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【解散総選挙シリーズ8】無所属の会に参加 -民進党党籍のまま国会活動をすることを決意、そして選対委員長拝命-(17.11.20街宣ビラより)

<元民進党無所属ネットワーク>
 選挙期間中に岡田克也元代表から無所属ネットワークを作りたいと申し出があった。それに対して、私は当選後であればいいけれども今選挙期間中で戦っている時にそんなことをしてもらったら困る、と条件を付けてOKした。なぜかというと政党から離れて一人で戦っているということを判官贔屓も手伝って支持してくださる有権者の方々が、なんだ民進党無所属みたいなのかと誤解される恐れがあったからである。しかし、いつも高得票率で悠々と当選している岡田元代表には、我々のように必死で選挙戦を戦っている者の気持ちがわからないのだろう、さっさと記者発表してしまい、新聞に載ってしまった。

<19人も当選した元民進党無所属議員>
 早速送られてきたも所属候補者リストを見て私はびっくり仰天した。20人以上が無所属出馬していたのだ。逢坂誠二と福田昭夫の2人は電話で連絡を取り合っていたし、静岡3区の小山展弘が細野豪志に意地悪され、党の立てた希望の公認をぶつけられ、やむを得ず無所属で立候補せざるを得なくなっていること、新潟県は全員希望の党を拒否していたことなど、断片的に知っていたがこれほど多いとは知らなった。
 希望の党が200人近く擁立したにもかかわらず、たった50人しか当選しなかったのに対し、元民進党の無所属は22人中19人がめでたく当選した。早速岡田元代表から会合招集通知が来て、
数人で集まって協議した。希望の党に組せずに無所属で選挙を勝ち抜いたものの、形式的には紛れもない民進党衆議院議員だった。W不倫問題で民進党を離党していた山尾志桜里だけが例外だった。

<国会活動は「会派」が単位>
 ここで国会の会派と政党の関係をちょっと説明しておかなければならない。国会の活動は政党単位でなく会派をもとに行われている。だから、民進党・無所属クラブとか、自民党・無所属クラブ、民進党・緑風会とかいうふうに会派構成が問題となる。死亡や補欠選挙で移動があると、新聞が政党としてではなく会派が何人減ったと報道するのはそのためである。そして法案の賛否も基本的には会派で決めるということになっている。つまり国会の活動は全て会派で、政党は二の次なのだ。
 江田憲司は、一人無所属で委員会も余ったところに割り当てられるだけ、質問時間も割り当てられず、質問させてもらったのは1回だけととても無所属ではまともな活動ができないと、体験談を述べた。そこで無所属の会という会派でまとまって行動することに決めた。

<政治的に無所属、形式的には民進党衆議院議員>
 もし、無所属として戦った選挙中の活動を重視するならば民進党を離党し無所属になるほうがスッキリする。しかし、自民党は3選挙区で調整つかず、無所属で戦わせて当選した方を自動的に追加公認し、自民党議員にしている。従って、我々は正々堂々と民進党衆議院議員と名乗っていいことになる。ところが、前原前代表が、民進党は解党し、総選挙後に参議院も含め全員が希望の党に移ると約束しながら、いろいろな約束を次々と反故にした挙句、民進党を残すことにしたため、我々は中途半端な立場にされてしまったのだ。
 これにいち早く気がついて、行動をとったのが鷲尾英一郎である。10月10日の公示日に民進党に離党届を出した。正しい判断である。ところがてんやわんやで、前原前代表自身も無所属で出馬、決定を下す常任幹事会も既になく、鷲尾の離党届は受理されていなかった。鷲尾から相談を受けた私も離党すべきだと考えていた。ただ、当初の予定通り希望の党に全員が移り、民進党がなくなるということなら、そんな手続きも不要になるところだった。

<13人が結集した「無所属の会」>
 ところが事情が全く変わり、参議院は民進党がそのまま残されることになってしまった。なおかつ前原前代表は地方組織も民進党のままに残し、100億円程貯まっているという政党助成金もそのまま民進党に残して、希望の党には持って行かないということを明らかにしていた。つまり、当初の見通しはことごとく覆され、民進党が変則的ではあるが残されることになってしまったのだ。
だから我々は民進党のまま一緒に活動したほうが理屈にあっているとも考えられるし、今後のことを考えたらそのほうがスムーズに動くような気がしてきた。そこで私もとりあえず民進党党籍のまま13人が結集する無所属の会に入ることにした。私の他にもこのことを気にしている者が2人いた。但し、そのうち1人の菊田真紀子は、11月1日から始まる特別国会前にケジメをつけるべく離党届を出した。但し、無所属の会の一員として活動していくことに変わりはない。鷲尾以下数人は単独無所属で活動していくという。

<参議院議員の大塚耕平を新代表に選出>
 そうこうするうちに民進党の新しい代表を決めなければならなくなった。なぜかというと前原前代表はこれだけは約束通り、民進党を離党し、希望の党に入るので、残された民進党の首班指名をどうするかが問題となった。11月1日までには代表を決めなければ首班指名に間に合わなくなる。これから新たに代表を選ぶ希望の党は一番年配の渡辺周衆議院議員に決まった。立憲民主党は枝野幸男党首に決まっていた。そうした中、我が党のみ決まっていないという状況が生じてしまった。
 ところが、世の中の動きを見ていると、どうもまとまりそうもないので座りがよい岡田元代表にしようという気配が感じられた。私には想定外のことばかりだったし、当初は静観していた。しかし、岡田民進党元代表では蓮舫体制が、野田幹事長で世の中も党内もあっけにとられたのと同じ状況が生じてしまう可能性が高かった。詳細は省くが、私はそれはあってはならず、参議院から選ぶべきだと思い動いた。9月28日からその根回しをした。その結果がどうかはわからないけれども、いろいろあった挙句、大塚耕平参議院議員が民進党代表となった。希望の党と異なり事実上話し合いによる一本化で決まりよかったことではないかと思っている。
 我が衆議院の首班指名は無所属の会の代表ということから岡田元民進党代表も考えられなくもなかったが、やはり民進党の代表が妥当だということで、大塚耕平に投票することにした。つまり我々は衆議院では無所属の会で活動し、党全体としては民進党として活動していくということに落ち着いた。今後どうなるかわからないが、当面このほうが活動しやすいのかもしれない。

<問題は地方組織をどうするか>
 ただ問題は地方組織である。民進党がそのままでその地方組織の上に立憲民主党も希望の党も、我々無所属の会も皆乗っかって一緒にやっていくことになっているが、それぞれの県で事情が異なっており、とても一筋縄ではいくまい。
 例えば北海道の場合はほとんどが立憲民主党となっているのだから、地方組織も立憲民主党に変えていくべきという意見が当然出てくるだろう。逆に新潟のように一人も希望の党がいないし、鷲尾と菊田の2人が離党してしまっており、民進党もいない。逆に立憲民主党が西村智奈美1人、参議院議員は自由党の森ゆうこだけ。こういった県は一体今後民進党の地方組織でどのようにまとまっていけるのか考えただけでも頭がいたくなってくる。長野県の場合は、希望の党が下条みつと井出庸生の2人の衆議院議員、参議院議員は羽田雄一郎と杉尾秀哉2人とも民進党、そこに私の無所属の会の民進党がいる。民進党は3人もいるので民進党地方組織として一番継続しやすいということになるだろう。各県の事情はことほど左様に異なるのである。

<民進党選対委員長として動く>
 1月以降は希望の党(衆51、参3)と立憲民主党(衆55、参1)も政党助成金の交付対象となり、お金も貯まっていくが、当分は過去の蓄積と人数の多さ(衆12+α、参44)でやはり民進党が一番のお金持ちの党であり続ける。
 私は、多くの元民進党の落選者に対して手厚い選挙活動資金を配布していくべきだと思っている。12年末の大敗北(57議席に激減)の海江田代表、大畠幹事長、篠原副幹事長体制下では、落選者に年越し資金として300万円出し、全員を特別の総支部長とし、13年7月の参議院選挙に備えてもらった。今回の混乱は、本来は前原前代表のしでかした失態であり、責任を取ってもらいたいと思っている。しかし、いわば親元ともいうべき民進党はそれこそ下手クソな候補者調整で議席を失った有能な同僚議員を援助せねばなるまい。
 そうした折、私は11月上旬、大塚新代表から選挙対策委員長を拝命してしまった。できれば無所属で立ち回りたかったが、そうもいかなくなってしまった。ただ、野党統合は2012年末の大敗北以来、私がずっと水面下で実現に向けて動いてきたことであり、2019年春の統一地方選、7月の参議院選挙、そして次期衆議院選挙に向けて、公的な立場で汗をかいていこうと思っている。