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2020年10月13日

【しのはら孝 メールマガジン600号】日本学術会議の6人任命拒否でボロを出した菅強権内閣 -学界への介入は絶対に許されず-20.10.13

菅政権は鳴り物入りで発足したが、安倍政権の継承ということを自ら語っている。
 私が既にブログ(9月9日付<政僚シリーズ9>)で指摘した通り、最も継承してもらいたくないことは官邸の強権的な政治の手法だった。ところが最も脱ぎ去らねばならないことが、より強固になって継承されていることが明らかになった。日本学術会議の6人の議員の任命拒否である。

<人事で政僚を動かした安倍内閣>
 安倍内閣の特徴は、簡単にいうと霞が関の官僚を人事権を振りかざして官邸に目を向かせることだった。官邸に大挙して乗り込み(出向し)、アベノミクスのスローガンのもと日本の政治を歪めたのは経産省出身の政僚である。2月27日の突然の一斉休校、そしてアベノマスクと頓珍漢な政策に肩入れし、結局安倍政権の退陣を早める結果となった。経産・政僚が官邸を動かしたつもりが、実は経産官僚が一番人事で籠絡され利用されていたともいえる。つまり、どっちもどっちだったのだ。

今回菅内閣発足に伴い幸いなことに、こうした経産・政僚が官邸からほぼ一掃された感があり、歓迎すべきことである。しかし、残念ながら強権的体質はそのまま残ってしまっている。

<安倍官邸の意向に沿う者しか選ばれない〇〇会議>
 安倍内閣が次に悪用したのは、小泉内閣以来の官邸に設けられた〇〇会議である。ここに御用学者、御用評論家、御用財界人を集め、そこに権限を持たせ、思いつきの政策を打ち立て、それを霞が関に押し付けてきた。これが相当日本の政治を歪めていることが国民の目にはあまり明らかになっていない。
一つの例をあげれば集団的自衛権を認めた過程である。官邸に設けた、懇談会のメンバーは、すべて集団的自衛権を容認する者ばかりであった。私はそのことを予算委員会で直接安倍総理に質したところ、空虚な議論を排すためだと平然と答弁した。〇〇審議会、〇〇会議といった諮問機関には色々な考え方の人達が集まって、議論し真っ当な結論を得るためのものである。それを最初から一方的な人達だけ集めていたのでは、まともな政策ができあがるはずがない。

<○○会議や審議会の役割>
 ところが安倍政権は〇〇会議なりを自分の政策をヨイショする機関としか考えていなかった。簡単に言うと検討したという格好付けや権威付けに使われていただけである。ところが、7年8か月の長期政権になると委員の中に総理の虎の威を借りて、あれこれ新しい利権の発掘に手を染め出す者も現れてきている。官邸一強の弊害の一つは、〇〇会議の暴走を許したことである。

<各省審議会は改革が進み、官邸の〇〇会議は逆行して御用会議化>
 私が水産庁企画課長(1994~97年)のときに今の水産政策審議会を他の会の担当をしたが、内向き志向の強い農林水産省では、19ある農林水産省の審議会のうち獣医師審議会を除いた他の全ての座長が農林水産省OBであった。御用審議会的な様相を呈していたため、座長がその省庁OBではお決まりの議論しかできず、野党民主党として全て座長はその省の出身者ではない者に変更せよと主張しそれが取り入れられた。
このように各省庁の審議会は御用審議会にならないように改革が行われていったのに対して、官邸に設けられる〇〇会義が官邸の言いなりの、都合のいい方を向く人達だけで塗り固められていったのである。規制改革会議、国家戦略特区有識者会議といった類いがその代表である。
行政改革を標榜する菅内閣はこうした自己矛盾に気づいていない。

<御用〇〇会議委員に改革は任せられず>
 菅首相は就任早々霞が関の官僚を恫喝した。
10月13日のフジテレビ番組で、政府が政策を決めた後も反対する官僚は異動させる方針を示した。「私ども(政治家)は選挙で選ばれている。何をやるという方向を決定したのに、反対するのであれば異動してもらう」と述べた。
その論理を借りれば、官邸の〇〇会議のメンバーこそ、国民に名前を書いていてもらったわけではなく、国家公務員試験に受かったわけでもなく、ただただ官邸が勝手に選んだだけの人たちである。その人たちに行政を牛耳られるのはあってはならないことである。

<霞が関の官僚は中立が原則>
 人事で人を動かす快感を覚えたのであろう。内閣人事局がそのはしりだが、その後検察の人事にも介入した。黒川弘務を検事総長にし、政府与党へ検察が手を出すことを事前に防ごうとしたのである。このように人事で強権を発動して、政治をあるいは行政を牛耳るというのは邪道でしかない。閣僚を自分の趣味で選ぶのは政治の世界であるからそれは許されることではあるが、霞が関の官僚は政権がどう変わろうと国民の奉仕者であって、一つの政権だけを向かせるというのは行き過ぎである。

<アメリカの回転ドアの合理性>
内閣人事局による霞ヶ関の官僚の支配を批判はしているが、民主主義の権化であるアメリカでは、リボルビングドア(回転ドア)と言われ2期8年で政権が交代すると同時に、ワシントンD.C.の政府の高官約3,000人が一斉に変わる。
アメリカには民主党系、共和党系に色付けされるシンクタンクがあり、次の政権交代を目指して、準備を怠らない人たちの受け皿になっている。閣僚は日本と違って閣僚は政治家の中から選ばれるのではなく、そうしたシンクタンクの研究員からも、大学教授、財界人等の有識者からも選ばれている。つまり、アメリカは、政権交代を前提とした仕組みが社会のシステムとして、出来上がっているのだ。

<私の質問を褒めてくれた加藤陽子東大教授も拒否される>
ところが日本では、自民党一強でずっと同じ党が政権を担当しており、同じような人たちばかり選ばれることになり、偏った政策ができてしまう。今回の日本学術会議の会員の拒否は学者の世界に手を突っ込むものであり、到底容認できない。政府に批判的な言動を重ねたから、それをチェックし任命拒否をするというのは行き過ぎもいいところである。
任命を拒否された中に私と関わりのある学者が1人入っている。加藤陽子東大教授(日本近現代史)である。加藤教授は私の国会での地産地消、旬産旬消についての提案型質問(2015年2月12日予算委)に目をやり、たまには国会審議も見て環境問題も考えたら良いと書いてくれたことがある。私の考えに共鳴する人だから少々過激な方かもしれないがそれぐらいで排除されるのは許し難い。
手前味噌になるがそのさわりを引用して紹介する。
「...オーラの出ている議員を発見した...運輸部門が約20%も増加している点を衝き、輸入食糧・木材の長距離輸送自体の環境負荷を問題とした。無駄な移動自体の抑制を図る発想なので説得力を持つ」(毎日新聞夕刊2005年4月6日)

<学者の世界には政治が踏み込むべからず>
学者が全員御用学者になったらいったいどうなるのか。学者には政府の考え方に縛られることなく、虚心坦懐的真っ当なコメントや、解説を加えてほしいと国民全体が願っているはずである。それを、官邸の方だけを向く茶坊主だらけ学者になってしまう世界は異様である。
一世を風靡した山本七平は著書に全会一致の決議は無効であると書いている。皆が同じ事しか言わない審議会とか会議というのは、危険なのだ。甲論乙駁(こうろんおつばく)いろんな意見があって議論を戦わせた上で、結論を得られていくのが1番真っ当ではないかと考えている。

2020年10月 9日

【花シリーズ①】花の空輸は不要不急の代表ではないか - 花は地産地消・旬産旬消に徹し空輸などやめる - 20.10.9 -

<貯蔵が利かない花こそ旬産旬消が原則>
 コロナ禍の中でみんなが大変な影響受けているが、農業界では花農家と肥育牛農家が一番被害を被った。高級牛肉は、料亭やレストランの需要が激減してしまった。しかし、肉はまだ冷凍・冷蔵ができる。それに対して花は長い貯蔵は利かず、その時に使われなかったらおしまいである。つまり、旬産旬消しかない代物なのだ。冠婚葬祭が典型的であるが、大会やイベントの自粛の影響は大きく、需要が突然消えてしまった。
 私も会員の野党系「花き議連」は、4月16日江藤農林水産大臣に花の消費拡大対策を講ずるように要請に押しかけた。その成果もあってか、5月を消費拡大のため「母の日月間」にしてキャンペーンを行うことになった。

<花農家に持続化給付金の申請を勧める>
 コロナ対策で、事業を展開できずに影響を受けた者に対して100万円補助する、持続化給付金が出されることになった。第一次補正と第二次補正合わせて4兆2千億円と、農林水産省の本予算2兆3,000億円と比べてもいかに膨大かがわかる。
 私は秘書に命じて、影響を受けた農家も対象になるのだから花農家に持続化給付金の申請をするように勧めて歩かせた。なぜなら、ほとんどの農家はそんなことは自分に関係ないと勘違いしている。木島平村の農家が500軒で100万円ずつもらえるとしたら、木島平村に5億円のお金が入ることになり、村全体がうるおうことになる。
 ただ問題は農家の大半の人たちはパソコンなどをいじったことがないことだ。そこはよくしたもので、都会で働いている孝行息子・娘が代わってやってくれているようで、喜ばしい限りである。

<タダの代議士便(長野から私自身が新幹線で運ぶ)で女性議員に花を届けて消費拡大に貢献>
 その途中ではたと気がつき、ささやかながら自ら消費拡大に貢献することとした。そこで上京の度に(大体花束で5人分、価格は1万円前後)持っていき、旧知の女性議員に贈ることにした。私の事務所では「タダの代議士便」と呼ばれている。背丈のあるトルコキキョウは横にできず腕が引きちぎられそうだった。私は通常の出荷についているプラスチックのバケツ(?)は当然取り除いたが、鮮度を保つためのもので、中身約5,000円の花の輸送費は約6,000円、と本体より高くなっている。つまり花こそ地産地消すべき代表的なモノなのだ。
 悲しいことに、女性議員はそれほど多くいないので9月末、その時々の花を5回運び、長野県の花・りんどうを最後にほとんどの人に届け終わった。ただ私の上京・議員会館滞在と時間の合わなかった数人の重鎮には届けずじまいなのが気掛かりである。

<花は「不要不急」の代表か?>
 私は1978年、2年間のアメリカ留学から戻ると農水省農蚕園芸局総務課に配属されたが、その時に果樹課が「果樹花き課」という名前に丁度変わったところで、「胃の糧は食料、心の糧に花」のスローガンの下、1兆円産業を目指すことにしていた。つまり国民の生命を守るために絶対不可欠の食料と比べると、花は今風に言えば典型的な「不要不急」のものであり、それまで農政の対象としても軽視され続けていたのである。今は幸いにして「花きの振興に関する法律」もできて、農家収入を確保するための有用な作物として振興対象になっている。

<切り花の輸入割合は26%>
 花の生産額は多い方から、菊の625億円を筆頭に、2位は大臣就任祝い等の時に山と届けられる胡蝶蘭に代表される洋ラン(314億円)、そしてユリ、バラが続く。
 個人消費は国内消費で約1.1兆円の産業になっているが、花きの生産額は約3分の1の3,687億円、農業総生産額、9兆2,742億円のわずか4%に過ぎない。県別では愛知、千葉、福岡等の都市近郊の暖かい県が主要産地であり、花きが農業生産額全体の2割近くを占めている県もある。
 政府は、農産物の輸出を5年後に5兆円ととんでもない過大な目標を掲げているが、実態はかけ離れている。輸出は138億円(うち植木、盆栽が120億円と大半を占める)、切り花は僅か9億円。それに対して輸入は切り花が大半で、輸出の約50倍の511億円である。花全体では国内生産9割、輸入約1割であるが、高価な切り花類の輸入割合は数量ベースで26%を占め、カーネーション、バラ、菊類の輸入割合が高い。輸入の主な相手先は、コロンビア、マレーシア、中国そしてアフリカのケニアにまで及んでいる。

<今は飛行機が飛ばず花の輸入が止まり、価格は前年を上回る>
 最近は切り花の輸入割合が増えており、例えばカーネーションでいうと2007年は国産が66%だったのが、10年後の2017年には輸入ものと国産ものが逆転し、輸入が6割になってしまっている。つまり他の農産物と同じく輸入ものに相当押されているのである。
 ただ、3、4月は暖地の花は需要を失い大ピンチに陥ったが、寒地の長野の花が本格的に出回る5、6月頃から花の価格はそれほど下がらず、むしろ前年比で上回るケースもあるという。その理由は前述の通り、その頃には輸入が4分の1を占める切り花が、国境を閉められ、飛行機が飛ばなくなったために止まっているからだ。コロンビアの花の4割、ケニアのバラの7割は空輸されているのだ。1カ月程かかる船便はコールドチェーンにより鮮度を保つため膨大なエネルギーコストがかかっている。いずれにしろ、地球環境上問題のあることなのだ。
 私は食料・農業問題を考えるうちに、「地産地消・旬産旬消」こそ基本的概念(golden rule)だと思い造語した。これが政治家にも工業製品にもそして再生可能エネルギーにも当てはまることがわかってきたが、ドンピシャ当てはまるのが実は花だったのである。

<グレタさんは花の空輸を許さない>
 グレタ・トゥーンベリさんは去年の秋、国連総会に招かれた時もスエーデンからソーラーパネル付きのヨットでニューヨークに行っている。ジェット燃料で空気を汚す飛行機はなるべく使わないようにしているのだ。それから数ヶ月、航空業界は、コロナ禍で飛行機を飛ばせなくなり軒並み経営難に陥っている。地球環境に悪いことは控えるべきという彼女の価値観からすると、発展途上国から空輸で花を輸入するというのは許されることではない。
 カーネーションの輸入の7割を占めるコロンビアは、年間を通じてほぼ一定の気温で、加温施設等一切不要であり花の適地である。ケシの産地で麻薬の巣窟となっていたが、アメリカ等先進国が技術援助し、花の一大生産国となった。それがまた元に戻るのは困るが、だからといって空輸されて日本に来る地球環境を考えたら控えなければならなないことである。
 日本は最近やっと千人の入国を許可すると言っているが、雀の涙である。となると旅客機はほとんど使われないということになる。そうした中で活路を見出そうとしているのが、貨物輸送である。そこで何が運ばれてくるかというと、生鮮物つまり花であり高級野菜である。

<高級な花は空輸され、安い添え花は日本産と、他の農産物の逆をいく>
 野菜や果物にしても牛肉にしても、日本の農家が工夫を凝らし芸術品のような立派な果物や高級和牛神戸ビーフを作り出している。しかし花業界は違っている。高級な生け花で言ってみればメインになるような花は、空輸に耐えられる。それに対して、かすみ草、ヒペリカム等のお花の世界では「添え花」はかさばって重く、空輸コストに見合わないので日本の農家が作ることになる。つまり、低価格で儲けの少ないものが日本で作られているのだ。

<コロナ対策に気候変動対策が必要、手始めに空輸花を高関税化>
 ヨーロッパ諸国はコロナ対策で産業構造が変わるということを見通しており、フランス政府はエールフランス・KLMに援助する条件として2024年までにCO2の排出を半減すること、列車で2時間半以内に行ける路線はすべて廃止すること等、気候変動対策を加味した対策を講じている。それに対して我が国のコロナ対策はGo to トラベルやイートとひたすら経済の振興ばかりで、環境への配慮はひとかけらもない。主要先進国と比べ恥ずべきことだ。
 コロナ禍で翻弄される花業界の窮状を救うとともに、地球環境に優しい生き方に転換していくためには花の空輸については高関税を課すなど、新しい発想が必要である。

2020年10月 7日

72年を走り抜いた熱血市議、市川久芳氏を追悼 -水害から地域を守り、地域の活性化に捧げた熱烈な活動は地方議員の見本-20.10.7-

私がこのブログ・メルマガに追悼文を書くのはめったにない。しかし、長年(といってもこの10数年来)の友人である市川久芳飯山市議会議員のブログ・メルマガは書かずにはいられない。なぜなら、この類い稀なる活動的な市議会議員の功績を、一人でも多くの関係者の記憶にとどめていただきたいからである。

<30数年に及ぶ執念の定点観測>
 私が市川市議と初めて会ったのは、飯山市の中央橋の下で開かれた飯山地域を水害から守る会合だった。水害の危険を知る人たちが数十人集まっていた。市川市議は驚いたことに、中央橋の土砂がどんどん溜まっていくのを30数年間にわたって定点観測し、それをカメラにおさめていた。二度三度大水害を経験している市川市議は、その危険性をずっと指摘し冊子を作り、そして地域住民や行政担当者に警告を発し続けていた。それから市川市議から山のような資料が次々と送られてくるようになった。
 市川市議は勝山グループと呼ばれる建設会社の役員でもあった。私は詳しくは知らないが、産業廃棄物の処理等いろんな資格を自ら勉強し取得していて、市川市議がいなければ事業が継続できないようで、会社にとっても必要不可欠な人だった。

<「砂利トラ」が走らなくなって河床が高くなる>
 かつては川の土砂を土建業者がしょっちゅう掘削してきたが、いつの頃からか土建業者による掘削は一切禁止され、トラックが走らなくなった。これは団塊の世代ぐらいしかわからないが、昔はトラックの代表はダンプカーで建設用の砂利を運ぶ『砂利トラ』だった。何故かというと高度経済成長の建築ブームであり、川砂利がコンクリートの建物には一番良いそうで、建設会社が競って川底にたまった砂利を取り合っていた。それを運ぶトラックが、道に水を滴り落としながら疾走していたのだろう。しかし、河川の掘削は河川法2の条により許可制となっており、厳しく糾弾下におかれ禁止されてしまった。その結果千曲川だけではなく、あちこちの川に土砂が溜まりどんどん河床が高くなっていった。

<かしがった(傾いた)慰霊碑を廉価で修復する男気>
 市川市議とは水害防止が結ぶ縁で親しくなったが、その後全面的に市川市議にお世話になる出来事があった。私は、集団自決をした『満蒙開拓団高社郷』の悲惨さを国会の予算委員会(2014年1月31日)で取り上げた。その慰霊碑が中野市の箱山の中腹にあった。ところがだんだんと関係者が少なくなり、慰霊祭が開けなくなっていた、さらに悪いことには、立派な慰霊碑が片方に傾いてきてしまっていて、それを修復するのに450万円もかかるという。そこで立ち上がってくれたのが市川市議である。土建会社に勤めているのでそういったことはお手のものである。450万円かかるといわれていた修復費がいつの間にか30万円になり、すぐに修復してもらった。市川市議の男気の発露である。

<市川市議の馬力全開の真骨頂、高校生も参加する慰霊祭の定期開催>
 更にそこからが本番で、市川市議の獅子奮迅の活躍であった。集団自決した人たちの直系の子孫はおらず、年下の弟や妹、傍系のいとこやはとこの類いの親戚しか生き残っていない。慰霊祭の開催が危ぶまれる中、市川市議が立ち上がり、持ち前の牽引力で地元の高校や市町村議会議員を巻き込み、集団自決があった8月25日には大々的に慰霊祭を開けるようになった。地元の高校にかけあったり、地元の新聞社に連絡したりするといったことは、市川市議の指示に基づいて私の秘書が担当した。私の秘書は8月になると市川市議の秘書も同然だった。
 戦時中、国策により遠い満州の地、しかも1番北の果てに配置された長野の農民は、終戦時に真っ先にソ連軍の侵攻をまともに受けることになった。頼みの関東軍は既に去り、置いてきぼりにされ、満州の地で集団自決によって命を終えた開拓農民たちがあまりにも哀れである。市川市議は開拓民の心情を想い、ほっておけなかったのだろう。最後に満州の方向を向いて全員で「ふるさと」を合唱する時は、目に涙が溢れていた。

<市議会の暴れん坊質疑者>
 ほかには地方創生のために亀井静香衆議院議員の下で作った「根っこの会」の会合に出席したり、ともかく地域をなんとかしなくちゃならないという気持ちは並み並みならぬものがあった。こうした人を回りがほっておくはずがなく、いつの間にか飯山市議会議員になった。その後の活躍も目を見張るものがあった。いろいろな資料をきちんと作り、市議会で質問をし、かつ新聞折り込みでその結果を全て市民へ届けるという、他の市議会議員には見られない活動ぶりであった。
 まるで国会審議並み、いやそれ以上の念入りな資料で、質問(糾弾?)振りも一筋縄ではいかなかった。答弁者からはさぞかし恐れられ嫌われたであろう。見方によってはあまりにも傍若無人な発言やあまりにも熱心な活動が反感をかったのだろう、私も市民の一部から「市川市議とあまり付き合うな」と忠告も受けることもあった。

<飯山ワインにかけた夢>
 ほかにも岳北地域の振興のため、千曲川べりの耕作放棄地にワイン用のぶどうを植えて、飯山をワインの産地にしたいという夢も描いていた。飯山市の1番南にある綱切橋の北側は積雪量が多く、北信地方の特産物でもあるりんご・もも・ぶどう等の果樹栽培ができなかった。しかし、地球温暖化でだんだん暖かくなり、積雪量が少なくなっている。ワイン用のぶどうは小さな畝立てで、雪によって枝が折れたりしないので、飯山でもできる。寒暖の差があるからいいぶどうができる。北信地方では徐々にワインの産地ができてきていたし、飯山市もワインの産地になれないことはないと、飯山ワインの実現にも相当心血を注いでいた。

<国会議員や学者も虜にする希なキャラクター>
 19号台風水害直後に嘉田由紀子参議院議員(前滋賀県知事で水害や河川の専門家)一行を一緒に案内した折には、強引なスケジュール変更をしたり、いつものように長口舌を連発した。私が思い余って注意したところ、嘉田参議院議員から「篠原さんいいのよ。私の父も地方政治家だったけど、全く同じようなタイプ。自分がいいと思ったことを必死で追い求めているだけなの。気にしない!」と、たしなめられてしまった。不思議なことに同行した名立たる大学教授たちも、いつの間にか市川市議のファンになっていった。
 それだけではない。片方の目の視力を失っていたが、これを障害者と認定せよという「片目失明者友の会」という全国グループの副会長になり、厚生労働省にかけあい全国大会を取り仕切り頼りにされていた。誰にも屈託なく人なつこく話しかける市川市議は、鈴木宗男・貴子父娘や阿部知子といった国会議員とも仲良しになっていった。
 私も市川市議に振り回されながらも、いつしか大ファンになっていった。そしていつしかしばらく連絡が来ないと気になる存在になっていた。そうした市川市議の活動ぶりが飯山市民の目に留まらぬはずはなく、2期目の市議会議員選挙は、堂々第二位の当選だった。多くの飯山市民も私同様に、ハラハラしながらも温かい目で見ていてくれたのである。

<やり残したことが多すぎる!>
 これからもまだまだやってもらわなければならないことが山積だった。そうした矢先の突然の不幸であった。水害防止については、市川市議の悲願であった戸狩と立ヶ花の狭窄部の掘削も国土交通省が進めることになり、今まさに実を結びつつある時であった。満蒙開拓慰霊祭については、地元の皆さんの支持も受け、高校生も参加するセレモニーが継続する目処がたっていた。片目失明友の会の活動も腰の重い厚生労働省も検討し始めていた。ワイナリーについてもあと5年したら多分、飯山ワインが出来上がったと思う。この点がとても気がかりであり、引き継いでくれる者の出現を願わずにいられない。
 全力で駆け抜けた市川市議の一生、特に後半の市議会議員としての活動は、誰の目にも、目を見張るものがある。本当に大切な人を亡くしてしまったと悔やむばかりである。

2020年10月 1日

テレワーク・リモートワークの先達・予言者 ―往来は少なくして、地方に住み着いてもらう― 20.10.1

 都市が今後も予測されるパンデミックにはからきし弱い存在であることが、今日のコロナ禍で完全に露呈した。幾多の評論家は集中のメリットを説き、グローバリズムを当然視し、私のようにTPPに絶対反対し、ネクタイとバッジで武装している者(?)をせせら笑っていた。「もう国境はないと思え」とまで言い放っていた。

<都市は感染症に敗れる>
 それが今新型コロナウイルスの蔓延を防ぐため、国境に頼り閉鎖せざるをえなくなっている。そして、国境はいらないと息巻いていた者は口をつぐみ何も言わずにしらばっくれている。欧米諸国では、グローバリズムの推進で大儲けした富裕層も、危険な大都市を離れて、田舎の別荘に移動しているという。グローバリズムに乗って「物」「金」だけでなく、「人」も自由に往来し、瞬く間にウイルスが世界中に拡大し、その拠点の大都市を粉砕していったからである。
 世界の人口78億人のうち都市に半数以上が住む。多くの大都市は海岸近くにあり、地球温暖化による海面上昇により住めなくなる可能性が高い、と従来より言われてきたが、その前に感染症で住みにくくなりつつある。感染症の蔓延は都市化のなせるわざであり、その代償かもしれない。

<解決策は都市から地方へ>
 これは大問題ではあるが、解決策なり答は簡単明瞭、過密の解消である。100万人を超える大都市は出現してせいぜい数100年にすぎない。だから、100年前あるいは1000年前と同じように地方にもっと住むようにすればよいだけのことだ。高層階のマンションに住む都市生活が本来ではないことに気付く時なのだ。そうなると、何よりも大切としている経済効率を諦めなければならず、便利さもある程度失うことを我慢しなければならない。
 ただ、人間的な居住環境を考えたら、地方(田舎)のゆったりした住宅の方がいいに決まっている。普通の感覚に戻りさえすれば自ら先が見えてくる。

<地方で感性を磨き維持する芸術家たち>
 だから、地方に住んでもやっていける才能のある芸術家たちはとうの昔から大都会になど住んでいない。例えば身近な例で言えば、長野県の八坂村で音楽の創作活動を続ける喜多郎である。彼のあの日本的というか東洋的なメロディは、日本の山や森の中からしか生まれないのだろう。
 同じ音楽家では、中島みゆきと松山千春は、北海道の風土が生み出した天才である。帯広や足寄を抜きに語れない。作家・脚本家の倉本聰も富良野に居座り、名作『北の国から』をものにしている。これらは皆、原稿一つ、楽譜一つを都市に送れば生計を立てていける才能溢れる芸術家であった。
 遥かかなたの昔、私が農政関係の講演でこの話をしたところ聴衆の一人に、シンガーソングライターの山本コータローがいて、質問し発言した。私は「走れコータロー」で大ヒットしたが、あとは「岬めぐり」しか目ぼしい歌がない。これは東京で生まれ育ち、そこで生活しているため、篠原さんのいう感性が鈍麻してしまったからでしょうね、と付け加えた。私は実は、そう思っていたが、そこまで言うのをはばかっていたのに、本人がそう言い切った。

<川勝平太静岡県知事の20数年前の予言>
 20数年前に正直に文藝春秋のコラムに書いて、いわばテレワークのはしりが川勝平太静岡県知事である(1999年文藝春秋p80『都おち』)。私は短い一文が心の中に突きささり諧ぎゃくに満ちた主張に拍手喝采した。と言っても、今の本格的なテレワークと比べると遠距離通勤の延長にすぎなかったかもしれない。
 川勝早大教授(当時)は、意を決して東京から軽井沢に移り住んだ。新幹線で通勤できて全く不便を感じない。空気のよい自然の中で幸せだと自慢している。都会のマンションは箱であり、家は箱に、庭は公園に追い出された。それを田舎で、裏山で家と庭が一体の「家庭」を再建しようというのだ。
 駐車場もない小さい一戸建てから、一反の土地を買い求めに愛する都の西北早稲田大学の西北をたどっていったら、軽井沢に行き着いたという。大学教授というそれほど時間に制約されない仕事だからできた贅沢かもしれない。

<都会に住む必要性が減る>
 サービス産業に従事する者が3分の2に及び、原料を輸入して製品を輸出する加工貿易立国、工業立国の時代は終わり、あえて臨海工業地帯に住む必要はないというのを、コロナ禍の中、IT化が進み、今や在宅のサラリーマンも可能になったのである。
 更に、このコロナ禍で大きく変わったのが、大学の授業であり、濃厚接触を避けるためオンライン授業が取り入れられ始めた。それならますます都市に集中する大学の近くに下宿する必要はなくなる。当初は首をかしげていた教授たちも、活発な意見や質問も出され対面授業と比べても遜色がないことに気づいたという。今なら川勝教授も軽井沢の自宅から講義もできないことはない。
 ただ講義はできても、実験、実習、ゼミになると無理であり、一緒に集うことが必要となる。クラスで友人と出会い一緒に学ぶことにより、友情を深めていく楽しみはそがれることになる。パソコンの画面だけでは、教授の熱意も伝わるまい。今後オンライン授業なりリモートワークを定着させていくに当たり、リモートでできないものは何か、対面が必要なものは何か、を考えていかないとなるまい。

<東京-名古屋間に二つ目の新幹線は不要>
 そして今、川勝知事はリニア新幹線のトンネル工事に注文をつけている。日本を庭園の島(garden island)と呼び、日本の国土の美しさに誇りを持つ歴史学者川勝教授は知事になっても、国土をけがす開発など許せないのだろう。私にはその気持ちが手にとるようにわかる。
 大概のデスクワークは、家でもどこでもできるようになった。何よりも会議は一堂に会さなくともこれまたオンライン会議が可能になった。従って、本社と支社はそんなに行き来しなくとも用が済むようになり、新幹線での往来も少なくて済むようになったのだ。必然的に東京-名古屋-大阪間を結ぶ新幹線の乗客も少なくなっていく。そのような時に二つ目の新幹線が必要なくなるのは自明の理である。

<残土問題が生じない新幹線への変更が必要>
 9兆円をかけ、そのうち3兆円は国が援助している。規制緩和し、民営化したJRが、再び国の援助を仰ぐのは矛盾である。中南信(長野の中部と南部)は、在来線ではあまりに遠くて不便というのはよくわかる。しかし、何もアルプスの山々の下をぶち抜かなくとも、従来型の新幹線で足りる。何よりもコロナを機に、「より速く」が見直しを迫られている折、ここは潔く環境を壊し、残土問題を生じつつあるリニア新幹線は中止し、残土の生じない新幹線、つまりは北陸新幹線の伸延と同じ型に戻すべきではなかろうか。
 今後は、頻繁に行き来する発想を改めて、地方に住み着いて仕事をしてもらい、たまにゆっくり本社で顔を合わせた会議をすることになっていくのではないか。それに合わせて交通体系も考え直さなくてはなるまい。