« 2018年10月 | メイン | 2018年12月 »

2018年11月22日

【外国人労働者シリーズ2】実質的な移民を容認する時代錯誤の入管法改正案-物、人の移動を制限するトランプ大統領と過度の自由化が嫌でEU離脱するイギリスが世界の潮流- 18.11.22

 入管法のにわか論議が始まっている。政府は展望もなくきちんとした数字も示さず、示したと思ったら間違った数字だったりして混乱を極めている。それにもかかわらず、政府は4月1日の施行を目指して今国会での成立を急いでいる。これはこれとして大問題であるが、私はもっと問題なのは、この日本の存立に関わることについてほとんど論争がなく進んでいることである。

<30年前の活発な外国人労働力論争>
 なぜかと言うと、私はこの問題に常々関心を持っていたので、約30年前偽装難民事件を契機としてオピニオン誌で行われた論争の冊子(新聞記事ではなく、雑誌で展開された論争)を取ってある。それを今読み直している。右の論客西尾幹二は当然移民に反対である。それに対して、ベストセラー『ストロベリー・ロード』を抱えて鮮やかに論壇入りした石川好は、日本が経済力に見合う国際責任を果たして普通の国なるためにも、移民はどんどん認めて苦労した方がいいのだという荒っぽい議論を展開した。そこに大沼保昭、西部邁、深田祐介、島田晴男等懐かしい顔ぶれも参戦し、注目を浴びていた。
 外国人労働者の数が当時はまだ15万人前後だったが、30年後の今は128万人と、この間に10倍近くに膨らみ、もう外国人労働者なしでは日本は持たなくなってしまっている。

<技術的論争が先行する危険>
 このため政府の方は、特定技能第1号、特定技能第2号という縛りを設けたものの、今ある技能実習生のほとんどが特定技能第1号になれる実質的な移民受け入れを法定化せんとしている。その中の更に熟練した技能を持ち、日本語がちゃんと出来る人を特定技能第2号として家族も呼び寄せ、5年いることが出来る形になっている。しかし、試験の内容も決まらないのにもかかわらず、こういった予測を各省にあげて、34万人上限などという数字を積み上げているが、数字が独り歩きしている感がある。いかにも杜撰である。みんな各省がそれぞれ数字を出したようで、1年目が7000人というのは農業界の数字であるが一番多く、10年後でも建設業界、あるいは介護の人たちに次いでいる。
 30年前の議論はどこかへ消えてしまい、もう日本の経済・社会を維持するためには外国人労働力は必要であり、あとは制限を付けたりする制度の問題だけになってしまっている。宇沢弘文が「社会的共通資本」と呼ぶ、日本社会の安定が壊れることなどお構いなしである。

<英米アングロサクソンの方針転換>
 この他、失踪者の数字や技能の試験等技術的問題についてはあれこれ皆が言っているが、そのような技術的問題については私は触れない。前号では、そんなことまでして経済の規模を大きくしたり、今の規模を維持するというのは意味があるのかということで疑問を投げかけた。今回は、今からやとろうとしていることは明らかに世界の潮流から一周遅れの措置だということを指摘しておきたい。
 TPPに絡んで同じことをブログ・メルマガに書いたことがあると思うが、長らく自由化(グローバライゼーション)というのは、英米二国、アングロサクソンがリードしてきた。そのリーダーたるイギリスが余りにも主権が損なわれイギリスの政策と合わないということで、EUからの離脱を国民投票で決定した。そして先ごろ合意が成立し、閣議でも了承されている。メイ首相の強引な手法が与党や閣内からも反発され、この先順当とはいかないが、もう一歩も二歩も歩み出している。

<ユーロには元々入らず、人でEU離脱するイギリス>
 物、金、人の自由化が問題になるが、イギリスは専ら物の自由化に関心を持って、EU(当時)に遅れて加盟している。金は、ポンドについては、国家の主権ということでユーロに入っていない。だから元々イギリスはEUの中では少し退いた存在であった。そこにもってきて難民受け入れで意見が合わず、そこまで押し付けられるのならということで国民が離脱を選んでいる。つまり、物、金、人のうち、物はともかく、金は元々ユーロに入らず、人について難民をEU諸国と同じように受け入れるのはとんでもないということで離脱したのである。

<トランプのアメリカは、物、人の自由化は卒業>
 もう一方の旗頭のアメリカもトランプ大統領の登場で、とんでもないことになっている。自ら推し進めた自由貿易の錦の御旗を降ろし、TPPには大統領選の公約通り参加せず、NAFTAも見直している。つまり、物の自由化に反対し始めている。中国製品に報復関税まで掛けている。金については為替条項の導入をチラつかせ、為替相場で自国の通貨を安く誘導することは許さないという姿勢である。
さて問題の人である。アメリカは移民で成り立った国家であるにも関わらず、移民に対して厳しく、トランプ大統領は大統領選期間中メキシコ国境に壁を造ると言いまくっていた。中間選挙に絡んで、中南米から移民の行進が始まったが、絶対国境で阻止するとして軍隊も出動させている。つまり物・金・人全てにおいてグローバライゼーションに疑問を投げかけ、アメリカファーストと言い出したのである。
 他国と比べて安定政権を謳歌していたドイツのメルケルも、トルコ難民の負の遺産を背負っているところに、難民への寛容な態度が批判され、党首の座も危うくなりつつある。

<二周遅れで物・人を自由化する日本の行き先は?>
 こうした時期に、TPP11だ日欧EPAだとこだわり、自由貿易の旗手だと悦に入っているのが我が日本である。そこに加えて、ずっと腰が引けていた外国人労働者の受け入れについて、実質的には既に128万人の外国人労働者がいて世界第4位の数だというが、少なくとも単純労働者を受け入れないと言っていた。それを、一定程度の技能のあるものは受け入れていくという方向に大転換せんとしている。つまり、英米が一歩も二歩も退き始めた中で、日本は物と人に対する自由化を更に推し進めんとしているのである。
 私は、この動きは時代錯誤であり、遅れてのこのこやるのは極めて危険だと思っている。戦前植民地政策を欧米列強がやっているから満州に進出したが、悲惨な結果となっている。やはり、人の移動は物の移動の自由貿易と違って、もっと慎重でなければならない。満蒙開拓はこちらから出て行ったのだが、今度は外国から来るのを受け入れるかどうかの問題である。いくら、少子高齢化だからと言い訳を並べても正当化されまい。なぜならドイツでもどこでも失敗例だらけだからだ。

<政府自ら抜け道を造るのは大問題>
 問題は、政府が単純労働力は受け入れられないと言いつつ、受け入れる抜け道を造っていることである。つまり、「制限付き移民開国」である。同一賃金といってはいるが、日本全体が低賃金労働を求めていることは明らかである。そしてあろうことか、人手不足が解消したら本国に帰ってもらうとさらりと述べているが、一旦受け入れたらとてもそんな簡単にはいくまい。まして特定技能2号で家族も呼び寄せていたらもっと大変である。人手不足が解消したから帰国してくれと言い出したら、国際的な人権問題、人道上の問題であり、10年後、20年後には、ILOから日本のずるいやり方が批判されるのは必至である。
やはり、人の移動というのは慎重でなければならない。

2018年11月16日

【県民気質シリーズ2】長野県民が戦争体質を嫌うDNAはどこから来たか- 貧しい南と北の二人の満蒙開拓農民の救世主が見本 –18.11.16

 今年3月、NHKが満州からの引き揚げ船の獲得に獅子奮迅の働きをした丸山邦雄を主人公にしたドラマ『どこにもない国』を土曜の夜のゴールデンタイムに2週にわたり放送した。遅きに失した感があるが、少しはその働きが多くの国民に知られることは喜ばしいことである。

<南と北の二人の長野県人の大胆な行動>
 戦後、満州には多くの日本人がいた。そして、帰国をどうするか、どこも確たる方策が無かった。そうした中、個人の資格でその英語力を駆使して駆け回ったのが、長野の北の果てで、飯山市富倉で生まれ育ち、明治大学卒業後アメリカに留学した経験のある丸山だった。その働きは後述する山本慈昭の周恩来への直訴の手紙と同じく、マッカーサー等アメリカへの直接的アプローチであり、極めて大胆なものであった。日本政府が動かずにいたのに業を煮やし、自ら立ち上がり事を成し遂げたのである。

<共通する隣人への思い>
 二人をそこまで突き動かした理由は、共通である。長野の貧しい南と北の山村集落から、数多くの満蒙開拓農民が出ており、自らの隣人に思いを馳せつつ、その救済に全力を尽くしたのだ。それは、私が満蒙開拓農民の痛ましい集団自決に心が痛み、国会の質問で取り上げたのも身近で知っていたからである。その後私は市川久芳飯山市議会議員とともに地元秘書総動員で中野市東山の8月25日の慰霊祭に取り組んでいる。

<杉原千畝と同じく息子ポール邦昭が父の実話をまとめる>
 山本慈昭のことは既に和田登が、著書『望郷の鐘 中国残留孤児の父・山本慈昭』(2013年)をものにし、内藤剛志主演で映画『山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』もできている。日本のマスメディアは劇的な父母との再会を大きく報道し、誰もが知るところとなった。それに対して丸山は戦後すぐ出た書籍により知られてはいたが、その後はほとんど取り上げられなかった。大連等大きな港でなく、なぜ小さな葫蘆島から引き揚げ船が出るようになったのか謎だったが、終戦直後はともかく長らく取り上げられなかった。どうも悲惨なことについては語り継がれるが、成功したこと(100万人もの日本人が無事に日本に帰国できたこと)については、いつの間にか風化してしまい、忘れられがちである。それがアメリカ在住の子息 丸山・ポール邦昭が杉原千畝のユダヤ人救出の業績がその息子により世に知られることになったのに突き動かされ、父の業績を一冊の本『満州 奇跡の脱出』(2011年)にしたことでやっと世に知られるようになり、NHKのドラマ化に繋がった。

<大胆な直訴も二人に共通>
 引き揚げがようやく始まったのは1946年4月、日中国残留孤児の帰国の開始は1972年。それを、あとから始まったことのほうがあまねく国民が知ることとなり、葫蘆島からの大送還は当たり前のように思われ、あまり取り上げられなかった。ユダヤ人救出も見事だったが、日本の105万人の同胞の救出の舞台裏で汗をかいた人々のことをもっと顕彰しても良いのではないか。
 詳しい内容は著書に譲るが、日本国政府への働きかけばかりでなくマッカーサーへの直訴という本来考えられないような方法を考えたのも、身近な人たちを一刻も早く救わなければならないという切なる思いからであろう。こちらは重厚な演技が光る内野聖陽が丸山を演じ、その同志の武蔵正道を満島真之介が演じた。私は危機が連続する日本への脱出劇、そしてGHQとのやりとりにハラハラしながらテレビにかじりついて見た。

<最も忠実に国策に従った長野県民>
 前置きが長くなったが、長野県民が戦争を殊のほか嫌うのは、この悲惨な満蒙開拓故でもある。前号(『自民党総裁選、石破が安倍首相に15票の僅差で肉薄した本当の理由』 18.10.2)に長野県民がいかにまじめかを例示したが、戦前も同じである。国策である、満州開拓に県民一丸となって応じたのである。その結果が約50開拓団、全体の一割を超える全国最大規模の約3万人にも及ぶ満蒙開拓農民につながった。もちろん、しっかりした眼を持つ2~3人の村長は、現地視察をした上で、満蒙開拓への送り込みを拒否した。しかし、県も市町村役場もこぞって国策に従い、中ソ国境に近い一番北の開拓地に向かわせたのである。よく出てくる大日向村は村を上げて満蒙開拓に取り組んだ。また、教育県長野らしく先生たちも15歳前後の少年義勇軍入りを強力に勧めた。600人余に及ぶ高社郷集団自決の悲劇に象徴されるように、その多くが二度と長野の故郷に戻ることがなかった。(『高社郷集団自決の悲劇を繰り返さないために』14.02.07)

<満州の地で日本人とも知らず一生を終えつつある残留孤児が哀れ>
 山本慈昭は、逃げ帰る途中妻と二人の娘と離れ離れになり、本人はシベリアに抑留された後一人日本に帰国した。そして、政府が冷たく何もしない中、一人中国残留孤児の帰国に取り組み、せっせと周恩来にも手紙を書き送った。その思いが天に通じたのか、中国人に託した娘が日本語も忘れたものの生きており、劇的な再会が出来ている。そして、残留孤児約2,500人余が日本に帰国している。ベストセラーとなり同じくNHKでドラマ化された『大地の子』の作者・山崎豊子はその取材ノートで、「自分が日本人とも分からず牛馬のごとく酷使されているのが本当の残留孤児だ。泣きながら取材したのは初めてだ。」と書き留めている。悲劇はいまだ続いているのだ。

<かつての敵国日本の孤児を育ててくれた中国人に感謝する長野県民>
 満蒙開拓関係者は、自分たちの農地を奪い、わがもの顔に振る舞っていた日本人(開拓農民)の子供を、我が子同様に育ててくれた中国人に感謝の念を持っており、親中感が強いのは理の当然である。長野県日中交流協会の活動もこうしたことの上に成り立っている。大日向村を選挙区に抱える井出正一元厚生大臣は、こうしたこともあり、長らく長野県日中交流協会の会長を務めていた。正一の叔父・井出孫六も『終わりなき旅―「中国残留孤児」の歴史と現在』(1986年)を書きあげている。
 つまり長野県民の多くは満蒙開拓をそして戦争を忘れていないのだ。中国政府が、2008年の北京オリンピックの聖火リレーを長野県にと指名してきたのは、こうした事情を熟知していたからである。

<満州に果てた満蒙開拓農民のリスト作成こそ政府の仕事ではないか>
 政府は、ロシアに対してシベリア抑留者のリストの提出等、いつも強硬な態度をとる。拉致問題で北朝鮮に毅然とした姿勢で臨むのは当然である。日本人の生命にかかわることであり、まさに国が率先して取り組むべきことだからである。そうだとすれば、自国のしでかした満蒙開拓の犠牲者にも同じ思いを馳せるべきである。約30万の開拓農民のうち、半分近くが満州の土に埋まっている。
 ところが女、子供、老人しか残っていなかった開拓村の人たちの名前は、地元の市町村が持つだけで、政府は何もしていない。長野県の南の端にある阿智村(山本慈昭が住職を務めた長岳寺もある)に平和記念館が建てられた。これも満蒙開拓農民でかろうじて帰国できた者の子息・寺沢秀文等が中心となり関係者が自力で成し遂げたものである。

<お国のために命を落としたのは軍人だけではない>
 そこは天皇陛下も訪問されておられる。それに対し、私は上述の予算委で靖国神社への参拝にはこだわる安倍総理に説明し訪問するように促したが、いまだ行く気配がない。この件は私の質問を前書に引用して高社郷の集団自決を扱った、毎日新聞記者故小林弘忠の著書『満州開拓団の真実』に紹介されている。戦没者に敬意を示すのと同時に、満州の地に果てた健気な人たちにも目を向けてやらねばあまりに憐れである。
 安倍総理のこのような二枚舌に対し、保守系自民党の党員ですら拒否反応を示したのが、総裁選挙で石破との差が15票に肉薄した理由の一つである。まさに、日中・日韓で隔たりの大きい認識の差の一つであり、安倍総理と長野県民の間にも大きな溝があるようだ。

2018年11月15日

【漁業法シリーズ1】天皇より優遇された日本の輸出系企業-共同漁業権に守られた日本の美しい海岸-18.11.15

 私は1976年の秋から人事院の留学生制度のもと、ワシントン大学海洋総合研究所(Institute for Marine Study)に留学していた。講義科目の中にCoastal Zone Management (沿岸海域管理)という耳慣れないものが入っていた。私は単位とは関係なしに受講していた。驚いたことに日本の海岸の変容が取り上げられており、私はヴェスパー教授に質問攻めにされた。

<地球生命を育む沿岸海域>
 ラムサール条約というものがある。生命生産活動が一番盛んなのは水と土の接点、海で言うなら入江(inlet)や浅瀬(estuary)、内陸で言えば湿原(marsh、wetland)である。200m以上の水深の海は光も届かず、太平洋のど真ん中は海の砂漠とも呼ばれる。それに対し、海岸近くで植物が一番多く繁茂し、魚や昆虫が産卵する。そこで生命が誕生し、育っていく。最も保全しなければいけない地域を守る条約である。
 そうしたことから、アメリカでは沿岸地域管理という学問分野が生まれていた。海洋総合研究所自体が日本にはない学際的(interdisciplinary)研究所であり、その典型的な講義科目が沿岸海洋管理といえた。最近久方ぶりに海洋関係の雑誌を見た時に、日本にもこの言葉がすっかり定着していることを初めて知った。アメリカに遅れること何十年だったのだろうか。

<日本の海岸について質問攻めにあう>
 授業では当然、日本の共同漁業権(漁業協同組合の組合員が一定水域を共同利用して営む漁業)等について質問され、説明を求められた。私もそれほど詳しく承知をしているわけではなかったが、それでも水産庁企画課に2年いたがためにそれなりのことはわかっていたので、知っている限りについて説明した。
 次が、海岸の埋立地についての質問である。東京湾、大阪湾、伊勢湾等は、ほとんどが埋め立てられ、大企業が建ち並ぶ工業地帯になっていた。埋立の権限も都道府県知事であり、漁業権の消滅の権限も都道府県知事である。2つが衝突した時はどうするのかといった答えにくいことも聞かれた。アメリカにとってのよくわからない制度であろう。アメリカの授業ではよくあることだが、教授が一方的に喋るばかりではなく、教授が質問し、それに学生が答えるという授業のやり方も多かった。
 こうした沿岸を巡るやりとりで天皇が出てきたときにはびっくり仰天した。概略以下のとおりであった。

<誰も所有しない日本の海岸>
 突然、日本で一番の権力者は誰かと聞かれ、総理大臣と答えると、そうではないだろう日本には天皇陛下がいるではないかと逆に間違いを訂正されてしまった。次に、昭和天皇はどのようなものを持っているかと聞かれたが、質問の意図がすぐにはわからなかった。ヴェスパー教授は、牧場や山を持っていて、猟場も持っているのではないか。つまり御料牧場や帝室林野のことであり、猟場とは私も一度行ったことのある千葉の新浜鴨場である。
 次に天皇の趣味は何かと聞かれ、海洋生物学者ですと答えると、またすぐに東京近くに天皇の別荘があるだろうと畳みかけてきた。葉山御用邸のことである。私が葉山の御用邸もありますし那須にも御料牧場跡の御用邸がありますと答えた。ヴェスパー教授は私の答えを頷いて聞いた後、やはり日本の天皇はイギリス王族と同じく別格だと学生に説明した。そして次に、天皇は牧場も山も猟場も持っていて、海洋生物学者でありながら、葉山の御用邸近くに天皇専用の海岸や海は持っているのかと質問してきた。そんなことは聞いたことがなかったので、持っていないと答えた。するとにっこり笑って、また海岸の埋め立ての話に戻っていった。

<天皇より優遇された輸出系企業>
 結論は、天皇にすら明け渡さない海辺を日本政府は次々に埋め立て、タダ同然で輸出系企業に与えていった。これほどまでに輸出系企業を優遇した国はない。そんなことをしたら、日本の輸出系企業が世界で最も力を持つのは当然である。これがいわゆる日本株式会社の根本であるということであった。工場用地の埋立地が、天皇陛下より優遇されているというような比較に、我々日本人にはおもいつかないことだった。
 まだ1970年代中ごろ、日本の大輸出攻勢がアメリカを追い詰める直前の状況であり、繊維産業ではすでに波風が立っていたが、車、家電が大輸出攻勢をかけてアメリカの産業をメタメタにするのはもう少し後のことであった。ヴェスパー教授は日本の仕組み自体が、輸出しやすい工業に向いていて、その海岸のあり様に国策が如実に現れているというのだ。私は、後にも先にもこのような指摘をした文章は見たことがなく、天皇と輸出企業の優遇比較はまさに「目からうろこ」の話だった。

<諸外国は海岸も所有が認められる>
 外国から鉱物資源を輸入し、それを加工して輸出する企業は、内陸には存在できない。輸送コストがかかるからだ。浜辺ならほぼゼロですむ。かくして、東京湾、伊勢湾、大阪湾は重厚長大型企業ばかりがひしめき立つことになっていった。これほど環境を蔑ろにした開発は世界でも類例をみない見苦しいものだった。しかし、大半の日本人はこの悪業に気付いていない。豊かになるためには仕方がなかったと思い込んでいるのである。
 海岸については、日本では天皇に対しても所有を認めていない。つまり、コモンズ(総有)である。自然は皆の共有のもの、かつその時代の人たちだけではなく、未来の人たちとも共有すべき「共有財産」(commons)なのである。それに対して、ヌーディスト専用に海岸のキャンプが認められたり、高級ホテルがニースの海岸を所有していることにみられるとおり、外国では海岸の所有を許している。私のいたワシントン大学が面するワシントン湖に面したところは、面していない土地の3~4倍土地代が高くなっている。そこにビル・ゲイツが住んでいる。

<日本の海岸を乱開発から少しでも守ったのは共同漁業権>
 ヴェスパー教授は、日本に共同漁業権がなかったら、日本の沿岸は工業用地に明け渡されたり、テトラポットで囲まれた、見るも無残な姿になっていただろうと結論付けた。それを防いだのが昔からの知恵を制度化した共同漁業権であるというのである。私はアメリカの海洋総合研究所で共同漁業権の意義を知らされるとは思ってもみなかった。共同漁業権は漁業資源を枯渇させずに持続させたばかりでなく、金ばかりに目がくらんで海岸を作り変えんとした乱開発から海岸を守ったのである。 岡目八目とはこのことで、我々日本人は当然のごとく気付かなかったが、外国から見るとよくわかるのである。

<抵抗は入浜権運動のみ>
 もっとも、日本でも関西では「入浜権」という言葉が生まれ、かつては自由に釣りができたのに突然埋め立てられ、その土地が大工場の所有となり、釣り人が海岸にアクセスできなくなり、これはおかしいと裁判を起こした人たちもいた。毎日新聞の本間義人記者は、『入浜権の思想と行動―海はみんなのもの,渚をかえせ! 』(1977年)という本を書いている。先進国であれば、このようなからくりはすぐに大問題にされただろうが、権利意識が薄く、また自然を守ろうという意識も高くない日本では今だかつて問題にされたことがない。

<血迷った沿岸海域への民間参入>
 一般的には、工業は創意工夫をしてのし上がっていったという認識であり、それに対して漁業や農業は過保護のままでいるから成長できずにいたと思われている。ヴェスパー教授の講義から40年余、その浜の共同漁業権に民間を参入させるという考えが村井宮城県知事等から公然と述べられるようになり、今臨時国会で水産改革関連法なるものに具現化されんとしている。愚かとしかいいようがない。(以下、次号に続く)

2018年11月14日

【外国人労働者シリーズ1】国が外国人不法就労の抜け道をつくる愚 -入管法改正は経済優先で国の根幹を揺るがすー18.11.14

<日本の外国人労働は遠洋漁業から始まった>
 私は水産庁の企画課長として当時外国人漁船員の問題を担当した。どこにも所属しない仕事が企画課に集まっていた一つの例である。あまり知られていないが、遠洋漁船は日本の外にいるので、単純労働者が国内に入るのと違うので、外国人就労について早くから受け入れていた。1年近くも日本を離れていたら、どんなに給料が高くとも日本の若者が敬遠するのは当然である。遠洋漁船を動かすために、外国人労働者が急激にとりいれられた。国もとやかく言わなかった。理由は簡単で、日本に上陸して日本に住むということがなく、一般人の目に触れなかったからである。かくして、マグロ等の遠洋漁船は最初韓国人、次に中国人、インドネシア人、フィリピン人、タイ人と広がって行った。もちろんトラブルもあったが必要悪として公然と認められていた。ともかく給料が高かったので途上国の若者には魅力的だったのだ。この結果酷い船になると、船長と漁労長だけが日本人で、あとは皆外国人となっていた。

<商船の船乗りの外国人化は日本の安全を揺るがす>
 その延長線上で、商船も同じようになっていった。私が1976~8年にワシントンに留学していた頃、シアトルに近い港で材木のアルバイトをしていたルームメートは日本船が来ても安心して材木の作業をしていた。他の国の船が来ると、いつぶつけられるかわからないので、慌てて陸に上がっていた。それが今はきちんと操舵作業をする日本人が少なくなり、日本の船であっても操舵しているのが外国人であり危険になってしまっているだろう。日本の安全保障を考えると、ゆゆしき事態である。なぜなら、アラビア湾がきなくさくなったら、彼らは日本の商船や石油タンカーには乗ってくれないだろう。

<明らかに移民政策>
 きつい・きたない・きけんな仕事から若者が離れていき外国人にとって代わっていった。3Kどころか何拍子もそろっている遠洋漁業はいくら高給とはいえ、敬遠されるのは理の当然である。そしてこのような3K仕事離れが、少子高齢化でただでさえ少なくなった若者の間に広がっていった。農業、漁業、林業もそして、建設業、介護等体を動かして汗をかく仕事である。それに対して仕方がないから外国から人に来てもらう、という単純な図式で突っ走っているのが今回の入管法の改正である。よく言われるように外国人の家族や地域社会のことは少しも念頭になく、あるのはひたすら「労働力」としての外国人である。技能実習生、研修生として受け入れてきた者を、もっと大々的に広げていくというものであり、移民への道を開くものとして野党はこぞって反対している。そればかりではなく、本来安倍首相の固い支持者の保守層も反対に回っている。

<右肩上がりは卒業すべし>
 実質的に移民を認めることへの懸念は全くその通りである。いつかブログでも紹介したが(「縮小社会研究会」の主張がいつ日本で受け入れられるか -日本は分際をわきまえた生き方が必要- 15.11.04)、京都大学の教授たちが縮小社会研究会という会を持ち、日本の将来について議論し発信もしている。『縮小社会への道』(2012年)という本の中で、人口減について明確な指針を出している。明治以降100年で人口は4千万から3倍の1億2千万になっている。ところが2100年にはまた3分の1の4千万人に戻る。それを前提とした社会構造・産業構造にしなければならないというのである。今後の日本の将来を考える場合縮小は当然で、右肩上がりの成長はもうないという前提で取り組んでいかなければならないと警告を発している。

<人口減に合わせた社会・産業構造に変える>
 私はこのような考え方を、既に1985年『農的小日本主義の勧め』で示している。今の経済規模を確保するために、人手が足りないので外国から人を連れて来て働いてもらうという考えが出て来るのはもっともなことだ。だが、私は順序を逆にすべきであると考えている。日本で生まれ育っている人たちが中心に日本国を造る。その人たちに見合った社会構造・産業構造にすればいいのであって、人口が減ってきたら、外国人を入れるというのはあまりに短絡的すぎる。今、韓国との間で徴用工判決が問題となっているが、入管法改正でしようとしていることは、戦前の徴用と大して変わらない。日本の発想は今も昔も同じなのだ。
 といっても、田舎が超過疎になり住む人がいないではないかとすぐ反論が返ってくる。しかし、もともと住んでいたのであるから、そこで農業あるいは林業をやりながらそこで生活していけるようにすることが先である。それをやらないでおいて、やる人が少なくなったきつい仕事を外国人にさせるというのは勝手すぎる。ところがこのことに何の疑問も持たない人が大半である。

<明らかな移民開国>
 そうしたところで、苦肉の策で出来上ったのが、日本に技術を実習に来て、数年経ったら帰って、母国でもってその技術を役立てるという技能実習生の仕組みである。しかし、これが名ばかりであって、実質的には低賃金の労働をしてもらう口実になっていたので、もっと現実的なものに直し、滞在期間も延ばそうというのが今回の改正である。日本で技術をきちんと習得したら、5年に延ばして家族も来てもよいと大きく方向転換している。日本は、今や128万人の外国人労働者を抱える世界第4位の移民大国なのだ。
従って今改定は、現実を追認して移民を認めることに他ならないが、安倍首相は一貫して移民政策ではないと強弁している。だから話はややこしくなり、混乱する。

<研修を貫く派米農業研修制度>
 私は、ここまで開くのは行き過ぎだと思う。技能実習制度は、よく指摘されるとおりきれいごとばかりではなく単なる低賃金労働の隠れ蓑になっていたかもしれないが、日本は歯を食いしばっても技能実習・研修制度にとどめておくべきだと思っている。
この見本になるのは派米農業研修制度である。派米とは言っているがヨーロッパの先進国にも出かけている。私は、農林水産省で物を書き始めたころ、このOB達の会合、各県の国際農業者交流協会によく講演に行った。なぜならば、私のデビュー作『21世紀は日本型農業で‐長続きしないアメリカ型農業』(1982年)が、アメリカと日本の農業を比べ、日本の農業こそ世界的普遍性があると結論付けていたからである。彼らもアメリカの大規模農業を見て、日本の農業とを比べ、私と同じようなことを考えたからであった。彼らは2年間農家に入って、文字通りの技能研修をしていたのである。日本の技能実習生と同じように、20人~30人と同じところで働いていたのではなく、家族の一員として受け入れられ、2年間そこで研修をしていたのである。

<日本にみる農業技能研修の成果>
 私が、1976~78年に留学した際には、ルーマニアから来ている研修生に出会い、2人で1週間一緒に拙い英語で冗談を言いながら農作業に汗をかいた。余談になるが40年後の2017年、いきなり「カンザスの農家で研修していた時、一週間一緒だったあの篠原孝か」とメールが突然飛び込んできた。IT化によりそういうことが出来る世の中になったのであり、その当時の写真を添えてルーマニアに来たら寄ってくれと伝えてきた。
 アメリカではこうした制度が今も続いている。しかしそれは低賃金労働の労働力として受け入れているのではない。真からアメリカ農業の神髄を学べる仕組みが出来ているのだ。日本へ帰国後多くは地元の名士となり、県会議員等も多く輩出している。その頂点に立つのはネブラスカ州に派遣され、その地の大学に行き、東大教授となり、その後熊本県知事になった蒲島郁夫である。
 低賃金の労働者とはカルフォルニアの農業で、チカーノと呼ばれていた人たち(当時のメキシコ不法移民)が、バスやトレーラーに乗り、この一週間は人参の収穫、次の一週間はアーモンドの収穫と季節労働をして歩いているのを言う。彼らのほとんどは不法移民でありアメリカ政府は必要悪として目をつむっている。しかしいざというときは強制送還するという仕組みが出来上がっている。つまり、国の制度としては頑なに一線を守っているのだ。この延長線上にトランプ大統領の唱える「壁」がある。それに対して今回の日本の法改正は、国が単純労働の移民は受け入れないと言いつつ、実態のほうを重んじて、抜け穴を作っているのである。思想も哲学もなく、だらだら現状を後追いしているだけだ。
 安倍政権は国の存立を重視し、軍事的自立も重点政策目標にしているが、これにより日本の地域社会がガタついてくることを見ていない。安倍首相を支える右寄りの人たちからもこの点に疑問が沸き上がっている。安倍首相の基本姿勢に反するからだ。私もこのままいくと、日本人とは何かと言うことも問われていくことになってしまうのではないかと危惧している。
 この点わかっているのだろう。農業界は特定技能2号、つまり5年後に家族も呼び寄せてもよい仕組みは考えていないと表明している。

<石橋湛山の炯眼を今に生かす>
 戦前に自国でもって生きていくべきであって、他国で出稼ぎ労働にするというのは、一時のことであり国のためにもならないと指摘したのは、石橋湛山である。米国が1914年カルフォルニア州議会が外国人土地所有禁止法案を可決した際、日本のマスコミはこぞってアメリカを非難した。そうした中で石橋湛山は「我ら移民の要なし」で移民はやめたほうがいい。外国で働くのをやめて、日本で働いて日本の製品を外国に輸出して儲ければいい。他の国に行って働くべきではない、と喝破した。また返す刀で、満州開拓にも「大日本主義の幻想」(1922年)で他国の土地を奪い取って食料を作るよりも輸出に力を注ぎ、その金で食料を輸入すればいいと唱えた。戦後の政策の支えとなった加工貿易立国を主張した。
 今、石橋がいたら、外国人労働力への依存を真っ先に批判しただろう。外国人が大挙して移動すると必ず揉め事が起こるからである。ところが、残念ながら石橋と同じく長い眼で日本を見通せるトップ政治家はいない。