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【台風19号水害シリーズ1】日本の山川海(自然)も怒っている- 地球温暖化がもたらした大型台風は今後通常化するおそれ-19.11.08

 台風19号により甚大な被害を受け、尊い人命までもが失われ痛ましい限りです。御遺族に対し哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。
 私の選挙区では、2名の方が亡くなられ97名の重軽傷者が出ました。また、千曲川の堤防が決壊し、長野市の長沼、古里、若穂、松代、篠ノ井、など推計5,086世帯(豊野等含む)、須坂市285世帯、中野市125世帯、飯山市626世帯、小布施町57世帯、野沢温村泉20世帯、栄村4世帯、高山村・木島平村各1世帯 計6,205世帯と多くの住宅が床上・床下の浸水被害にあいました。台風からまもなく一カ月が経とうとする現在も、多くの住民の方々が避難を強いられております。
 当事務所も、少しでも早く元の生活を取り戻せるよう地元の秘書や元秘書が荷物の搬出や、泥出し、片付けに走り回り、東京の秘書2名も国民民主党ボランティア団40名とともにボランティア活動に出ています。私も被害現場をこの目で確かめるべくTV等で何度も報じられた長沼地区をはじめ、全市町の被害地に足を運びました。また、党の防災本部をはじめとする視察団の案内を自らやるなど、側面援助をしております。政府の再建支援策が徐々に決まりつつありますが、私は被害を受けた皆さんに寄り添って、いろいろなご要望に対応すべく汗を流しております。
 ただ、現場では人手がいくらあっても足りない状況が続いております。読者の皆様には、是非復旧活動にご協力いただきたくお願い申し上げます。
 そうした中で、私が感じた洪水の原因、長期的にみる防止対策について、長くなりますが、いつものとおり数回に分けてまとめてみましたのでお読みください。

 台風19号は、台風(水)害にはそれほど縁のない長野県にも大きな被害をもたらした。12日長野を含む7都県に大雨特別警報が発せられたが、上陸した静岡県や関東に被害が集中すると思われていた。しかし、事実は違っていた。

< 1 海は怒っている>
 台風19号は、6日フィリピン沖、南鳥島付近で1,000ヘクトパスカルで発生したものの、8日には915ヘクトパスカルと急速に気圧が下がって猛烈な台風に発達した。
 当初、風速67mとスーパー台風にならんとした19号は、暴風よりも大雨をもたらす台風となり、未曽有の雨量をもたらした。温暖化により発生した大型台風であり、24時間(1日)で史上最大の降雨量を観測したのは84ヶ所に及ぶ。箱根町では13日午後3時までの48時間で1001mmと年間降雨量も降り、東日本各地で年間降雨量の3~4割も降った。
 海面水温が30度前後のフィリピン沖(南鳥島近海)で発生し、マリアナ諸島付近を北上する中で大量の水蒸気を含み、暴風域は650km、雨雲は本州の半分を覆うほどに発達した。
 海水の温度が高いと、エネルギーとなる水蒸気が大量に供給される。通常は日本に接近するにつれ徐々に勢力が弱まるが、日本近海も海面水温が27~28度と平均を1~2度上回ったため、勢力が衰えないまま北側に発達した雲を伴い、上陸前から雨を降らせ続けた。1958年の狩野川台風と同じコースだった。12日19時に静岡県に上陸した。地球温暖化により海面水温が高くなったことによるものである。

<山の斜面が生みだした豪雨>
 以上は、気象庁の公式見解である。以下に素人の私の解説を加える。
 普通は上陸すると山に遮られ勢力も弱まるが、今回は違っていた。台風とて通常と同じで山の斜面にぶち当たる側に大雨をもたらす。ところが、あまりにも強力な19号は、斜面でできた上昇気流も強烈で山を超え西側にも大雨をもたらした。
 この現象が長野県の東側の山で起こり、千曲川の上流の佐久・上田・軽井沢で平年の10月1か月分の降雨量の2倍以上の大雨を降らすことになった。標高2,000mを超える志賀高原の山々は、さすがの19号も超えられず、長野盆地の北側、つまり、中野・飯山はそれほど風も吹かず(従って、りんご・ぶどうも落ちず)雨もそれほど降っていない。長野もそれほど降っていなかったが、上田等の上流で大雨が降り、数時間後、それが一斉に流れ込み穂保の堤防を70mも決壊させることになった。
 他でも相当被害が出ているが、決壊と水浸した新幹線車両が衝撃的であったため報道が穂保に集中した。穂保の堤防は、13日2時30分頃から越水が始まり、5時30分には決壊し、辺りは濁流にのまれた。2018年の西日本豪雨の倉敷市真備町とほぼ同じ1200㏊の果樹園が冠水し、住宅部が浸水した。
 県歌信濃の国で千曲川と並び称される犀川の水量はそれほど増えなかった。なぜなら犀川の上流は、長野盆地の東側の北アルプス側にあり、雨を大量に含んだ雨雲の風はそこまで吹きつけなかったからである。
 
<大水害は、「忘れなくとも」やってくる>
 北信の水害は、中野市立ヶ花付近から大俣にかけて急に狭くなる筒所で発生している。穂保近辺では約1,000mある川幅が210mになるからだ。今回も流れが止められ、バックウォーター現象が起き、少し上流の曲がりで滞留した穂保の堤防が決壊した。千曲川の本線の決壊は1983年飯山市戸狩の決壊以来のことである。そして、もっとさかのぼれば1959年名古屋に上陸し長野県を縦断した伊勢湾台風である。今回はそれ以来の大被害をもたらした。 
 その時は大俣(悲しいかな今年閉校になった私の母校 長丘小学校の通学地域)が全戸水浸しになった。そのため、長丘小学校の上級学年(私は小学校5年生)は、全員、級友の家の片付け、掃除に駆り出され精を出したことを覚えている。人は逃げ出て無事で、逃げられずにいた牛・豚が高台に避難して生き残っていたのが印象に残っている。それまで台風の怖さを知らず、台風○○号は強い順につけられるなどと信じていた私は、この時初めて発生順だということを知った。確か台風15号で、こんなに強いのが15号とは変だとやっと気づいたからである。

<狭窄部の前にダムと堤防で耐える策は限界に>
 この立ヶ花の狭窄部により、1742年「戌の満水」時の大洪水も起こされている。TVで何回も映し出された赤沼の新幹線車両センター(北陸新幹線車両の3分の1が水没)の横に「善光寺平供水水位標」が立てられており、当時の水害の大きさを物語っている。今回の台風でも長野県全域で5名の尊い命が失われたが、当時は2,800名もの命が奪われたといわれている。
 1959年の伊勢湾台風はりんごの木を根こそぎに倒し、大水害をもたらした。今回も、風台風で千葉県に大きな被害を与えた15号の印象が強く、多くは風に警戒していたが、風の被害はほとんどなく大雨台風だった。1983年は立ヶ花の水位が11.13mだったのに対し、今回は12.44mと史上2位を記録した。過去の被害を踏まえ穂保の堤防も1984年に完成していた。それでも水害が起きてしまった。
 加藤久雄長野市長(全国市長会副会長)は、よく自然災害の少ない長野市は安全・安心の都市だと話していたが、実は周辺の状況の変化が刻々と今回の水害の原因を造っていたのだ。

<異常気象ではすまされなくなる>
 今や異常気象が通常気象となり固定化しつつある。過去100年に日本の近海の海面温度は1度以上も上昇しているという。このままいけば2060年には19号並みの台風や風力の強いスーパー台風が1年に1回ぐらい発生すると見込まれている。最近20年間に1時間に400mm以上の大雨は251回記録され、その前20年間の121回の2倍以上発生している。つまり、現在の治水能力を超える降雨にいつ襲われるかもしれないのだ。
 日本には砂漠の国が羨む3万5000もの川があり、治水ダムが561、堤防の延長は9,100kmに及ぶ。しかし、もう従来の堤防・ダム等の対策は限界にきている。このことは、19号の後の大雨で千葉県等が再び水害に見舞われたことからもよくわかることである。我々は今後こうした大型台風に備えなければならない。