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羽田雄一郎参議院議員の急逝を悼む(2)-羽田代表で穏健・リベラル保守を取り込み政権交代を目指せた-20.12.31

<旗幟鮮明な野党統合への動き>
 2019年末からは、国民民主党が立憲民主党と一緒になることは散々議論されていた。私は2017年総選挙後の3党鼎立時に奔走し体調を崩したため、そうしたことに関わるのをやめようとさえ思っていた。しかし、そうばかり言ってはいられないと、20年6月中旬ぐらいから動き出した。国民民主党幹部は、合流する気がないので合流に前向きな平野幹事長を何かと支えることにした。
国民民主党と立憲民主党の対立が最も激しい参議院では特に合流話が前に進まなかった。参議院において、いわゆる小沢グループ以外は統合に前向きな者が少なかった。そうした中で統合すべきだと明言していたのは雄ちゃんだけであった。父君羽田元総理の遺訓を堅持していたのである。

<羽田イズムを踏襲する長野の三人組>
 長野のもう一人の衆議院議員である下条みつ(小選挙区で当選)も、統合すべきと明確にしていた。当選回数の少ない衆議院の若手議員たちもこぞって両党が一緒になるべきという流れになっていた。しかし、大半が比例復活当選をするために大きな傘の下にいなければならないから合流に走っている、とみられていた。そこで小選挙区当選の二人がそうした悪評を拭い去るために相談して、合流すべきという会合に参加した。
 このように雄ちゃん、下条みつ、私の長野県組は全員一致団結して二大政党制を目指す羽田イズムを継承している羽田チルドレンなのだ。
 立憲民主党との統合を進めようという人たちにとっては、雄ちゃんの存在が当然安心感につながっていた。つまり、20年を超える政治的キャリア、そして物腰の柔らかな雄ちゃんは同僚議員から一目も二目も置かれており、党をまとめるという大事な役割を担う人物になっていた。いつの間にか父の羽田元総理に近づきつつあった。

<幻の羽田雄一郎衆院選出馬>
 私は長野3区の候補者擁立については、全てを雄ちゃんと千曲会(羽田後援会)に任せ、1つを除いては全く口を挟んでいない。その1つとは、雄ちゃんが衆議院に鞍替えすることであった。記者達からの質問に対してもすべて任せてあると言いつつ、私の気持ちとしては、雄ちゃんに出てほしい、それ以外にないと言い続けてきていた。しかし、雄ちゃんは公式の場ではいつも考えていないと拒否し続けていた。
 実は雄ちゃんの衆議院への鞍替え話は2012年12月の選挙の時にもあった。ところが、当時の政権与党・民主党の幹部は「同一選挙区で直ちに出馬する世襲は認められない」という硬直的ルールに固執して認めなかった。北沢元防衛大臣は「国土交通大臣までした者がなぜ世襲なのか。1999年の参議院補欠選挙の時こそが世襲だ」と反論していたが実現せず、寺島義幸が出馬して民主党では唯一の新人当選者となっている。この時に羽田雄一郎衆議院議員が誕生していたら、長野県政界地図は異なったものになっていただろう。

<篠原の率直な鞍替え出馬進言>
 その後いろいろあり、結局3区は、井出庸生が野党側で衆議院議員として定着しつつあった。ところが、その井出庸生が2019年12月13日突然自民党に行ってしまった。とんでもないことだが、私はこれで雄ちゃんが天下晴れて衆議院に鞍替えできる、とむしろ前向きに捉えることにした。
そして、いつの頃からか雄ちゃんには事あるごとに言い続けた。「衆議院に鞍替えしろというのが天の声だ。井出さんは政治活動・理念がもともとリベラル。長野県のリベラル保守の代表的政治家系の井出家の三代目であるにもかかわらず自民党に寝返った。これはもともとの支持者こそ許さない。長野県や3区のリベラル気質の有権者は井出庸生に厳しい仕打ちをするはず。準備はそれほどなくとも、1回目は必ず小選挙区当選できる。
(次からは私のいつものキツイ叱咤激励)大体、6年に1回の選挙に安住していてどうする。戸別訪問して、その出ている腹をへこませた方が健康にもいい。僕がドブ板選挙のやり方を教えてやる。僕が、お父さんの勧めで衆議院議員に出たのが55歳、雄ちゃんは今でも53歳にすぎないではないか。20年以上政治家をやっているんだから、もうあとは徹底的に汗をかいて暴れまくってもいいじゃないか。衆議院に鞍替えして5つの小選挙区全てで野党が勝つんだ。そして長野から政権交代だ」

<野党党首の条件を備えた雄ちゃん>
 衆議院鞍替えの延長線上にあるのは、代表そして総理である。
 今の野党に欠けるものは何か。落着きであり、まとまりである。参院選の折の私のヨイショではないが、ゆったりした性格は他の野党の従前のリーダーには見られない。次に、彼は野田政権で数カ月国土交通大臣をやっただけ、つまり民主党政権の負の遺産を背負っていない。更に、ここ数年の野党のゴタゴタにも全く巻き込まれていない。つまり、野党の失政や失敗の手垢がついていないのだ。国民は何をしでかすかわからない危ういリーダーは不安を感じるだけである。従って政治経験の浅い党首は5%や数%の支持率しかない内輪の党首たりえても、全国民は魅き付けられない。それどころか国民はむしろ拒否反応を示すであろう。我々は仲良しグループの長を党首にしてはならない。全国民に向けて支持の得られやすい党首を選ばなければならない。

<リベラルをがっちり掴み、次に穏健・リベラル保守を取り込む>
 旧・国民民主党の支持率がついに2%を上回ることがなかったのは、フワフワと小池百合子の希望の党に走り、浮ついた行動をしていたからである。私は、希望の党の党首が国民民主党の党首では絶対に支持率は上がらないと断言し、その通りの展開となった。
 それでは旧・立憲民主党がそのまま大きくなればよいかというとそう簡単にはいくまい。一時つまり2017年の総選挙の前は瞬間的に13%の高支持率となり、リベラル層を結集できた。しかし、その延長線で全国民にあまねく支持を広げることはおいそれとできまい。野党統合後も支持率が一向に伸びず、10%に満たないことがその困難さの証である。そこで穏健・リベラル保守を魅きつける何かが必要となる。

<羽田元総理の求めた責任ある野党>
 もう1つ大切なことは、雄ちゃんは元自民党の羽田孜総理の息子であり、参議院選挙の得票(野党票を10万票を上回る保守票を取り込んでいる)にみられるように、日本人の大半を占める穏健・リベラル保守からも支持される素地があることである。新・国民民主党は、提案政党とか訳のわからないことを言っているが、野党が与党に与しては野党とは言えまい。野党として敢然と与党に立ち向かいながら、国民に嫌われない立ち位置を保持する必要がある。羽田元総理はこれを「責任ある野党」と称し、私の政界入りを勧める時に「責任ある野党」を作るために手を貸してほしいと盛んに使われた。
 それにはバランスのとれた政治が必要であり、それを体現できる雰囲気を備えるトップが必要である。そして羽田雄一郎こそその条件に適した政治家だった。つまり、息子の雄ちゃんがその責任ある野党の党首に成長していたのである。
 泉健太選対に集った若手政治家の中に、上記のことをポツリと漏らす者がいたことに驚き、嬉しい気持ちになった。雄ちゃんはかくして、父君羽田孜元総理が民主党統合の象徴だったと同じように、今や野党統合の象徴となり、次のリーダーと目されつつあったのだ。

<二つの弔い選挙を勝ち抜く決意を新たにする>
 ところが12月27日雄ちゃんは突然我々の前から消えてしまった。我々は野党の救世主、将来の総理候補を失ってしまったのである。痛恨の極みとはこのことである。しかし、4月25日の参議院選そしてその次に控える総選挙に向け、雄ちゃんの後継にふさわしい候補を擁立して二つとも勝ち取ることを目指して決意を新たにしたところである。