくはずれた人事である。
 これ以降、安倍強権人事がこれほど明確に外に表れることはなかったが、ジワジワと内閣人事局を梃子にした霞ヶ関の官邸支配が浸透していった。

<官邸に跋扈(ばっこ)するヒラメ政僚>
 そしてとどのつまりが、今回の加計学園問題である。「森友学園問題の焦点化は解散狙いか17.4.3」のブログ・メルマガで指摘したとおり、酷さは森友学園の比ではない。四国の一角に1学年160人の巨大獣医学部が突然認められるプロセスは、まさに政僚の跋扈そのものである。官邸に集められた各省からの出向組が、官邸(首相、官房長官)のお覚えを得んと、虎(官邸)の威を借りてひたすらヒラメ官僚に徹したのである。
 総理の鶴の一声で認められる政策や予算があってもよい。しかし、自ずと限度がある。強引に事を運ぼうとした者として1番目に名前が挙がる政僚は藤原豊審議官(経産省)である。安倍首相や今井尚哉秘書官(経産省)あるいは菅官房長官の命に従って忠勤に励めば親元の経産省での出世が約束されるからである。大学設置基準どおり運用しようとする文科省に対し、ひたすら茶坊主に徹して圧力をかけた様は、マスコミの報道で国民に十分知れ渡った。見苦しい限りである。

<国家戦略特区をお友達優遇に使う安倍首相>
 安倍首相は、加計学園への獣医学部の認可について、獣医師を増やそうとしない既得権益の打破のためだという。何をいうか。総理の30年来の友人にとびきりの便宜を図ることこそ新たな既得権益を作り出すことではないか。
 構造改革特区も国家戦略特区も、政府が狙ったことを勝手気ままに実施する手段ではない。今治市に巨額の投資をして獣医学部を造るのが何の国家戦略か。畜産を振興するどころか、TPPでじわじわと縮小させんとしているのに、今更何でそんなに獣医師だけが必要なのか。それこそケチな「安倍お友達優遇戦略」以外の何物でもない。岩盤にドリルで穴をあけるというが、その穴にぶち込むのは国家の利益ではなく、安倍首相の汚れた柱(加計孝太郎の利益)ではないか。

<正常に戻すためには内閣人事局は廃止すべし>
 前川前文科次官が義憤にかられるのは当然である。加計学園問題は、官邸に群がるヒラメ官僚が、親元省でなくまさに官邸や最高幹部のほうばかり向いて動いた結果なのだ。そこにはもはや官僚としての矜持はひとかけらも存在しない。官邸はそうした輩の巣窟になってしまったのだ。この悪弊を打破するためには、内閣人事局は即刻廃止すべきである。そして従来どおり、人事は各省の大臣の専権に任せるしかない。さもなければ、日本の官僚組織は、官邸を横目に見た「全自動忖度機(そんたくき)」に成り下がってしまう。
 私立大学といえども、一旦できれば巨額の補助金が支払われ、壮大なムダを繰り返し、巨大な既得権益ができ上がっていく。一体何のための規制緩和なのか、全く本末転倒である。安倍内閣はますます暴走を極め、完全に狂い出した。早く何とかしないとならない。

2017年6月 2日

仏教国・共産主義国ベトナムのジレンマ-中国とアメリカのバランスの上に生き抜こうとするしたたかさに学ぶ― 17.06.02

 初めて訪れたベトナム、たった2泊3日で会合の連続。クタクタに疲れての帰国だったが、新鮮な気持ちでベトナムをみることができ、得るものは大きかった。

<ASEANでTPPに真先に手を挙げたベトナム>
 TPPは、2010年から交渉が開始されたが、ASEAN諸国はアメリカを警戒して参加しようとしなかった。なぜなら、成長を遂げてきたものが、1997年のアメリカのヘッジファンドがうごめいたアジア通貨危機でせっかくの稼ぎを皆もっていかれたという苦い経験があったからだ。マレーシアも当初は斜に構えていた。そうした中、ベトナム1国だけが敢然と当初の加盟国として名乗りを上げた。アメリカの念頭になかった参加国であった。

<中国への警戒がTPPを後押し>
 8月には米・加・墨のNAFTA(北米自由協定)の再交渉が始まる。カナダ・メキシコも隣の大国には、一種独特の愛憎半ばの感情を抱いている。つまり仲良くしつつ、取り込まれまいと必死で独自性を保っている。
 ベトナムもアメリカ以上に傍若無人な巨大隣国の中国に対して、それこそ複雑な感情を抱いているに違いない。ベトナム戦争で枯葉作戦にまで踏み切ったアメリカを憎む気持ちが強いことは想像に難くない。ところが、それを殺してまでアメリカがリードするTPPに入ろうというのだ。
 まず、1000年の中国支配がある。更にベトナム戦争中のどさくさに紛れて西沙諸島を奪われ、今や滑走路まで造られてしまった。ベトナム戦争終結後には、中国が56万人の軍を投入した中越戦争(1979年)もあった。今またすぐ目の前の南沙諸島まで進出され、近隣5ヶ国も領有権を主張し、争いの元になっている。このような隣の大国を警戒していることは手に取るようにわかる。

<アメリカの「核の傘」が必要なベトナム>
 日米同盟でいつも言われる「核の傘」ではないが、ベトナムこそ中国に対抗するために、アメリカの後ろ盾も必要とし、その証になるTPPに参加しているのである。
 日本では、TPPの全容が明らかになるにつれ、TPPの経済にもたらす効果がいくら過大に計算してもそれほど大したことがないと明らかになった。すると、推進派は慌てて、いや実はTPPはやたらと拡大する中国に対抗する包囲網のために必要だ、という尤もらしい理由を挙げてきた。実は、このことがそのまま当てはまるのがベトナムである。

<1億人に近付く人口大国だが、農業人口が半分の国>
 どこの発展途上国に行っても通ずることだが、空港や幹線道路は先進国に見劣りしない。ところが、一歩街の中や農村に足を踏み入れると格差が歴然としている。
 TPPの閣僚会合で訪れた所でいえば、インドネシアのバリ島(デンパザール)も同じだったが、2人乗りどころではなく、若者が4人乗りまでした日本製バイクが道路を埋め尽くしていることに驚かされた。まだ年端もいかない3、4歳の子供が前と後ろを帯でつながれもせずに同乗しているのだ。後ろの幼児が眠って後ろにコケたりしないかと車中から世話をやきたくなった。
 日本の高度成長期も同じであり、農村から若者が大挙して大都市に流出し、それが国の発展の原動力になっているのがよくわかる。

<見事な優等生対応>
 前号の連絡のとれた者の中で有識者として名前が上ったのがハノイ国立大学法学部のジャオ(発音に自信なし)教授である。他に、長野県のリンゴを輸入したいと私の事務所に相談にきたチャンさんにも関係者を紹介してもらい、やっと日程が組めた。週末なのに農業開発省の担当局長、前農業開発大臣でベトナム共産党の重鎮も時間を割いてくれた。
 (アメリカの要求に応じて国営企業規制を緩和し、その見返りにアメリカの繊維製品の関税を引き下げたのに、それを失うと大打撃になるのでは、という私の質問に対して。)
 アメリカが入ってくれたほうがよいのは明らかだ。だからTPPでの日本のリーダーシップに期待する。繊維産業の利益が減ることは仕方がないが、その分他の分野で補うしかない。
 交渉担当者は、大きく譲歩した素振りをみせているが、国営企業改革はアメリカに言われなくてもすべきことであり、交渉の犠牲になっていない。
 ただ、ベトナムは農業人口が半分以上を占めており、7割が農村で生まれ育っている。畜産をはじめ農業全体が零細で、オーストラリアやNZの農産物が押し寄せたら困るのは日本と共通である。TPPは、弱い立場の産業国への配慮が必要だ。日本の優れた農業技術の移転を是非お願いしたい。
 「アメリカ軍の傘」については、学者の間では当然議論はあるが、政府は公言していない、と無難な答えだった。

<APEC主催国として成功させたいという切なる願い>
 川崎研一政策研究大学院教授のGTAPモデルがTPPの経済指標として使われる。12ヶ国の中で最も効果が大きいのがマレーシア(23.48%)で2位がベトナムで、GDPを17.69%押し上げるといわれる。ところがアメリカ抜きのTPP11となると、ベトナムの場合の効果は約半分の10.39%に下がってしまう。ちなみにマレーシアは20.65%とそれほど下がっていないが、アメリカ抜きは意味がないと最も声高に主張している。
 
 それに対して、ベトナムは苦しい立場なのか、あるいは一党独裁というお国柄か、抑制がきく発言・主張が目立った。一つにはアメリカへの気兼、配慮である。加えて今年はAPECの主催国であり、うまくまとめ上げたいという願望があり、TPP11で対立構造を造ってもらっては困るという本音も垣間見えた。

<大国に翻弄されながら、したたかに生き抜く外交>
 ベトナムは、大国の狭間で国際政治の大きな動きに翻弄されながら、必死で生き残るという際どい外交を強いられてきているのだ。だから、アメリカ一辺倒で、アメリカの言うことを聞き、そのとおりにしていること以外に外交政策が存在しない日本よりずっとしたたかである。
 例えば、今回はアメリカにすり寄っているが、中国が高飛車に出た時は、すぐさま珍宝島の衝突等で中ソ対立が続くソ連に接近してバランスをとった。まさに敵の敵は友の典型である。1984年私が土壌研究者と訪ソした折、サンクトペテルブルクの土壌博物館にベトナムの大きな土壌マップがあったのに驚いた。東欧諸国と同じく友好国の一つになっていたからだ。(その場に全く同じ大きさで日本の土壌マップがあるので、なぜかと聞いたところ、第二次世界大戦時に日本を占領した場合に備えて作ったもの、という答えが返ってきたことにはもっとびっくりした。それがそのまま保存されていたのは何のため?)

<心が和んだ有機農業と田園風景>
 乱開発のない見事な田園風景には心がなごんだ。この点では日本のほうが遅れている。ただハノイでバイクに乗る人たちは、皆ヘルメットを被っていることに感心したが、一方暑いのに、大きなマスクをしなければならないことを同情せざるをえなかった。大気汚染がひどく、ワイシャツの袖も襟も1日で真っ黒になった。幼少の頃ハノイで育ったチャンさんも、水質汚染の凄まじさに嘆息を漏らしていた。日本の50年前と同じなのだ。環境保全の面でも日本の経験を伝えなければなるまい。
 チャンさんの気配りで、22日(月)の午前には、ハノイのすぐ近くのハイズオン省(Hải Dương)政府を訪問。私の関心のある有機農業現場の視察もできた。残念だったのは、持っていった私の日本土産が払底し、健気な有機農家に渡せなかったことである。
 日本人よりも総じて背が低い。しかし、顔つきはほぼ同じで、皆勤勉、将来は決して暗くない。頑張れと声をかけたくなる農民であり、国である。

(参考)5月24日 経済産業委員会 篠原 孝 質問資料>