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2019年1月30日

私が聞きほれた河野外交演説-外務省働き方改革、英語力のアップ、公邸料理人の確保、政治家を国際機関のトップに等満載-19.1.30

 1月28日、通常国会の施政方針演説が行われた。もう聞き飽きた安倍首相の、素晴らしい田園風景、緑あふれる山並み、豊かな海・・・といった美辞麗句は聞くに堪えがたかった。平板な財政・経済演説も同じだったが、私が楽しく聞いたのが河野外交演説である。いつもはかん高い声に辟易するのだが、今回はそれも苦にはならなかった。なぜならば、いかにも素直な河野太郎という政治家の関心ごとが、外交演説の中に如実に反映されていたからである。
 日本外交の課題は、地球俯瞰外交とやらで、やたら外遊に出かける安倍首相の施政方針演説に触れられており、目新しいことはない。というより気の毒にも首相にいとこどりされていて、その他のことでしか河野色をだせなかったのだろう。この後の「これらに加えて、いくつかのことを申し上げたい」という、6~18頁にも及ぶ後半である。

<知恵を工夫により「裸の外交力」には「ブラック省」からの脱却が必要>
 まず、外務省の「ブラック省」振りを訴えて改善を主張する。この件は既に外務委員会でも同じ主張が繰り返されているが、外務省に良い人材を集めるためにも、残業時間を減らさないと人が来てくれないと嘆いている。
 かつて外交官試験は別立てだったが、今は国家公務員試験に一本化されて久しい。聞くところによると、一番の人気省だという。そして最近の入省者の約半分は女性で、全職員の6割、3,500名が在外公館で勤務している。共働きもいるし、介護が必要な者もいる。国会も外務省職員が家庭と仕事を両立できるように配慮してほしいと訴えた。外務省の職員にとっては、トップの部下への配慮は心強い援軍である。

<より自由な外相の海外出張と和食による外交>
 次に2013年にユネスコの無形文化遺産和食に指定された和食を日本外交の大きな武器と位置づけ、腕の良い公邸料理人の確保も訴えている。さすがにここでどよめきが起こった。常識的には外交演説に入れる項目ではないだろうが、海外出張をもっと自由に緩めてほしいという、大切な主張の次に位置付けているのがほほえましい。胃袋も外交には不可欠という主張であり、もっともなことである。

<フランスにみならい文化外交を推進は正論>
 次にODAが最盛期と比べて半減したが、それを補うために、LDCとの直行便を増やし、文化予算を活かして、漫画やアニメばかりではなく、TV番組や音楽等も売り込むべきと主張している。私も、フランス・パリのOECD代表部に3年外交官として勤務しており、フランス政府は文化予算をふんだんに使い、フランス外交の一助としていることを実体験しており、日本はどうも多面的な外交をしていない。また、観光で4,000万人と通り一辺の目標を掲げるだけでは、日本の理解は広まらない。文化に支えられた日本を売り込む必要があることは言うまでもない。
 ただ首相や外相が外国を飛び回っているのが外交と考える節があり、自ら反省するのが先だろう。

<フランス語にこだわるフランス外交>
 河野外相は、アメリカ留学しており、国会議員の中では英語力のある議員の一人である。日本を理解してもらうためにも、海外の日本語教育を図るべきことも指摘している。これまた、フランスは国を挙げてフランス語の浸透に力を注いでおり、OECD(英仏二か国語が公用語)でもやたらフランス語を対等に扱うことにこだわっていた。例えば、英語版より仏語版が数日遅れただけで、その議題は次回に先送りすべきと常にクレームをつけていた。私はあまりにしつこいので「一度でいいから、日本語版が遅れたから来年回しにしてほしいといいたい。私にとっては英語も仏語も大してかわらない外国語で、いつも大変な思いをしている」と主張し、笑いを誘った。その時は「篠原の主張に免じて、今回の議題をしてもよい」という成果(?)を勝ち取った。
 旧植民地諸国で「仏語国会議」なるものもやっている。日本はせいぜい学生の日本語による弁論大会ぐらいであり、熱の入れ方が段違いである。日本語普及のため河野外相の時に「活」を入れてもらわないとならない。

<日本人の国際機関職員が少ない二大要因>
次に国際機関での日本人職員増大の必要性を力説した。その中で「英語力が問題で、国連の採用試験に受かる者がほとんどいないとどきつい事実を明かしている。 私もかつて日本政府の一員として忸怩たるものがある。拠出金は大体アメリカに次いでいるのに、日本人職員数は全く比例していない。
ほとんどの国際機関は、英仏西ロ中等の国際語のうち二カ国語の他に博士号も採用資格としている。日本では理科系と比べ社会科学の博士号を採用する仕組みができていない。役所も学部卆が基準で、修士・博士がいても同レベルでしか扱わず全く遇していない。明らかに国際的通念からずれており、これも日本人が国際機関に採用されない要因の一つである。
 河野外交演説は専ら英語力を問題にしているが、実は博士号のほうが弊害となっているのかもしれない。上を狙う国際機関の日本人のために外務省のポストを用意するというなら、外務省が率先して博士を採用し、少なくとも学士より五年分先に出世させてもよいのではないか。

<篠原の博士号取得の理由>
 国際社会は、最初は学位ありきであり、学士と博士とでは扱いが全く違う。日本人受験者の中で、日本からの出張旅費がOECDから出る者がいたのが、いずれも博士号の持ち主だった。つまり日本の官僚はもともと正当な受験資格がないのに、お情けで面接してやっているというのだ。それならば私自身も博士号をと一念発起し、「EUの農業交渉力(農山漁村文化協会)」をものにし、京大から博士号(農学・農業経済)を取得し国際機関入りに備えていた。
 ところがその機会は訪れず、日本の官僚社会では残念ながら、かえって理屈をこねる役人と煙たがられた。その後国会議員になり、何の役にも立たず今に至っている。

<日本の政治家を国際機関のトップにという真っ当な提案>
 今回のユニークな河野外交演説の話では、改善の糸口を提案していた。「重要な国際機関のトップを獲るために、日本の政治家を候補者としていく必要がある。与野党の枠を超えて名乗りを上げてほしい。外務省は全力で支援する」というのだ。私は思わず、議場で手を挙げた。しかし、いかんせん歳が問題である。10年前に言ってほしかったと嘆息をついて、外交演説を聞き終えた。
 私が農水省でウルグアイ・ラウンド等の国際関係の仕事をしていた折、丁度WTO(世界貿易機構)やOECDのトップが、官僚OBから政治家に変わり始めていた。その先陣を切るのは他ならぬ言い出しっぺの河野外相かもしれない。
 翌日の新聞各紙をみたが、ユニークな河野色満載の外交演説に触れたのは毎日新聞のみであり、一般国民は知る術もない。しかし、この素直な外交演説は、河野外交のすがすがしさを象徴するものだと高く評価したい。                                               (2019 1/30投稿、1/31加筆修正)

2019年1月 9日

-新春交歓会・国政報告会 開催のお知らせ-

新春の候、皆さまには益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 日頃よりしのはら孝の政治活動に格別のご理解とご協力を賜り、心より御礼申し上げます。
皆様に国政へ送り出していただき、衆議院議員としてこれまで15年余、さまざまな活動の機会を与えて頂いておりますことを改めて感謝致します。
 今年も、下記の通り2会場にて『新春交歓会』『国政報告会』を開催いたします。ご支援いただいている皆様にご参加いただき、新年の活動をスタートさせたいと存じます。
ご多用のこととは存じますが、何卒ご臨席賜りますようご案内申し上げます。

《中高国政報告会》
日 時 2019年2月11日(月、祝日) 
    ◇講演会 16時~ 
    ゲスト:衆議院議員 菊田 真紀子 
        参議院議員 羽田 雄一郎
    ◇懇親会 17時30分~(予定)  

会 場 アップルシティーなかの 中野市吉田519  電話 0269-26-1122

会 費 4000円 (懇親会ご参加の方)

《新春交歓会》
日 時  2019年2月17日(日)
    ◇講演会 16時~ 
     ゲスト:参議院議員 羽田 雄一郎 

    ◇懇親会 17時30分(予定)

会 場  ホテル メトロポリタン長野
        長野市南石堂町1346  電話 026-291-7000

会 費  5,000円 (懇親会ご参加の方のみ)


◆お申込は 設営の都合上、2月1日(金)までに、電話またはメールt-sino@dia.janis.or.jpでご連絡いただければ幸いです。(講演会のみの参加は無料です)

しのはら孝事務所(国民民主党長野県第1区総支部) 長野市若里4-12-26宮沢ビル2F
電話 026-229-5777 ・ FAX 026-229-5727

2019年1月 1日

平成31年 地元各紙新年号への寄稿文 -19.01.01

地元の各紙新年号への寄稿文
『外国人労働者の前に本格的少子化対策を (北信ローカル様)』、
『日本の国の形を揺るがす外国人労働者問題 (長野経済新聞様)』、
『建設労働者を外国人で代替していいのか (長野建設新聞様)』 を以下に掲載します。

『外国人労働者の前に本格的少子化対策を』 北信ローカル様(元旦号)

 2018年秋の臨時国会で拙速に審議されて成立した改正入管法の下、4月から特定技能1号、2号とかよくわからない定義の下に外国人労働者が入りやすくなる。
 外国人労働者の受け入れ以外に、日本はやっていけないと決めてかかっている。しかし、あまりに一時凌ぎではないか。私は、少ない人口でやっていけるように社会・産業構造を変えるしかないと思っている。それではあまりにも能がないというなら、本格的な少子化対策が必要である。そっちを放っておきながら、安易に外国人労働者に頼るのは邪道ではないか。
 兄弟なり子供が何人いたらいいとはいえないが、私のような団塊の世代だと兄弟姉妹は3~4人が普通だった。1947年から合計特殊出生率が使われ始めたが、4.54(最大)で、その後下がり続けている。1990年に1.57ショックといわれ急に少子化を問題にし始めたが、対応が遅いのだ。2005年には1.26(最小)となった。直近の2017年に1.43に持ち直したものの、とても十分とは言えない。
人口が減り続け消滅市町村になるといわれる地方は、子育て環境を作り人口増を図る以外に途はない。


『日本の国の形を揺るがす外国人労働者問題』 長野経済新聞様 新春特集号(長野経済新聞・建設タイムズ合併号)

 日本はよく単一民族といわれる。しかし、遺伝子的にはそういうとはありえず、いろいろなご先祖を持つ集合体だという。ずっと歴史を近くに戻すと、漢字も宗教も大半は朝鮮半島を通って我が国に伝えられた。ただ文化が伝わっただけではなく、大人数の人も一緒に来て日本に住みついている。従ってその子孫が日本人の一部となっていることは明らかである。しかし、一挙に大量という歴史はない。
 そこで今回の外国人労働者問題である。
 日本はいわゆる単純労働者は受け入れないという方針を貫いてきた。ところが、1980年代の後半から少子・高齢化もあり、若年労働力不足が顕在化し始めた。それを受けて1990年入管法改正が行われ、1993年に「技能実習制度」が始まった。
 しかし、技能実習生は最長三年で帰国しなければならない。折角日本語にも慣れ、技術も上達したのに何とかならないか、という声が多くなった。そのため、2018年秋の臨時国会で、技能が一定水準に達した者に五年間の就労を認める「特定技能1号」を認める入管法改正を提出し、野党の反対も空しく12月8日明け方に議院本会議で可決・成立した。
 議論は法務省が提出した失踪者の調査結果ミス等に矮小化していたが、私はもっと根源的なことを問題にすべきと思っている。つまり外国から人を入れてまで今の経済規模を維持すべきかどうか、今のコストダウンのために、将来の社会的コストを犠牲にしてよいかという問題である。野党も外国人労働者の受け入れにはやむを得ないと認め、ただ準備不足や外国人労働者の社会保障制度をしっかりさせるべきといった主張に終始した。
 私は、今だけのための安易な「制限付き移民開国」は反対である。低賃金労働の隠れ蓑に運用されている技能実習制度を、本来の趣旨どおり厳格に運用することにとどめるべきである。誰しも生まれた国で幸せに生きて行くことを優先すべきなのだ。


『建設労働者を外国人で代替していいのか』 長野建設新聞様(新年号)

 今(2018年11月下旬)、国会は入管法を巡って野党の攻防が激しさを増している。少子・高齢化の進展により若年労働力不足が加速し、国民も何となく外国人労働力に頼らざるを得ないと諦めてかかっている節がある。そうした声を受け、準備不足や共生社会の実現を主張する野党も、大筋では外国人労働力の受け入れもやむを得ないという姿勢である。
 そして、労働力不足が著しい業界として、介護・農業と並びいつも建設業界が例示される。汗水垂らして働くことが敬遠され始めて久しいが、その傾向は止まる所を知らない。だからといって安易に外国人労働力に頼っていいのだろうかと私は疑問に思う。
 文明批評家ルイズ・マンフォードは、建築家でもあった。戦後の日本を訪れ、廃墟から立ち上がったことに驚き、「この建物は一体誰が立てたのか」と聞いてきた。設計した建築家の名前を答えようとした案内者に、実際にどのような労働者が携わったのかと聞き直した。つまりプロの眼は至る所に行き届いた技術・技能の熟練度合に眼を見張ったのである。大半が東北地方等からの出稼ぎ農民という答に絶句、日本人の質の高さに驚嘆して、その後の経済発展を予言したという。
 日本を支えてきた技術の伝承が危機に瀕し、質のいい日本人を育んだ社会が壊れんとしている。「制限付きの移民開国」よりも根源的問題解決の途を探るべきである。