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2020年5月 6日

【新型コロナウイルス感染症シリーズ11】 9月入学の議論はコロナ対策には不要不急の議題(休校・9月入学 2) - 感染拡大阻止で医療崩壊を防ぎ、困窮者と困っている企業の支援が先 -  20.05.06

<反論1: 9月入学は議論し尽くしている>
 全国一斉休校以来続く長い休校の後をどうするかという議論に際して、学習の遅れを調整するためというならまだしも、グローバル・スタンダードに合わせて9月入学に、などと付け加えられると鼻白んでくる。

 最近では、2011年に東大が外国留学等を理由に一時やろうとしたことがある。しかし、大学だけ、東大だけということもあり頓挫している。
 私は農水省の若手・中堅の頃は、いわば臨機応変の対応ができる何でも屋として使われていた感があり、鈴木内閣の総合安保担当室に続き、中曽根内閣の臨教審事務局にも出向させられた。そこでも9月入学の議論があった。1987年のことである。その後、2012年の安倍内閣でも取り組んだ。保守派ないしタカ派は好んで教育改革に取り組もうとする性癖があるようだ。しかし、いずれも実現しなかった。要するにそういう代物ないし際物なのだ。

<反論2: 法科大学院の惨状を見るがいい>
 最近の教育制度の改革でいえば、アメリカン・スタンダードに合わせた法科大学院が惨憺たる結果となっているのを思い出してほしい。文化や社会の違いを見定めないと大失敗になる。
 入学時期をずらすとなると、就職や他の諸々の節目も大きく変わってくる。もし国際基準というなら、会計年度もアメリカに合わせようというのだろうか。私にはとてもまともな議論とは思えない。

<反論3: 世界の入学時期もまちまちで柔軟に対応>
 欧米諸国や中国など9月入学にしている国が多い。外国人留学生の受け入れと言うが、豪、シンガポールは1月、ドイツは8月、インドは12月と世界はまちまちなのだ。9月入学に固執する人たちは、アメリカ等しか頭にないのだろうか。
 また、同じアメリカの大学でも、3学期制と2学期制があり、学部の変更もすんなり受け入れられる。また、他の大学との行き来も2学期は認められ単位も互換性がある等、融通がきいている。複数の学部の授業を受けて一挙に3つの博士号を取得することもできる。頭が固いのは日本の大学であり、別に9月入学にしなくともやり方を変えるだけで本来の目的は達成されるのだ。
 それから就職等は、欧米では何も卒業の時に一斉ではなく、個々人が自分に合った時にしており、企業も柔軟に対応している。

<反論4: 必要なら平常時に議論すべし>
 9月入学が本当に必要ならば、コロナ騒ぎが落ち着いてから冷静に議論すべきである。与野党ともこれがいいあれがいいとバナナの叩き売りのように政策を羅列し、国民に媚びを売っているようにしか見えない。一部の野党が、次から次へと悪乗りしたアイデアを並べ立て、いかにも「やっている感」を出して存在感を高めんとしているが、まず政府の暴走をチェックするのが仕事である。本当に必要な政策を求めている国民の目は節穴ではない。
 新型コロナウィルス感染が9月までに終息していなかった時はどうするのだろうか。スペイン風邪は第2波の方がひどく、収まるのに3年かかっている。新型インフルエンザも1年半かかっている。その時は、また学習の遅れを調整するため4月入学に戻すというのだろうか。

<逆提案1: 小池都知事のいう大改革なら大学を地方に移転すべし>
 最近やたらと発信の多い小池都知事は、このコロナ騒動の中心人物になりつつあるが、この問題でも「教育をはじめ社会全体のシステムを変えるきっかけにすべきだ」と9月入学にも賛成論を述べている。総論には大賛成である。
 だとすれば、三密を避けるために東京都に大学が集中しているのを真っ先に是正すべきである。オックスフォードもケンブリッジもロンドンにはなく、ハーバードもブリンストンもNYにない。経済活動には一極集中が効率的であり、どの国にもビジネスの中心都市は存在する。しかし、日本のように大学までが首都東京や大都市に密集している国はない。学問を究めるにも学生が勉学に身を入れるにも、大都会の喧騒はむしろ邪魔なのだ。それを文科省が23区内の大学の定員増を認めず、地方に分散すべしと言い出した時に、屁理屈を並べ立てて猛反対していたのはどこの誰なのか。
 早々とどぎつい「ロックダウン(都市封鎖)」まで持ち出し新型コロナウィルス肺炎の危険性を力説した。その延長線で三密を避けるべく、まず、東京の大学を地方に移転し自ら実践してほしいものだ。それこそ教育システムの改革であり、もっと大きなグローバル・スタンダードに合わせることになる。

<逆提案2: 過疎地の小規模校を復活させるべき〉
 東京や大阪の知事が9月入学を主張している。地方の県知事(静岡、山口、愛媛、栃木、富山等)はこぞって慎重な意見なり反対意見を述べている。一斉休校と同じ都市の勝手で地方・田舎も一律に決められてはたまらない。変えるのならば、地方に思いを馳せた改革にすべきである。
 その反対に過疎地の小学校の統合をやめるべきである。もともと分散登校などしなくてもよい位の人数しかおらず、教室のスペースも十分あるのだ。幸いなことに、思い出のいっぱい詰まった校舎はそのまま残されているケースが多く、それを再利用すればよい。スクールバスに乗って統合された大きな小学校へ行くのは、濃厚接触をさせていることになる。歩いて通えてゆったり学べる小規模校こそ、A.C.(アフター・コロナ)の新しい生活様式であろう。今ならまだ間に合う。そして、何よりの地方創生になるのだ。
 小学校がなくなることが過疎地に追撃を与え、限界集落から崩壊集落へと突き落しているのだ。我々は大事な時にいつも過疎地や離島のことを忘れている。なぜもっと優しくなれないのだろうか。

<反論5: どさくさに紛れて憲法の緊急事態条項も議論するというのか>
 コロナ危機に乗じて緊急事態条項についての憲法論議をすべしという与党の動きに対して、野党はこぞって反対している。どさくさに紛れてすることではないからだ。それと9月入学は今こそこの機会に検討して導入すべきというのは明らかに矛盾している。今は憲法にも9月入学にも取り組んでなどいる余裕はない。国民に「不要不急」の外出を自粛させるなら、政府も国会も「不要不急」の無用な論議は慎まないとないとならない。
 こんなことを言うと憲法問題に熱心な人たちに叱られるかもしれないが、自衛隊のことが憲法に書かれていようがいまいが世の中変るときは変るし、変らない時は変らない。それに対して4月入学が9月入学になると、それこそ日本の諸々の行事や仕組が大きく変ってしまうことになる。

<反論6: 崩壊官邸も英語試験民営化でまごつく文科省にも当事者能力なし>
 皮肉なことに、今や強化されすぎた官邸は機能麻痺状態であり、「官邸崩壊」の感がある。付け焼刃の経済政策で株価高を売りにしてきただけの安倍内閣に、大事な教育など任せられない。
 まして英語試験の民営化であれだけの茶番劇を演じた文科省なり萩生田文科相に、諸々の問題が付随する9月入学への転換が取り仕切れるはずがない。
 ここは政府も国会も一丸となって、感染防止に努め医療崩壊を防ぐことを最優先していくべきである。そして次は困窮者支援、企業の救済である。9月入学などに血道を上げている時ではない。

2020年5月 5日

【新型コロナウイルス感染症シリーズ10】地方は工夫しながら一刻も早く授業を再開すべき(休校・9月入学 1) - 学習の遅れは夏休み返上と学習指導要領・標準授業時数の修正で対応 - 20.05.05

<世界中で休校再開時に入学時期をずらす議論などしていない>
 30万円給付から一発逆転10万円給付になり、膨れ上がった補正予算が通った途端、次は9月入学の議論が沸騰している。国民の生活が苦しいからもっと手厚い救済措置を、というのならまだわかるが、9月入学はとってつけた話でしかない。政府側がわざわざコロナ対応の失政から目を逸らすといった批判を受けるといけないので、自ら検討しないと素直に(?)言っているのに、野党が飛びついている。信じがたい構図である。国民の関心をひきたいという見え透いた魂胆が見えてしまう。

 欧米諸国は、ようやく感染者数も減り始めたので、外出規制を解き学校も再開され始めた。しかし、しばらく休んでいて学習の遅れが生じたから、この際入学時期をずらすなどというとんでもない議論はしていない。「不要不急」ではないからである。

<子供は唐突な一斉休校の犠牲者>
 そもそも安倍政権の最初の大きなコロナ対策は、2月27日の突然の全国一斉休校である。通常は緊急事態宣言と同時なのに、1ヶ月以上早い。国民にとっては全く寝耳に水だった。最初に中国からの入国制限等の水際対策をしないとならないのに、しなくていいことを先にしたのだ。東京オリンピックと習近平主席の訪日が気になり、対策を打たず後手後手に回っていた状況を一気に覆そうとしたのだろう。犠牲になったのが子供であり教育である。
 経済対策と違い、一斉休校は国民生活の根幹に関わることである。官邸官僚(私はずっと「政僚」と呼んでいる)の入れ知恵で、萩生田文科相と菅官房長官も蚊帳の外の決定だったという。経済政策の乗りでの勇み足である。毎冬にインフルエンザの流行で、全国各地で学級閉鎖されたり学校閉鎖されるのと重みが異なる。

<休校の感染防止効果はもとから少なく>
 3月の一斉休校は、子供を感染から守るという大義名分で唐突に行われたが、感染蔓延防止にどれだけ効果があったのだろうか。
 西浦北大教授は、新型コロナウイルスは学級や友達同士で感染が拡がるインフルエンザとは相当違うとしている。また、世界各地の症例を見ても、欧州では高齢者施設での死者が4~5割であるのに対し、若者は感染者も少なく、死者はもっと少ないことがわかっている。日本でも20才未満の感染者は527人(3.8%)しかなく、重症者2人、死亡者ゼロである(4/28現在)。子供は無症状(不顕性)感染者になって免疫力の低い高齢者に移すことが懸念され、その機会を減らしたとは言えるだろう。他に国民を警戒させるというショック効果だけはあったかもしれない。しかし、卒業式も入学式もゴチャゴチャになり、徒に現場の混乱をもたらしただけだったのではないか。教育の機会を奪った責任は大きい。

<天然の隔離施設の過疎地の休校は全く不要>
 岩手県は 日本チベットと言われるだけあって今でも感染者ゼロ、2月下旬は長野県もゼロ。私の選挙区で過疎地区を担当する秘書が、「登下校で人に会いたくても会えず、猿や狸に会う機会のほうが多い地区の小学校がなんで休校しなくてはいけないのですか。(まだ8割接触削減とか、三密を避けるとか言われていなかったが)教室でも20人もいればいいですが、数人。山に囲まれた天然の隔離施設にいるようなものなのに」と、東京の大都会のことしか考えていない愚策に憤慨した。
 私の秘書を長くしていると、どうやら発想も似てくるようである。

<地方の現場に責任を転嫁するずるい手法はしてはならない>
 4/22現在休校率は公立校93%に及ぶ。諸外国の国民と比べ『お上』のすることに従順な日本では、強制もしていないのにほとんどが従った。私は感染者の少ないあるいはゼロの県や市町村は、卒業式までは休校にしない学校が多いと予想していたが、日本の「同調性」がこれ程とは思わなかった。首長も休校しないでおいて感染者が増えた場合のことを恐れ、独自路線はとらなかったのだろう。日本人のこうした横並び意識に乗じて、責任を現場に転嫁する狡い手法である。

<学習指導要領を修正すれば足りる>
 二言目には学習の遅れ、そして教育格差という言葉が出てくる。全国が一斉に遅れたのである。文科省の定めた学習指導要領を金科玉条としているから対応がおかしくなる。この1~2ヶ月の遅れを勘案して、学ばせるべき事項を選び直して、それに合わせて標準授業時数を今年に限り少なくすればすむことである。パンデミックという異常事態である。戒律の厳しいイスラム教のラマダンもモスク礼拝なしとしている。先輩たちより学習内容が少なくなっても、今後の人生に大きな狂いなど生ずるはずもない。9月入学を国際標準というが世界165ヶ国で大半が緊急事態・非常事態宣言をしており9割が休校していた。何も慌てることはない。

<遅れたIT化のツケ> 
 問題は一斉休校で地域や家庭によって学習の進み具合に格差が生じてくることである。
 在宅のオンライン授業も、公立小中学校で家庭学習で取り組んでいるのは全体の29%だという。休校が長期化すると、おいそれと遅れは取り戻せない。これもOECD加盟国でも教育予算の割合が最低の部類に属するという怠慢のなせる業である。更にデジタル機器の使用も国・数・理でOECD加盟国中最下位という。教育のICTに本気で取り組んでこなかった報いが今になって生じてしまったのだ。
 文科省は2023年度を目指していた、パソコンなど学習用端末の「1人1台」の実施時期の前倒しを慌てて補正予算に組み込んだが、too lateで今の状況の改善には間に合わなかった。

<都市と地方のICT環境の差>
 オンライン授業の機器が揃っており、いざとなったら塾もある都市部と塾もなく学習機器もない地方との教育格差等も問題になる。
 ここでも地方と都市は分けたらよい。地方は分散登校、距離をおいた机の配置、換気、休憩時間の分散等工夫をしながら再開し、感染者が出たら直ちに休校するとかルールを決め、柔軟に対応することだ。上述の秘書の言うとおり、人にもそれほど会わないし、教室は人口減で余裕がある。
 ただ、密な東京はそうはいくまい。しかし、財政事情が違う。渋谷区では端末タブレットの貸与が全員に行われており、オンライン授業もそう難しいことではない。少し遅れても優位なIT端末を活かして追いつくようにしたらよい。もう一つうがった見方だが、都市部は核家族化が進み、三世代同居は多くない。たとえば、高齢者への感染に注意して授業を再開しても大丈夫ではないか。本来は遅れた地方優先だが、なんなら休校が長びく都市部を優先的にICT化してもよい。

<各県と各市町村の工夫にまかせればよい>
 感染予防と教育機会の確保の両立の狭間でいろいろな解決策を考えなければならない。そういう点では、文科省が小1・小6・中3を先行して再開させると通知するというのは現実的な対応として理解できる。ベストは国が一律にあれこれ指図するのではなく、各都道府県そして市町村に任せることだ。長野市は休校期間をとりあえず10日まで延長して様子を見ている。岡谷市は授業日数を確保するために土曜日の7時間授業や夏休みの短縮、といった具合でそれぞれ工夫して対応しようとしている。東京でも世田谷区は分散登校をしている。何も国や県が一律に決めつける必要はない。

<地方分権の下、長野県の小中学校は11日授業再開が順当ではないか>
 5月4日の政府の単純な緊急事態宣言の延長に対し、岩手、宮城、高知は延長しないと決めた。従って休校もやめ、授業が再開される。それに対して長野県は学校は再開すべきなのに16日とか23日とか優柔不断な対応をしている。地方分権がいわれ、地域の実情に合わせた柔軟な対応が求められているのだ。長野県で休校を緊急事態宣言に合わせ31日まで続ける理由は存在しない。小中学校は市町村立である。子供断ちの学びの機会をこれ以上奪ってはならず、11日再開が順当ではないか。

<工夫はいくらでもできる>
 今までの休校を長い春休みと考え、夏休みを返上し、土曜日も返上してやればよいのではないか。確かに子供たちの負担は大きいが、やってみるしかない。こう言うと13都道府県は休校を続けなければならず遅れを取り戻せないという反論があろう。しかし、高校入試は基本的に都道府県ごとで実施され、バラツキをなくすことができる。大学は遅れた分に合わせて出題してもらうなりして凌げるのではないか。
 英語入試の民営化問題の時に、地方の受験機会が減るという指摘に対して萩生田文科相は「身の丈に合った」と発言し、物議を醸したが、今こそ「地域の実情に合った」対応をしてよいのではないか。

<休みをひと工夫できる>
 休みのことで言えば、私の小中学校時代は、全国と違い1月下旬から2月上旬に寒中休み、6月下旬に田植え休み、8月1日から16日まで2週間だけの夏休み、そして秋10月に稲刈り休みだった。つまり気候に合わせ(寒中休みと短い夏休み)、農作物に合わせて(春秋の作業休み)休んでいたのだ。ほとんど農家ばかりで、小学生とて大事な労働力だった時代である。児童労働とか働き方改革などあさっての話だった。
 こういう前代未聞の時は、夏休みも返上して集中して授業をしたらよい。パンデミックの時には、休日など無いと考えてもよいのではないか。東京が暑すぎるというなら、校舎もまだ残っている廃校になった過疎地の学校に来たらよい。それをお金持ちの東京都が援助すればよい。例えば長野県にはスキー民宿もたくさんあり、収容能力は高い。連休に観光客に来てもらわなかった分、旅館・ホテルも喜んで受け入れるだろう。世の中、休校で数ヶ月授業がなかったからといって騒ぎすぎのような気がする。

2020年5月 4日

【新型コロナウイルス感染症シリーズ9】緊急事態宣言継続は13都道府県に限定 - 地方は解除して各県に任せ、都市と地方の移動は厳しく制限して地方の感染拡大を防ぐ - 20.05.04

<戦前戦後、そして新たなB.C.とA.C.>
 2011年の大震災に続き感染症の大流行である。平均寿命80余年の人生でこうした大擾乱に2度も出会すことは希である。日本では戦前・戦後と一区切りされる。私は東日本大震災が日本人の価値観にも大きな影響を与えると予想したが、相変わらずの経済成長一辺倒の傾向は変わることがなかった。しかし、今度は違う。もう世界ではBefore Corona(B.C.), After Corona(A.C.)と世界の暦、紀元前と西暦に合わせた論調が見られる。

 折りしも今年はパリ協定のCO2削減の運用開始元年、22世紀に向け平均気温が2℃も上がらないように生き方自体を変えるきっかけとなる年にしてほしいと願っている。不幸にもグレタ・トゥーンベリが忌避した航空便は、各国の入国禁止によりごく僅かしか運行していない。今は已むを得ず環境に悪影響を与える移動手段が止まっているが、いずれ世界は主体的に移動を自制しなければならなくなるだろう。

<台湾の成功は初動の厳しい入国規制による>
 日本では、出遅れを今になってカバーすべく、全国向けの緊急事態宣言が5月4日の専門家会議の後にそのまま1ヶ月延長されようとしている。
 私は2018年秋に発生した豚コレラ(豚熱)そしてアフリカ豚コレラ(アフリカ豚熱)の中国からの侵入を防ぐため、声高に厳しい水際対策を主張し続けていた。そこに2019年末、突然新型コロナウイルスが中国で猛威を振るい始めた。台湾は正月を返上し、すぐさま武漢からの帰国者に検査を強い、中国からの入国を禁止する措置をとった。中国と最も近く交流も頻繁な台湾が、感染者僅か429人、死者6人(4月27日現在)にすぎないのは、国境を跨ぐ厳格な移動制限による。何事も初めが肝腎であり、その後もPCR検査の徹底、ITを駆使したマスクの配布体制と世界の絶賛を浴びる見事な対応である。台湾の人口は2378万人、日本の人口1億2600万人に換算すると感染者2272人(日本1万4,860人)、死者33人(日本517人)とそれぞれ7分の1と17分の1にすぎない。速やかな移動制限、すなわち中国からの入国禁止を素早くしたからである。

<感染防止は移動制限が肝腎>
 このように感染症の蔓延防止は一にも二にも移動制限である。実効再生産数(1人が感染させる平均人数)なる専門用語も新聞紙上を賑わすようになり、感染防止には緊急事態宣言を出して外出規制するのが常套手段として使われている。手法は中国の強権発動、欧米の罰則付きの都市封鎖もあるが、日本は自粛オンパレードである。いわば伝家の宝刀である。しかし、伝家の宝刀をむやみやたらに振りかざされたらたまらない。感染症にかからなくても仕事ができず生きていけなくなるからだ。そこで重要になるのは、経済・社会活動と感染防止の両立である。

<政府の対応ミスを国民に押し付けてはならず>
 日本の全ての混乱は、経済重視、五輪中止回避、習近平訪日への気掛かりの「ちゅうちょ」三重奏で、初動の入国制限(国境)と移動制限(国内)が完全に遅れていたことにある。だから今はそのツケが回り、困ってはいるが、幸いに感染者数も死亡者数も、欧米諸国よりはずっと少なく済んでいる。罰則付きの厳しい外出制限をしていた欧米諸国は、最も被害の大きいアメリカですら諸々の制限を解除しようとしているのに、日本だけが延長しようとしている。初動の遅れとその後の検査体制の不備といった政府のミスを、それこそ素直で従順な国民の行動を縛ることで取り戻そうとしている。政府を信用しないアメリカではデモが頻発している。それに対してモリカケ問題等で信用は失墜しているというのに、日本ではデモも起こらず政府の判断を待っている。為政者にとってこんなに楽なことはなかろう。しかし、政府を甘やかし過ぎてはならない。ほっておいたらまた間違えるからだ。

<各都道府県の事情により徐々に解除が自然>
 2月27日の唐突な一斉休校に続いた全国一斉の緊急事態宣言は、特別警戒都道府県(なり感染が継続して出ている県)を除き解くべきである。そして、休校なり経済活動再開の判断は各県に任すべきである。その一方で特別警戒都道府県は県間移動制限をより厳しくして継続すべきである。
 アメリカは、連邦政府の外出規制が4月末で切れ、各州が感染状況などに応じて段階的に解除しつつある。全米50州のうち27州が経済活動再開に向けて動き出している。つまりニューヨークとモンタナやワイオミングは対応が違うということだ。

<都市と地方の間の移動制限は厳しくする>
 日本の感染防止の成否の鍵は、都市から地方への新型コロナウイルスの流れを止めることにある。フランスでは5月11日から段階的に外出禁止を解除し、100km以内の移動は自由としたが県を跨ぐ移動などは特別な理由がある場合を除き認めない。感染者がパリ周辺と東部に偏っているからだ。新型コロナウイルスは正直者である。三密の大都会、NY、東京、パリ、モスクワ等で猛威を振るっている。だから大都会を押さえ込むのが最善の策なのだ。

<示唆に富んだ10年前の予言書>
 感染症を扱ったカミュの『ペスト』(1947)が15万部増刷され、累計100万部を突破したという。私は日本の作家高嶋哲夫の『首都感染』(2010講談社)も涙を流しながら一気に読了した。
 主人公瀬戸崎優司は、WHOで感染症対策で実績を上げ帰国。都内の黒木病院の勤務医。ワールドカップ開催中の中国でH5N1の強毒性の鳥インフルエンザが発生。病院の受け入れ態勢をしく。別れた妻の父高城厚労相から呼び出され官邸の対策チームの一員に加わる。父雄一郎は総理。優司が陣頭指揮をとり、ワールドカップからの帰国者の隔離、外国人の入国制限と次々と手を打つ。

<東京封鎖で日本を救う>
 自衛隊・警察の全面協力で荒川、環八、多摩川といった線で一気に鉄条網もしき、一瞬にして首都と地方との交通を遮断。首都を犠牲にして地方を守る手段に訴えたのだ。世界中で蔓延し、致死率が高く何百万人と死者が続出する中、全国への蔓延を阻止せんとする。反発はあったが高城厚労相に全てを任され、更に父の総理の支えもあり成功する。黒木病院の健気な看護師由美子も感染、死の一歩手前で新しい治療薬(今でいえばレムデシビルか)が異例の速さで日本にも届き、間一髪のところで助かる、という人間ドラマもあるが、極め付きは完璧な「東京封鎖」である。驚くほど今の状況とそっくりなのだ。

<今度ぐらいは都会に我慢させてもよいのでは>
 つまり、小説では首都東京を犠性にして日本を救ったのである。今回はそれほど強権発動でなくともよいが、川勝静岡県知事は「静岡に来ないで」と言い、阿部長野県知事も380万人の連休の観光客を諦め、「信州の観光はお休み中」と訴えている。更に九州では福岡を除いた県が県間移動制限をしている。大都市に我がままをさせないための已むを得ない措置である。国が大都市寄りのなまくらな措置しかとらないのに業を煮やした地方の知事が、自衛手段に出たのである。県民を守るために許されて然るべきである。
 明治以降、特に戦後はずっと都市偏重の政策が続き、地方からは人も富も都市に行ってしまったといえる。だから、こんな時ぐらい少しは都市に我慢してもらっても罰は当たらない。総じてまじめな地方の人は東京や大阪には出てこない。地方への感染拡大を防ぐには逆の流れを阻止することである。

2020年5月 1日

【新型コロナウイルス感染症シリーズ8】感染拡大・医療崩壊阻止の為、医療総動員体制が必要(マイナンバー2) -この機会に収入捕捉のためにマイナンバー直結納税・口座を実現-20.04.30-

 何事にもきちんとして、例えば電車やバスを時間通り運行し、犯罪も少なくゴミ出しの複雑なルールも守り切る日本で、なぜ欧米社会に定着しているマイナンバーのような制度が定着しないのか疑問に思う。
 給付とか社会保障とかからむと、決まって収入の捕捉がネックとなる。収入捕捉がきちんとなされていたら、給付を受ける者が申請ではなく通知をもらうだけですむことになる。

<こんな緊急時に9月入学式が論じられる不条理の国日本>
 給付問題がひと段落したら、今度は飲食店等の家賃支払いについて、与野党入り乱れてやれ直接補助だ、支払い猶予だとしのぎを削っている。加えて、やはり30万円も必要だ。学生のアルバイト、授業料だと要求が続く。更に小中高校から大学まで休校状態が続いているが、その延長線上で9月入学という議論が始まったが、血迷っているとしかいいようがない。こんな時に替えるべきではなく、もっと冷静に決めるべきである。多分、世界中で感染防止や医療支援をそっちのけで入学時期の変更などに血道を上げている国はあるまい。
 そもそも感染症対策でいきなり一斉休校が飛び出し、その後にすぐ困った家庭の休業補償問題が噴出した。確かに、子供が家にいて働けなくなった両親の収入確保も大事だが、新型コロナウイルスの蔓延を防ぐのが主目的のはずである。ここでも母親が面倒みるために仕事に行けなくなる、その収入減をどう補償するかがまず問題になった。

<プライバシー保護を口実にすることなかれ>
 台湾や韓国ではクレジットカード、交通カード、携帯電話の位置情報等を使って感染者の行動記録を公開して、新型コロナウイルスの拡散を防いでいる。問題はいつも言われているように、個人のプライバシーの保護であり、監視社会化に対する歯止めであるが、こうした緊急事態にIT化された仕組みを活用している。そうした点では、日本でもオンライン化した緊急給付にマイナンバーをどのように活用できるかをよく考えて、できることから始めるべきである。公平性を保ち、手続きを簡素化するにはマイナンバーが必要である。個人も企業も副業による収入も捕捉されるのは嫌だ、という理由があるようだが、そうした負の側面は、別途今後厳しく律していく以外にない。

<10万円一律は不要(不急?)の人にも行く不公平>
 30万円案では、2~6月のいずれかの月収とそれ以前とを比べ、年収換算で住民税の非課税水準(150~200万円)まで減少した者といったややこしい条件があり、それが嫌われた。これで具体的に30万円の給付と10万円の給付と比較してみる。収入が15万円以下になった子一人のシングルマザーは、30万円給付されたのに20万円しかもらえなくなる。逆に4人世帯で収入が1000万円で貰えなかったのに、40万円も貰えることになる。これでは、やはり不平等である。筋として本当に困った者に30万円給付するのが正論である。
 そんなことを言っても、2~6月でいずれかの月の年収換算で住民税の非課税水準までわからない、といった言訳がすぐになされよう。順序は逆で、それならば条件をマイナンバーの直結納税・口座システムで区別がつく条件にすればすむことである。
コロナ対策で世界から注目される台湾だが、ネットを活用した気の利いたマスクの配布にかかわるシステムは、38歳の天才閣僚オードリー・タン(唐鳳IT担当)が開発しているという。日本の政府やIT技術者にできないというなら、台湾の知恵を借りたらどうかと言いたくなる。

<あまりにも遅いマイナンバー活用の着手>
 こうした裕福な者にも行ってしまうという著しい欠陥に後ろめたさを感じた政治家は、こぞってパフォーマンスをし出した。片や貰わない、片や一旦貰って慈善団体に寄附するといったものである。自分達で作った政策の間違いを自ら認めるという、自己矛盾であることに気付かないのだろうか。それなら元から貰わない仕組みにしておくべきなのだ。
 私は新聞報道を中心に今回の一連の出来事をずっと追いかけてきたが、ほとんどマイナンバーという言葉にお目にかからなかった。まだ給付など検討されていない1月17日高市総務相の閣議後記者会見で「預貯金口座に対するマイナンバーの附番の義務化の検討」、4月9日「女性議員飛躍の会」(稲田朋美議員等)の提言ぐらいである。最近になり日経の4月21日の社説でやっとマイナンバーによる収入捕捉の必要性に触れているだけである。

<的はずれの補正予算>
 国民が政府の外出自粛の要請に素直に応じ8割の接触を減さんと頑張っているのは、一日も早く新型コロナウイルスの蔓延を阻止したいからである。ところが国民に要請しておきながら、政府は感染防止に全力を傾注しているとはとても思えない。補正予算をみるかぎり支離滅裂である。
 感染症対策や医療体制整備に1兆8097億円だが、そのうちの1兆円は地方への臨時交付金であり、予算審議の間に、いつの間にか都道府県が休業事業者への協力金に転用することが可能になってしまった。緊急の経済対策である。
 だから、医療関係には1,490億円の緊急包括支援交付金しか回されないことになるのではないか。最大の項目は、10万円の特別定額給付金の経済支援19兆4905億円であり、次にとても不要不急とはいえないgo toキャンペーンなどの消費喚起策1兆8482億円である。国民に不要不急の外出をするなと押し付けておいて、政府は不要不急のことに金を使おうとしている。どこかピントがボケているといわなければならない。。
 何よりも、医療崩壊を防がなければいけないのに、給付のための予算が4兆円から3倍の12兆円に膨らむ。まずは足りないPCR検査を増やし、医療用マスク、防護服、消毒液、人工呼吸器、人口肺(ECMO)等を緊急に手配することである。そして、全国の病院に重篤者の入院体制をしいてもらうべく、ベッド数を増やし、・・・とやるべきことは山ほどある。

<今必要なのは「医療総動員」体制>
 緊急事態宣言により国民に外出自粛を要請しているのは、一種のボランティアを強いているのであり、動員ともいえよう。ただ、外に出るな、家でじっとしていてほしいという「逆の動員」である。
 一方で、本当に総動員しなければならないのは、人手不足でヘトヘトになっている医療現場である。やれ人工呼吸器が足りない、ICUも足りないと言われるが、何よりも足りないにはこうした機器を使いこなせる看護師、そして医師なのだ。濃厚接触者さえ忌避される日本社会で、日夜院内感染の危険に晒されながら頑張っている医療関係者には金曜日の感謝を込めた一斉拍手では足りない。日本ではあまりないが欧米では医療関係者が感染して死亡する割合もかなり高い。疲労とストレスは限界を超えていよう。新型こコロナウイルスと第一線で戦っている医療関係者の報酬を危険手当として手厚くして報いなければならない。
 日本はそこまで切迫していないかもしれないが、中国武漢ではすぐに病院(隔離施設)を建てた。アメリカでも公園に野戦病院さながらのテントができあがった。イギリスでもロンドン等の国際会議場・展示場が病床に早変わりしている。そして引退した医師1万1000人が現場復帰し、最終年度の看護・医学生2万4000人も動員された。日本でも退職した看護師や医師そして医学部・看護学部・薬学部の学生等を総動員して人的にも体制を整備するべきなのだ。
 戦争に備えて憲法改正して緊急事態に備えるべきと主張する政府・与党が、医療「総動員」すらできないでどうするのか。これでは、いざという時に本格的総動員などできるはずがなかろう。これでは憲法改正の議論をする資格もない
 「国民への給付は遅れるがちょっと待ってほしい。医療体制の充実を先にしないとならない」と安倍首相がTVを通じて国民に訴えたら、誰もNOとは言うまい。

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