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国が外国人不法就労の抜け道をつくる愚 -入管法改正は経済優先で国の根幹を揺るがすー18.11.14

<日本の外国人労働は遠洋漁業から始まった>
 私は水産庁の企画課長として当時外国人漁船員の問題を担当した。どこにも所属しない仕事が企画課に集まっていた一つの例である。あまり知られていないが、遠洋漁船は日本の外にいるので、単純労働者が国内に入るのと違うので、外国人就労について早くから受け入れていた。1年近くもの日本を離れていたら、どんなに給料が高くとも日本の若者が敬遠するのは当然である。遠洋漁船を動かすために、外国人労働者が急激にとりいれられた。国もとやかく言わなかった。理由は簡単で、日本に上陸して日本に住むということがなく、一般人の目に触れなかったからである。かくして、マグロ等の遠洋漁船は最初韓国人、次に中国人、インドネシア人、フィリピン人、タイ人と広がって行った。もちろんトラブルもあったが必要悪として公然と認められていた。ともかく給料が高かったので途上国の若者には魅力的だったのだ。この結果酷い船になると、船長と漁労長だけが日本人で、あとは皆外国人となっていた。

<商船の船乗りの外国人化は日本の安全を揺るがす>
 その延長線上で、商船も同じようになっていった。私が1976~8年にワシントンに留学していた頃、シアトルに近い港で材木のアルバイトをしていたルームメートは日本船が来ても安心して材木の作業をしていた。他の国の船が来ると、いつぶつけられるかもしれないので、慌てて陸に上がっていた。それが今はきちんと操舵作業をする日本人が少なくなり、日本の船であっても操舵しているのが外国人であり危険になってしまっているだろう。日本の安全保障を考えると、ゆゆしき事態である。なぜなら、アラビア湾がきなくさくなったら、彼らは日本の商船や石油タンカーには乗ってくれないだろう。

<明らかに移民政策>
 きつい・きたない・きけんな仕事から若者が離れていき外国人にとって代わっていった。3Kどころか何拍子もそろっている遠洋漁業はいくら高給とはいえ、敬遠されるのは理の当然である。そしてこのような3K仕事離れが、少子高齢化でただでさえ少なくなった若者の間に広がっていった。農業、漁業、林業もそして、建設業、介護等体を動かして汗をかく仕事である。それに対して仕方がないから外国から人に来てもらう、という単純な図式で突っ走っているのが今回の入管法の改正である。よく言われるように外国人の家族や地域社会のことは少しも念頭になく、あるのはひたすら「労働力」としての外国人である。技能実習生、研修生として受け入れてきた者を、もっと大々的に広げていくというものであり、移民への道を開くものとして野党はこぞって反対している。そればかりではなく、本来安倍首相の固い支持者の保守層も反対に回っている。

<右肩上がりは卒業すべし>
 実質的に移民を認めることへの懸念は全くその通りである。いつかブログでも紹介したが(「縮小社会研究会」の主張がいつ日本で受け入れられるか -日本は分際をわきまえた生き方が必要- 15.11.04)、京都大学の教授たちが縮小社会研究会と会を持ち、日本の将来について議論し発信もしている。『縮小社会への道』(2012年)という本の中で、人口減について明確な指針を出している。明治以降100年で人口は4千万から3倍の1億2千万になっている。ところが2100年にはまた3分の1の4千万人に戻る。それを前提とした社会構造・産業構造にしなければならないというのである。今後の日本の将来を考える場合縮小は当然で、右肩上がりの成長はもうないという前提で取り組んでいかなければならないと警告を発している。

<人口減に合わせた社会・産業構造に変える>
 私はこのような考え方を、既に1985年『農的小日本主義の勧め』で示している。今の経済規模を確保するために、人手が足りないので外国から人を連れて来て働いてもらうという考えが出て来るのはもっともなことだ。だが、私は順序を逆にすべきであると考えている。日本で生まれ育っている人たちが中心に日本国を造る。その人たちに見合った社会構造・産業構造にすればいいのであって、人口が減ってきたら、外国人を入れるというのはあまりに短絡的すぎる。今、韓国との間で徴用工判決が問題となっているが、入管法改正でしようとしていることは、戦前の徴用と大して変わらない。日本の発想は今も昔も同じなのだ。
 といっても、田舎が超過疎になり住む人がいないではないかとすぐ反論が返ってくる。しかし、もともと住んでいたのであるから、そこで農業あるいは林業をやりながらそこで生活していけるようにすることが先である。それをやらないでおいて、やる人が少なくなってきつい仕事を外国人にさせるというのは勝手すぎる。ところがこのことに何の疑問も持たない人が大半である。

<明らかな移民開国>
 そうしたところで、苦肉の策で出来上ったのが、日本に技術を実習に来て、数年経ったら帰って、母国でもってその技術を役立てるという技能実習生の仕組みである。しかし、これが名ばかりであって、実質的には低賃金の労働をしてもらう口実になっていたので、もっと現実的なものに直し、滞在期間も延ばそうというのが今回の改正である。日本で技術をきちんと習得したら、5年に延ばして家族も来てもよいと大きく方向転換している。日本は、今や128万人の外国人労働者を抱える世界第4位の移民大国なのだ。
従って今改定は、現実を追認して移民を認めることに他ならないが、安倍首相は一貫して移民政策ではないと強弁している。だから話はややこしくなり、混乱する。

<研修を貫く派米農業研修制度>
 私は、ここまで開くのは行き過ぎだと思う。技能実習制度は、よく指摘されるとおりきれいごとばかりではなく単なる低賃金労働の隠れ蓑になっていたかもしれないが、日本は歯を食いしばっても技能実習・研修制度にとどめておくべきだと思っている。
この見本になるのは派米農業研修制度である。派米とは言っているがヨーロッパの先進国にも出かけている。私は、農林水産省で物を書き始めたころ、このOB達の会合、各県の国際農業者交流協会によく講演に行った。なぜならば、私のデビュー作『21世紀は日本型農業で‐長続きしないアメリカ型農業』(1982年)が、アメリカと日本の農業を比べ、日本の農業こそ世界的普遍性があると結論付けていたからである。彼らもアメリカの大規模農業を見て、日本の農業をと比べ、私と同じようなことを考えたからであった。彼らは2年間農家に入って、文字通りの技能研修をしていたのである。日本の技能実習生と同じように、20人~30人と同じところで働いていたのではなく、家族の一員として受け入れられ、2年間そこで研修をしていたのである。

<日本にみる農業技能研修の成果>
 私が、1976~78年に留学した際には、ルーマニアから来ている研修生に出会い、2人で1週間一緒に拙い英語で冗談を言いながら農作業に汗をかいた。余談になるが40年後の2017年、いきなり「カンザスの農家で研修していた時、一週間一緒だったあの篠原孝か」とメールが突然飛び込んできた。IT化によりそういうことが出来る世の中になったのであり、その当時の写真を添えてルーマニアに来たら寄ってくれと伝えてきた。
 アメリカではこうした制度が今も続いている。しかしそれは低賃金労働の労働力として受け入れているのではない。真からアメリカ農業の神髄を学べる仕組みが出来ているのだ。日本へ帰国後多くは地元の名士となり、県会議員等も多く輩出している。その頂点に立つのはネブラスカ州に派遣され、その地の大学に行き、東大教授となり、その後熊本県知事になった蒲島郁夫である。
 低賃金の労働者とはカルフォルニアの農業で、チカーノと呼ばれる人たち(メキシコ不法移民)が、バスやトレーラーに乗り、この一週間は人参の収穫、次の一週間はアーモンドの収穫と季節労働をして歩いているのを言う。彼らのほとんどは不法移民でありアメリカ政府は必要悪として目をつむっている。しかしいざというときは強制送還するという仕組みが出来上がっている。つまり、国の制度としては頑なに一線を守っているのだ。この延長線上にトランプ大統領の唱える「壁」がある。それに対して今回の日本の法改正は、国が単純労働の移民は受け入れないと言いつつ、実態のほうを重んじて、抜け穴を作っているのである。思想も哲学もなく、だらだら現状を後追いしているだけだ。
 安倍政権は国の存立を重視し、軍事的自立も重点政策目標にしているが、これにより日本の地域社会がガタついてくることを見ていない。安倍首相を支える右寄りの人たちからもこの点に疑問が沸き上がっている。安倍首相の基本姿勢に反するからだ。私もこのままいくと、日本人とは何かと言うことも問われていくことになってしまうのではないかと危惧している。
 この点わかっているのだろう。農業界は特定技能2号、つまり5年後に家族も呼び寄せてもよい仕組みは考えていないと表明している。

<石橋湛山の炯眼を今に生かす>
 戦前に自国でもって生きていくべきであって、他国で出稼ぎ労働にするというのは、一時のことであり国のためにもならないと指摘したのは、石橋湛山である。米国が1914年カルフォルニア州議会が外国人土地所有禁止法案を可決した際、日本のマスコミはこぞってアメリカを非難した。そうした中で石橋湛山は「我ら移民の要なし」で移民はやめたほうがいい。外国で働くのをやめて、日本で働いて日本の製品を外国に輸出して儲ければいい。他の国に行って働くべきではない、と喝破した。また返す刀で、満州開拓にも「大日本主義の幻想」(1922年)で他国の土地を奪い取って食料を作るよりも輸出に力を注ぎ、その金で食料を輸入すればいいと唱えた。戦後の政策の支えとなった加工貿易立国を主張した。
 今、石橋がいたら、外国人労働力への依存を真っ先に批判しただろう。外国人が大挙して移動すると必ず揉め事が起こるからである。ところが、残念ながら石橋と同じく長い眼で日本を見通せるトップ政治家はいない。