« 2019年11月 | メイン | 2020年1月 »

2019年12月28日

世界は環境重視で動き始めている -グレタの警鐘は物の移動に伴うCO2の削減- 19.12.28

 11月下旬、3泊5日の大忙しのヨーロッパ出張(EU議会議員との定期交流)は、行きも帰りもデモの日となった。まず11月29日(金)の帰りのデモ。いわゆる世界気候行進であり、12月2日スペインのマドリードで始まるCOP25(国連気候変動枠組条約第25回締約国会議)の前の4回目の一斉行動である。世界150ヶ国、独では63万人が参加したが、日本では600人ほどの若者が都庁前に集まり「気候は変えず、自分が変わろうと2kmほど練り歩いた。

<グレタがヨットで大西洋を横断したわけ>
 最終日ベルリンからの帰途、16才のスウェーデン人の少女グレタ・トゥーンベリの始めた金曜日デモに呼応して、ベルリンでも午後から約5万人の子供たちによるデモが行なわれた。標的の一つが空港につながる道路だったためそのデモに出くわした。段ボールに「ストップ気候変動、ストップ大連立」と掲げた子供たちが我々のマイクロバスの横を走っていくのを見送った。私はデモに拍手を送りたかった。世界では小中学生まで気候変動を気にしているのだ。
 グレタは9月の国連総会で演説の機会を与えられたが、ニューヨークの国連本部には飛行機ではなく、3週間かけてソーラパネル付きのヨットで行っている。ジェット燃料の排気ガスが地球環境の汚染源の一つであり、それを避けたのである。まさに実践の人なのだ。

<環境保全のため移動(マイレージ)を少なくする>。
 世界のCO2の排出量の大所は、電力、工業、農業等だが、交通運輸も14%(日本は17.9%)も占めている。つまり、物の移動をなるべく少なくしないことにはSDGsも環境に優しい生き方も実現できない。グレタは、環境負荷の少ない移動手段、いってみれば再生可能エネルギー交通手段を意図的に選んでいるのだ
 私はこのことを食べ物から説き、フード・マイレージ(Food Mileage)という概念を作り、それをウッド・マイレージ(Wood Mileage)そしてグッズ・マイレージ(Goods Mileage)へと発展させて発信してきた。航空会社のマイレージは貯めれば貯めるほど特典が増えるが、こっちは逆である。前二者は政府の白書等にも使われるようになったが、大事な3つ目は私しか使っていない。3つは韻を踏んでおり、英語を母国語とする人には覚えやすい。

<地産地消の広がり>
 食べ物で言うなら、畑と食卓の距離を少なくすることが大切である。新鮮さや栄養価の面からでも、その地でできたものをその場で食べるべきなのだ。そして私はこれを言い表すために地産地消という用語を造り出した。もう一つ、旬のものを食するということで、旬産旬消も一緒に使っている。地元の特産品の振興を図りたい人たちは、地産地消にはすぐ飛び付き、地方活性化の大きな柱となっている。更に、地産地消は今や農業界や食をめぐる世界だけでなく、再生可能エネルギーの分野でも盛んに使われている。

<過剰消費と不必要な輸送をやめる>
 しかし、根本的な意味がなかなか完全には理解されていない。ところが現地の英字新聞を読んでいて、手を叩いて喜ぶべき記事を発見した。フランスで行なわれた気候変動金曜デモが、アマゾンをも標的にしていたのである。なぜなら、通販で物を買えるようにして余計な物資の輸送を煽っていることを問題視したからである。国家に相当するCO2を排出していると批判したばかりではなく、地球の大事な資源を使い不必要なものを造り、購買意欲をそそって買わせていると批判した。また、アメリカでは、大型セール「Black Friday」が、環境破壊につながる過剰消費を煽っていると批判されるようになっている。私が30数年前「農的小日本の勧め」(1985年柏書房、1995年創森社)、「農的循環社会の道」(2000年創森社)で主張したことが、気候変動デモでも唱えられ始めたのである。

<余計なものは造らず、余計なものは買わない>
 先の長い子供たちは限りある地球の資源をムダ使いしないように、更に過剰消費によって地球の環境をこれ以上壊さないでくれと言い出したのである。つまり、大人たちに無責任な「今だけ、金だけ、自分だけ」という態度を改めて、未来の子供たちのために資源と地球環境を残すべく自制してほしいと訴え始めたのである。行き着く先にベジタリアン(菜食主義者)、ヴィーガン(完全菜食主義)があり、世界の心ある人たちは何事にもつけ地球環境を壊すことはやめる方向に向き始めたのである。
 3R(recycle, reduce, reuse)が言われ出して久しい、私はそこに更に買うことを拒否し生産することも拒否する2R(refuse to buy 、refuse to produce)も必要だと思っている。幸いに部屋に必要ない物を置かないシンプリストやミニマリストが日本でも広まりつつある。
 ただ、少しでも業績を上げんとして四苦八苦している企業人等には、次の世代のために資源を残すべく生産をも抑制するといった発想は、素直には受け入れられないだろう。しかし、SDGsとはそういうことも考えるということなのだ。

<地産地消は工業製品の車にもあてはまる>
 現実的に今まず考えるべきは生産抑制の前にグッズ・マイレージの削減、すなわち物の移動を減らし、貿易量を減らすことである。
 ところが欧州議員との意見交換で私に与えられたテーマは「日欧EPA」であった。TPP、TPP11、日欧EPA、そして今の臨時国会で承認され2020年1月1日に発効する日米貿易協定と、自由貿易ばかりが声高に進められている。一方WTO(世界貿易機構)はアメリカが上級審の委員の選定を拒否し、機能停止に陥っている。その前にトランプはNAFTA(北米自由協定)を目の敵にして見直している。車で言えば、アメリカ人の乗る車はアメリカ人がアメリカで製造した車であるべきだという、もっともな理屈である。アメリカ・ファーストをもう一つくだけた言い方をすると、「アメリカ人を雇い、アメリカの物を買う」ということである。つまり物の移動をなるべく少なくする地産地消は、実は工業製品にもあてはまるのだ。もっとわかりやすく言えば、何でも最終消費地の近くで生産するのが最も合理的だということである。
 グッズ・マイレージの概念は、長らく金科玉条とされてきた、比較優位に基づく国際分業論や自由貿易の論理と正反対のものなのだ。その国の国民の必要とするものは、自国で造ったほうが理に適っているという論理だからである。

<世界から冷笑される日本の遅れた環境意識>
 戦後、鉱物資源を輸入し、それを加工して輸出するという加工貿易立国でのし上がってきた日本は、今や心して方向転換を図るべき時を迎えたのである。それにもかかわらず、まだ日本は20世紀の成長路線の延長線上にあり、マドリードで開催されたCOP25でも、化石のような古い考え方との揶揄を込め、地球温暖化対策に前向きな取り組みを見せない国に送られる不名誉な賞「化石賞」に2度連続して輝いている。先進国で唯一いまだ石炭火力に固執し、原発も捨てきれないでいるからだ。

<環境委員会で日本の環境政策を質す>
 鳴り物入りで、男性では戦後最年少で閣僚になった小泉進次郎環境相には大胆な方向転換を期待したが、「脱石炭」に踏み出す表明もできず、国際的には何も発信できなかった。国際舞台のデビューをみるかぎり、前途は多難のようである。
 私は、公平中立を保つため質問のできない懲罰委員長を1年半務めていたが、昨秋から環境委員会に所属している。次期通常国会で、小泉環境相に注文をつけていくつもりである。

2019年12月21日

【台風19号水害シリーズ4】 推論:立ヶ花狭窄部がなぜできたか -太平洋のプレートが長野盆地の真ん中の千曲川を西の隅に追いやった- 19.12.21

<私の科学的空想癖>
 私は文化系ないし社会科学系の法学部で学んで、法律職の国家公務員試験を受け農林水産省に入省し、30年間仕事をしてきている。仕事で理科系、自然科学系の知識や思考が必要とされる場面がないこともなかったが、大半が予算を作るとか法律を通すとかのいわゆる事務的な仕事である。ただ、昔から科学的思考ないし空想(?)は大好きで色々頭の中で考えてはひとりで楽しんでいた。

 そうした中、1976~78年の2年間のアメリカ留学の前半では海洋総合研究所(IMS)の海洋法コースで科学の一端を学ばせていただいた。専門の法律は言葉の問題があり、知識はあるのに疲れる講義だったが、海の仕組みや魚の生態は、言葉が少々わからなくとも実態が目に浮かんでくるので、すんなり受け入れられた。興味津々の事柄が多く、改めて法律だとか役所仕事ではなく理系で研究者になったほうが良かったのではという気持ちになった。

<根拠は理学部図書館、そして雑誌のむさぼり読み>
 実は、法学部の授業例えば民法の債権と商法になると、手形・小切手も見たこともなく金儲けにも興味がなかったので、講義も上の空でピンとくるものはなかった。3畳一間の西日のガンガン当たる安下宿ではなかなか集中して勉強ができず、本部の図書館も大きくてうるさいので、500円で先輩から譲り受けた自転車に乗り下宿に近い京大北部キャンバスの理学部の図書館を根城としていた。
 理系は研究室があり、図書館で勉強をする人は少く、大半が私一人だった。もともと退屈していたので雑誌の棚から「科学朝日」「自然」「NATIONAL GEOGRAPHIC」「英科学誌ネイチャー」等を読み漁った。というより、頁をめくって好きなところを読むだけなので疲れることはなかった。バックナンバーも揃えているので、連載物は集中して読むことができた。物理とか化学というものには全く目が行かず、興味の中心はやはり生物であり土地だった。不思議なことに法律のことはあまり残らなかったが、科学本の内容は今も覚えており、農林水産省での仕事にかなりヒントを与えてくれた。

<衝撃のプレートテクトニクス理論>
 IMSの授業で衝撃的だったのものの一つが、「大陸移動説」「プレートテクトニクス理論」である。
 地球の表面はプレートと呼ばれる10種類近くの硬い岩板によって覆われており、地球内部が冷却するために発生したマントルの対流運動によって動き、その動きにより圧縮・膨張などにより、地震が発生するというものである。そしてこの理論は世界地図を見てパズル好きでなくても誰でも気付く、南米大陸のでっぱりとアフリカ大陸の凹みが同じ形であることに興味を持った、科学者ヴェーゲナーの推論から始まっていた。
 つまり、かつては同じ大陸だったものがだんだん離れていったというものである。二つの大陸の岩石層が同じであったり、化石により太古の植物も同じだったという事象が一つ一つ確認されていった。私が学んでいた1976~78年の頃は、一般的には顧みられなかったヴェーゲナーの説が見直され、それを違った形で発展させたプレートテクトニクス理論が形成されつつあった。

<地震はプレートのぶつかり合いで生じる>
 その後、プレートテクトニクス理論は通説となった。
 2011年3月11日14時34分に発生した東北地方太平洋沖地震(以下、「東日本大震災」という)は太平洋プレートが陸のプレートの下に沈み込む時に発生した活断層型地震で、規模は2005年の阪神淡路大震災の1,400倍以上、世界観測史上4番目の規模(震度7、マグニチュード9.0)となった。このことは繰り返し報道されたので、大方の人が承知するところとなった。
 今後予想される南海トラフ地震も同じメカニズムで発生する。また、これとは少々違った形だが、インド洋の南のプレートがユーラシア大陸にぶつかり大陸を押し上げてヒマラヤ山脈ができあがっている。

<100年に一度の善光寺地震>
そして本論の立ヶ花狭窄部である。世界のどの大河も盆地であれ平野であれ谷であれ、それらの真ん中を流れている。誰もが盆地の中心を流れる千曲川が、立ヶ花で突然隅っこ流れるようになるのが不思議に思えるはずである。
 1847年5月8日に善光寺地震(善光寺震度5、マグニチュード7.4)が発生した。飯山市常郷付近から筑北村にかけた長さ74kmの長野盆地西縁断層帯(信濃川断層帯)で、北西側が南東側に対して2~3m隆起する逆断層帯地震により、8,600人強の死者、2万1,000軒が全壊、3,400軒が焼失したという。また、北海道厚真町と同じく、山崩れが松代藩内だけでも4万2,000箇所発生した。更に各地斜面の崩壊により、河道閉塞が生じ巨大な堰止め湖ができ、多くの集落が水没し、その後の決壊により下流で浸水被害も多く発生した。
 プレート同士のエネルギーの偏り具合から、地震は約1000年に一度発生すると見られている。そして立ヶ花狭窄部は、かなり昔の善光寺地震で同じような巨大な堰止め湖ができ、それが一気に流れた折に偶然旧豊田村と中野市のあいだのいわば渓谷のような狭いところに流れ込み、それがずっと続いている、と教わったこともある。そして私もプレートテクトニクス論を学ぶまではそう信じていた。

<松代群発地震の大元はプレートのおしくらまんじゅう?>
 以下はプレートテクトニクス理論に基づく私の素人的推論である。
 太平洋プレートが1年に6~8cmずつ北西移動しており、その上に位置するハワイは少しずつ日本に近づいている。すると約8000万年後、日本列島とくっついてしまうことになる。8000万年は300万年の歴史しかない人類の時間軸からみると、長くて想像がつかないが、46億年という地球の歴史からすれば、ごく短い期間かもしれない。
 となると、日本列島の形成や、長野の山々の形成もプレートが深く加わっていることになる。日本列島では、4つのプレート(太平洋プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、北米プレート)がぶつかり合っており、それが故に世界の地震の相当の割合(約10%)が発生している。反対にヨーロッパは岩大陸の上にあり、地震は殆どないに等しい。アメリカは環太平洋火山帯(The Ring of Fireと呼ばれる)の西海岸はもともと地震が多い。更に断層の動きも激しく、カリフォルニア半島は今も大きくずれており、いつか大陸から離れるという。
 わたしの高校時代、東京オリンピック(1964年)の翌年から5年間も続いた松代群発地震で木造の校舎がしょっちゅう揺れていた。日本の屋根・長野県は4つのプレートがひしめき合う場所である。松代地震の原因に関する専門の論文も何も知らないが、私はプレート同士のおしくらまんじゅうにより引き起こされていたのではないかと考えている。これが近年では2004年中越地震、2007年中越沖地震、2011年長野県北部地震、2014年神城断層地震と震度6クラスの強い地震につながっているのではないか。

<太平洋プレートに押しまくられてできた長丘丘陵が千曲川本流を西端に追いやる>
 上記の信濃川断層帯は、私の生まれ故郷田麦の長丘丘陵沿っている。つまり長丘丘陵は断層の造り出した丘でもある。このことから、かつては長野盆地の真ん中を流れていた千曲川が太平洋プレートに徐々に押され、いつの間にか10kmの渓谷に封じ込められたのではないか。8000万年でハワイが日本にくっつくというなら1千万年の間に千曲川の流れが変わることなどすぐ起こることである。松代群発地震も立ヶ花狭窄部も1970年代に定着したプレートテクトニクス理論で説明がつくのではないのかという素人推論である。いつか専門家に検証してもらいたいと思っている。