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2017年8月31日

書籍のご紹介『満州開拓団の真実 ―なぜ悲劇が起きてしまったのか』

 8月25日恒例の満蒙開拓の慰霊祭の終わった直後、「満州開拓団の真実」(小林弘忠 著、七つ森書館 239頁 2,000円(税別))が送られてきた。
 著者の小林さんは元毎日新聞記者だが、残念ながら本が出来上がる直前に亡くなっていた(享年80才)。
 前書きに、2014年1月31日の予算委における、特定秘密保護法と満蒙開拓を結びつけた私の質疑のやりとりが紹介されている。
 私の質疑をきっかけに高社郷の集団自決(1945年8月25日)は、なぜ起こったかを追いかけはじめ、本にまとめられたものである。私自身も、後世にこの悲惨な出来事をきちんと伝え、二度と再びこのようなことが起きないようにするのが政治家の、そして関係者の役目だと思っている。それを小林さんにしていただいたので、感謝するしかない。
 できるだけ多くの方に本書を読んでいただきたいと思い、ご紹介することにした次第である。

目次
第一章 開拓民の犠牲者は八万人余
第二章 陸軍が主導した満州移民事業
第三章 ソ連軍の来襲
第四章 死の結束
第五章 沈黙の名簿
第六章 流血と闇市
第七章 強権発動もできなかった軍
第八章 大本営の哀訴
第九章 重かった終戦への舵
第十章 政府・軍の相互情報隠し

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[ 書籍のページ ]

2017年8月28日

秋刀魚が高級魚になる日 -公海の資源は人口比で分配すべし(?)という中国の無茶な屁理屈- 17.08.28

 日本はかつて世界一の漁業国であった。世界中の海をところ狭しと駆け回り、世界中の魚を獲っていたといってよい。典型的な魚食民族であり、戦後初期の頃、水産物は全輸出の1割を占めていた。
 秋の味覚として庶民に愛されるサンマは、今年も8月23日、北海道沖で獲れた20tが気仙沼港に初水揚げされた。中程度の大きさが中心で、昨年と比べてキロ当たり100円ほど高いという。しかし、最近ではそのサンマに暗雲が立ち込めている。

<海洋法条約に加盟するには漁業資源の保全制度の導入が条件>
 1976年、200海里時代の幕開けの頃、企画課の係長だったが、約20年後の1994年秋に水産庁企画課長を拝命した。私は水産庁に3回も勤務している。農業の専門家としていろいろ言われているが、実は農林水産省30年間の勤務のうち、約3分の1は水産に関係している。20年の歳月は海を巡る状況を一変させた。第三次国連海洋法条約がまとまり、水産資源保護のために資源量を把握して、これ以上獲ってはいけないという制度の導入を進めざるを得なくなっていた。TAC法と呼ばれ、海洋法条約に加盟するための条件でもあった。
 鉱物資源はそれぞれの国が権利を持っている。だから輸入して、それを加工して、それを輸出して日本の加工貿易は成り立っていた。ところが海の資源へのアクセスは簡単で、12海里の領海外は自由に漁業ができたのである。勿論日ソ漁業交渉、日米漁業交渉等で漁獲量は減らされたが、締め出されることはなかった。そこに突然出てきたのが200海里時代である。沿岸から200海里はそれぞれの沿岸国に主権を与え、資源管理を任せるというものである。沿岸国で獲りきれなかった場合は、外国に割り当てるという今のルールが出来上がった。

<日本の遠洋漁業が急がせた200海里排他的経済水域>
 200海里のルールは日本が世界中の海で縦横無尽に獲り歩いたことに原因があるかもしれない。どうせ来年か再来年に漁獲量を削減されるから、今のうちに儲けておこうということになる。網で相当な魚を大量に獲ったとしても「地産地消・旬産旬消」に最も反することになるのだが、冷凍、冷蔵して日本まで持たせて採算を合わすとなると、高級魚しか残さず余計な魚、小さな魚は皆海に捨てる。こうしたことが繰り返されたのだ。言ってみれば、他国の庭先(EEZ内)で魚を獲り放題だったがために、もうやめて出て行けと言われただけのことだ。

<中・台・韓が遠洋漁業に参入して日本近海は一変>
 その意味で200海里時代を当然のことだと思う。ところが日本も勝手な国である。遠洋漁業に乗り出す力のない中国と韓国に対しては、200海里ではなくお互いに12海里の外については自由に獲りつづけようということにしていた。ただ、ロシアが200海里を引いて日本に対して締め出しをしてきたので、対ロシア用に200海里を設定していた。ところが時代は過ぎ、中国・台湾・韓国漁船が日本に押し寄せてくるようになると、日本の漁船が資源管理をして休漁中なのにもかかわらず、目の前で中国・韓国・イモ漁船がやたらと魚を獲っている。これでは日本の漁業はやっていけない。早く200海里を設定しろという声が一斉に沸きあがった。つまり、日本が一昔前に世界中でしていたことを、近隣の中・台・韓がし始めたのだ。

<長くかかった国連海洋法条約会議>
 今はTPP、日EU・EPA等が日本の紙面を賑わしているが、最も長くかかった国際交渉は海洋法条約である。第一次、第二次、第三次海洋法条約と続き、1982年にやっと採択され発効したのは1994年である。第三次海洋法条約だけでも1973年に開始され10年もかかっている。日本は前述の通りTAC法等を変え1996年に批准した。そして海の日7月20日はその海洋法条約の発効日であり、私が手塩にかけたTAC法等の関連法案の施行日でもあった。
 既にこの時、今の中国のサンマに対する頑固な姿勢が垣間見られていた。海の資源は人類共有の財産(common heritage of mankind)といわれている。この関連の議論はなかなか卓越していた。
 大きな国際会議で始めて先進国と発展途上国の利害がぶつかり合った。当然先進国(北)は資源を有効活用するなり開発する能力がある。一方で発展途上国(南)には十分な技術も資本力もない。問題は人類共有の財産の典型といわれる深海底(seabed)におけるマンガン団塊等の扱いだった。一般的には200海里なり大陸棚で基本的には沿岸国が第一義的な権利を持っているが、公海上のものは無主物であり誰が採ってもよいということになっていた。

<人類共有の財産は人口比で按分すべしという中国のとんでもない理屈>
 中国がとんでもない提案をしたことを私は今でもよく覚えている。なんと、「人類共有の財産であるから、人口に比例してその資源を配分するべきではないか」というものである。そして人口比というのは、人口大国中国にとってこんなに都合のいい理屈はない。私はその屁理屈にびっくり仰天した。勿論こんなとんでもない理屈が通るわけがなかったが、深海底の資源は発展途上国のためにより多く使われるという妥協が成立した。

<共産国には都合のよかった遠洋漁業>
 一方漁業の世界では全く新しい動きが生じていた。ソ連がなぜ漁業に力を入れたのか。コルホーズ(集団農場)、ソフホーズ(国営農場)等の農業はうまくいかなかった。それに対し遠洋漁業は海上の大きな漁船の中ではごまかしもきかず、ノルマ達成なり資源の管理等、ソ蓮ないしロシアの遠洋漁業の成果を見て、今や中国・韓国・台湾真似をし始めたということである。つまり、日本が沿岸漁業国と成り下がり、遂に中・韓・台が遠洋漁業国となり、攻守を換えて交渉することになったのだ。
 かつての日本は他国の200海里内でも昔から獲っていたので少しは獲らせて欲しい、魚はいくら母川に帰って行くといっても少しは海洋で獲らせてくれ等と懇願していた。ところが、サンマもサバもカツオも公海で一生を終える。誰が獲ってもいいではないかと開き直られると反論の余地はない。漁獲を抑える理由としてあるのは資源保全だけである。日本だけが多く獲り続ける理屈は成り立たない。
 世界の人々はかつてそんなに食べなかったマグロを食べるようになり、サンマも食べるようになっている。

<日本のサンマ漁獲割り当て提案は合意に達せず>
 7月13日から15日まで、3日間に渡って開かれた北太平洋漁業委員会の会合で、日本はサンマの国・地域別漁獲量の新設を提案したが、参加国の中国・韓国・ロシアが反対して合意できなかった。今年中から一年後に限り中国・台湾・韓国が自国の漁船許可数の増加を禁止するというフワっとした合意しかできなかった。ただ、許可外の違法船が横行すれば、この合意は尻抜けなる。

<サンマが高級魚になるおそれ>
 日本のサンマ漁獲量は20~30万トンで推移し秋の味覚の代表格となったが、2015、16年と2年連続11万トン台に低迷している。中・台・韓の大型漁船が、サンマが日本近海に来る前に先回りして排他的経済水域(EEZ外)、つまり公海で乱獲をし始めたからである。サンマにはEEZは無関係で水温と餌で回遊ルートが決まる。公海では船舶の航行も自由であり、漁業も原則自由である。
 放置するとサンマは高級魚となり、秋の味覚などと悠長なことを言っていられなくなるおそれがある。さてどうするか。知恵を働かせないとならない。

2017年8月19日

代表選で政治的空白を作る余裕はないのだが? - 今秋解散・総選挙の兆しが見える - (8月2日両院議員総会) 17.08.19

<蓮舫代表の突然の辞任による慌しい代表選決定>
 7月11日から始まった都議選のブロックごとのヒアリングを受けて開催された7月25日の両院議員懇談会で、野田幹事長の辞任、蓮舫代表の続投の表明があった。ところが翌々日の27日、蓮舫代表も突然の辞意表明。27日に執行役員会で党員・サポーターも含めた代表選挙を8月21日告示、9月1日投票日で行う案が決まり、8月1日の常任幹事会にかけられた。

 そこで両院議員総会なり党大会で、国会議員中心でさっさと新代表を選出すべきではないかという強い意見も出され、相当やりとりがあったという。しかし、そのまま原案が是と判断され、8月2日の両院議員総会にかけられた。

<両院議員総会での意見を言わざるをえず>
 両院議員総会はマスコミにはフルオープンで行われる(前述の都議選の総括のような微妙な議論が行われる場合は、議員だけの懇談会となる)。その場で執行部案について意見を言い、揉めている様を知られるのには忍びないものがある。しかし、私はそのままいくと民進党はますますじり貧になり潰されるのではないかという懸念から、こんな緊急事態に1ヶ月もかけて代表選をやるべきではないという意見を言わざるをえなかった。多くの賛同者もいたが、いつものとおり強引な党運営をする執行部が押し切り、原案どおりに決まってしまった。

<代表選は民進党の団結を示す絶好機と捉える>
 国民は民進党を冷ややかな眼で見ており、自公政権・安倍政権がダメでも、民進党が代わりの受け皿にはなれないことが今回の都議選でも明らかとなった。3年3ヶ月の拙い政権運営への不信が拭い去られておらず、信用は全く回復していないのだ。我々は性根を入れ替えて国民の信用回復に努めなければならない。
 国民が民進党に不信の眼を向けるのは、いつもゴタゴタしている稚拙な党運営である。その期待どおり立候補者が選挙戦を繰り広げ、挙句の果て、その最中に離党者でも出てきたら、ますます「まとまらない」党だという烙印を押されてしまう。ここは、こうしたイメージを覆すためにも代表選はさっさと行い、新しい代表を速やかに選ぶことが信頼回復の近道である。民進党もまとまっているではないか、成熟しつつあるなと感じてもらう絶好の機会でもある。前原・枝野一騎打ちという中で、一本化を言うのは失礼かとも思うが、もし話し合いで一本化できれば、民進党もなかなかやるではないかと評価されるに違いない。

<政治的空白を作らず総選挙の準備に徹する>
 次に、安倍政権の突然の解散・総選挙に備えて、早々に代表を決めるべきである。こんな非常事態に1ヶ月もかけて代表選をやっている余裕はない。政治的空白を作ってはならない。私の一番の懸念は、代表選の最中か直後に解散をぶつけられ、またまた準備不足で議席を失う怖れがあることである。
 これをあまり言うと傷つく者もいるが、14年末の解散・総選挙は準備不足で、57から73議席と僅か16議席しか回復できなかった。状況は今と全く同じで、自民党は減員県の調整はほとんど済ませており、準備万端整っていたのに、民主党は候補者を埋めていない小選挙区が多く残っていた。私は7月11日のヒアリングで真っ先に蓮舫代表に、早く鞍替えする衆議院の小選挙区を明らかにすべし、不退転の決意を示すためには、最も得票率の低い小選挙区にすべし、と意見を言ったのもこの延長線上でのことである。

<安倍政権の支持率の回復>
 支持率が35%前後と第2次安倍内閣が発足以来最低となり、不支持率は50%を越え最も高くなっている。こうした中でまさか解散はないだろうと思われていた。ところが8月3日の内閣改造で支持率が数%上向いており、これならいけると高飛車に出てくる可能性が高まりつつある。民進党が代表選に現を抜かして準備不足であり、また都民ファーストが準備できる前にという思惑が働く。

<気になる公明党の動き>
 この他に公明党山口代表が珍しく、早期の解散・総選挙について言及している。都議選で自民党とは一線を画し都民ファーストと組んだが、国政では自・公連携を続けるとしている。ところが、創価学会の真面目な婦人部の皆さんを中心に安倍政権のタカ派的体質を嫌い、自民党と距離を置くべきではないかという真っ当な意見がくすぶっているという。憲法改正を巡って、また安倍政権の暴走が続くとなると、この動きがますます活発化する。その前に早く自・公連携の証を国政選挙で示したいという気持ちがあるのかもしれない。
 公明党が、公明党なしで選挙を戦えないとわかった自民党に対し、早期・解散総選挙をねじ込んだとしたら、安倍首相も受け入れざるをえまい。

<国会論戦に空白を作ってはならず>
 3つ目には、臨時国会開会を要求するばかりでなく、自衛隊の日報隠しの問題で安保委員会の閉会中審査を求めている最中である。そんな中で野党第一党がのうのうと代表選を行い、例えば閉会中審査をしている日に、どこかで代表選候補者の討論会をやっていては様にならない。追及する姿勢、戦う姿勢をそがれることになる。
 山井国対委員長と笠代理はいつも戦いの前面に立っているが、もしそうなれば、与党の国対委員長から顔を洗って出直して来いと言われても仕方あるまい。

<私の意見で党規約改正、いつでも全国ベースの選挙が可能に>
 私が民主党に参画してから14年間で10回の代表選があった。6回が任期途中の交代のため両院議員総会で選出、4回が党員・サポーターを含めたものだった。
 民主党の古い党規約では、秋の任期満了(かつて2年、今は3年)時しか党員・サポーターによる全国ベースの選挙ができなかった。詳細は省くが、私は2012年12月16日の大敗北の選挙直後の19日に開かれた両院議員総会で、民主党の再生を国民にきちんと示すためには、1月の党大会まで全国ベースの代表選をやるべきだと主張した。その時は受け入れられなかったが、その後党規約が改正され、前々回2015年1月18日の代表選(岡田・細野・長妻)に初適用された。

<党員・サポーターも国民も代表選には関心少なし>
 しかし、今回は政局が風雲急を告げている時であり、元どおり両院議員総会、あるいは党大会で公認候補と各県連代表を含めた選挙で早々に選出すべきである。
 第2次安倍内閣は、12年以来4年半も経ち、あまりの強引な政権運営で国民に「呆れられ」ている。それに対し民進党は、15年、16年、そして17年9月1日と毎年全国ベースの代表選をしていることになる。党員・サポーターももう疲れており、国民には「呆れ果てられ」ている。
 4回の全国ベースの代表選は、首相を選ぶ10年の菅・小沢は67%、12年9月の野田・鹿野・原口・赤松は、野田執行部が盛り上がらないように邪魔をして34%、下野後の15年1月の岡田・細野・長妻は46%、16年9月の蓮舫・前原・玉木は、知名度の高い蓮舫が参画したにもかかわらず40%と投票率はそれほど高くなかった。このままいくと低調な代表選になるのではないかと心配である。
(8月18日金曜日、井出庸生が推薦人集めをして出馬したいと記者会見し、少しは賑やかになる可能性が出てきた。歓迎すべきことである。)

<早く代表を選定するのがベスト>
 地方では、民進党に2千円払ってサポーターになり、6千円払って党員になっているのだから、自分達にも代表選に参加させろという声があるのは当然である。より幅広く意見を聞くべしという正論もわかる。しかし、諸々のこと全てを勘案すると、やはりさっさと決めるのが1番いいような気がする。
 12年の両院議員総会と同様、私の意見はすぐには通らなかった。もちろん解散・総選挙はない方がいいし、代表選が盛り上がってほしいと願っている。だが・・・とまたいろいろ心配の種は増えるばかりである。

蓮舫代表の無責任突然の辞任とその対応 - さっさと新代表の下に選挙体制を整える - (7月11日都議選総括ヒアリング) 17.08.19

(都議選の大敗北ヒアリングの7月11日からかなり経ったが、その後25日の両院議員懇談会、そして27日の突然の辞任、8月2日の両院議員総会における本格的代表選の承認とめまぐるしく動いた。旧聞に属するが、この間、私が何を考え、何を言ったかをブログに2回に分けて残しておくことにする)

<不承不承の都議選総括ヒアリング出席>
 7月11日からブロック別に東京都議選の総括のために意見を聞くということになった。私は、当初は会議に出ないことにしていた。ところが、親しい同僚議員にそのことを伝えると「篠原さんが出てピシッと言わなかったら執行部は反省するわけがない。是非出て発言してほしい」と言われてしまった。「なぜいつも俺ばかりが嫌われ役をやらなくてはいけないのだ」と反論したが、「篠原さんの場合は何を言っても嫌われないし(?)、皆もきちんと話を聞くから」と再要請され仕方なく出ることにした。

<恩情でした代表選辞退勧告>
 私は昨年、代表選の党大会の2日前、9月13日に、「蓮舫候補は代表選から辞退すべき」とブログで明らかにしている。その数日前には蓮舫候補にその原稿を届けてあった。私が前原誠司候補の推薦人になっており、彼を代表にしたいからと勘ぐられるかもしれないが、そうではない。蓮舫候補が二重国籍問題について嘘をついていることは明らかであり、私の趣味に合わなかったこともあるが、もっと別の理由があった。蓮舫代表は華があり大衆受けする民進党のスター政治家である。そんな彼女を低迷する民進党の建て直しで消耗させず、将来に温存したかったからだ。自民党があらゆる手段を使って国籍問題を突いてくることが目に見えており、そんなことで傷つけるのは民進党にとって大損失だからだ。

<人気者を選び使い捨てる民進党の悪癖>
ところが、蓮舫代表のままのほうが組みしやすいと見たのか、自民党が二重国籍問題で総攻撃をかけてこなかった。一方、こちらは、私が予測したとおり、蓮舫代表を担ぎ出した面々が、冷たく使い捨て始めた。真っ先に支持表明した細野豪志が代表代行を辞任した。また、蓮舫代表が続投表明後、幹事長を引き受けるなと電話をしてきた幹部がいたという。
 私の代表選辞退勧告は表向きは厳しいようだが、7月末に露呈した側近幹部の冷たい対応と比べると多分、私のほうがずっと愛情あふれる対応をしていたと思う。昨年秋の私のブログを読んだ2人の同僚議員から、いつもよりずっと優しい論調だし、やはり女性には弱い(?)と指摘された。この2人は行間を読めたのである。
 自力で選挙を戦えず、風が頼りの同僚議員がこぞって蓮舫人気に便乗しようと代表に選出した。ところが、役立たずと見るや、冷酷に突き放したのだ。何度も繰り返してきた悪いパターンである。

<蓮舫代表の責に帰すのはお門違い、3年3ヶ月の宿痾が原因>
 岡田元代表はじめ、いわゆる6人組と称される今の執行部に近い者が、2014年春に「海江田おろし」をやり出した時、私は徹底して海江田代表を擁護した。党員が一丸となって支えるのが筋だからだ。蓮舫代表も我々が選んだ代表である。私は代表選で蓮舫代表の名前は書いてないし、前述の悪さをしているので何の党の役職もないが、蓮舫代表を支えてきた。党員として当然の責務である。
 今回も東京都議選の結果は蓮舫代表の責任ではないと庇った。大敗の原因は明らかである。3年3ヶ月の民主党政権に対する不信、失望が今もずっと続いているからである。言ってみれば3年3ヶ月の宿痾(しゅくあ)であり、その総括が終わっていないからだ。蓮舫代表に責任があるとしたら、この宿痾に対する国民の厳しい目を過小評価し、その超特大の責任者である野田元首相を幹事長にしたことである。党内はもちろん国民からも見離されることになり、支持率が少しも上昇しない元凶となった。

<続投へのエール>
 私は過去との決別を図るべく、12年の大敗北からずっと野党大統合による新党結成に向けて動いてきたが、維新と統合し党名が変わったものの、生活や社民あるいは小沢・亀井も含めた統合は実現できずじまいだった。今、都民ファーストの会への流れと見て、宿痾のひどさを再認識している。
 まだ蓮舫代表はやる気を示していたので、私はそれをバックアップすべく、今後の蓮舫体制の起死回生策について具体的に提案した。
 今まで党の運営の仕方がまずいので、いろいろな意見を言ってきた、というより何回も建白書(?)にまとめて説明し、幹部にこのようにやってほしいと直接注文をつけてきた。残念ながら聞き入れられる確率はそれほど高くなかった。しかし、蓮舫体制になってからはそれを一度もしていない。正直言ってこういうことに疲れていた。だから、今回のヒアリングで久方振りに意見を言ったことになる。

<都議選で最低得票率の小選挙区から出馬>
 1つは蓮舫代表が先頭に立って戦う姿勢を示すことである。
 政権交代を目指す野党第一党の党首は、衆議院でなければならないということで、蓮舫代表も早くから東京のいずれかの小選挙区への鞍替えを明言していた。自民党は新たな区割り法案に基づく定員削減の調整が終わり、後はあぶり出された人を比例区でどう優遇するかということぐらいしか残っていない。それに対して我が党の党首がどこの選挙区で立候補するかもわかっていないというのはおかしい。だから、不退転の決意を示すためにも、先の東京都議選挙で最も民進党の得票率の低かった23区内の選挙区から立候補を表明し、そこで戦って議席を得るべきだとキツイ注文をつけた。
 私は5~6番目に発言したのに、サンケイ新聞は私のこの提案を真っ先に紹介し、見出しに使った。

<女性候補を比例区で優遇>
 次に、女性候補をたくさん擁立し、女性代表を前面に押し出すことである。
 通常国会が森友・加計問題や自衛隊の日報隠し等で紛糾し、超党派で推進していた男女共同参画法が通らなかった。しかし、現行制度下でもちょっと工夫することで実現できる。比例区で女性候補を擁立し、その候補を1回限り比例1位にして、他の候補を2位にするという優遇をするという手法がある。定数が減員された佐賀県で選挙区が変わったという事だけを理由に、九州ブロックで大串博志を1位にして、他候補を2位にした。本来であれば稲富修二が当選して大串が落選していたはずのところで大串が当選し、関係者から大顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。その大串が政調会長である。野田幹事長同様に皆が快く思っていなかった。
 比例の枠を1つ減らされることから反対する者もいるだろうが、新人女性1回限りでクリアできる。ただし、四国のように6人ぐらいしか定員のないブロックは困るだろうから例外にするとか、ルールを決めて断行すべきである。

<古い民主党の顔を一掃する>
 更に蓮舫代表が最もやらなくてはいけないことは3年3ヶ月の宿痾を払拭することである。「小池・都民ファーストの大勝利が民進党に示唆すること」(17.07.05ブログ)で示したとおり、信頼に足る受け皿があれば、自公政権など支持しないのだ。そのためには、民主党政権を潰した張本人である菅直人・野田佳彦元首相は公認せず、民進党から出て行ってもらうようにすることだ。民進党が受け皿になるには新しい党に生まれ変わらなければならない。
 メリーゴーランド人事でいつも日の当たるポストにいて、いい加減な政権運営をし、民主党を潰してしまった人たちも、一旦は退いていてもらうべきだ。ただ、これを貫徹すると前原も枝野も引っ込んでいろということになるが、深い反省の上で再建に取り組んでもらうしかない。

<地方・農村から反撃の狼煙を上げる>
 私が民主党に参画した2003年秋、民主党は紛れもない都市政党であり、都市部で強いことを「1区現象」と呼ばれていた。私は羽田元首相にその体質を変え、複数区(2区以上)でも民主党議員を誕生さすべく、民主党農政を推進してほしいと口説かれて政界入りしている。
 それから10数年、大阪は維新の牙城となり、今東京は都民ファーストに席巻され、その面影は微塵も残っていない。民進党の反転攻勢は地方・農村部からしかできないと思っている。2007年の参院選は農業者戸別所得補償だったが、今は反アベノミクス農政でいくしかあるまい。
(会合は非公開で行われた。私はそういう時も当然ルールを守る。しかし、誰が喋るのか、どんどんと記事になった。私の出た会合もそうだが、執行部に責任、解党的出直し、はたまた二重国籍問題等が取り沙汰された。私は蓮舫代表が続投すべしという思いから、そうしたことには全く触れず、上記の手厳しい提案しかしていない。