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2018年12月28日

鈴木宗男元衆議院議員が頼りにされる理由-24年前に垣間見た驚くべき直観力- 18.12.21

 入管法と漁業法という固いブログが続いたので、柔らかい話を一つしなければならないと思っている。

<東の鈴木、西の山田>
話は二十数年前にさかのぼる。漁業法シリーズ 4で触れたように、私は1994年から3年間海洋法関係法成立のためにあちこちで汗をかいていた。中国漁船・韓国漁船を追い出して、日本漁船がきちんと獲れるようにする200海里の設定は誰も反対する人はいなかったが、TAC法(これ以上獲ってはいけないという漁業資源管理の法律)は反対する人がかなりあった。今のように安倍一強で何でも数で押し切る国会ではなかったので、法案を通すために関係国会議員の根回しというのは不可欠であった。ただ、その根回し相手の中で際立っていろいろ注文をつける2人の議員がいた。東の鈴木宗男、西の山田正彦である。山田さんは国会議員になりたてで、課長の私が根回しに行っても何ら差し障りはなかったし、課長補佐でもよかったかもしれない。それに対して、東の鈴木さんは既に当選4回の重鎮であり、漁政部長なり次長なり長官が行ってもおかしくなかった。鈴木さんは中選挙区時代は漁業はあまり関係がない十勝中心でよかったが、1994年に小選挙区制が導入され、釧路・根室の北海道7区に変ったため、漁業関係の比重が格段に高くなり、力のいれようは大変なものだった。しかし、上層部は敬遠しがちになり、いつの間にか私の担当になっていった。私は今で言うパワハラ的上司に耐えられということで、よくそうした上司の下に異動させられたこともあったし、どうもこの手の議員にも強いと押し付けられる形になっていた。

<鈴木事務所にフリーパスの命令>
 ところが、議員会館の鈴木事務所は、今のように広くない議員会館で、門前市を成すとはこのことで陳情客で溢れかえっており、廊下にズラヅラと椅子が用意してあって順番待ちであった。他の先生方も回らなければならないので鈴木さんは後回しにして、他の先生方を回り夕方遅くなってやっと行くというのが続いていた。すると鈴木さんが、「俺のところにこんなに遅く来るとはなんだ」と怒り出す。私は「そんなことを言ったって先生のところは、門前市を成して陳情客が山ほどいて入れないんだから、他の先生のところに回るのは当然じゃないですか」と口答えした。すると「何をばかな事をいっているんだ。TAC法と200海里法ほど大事な法律はない。人が並んでいようといいから俺の部屋にすぐに来い」ということであった。話の早い人なのだ。

<聞いてしまった野中自治大臣への警告電話>
 私は、次の日から他の人の話を中断して私の話を聞いてくれた。しかし、電話をしているときに電話を切ってすぐというわけにはいかない。そして、ちょっと変った野中広務自治大臣が相手の電話を聞いてしまうことになった。といってもその時は大変とも思っていない。
「野中大臣、オウムは霞が関にサリンをばら撒いた。あれは警察に恨みがあったからです。松本でも裁判官に対してそうした。警察を狙っているとしたら、トップの国家公安委員長であるあなたが確実に標的にされている。心配でしょうがないから身辺警護をきちんとして下さい」という内容であった。私は、正直言って時の権力者・実力者に調子のいいことを言って取り入っておられるなという印象を受けていた。とこころが数日後の3月30日、国松孝次警察庁長官が狙撃され瀕死の重傷を負った。いまだ犯人はわかっていない。

<バカなワルの考えることは分かる>
私は、法律の内容や情勢が変わったりするたびに鈴木さんに報告し、了解を得ていたが、次に訪問した際、「ちょっと外れましたね」と言ったところ、「何を言っているんだ、当たっていてあんな重傷を負っているじゃないか。玉も当たったし俺の予測も当たって国松警察庁長官は瀕死の重傷をおったじゃないか」とにやり返された。「それはそうですね。すみません」と謝り、「ところでそういった情報は何で入ってくるんですか」と聞いたところ、「そんな情報が入ってくるわけがないじゃないか。俺の勘だけだ」という返答。「何でそんな予測が出来るのですか」に対して、「いいか俺は馬鹿で悪いんだ。世の中にはおまえのような真面目なのばかりじゃないんだ。俺と同類項の悪いバカどものが何を考えているか手に取るようにわかる。だけれどもオウムはちょっとぬかっていて、国家公安委員長が担当大臣で本当の最高責任者なのに、警察庁長官が警察のトップだと思ったために、国松警察庁長官が犠牲になっただけだ」。

<鈴木さんの欠席で総務会も1回延期>
「お前にはわからんだろうが、俺のように馬鹿で悪いのはワルの考えることが手にとるようにわかるんだ」。私は、この言葉に何と表現してよいかわからないが、ストーンと胸に響くものがあった。正直で、格好をつけずに物事を考えておられるのが伝わってきた。これだから力を成していくのだと得心した。
 ただ、暴れん坊の鈴木さんには本当に振り回された。自民党の手続きの最後は総務会をクリアしなければいけない。総務会の日が決まり、閣議提出の日も決まった。ところが、総務会が流れることになったしまった。鈴木さんが何か用事で大阪に行っており、欠席したからだ。塩川正十郎総務会長は、「鈴木議員のいない総務会で了解をとっても、あとで何を言われるかわからないので、総務会を開かない」というのだ。なんと熟議(?)あるいは合意を大事にする政党かと恐れ入った。というより、日頃の鈴木さんのパワーがそうさせたのである。閣議が一回延び、関係者からは私の不手際と非難が集中したが、いかんともしがたかった。

<野中・鈴木コンビの成立>
野中・鈴木コンビは後々世の中に知られることとなった。私は二人の濃密的関係の成り立ちを知る由もないが、この身震いする事件の警告も野中大臣の鈴木さんの信頼醸成に一役かったのではないかと思う。その後、1998年小渕恵三内閣で野中さんが官房長官になられ、鈴木さんが副長官に抜擢された。

<政治家になっても続く縁>
鈴木官房副長官の時も、また呼び出され筋の悪い要求をされ、私はとても受け入れられないと理由を述べて抵抗すると、それを逆手にとられて鈴木さんの思い通りにさせられたこともあった。しかし、ともかく一筋縄ではいかない国会議員であり、いろいろな場面で見せる政治家としての切れにはほとほと感心した。
2003年秋、私が選挙に出る時には、鈴木さんは437日に及ぶ長期勾留から保釈されたばかりだったが、選挙のやり方について励ましの手紙を頂いている。
ここに最近のことも付け加えなければなるまい。2014年の総選挙で娘の鈴木貴子さんが新党大地ではなく、民進党の北海道比例単独1位で出馬することになった。詳細は省くが、鈴木さんと私の長年の関係故に結実したものである。しかし、その後自民党に行ってしまっている。残念だが政治とはそういうものである。

<山田さんの当たった変な予測>
 山田さんのところにも日参していたが、山田さんは、九段の議員宿舎で地元の五島列島から送ってくる魚や地鶏で鍋を作ることがあって、そこに頻繁に呼ばれていた。こちらは仕事が忙しく行きにくかったが、夕食を食べる代わりにと仕方なく付き合っていた。その時に「お前は役人としてはちょっと変わっている。だからあんまり出世できないだろう。俺が保証する。だから転身したほうがいい。小沢さんに話すから選挙に出ろ」と突然言われたことがある。「何をばかな事を言っているんですか」と取り合わなかった。ところが、10年を経て私が衆議院議員になることになった。山田さんにはそのことを忘れていてほしかったが、しっかり覚えていて「俺が言った時に国会議員になっていたらよかったのに」と言われてしまった。そして、筒井信隆、故仙谷由人、鮫島宗明の4人で当選祝いをしていただいた。
 鈴木さんは政界復帰を画策しており、山田さんはもう叙勲もいただいているが、種子問題、TPP等で元気に活動しておられる。2人ともまだまだ元気である。私も頑張らないといけないと思う次第である。

2018年12月 4日

<漁業法シリーズ4>21年前の幻の漁業法改正-きちんとした96年TAC法制定とデタラメな18年漁業法改正の手続きを比較する- 18.12.04

<留学を活かせる水産庁企画課長を拝命>
 私は1994年夏、3年間のOECDの勤務を終え日本に帰国し、9月に水産庁企画課長を拝命した。内示を受け私も身震いした。なぜならば前号で触れた第3次海洋法会議の決着がつき、水産庁で大改革をしなければならない時だったからである。1976年から78年までワシントン大学の海洋総合研究所に2年間留学させてもらっていた。その経験を活かせるポストであった。

<欧米先進国への出張報告から開始>
 200海里のEEZの波はもう完全に日本に押し寄せてきており、日本が海洋法条約に加盟するためには、要件である海洋生物の保存の法律体系を整えなければならなかった。漁業法がそうだと言いくるめることもできたかもしれなかったが、私はこれを機会に、漁獲の上限を課す出口規制を導入すべく検討を開始した。漁業法が漁船隻数やトン数規制といった入り口規制(投入量規制)だけだったからである。すぐさま若手を欧米先進国へ出張に出し、報告書を作成した。

<反対が多数の海洋法制度検討会の猪口正論発言>
 その後、水産庁の中に海洋法制度検討会を打ち立てた。沿岸漁業等振興審議会(以下沿審、今の水産政策審議会)があったが、その前に検討しなければならないと考えていた。普通は役所が揃えたシナリオに添って結論を出していただくが、この時は思い通りには進まなかった。当然のごとく水産業界団体の人たちが委員に目白押しであり、水産庁OBの委員も含め余計な規制には大反対だった。一般的に、規制緩和が大手を振って歩いていたのは今と同じだが、資源管理は絶対に規制しなければ成り立たない。規制なしの自由競争では資源管理の徹底な度できない。
 その中で、国際政治学者の猪口邦子(現参議院議員)も委員となっていただいたが、その立派な正論には感心した。流れを変えた猪口の発言は、「日本は世界一の水産国である。だから率先して資源保護の姿勢を世界に示すべきである。そういう見本を示せば中国も韓国もそれに従わざるを得なくなってくる。なぜそういう前向きな議論をしないのか」。まさに正論であり、私は今でも忘れられない。

<TAC法:沿審-法案作成-(各省折衝)-通常国会に法案提出>
 1994年9月から1年かけて準備をし、95年初からは沿審での検討も開始した。その審議を経て法案の制定作業を進め、年明けの96年の第136国会にTAC法(海洋生物資源の保存及び管理に関する法律案)を提出した。94年秋から丸々2年かかっている。
 この間に各省折衝がある。公正取引委員会は、漁獲量の規制は価格を吊り上げるカルテルだからと認められないと意見を言ってきた。通常は課長補佐以下がやることだが、こんな馬鹿げた意見には私が自ら出向いた。経済ばかりで物事を考える悪い例である。

<漁業法:官邸-規制改革推進会議―水産庁の法案作成-臨時国会に法案提出>
 それに対し、今は規制改革推進会議が、ろくな専門家がいないのに勝手に強引な球を投げてきて、それに水産庁が従って慌てて立法化している。それに私がブログで指摘する(【政僚シリーズ1】 日本の官僚制度の危機 ―官邸のいいなりの「政僚」(政治的官僚)が跋扈する霞が関―14.08.24、他3回)『政僚』(政治的官僚)が乗っかって来てますます拍車をかけている。
水産庁の説明資料で、今回の法案検討経緯が書かれているが、2017年4月に始まり18年6月「農林水産業地域の活力創造プラン」の再改訂で成案なったとしている。ここには水産政策審議会等水産庁内部の検討状況が全く登場しない。70年ぶりの大改正と謳いつつたった1年の急造、粗製法案なのだ。安倍政権下では、現場の意見も聞かないばかりか、関係省庁すら片隅に追いやられているのだ。TAC法は海洋法条約への加盟を急ぐ必要があった。それに対し漁業法にはそのような期限はない。それにもかかわらず、基本的法律改正を入管法の陰に隠れて、臨時国会で数時間の審議で通すという悪い魂胆は許し難い。

<世論に支持をいただくための論説委員根回し>
 役所的な仕事は順調に進んだが、水産業界が反対していた。ただ救いは、EEZの制定により、中・韓漁船の無秩序漁業を辞めさせることは全国的支持を受けていた。私は、漁業者には200海里内は日本の海になるのだから、率先して資源管理型漁業に変えていくべきだと説明した。しかし、理解されず怒号が飛び交うこともあった。
 そこで、その流れを変えるために少々変わった根回しを行なった。私は元から物を書き発信が多いこともあり新聞記者の皆さんとは付き合いが多かった。その皆さんが各紙の論説委員になったりしていたので、彼らに資源管理の必要性やTAC法の正当性について説いてまわった。すると驚いたことにほとんど全紙が理解してくれ、読売新聞は「冷静に海の秩序作りを進めよ」(96.2.20)、朝日新聞は「海からの収奪はやめよ」(96.2/25)の例にもみられるように、社説で支持してくれた。今日のようなIQといった過激なものではなく、業界全体のTACだということがわかると、徐々に落ち着いていった。
 この成果はEEZの設定、TAC法の制定を受けた日中漁業交渉にも及んだ中国側の交渉担当者が朝日新聞の翻訳版を持ってきて「頼むから過剰漁獲をしている中国漁船を日本が厳しく取り締まってくれ」と要請してきたのである。また、韓国大使館の水産担当は、それこそ頻繁に私を訪ねてきた。私は、よいことなので逐一法体系を説明してやった。すると韓国はTAC法をそのまままねるような形で資源管理の法律を作り、なんと施行は日本より先だった。まさに日本が近隣諸国に見本を示せたのである。

<物わかりのいい与謝野政調会長代理の援軍>
 次に与党自民党の部会と国会審議をどうするかである。EEZ法はともかく、領海法などは国土庁の所管と思われたが、水産庁に「海洋法対策室」を設置し、私が室長になり、外務省、通産省、運輸省とも連携を取りながら進めた。全体で一条約と8法律、外務、農林水産、運輸、科技の3省庁担当に及んだ。このため自民党の部会も8部会が関わっていた。幸いなことに自民党の担当は物わかりのいい与謝野馨政調会長代理で、私は足繁く通い、まず8部会の合同部会で物事を進めていただいた。まだ今の現職の水産部会の自民党議員の方々に皆積極的に支持していただいた。

<TAC法は橋本・自社さ政権下の大連合審査、漁業法は農水委では珍しい「空まわし」の愚>
 国会審議は、橋本龍太郎総理出席のもとに関係4委員会をまとめた大連合審査会を1回開催し、その後それぞれの委員会で審議した。当時は、自社さ政権で、この与党の折衝にあたったのは社民党の鉢呂吉雄衆議院議員であり、反対もなくスムーズに可決していただいた。ただ、参議院は青木幹雄農水理事がなぜか連合審査に反対し、いきなり別々の委員会で審議することになった。(今連合審査の要求は、よく我々野党が行っているが、この時は法案を早く通したい一念から一役人の私がやっていた。)
めでたく法律が通り、海洋条約が発効され、TAC法も施行された。そして、その発効・施行日7月20日を「海の日」に制定するというおまけまでついた。この数年の大きな政策であり、政府一丸となっていた証左である。
 それに対し、漁業法は急ぐ必要もないのに、「空まわし」までして架空の審議時間をデッチアゲして成立を急いでいる。安倍一強の強引さが極まる国会運営である。

<次官の思わぬ漁業法改正要求>
 漁業白書も水産庁企画課の担当であり、企画課長は沿審の委員の先生方と現地視察をすることが恒例になっていた。私が留守の間隙を縫ってか(?)、水産庁長官と担当の調査官は次官に呼ばれ、漁業権を見直す漁業法の改正を呑まされていた。
 前2号でもお読みいただいたと思うが、世界の潮流は沿岸国主義である。中国・韓国漁船を追い出すのが先であって、さんざん迷惑をかけてきた沿岸漁民の漁業権を変えるような事はできない相談だった。さもなくとも漁獲量を制限するTAC法は反発が強い。それにいくら精鋭の部下がいてくれるとはいえ、手いっぱいだった。私は「そのようなことはできない」と長官に申し上げ、次官室に乗り込んで行き、できないものはできないと唐突な漁業法改正という指示に従わなかった。私は30年に及ぶ長い役人生活の中で、他の皆さんと違い、上司とも率直に政策的議論をしてきたが(?)その象徴的出来事だった。

 長官が承諾したものをひっくり返す私に向かって上記の調査官は、「水産庁には水産庁長官が2人いるから困る」と愚痴を言った。また、「課長、次官にお友達のような口の利き方をしていますが、次官は次官なんですよ」と注意してくれた。これらの全てが終わった1997年1月、前述の次官が退官する人事では厳しい結果が待ち受けていた。
 それから20余年間漁業法は手つかず、今回突然TAC法も漁業法に組み込み、TAC中心の資源管理にするというのだ。この点は支持したいが、プロセスがあまりに杜撰で乱暴であり、とても納得がいかない。

2018年12月 3日

【漁業法シリーズ3】 沿岸国主義は沿岸漁民主義につながる -大規模漁業の振興では資源は枯渇に向かう- 18.12.03

<世界は沿岸国主義>
 国連海洋法条約とそれに順じたTAC法の下では、沿岸国の漁業資源の管理はすべて沿岸国に任される。つまり沿岸国がまず使う。それで余裕があって有効活用できないときに、外国にその資源を割り当てることになった。そのため日本は外国のEEZ設定により、徐々に締め出され、結局沿岸国がほとんど漁獲するようになっていった。
 その結果、1973年のピーク時には399万tだった遠洋漁業の生産量は、2017年には32万tと10分の1以下になっている。内訳を見ると、島嶼国のEEZを含む外国の水域は僅か20.6万tにすぎない。つまり、世界ではこの20世紀の後半の20~30年で、漁業における沿岸国主義が徹底されたのである。

<遠洋漁業の締め出しは当然の流れ>
 言ってみれば当然の報いであった。一般に遠洋漁船が外国の漁業水域で操業していても、来年は漁業交渉で締め出されるかもしれないと思えば、尚更荒っぽい漁獲をしても今のうちに儲けようとする。今風に言えば「今だけ、自国船だけ、金儲けだけ」である。遠洋漁業のこうした漁業資源の乱獲競争という悪循環が続き、結局沿岸国から一斉に締め出された。その裏返しで、海洋法条約により資源に最も依存する沿岸国が資源管理することが定着していった。世界各地で起こっていた失敗を繰り返さないためである。

<漁業権制度は世界に先駆け沿岸国主義を制度化>
 前号及び前々号で触れたが、日本の漁業権制度はまさに資源管理の沿岸国主義を先取りする優れた制度だった。沿岸漁業の中でも、沿岸漁民主義を貫き、その資源にずっと依存し続けてきた沿岸漁民が資源管理を中心となり、日本近海の資源を枯渇させることなく世界一の漁業国になっていった。共有地での早い者勝ちが資源の枯渇を招くというハーディンの言う「共有の悲劇(The tragedy of the commons)」を見事に回避してきたのである。
 それを今回の漁業法の改正で、EEZ内にかつての遠洋漁業と同じような操業を認めるというのであり、まさに時代錯誤と言わねばならない。資源の枯渇に繋がることは明らかである。

<漁民の生活を脅かす知事の恣意的許可権限>
 今回の漁業法の改正の一番の問題点は、この沿岸国(沿岸漁民)主義という大原則をも踏みにじっていることである。漁業法は沿岸漁民を第一とする優先順位を決めて漁業権を割り振ることにしていた。ところが、その優先順位を廃止し、そこに「適切に有効利用」していなければならないというような訳のわからない抽象的条文を加え、誰でも漁業権を得られるような形にしている。また、トン数制限をして過剰漁獲を抑えていたものを、その制限を取っ払って大規模漁船に沿岸・沖合漁業をやらせるというのだ。これでは沿岸漁業を守るためにEEZ内に小規模な沿岸と大規模な沖合を分けるもう一つ線引きをしなければならなくなる。

<先行き不安で漁業後継者が跡継ぎをためらう元凶になる>
 しかも、その漁業権や指定漁業を許可するのが知事である。詳細は省くが、海区漁業調整委員会の委員も知事の任命が多くなると、知事の思いのまま恣意的な運用が行われるのは目に見えている。農業はまだ農地所有がしっかりしているから、おいそれと企業の手には渡らない。それを漁業権は5年あるいは10年毎に更新され知事の許可を得なければならない。ただでさえ不安定なのに「適切に有効利用」されていないといって許可されない恐れがあるとなると、漁業の後継者はますます二の足を踏むことになる。漁業後継者数は50年前の1965年には61.2万人だったが、2017年は15.3万人と4分の1以下となり、この10年内でも3割も減っている。
 共同体に依拠した(Community-based)資源管理システムとして世界の資源学者が、高く評価されている仕組みを台無しにしようとしているのである。こんな荒っぽく世界の潮流と違う方向に行っている国は、世界中で日本だけである。

<世界は大規模漁業を規制>
 漁業は技術が進歩したし、簡単に言えば大きな船が数隻あれば一網打尽で、他の小さな船はいらなくなる。資源管理を蔑ろにしていいのだったらそれが一番効率的である。だから各国ともいかにして資源を保存しつつ漁獲を上げる、つまり持続可能な漁業(Sustainable Fishery)をどのように達成するかと腐心しているのである。そこには当然入口規制があり、そう簡単には入れない仕組みになっている。
 それを漁業法改正は、出口規制すなわち漁獲量を規制すれば入口規制(参入等)は自由でいいとして漁業権漁業でも許可漁業でも大手企業や漁村外部の人たちもどんどん入っていいという仕組みになっている。
 世界の海で自由競争の下、大国の大型漁船が資源を枯渇させてきた悪い歴史をすっかり忘れ、日本のEEZで、どんどん大規模漁業を推奨し、資源を枯渇させてしまう。同じ間違いをしようとしているのだ。ピントが外れた愚かな法改正なのだ。

<漁業では技術革新が資源枯渇に直結する>
 これを農業との比較で見るとよくわかる。技術革新が起こればすぐに労働生産性の向上に結び付き、農業生産量も増えていく。漁業も同じだ。ところが、「漁獲漁業」は自然が生み出してくれたものを獲るのであり、常に資源の減少・枯渇の問題が生じてくる。例えば、同じ40tの漁船でも、高性能のエンジンを付け、高機能の魚群探知機を整備したら漁獲能力はすぐに数倍となり、漁業許可を受けた時の数隻分の漁獲圧力を持つことになる。そのためその時点で入口規制を見直し隻数制限等をしなければならないが、それができずに放置されてきている。このために世界中の海で、そして特に日本近海で漁業資源が枯渇してきたのである。つまり、後述する資源状況の悪化の要因は、色々な説があるがコイワシを例に自然要因を挙げる者もいるし、TACが緩いからだという者もいる。しかし、私は実績主義に気圧されて漁獲能力が格段に高まった漁船の隻数・トン数を減らすという厳格な入口規制を怠ったことが一番大きな要因だと思っている。
 従って、一斉更新をやめて随時新しい許可を出せるように改正するというが、資源管理のためにはむしろ逆に今まで許可したものを制限して止めるようにしなければならないのだ。それを、漁業を成長産業にするために許可をいつでも出すというのだ。これでは改正で資源管理できるはずがなく、資源枯渇にまっしぐらに進むだけである。

<原住民捕鯨は許され、大型遠洋捕鯨は許されず>
 もう一つ今改正のいかがわしさを捕鯨で説明してみる。原住民捕鯨というずっと昔からやっていた捕鯨は、さすがに反捕鯨団体も反捕鯨国もクレームをつけない。なぜかというと、この人たちは枯渇させたら自分たちが一番困るから今まで資源を枯渇させたこともなく今後も絶対ありえない。感情的に反捕鯨を唱える人たちも外部が口を挟むことを慎んでいる。
 それに対して、今回の改正はそこに適切有効利用する外国の大型捕鯨船を許すというのだ。世界の常識では絶対に許されないことである。
日本の資源状況をみるとTAC対象7魚種で32%、未対象43魚種で54%もが低位で危うい状況にある。漁業を成長産業にという空論を唱える前に、資源の保全管理が必要なのだ。そして、それは過剰漁獲を抑制すること以外に達成できないことである。(以下次号に続く)

2018年12月 2日

【漁業法シリーズ2】海洋法条約は漁業分野では自由を認めず、資源管理を義務付け  -人類共有の財産は日本の総有(入会林野・共同漁業権等)と同じ- 18.12.02

<10年余に及んだ第3次海洋法会議>
 1973年第三次海洋法会議が始まり、11回にも及ぶ長い会議を経て、1982年国連海洋法条約が採択された。海洋法条約はいろいろ項目が入っており、最大の国際条約と言われるが、その一つの大きなテーマは海の資源の扱いだった。1994年11月に発効した。日本はそれを受けて世界有数の水産国、海に深くかかわる国として、当然条約に加盟しなければならないということになった。

<海は人類共有の財産で各国が自由に活用>
 他にも、航行の自由とか、海洋底の鉱物資源の利用の仕方についても、いろいろ議論が行われた。深海底の海洋鉱物資源については発展途上国の発展のために使われるべきだといった議論が行われた。いわゆる海は誰のものかという議論に行きつく。その結論は「Common heritage of mankind。人類共有の財産」という理念で貫かれている。例えば、船の航行ではたとえ領海でも「無害通航」という権利が決められているのは、海はみんなの国のものだからである。
 日本の総有の概念(入会林野・共同漁業権等)と同じである。

<例外的に沿岸主義が貫かれたEEZ>
 そうした中で数少ない例外が、200海里の排他的経済水域内の生物資源管理(Exclusive Economic Zone:EEZ)である。この200海里のEEZは、よく漁業水域とも言われている。このEEZは我が国の遠洋漁業が世界中で魚を獲りまくったことが一つの原因となり、設定に拍車をかけたと言われている。
 大型漁船団が各国の沿岸海域に行き、魚を獲りまくる。沿岸国は恐れをなし、世界が反感を抱いたのは当然である。例えて言えば、自分の家(国)の庭先を他人(他国の漁船)に荒らし回されていたからである。当時は12海里から外は自由だったからだ。念入りな議論の後の結論は、“海洋生物資源の管理は沿岸国に任せる”ことだった。沿岸国主義と呼ばれるものである。つまり一番身近な人たちに資源の管理を任せるということに結論付けられたのだ。

<巧妙な日本の相互主義>
 我が日本は1970年代後半あたりから、日ソ漁業交渉、日米漁業交渉等各国から締め出しを食らいつつあった。一方で、日本は中国、韓国沿岸海域で漁獲していた関係で、1977年に漁業水域は設定したもののソ連船には適用するが中国・韓国漁船には適用しないでいた。一面では荒っぽいが、日本海の東経135度の東側しか適用しないというある意味では巧妙な線引きをしていた。

<中国・韓国が遠洋漁業に進出し、海の秩序は一変>
 ところが、年月を経ると国際漁業環境も大きく変化してきた。経済力をつけ大型漁船建造能力を身につけた中国・韓国漁船がどんどん遠洋漁業に進出し、日本の沿海に押し寄せて来た。上記の相互主義により日本が領海12海里より外は取り締まれないのをいいことに、日本の漁民が日本の漁業法のルールに基づいて適正な管理をしつつ漁業活動をしているのに、中国・韓国漁船が獲りまくる状況となった。立場が逆転したのである。
 そのため日本もEEZを設定し、中国・韓国にもルールを守らせるという大改革が、1995~1997年にかけて行われた。

<TAC法による出口規制の導入>
 海洋法条約は加盟の条件として第61条で、EEZ内の生物資源の漁獲可能量を決定し、適当な保存措置及び管理措置を講ずることとされていた。
 そのためTAC法(Total Allowable Catch)と呼ばれる、「漁業資源の保存及び管理する法律」を制定した。今まで漁業法では資源管理のためにいわゆる「入口規制」、すなわち隻数・トン数の制限等があったが、それに加えてTAC法により「出口規制」、すなわちこれ以上獲ると資源が枯渇するということで上限を設定する仕組みを導入した。漁業法は、戦後の1949年に制定されて以来手つかずであったが、1997年に全く新しい理念の下に制定されたTAC法と両輪で日本のEEZ内の漁業資源管理体制が確立した。
(以下、次号に続く)