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2019年7月31日

長野県(羽田)の圧勝から見えてくる政権交代への道 -反安倍連合戦線により14万5千票の大差の勝利-19.07.31

 後日のブログで公開するが、参議院選挙は野党の敗北である。しかし、そうした中で一人気を吐き健闘したのが、我が長野県だった。

<3年前の杉尾議員の勝利>
 杉尾参議院議員は3年前に当選して以来、今回の羽田候補の応援活動でも必ずよく使うフレーズがある。「3年前は大激戦で全国一の62.86%の投票率、自民党の若林候補は50万票とれば当選と頑張り、ほぼ達したが、私はお陰でそれを7万5千票上回る得票をいただき、当選させていだいた」というものである。私はこの杉尾の自慢話(?)を引き継いで、いつものジョークで「杉尾議員をこれ以上威張らせないためにも、羽田さんには10万票以上の大差をつけて圧勝させていただきたい」と個人演説会の前座を締めくくっていた。

<予想された激戦>
 しかし正直のところ、これといった争点もなく、盛り上がりに欠ける今回の参院選は、投票率がガクーンと下がり、その結果同じような大差がつけられないだろうと思っていた。そこに、羽田候補を中傷するビラが出回り、まじめな有権者は拒否反応を示し始めていた。
この他にもう一つ激戦になるという理由があった。
 小松裕候補は長野1区で3回も私と戦っていた。吉田博美・参院自民党幹事長からいわば押し付けられるかたちで、引き継いだ長野地方区だが、元の選挙区である長野1区ではかなり善戦するだろうというものである。小松氏の後を継いで衆院選長野1区の候補者となった若林氏も大張り切りで、二人の2連ポスターがあちこちに貼られていた。それに加えて若林氏は私のミニ集会に倣ったのか(自分のためもあって)1区内に相当数の集会を設定し、そこに閣僚クラスの大物をも続々と応援に駆けつけていた。

<小松の選挙区1区でも勝利>
 しかし、選挙結果は、1区でいうと北部の人口の少ない4町村で僅かずつ敗れただけで、大票田の長野を始めとする6町村は羽田が少しずつ上回り、1区合計で約1万6千票上回った。もちろん、他の4つの選挙区と比べて差は少ないが、まずまずのできだった。
 そして、全体では投票率が予想通り54.29%と、前回と比べ8.39ポイントも下がり過去最低になったにもかかわらず、51万2,462票と小松の36万6,510票を約14万5千票余も上回る圧勝となった。私の前座挨拶を聞いていた方が喜びながら「篠原さんの予測を超える勝利ですね」と電話してきた。
 国民民主党が衰退の一途を辿るばかりだったが、2017年秋の総選挙で大躍進した立憲も同じだった。例えば、岡田克也(立民会派)が三重で擁立していた芳野正英(私の初代の東京の秘書)は、4万票差で惜敗し、岡田の求心力が低下などと書かれている。そうした中で、我が長野県だけが別格だった。

<長野圧勝の理由>
 それではなぜ、このような結果になったかを顧みてみる。圧勝の理由を挙げると以下のようになる。

 (1) 長野県民がリベラル色が強く、安倍政権を嫌っている。
 (2) 野党共闘がうまく機能している
 (3) 羽田候補は民主、民進、国民民主党と一貫して野党本流におりブレていない
 (4) 羽田孜元総理の息子というブランドが今も根強く生きている
 (5) 小松候補は、衆議院で比例復活できずに参議院に回ってきたため、新鮮味がなかった

以上の5つについて、日本全国で真似ができそうかどうか分析してみる。

(1) 長野県民のリベラル志向
  私ごときが6選されている1番大きな理由は、長野県気質によると思っている。
この実例は自民党総裁選にて、安倍晋三(首相)と石破茂(元幹事長)の票差が僅か15票差だったことに如実に現れている。(しのはらブログ 【県民気質シリーズ1】自民党総裁選、石破が安倍首相に15票の僅差で肉薄した本当の理由-愛すべき長野県民気質がタカ派の安倍首相を嫌い篠原にも味方する- 18.10.2)私の戸別訪の折、よく羽田候補が「靖国神社を参拝する国会議員の会」の重鎮であることを指摘され弁明させられていたが、今回選挙前に辞めていた。有権者はこれを評価していた。
 参院選で野党が勝利している新潟県、山形県も同じ傾向があると思われる。
 しかし、2017年秋の総選挙で原口一博(無所属)と大串博志(希望の党)と非自民が独占した佐賀県もリベラル色が強く、知事選でも非自民が勝ったこともあるにもかかわらず、長崎県選出の元参議院議員、犬塚直史を当選させることができなかった。候補者決定が遅れたからである。
 また今や立民の金城湯池となった北海道は若い獣医師、原谷那美(35才)を擁立したが、3人区の当選には程遠く、共産党の後塵を拝している。2016年には民進党が鉢呂吉雄と徳永エリの二人が当選できたのは、片や衆院6期、知事選にもでたことがあり、もう片方が2期目の実績のある徳永だったからである。知名度が重きをなす参院選である。
自民が前知事と毛並みのいい道義、立民もベテラン道議というのにズブの素人では無理だったのである。リベラル志向は、一朝一夕でできるものではなくむづかしいが、やり方ではリベラルの票を喚起できる県はいくらでもある。しかし、選挙直後の玉木代表の「私は生まれ変わった」とか「憲法改正の議論に応じる」といった軽率な発言に、羽田に投票し篠原を支持した人達は怒っており、今後来るべき総選挙での反発が懸念される。

(2) 野党共闘
 長野県ではいち早く国民、立民が中心となり統一地方選に向けて「新政信州」を立ち上げ、野党共闘の体制を整えた。もちろん、一般有権者には浸透していないが、政治家・連合・市民団体レベルでは新政信州を核としてまとめる事ができた。代表にはうってつけの北沢俊美元防衛相が就いて睨みをきかせた。統一地方選では野党での候補者に新政信州の推薦を出し、参院選では杉尾秀哉 ・立憲民主党長野県連代表が羽田選対総合本部長を務め、私が1区の選対本部長という陣形を立てた。
 また共産党・市民連合とも緊密な連携をとり、集会も1人区の例でいえば共産党・市民連合中心のもの、立民中心のものも散りばめた。事務所はもちろん国民、立民とも同居していたし、当選祝いの挨拶は国民、立民,社民、共産の代表に市民連合代表も加わっていた。
 他の府県では、国民と立民の事務所が別だったり、共闘とは名ばかりのものが多かったようだが、長野は完全な共闘体制ができあがった。考えてみれば当然のことで、3年前の杉尾選挙の時は民進党で一丸となって戦い、そこに共産、社民、市民連合が共闘していたのだ。その後途中で杉尾が立民に移ったことを除けば、なにも変わるところがなかった。
他県では、立民の組織などなく、かといって国民の国会議員も居ないという状況で、長野モデルは一気にはむずかしいという言訳もあろうが、衆議院議員のいない中南西部の4・5区でも勝利している。つまりどこの県でも仲良く団結して反安倍でまとまろうとすればできないことではない。

(3)ブレない
 政治家の立ち振る舞いは有権者が注意深く見ている。
 岩手の平野達男は小沢一郎に勧められて農林水産省をやめて玉澤徳一郎に挑戦、僅差で勝利して政界入りした。その後民主党から離れて自民党に入党した。資質の高い政治家だが、今回の平野の敗北はこの党の変更が嫌われたのが一因だと思われる。長野県民はよく筋を通す県民で、理屈を重んずる人が多いと言われる。だから、信条を貫き通す政治家が好まれ、一貫性の欠く渡り鳥は嫌われる。羽田孜とともに自民党を飛び出した北沢参議院議員はずっと非自民を貫き通した。小坂憲次や村井仁も一時羽田の党に属したが後に袂を分かっている。その後二人とも議席を失っている。長野県民はそういう厳しい鑑識眼を持っている。
 その点、羽田雄一郎は父の作った民主党にずっと居続け、今も国民民主党にいる。これが私同様に評価されての圧勝である。誰しも変節漢は嫌いなのだ。
 これは、誰でもどこの県でもどの候補でもすぐに見倣えることである。

(4) 羽田孜ブランド
 日本人は律儀である。政治の世界でも余程のことがない限り一度支持した者を支持し続ける。そしてそれが世代交代しても続き、二世議員が跋扈することにつながっている。長野県の生んだ唯一の首相、羽田孜は長野県民にこよなく愛されている。堂々たる与党の政治家であり、自民党のままでも首相になれたのに、あえて理想に燃えて自民党を飛び出し、新生党から始まり様々な小政党を立ち上げ、イバラの道を歩んだ。幸いにも細川護煕の後首相になれたが、その後も二大政党制という夢を追い続けた。長野県民の理を重んじ、一方で進取の気鋭に富む気質と相通ずるものがある。
 しかし、羽田孜は他の数多いる野心的・攻撃的政治家と異なり、普通の人であった。そして物事をまとめることのできる「和み」の人であった。以下、私の羽田候補の前座での紹介でおわかりいただけると思う。
 「羽田さんは顔も丸い、体も丸い、性格も丸い(笑)。だから同じことを言っても嫌われることがない。何か揉め事があっても羽田さんが言うとまとまるのです。国民だ立民だなどと言っておられず、まとまっていかないと政権交代などできません。今後野党をまとめるために大切な人です。
 だから立民の枝野代表、福山幹事長、そして国民の玉木代表も応援に来るのです。自民で鉄壁なのは林芳正元農水相、世耕経産相ですが、安倍首相は応援になど行きませんが、我が陣営では、羽田さんと大塚耕平がそれに当たりますから、本当は戦略的には来なくてよく、他の激戦区へ行くべきなのに、わざわざ来ているのは羽田さんがそれだけ重要な政治家だからです。あまり票の増えそうにない長野には来なくていいようにしましたけどね(笑)。
羽田さんは紛れもなく、父とそっくりなのです。私が農水省時代、事務方で農林族の強烈な議論でなかなかまとまらないのをみてきましたが、羽田さんが一言発すると不思議にまとまるのです。DNAは偉大でそっくり引き継がれています。これは小泉親子と同じなのです。ところが、最近は長話も似てきたので困っています(笑)。父上は晩年70歳近くなっていたのに、雄ちゃんはまだ若干51歳、今日話をも短くさせて次の会場に行かせていただきます(笑)。」
 有権者は雄一郎に孜を重ねてみている。農水大臣を二度務めた農政通の父のイメージをそのまま引き継ぎ、他県と異なり農政同友会からも小松と同じく推薦を受けている。だから羽田孜の小選挙区3区(上田中心)では小松の惜敗率は僅か60%に過ぎず、一番高い1区86%を26ポイント以上も下回っている。比例区の4党の票が立民16万、国民12万、共産10万、社民1万と41万票にしか達していないのに、羽田は10万票上回る51万票である。つまり個人票が多いのだ。これは他の県、候補は真似できない。

(5) 相手候補に恵まれる
 もしも吉田が相手なら、多分全国一の死闘を繰り広げる大激戦区となっていただろう。小松は長野1区で比例復活できずに参議院に鞍替えした候補だった。三年前に三度も長野入りした安倍首相は一度も応援に入らなかった。与党の比例区(自・公票)が39万に対し(維新を入れると44万票)に対し、2万票下回る37万票にすぎないことからしても、それほど人を惹き付けることができなかったことがわかる。
この点は反面教師として学べることである。つまり、参議院向けには政策力のある有権者が振り返ってみるような候補を選べということである。

<長野をみならってほしい>
以上をみると分かる通り、4つの理由はまねることができ、きちんとした候補を立て野党共闘を構築したら、野党側が勝てるのだ。ただ、惨敗の参院選の得票を元に次期衆院選を占った共同通信試算(毎日7/29)では、野党5党側は、長野と沖縄のみ全勝、北海道と岩手で勝ち越すものの、自公が37県で全勝するという。今回は、自民が9議席減も立民が議席を倍増させ17議席になったとはいえ、やはり野党が惨敗したのである。
政権交代の狼煙を我が県から、とはどこの選挙応援に行ってもよく聞かれる美辞麗句だが、この言葉はやはり我が長野県にはそのまま充てはまる。羽田民主王国は健在であり反撃の狼煙は長野からぶち上げるしかない。
政治は結果であり、もっと言えば選挙の結果である。新聞紙上では岸田派は4人を落選させた、岸田首相の芽はなくなったのに対し、菅の存在感が増したと与党ばかりに関心が行っている。それに対し、我が陣営で玉木代表のお膝元の香川で議席がとれないという批判もなく、長野は立派という説明もみられす無視されている。自民党に倣うなら、結果を出した長野が求心力を強め、リーダシップを発揮していく時が来ているのだ。長野スタイルを是非全国に広め、総選挙で勝利を遂げたいものである。

2019年7月 7日

野党統合の象徴・羽田雄一郎参議院議員 ‐5期目の当選を目指して信州から反転攻勢を発信‐ 19.07.07

 各種の世論調査によると、7月4日公示、21日日投開票の参議院選挙はそれほど関心が高くない。困ったものである。前号のとおり、議会も行政もトップ<行政長官>も自ら選べない香港市民と比べたら、日本人は恵まれすぎている。両方を選挙で選べるというのに、投票率が高くない。せいぜい50%~60%止まりである。
 その大きな原因の一つは。我々野党の分裂にあることは明らかである。

<野党が一つなら07年並みの勝利を再現できるのに>
 参議院選挙は地方区1人区の勝敗が勝負であると言われている。ところが与野党対決にならず野党が分裂していたのでは自民党を利するだけである。こういう状況では戦いにならない。2007年の場合は幸いにして野党・民主党は1つだったので農業者戸別所得補償を全面に出し、1人区で23勝6敗と自民党に思いがけない勝利となった。その結果、安倍首相は秋の臨時国会で所信表明をしただけで、代表質問を受けずに辞任した。今もそれほど安倍内閣の支持率が高くないので、もし野党が1つならば同じような状況を作る絶好のチャンスだが、国民民主党と立憲民主党の二つに分かれてしまっている。

<お互いの公認候補を「推薦」せず「支持」に留めるチグハグ野党共闘>
 ところが野党共闘を参院選の直前にやっと達成したものの、お互いに公認候補は支持までに留め、両方推薦する候補は、完全な無所属に限ると言ったわけのわからないことをしている。広島や滋賀では、国民民主党の党籍を離脱させて両党の推薦といったことまでしている。
 長野県の例で言えば、羽田雄一郎は32の1人区で国民民主党唯一の公認候補であり、野党唯一の現職候補である。それにもかかわらず立憲民主党は当選4回の羽田を前述のルールにより推薦せず、支持しかしないと言う。こんなことを言っては失礼だが、自民党が圧倒的に強い某県では国民民主党が新人の公認候補を立てても、立憲民主党も当選の見込みがないでそのまま認めている。そうした新人候補はどういう人物かわからないし、支持に留めてもいいだろう。しかしつい昨年までずっと一緒に政治活動をしてきて人となりもよく知る羽田もいっしょくたに扱い、支持と言うのはあまりにも馬鹿げた話である。
 長野県はいち早く新政信州と言う形で野党共闘を作り上げ、羽田選対本部長が杉尾秀哉立憲民主党長野県連代表になっている。それにもかかわらず推薦せず支持しかしないと言うのは、チグハグもいいところである。共闘体制が整っている長野県でもこのていたらくでは、全国の共闘体制はどうなっているのか、心許ないばかりである。

<降って湧いた2000万円老後資金問題>
 例によって争点は山ほどある。
 1つは突然降ってわいた2,000万円老後資金問題である。段階の世代は、ひたすら働いて高度経済成長を支えてきており、遊び方も知らず貯金するのが当たり前と言う価値観を持っていた。その結果として2,000万円位の貯金が溜まっているように思う。したがって12年前の「消えた年金」に対して、「受け取らない年金」とか言った形で鬼の首でもとってつけたように言っているが、私はあまり感心しない。
 ただ、これが30代40代になる人の場合だと、いやいやそんなことできないと言う事はよくわかる。この問題は一部には当然争点として問題提起をできようが、残念ながら多くの国民の胸を打つことにはならないと思う。

<秋田県民はイージス・アショアにカンカンに怒って当然>
 2番目の問題は北朝鮮のミサイルを撃ち落とす陸上ミサイル迎撃基地すなわち、イージス・アショア問題だ。これは配備が予定されている秋田県では大問題だが、他の県では何のことかよくわからないであろう。3年前の前回は東北5県で野党が勝ち、秋田県だけが負けたけれども、直前の世論調査によると今回は敵失により秋田県が悠々と野党が勝てそうだという。

<また繰り返される農産物関税引き下げ>
 3番目は日米貿易交渉における、日本側の繰り返される妥協の問題である。TPPは大反対したものの条約は承認され関連法は成立してしまった。ところが、同時に、トランプ大統領が誕生し、アメリカは入らないことになった。それにもかかわらず、アメリカは農産物関税引き下げはアメリカにも適用しろと要求してきている。
 もちろんこんないいとこ取りの要求は受け入れられないのに、訪日したトランプ大統領は参議院選挙後の8月には大きな数字が出てくる、といった放言をしている。それについて安倍首相は何も反論していない。これでは対米追従外交をしていると批判されても仕方があるまい。私は今回の参院選で、騙され続けた全国の農民が自民党政権に対して敢然とNOをつきつけてほしいと願っている。

<官邸の○○会議に翻弄される安倍政権>
 4番目は特に長野県の有権者の皆さんにはあまり関心がないと思われるが、漁業法改正や国家戦略特区にまつわるいかがわしい政策決定問題である。安倍政権の下では名前はいろいろ変遷してきているが、官邸の○○会議の△△ワーキンググループの下でいかがわしい利権政治がすき勝手し放題に行われてきている。そうした会議のワーキンググループメンバーの原英史が民間会社からコンサルタント料をもらい、実現したことが明るみになった。まさに官邸に巣食うインチキ有識者のマッチポンプであり自作自演である。利益を得る者がそれを審議する会議に入っており、明らかな「利益相反」で認められないプロセスである。
 野党は相当念入りにヒアリングをしたりしているが、私はこれは氷山の一角であり安倍政権のでたらめな政策決定プロセスを如実に表しているものと思う。つまりきちんと試験を通って採用された国家公務員でもなく、何万人もの国民に名前を書いてもらって選ばれた国会議員でもない、わけのわからない学者や、やったら政府の言いなりになる有識者(知識には?の人が多い)等が勝手に政策を決定しているのである。
 私が、4回(18.11.15【漁業法シリーズ1】~18.12.04【漁業法シリーズ4】)にわたり
私は小泉進次郎が中心となる平成の国会改革には大賛成であるが、今のところペーパレスとか瑣末な改革に終わっている。一番大切なのは国会が国権の最高機関であり、国会議員が独自の調査機能を持ち、もっと政策決定に関与できるようにするのが1番の国会改革だと思っている。
 そうした点では政策決定プロセスのいかがわしさが今回の参議院選挙で一番の争点となるべくものと思っているが、この問題は残念ながらあまりにも一般国民にはなじみのない問題であり、大きな争点になりそうにない。

<羽田雄一郎の大勝利を目指す>
 こうした中で有権者に関心を持ってもらい、羽田雄一郎参議院議員に5回目の大勝利をしてもらうにはいろいろ大変なことばかりである。私は国会議員になって16年、羽田参議院議員は20年、ずっと一緒に政治活動をしてきている。そもそも私が政界に入ったのは父親である羽田孜元総理の強い勧めによるものである。御子息には是非圧倒的勝利を収めてもらいたいと願っている。

2019年7月 4日

参議院議員選挙 羽田雄一郎個人演説会(長野・中野・須坂・飯山) のお知らせ

羽田雄一郎個人演説会を下記の日程で開催いたします。
お近くの会場へぜひお越しください。

2019参議院選挙 個人演説会会場


7月8日(月)
19:00 川中島町公民館  長野市川中島町今井1762-1

7月11日(木)
17:00 飯山 ほていや  飯山市大字飯山本町1213
18:00 竹原公民館    中野市大字竹原440-2
18:30 一本木研修センター  中野市一本木408-2
19:00 須坂市中央公民館 須坂市大字須坂747-イ

7月14日(日)
16:00 朝陽支所2F   (朝陽公民館分室)長野市大字北尾張部226-9
17:00 浅川公民館    長野市浅川東条328-1
18:00 安茂里公民館   長野市大字安茂里1777-1
19:00 グリーンパレス  長野市篠ノ井御幣川281-1


※日程等、変更となる場合がございます。

2019年7月 1日

デモを忘れた日本vsデモで政策変更する民主主義国 -仏はマクロンの強硬策を変更させ、香港は逃亡犯条例を撤回に追い込む- 19.07.01

<50年前はデモが日常茶飯事だった日本>
 私のような団塊の世代は、大学紛争のあおりをもろにくらってろくに授業もできなかった。学生といえばデモをし、全学ストで授業をボイコットしていた。京大ではなんと学生寮が某セクトに占拠され、某セクトに入る者だけが入寮を許可されるという、とんでもない状況だった。私がゼミの北川教授から頼まれて週一回、日本語と日本法の勉強相手をしていた(一応家庭教師?) John.O.Haley UofW教授(外国人叙勲 旭日中綬章)は、「なぜ裁判を起こして某セクト学生を追い出し入寮しないのか」と私に強く迫った。しかし、そんなことが許される雰囲気は全くなかった。
 あれから50年、今は学生デモなどとんと聞かなくなった。それどころか保守化し、安倍政権支持は若者ほど多いという。信じがたいことである。ただ一方から見ればこんな平和ないい国はないということになる。
 日本と異なり、世界はデモが、そして学生が中心となったデモが政治を変えている。

<弱者を冷遇するマクロンのことを叩きのめした地方のデモ>
 最近でいえばフランスの黄色いジャケットのデモである。フランスの大統領はサルコジでちょっとイメージが変わったが、それまでは老練な政治家しかならなかった。そこに彗星のごとく現れたのが若きマクロン大統領である。意気があがり、21世紀には合わなかった新自由主義路線とやらを突き進んだ。法人減税、労働者を解雇しやすくする労働法の改正など、庶民を置き去りにし、富裕層のための政策中心となった。デモ参加者は、緊急時に身に着けるため車両に常備が義務付けられる「黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)を、影響を受けるドライバーの象徴として着用した。
 18年12月2日、地方を中心に13万1000人が参加するデモが行われた。きっかけは、19年1月から環境政策の一環としてガソリン(4円/ℓ)と軽油(8円/ℓ)の増税を決めたことへの抗議である。後述する香港デモと同じく、政党や労組や学生運動が主体ではなく、SNSで参加を呼びかけられていることである。皮肉なことに、マクロンは自らの選挙基盤である、無党派層から批判され始めたのである。
 仏政府は12月5日には燃料税の引き上げを凍結し、電気とガス料金の値上げもこの冬は凍結すると表明した。12月10日には、残業代非課税や月額2000ユーロ(約26万円)未満の年金生活者への減税を19年1月から実施すると発表した。公共交通機関が乏しい地方ほど影響が大きいため地方のデモが中心となったのが特徴的だった。最終的にはシャンゼリゼにも飛び火し、60%あった支持率が20%に下がってしまった。

<習近平の強硬路線を打ち砕いた香港の200万人デモ>
 3つ目は、雨傘運動に次ぐ香港の大デモである。2014年、長官を民主的な選挙で選ぶ要求を掲げ、大学生を中心に「雨傘運動」が行われた。しかし、強硬な政府は何一つ認めず、79日間の香港中心街の占拠も功を奏さなかった。今回6月9日に勃発した「逃亡犯条例」反対デモは103万人に達した。刑事犯を中国本土に移送されては「中国二制度」が根底から崩れる「香港が完全に中国になってしまう」恐怖を抱いたからである。この条例により、中国政府当局が民間の活動家や批判的な人物を想うがままに拘束するのではないかと心配したのである。頑なに撤回しない林鄭月娥行政長官に怒りがつのり、16日には黒い服を着た200万人(全人口の3分の1)が参加する大デモとなった。林鄭長官がデモを「暴徒」と言い放ったことも住民の反発を招いた。さすがの行政長官も事実上撤回(審議の「無期延期」)に追い込まれた。
 2014年と比べるとリーダーもなく若者がSNSで連絡を取り合ってデモに参加したという。そしてついに政策を変更させたのである。その結果、中国は一つだと強硬路線をとり続けた習近平・中国政府も香港政府の方針転換を容認するに至った。逃亡条例は、香港にやたら強硬策を押し付けてきた習政権の明らかな勇み足である。
 国民の声がデモにより政府に通じたのである。(なお余計な事だが、香港人の実に3分の1近くが日本に旅行に来ていることも付記しておく)

<ドイツの2022年原発廃止も反原発デモが原動力>
 3つ目に、最近ではないが、2011年冬、3.11の福島第一原発事故後のドイツの反原発デモも特筆に値する。事故の起きた本国・日本の反原発デモが銀座通りで行われたが、わずか5,000人余。それに対し、1万km離れたドイツでは約30万人が原発の廃止を訴える大規模デモを行った。この後バーデン=ヴュルテンベルク州の議会選挙でかねてから反原発を訴える緑の党が第一党となり、メルケル首相は、3ヶ月後2022年までに全原発を廃止する決断をしている。勿論、他の要素もあったとは思うが。大きな政策変更を促している。

<冷静なロンドンの反トランプデモ>
 政策変更までさせていないが、トランプ大統領が日本に次いで国賓で訪問したイギリスのデモも見事である。
 日本はゴルフ、炉端焼き、相撲見物と豪華な観光旅行であり、令和初の国賓客として歓迎ムード一色だったが、同じ友好国のイギリスは違っていた。市民が怒り、トランプに帰れコールを起こし、子供じみた発言を揶揄する赤ん坊のトランプ人形をおっ立てて、トランプ訪英に反対する数千人がデモ行進をしている。これには労働党のコービン党首やイスラム教徒カーン・ロンドン市長も呼応している。EU離脱のブレグジットを持ち上げているトランプに対しても、国民は人種差別的な言動や国際合意を軽視する姿勢に対して冷静に冷や水を浴びせたのである。

<日本も反原発、反TPP、反安保法制デモは大きなうねりとならず、政府も無視>
 さて、改めて我が日本をみるとお寒いかぎりである。
 2015年秋、反安保法案のデモが国会周辺を取り囲んだ。家族から止められたのを断ち切って戦争体験をした70代80代の年輩者が多く参加したが、若者が中心ではなかった。Old liberalistが中心で政府も無視していた。
 地方を疲弊させるTPP反対デモも、農民や一部の消費者を巻き込んで各地方で行われたが、アメリカにべったりの政府にとっては馬耳東風だった。その挙げ句、肝心のアメリカがトランプ大統領の出現で入らず、TPPは他の6カ国でスタートするという頓珍漢な結果となった。そして、今トランプの訪日時にまた参院選後に妥協と暴言を吐かれているのに、波静かである。
 反原発デモも、金曜日の「官邸前デモ」がずっと行われていたが、大きなうねりを起こすまでになっていない。
 私は何もデモをして、交通渋滞を起こしたり、通りに面した店の窓ガラスを割れと言っているのではない。国民が怒るところには怒っていいのではないかと言いたいだけだ。
 そこまでいなかくとも、せめて選挙に行き、怒りと意志を示すことだけはしてほしいと思っている。