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【新型コロナウイルス感染症シリーズ11】 9月入学の議論はコロナ対策には不要不急の議題(休校・9月入学 2) - 感染拡大阻止で医療崩壊を防ぎ、困窮者と困っている企業の支援が先 -  20.05.06

<反論1: 9月入学は議論し尽くしている>
 全国一斉休校以来続く長い休校の後をどうするかという議論に際して、学習の遅れを調整するためというならまだしも、グローバル・スタンダードに合わせて9月入学に、などと付け加えられると鼻白んでくる。

 最近では、2011年に東大が外国留学等を理由に一時やろうとしたことがある。しかし、大学だけ、東大だけということもあり頓挫している。
 私は農水省の若手・中堅の頃は、いわば臨機応変の対応ができる何でも屋として使われていた感があり、鈴木内閣の総合安保担当室に続き、中曽根内閣の臨教審事務局にも出向させられた。そこでも9月入学の議論があった。1987年のことである。その後、2012年の安倍内閣でも取り組んだ。保守派ないしタカ派は好んで教育改革に取り組もうとする性癖があるようだ。しかし、いずれも実現しなかった。要するにそういう代物ないし際物なのだ。

<反論2: 法科大学院の惨状を見るがいい>
 最近の教育制度の改革でいえば、アメリカン・スタンダードに合わせた法科大学院が惨憺たる結果となっているのを思い出してほしい。文化や社会の違いを見定めないと大失敗になる。
 入学時期をずらすとなると、就職や他の諸々の節目も大きく変わってくる。もし国際基準というなら、会計年度もアメリカに合わせようというのだろうか。私にはとてもまともな議論とは思えない。

<反論3: 世界の入学時期もまちまちで柔軟に対応>
 欧米諸国や中国など9月入学にしている国が多い。外国人留学生の受け入れと言うが、豪、シンガポールは1月、ドイツは8月、インドは12月と世界はまちまちなのだ。9月入学に固執する人たちは、アメリカ等しか頭にないのだろうか。
 また、同じアメリカの大学でも、3学期制と2学期制があり、学部の変更もすんなり受け入れられる。また、他の大学との行き来も2学期は認められ単位も互換性がある等、融通がきいている。複数の学部の授業を受けて一挙に3つの博士号を取得することもできる。頭が固いのは日本の大学であり、別に9月入学にしなくともやり方を変えるだけで本来の目的は達成されるのだ。
 それから就職等は、欧米では何も卒業の時に一斉ではなく、個々人が自分に合った時にしており、企業も柔軟に対応している。

<反論4: 必要なら平常時に議論すべし>
 9月入学が本当に必要ならば、コロナ騒ぎが落ち着いてから冷静に議論すべきである。与野党ともこれがいいあれがいいとバナナの叩き売りのように政策を羅列し、国民に媚びを売っているようにしか見えない。一部の野党が、次から次へと悪乗りしたアイデアを並べ立て、いかにも「やっている感」を出して存在感を高めんとしているが、まず政府の暴走をチェックするのが仕事である。本当に必要な政策を求めている国民の目は節穴ではない。
 新型コロナウィルス感染が9月までに終息していなかった時はどうするのだろうか。スペイン風邪は第2波の方がひどく、収まるのに3年かかっている。新型インフルエンザも1年半かかっている。その時は、また学習の遅れを調整するため4月入学に戻すというのだろうか。

<逆提案1: 小池都知事のいう大改革なら大学を地方に移転すべし>
 最近やたらと発信の多い小池都知事は、このコロナ騒動の中心人物になりつつあるが、この問題でも「教育をはじめ社会全体のシステムを変えるきっかけにすべきだ」と9月入学にも賛成論を述べている。総論には大賛成である。
 だとすれば、三密を避けるために東京都に大学が集中しているのを真っ先に是正すべきである。オックスフォードもケンブリッジもロンドンにはなく、ハーバードもブリンストンもNYにない。経済活動には一極集中が効率的であり、どの国にもビジネスの中心都市は存在する。しかし、日本のように大学までが首都東京や大都市に密集している国はない。学問を究めるにも学生が勉学に身を入れるにも、大都会の喧騒はむしろ邪魔なのだ。それを文科省が23区内の大学の定員増を認めず、地方に分散すべしと言い出した時に、屁理屈を並べ立てて猛反対していたのはどこの誰なのか。
 早々とどぎつい「ロックダウン(都市封鎖)」まで持ち出し新型コロナウィルス肺炎の危険性を力説した。その延長線で三密を避けるべく、まず、東京の大学を地方に移転し自ら実践してほしいものだ。それこそ教育システムの改革であり、もっと大きなグローバル・スタンダードに合わせることになる。

<逆提案2: 過疎地の小規模校を復活させるべき〉
 東京や大阪の知事が9月入学を主張している。地方の県知事(静岡、山口、愛媛、栃木、富山等)はこぞって慎重な意見なり反対意見を述べている。一斉休校と同じ都市の勝手で地方・田舎も一律に決められてはたまらない。変えるのならば、地方に思いを馳せた改革にすべきである。
 その反対に過疎地の小学校の統合をやめるべきである。もともと分散登校などしなくてもよい位の人数しかおらず、教室のスペースも十分あるのだ。幸いなことに、思い出のいっぱい詰まった校舎はそのまま残されているケースが多く、それを再利用すればよい。スクールバスに乗って統合された大きな小学校へ行くのは、濃厚接触をさせていることになる。歩いて通えてゆったり学べる小規模校こそ、A.C.(アフター・コロナ)の新しい生活様式であろう。今ならまだ間に合う。そして、何よりの地方創生になるのだ。
 小学校がなくなることが過疎地に追撃を与え、限界集落から崩壊集落へと突き落しているのだ。我々は大事な時にいつも過疎地や離島のことを忘れている。なぜもっと優しくなれないのだろうか。

<反論5: どさくさに紛れて憲法の緊急事態条項も議論するというのか>
 コロナ危機に乗じて緊急事態条項についての憲法論議をすべしという与党の動きに対して、野党はこぞって反対している。どさくさに紛れてすることではないからだ。それと9月入学は今こそこの機会に検討して導入すべきというのは明らかに矛盾している。今は憲法にも9月入学にも取り組んでなどいる余裕はない。国民に「不要不急」の外出を自粛させるなら、政府も国会も「不要不急」の無用な論議は慎まないとないとならない。
 こんなことを言うと憲法問題に熱心な人たちに叱られるかもしれないが、自衛隊のことが憲法に書かれていようがいまいが世の中変るときは変るし、変らない時は変らない。それに対して4月入学が9月入学になると、それこそ日本の諸々の行事や仕組が大きく変ってしまうことになる。

<反論6: 崩壊官邸も英語試験民営化でまごつく文科省にも当事者能力なし>
 皮肉なことに、今や強化されすぎた官邸は機能麻痺状態であり、「官邸崩壊」の感がある。付け焼刃の経済政策で株価高を売りにしてきただけの安倍内閣に、大事な教育など任せられない。
 まして英語試験の民営化であれだけの茶番劇を演じた文科省なり萩生田文科相に、諸々の問題が付随する9月入学への転換が取り仕切れるはずがない。
 ここは政府も国会も一丸となって、感染防止に努め医療崩壊を防ぐことを最優先していくべきである。そして次は困窮者支援、企業の救済である。9月入学などに血道を上げている時ではない。