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2018年06月26日

名前の呼び方記事(6/22読売:田島大志記者)のリレーコラム- 呼び捨ては近く、「さん」付けは遠いのか? - 18.06.26

 6/22読売の『政(まつりごと)なび:安倍首相の「間合い」』が気になり、続きを書いてみた。
 友人の間でも、どう呼ぶかは誰が決めたわけでもないが、不思議に自ずと決っていく。朝の連続テレビ小説「半分、青い。」でもそうだが、幼馴染は名前で呼び合うのが一般的である。 中学になると名簿が五十音順となることが多く、お互いに苗字で呼ぶようになり、男性間では呼び捨てである。その後は高校、大学、会社組織と同期(以下)は呼び捨てで、1年でも上は「さん」付けである。

<日本社会は入社(入省)年次がすべて>
 農林水産省では役所の位は下でも人生の先輩の方が大勢いたし、それが大半だった。私は、大卒のいわゆる同じ課別(私の場合は法経学士)のキャリア官僚以外は年齢が分からないので、たとえ年下とわかってもすべて「さん」付けで呼ぶことにした。業界団体や記者の皆さんも明らかに年下とわかっても、すべて「さん」付けである。それを通し続けた。
 ところがどこにでも小言を言う者がいて、水産庁企画課長の時組合交渉で、「篠原課長は、キャリア官僚の部下を呼び捨てにし、ノンキャリアを「さん」付けで呼び、明らかに差別している」と糾弾された。丁寧に呼んでいるのになぜ文句を言われるのかと、私は狐につままれた感じがしたことを覚えている。

<「呼び捨ては距離の近さ」は一部納得>
 麻生財務相が、佐川宣寿前国税庁長官を「佐川」と敬称をつけずに呼ぶのは、「通常のこと」と政府が答弁し、「距離の近さの表れだろう」と田島記者は書いている。これを読んで、20年以上前の組合交渉を思い出した次第である。
 政治家になってからも迷うことなく、議員会館ではすべてを「さん」付けで呼ぶことに決めた。

<中川農林水産大臣は年長の部下を「さん」付け>
 この点可哀想だったのは、故中川昭一農林水産大臣である。私より5歳年少であり、父君同様農林水産大臣で初入閣してきた。ところが、長幼の序をわきまえすぎる中川大臣は、部下の私を「さん」付けで呼んだ。私は、「酒を飲みすぎず、総理になるんだ」という説教はよくしていたが、この時も「大臣なんだから呼び捨てでもよいが、それが気が引けるなら役職名を着けて「さん」付けはしないほうがいい」とアドバイスした。しかし、変わることはなかった。
〔我が農政の友、中川昭一元財務・金融大臣の若い死を悼む 篠原孝ブログ -09.10.18 - 〕


<長幼の序を守り通した律儀な政治家>
 そしてある時、5年下の後輩から私に告げ口が入った。「昨日中川大臣と飲んだら、篠原さんの愚痴を言ってましたよ」。「何をまた言っているのだ」と尋ねると「お前らと飲んでいると本当に気が楽でいい。篠原さんとは仕事で説明を受ける時は緊張するし、飲んだ時も説教されるので最近は飲まないことにしている」というものだった。中川大臣は同年以下の彼らには呼び捨てだった。中川大臣の優しい心遣いと本音が伝わってきて、思わず吹き出した。
 今、私は古希を迎えんとしており、議員会館で接する人の大半は年下になってしまった。中川さんの基準によれば、呼び捨てか「くん」付けでいいのだが、今更変えられまい。

<安倍首相の「さん」付けは距離感の表れなのか?>
 田島記者は「安倍首相は官僚も官邸の職員にも「さん」付けで呼ぶ。一方親しい議員には「ちゃん」付けで呼び、官僚との距離感の裏返しとも映る」と続ける。
 私は安倍首相や閣僚を端から悪人と決めつけ、ひどい言い方で攻め立てる質問はしていない。それはどきつい嫌味を言ったり、褒め殺しととれる暴言も吐いてはいるが、一国のトップに対して敬意を払いながら対峙しているつもりである。だから、すぐカッとなる安倍首相も私には声を張り上げたことがない。多分、私と同様にどの人にも敬意を表して「さん」付けにしておられるのではないかと思う。こういう気持ちはお互いに通じ合うのだろう。

<政治家の序列は当選回数>
 政治家同士の間では、当選回数がすべてであり、1期でも上だとふんぞり返っている輩(やから)が多い。10歳以上年下の先輩議員に「篠原」と呼び捨てられた時にはオヤと思ったが、そのうち慣れた。
 私が1期生の時に、3期生のずっと年下の予算委次席理事が私を手招きし「篠原くん、ちょっとこっちへ来たまえ」と呼んだ。傍らで聞いていた吉良州司さん(1期生)が烈火のごとく怒り、「年上の人に向かって何という態度だ。「くん」で呼び、手招きで来させるとは失礼だ」と、くってかかった。熱血漢なのだ。いろいろ基本的政策では吉良さんとは考え方が異なることのほうが多いが、気の合う政治家である。政策の前の基本的価値観の方が私には大切なのだ。

<正直な前原誠司議員>
 上記の3期生は松下政経塾出身であり、今やもう政界にはいない。有権者はよく見ているということだろう。同じ松下政経塾出身の前原誠司元民進党・民主党代表は、私の2回目の選挙の時に応援に来てくれた。
 その時にマイクを握り、「篠原さんは人生の大先輩であり、大学の先輩でもありますが、政治家としては私が先輩なので、私の言う事を聞いてください」と断ってから相当世話を焼いて帰った。マイクの大声で「篠原さん走って。右の奥さんと握手を」と命じられ、畑の中を走っり足をくじいてしまった。普通はそんなことわりはわざわざ言わないだろう。私はこの時の「駅前街宣も」という勧めに従って、月曜街宣を続けてきた。
〔前原代表に10年後の再起を期す 篠原孝ブログ(過去のブログ)-06.04.03-〕


<それでも野党統合による政権交代を目指す>
 私が2016・17年の代表選で2度にわたって前原さんの推薦人になった。16年は私が口に出して前原擁立を言い出し、推薦人集めにも奔走した。ところが、「あんな1.5%野郎をなぜ支持するんだ」と農業界からひんしゅくを買った。その通りTPPでも他の政策でも違いの方が大きい。それでも私が支持したのは上記基本的価値観が似通うのと、野党結集をして政権交代選挙に臨む気概を持っていたからだ。
 しかし、解散当日の朝の私の意見を聞き入れることはなく、結果は今回の民進党の解体であり、今の野党のていたらくにつながっている。10年前に続く失敗であり、ホトホト疲れる。
 だからといって、嘆いてばかりでも始まらない。いろいろな失敗や嫌なことは恩讐の彼方に、大野党統合による政権交代に向けて政治活動を続けている。

2018年06月13日

【食料安保シリーズ3】隣国韓国は農政で今や日本の先を行く‐かつて日本を手本の二番手ランナーが農業の重要性を憲法に書き込む‐18.06.13

<世界一都市集中のはげしい日本>
 世界は急速な勢いで都市への人口集中が進み、半分以上が都市に住んでいる。先進国で都市集中が進んでいると誤解される向きも多いと思うが、逆である。先進国で野放図に都市集中させている国はほとんどない。「都市的集積地域」のランキングでは、日本の東京(圏)が1位で3814万人、次いでニューデリーが2645万人としている。1億2700万人の一割が東京で、首都圏は約4000万人近くに達する。これではいびつな国造りしかできないのは当然である。
 これ以上都市の暴走をさせてはならない。それには多くの都市住民を農村と結びつける努力が必要である。さもなければ、農業・農村は国民から忘れられてしまう。

<農業の価値を憲法に書き込む運動>
 隣国韓国は、今は北朝鮮問題も抱え、韓国はトランプ大統領も巻き込んで、外交でも難問山積みである。 そうした中で、韓国農業界は鮮やかな一手も打っている。憲法に農業の重要性を書き込むという、思い切った改正である。韓国では公益的機能という日本でも20数年前に使っていた言葉を使っているが、日本風に言えば農業の多面的機能の重要性を憲法に明記するのだ。韓国農協中央会が昨秋署名活動を始めたところ、すぐ1000万人を超えてしまった。韓国の都市住民はまだ農村を身近なルーツとしている者が大半なのであろう。
 自らの拠って立つ基盤を支えなければならないと感じているから圧倒的支持を受けているのである。これは、私がパリ勤務時代、パリ市民がUR(ウルグアイ・ラウンド)反対のデモを拍手でもって迎えたのと似ている。大半のパリ市民は、田舎にちょっとした家を持つデュアルライフ者だったのだ。

<文在寅の脱経済優先路線>
 文在寅大統領は、今までの保守政権と異なり、脱経済優先を掲げており、3月26日に発議した憲法改正案(129条)は、新たに「農業・農村の公益的価値を反映する」条項を加えている。日本と同様、米価下落も大問題となっているが、政府が手を打ち米価は回復しつつある。こうした農村への暖かい眼差しが、憲法への公益的機能の書き込みにつながっている。 
 競争原理の導入、規模拡大、民間企業の農業参入といった、強気ばかりのアベノミクス 農政と大違いである。日本が遅れており、歪んでいるのである。

<お金、利益優先のふるさと納税制度の先を行く一村一社運動>
 これより先に、大企業が田舎の村を支える「一村一社」運動が2004年から始まっている。サムスンのような大企業が、提供先の農村の農産物を購入したり、農業の手伝いに行ったり、その村にレジャーで訪れたりして農村を支えるシステムであり、姉妹関係は1万件を超えている。
 それを我が日本国では、農業にも企業参入、挙句の果てには漁業にもという味気ない、一方的改悪がなされようとしている。歪み切ったアベノミクス農政が農林水産行政にも多大な悪影響を及ぼしつつある。何しろ、政界も企業もすべて金儲けのことしか考えていない。
 日本にこうした類の制度があるか考えてみると、問題の多い「ふるさと納税制度」が浮かび上がってくる。しかし、これらは見返りが何かで地方に寄付する、極めて功利的なもので、心底から地方を応援するというものではない。

<鈍感な日本は、スイス・韓国を見習うべし>
 スイスと韓国と時を同じくして、国民投票で食料安全保障、農業の公益的機能を憲法に書き込むことを決めたのは、不安定な世界情勢をみてのことである。 かくなる上は、日本も食料安保シリーズ1で示したとおり、自衛隊の役割を書き込むなら、食料安保の重要性も書き込むべきである。ただこの主張にすぐ賛同した同僚議員は、安倍首相は私の主張に飛び付いて、農業界も巻き込んで憲法改正しようとするのかもしれないから、抑えたほうがいいと警告した。
 私は、自衛隊の海外派遣の歯止めを強くかけるなら、この同時加憲でもいいのではないかと思っている。

2018年06月07日

【食料安保シリーズ2】小国スイスが食料安保を憲法に書き込む-東洋のスイスたる日本はなぜのほほんとしているのか‐ 18.06.07

<国民の食材安保への不安と行動>
 日本と同じような小国スイスが昨年、国民投票により、食料安全保障を憲法に書き込むことを決定している。
 スイスは国土面積僅か413万haと九州とほぼ同じであり、山岳地が多く国土の4割が海抜1300mを超えている。そのため、放牧を中心とした山岳農業しかできない条件の悪いところである。それにもかかわらず、1経営体あたりの平均経営面積は、20㏊と日本よりずっと大きい。しかし、食料自給率も日本と同じような計算はしていないが、かなり低い国である。
 しかし、国民の安全保障に対する関心は高く、2017年9月24日、食料安全保障を連邦憲法に明記するということに対し国民投票が実施され、約8割近くが賛成した。日本のめったに改正されないいわゆる硬性憲法と違い、よく改正される軟性憲法である。憲法改正は日本もそうであるが必ず国民投票をもってなされており、今まで何度も改正されてきている。マスコミ報道には、食料安全保障を明記したのは世界で初だと言われており事実そうではあるが、農業の重要性についてはもう既に憲法に昔から書き込まれていた。それを今回は3年ほど前から議論をしはじめて、憲法に食料安保を書き込んだ改正にこぎつけている。

<スイス観光も農業が支える>
 平和なヨーロッパにあっても、やはり食料・農業のことを憲法に書き込み、自国でもって食料を生産し、環境を守っていくべきだということを国民全体が思っているからだ。それを北朝鮮情勢が急を告げ、きわめて不安定な東アジアでよくものほほんとしているのが日本の姿である。大事なことは農民の要求は勿論であるが、国民全体がそういう意識を持っていることである。
 私はこれについてよく例に出すことであるが、スイスは観光産業も大事な産業である。しかし、あの地域にちゃんと刈り取られた山岳放牧地がなかったならば、スイスにあれだけの観光客が訪れることはない。日本と比べれば一目瞭然である。木々が生えていて視界を遮っていたら、マッターホルンもモンブランもよく見えない。放牧地は、農民の所有地であるが、そこを自由に歩き回ってもいいことになっている。こういった見返りとして、国民全体が農業は無くてはならないものとして意識している。だから直接支払いを相当高くしても、観光業者を含め、何も意義を挟まないでいる。

<スイスを大きくした国、日本>
 いくら水源を涵養している、景観を保っている、酸素を供給しているといっても日本ではピンと来ないで、なんで農業や地方にそんなにお金をつぎ込むのか、という文句がかならず都市部から出てくる。しかし、スイスの場合は国民員全体が同じ意識でもって山岳農業を守ろうとしている。山岳農業は、大平原で機械化できて規模拡大のメリットがすぐに出てくる農業と違うのがよくわかっているからである。日本も平地は少なく、言ってみればスイスを大きくしたような国であり、憲法に同じような規定がなされてもおかしくない。この辺のことは、ドイツに住む川口マーン惠美の『世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン』(講談社+α)に詳しい。

<支離滅裂な日本は不可解な国>
 ヨーロッパの小国スイスは国民皆兵を国是とし、徴兵制により21万名の予備兵役も確保している。スイスは軍事も食料も安全保障の要と考えているからである。
 ところが、我が国はTPPを推進するし、外国から自由に食料を輸入し、その代わりに輸出もする。それよりもわが日本国民に安全な食料を提供するほうが、日本の農業・漁業の役割としてはるかに大事なのにほったらかしである。そして、やたらと軍事だけにこだわり、エネルギーでは自国で使わない原発を他国に輸出して金儲けせんとしている。哲学のない支離滅裂国家であり、諸外国からはとても理解してもらえまい。農民が気がつき国民が奮起する時が来ている。

2018年06月05日

【食料安保シリーズ1】 自衛隊を憲法に書くなら食料安保も書き込むべき-安倍首相の都合の良い理屈を一人歩きさせてはならず- 18.06.05

<内閣人事局人事の弊害が顕著化している農林水産行政>
 国会は明けても暮れてもモリ・カケ問題である。大事なことだとは思うが、前回のブログにも書いたように、この問題については語りつくされているし、語るに落ちるので触れたくない。政治家・官僚がごまかしという観点から大きな問題であり、予算委員会党首討論では徹底して追及し改めなければならない。ただ片山虎之助維新代表の党首討論での指摘の通り、問題の根源は内閣人事局にある。さすが政界(元自治省)最長老はよくみている。
 その一環で安倍首相の暴走が進んでいるのが農林水産行政である。競争原理なり、民間の活力導入といった、片方の方向だけを向いた、独りよがりな政策ばかりが進められており、私のイライラはとどまることを知らない。

<安倍首相の自衛隊加憲の後付け理由>
 なぜ今食料安保か。国民民主党の対決型よりも解決対案型という方針(?)に倣っての提案である。
 安倍首相は自衛隊は、1947年に憲法ができた時には存在はしていない。だから、後からできた自衛隊の役割を憲法9条の第3項に書き込む必要があると主張している。このような考え方を全く否定しないわけではない。20万人を超える隊員を擁する自衛隊が軍隊ではない、などというのは世界の理屈としては通用しないからだ。
 ただそのときは「自衛隊の活動範囲を明確にし、どんな理由があっても海外などへ派遣しない」と憲法に書き込むべきだと私は思っている。

<安倍首相の選んだ偏った安全保障>
 安全保障といえば軍事安全保障が一番大事だけれども、ほかに食料安全保障、エネルギー安全保障、もっといえば経済安全保障、つまり国力の豊かさを保つことも安全保障につながるし、科学技術に力を入れることも安全保障につながる。何よりも、家族も周りの人も日本国民も大事にし、日本国を愛する国民、そして世界の人々と仲良く生きていこうとする国民を育てることこそ大事な安全保障である。
 ところが、安倍首相の安全保障はやたら軍事に偏っている。第一次安倍政権のときに、教育これのおかしさが森友学園問題、なかんずく教育勅語にやたらこだわっていた塚本幼稚園につながっている。バランスを欠き、全く変な方向にばかり力が入っている。

<歯止めがかからない防衛予算と下げ止まらない食料自給率>
 そして、食料安全保障は、片隅に追いやられており、ほとんど取り上げられていない。1947年、まだ今の食料自給率の計算方法など採用されていないが、食料自給率は多分80~90%を超えていただろう。(今の計算式ができた1970年には79%)それが今は半分以下の38%(2016年)に下がってしまっている。こちらのほうも、自衛隊と同じようなぜ大問題としないのだろう。
 一方、自衛隊の予算や人員はどんどん増えてきており、トランプ大統領に直接アメリカ製武器の購入も約束する始末である。防衛予算をGDPの1%枠内に収めるという歯止めなどというのも遥か彼方昔の話になりつつある。日米同盟は軍事同盟ではない、と鈴木善幸首相は言い切って伊東正義外相を更迭した。それからさほど時が経っていないのに、今や日米同盟は軍事同盟と当然視されている。
 このような理由からもし自衛隊のことを書き込むのなら、自給率40%を割り込んだ食料安保もしっかりと確保すべきと書き込むのが道理である。片方だけが大事にされても国は成り立たない。
<シリーズ2に続く>