« 2019年4月 | メイン | 2019年6月 »

2019年5月27日

【中国シリーズ2】中国の高度経済成長は都市と農村との格差を拡大するばかり ‐最先端を行く未来都市の陰で見えない9億人の中国農民は今後どうなるか‐19.5.27

<2002年に垣間見た農村の貧困>
 私は、農林水産省で働いた30年間のうち3分の1は国際関係に携わったが、中国は2002年の農林水産政策研究所長時代に日中韓所長会議で北京に出張しただけだった。その際、近郊の有機農業を営む農村を視察した。ほんの数十キロ離れただけなのに、住民は裸足、トイレはドアもなく、あまりの格差に驚いてしまった。よく見ると農村にも万元戸に近い金持ちもいて、もとからの農民は皆社長だという。そして実際に農作業をしているのは、もっと貧しい西部の農村地帯から出稼ぎに来ている農民だった。後述の厳しい都市と農村間の移動は制限されているものの、農村間は自由なことから極貧の西部から沿岸部へ出稼ぎが生じていたのである。

<杉本氏の『大地の咆哮』が指摘する中国の農民差別>
 同じ農民なのに何ということかと驚いてしまった。この格差を放置する中国では近代化には長くかかるに違いないと思う一方、弱肉強食を平然と実行する国は、またたくまに日本に追いつくかもしれないとも思え、頭が混乱した。
 こうした中国の影の部分について私が嘆息をつきながら読んだ良書に、元上海総領事 杉本信行氏(1973年京大法卆、篠原同期)の『大地の咆哮』(PHP研究所 2006)がある。部下の自殺があり、本人も病に倒れ病床でモノにした遺書ともいえる中国報告である。10章「搾取される農民」で三農問題を論じる他、各所で深刻な農民差別問題に触れている。そして、不満を持った農民が中国の政権基盤を揺るがすかもしれないと警告を発している。

<強大化する中国は必然か>
今日の中国の脅威的な経済発展をみると、この国は支配と被支配を厳然と区別し強引に進める体質を、国も国民も持っているようだ。つまり、いわゆる「国家資本主義」により強力な支配体制と従順な国民が結びついたらそれこそ強大な国がアッという間に出来上るという見本である。そして、今WTOでは、中国政府の国有企業への高率補助金が問題にされるようになった。
杉本氏による「シュリーマン旅行記」の孫引きさせてもらえば、1800年初頭の中国は、世界のGDPの30%を占めていたという統計がある。1860年当時も日本のGDPより数十倍大きかったと推定される。となると、戦後日本の経済力が勝っていたのは、歴史的にはむしろ例外であり、今まさに「強大は中国」と「周辺国日本」という正常の形に戻りつつあるだけで何ら驚くにあたらないのかもしれない。
 
<川島東大准教授が指摘する深センの農民工の問題>
もう一人農業や環境分野が専門の川島博之東大准教授が、深センの数工場の農民工612人を対象に調査を行い、信濃毎日新聞2019年2月17日に「中国農民の差別と家庭崩壊」という一稿を寄せた。中国の農民は、タイやベトナムの農民に比べても貧しく、中国がアメリカに対抗する国になるとは思わない、と結論付けていた。
この二人の碩学の指摘に興味を覚えたことから、深セン行きを思い立った次第である。
更に偶然東京新聞(5月8日))【「非北京戸籍」教育で差別、「進学にために】別居する家族」という見出しで中国の都市と農村の格差、特に教育の格差を報じていた。

<都市戸籍と農村戸籍の極端な差別>
問題は、1958年に導入された中国の戸籍登録条件にある。農民は「農村戸口(農村戸籍)」、都市住民と農村に住む役人は「城鎮戸口(都市戸籍)」を持つ。農村戸籍しか持たない農民は、社会主義制度の下に都市住民が享受している年金、医療保険、失業保険、最低生活保障等の社会保障が一切受けられない。農村から都市への移動は厳しく制限されていた。
中国人13億人のうち、都市部に住むのは4億人、残りの9億人は農民である。その9億人のうち3億人は沿岸部の都市で働いており、「農民工」と呼ばれ、工場で働くとともに飲食店等のサービス業で都市住民の生活を支えている。そころが、その農民工は都市住民から何と「外地人」と差別的に呼ばれている。
しかし、1980年代中旬以降、都市労働人口不足を農村から補完するしかなく、1998年頃、上海、深セン、廣州等の沿岸都市で「青色戸籍」と呼ばれる制度の下、ある程度農村から都市への移動の自由が緩和された。ところがいわゆる「万元戸」が都市に殺到し、2年で廃止されてしまった。その後も都市への流入をある程度認めているが、根本的には変わらないままである。

<通年出稼ぎにより親と子が別に住み家庭が崩壊>
出稼ぎに来た農民工が、内陸部の故郷に帰れるのはいくら交通の便がよくなったとはいえ、年に1度の春節の時だけである。川島研究室の調査によると、日本の冬季のみではなく通年出稼ぎのため故郷の子供と疎遠な仲になり、中国の国民の3分の2を占める農民の家庭が崩壊しているのである。世界中で華僑が紐帯で中華街を形成しているのに、本国でその根本が潰れつつあるのだ。
そのせいか、今中国では「格差」や「貧困」をテーマにした日本の書籍が異例の売り上げだという(毎日新聞209年5月20日)。例えば、NHK取材班のまとめた「無縁社会」(文芸春秋 2010年)が11刷となっている。つまり、中国国民も今のバブルがいつまで続くかと漠然とした不安を抱くようになったのである。その点で、中国国民のほうが敏感と言えなくもない。

<都市で教育が受けられない農民工の子供>
平等をよしとする社会主義国で農民の子供の教育が不当に差別されている。
小中学校で義務教育が行われているが、農村部では制度外費用など農民の負担が大きく、満足な教育が行われていない。また、都市部の小中学校へ行くためには、居住証明や就業証明が必要となるがなかなか手がかかり、更に社会保険の給付証明を要求されるが、そもそも対象となっていないので受けようがない。
都市戸籍がないと高校に進学する際の「中考」が受けられず、逆に地方では1年以上通わないと「中考」が受けられない。このため高校進学を目指す子供は止むを得ず父親のもとを離れ、故郷の農村に戻らざるを得ないという。そして上述の崩壊家庭が増えていく。
 
<杉本氏があぶり出す中国の深刻な農業問題>
杉本氏は2000年代当初は、都市と農村の格差は実質30倍に拡大していたと指摘し、農民のおかれた状況は、中国の経済的実力からして正義と道徳の基準を逸脱していると憂慮している。私は一外交官がこれだけ農業・農民・農村に思いをはせて書いている例を知らない。
杉本氏は、なにも中国を批判しているのではない。任国愛してやまず、水問題、人口問題、共産党幹部や役人の汚職問題等についても率直に警鐘を鳴らしているのだ。その中で農民蔑視の原因の一つとして、共産党の幹部のほとんどが都市出身者で占められているという指摘にはハッとさせられた。我が国の昨今の農林水産行政が、やたらに民間活力をもてはやし、農民への愛情に欠ける原因とも共通のような気がする。つまり、政治家も役人も「農」や「土」の臭いのする者が激減しているのである。

<お互いに鏡を見る日本と中国>
中国は日本の成長を見習い、深センを造り上げた。しかし、農村社会の根本が揺らぎ始めている。一方、一歩先を歩んで来た日本は、アメリカに追いつくことに汲々としつつ、中国に追い越されまいと四苦八苦している。その間に中国は日本の負の遺産である無縁社会やといった歪みに関心を抱くようになった。
作家の野坂昭如氏は、食料問題を憂い続けた人であった。そしてアメリカに好意を抱いていなかった。ところが、アメリカ政府の招きで2ヶ月余アメリカを見て回り、中西部の健全な農村社会がある限り、この国は安泰だと書き止めている。それに対し、上述の2人の中国ウォッチャーは中国の農村の様子をみて、中国はこのままでは危ういという逆の見通しをしている。
さて30年後、あるいは100年後中国はどうなっているのか。日本の将来が心配だが、隣国中国の行末もしかと見守らなければならない。

2019年5月23日

【中国シリーズ1】21世紀の摩天楼・深センのビル群は驚嘆に値する‐日本の高度経済成長を凌ぐスピードで工業化一直線の中国の象徴:深セン‐19.05.23

私は、いわゆる「励ます会」は2012年の2冊の本(「TPPはいらない」「原発廃止で世代責任を果たす」)の出版記念パーティ以外に開催していない。従って、1回行くと100万円近くなる海外出張は極力控えてきた。しかし、17年総選挙後の野党の再編を巡り働きまわり、クタクタになり体調を崩した反省から、活動のペースを下げることにし、その一環としてこの10連休の後半、近くの中国深センへ視察にいって来た。もっと長く行きたかったが、懲罰委員長として4/30の天皇の退位、5/1の即位の儀式に参加することとなり、後半だけの慌ただしい日程となった。

深センは長らく私の脳裡を離れなかった都市である。なぜなら1979年 鄧小平の改革・開放路線の象徴として経済改革開放特区に指定されて以来、目覚しい発展を遂げ、その名を世界に轟かせているからである。更にもう一つ、その陰に隠れる農民・農村・農業(いわゆる三農問題)とのかかわりにも強い関心があったからだ。ただ、これの件についてはほんの一部すら垣間見ることができなかった。

<鄧小平の改革・開放路線がキッカケ>
78年四人組の追放から復活した鄧小平は、日中平和友好条約の批准書交換のため来日し、日産の座間工場を訪問し、新幹線に乗り、中国国民に日本の姿を見せつけた。これを受けて、日本のODA、円借款が検討され始めた。中国が自力更生から、西側の経済体制を受け入れる方針に転換したのである。
円借款を契機とした、交通インフラ、エネルギー政策の体系づくりが始まった。最初のうちは、日本の発展と同じく、廉価な労働力を活かした繊維。その後食品加工、電気製品、半導体等の電子部品、自動車と発展していった。この間朱鎔基首相の下、2001年にはWTO加盟を果たし、広東省の中でも深センは民間企業が重きを占めるようになっていた。

<躍進する中国を象徴する人工都市深セン>
深センは湿地だらけののどかな漁村・農村で、人口は僅か3~4万人だったが、僅か40年の間に躍進する中国を象徴する大都市となった。
深センのある広東省は中国の面積の6.6%しかないのに、人口は1億1.16千万人と8%も占めており、日本の総人口に匹敵する。中国最大の消費市場であり貿易拠点でもある。その中心である深センは1,253万人(11.2%)と広東省の1割近くの人口を抱え、GDPも25%と4分の1に達している。
香港に近かったのが幸いしたのだろう。中国最大級のコンピューター・電子・通信関連産業が発達した。これらのIT等の製造業のみならず、近年は金融センター、物流センターとしての役割も重要性を増している。
中国にはまだまだ国有企業が多い中、99%が民間企業でアメリカから完全締め出しを食らった話題の華為(Huawei ファーウエイ)、騰訊(Tencet)等世界を舞台に活躍している。また、主要都市の中で最も起業が盛んな都市であり、中国の特許出願件数の約半分(46.6%)を占めている。それだけでは足らず、精華大学と連携をとり、研究も支援している。

<僅か40年でのどかな農漁村から世界有数の近代都市に変貌遂げた深セン>
道路は広く、街路樹も大きく、中央分離帯の生垣も整然としており、ゴミも落ちていない。とても発展途上国とは思えず、ニューヨークにいるのかと錯覚しそうになった。特区の指定からまだ40年である。急速に発展した人工都市であるにもかかわらず、人の往来も多く、町全体が活き活きしていた。秋葉原を真似て創りその30倍の規模の華強北の電気街・電気ビルは、機械好きには格好の場所で、あらゆる部品が揃っており長時間視察しても飽きることはなかった。こうしたところから新しいビジネスが生まれるのであろう。
今回は、短い時間の中でエコカーを手掛けるBYD、そしてAI(人工知能)の典型的企業Malong等を訪問した。この2つの企業を簡単に紹介しておく。

<世界一の電気自動車(EV)会社BYD>
Build Your Dreamsから命名したというBYDは、まさに夢を実現した企業といえる。創業は1995年とまだ四半世紀も経っていない。安徽省の農家に生まれたBYD創業者の王 傳福は、中国一の電池メーカを築き上げていたが、2003年 秦川自動車(国営企業)を買収し、電池と自動車の融合に乗り出した。そして2017年には、世界一の電気自動車(EV)会社にまで成長した。中国という巨大市場を擁している中、中国政府の積極的なEVへの移行政策も功を奏したのである。今やライバルの少ない、大型バス市場にも参入し、世界60ヶ国に輸出している。日本でも京都や福島で走っている。
渋滞の激しい都市間交通に向いているというモノレール(BYDではSky Shuttle busと呼ぶ)の開発に乗り出している。深センもこうしたEV化を支援し、タクシーや路線バスはすべて「緑ナンバー」のエコカーという徹底振りである。取締役の劉学亮氏によると、BYDは環境汚染、渋滞等の社会問題に対処することも念頭に研究開発を行っており、世界共通の難問解決に貢献することを企業の目的としているという。ただ経済成長だけを目指すのではないという姿勢の正しさに胸を打たれた。
日本では未だガソリン車が主流であり、彼我の差に驚かされた。トヨタは売上高3兆円を超えたというが、日本の自動車業界はEV化では完全に中国や世界の後塵を拝している。

<ITのメッカも牽引するMalong> 
正直いって、Malongの説明はIT音痴の私にはそれほどよく理解はできなかったが、同社は極めて精度の高い画像認識AIの技術を持っている。その認識能力は人間と同等で、世界トップクラスだそうだ。これにより、顔認証は勿論のこと、買った商品をバーコードを読み取ることなく金額計算し、小売店を無人化できる。また、脊柱側弯症診断等病気の診察にも活用できる。更に膨大なデーターから我々の体形も測ることが出来るという。
世界が注目するイノベーティブな企業の一つとされており、Amazon、NVIDIA等そうそうたる世界企業が同社の後援企業となっている。日本からもソフトバンクが37億円の投資が行われたそうだ。当日は、共同創業者のアメリカ人のMatthew Scott氏も顔を出してくれた。投資の面でも人材の面でも国際化しており、10年後にはBYD同様に世界有数の企業になっているかもしれない。

<中国の光と影>
私が、アメリカと勘違いしかねない摩天楼という光の部分に感心したことはいうまでもない。しかし、やはりその陰に隠れる目には見えない負の部分が気になった。つまり、もとから住んでいる人のごく普通の農民・漁民のことである。更に農村から都市に入り込んだ農民(農工あるいは農民工と呼ばれる)は、工場の労働者や飲食店等のサービス業で相変わらずの低賃金で働いているに違いない。しかしこの影の部分は、中国語もできず時間も限られている私には今回は調べようがなかった。(この件は次号で論ずる)

2019年5月 1日

【統一地方選シリーズ4】大阪都構想に理あり、大阪府(市)民も選択-二重行政のムダを排するためには、維新の金看板は一考に値する- 19.05.01

<自民勝利は厳然たる事実>
 長野県議選挙は全国と同じく、自民党の勝利に終わった。国民民主党は公認した2者が破れ、公認議席ゼロとなった。長野1区では推薦した3人は全員当選した(長野・上水内区で党籍のある望月義寿と立憲民主党公認の埋橋茂人が11人中8位と9位。中野・下高井区で党籍なしの小林東一郎が無投票)。 県会の第二会派の中核となって県政の監視機能を果たしてくれることを期待したい。
 全国レベルでは立憲民主党は87人から118人に増えた。国民民主党は142人から83人に減らしており、野党は完全な敗北である。参院選を巡って候補者調整も進まない今の野党の現状をみたら、いた仕方ない結果であるが、深い論評は避ける。この後は、第二弾の地方統一選、そしてそれに続く参議院選をしっかり戦うしかない。

<二度目の大阪ダブル選挙勝利>
 私が最も気になったのは、大阪のダブル・クロス選挙結果である。例によってとんでもない理屈(選挙費用の節約)で、松井大阪府知事、吉村大阪市長の入れ替えダブル選挙。大阪以外の人々は、多分何をまた(橋下、松井もやっている)同じことをしているなんてと呆れていたに違いない。勿論私もその一人に含まれる。しかし、大方の予想を覆して、知事も市長も維新が圧勝した。そればかりではない。大阪府議会と大阪市議会も第一党を維持し、府議会は40から51議席に延ばし、過半数(44)を制している。
 2015年5月の住民投票で、僅か0.8ポイント差で否決された大阪都構想が、4年の月日を経て大阪府(市)民に支持されるようになったのだろうか。我々政治家のみならず、国民もこのことを考えてみる必要がある。

<河村名古屋市長と橋下大阪府知事の違い>
 大阪都構想は、維新の結党時からあった大看板ではない。華々しく大阪府知事に就任した橋下徹が、大阪府には地方自治のほとんど権限が残されておらず、大阪市がすべて取り仕切っていることに驚愕したのだろう。衆議院議員として総理を狙うと称して代表選に出馬しようとした河村たかしが、諦めて名古屋市長になったことを比べてみるとよくわかる。
 河村は、政治家として年季を積んでおり、政令指定都市の仕組みを熟知していたのに対し、橋下はほとんど知らなかったに違いない。大村秀章が民主党政権が長く続くと勘違いし、愛知県でたった一人しか当選しなかった自民党に見切りをつけて転身を考えていた。河村は同時に行われた愛知県知事選には大村を薦め、自らは名古屋市長選に出馬して、二人とも勝利を収めている。
 一般には、権威のある知事を選ぶところだが、政治、行政を知る河村は、大政令指定都市・名古屋市長を選んでいる。それに対し、橋下は、大阪府知事になって初めてそのことに気付いた。

<府県政からすっぽり抜ける政令指定都市>
 大阪府と大阪市の二重行政は、他の府県とかなり事情が異なる。例えば、近隣の京都市、神戸市も政令指定都市だが、京都府も兵庫県も日本海までつながっており広い。人口も京都市57.6%、神戸市27.4%に過ぎない。それに対し、大阪市は大阪府の30.8%と大半を占め、堺市を含めると39.7%を占め、二市が大阪都になるとど真ん中がすっぽり抜ける。他にも神奈川県は全人口が907万人に対し、横浜市374万人、川崎市152万人、相模原市72万人と3政令指定都市を合わせると598万人に達し、全県民の66%を占めているが、それでもまだ3カ所に分かれる。

<大阪人の理解が深まったのか、反東京の象徴なのか>
 これを深く考えていくと、日本の地方自治制度のムダが浮かび上がってくる。国-都道府県-市町村の3段階の政治行政のダブり問題である。少なくとも大阪府と大阪市はこれを見事に浮き彫りにしてくれているのだ。そして、そのことを理解した大阪府民(大阪市民)は、少なくとも府と市の二重行政の解消を党是に掲げる大阪維新の会をずっと支持し続け、徐々に理解が広まっているような気がする。
 ただ、東京何するものぞという気概に溢れる大阪人は、阪神タイガースを応援する同じノリで大阪維新の会を支持しているだけで、大阪都構想自体にはそれほど思い入れがないのかもしれない。維新にくしで、自民から共産まで野合したことが、大阪人の反骨精神に火をつけてしまったのだろう。

<最後の行政改革は3段階の見直し>
 行政のムダが叫ばれて久しい。最近の事象で言えば中央省庁の行政改革は、統計部局が徹底的に削減対象とされ、毎月勤労統計の出鱈目振りに直結した。インチキ統計は、国の行政の根幹を揺るがす問題である。
 私も30年霞が関で働き、農林水産省で行政改革とやらを担当させられてきた。農林水産予算の削減であり、定員の削減である。しかし、私は日本の政治・行政組織の中で最大のムダは3段階の政治行政の仕組みだと思うようになった。

<カルフォルニア州と日本の比較>
 これは日本とカルフォルニア州を比べてみるとよくわかる。カルフォルニア州は、面積が日本よりもちょっと大きく(42.4万Km2、(日)37.8万km2)、人口は日本の3分の1(4000万人、(日)1億2700万人)である。世界のGDPを比べると、第11位の国力(州力)を擁するという。日本は北から南まで広く、特に沖縄は遠い。しかし、本州を考えれば、南北は同じようなもので1,335Km(カ)、1,219Km(日)である。カルフォルニア州に県に当たる組織はなく、日本でいえば郡(county)はあるが、県ほどの組織ではない。
 日本では、いかに政令指定都市といえども、警察権は都道府県にあるが、カルフォルニア州では、ロサンゼルス市警にある。つまり、州(国)の下はいきなり市なのだ。こうしてみると狭い日本、小さな日本に都道府県はいらないということになる。

<大阪都構想を日本全体に広める>
 その代わり道州制が必要という人がいる。しかし、東日本大震災のような大きな災害への対応を考えると都道府県を思い切って国の地方支分部局として位置付けて、スリム化するのが最も効率的だと考える。
 すなわち、大阪都構想は、大阪人や維新以外が毛嫌いするほど荒唐無稽な考えではなく、もっと普遍性のあるものなのだ。ところが、残念ながら大阪だけにこだわっていて全国ベースに拡げようとしない。維新は他の政策は野党か与党かわからず「ゆ党」と批判されている。しかし、行革政党を名乗り、大阪都構想を実現したいなら、一緒に取り組んでほしいのが、国と都道府県と市町村の3重行政の解消である。大阪都構想は、それぐらい大事な政治マターと言うことであり、頑張れとエールを送りたい。