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自民党総裁選、石破が安倍首相に15票の僅差で肉薄した本当の理由-愛すべき長野県民気質がタカ派の安倍首相を嫌い篠原にも味方する- 18.10.2

 県民気質とよく言われる。私の友人に、かつてはそんなものはないと言い張っていた、東京生まれ、東京育ちの元気のいい友人がいる。彼は生命保険会社に勤務し、あちこちの支社長を務めた。あちこちから人が集まっている東京で暮らしていた彼は、同じ日本人でそんなに違うわけはないと思い込んでいたそうだ。ところが、彼が全国各地で勤務してみると、保険のおばさんたちの立ち振る舞いが大きく異なり、その時に初めて各都道府県ごとに県人気質の違いがあることがわかったという。

<支社長の2つの悩みと県民気質>
 支社長は、大過なく過ごすことを願うものだが、悩まされるものの一つは、保険金のちょろまかしである。あるデッカイ県の支店は大穴がボンボン空き、20~30年に及んで1億近くのお金を個人の懐に入れられたケースがあった。また、商売で有名なある県では、保険料からの小さなごまかしが多いなど(これらを「営業事故」と呼ぶ)、特徴があったそうだ。
 もう一つは、保険の知識を試す試験(少し基本給が高くなり、通常「保険大学」と呼ばれる)で、より多くの者を受験させ昇給させるのが支社長の業績の一つとして数えられた。ここでも特徴が出て、先のデッカイ県は細かなことは関知せずでさっぱり受験してもらえず、困ったという。

<勤勉熱心でごまかしなしの長野県民>
 次は我が長野県。営業事故は全国一少なく生保業界で重要視される継続率(加入した保険が1~2年後にどのぐらい継続されているか)も全国で常にトップクラスだという。とにかく真面目でお客を騙すこともしていない。試験は黙っていても勉強していて、全員受ける。そして少しずつ上に上がっていく。他県の営業所では合格者が1名いればよいほうなのに、長野県のとある営業所では全員が合格していた。こうしたことからすっかり長野県民が好きになり、退職後、奥さん、子供と度々長野を訪れているという。

<長野県人の篠原の応援に駆け付ける>
 また、その彼が、私が選挙に出るということがわかると、長野にすっ飛んで来て、保険のおばさんたちの自宅へ私を連れ回してくれた。
 彼は、実は私の友人ではなく、私の弟の友人であった。それほど親しいわけではなかったにもかかわらず、なぜ彼が私のところへ応援に来てくれたか。単純明快であった。愛すべき長野の保険のおばさんと同じく、長野で生まれ育った篠原孝は、同じようにごまかしもせず、真面目なはずであり、そういう人に是非国会議員になってほしいということだった。この心意気が通じたのか、私は名門小坂家の4代目、故小坂憲次氏に6,000票差と肉薄し、大方の予想を裏切り(?)復活当選し議席を得ることができた。
 当時の私は、羽田孜元首相に勧められて渋々出馬したが、何をすればいいのか全くわからなかった。それなのに、投票日まではたったの50日しかなかった。選挙の準備は全て整えておくと言っていた関係者は何もしておいてくれず、連れ回しもお座なりだった。そうした中、多分彼が、一番多くの人に会わせてくれた。会社では特定の候補者を応援することはできないことになっていたので、そのルールを守りながら、彼の個人的なつながりで自宅に案内してくれた。この時お世話になった人の恩義は忘れられない。

<財界の大物がいない長野高校卒業生>
 この「クソ真面目」という県民気質が災いすることもある。民主党時代のビルの中に、長野高校の先輩の松林詔八弁護士事務所があった。横路孝弘、江田五月と同期だそうで、長野高校から国会議員が出たのは田中秀征以来だと喜んでくれた。松林弁護士は、選挙資金源確保のため「長野高校出身の財界の大物を会長にして、東京で全国後援会をつくってやる」と言ってくれたので、「是非お願いします」と応えたが、1ヵ月後の返答は悲しいものだった。「篠原君、長野高校出身で財界で重きをなしている者はほとんどいなかった。
 どうも長野県人は口が過ぎて、組織の中でうまく生き抜いて、社長になるような気質はないようだ。弁護士・裁判官のように自分でやるのは向いているが、大きな会社の中ではあまりうまくいかないようだ」と言われた。

<理屈をこねる世渡り下手>
 役所の組織の中でも同じで、典型的長野県人の私は上司に対して、こっちの政策のほうがいいのでは、と進言し、嫌われて左遷させられたりしていたのでよくわかることだった。私は、「そういえば長野高校出身者は、田中秀征・猪瀬直樹・日垣隆といった独善的評論家ばかりで、自分の言っていることが正しいと言っているような人しかいませんね」とお返しして大笑いした。要するに、世渡り下手な真面目な人間が多いのだ。その結果と言っては失礼だが、武村正義元蔵相に私の全国後援会会長を引き受けていただいた。

<篠原の連続当選の理由>
 そして私が6期連続して当選し、民主党・民進党に逆風が吹き荒れた時も含め、4回連続して小選挙区で当選させていただいた。同僚議員が、イケメンでもないし若くもない、そんな輝かしい経歴があるわけでもない私が、なぜ小選挙区で当選できているのかと聞いてきた。それは地元活動をしっかりやっているからだと答えているが、なかなか信じてもらえない。
 私が支持されている一番の理由は、一にも二にも私の立ち振る舞いが長野県気質に近いからではないかと思っている。

<野党の本流を動かず>
 まず私は筋を曲げず、ブレることがない。民主党・民進党を離党もせず、野党の本流(?)をずっと歩いている。民主・民進を離党せずにいる衆議院議員は、私と平野博文の2名しかいない。ただ平野は、前原誠司元代表が例外なく希望の党の候補者をつくる、と言いつつ維新に遠慮して大阪で希望の候補者を全く立てなかったので、やむを得ず無所属で出て離党しなかっただけである。
 それに対し私は、小池百合子党首の変な政策協定は拒否し、積極的に希望の党へは行かず、無所属で出馬している。推薦人となって担いだ前原代表の足を引っ張らないように気を使いつつ、横暴な小池党首に屈せず一矢報いるといった決断を、ちゃんと有権者は見て拍手を送ってくれている。

<石破が安倍に15票差の肉薄の理由は吉田博美参議院会長のなせる技か?>
 そして今回のタイトル「自民党総裁選・・・」に触れる。県内の自民党関係議員は6人、そのうち5人が安倍首相を支持、竹下派の吉田博美参議院会長一人だけが石破を支持した。結果は石破が5,391票で、圧倒的に有利な安倍首相が5,406票と15票差にまで詰め寄った。
 全県的には5対1の状況下、石破票がこれだけ肉薄したのは、青木幹雄の再来だと言われる吉田参議院会長の影響力のせいだと思われているかもしれない。しかしながら、地元中の地元の飯田や伊那と違って、私の長野1区にまでは影響力もそこまで及ばない。

<長野県民の戦争嫌いが安倍首相に拒否反応は本当の理由>
 長野県民は元々安倍首相のタカ派的体質が嫌いであり、リベラル志向が強い。なぜ、そんなに戦争が嫌で、タカ派的なのが嫌いなのかというと、次回のブログで触れようと思うが、全国で一番多く満蒙開拓に行かされ、そして帰って来られずに亡くなった人たちが沢山おり、戦争の痛ましさを一番よく知る県民だからである。
 そういったことから「戦争忌避」という感覚が相当強く、その結果が石破15票差の肉薄である。つまり自民党員ですら、戦争体質の安倍はやめてくれという拒否反応があって、石破に多くの票が流れたのである。一般党員には、大臣や委員長といった人参(見返り)は効かず、いくら圧力をかけても結局は秘密投票だからだ。

 私は、こうした長野県民気質が大好きだ。これにより自民党総裁選の僅差の投票結果になったというのが、政治評論家(?)篠原の分析である。