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行革による削減の成れの果てに生じた統計不正 - 政僚が忖度で統計を改ざんする深刻な事態- 19.2.18

 1月31日(木)、原口一博 国民民主党国対委員長から要請を受けて、野党統計不正合同ヒアリングに参加した。もう衆議院議員のほとんどは選挙区に帰っており残っていない。そこで「統計のプロである篠原さん」と紹介されて、面映ゆい思いをした。私は統計のプロなどではない。ただ、入省が農林省農林経済局統計情報部管理課(筆頭課)で、後に課長もして、合計で3年ほどいたことがあるだけだ。統計は統計学という立派な学問もあり、統計マンといわれるプロの人たちが収集しまとめているものである。

<2万人近くいた農林水産統計組織>
 何かというと行政の無駄が指摘され、定員・予算を削減する対象として真っ先にあげられてきたのが統計組織である。農林水産省の統計組織を見てみるとよくわかる。もうなくなったが、統計情報事務所・出張所というものがあり、戦後すぐの1948年には何と1万9,626人も働いていた。他の省庁は知らないが、これには農水省の温情も関わっている。満州などからの引揚者に仕事を提供するという目的で、過剰がわかっていながら採用していたのだ。小作人に自作地を与える農地解放を成し遂げるなど、農水省は弱者に優しかったのである。(そのため、後年定員削減にあたり、我々後輩はかなり苦労させられる羽目になった。)
 それに対し、今は国が決めた障害者採用枠をごまかすなど、それこそ冷たい政府になってしまっている。日本の劣化の一例かもしれない。

<農林統計は重要な政策決定の根拠>
日本の農林統計は長らく世界一と言われてきた。農政で数字が大事にされてきたのには理由がある。日本の主食である米については、国が責任を持たざるを得ず、米の収穫量の把握や米価の決定が国政で重きを占めていたからである。
財政支出をどのぐらいにするかは、統計をもとに決められていたからである。 農家経済調査等で、農薬・肥料・水回り・農機具代・ガソリン代等にどれだけの費用がかかったか農家にきちんと記入をしてもらい、それを上回る生産者米価にし、翌年も再生産できるようにする仕組みだった。生産費所得補償方式と呼ばれていた。米は食糧庁が管理し、消費者米価も家計の負担を考えて決められ、政府が両方の価格差を埋め「食管赤字」と称されていた。今は昔の話である。
12年前の2007年の参院選の時に小沢一郎代表(ネクストキャビネット総理大臣)と私(ネクストキャビネット農林水産大臣)が進めた農業者戸別所得補償の名称もこれからとっている。

<数値を出し渋る企業から統計を集める>
 削減してもよい理由は、「もう政府は米価を決定しなくなったのだから情報データは必要ない」ということになる。逆に、従前よりもきちんとした統計が必要になってきたのは、予算が鰻上りに増えて32兆円に達している厚生労働省である。私が、農林省に入所した1973年には、農林省は3兆円、厚生省は4兆円と大して差はなかった。それを今は、年金・医療・雇用等に国の予算の約3分の1もの莫大な予算が使われるようになってきている。ところが、その根拠を示す統計の重要性に厚生労働省は気付いていない。
例えば、今問題となっている毎月勤労統計は、雇用保険や労災保険を算出する基礎資料となる。しかし、企業は賃金とか経営の機微に触れることは、農家のようにきちんとした報告はしてくれていない。日本の農林統計は、農家と統計情報事務所の現場職員の信頼関係が保たれ、農家の皆さんが何の隠し事もせず真面目にきちんと記入してくれていたからできあがったものである。ところが、個人情報の保護が重視されたりして、最近ではそのようなことも難しくなってきている。

<統計をないがしろにする政僚が忖度して改ざん>
 米価も最後は政治決着である。しかし、その前の生産費の調査等を捏造して米価が決められたことはない。それを今回は結果を出す前にデータを改ざんしていたのであり、あってはならないことだ。しかも、安倍政権は、アベノミクスの効果で賃金を上がったことをPRするのに使っていたというのは言語道断である。予算委で安倍首相は例によってそんな指示はしていないと開き直っている。そのとおりだろうが、指示もないのに政僚(政治官僚)になり下がった中央省庁の役人が忖度して改ざんに走っており、事態は深刻である。
不正統計の根本的原因は、統計を軽視して統計の人員削減し、予算を削り(標本数を減らし)、どうにでもねつ造できると手を抜き続けてきたことにある。

<私の質問は統計数値から始まる>
 私は知らなかったが、先日統計表をいくつも示して質問するスタイルは私が広めたものだと言われた。そう言えば、私が予算委でいつものとおり統計数値を示して質問していたところ、地元の有権者から「閣僚も委員も皆下を向いて見ている。自分もそれを見たい」と要請された。今はそうしたリクエストに応えて、DVDと主要な統計表をお配りして見ていただいている。気がつかなかったが、これは皆私の仕事始めが統計結果の公表時の説明文の決済から始まったからである。役人としての刷り込みが統計で始まったことから、筋立て・論理立ての時に自然と統計数値を元とする癖が身についていたのである。
 ところが、いい加減な政治家や行政官は、その神聖な統計数値を自分の都合のいいように作り変えるという詐欺行為に走ってしまったのである。国民に対する重大な背信行為である。

<行政をつかさどる役所が統計を集めるのがベスト>
 このままほっとくと危険なことに、政府が信用できないからいっそのこと客観的な民間に任せてしまえばいいということになりかねない。何でも民営化という新自由主義的な解決は本末転倒である。企業は経営状況の全てを民間にさらけ出すのを躊躇し、多分正直な数字は渡さないだろう。やはり秘密を保持できる政府が、統計を集めなければならない。
上記のような心配をしていたら、政府は毎月勤労統計の担当を厚生労働省から総務省に移すと言い出した。民間よりましであるが、つけ焼き刃の対応であり、私は賛成できない。何か不祥事が起こるとすぐ第三者委員会という話になるが、正道ではない。その業務をやる役所の中に統計をきちんと位置づけ、それである程度行政から距離を置き、客観性を保ちながら提携をしていくのが最も効率的なのだ。つまり行政の根幹に統計数値があり、統計作りから始まるのである。

<これを機会に統計組織を拡充・強化すべき>
行政の無駄は、権力業務に寄りかかった部署にこそ存在する。つまり、あまり規制や統制はしなくてすむ行政こそ効率的なのだ。但し、現状を把握し将来を見据えるためには、その元データが不可欠であり、正確でなければならない。その意味では国民に必要な統計収集こそ、国の本来業務なのである。
これを機会にし、今までとは逆に統計組織の拡充・強化に舵を切らなければならない。