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玉木代表の言い分は筋が通らない -お盆前の合流決着以外に野党の生き残る途はなし- 20.08.13

 8月11日(火)午後、国民民主党の執行役員会は水入り(?)を含め数時間に及んだ。
 私は、合流推進のための頭の体操(brain storming)用に下記の文章を作成し、ごく限られた関係者と意思疎通を図っていた。
 一方、私は玉木代表は始めから立憲民主党と合流する気がなくて、あれこれ言っており、飛び出す口実を作っているのではないかと心配していた。そこに上記会合後、記者会見し、分党し、自分は合流しないと言い出した。また私の心配した通りになってしまった。自分のことより党のこと国民のことを考えなければならないのに、予想していたとはいえ、あまりの無責任さに仰天した。それにもかかわらず、コロナ対策が大事だ、政策の一致が必要だとまだ格好をつけている。
 最初から最後まで合流を長引かすための言説を弄していたのだ。このため国民民主党や野党をどれだけ混乱させ、評価を落としめたかしれない。しかし、きちんと反論しておかなければならないと思い報告することにした。

以上8月13日

以下8月5日

 8月7日(金)までに合流の目途をつけるという期限に向け、立憲民主党、国民民主党の両党幹事長が精力的に話し合い、福山幹事長がその概要を明らかにし、平野幹事長が玉木代表に説明した。党名を無記名投票で決めるとかいう過大な要求までのみ、代表選とからめて記名で投票とまで譲ってきたことに対し、玉木代表はまたいつものとおり四の五の述べて支離滅裂な理屈を並べている。今まで何度もまとまりそうになったが、玉木代表はいつも約束を反故にし、違うことを言い出して合流を潰してきた実績があるが、今回も全く同じパターンである。この期に及んで、まだ大筋合意ではない等あまりにも目に余る一方的な発言ばかりで大半の同僚議員が辟易している。

(1)党名について
<立憲民主党の設立メンバーへの配慮が必要>
 立憲の設立メンバーは、17年10月希望の党に排除されてさぞかし寂しい思いをしたに違いない。そうした中で、10月4日ぐらいから立憲民主党へのうねりが生じ、投票日最終では13%を超える支持率となり、希望の党の50人を凌ぐ55人が当選した。そして、今は政党支持率が5~9%(国民は1%)。国会議員は衆56人、参33人の計89人と、国民の衆40人、参22人、計62人を大きく上回る政党へと成長した。
 立憲民主党は、小池都知事の人気に乗じんとして希望の党に走り、うまくいかず民進党と合流できた国民民主党と違うのだ。選別されて排除されるという厳しい状況の中から新しい党を立ち上げてきた方々には、党の名前に対する強烈な思い入れがあって当然である。我々はそこに思いを馳せなければならない。

<新民主党は篠原が17年秋に提案>
 今、我が党は民主党がいいと主張してそれを通そうとしている。
 17年の総選挙後、民進党が残ってしまい、希望の党、立憲民主党と3党が鼎立した。その時、私は将来の統合をスムーズにするためにも、党名を本家の民主党に戻して、いつでも一緒になれるように準備したほうがいいと主張した。しかし、これまた受け入れられなかった。それが今、こぞって民主党の大合唱だ。参議院の皆さんの中には当時の私の主張を覚えている人がいるはずだ。私だって民主党がいいに決まっているが、略称「民主党」まで譲っているのであり、受け入れるのが筋である。

(2)投票による民主的プロセスをというなら、国民民主党は19年7月に消えてしかるべき政党ではないか。
<つなぎ政党、暫定政党でしかない国民民主党>
 19年の参議選に当たり、国民民主党というよりも玉木代表のPRに40億円近くをかけたが、地方区は実績のある4期以上の3人だけで新人はゼロ。比例区は産別の頑張りで3人と計6人しか当選させられなかった。海江田降ろしが吹き荒れた13年参院選以上の大敗北であり、幹部の辞任に値する。国民民主党は19年夏には投票によりNOを突き付けられている。これこそ絶対的な民主的プロセスではないのか。その後の世論調査でも、ついに政党支持率が2%を超えることはなく、その後も状況は悪化の一途である。民意に沿うというなら、国民民主党はとうの昔に消えていなければならない。

<党名は合流のプロセスの中、幹部が決めること>
 民進党の結成時も、国民民主党の結成時も党名を決めるのに全員の投票などしていない。合流のプロセスの間に党名が決められている。大体が急いでいる時か揉めている時であり、そんな時に投票で決めるといった時間のかかることなどしていられないのが現実である。
 地方議員まで入れてとも主張しているが、サポーターなり地方議員の扱いがそもそも統一されておらず時間がかかるだけであり、さっさとやるしかない。民進党に決める時は、世論調査で国民の声を聴いて決定した。蛇足ながら、圧倒的差で2位だったのが立憲民主党である。玉木代表の主張は滅茶苦茶なのだ。
 合流話はもうとっくの昔からしている。合流と決めてから両党で協議会なりを設けてそれで詰めていくのが通常ではないか。それをさっぱり合流の決断ができず、再三にわたってドタキャンしておいて、今になって細かいことを言い出し、詰め切ってないなどと言い出している。ずっとゴネて妨げてきたのに、差し迫った今の時点で持ち出すことではない。

(3)消費減税・憲法について政策の一致
<福田代表? 玉木わがまま意見>
 今この時点で政策を合流の交渉に持ち出す必要はない。規約・綱領も合流を決めてから協議していけばすむことだ。水と油の党ではなく、元々一緒の党だったのであり、また政策で対立してケンカ別れしたのではなく、希望の党に幻惑されて別々になっただけなのだ。立憲は拘りのある原発ゼロを持ち出していない。
 それよりも何よりも、政策のすり合わせは共同会派で事前着工済みであり、大きく対立したことなどない。国会対応でも安住・原口両国対委員長が歩調を合わせ、政策絡みでは、逢坂・泉両政調会長が要所要所でまとめてきている。
 福田昭夫議員(立憲5期、消費減税勉強会を主宰)は、玉木代表が合流の条件に消費減税などと突然言い出したのに対して、「合流後にやればすむことだ、国民民主党側により多くの消費減税賛成者がいるので一気に片付く、今は合流が先だ」と私に告げに来た。これでは一体どっちが党代表かと疑いたくなる。
 突然の政策の持ち出しといい、わざと立憲をキリキリさせているようにしかみえない。

<今更政策が大事と言い出すのは恥ずかしくないか>
 18年5月の民新党と希望の党の合流による国民民主党結成時に、2007年の農業者戸別所得補償のような具体的な目玉政策を1つか2つを作るべきと私は主張した。玉木共同代表が同じ主張をしていた記憶はない。19年夏の参院選では政策などほったらかしにして、TV、新聞に自らの顔を前面に出し、国民民主党のイメージだけを宣伝していた。更に、訳のわからぬ戦国武将姿などの宣伝を映画の幕間にまで出し、東京都内には宣伝トラックも走らせた。それにもかかわらず、東京選挙区の水野素子候補は僅か18万6千票余しか集められず、大敗北を喫した。その後も家計第一といった抽象的なものしかできず、今頃になってコロナ後の具体的国家像などと突然言い出している。言行不一致極まれりである。

(4)野党第一党立憲民主党に望むこと
<民進党に残った参議院議員(現国民民主党参議院議員)への配慮が必要>
 逆に立憲民主党の元民進党の参議院議員には反省を求めたい。17年秋、残された我々民進党は3党合流をしようとしたが立憲は拒否。そこで民進と希望が18年5月に合流したが、その過程で代表経験者の蓮舫が離党届も出さずに立憲に走り、更に合流の党内協議の過程で一番意見を言っていた者が出て行ってしまった。そして残されたのが国民民主党の参議院議員である。やるせない気持ちは、排除された立憲の創立メンバーと同じである。
 更に最悪なことに19年の参院選では2人区の静岡県で榛葉賀津也に立憲から対抗馬を立てるという意地悪までしている。この点はお詫びから始めなければいけないことである。ところが、仄聞するに榛葉幹事長率いる国対の対応で、立憲は贖罪の意識の一かけらもなく、野党第一党として高圧的態度をとり続けていたという。

<玉木代表に有無を言わせない大妥協は「民主党」にすること>
 野党第一党の党首の責任から次々と妥協案を提示し続ける枝野代表には敬意を表する。党名を投票で決めてもよいとまで譲っている。私はこんな要求は突っぱねてもいいと思っている。しかし、民主党と維新の統合時に岡田民主党代表が譲って民進党にしているし、民進党と希望の党との統合の時は民進党が譲っている。もっとも玉木代表のように次々と難癖をつけた例はないが、前例的には第一党が折れなければ事は進まない。
 党名については前述のとおり立憲民主党の結党の経緯からして、おいそれと譲れない気持ちはわからないでもないが、国民のために政権交代を優先しなければならない。昨今の安倍内閣の支持率の低下からしても、国民は交代すべき野党の出現を待っている。つまり、うまくいけば枝野首相が誕生するかもしれないのだ。ここで太っ腹を見せて「民主党」と言ってくれれば、潔さに著しく欠ける玉木代表は何も言えまい。
 いずれにしてもお盆前の決着をしてほしいものだ。