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日本人乗組員ゼロの船の座礁が教える日本の脆弱性-いざというときに日本船を動かす日本人がいない- 20.08.26

<軍事安全保障のみが先行し、他は後回し>
 安倍政権はとうとう専守防衛の枠にも踏み出しつつある。日本も敵基地攻撃能力を備えて先制攻撃していいんだ、と勇ましいことを言い出している。軍事が関わる安全保障についてはいつも先走りである。しかしコロナ対応で露呈したが、医療の安全保障など何も考えられてはいない。マスク、防護服、ガウン等日本でほとんど作られていなかった。
 マスクは幸いにしてスギ花粉症が猛威を振るい悩まされる人が多く、国産の高性能のマスクが必要なのか2割ほど自給されていたが、その他の医療器具についてはほとんど安い中国任せである。日本にとって何が大切か、何が必須のものかということが全然考えられていないのだ。
 これに対し、コロナ対策が見事だった小国フィンランドは、いつも隣の大国ロシア(ソ連)に侵略されてきたことから、いざという時のために医療器材を備蓄していた。まさに「備えあれば憂いなし」なのだ。そういえば、初期のコロナ対応がうまくいった国は、韓国、ベトナム、台湾と隣の危うい大国に対して、ほぼ臨戦態勢をとっている国という共通点がある。

<日本人乗組員ゼロの日本船>
 そこに今回、インド洋の島国モーリシャス沖での日本の貨物船座礁の問題が生じた。大量の重油が流出し、安全な航行を行った疑いでインド人船長の男が逮捕されている。貨物船は長鋪汽船(岡山県)が保有・管理し、商船三井が手配しているが、船長含めインド人3人、スリランカ人1人、フィリピン人が16人と日本人は1人も乗っていない。このように日本人が一人も乗っていない日本船が世界中を航行しているのである。これが国内の工場なり農村だったらすぐ国民の目に触れるが、こうした恐ろしい事態は海の上すなわち日本の外の話であり、国民には見えてこないためほとんど気付かれていない。
 ブログ(『漁船員の命を蔑ろにしてコスト削減する愚行は許されない』20.04.16)で明らかにしたが、外国人化が最初に進んだのは漁船員である。なぜかというと日本に上陸しないで済むし、日本にいないからだ。次に外国人化が進んだのはその延長線上の一般の外航船舶の乗組員である。いわゆる3K(きつい、汚い、危険)職場であり、いったん海に出たら、週休2日もないし、なかなか日本に帰ってこれず、今の若い人たちに敬遠されたこともあるが、何よりも外国人の方が賃金が安いからだ。日本人船員数は、1970年は4万7,239人、2010年には僅か5%の2,306人になっている。一方、外国人乗組員は2008年の2,676人から、鰻登りで3倍の6,200人に増えている。

<外航船舶は日本の産業の支え>
 日本は貿易立国であり、外国から原材料を輸入し、製品を外国に輸出するのに、船は必須のものである。だから、日本にも昔から大手の船舶会社がある。しかし、今や船を動かす船員はほとんど外国人になってしまった。労働集約型産業が中国や東南アジアに移っていったのと全く同じであり、速度はこちらの方が速かった。船舶航行技術が進歩する中で、航行技術にたけた日本人船員がほとんどいなくなっているのだ。
 そして問題なのは、このことに政府が何も危機感を感じていない点である。ましてや一般の人々はほとんど気付いていない。しかし、今回のモーリシャスの事故は、航行技術がそれほど熟達せず、勤務のモラルも低い外国人船員によって引き起こされているが、まじめな日本人船員なら、ささやかな誕生パーティはしても、Wi-Fiに接続してインターネットを利用するため島に近付き座礁するというようなヘマはすることはない。「バンカー条約」により、責任は船主の長鋪汽船にある。そしてそれは日本の評価を落としてめている。

<外航船舶乗組員は外国人でよいのか>
 民間人である漁船員や外航船舶乗組員は企業の社員や労働者と同じく日本人である必要はないと思う人が多いだろうが、私は一般の会社員と同じとは思わない。
なぜなら、いざというときに例えば日本船が中東沖で中東のどこかの国から攻撃対象にされたら、外国人船員はさっさと逃げだして日本船などには乗らなくなるだろう。マラッカ海峡沖を守り、アラブに行くシーレンを確保しなくてはならない、インド洋の航行も確保しなければいけない、ホルムズ海峡の航行を死守しなければならない、紅海の航行も大切だと声高に叫ばれジブチに自衛隊を置いたりしている。しかし肝心の守るべき日本船が外国人船員だけで、いざというときには動かないというのは、国策として許されることではない。
 古い話ではあるが、サッチャー政権時に勃発したフォークランド紛争では、イギリス船籍の貨物船や客船はすぐに軍事用に徴用されている。

<日本人の航行する船は安全で事故を起こさず>
 少々横道にそれるが、私は1976~78年、貿易港シアトルにあるワシントン大学に留学していた。親しくなった寮の友人がシアトルの港の海上で材木を扱うアルバイトをしていた。その時は、他国の船が入ってきたらぶつけられたりする恐れがあるので、さっさと陸に上がったという。しかし、日の丸の旗を付けた日本の船が来たときは、安心して海の上で作業を続けたという。なぜなら日本人が操舵する船は安全だったからだ。
 ところが、日本人船員がいなくなった今は、同じように逃げ出さなくてはなくなっているのだろう。船主は日本だけれども、旗国は税金の安い国(今回はパナマ)、ただ一人の日本人も乗っていない船ばかりだからだ。賃金の安さにことかけて、外国人ばかりを乗せ、日本に税金を納めるのをケチり、金だけ儲けるというあくどいビジネスである。経済大国の見苦しさが目立ってくる。挙句の果てにこのような重大事故を起こし、補償は専ら保険で補うというが、そのツケは「日本国」全体に及んでいる。重油が約1,000t流れだし、サンゴ礁がガタガタで、悪影響は10年以上続き、綺麗になるのには30年かかると言われている。世界に大迷惑をかけ極めて深刻であり、無責任極まりない。
 今、モーリシャスの座礁について、日本が責任をもって対処しなければならないということだけが問題にされているが、もう一つ深刻に考えなくてはいけないのは日本の海運の安全保障である。根本の原因がどこにあるのかということも考えなければならない。

<日本の屋台骨を支える外航船員>
 在宅勤務できない人、医師、看護師、公共交通機関で働く人、在宅勤務できない人たちを基礎的労働者エッセンシャル・ワーカー(essential worker)と呼び、大切にしないとならないという議論が生じている。これをもじって言えば、国の存続にとって基幹的(essential)なものとは何か考えないとならない。
 外航船舶の船員は国の安全保障にとって必要不可欠なエッセンシャルワーカーである。少々賃金が高くても厚遇して船舶航行技術に優れた日本人を確保していくのが、国の大切な重大な役割なのではないか。

<軍事と産業に偏る日本の安全保障>
 日本の安全保障はことほどさようにして対象により跛行性がありすぎる。片方だけが重視され、片方は全くほったらかしにされているのだ。モーリシャス沖の重油流出事故に見事に表れている。
 例えば、石油備蓄についてはことのほか熱心であり、政府が国家備蓄、民間備蓄ということで気にしている。しかし、コメの備蓄となると毎年採れるのだからいいということなのかほったらかしであり、国内農業をないがしろにし続けている。どこか抜け穴があり、足並みが揃っていない。
 私は何も敵基地攻撃能力の検討をしてはいけないと言っているのではない。もし、それを考えるのなら、お膝元の食料安全保障あるいは医療安全保障そして海運の安全保障もきちっと確保しなくてはいけないと言っているだけである。その典型的な抜け穴が、モーリシャス沖の事故であり、これを機会にこの裏に隠された深刻ともいえる歪んだ日本の安全保障を再考しないとならない。