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【19号台風シリーズ2】 治山治水を忘れた報いかもしれない大洪水 -山と田は放置され、水路はコンクリートでは川があふれてしまう-19.11.13

<2山が怒っている:保水力の劣化した落葉松・杉の人工林>
 第一に落葉松の人工林面積が全国一の長野で、山の保水力が急激に下がっていることである。 まじめな日本人、その中でも超まじめで政府の方針に忠実だった長野県民は、戦後の「植樹せよ」という大号令に従い、よくこんな山のてっぺんまでと、今更ながら感心するところまで落葉松や杉等を植えた。
 自然は偉大である。大昔から大雨が降り大水が出て山崩れもあっただろうし、一面が水に覆われたこともあっただろう。後述するプレートテクトニクス理論のような気の遠くなるような陸の動きもある。そうしたことが何回も繰り返されて今の国土が造り上げられていった。ところが、近代に入り雑木林・天然林を人間の都合のいい木材を造るための森へと一気に変えてしまった。深く根を張った樹木が山崩れを防ぎ、しっかりと水を蓄えてくれていたが、単層林の貧弱な林となり、水源涵養機能は徐々に低下し、今回のような大洪水が発生するようになった。

<山と森林を捨てたことが招いた悲劇>
戦後74年、祖父母の世代に植えた木は大きく育ったが、1950年真っ先に関税ゼロとなった丸太の輸入に押され、木は売っても二束三文どころか赤字にしかならない事態となった。そのため中山間地の木では食べていけなくなり、大半が限界集落となり、崩壊していった。

政府の経済効率一辺倒の政策の成れの果てである。当然、山の木は放置され、間伐も下枝刈りも行われなくなった。鬱蒼と生い茂る人工林は光を通さず、下草も灌木も生えずに地面は脆くなる。保水力は雑木林と比べ段違いに劣る。そのため、降った水は急斜面を一気に小河川に流れ、最後には千曲川に流れ込む。世を治める者、為政者が力を注ぎ込むべきは治山治水だった。山を治めることより水を治めることが重視され、山を疎かにしたことが悲劇を招いたのである。
 林野庁は、森林の有する公益的機能として、表面侵食防止(28兆2,565億円)、表層浸食防止(8兆4,421億円)、水資源貯留、洪水緩和等の機能を全体で70兆2,638億円と計算している。これらの機能が長野の山々でも急速に衰えているのだ。

<棚田が消え、水田が減少し、田のダム機能が低下している>
 第二に水田、特に棚田が減り、水田の保水力も急激に減った。米作りが日本の農民の悲願だったが、1978年から減反が行われ、水田が厄介者扱いされるようになった。その結果水田面積、なかんずく機械化も大規模化もできない棚田はアッという間に消えていった。
 日本学術会議の2005年の計算によると、水田を中心とする農業の多面的機能は、洪水防止(3兆4,988億円)、河川流況安定(1兆4,633億円)、土砂崩壊防止、土壌侵食防止等、全体で8兆2,226億円としているが、これらの機能も急速に減退しているのだ。

<3川は怒っている>
 第三に水路の整備が進み、水が一気に千曲川に流れ込むようになったことが挙げられる。土地改良が進み、いつの間にか大半の用水路が三面コンクリート化した。その結果なんとめだかが生殖地を失い絶滅危惧種となった。ここまで自然の川を変えた国は世界に類がないだろう。市街地の水路はそれよりとっくの前に三面コンクリートどころか四面コンクリート化していた。人間の便利さの追求の成れの果てに小河川は全てよどみなくなく流れることになる。
 第四に堤防は造ってもなぜか川底の掘削は行われず、水が溢れやすくなっていることである。
この点については、私の地元の畏友市川久芳飯山市議が30年超の長きにわたり、千曲川にかかる中央橋の橋桁の土砂の上昇を定点観測し、写真を撮り続けてきた。その写真は30数年間の川床上昇を見事に浮き彫りにしている。別号で詳述するが、千曲川は立ヶ花狭窄部と戸狩狭窄部と二カ所で狭くなっており、もともと土砂が溜まりやすい。そこに長野・新潟県境の西大滝ダムが追い打ちをかけてますます土砂が下流に流れなくなる。つまり、この土砂の堆積により千曲川は徐々に天井川になりつつあるのだ。こうした状況の中で、いくら堤防を嵩上げしてもイタチゴッコでしかない。

<格段に進歩した天気予報>
 今回の一連の動きの中で、改善されて見事だったなぁと思った点も多々あった。
一つは、天気予報の早さ、正確さである。台風上陸(12日19時)より3日も前、9日から大型台風襲来を予想し、準備を呼びかけていた。13都県に大雨特別警報が出されていた。台風の進路もわからず、津軽海峡を渡る青函連絡船洞爺丸が沈没し、1500人の命を奪ったのは遙かかなた昔、65年前(1954年)のことである。雨に備えろと警告していたが、一般的には9月9日に上陸した風台風15号の記憶が生々しく、大半の人はこれほどの大雨をもたらすとは予想していなかったに違いない。
 正確な天気予報により、交通機関(JR、私鉄、航空各社)は上陸前から早々と運休、欠航を決め、スーパーなども休業を決め、数々のイベントも中止され、外国はラグビーのワールドカップまで中止にしたことに驚いたのではないだろうか。日本のこうした対応は諸外国にはとても真似できない。側聞するところによると、外国ニュースメディアは日本の誇る新幹線が水没している映像を配信して、その被害の大きさを報じていたようで、諸外国のラグビーファンも納得してくれたと思う。

<精緻なハザードマップとわかりやすい警告>
 そして、二つ目は長野市では全戸配布されたハザードマップある。ただ、残念ながらあまり認識されていなかったが、今回の水害でその正確さを知り、今後はもっと活かされるだろう。後述するが、何よりの防災は、ハザードマップで危険だとされた所を避けることだ。車両が水没し118億の損失額といわれる新幹線車両センターは低地にあり、もともと200年に一度の災害では水没する危険が大きいところだったのである。警告ということではささやかなことだが、警戒レベルの5段階の一番上が、「命を守る行動」といったわかりやすい言葉にしたことである。一番危険な時に、自分で自分の命を守れ、と自己責任にされてはたまらんという批判もなくはない。しかし、官僚用語を脱したことは支持したい。

<過去の歴史に学び用意を怠らず>
 三つ目に、過去の歴史・経験に学んで行動したことである。千曲川下流の人々は、上流の佐久や上田で大雨が降ると、その数時間後に長野に、そして立ヶ花には7時間後に到達することを知っていた。そして、過去20~40年に1回洪水に襲われた経験から、避難指示にまじめに従ったことである。だから、雨が止んでから堤防が決壊し、大量の濁流が一挙に押し寄せたにもかかわらず、身を守ることができたのだ。天災の被害を「人才」で乗り越えたといえよう。
 長野県の盆地は善光寺平、松本平とも呼ばれる。大平野と比べると狭い盆地に過ぎないが、山国としたら平らだからだ。それに対し、伊那谷と木曽谷は文字通り谷である。幸い今回は二つの谷に大雨が降らなかったが、もし1日400mmの雨が谷に降ったら、鉄砲水になり被害はこれ以上であっただろう。
 二度とこんな大雨はご免こうむりたいが、今後はこれが常態化するだろう。(以下3号へ続く)