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【種シリーズ4】 医療・食料の特許の例外にみえる合理性 -主要食料の種は「官」が担うべき- 20.11.21

<自立する有機農家は自家採種にこだわる>
 2015年の農林水産省の実態調査では5割以上の農家が自家増殖している。更に私が深く関わってきている日本有機農業研究会は、有機農家間の種苗交換会が始まりである。つまり自家採取は次期作のために不可欠なものである。現在高収益作物次期作支援事業の条件変更が農業現場で大問題になっている。一方でコロナ禍でも農業が続けられるように支援をしようとしているのに、片方で自家採種を禁止し、次期作を妨げようとしているのである。この矛盾にも気付いていない。

<生物・遺伝資源は「民から官」への移行が必要>
 日本は、種についても民間に任せんとしているが、各国とも農民がおいそれと品種開発できないので、国なり地方自治体の公的機関が中心に品種改良している。
 安倍農政は2013年の施政方針演説で「日本を世界で1番ビジネスしやすい国」にすると述べ、農政もそれに沿うような形で進められてきた。その最悪の法律が「農業競争力強化支援法」である。これは種苗、農機具等の農業資材会社の競争力の支援法にすぎず、農家側から見ると「農家弱体化促進法案」でしかない。一番問題になっているのは第8条4項であり、公的機関で得た知見を民間の会社に開放するということが規定されている。明治時代と同じく官有物を民間に払い下げようというのである。150年の時空を越え、21世紀の令和の時代に種子の分野で官から民への移行をするのは時代錯誤も甚だしい。
 アメリカでは巨費を投じた軍事研究の成果が民間に裨益する例が多くみられるが、種子の分野は全く異なる。世界は種子なりバイオの重要性に気付き、むしろ国を挙げて生物資源なり遺伝子資源の確保・囲い込みに乗り出しているというのに、日本は全く逆の方向に動き出しているのだ。我が国がすべきは、種子の「民から官」への移行なのである。さもなければ、シリーズ5で示すように、日本の種はグローバル企業に牛耳られ、農業や食料の喉元を抑えられることになってしまう。

<民優先のアメリカでも、品種開発は州が担う>
 アメリカは何でも民間と勘違いしているが、全く事情が異なる。各州にはLand-Grant Universityと言われる州立の〇〇 State University(州立大学)があり、そこには必ず農学部があり、その州の農業について研究開発から技術普及まで中心的な役割を果たしている。いくら大平原だらけのアメリカでも地域によって気候が異なり、その州に合った種を開発していかなければならないからである。そして、農家は小麦や大豆などの主要作物の種の大半をこうした公的機関から調達している。
 日本はそれと比べればずっと気候が複雑で、山一つ隔てたら新しい種が必要になったりすることもあることから、アメリカよりもずっとバラエティーに富んだ種が必要となり、それには地方自治体の試験研究機関が対応するしかない。だから、種子法廃止後、2018年3月の兵庫県を皮切りに22の都道府県で種子条例が制定されているのだ。国が責任を放棄する中、地方自治体が危機感を抱き、手を打っているのだ。長野県は種子法の範囲(米、麦、大豆)を超えてそば、あわ、きび、小豆、伝統野菜の種子供給も盛り込んでおり、見事というしかない。
 愚かな政府、冷たい政府の尻拭いをする都道府県のこのような条例はいまだかつてないことであり、今後の地方自治の見本となっていくかもしれない。新型コロナウィルスの対応でもしっかりとした知事のリーダーシップの下、政府よりも都道府県のほうが理に適った対応をしていることが多く見られたが、もしこのようなことが続くとしたら、それこそ地方分権を更にすすめなければなるまい。

<筑波の研究者の気高いモラル>
 次に試験研究、品種登録のモラルについて触れたい。私が農林水産技術会議事務局のNo,2だった頃、農水省の試験研究機関もすべて独立行政法人化し、研究費を自らで稼ぐのが国の大方針だった。種でいえば、農林水産省の筑波の研究所で開発された品種を、種苗法の下で登録して、そしてその登録料で研究開発費を稼げというのだ。そして、職務育成品種といえども、開発した研究者個人にも特許料(この場合は品種登録料)が入る仕組も考えられていた。それに対して筑波の研究者は、自分の好きな研究を給料をもらいながらやらせてもらっただけで十分、まして農民からお金を徴収するのは潔しとしない、自分が研究開発したものを一日も早くみんなに使ってもらいたい、という健気な考えの持ち主だらけだった。研究者のモラルの高さ、公徳心に脱帽し感動を覚えた。
 その点では、日亜化学工業の研究者で青色発光ダイオード(LED)を作り上げた中村修二氏と大きく異なる。彼は研究開発の成果が会社だけに属するはけしからん、と訴訟を起こし、それがきっかけとなり2005年に知的財産高等裁判所ができている。また、2015年の特許法改正では、特許を受ける権利は発生時から使用者に帰属することとされ、従業者は相当の利益を受けるだけとされている。

<特許を放棄して中南米・アフリカの風土病から数億人を救った大村博士>
 もう一つ特許のことで言えば、大村智ノーベル生理学・医学賞の受賞者の美しい話もある。大村博士は、製薬会社のメルク社と産学連携し特許契約を結び、250億円の特許料を得たものの、その多くを北里研究所の研究費に回し、病院も作り、生まれ故郷の地元韮崎に7億円もかけて美術館を造っている。つまり社会還元である。そして大村博士は、「私は微生物の力を借りただけだ」とあくまでも謙虚である。
 大村博士は、微生物から動物に効くイベルメクチンを抽出し、視力が失われてしまうオンコセルカ症(河川盲目症)病に効くことが判明した。そして、その人たちを救うことになる薬メクチザンを作り出し、中南米やアフリカの人たちのために特許を放棄したというのである。そのために多くの人たちが安く薬を手にすることができ、視覚障碍者にならずにすんだことからノーベル平和賞にも値すると言われていた。これを農業の世界、種の世界に当てはめるとすれば、水が半分で育つ優良種子で砂漠周辺の多くの人が飢えから解放されるなら、その品種登録の育成者権を放棄するというものである。
 こういうことを忘れて、やたらと育成者権の保護ばかり喧伝するのはバランスを欠く。特許といった概念は人間が作ったものであり、25年なり30年が経ったら誰でも使えるようになるが、私はその長さはものによって違いがあってよく、例えば米や小麦といった基幹的作物は短く、花や観賞樹は民間に任せて年数が長くなってもかまわないのではないかと思っている。工業製品と農産物は扱いを異にすべきだが、同じ農産物でも違いがあって然るべきである。

<医療、食料は特許の例外にすべきという主張の合理性>
 こういうことに関連して言えば、UR(ウルグアイラウンド)の後半BRICS(ブラジル、インド、中国等の新興国)は、命にかかわる医療と食料の分野については特許の例外をすべきであるという主張をし出した。私は最初にその主張を聞いた頃は、すぐには理解できなかったが、大村博士の例を考えてみると、むべなるかなと思うようになった。視力を失うことを防ぐための薬が高額な特許料を加味した薬では、貧困にあえぐ人々には行き渡らない。今、コロナ禍の中で、ワクチンが特許により高額になるとしたら、世界は受け入れまい。

<コロナウィルス感染症ワクチンや治療薬は特許制限が妥当>
 今、日本でもコロナの第三波が猛威を振るっている。各国とも、ワクチンや治療薬の開発に全力を挙げている。そうした中、ワクチンの完成間近の米医薬品メーカー・モデルナは、パンデミックが続く間は特許権を行使しないと表明している。いずれライバルのファイザー社等も追随してくると思われる。
 これとは別に、特許技術を第三者が許可なく使える「強制実施権」という制度がある。これはWTOでも認められており、世界中が困っている今はこの制度が生かされる絶好機であろう。特許料は高すぎて治療ができないという事態は避けなければならないからだ。あとは、政府なり通常に戻った時の製薬会社への補償の問題である。
 だとすれば、常時食料不足にある世界を救うためには、せめて穀物や油糧種子は恒常的に特許の例外としてもおかしくない。それを農家の自家増殖を認めないなどと、育成権者ファーストばかりを追求していたら世界から相手にされなくなってしまう。