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【民進党再生・野党統合シリーズ2】 野党統合に向けた第一歩は野党統一会派から始まる -立憲民主党も希望の党も心を広くして大同団結すべし- 17.12.27

<3党による野党統一会派、そして野党統合は当然の成り行き>
 民進党はいってみれば、派生した2党の親元の党である。その親元の党が国会において統一会派の結成を立憲民主党、希望の党の両党に申し入れることについて、全国幹事会の了承を得て、12月26日の両院議員総会・全国幹事会・自治体議員団等役員合同会議で議論し、決めてもらうことになっている。全国8ブロックでのヒアリング、2回の全国幹事会等により、地方の意見を十分に聞いた上での決定プロセスであり、9月28日にいきなり決めた前原執行部と比べて、丁寧さにおいては比較にならない。

<頑なな立憲民主党の態度は?>
 小さい党のままでは国会でも力を発揮できない。やはり、まとまって数を増やしていかなければならない。国会内での友党との統一会派、そしてその先の野党統合は当然の成り行きである。その元民進党の3党がまとまっていくということに、希望の党は前向きに検討しているが、立憲民主党は異を唱え続けている。私には全く腑に落ちない。以下にその理由を述べる。
 今回の総選挙は暴挙だった。9月19日に解散風が吹き始め、9月25日に希望の党結成、9月28日の解散の日に民進党が希望の党に合流決定。10月3日希望の党の排除に対抗して立憲民主党が結成。10月10日告示され、2党とどちらにも属さない無所属の3つのグループで選挙が行われた。その結果、立憲民主党が野党第一党の55人、希望の党は多くの候補を立てたものの50人、元民進党の無所属は22名中19名が当選した。

<政策や理念の判断材料を提供できなかった一夜漬け政党>
 そして、今のその選挙結果を重んじ、ヘタに統一会派、統合などにすべきではないという論調が聞かれる。しかし、私はそうは思わない。なぜなら2党ともいわば一夜漬けの政党にすぎないからだ。例えばもし、立憲民主党なり希望の党が1年前に結成され、党の政策や理念が国民にそこそこ知れ渡った上で選挙に入ったならまだしも、そんなことがわからず投票日を迎えたのである。そして立憲民主党は「ヤマ」が当たり、高得点(高得票)を取ったのに対し、「ヤマ」が完全にはずれ精鋭の中堅を18人も落として、単位を落としてしまったのが希望の党である。
 12月14日の両院議員懇談会後、蓮舫元代表は、「枝野代表に政策について話を聞いてみる」と述べている。元党代表のプロでさえこの程度の認識しかない。国民・有権者が立憲民主党をよく理解して投票したとは思えないことを心得る必要がある。

<優しい国民は判官贔屓>
 さすれば、なぜ立憲民主党が希望の党を上回る支持を得たのか。
 まず第一に、判官贔屓である。「緑のタヌキ」に騙されていいように踊らされ、排除され止むを得ず立ち上がったのが立憲民主党という図式ができあがった。優しい日本国民はその健気な姿に同情したのである。結成直後のネットのフォロワー数がすぐに自民党を追い越したという。東京都知事選の時は自民党にいじめられる小池に同情し、小池が圧勝したのと同じ雰囲気である。今回はその小池がいじめる側にまわり悪役となった。そして国民の反感を買い急激に支持を失い、希望の党は奈落の底に突き落とされた。
 調子に乗る立憲民主党が野党統一会派を拒み、民進党から引き抜き(?)をしている姿を見た国民は、枝野立憲民主党の驕りを見逃さない可能性が高い。

<消えた民進党の代わりが立憲民主党>
 第二に、国民がリベラル政党の消滅を恐れたのである。今まで支持してきた民進党が候補者を立てず消えてしまった。希望の党がその代わりかと思ったら、あにはからんや自民党の補完勢力でしかないことに大半の国民は気付いてしまった。そこで民進党に近い党を探したところ、立憲民主党ということになっただけの話だ。つまり、民進党の後継党と思われたからである。

<篠原は、比例は希望の党への投票をお願い>
 私の長野1区でみてみる。「比例区はどう書いたらいいのか」とミニ集会でも再三聞かれた。その時に私はいつも決まって答えていた。「希望の党の幹部は排除とか踏み絵とかやり出したロクでもない連中である。中道リベラルでなく「邪道リベラル」。寛容改革保守(かいかくほしゅ)でなく小池は「不寛容この上ない最悪党首(さいあくとうしゅ)。民進党ならば比例単独で議席を得ることがほぼ約束されていた、寺島義幸元衆議院議員が急遽4区に移動させられている。5区の中嶋康介候補と2人は到底小選挙区での当選は見込めず、比例復活しかない。だから希望の党と書いてもらいたい」とお願いした。

<「しのはら党」支持者は篠原の気持ちを忖度して「立憲民主党」に投票>
 しかし、直接お願いできた人はほんのわずかで、結果は長野県に候補者が全くいない立憲民主党が5万9千票、希望の党は3万9千票と、約2万票の差が開いている。これは、いわば篠原党の支持者が篠原を袖にした党名は書けず、私の気持ちを忖度(良い忖度?)して、「立憲民主党」と書いてくれただけの話である。なにも立憲民主党を全面的に支持したのではなく、忽然と姿を消された民進党に一番近い、「代打」すぎなかったのだ。

<立憲民主党の大躍進の中身と将来予測>
 全国的には立憲民主党が63名と希望の党(198名)の3分の1の候補者なのに、比例区で1,108万票(20%)と希望の党の968万票(17%)を140万票も上回ったのは、上述のとおり愛しの(?)民進党に一番近い党だからである。それを立憲民主党が熱狂的に支持されたが如く誤解しているのは、大きな間違いである。
 17年の当選者のうち14年に出馬した者28名の得票数・得票率を別表にしてみた。14年に13名が落選、比例復活9名、小選挙区で6名だったのが、17年には、小選挙区当選14名と倍増している。判官贔屓とリベラルを消すなという国民の声が押し上げたのだ。
 このことを立憲民主党の候補で実証してみる。まず、代表の枝野は、得票数で29,061票、得票率で11.3ポイント増やし、菅直人は6,536票、1.9ポイント、生方幸夫は14,958票、7.3ポンイト増やしている。(別表参照)
 そして将来を占うならば、いわば瞬間風速で14年に戻ってしまう可能性が高い。

<希望の党の候補者は民進党での活動を評価、比例復活のため比例区も希望と書く優しい支持者>
 一方、希望の党の候補者は、小池人気に乗じて得票数を伸ばし悠々当選かと思われていた。私は途中まで我慢したが、踏み絵までは許し難いと無所属での立候補を決意したが、その当日10月3日はまだ風向きはわからなかった。しかし、どんどん逆風が強まり、親しい南関東の同僚議員は、日に日に有権者が逃げていくのがわかったと嘆いた。別表に示すとおり、選挙前に希望の党に移った者に対する風当たりは強く、長島昭久と笠浩史以外の4人は14年と比べ得票数も得票率も下げている。
 希望の党に投票した者は、小選挙区ではかなり希望の党は胡散臭いと思いながら候補者の活動を評価して投票した。そして大半が小選挙区では勝てそうにないので、落としては大変と比例区も希望の党と書いてくれたのである。つまり、候補者が先であり、希望の党は二の次だったのだ。

<希望の党も先細りする可能性>
 その証拠に小選挙区では198名を立てて、1,143万票(21%)を獲得したのに対して、比例区は968万票(17%)と175万票(4%)も下回った。やはり希望の党は嫌で書かない者も多くいたからである。新党にもかかわらず2%前後の支持率に喘いでおり、このまま行くと希望の党は今後支持率を上げることは至難の業であろう。
 つまり、双方とも民進党のいわば「遺産」で票を伸ばしたり、当選できたのであり、このままでは先行きが危ういことが伺える。

<大同団結して政権交代を目指す>
 両方の比例区の票を足したら2,076万票(38%)と、自民党の1,856万票(33%)を220万票(5%)も上回った。民進党単独ではここまでは無理だっただろうから、分裂選挙はそれなりに効果があったという者もいるが、後解釈もいいところである。国民は民進党の内輪揉めのほうに関心がいっただけのことである。2党の争いに埋没して割を喰ったのは共産党であり、21から12に議席を減らしている。
 そして、無所属が最多の19人の本家の民進党は衆議院に候補者を立てなかったことから、なくなったと誤解されている。三党の中では、最も危うい仮死状態の党に過ぎない。辛うじて無所属で最多の小選挙区当選者を出したが、既に2人が離党している。
 幸いにして参議院は野党第一党である。また、国民が本当に望んでいる野党の受け皿は、左に寄りすぎた党でもなく、第二の保守党でのなく、「民進党的な」中道、リベラル政党なのだ。我々野党の究極の目標は政権交代であり、それぞれが別々に票を伸ばすことではない。3つに分かれていては政権奪取はできない。従って我々には3党が大同団結し、新党を結成していく途しか残されていない。
(12月25日脱稿、28日修正)