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2020年12月31日

羽田雄一郎参議院議員の急逝を悼む(2)-羽田代表で穏健・リベラル保守を取り込み政権交代を目指せた-20.12.31

<旗幟鮮明な野党統合への動き>
 2019年末からは、国民民主党が立憲民主党と一緒になることは散々議論されていた。私は2017年総選挙後の3党鼎立時に奔走し体調を崩したため、そうしたことに関わるのをやめようとさえ思っていた。しかし、そうばかり言ってはいられないと、20年6月中旬ぐらいから動き出した。国民民主党幹部は、合流する気がないので合流に前向きな平野幹事長を何かと支えることにした。
国民民主党と立憲民主党の対立が最も激しい参議院では特に合流話が前に進まなかった。参議院において、いわゆる小沢グループ以外は統合に前向きな者が少なかった。そうした中で統合すべきだと明言していたのは雄ちゃんだけであった。父君羽田元総理の遺訓を堅持していたのである。

<羽田イズムを踏襲する長野の三人組>
 長野のもう一人の衆議院議員である下条みつ(小選挙区で当選)も、統合すべきと明確にしていた。当選回数の少ない衆議院の若手議員たちもこぞって両党が一緒になるべきという流れになっていた。しかし、大半が比例復活当選をするために大きな傘の下にいなければならないから合流に走っている、とみられていた。そこで小選挙区当選の二人がそうした悪評を拭い去るために相談して、合流すべきという会合に参加した。
 このように雄ちゃん、下条みつ、私の長野県組は全員一致団結して二大政党制を目指す羽田イズムを継承している羽田チルドレンなのだ。
 立憲民主党との統合を進めようという人たちにとっては、雄ちゃんの存在が当然安心感につながっていた。つまり、20年を超える政治的キャリア、そして物腰の柔らかな雄ちゃんは同僚議員から一目も二目も置かれており、党をまとめるという大事な役割を担う人物になっていた。いつの間にか父の羽田元総理に近づきつつあった。

<幻の羽田雄一郎衆院選出馬>
 私は長野3区の候補者擁立については、全てを雄ちゃんと千曲会(羽田後援会)に任せ、1つを除いては全く口を挟んでいない。その1つとは、雄ちゃんが衆議院に鞍替えすることであった。記者達からの質問に対してもすべて任せてあると言いつつ、私の気持ちとしては、雄ちゃんに出てほしい、それ以外にないと言い続けてきていた。しかし、雄ちゃんは公式の場ではいつも考えていないと拒否し続けていた。
 実は雄ちゃんの衆議院への鞍替え話は2012年12月の選挙の時にもあった。ところが、当時の政権与党・民主党の幹部は「同一選挙区で直ちに出馬する世襲は認められない」という硬直的ルールに固執して認めなかった。北沢元防衛大臣は「国土交通大臣までした者がなぜ世襲なのか。1999年の参議院補欠選挙の時こそが世襲だ」と反論していたが実現せず、寺島義幸が出馬して民主党では唯一の新人当選者となっている。この時に羽田雄一郎衆議院議員が誕生していたら、長野県政界地図は異なったものになっていただろう。

<篠原の率直な鞍替え出馬進言>
 その後いろいろあり、結局3区は、井出庸生が野党側で衆議院議員として定着しつつあった。ところが、その井出庸生が2019年12月13日突然自民党に行ってしまった。とんでもないことだが、私はこれで雄ちゃんが天下晴れて衆議院に鞍替えできる、とむしろ前向きに捉えることにした。
そして、いつの頃からか雄ちゃんには事あるごとに言い続けた。「衆議院に鞍替えしろというのが天の声だ。井出さんは政治活動・理念がもともとリベラル。長野県のリベラル保守の代表的政治家系の井出家の三代目であるにもかかわらず自民党に寝返った。これはもともとの支持者こそ許さない。長野県や3区のリベラル気質の有権者は井出庸生に厳しい仕打ちをするはず。準備はそれほどなくとも、1回目は必ず小選挙区当選できる。
(次からは私のいつものキツイ叱咤激励)大体、6年に1回の選挙に安住していてどうする。戸別訪問して、その出ている腹をへこませた方が健康にもいい。僕がドブ板選挙のやり方を教えてやる。僕が、お父さんの勧めで衆議院議員に出たのが55歳、雄ちゃんは今でも53歳にすぎないではないか。20年以上政治家をやっているんだから、もうあとは徹底的に汗をかいて暴れまくってもいいじゃないか。衆議院に鞍替えして5つの小選挙区全てで野党が勝つんだ。そして長野から政権交代だ」

<野党党首の条件を備えた雄ちゃん>
 衆議院鞍替えの延長線上にあるのは、代表そして総理である。
 今の野党に欠けるものは何か。落着きであり、まとまりである。参院選の折の私のヨイショではないが、ゆったりした性格は他の野党の従前のリーダーには見られない。次に、彼は野田政権で数カ月国土交通大臣をやっただけ、つまり民主党政権の負の遺産を背負っていない。更に、ここ数年の野党のゴタゴタにも全く巻き込まれていない。つまり、野党の失政や失敗の手垢がついていないのだ。国民は何をしでかすかわからない危ういリーダーは不安を感じるだけである。従って政治経験の浅い党首は5%や数%の支持率しかない内輪の党首たりえても、全国民は魅き付けられない。それどころか国民はむしろ拒否反応を示すであろう。我々は仲良しグループの長を党首にしてはならない。全国民に向けて支持の得られやすい党首を選ばなければならない。

<リベラルをがっちり掴み、次に穏健・リベラル保守を取り込む>
 旧・国民民主党の支持率がついに2%を上回ることがなかったのは、フワフワと小池百合子の希望の党に走り、浮ついた行動をしていたからである。私は、希望の党の党首が国民民主党の党首では絶対に支持率は上がらないと断言し、その通りの展開となった。
 それでは旧・立憲民主党がそのまま大きくなればよいかというとそう簡単にはいくまい。一時つまり2017年の総選挙の前は瞬間的に13%の高支持率となり、リベラル層を結集できた。しかし、その延長線で全国民にあまねく支持を広げることはおいそれとできまい。野党統合後も支持率が一向に伸びず、10%に満たないことがその困難さの証である。そこで穏健・リベラル保守を魅きつける何かが必要となる。

<羽田元総理の求めた責任ある野党>
 もう1つ大切なことは、雄ちゃんは元自民党の羽田孜総理の息子であり、参議院選挙の得票(野党票を10万票を上回る保守票を取り込んでいる)にみられるように、日本人の大半を占める穏健・リベラル保守からも支持される素地があることである。新・国民民主党は、提案政党とか訳のわからないことを言っているが、野党が与党に与しては野党とは言えまい。野党として敢然と与党に立ち向かいながら、国民に嫌われない立ち位置を保持する必要がある。羽田元総理はこれを「責任ある野党」と称し、私の政界入りを勧める時に「責任ある野党」を作るために手を貸してほしいと盛んに使われた。
 それにはバランスのとれた政治が必要であり、それを体現できる雰囲気を備えるトップが必要である。そして羽田雄一郎こそその条件に適した政治家だった。つまり、息子の雄ちゃんがその責任ある野党の党首に成長していたのである。
 泉健太選対に集った若手政治家の中に、上記のことをポツリと漏らす者がいたことに驚き、嬉しい気持ちになった。雄ちゃんはかくして、父君羽田孜元総理が民主党統合の象徴だったと同じように、今や野党統合の象徴となり、次のリーダーと目されつつあったのだ。

<二つの弔い選挙を勝ち抜く決意を新たにする>
 ところが12月27日雄ちゃんは突然我々の前から消えてしまった。我々は野党の救世主、将来の総理候補を失ってしまったのである。痛恨の極みとはこのことである。しかし、4月25日の参議院選そしてその次に控える総選挙に向け、雄ちゃんの後継にふさわしい候補を擁立して二つとも勝ち取ることを目指して決意を新たにしたところである。

羽田雄一郎参議院議員の急逝を悼む(1)-父親譲りの誰からも好かれるDNAは野党統合の象徴 -20.12.31

 私はブログ・メルマガや国政報告に追悼などを書きたくない。ましてずっと年下の知人の追悼文などまっぴら御免である。しかし、まだ53歳、参議院議員5期、若き政治家羽田雄一郎の追悼はしなければならない。

 12月23日、立憲民主党長野県連が新しく一緒になったことから新任の常任幹事の皆さんに集まっていただき幹事会を開いた。そこでは元気で何も変わりがなかった。特に記者会見では長野3区で井出庸生が自民党に移ったこともあり、我が党の候補者がいない選挙区の候補者選びについて質問が集中した。そこでもいつものとおり丁寧にきちんと答えていた。私が口をきいたのは、その記者会見での同席が最後になった。4日後の27日、突然羽田雄一郎逝去の報が届いた。私はあり得ないことだと我が耳を疑った。
 雄ちゃんの人となりについては、私が2019年7月の参院選で前座を務めた時の定番の応援演説を再録するのがベストと思われるので、ここに紹介する。選挙時の挨拶なので多少大袈裟なところもあるが、わかりやすいのではないかと思う(川中島会場、北沢元防衛大臣も応援弁士として出席)。

<羽田親子はそっくり。篠原はニセ羽田チルドレン>
 「私は羽田候補の父君、羽田孜元総理の強い勧めで衆議院議員になりました。ですから、当時の隆盛を極めた小沢チルドレンや小泉チルドレンに対抗して羽田チルドレンと称していました。数は少ないが、質はこっちの方がよかったと思います。しかし、これは言ってみればニセ者でして、本当のチルドレンは羽田候補です。その証拠に顔も丸い、体も丸い、性格も丸い、すべて羽田元総理にそっくりです。最近は長話まで似てきていますが、次の会場が困りますので、今日は話を短くするように伝えてあります。

<4期挑戦の榛葉候補に対抗馬を立てる立憲民主党>
 皆さん、静岡県選出の榛葉和也参議院議員、知っていますか(3人ほど手を挙げる)。羽田候補は5回目、榛葉候補は4回目の選挙で2人とも参議院の幹事長、国対委員長を歴任していますが、今回の選挙、大きな違いがあります。
 長野は1人区になり大変ですが、静岡は2人区で与党1、野党1で安泰のはずが、なんと友党の立憲民主党が徳川家の末裔という人を立てているのです。榛葉候補は立派な方ですが、北沢元防衛大臣とちょっと似たところがあり、ケンカっぱやいのです。その結果、敵ができてしまい立憲民主党の方に多くいるようで、対抗馬まで擁立されてしまいました。立憲民主党が大人げないのは明らかです。私は先日、徳川が相手では真田の長野はじっとしておられない、と冗談を言って榛葉候補の応援に行ってきました。しかし、身内の争いはなかなか大変です。

<羽田候補には両党代表が応援に駆け付ける>
 ところが、羽田候補は、頼みもしないのに国民民主党の玉木代表ばかりでなく、立憲民主党の枝野代表も福山幹事長も応援に来てくれ、えらい違いです。どうしてこんなに差がでてくるのか。
 自民党農林部会に私は一役人として散々壁で話を聞いて、いつも早くまとまってほしいと願っていました。ところがなかなかまとまらない。しかし、羽田孜さんが話すと何となくまとまるのです。
 羽田候補は同じことを言っても嫌われることがない。よく皆さんの集落でもあるでしょう。あの人が言うと話が壊れ、あの人が言うと話がまとまる。その後者の典型が羽田親子です。政界で似ている親子は誰でも知ってる小泉純一郎・進次郎親子ですが、羽田孜・雄一郎親子も実はそっくりで、つくづくDNA・遺伝子は偉大だと思います。

<常に融和を作ろうとする>
 正直言って、一人区の候補で一番当選に近いのが羽田候補ですから、もっと接戦している選挙区の応援に入ったほうが党のためになるのです。他のもっと接戦の同僚議員のところへ行けと言って断れ、と私は進言しましたが、事を荒立てたくないと受け入れません。そこで、余計なお世話だから長野1区には来なくていいと冗談半分に言い捨てました。そう伝えたかどうかしれませんが、結局誰も長野には来ませんでした。この一事に象徴されるように、私のキツイ進言も軽くいなし、両方の顔を立てて、うまくまとめているのです。3人の幹部が応援に来るのは、将来の統合を考えた場合、誰からも好かれ、敵がなく、皆に信頼されている羽田候補が不可欠な人だからです。

<1人区で唯一の国民民主党当選者>
 つまり、重みのあるのは体重だけでなく、政治家としても重みのある存在なのです。ですから、その重みに合わせた得票を是非お願いしたいのです。この後に話をする杉尾さんは、「2016年に長野は全国一の投票率62.85%で、若林候補に7万票の大差をつけて当選した」と自慢話をしますので、杉尾さんよりも大差、例えば10万票ぐらいの差で当選させていただくことをお願いして、私の応援演説とさせていただきます」
(2019年7月21日、開票日。私は気になり杉尾さんに「僕が言っていた10万票の差はつけられたかな」と聞くと、「投票率が50%前後と10ポイントも低いから無理でしょう。」という答えだった。ところが全国一早く当確が出て、結果は14万5千票の大差での勝利であった。比例区での4野党の票が合計41万票なのに、それを10万票上回る51万票だった。有権者は雄ちゃんに父孜総理を重ねてみており、多くの穏健保守、リベラル保守も雄ちゃんに投票していることがうかがわれる。そして、これが全国にも通ずることなのだ。) 《以上前述の応援演説より》

<二大政党制の実現に邁進>
 以下、愛称の『雄ちゃん』で書かせていただく。なぜなら、我々の周りに二人の羽田さんがいたので、息子を雄ちゃんと呼び、区別していたからだ。ところが円満な性格も相まって永田町での通称となっていた。
 雄ちゃんは長野県初のそして唯一の総理、羽田孜元総理の長男。私はその父親に散々勧められて政治家になった。皆さんはあまり気づいていないかもしれないが、羽田元総理の二大政党制を確立し日本の政治を変える、という哲学・思想を2人のチルドレンは完全に共有している。
 私は羽田元総理の教えを守り、小沢一郎も亀井静香も一緒、野党は全部結集して政権奪取をしなければならないと、ずっと同じことを言い続けてきた。そしてそのとおり行動してきた。そしてそれに真剣になりすぎて、2017年の総選挙で野党が3党に分裂した時は体調を壊してしまっている。二大政党制は私の政界入りの原点であり、それだけ必死なのだ。
 雄ちゃんもその気持ちは全く同じである。そしていつの頃からか意を決して行動し始めている。

<台風19号補正予算を巡る複雑な立場>
 まず、2019年の19号台風の補正予算(秋の臨時国会)への対応にみられる。
 長野市長沼地区の堤防が決壊して、大被害をもたらした。ここまでしてくれるのかと私が驚くほど、国はきちんと対応してくれた。だから被災地の国会議員として雄ちゃん、下条みつ、私の3人で一緒に賛成しようと話し合った。勿論こうした際どい件は大体私が言い出しっぺである。
 詳細は避けるが例えば河川堤外のりんご、桃等の果樹被害に対して、150万円/10aも援助してもらう手厚いものになっていた。雄ちゃんの地元中の地元である千曲川上流の上田でも、河川の土手が崩壊したが、その修復にも万全の予算措置が講じられた。農水省や国土交通省といった古典的な(?)役所は大臣経験者に丁寧に対応する。だから、尚更のこと災害復旧予算は手厚くなっていた。

<意を決して初めて党の拘束に反する>
 こうした時の政府・与党の常套手段であるが、野党の反対する予算、今回は中東への自衛隊派遣、アベノミクスの彌縫策等も抱き合わせていた。早い立ち直りを目指す地元のことを考えたら、一刻でも早い成立をと急ぐ必要がある。だから、我々3人は他の予算に反対でも災害対策の補正予算に反対する理由がなく、むしろ賛成しなければならない立場にあった。
 結局、下条みつと私は衆議院本会議を欠席したが、雄ちゃんは本会議に出席し、同じく被災地選出の増子輝彦参議院議員等と共に補正予算案に賛成した。20年を超える国会議員生活の中で初めて党の方針に造反し、党からお咎めを受けている。つまり、今までの良い子の雄ちゃんが、一皮むけかけていたのである。私は、言い出したくせに本会議に出席して賛成しないなんてだらしがない、と珍しく雄ちゃんに叱られてしまった。(次号に続く)

2020年12月17日

労働者協同組合は地域の絆を復活し、潤いをもたらす -みんなで助け合う協同組合精神で生きがいのある雇用を創出- 20.12.17

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 国会議員は、必ず一つは所属しないといけない委員会の活動の他にもいろいろな政治活動の場面がある。その一つが毎朝開かれる党の部会であり、他にも共通の問題意識を持った議員で集まる議員連盟があり、時には法案を提出する母体となっている。

<「桝屋法案」成立の手助け>
 その一つである超党派の「協同組合振興研究議員連盟」(2008年設立)で、桝屋敬悟衆議院議員(公明党)が「労働者協同組合法(以下「本法」)」の成立のため獅子奮迅の働きをされていた。桝屋議員は次期衆院選には出馬されないこともあり、いつ解散総選挙があるか分からない中、私は桝屋さんの現職中の今臨時国会中の成立のため手助けしていた。私は桝屋議員の尽力に敬意を表し、「桝屋法案」と呼んでいた。
 私も提案者の一人として名を連ね、参議院厚生労働委員会では、提案理由説明をして答弁者も務めた。そして、12月4日最終日に当初からすると40年を経てやっと成立した。

<労働者協同組合は会社と同じく何でもできる>
 とはいっても一般の人にはわかりにくい。そこで私は二つの解説的説明をすることにしている。
 会社はどんな事業でもできるが、株主がいて配当がある。社長等経営者がいて従業員(労働者)がいて、賃金が支払われる。そこに主従関係が生まれ、労働者の意思は労働交渉といった機会にしか反映されにくい。当然営利を目的にして稼ぎ、労働者に賃金を払い、株主に配当する。最大の利益を上げるべく労働者の意思などおかまいなしで、むしろ株主のほうを向いた経営が行われる。
 それに対して、この労働者協同組合(以下「労協」)は、出資があるが配当はなし、代表理事、専務理事等はいても経営者というものがなく、組合員全員が事業に従事して働き、更に経営にも意見を言って参加する組織である。営利を求めることはないのが会社や企業組合と大きく異なるところである。

<NPOとも企業組合とも違うメリット>
 つまり、労働者協同組合は会社と同じことを労働者が自ら ①出資して財務基盤を強め、②事業に従事、③意見を反映して民主的運営ができることに特徴がある。NPO法人には出資はなく、財政基盤を強くするには寄附に頼るしかない。また、特定非営利活動20分野に限定されているが、労協には分野の限定はなく、人材派遣業以外は何でもできる。
 また、似通っていると思われる企業組合には出資があるが、配当もあり、営利を目的としている。従って、地方自治体からの委託は受けにくい。つまり、逆に言えば気の利いた、地方自治体は労協に非営利の公共的仕事をいくらでも頼めることになり、地方の雇用の創出にもつながる。

<日本社会に根付いていた協同作業の受け皿になる>
 二つ目には、農村地域社会で各家が一人労働を提供して、いろいろな地域社会維持活動をしてきたのと同じだということである。例えば川普請である。日が決められ一斉に集落を流れる川や水田用の用水路のドブさらいをする。これに対して住宅地のスプロール化が進展した折には、新住民は住民税を払っているのに何でそんなことをするのだと各地で軋轢が生じたが、新住民が日本社会のルールを理解していないための衝突である。
 斎藤幸平大阪市立大学院准教授は、労協のよき理解者であり、労働者協同組合は19世紀のヨーロッパに起源を持ち、利潤第一の資本主義の暴走に歯止めをかけると、期待を表明している。確かにそういう面もあろうが、別にそんなに肩肘張る必要もない。前述のように日本の伝統的社会にはもともと利潤など二の次で、みんなのために一人一人が汗を流すという協同労働が根付いていたのである。農山漁村の集落の協同活動を思い出して、分野ごとに応用していくことで本法を有効活用できるのではないかと考えている。

<労協の林業分野への応用を例にとる>
 村には村有林があり村人皆のもので、大きな木を切るのは別として、薪の類は自由に集めてよいという仕組みがあった。いわゆる総有であり、欧米流に言うとcommonsである。また、別途燃料として薪も必要なために各農家が薪炭林を1haくらいずつ自分の山を持っていた。
 今こうした分野に、協同の労働が必要となる。例えば、薪が必要なくなり、木材も二束三文に値下がりした今、個別の農家では山の手入れなどできない。そこで村の若手5~6人が、下草刈からはじめて枝打ちまですべて請け負う労協を設立し、その村の山の整備を一手に引き受けることができる。かくして村の山林は守れ、村の絆が一部で復活することになる。レイドロー報告が労働者協同組合を推奨したのは1980年、2015年国連はSDGsを採択した。sustainabilityを重視し働きがいのある人間らしい雇用を促進する労働はSDGsにピッタリな組織といえる。

<先行する事例に学ぶ>
 先行するワーカーズコープ(350事業所、2.5万人、440億円の事業)やワーカーズ・コレクティブ(生協活動、500団体、1万人) では、都市部の介護、福祉、子育て、障がい者福祉、清掃、街づくり、配送サービス等で労協の形が多くみられる。例えば、子育て分野で、近隣の働くお母さん方のために余裕のある人たちが子育ての労協を設立し、面倒をみる。一方で、その預けたお母さんも自分の手の空いている時は、労働者の一員としてパートで子育てに参加するといった具合で、地域社会でお互いに助け合うことができる。こうしてバラバラになった都市社会に一つの分野を通じて絆を取り戻すことができる。
 この二つの説明で概略が分かり、具体的な姿が浮かんで来る者は、まだ少ないと思う。しかし新しい協同組合精神が日本社会に浸透し、前述の通り農山漁村では昔ながらの協同労働を思い出し、都市部では先行事例にならい、労協という新しい受け皿が有効に活用されることを願ってやまない。

<衆参とも 1時間審議で全会一致と異例尽くしの美しい議員立法>
 議員立法は通常は宣言法、プログラム法が多いが、本法は137条に達する長文の組織法である。しかも、衆参で1時間ずつ審議も行われ、その過程で疑問点も明らかにされ、議事録はまるで美しい想定問答ないし通達集になっている。私も議員生活17年に及び数々の議員立法に手を染めてきたが、こんなに美しい議員立法は初めてである。小山展弘・前衆議院議員が議連を動かしていたが、私が代理役を務めることになった。荷が重かったが目的を果たせほっとするとともに、このような意義ある法案に携わることができたことに感謝している。

上記で説明しきれなかった労協のメリットや活用しやすい分野を挙げておく。

<他のメリット>
○他の多くの組織は許認可が必要なのに、届出だけで設立できる。(cf.他は許認可に時間がかかる。)
○ ①行政の許可など必要なく、②原則5人以上で、法務局に登録(つまり届け出)するだけで、③簡単に設立できる。
○労働契約を結ぶことから、組合員が労働者として保護され、労働組合も設立できる。(cf.企業組合の組合員は労働者ではないとの判決もある)
○自分の意思で人間らしく働ける。(cf. decent work(働きがいのある人間らしい仕事)に近づく。会社は株主や設立者が意思決定)
○選挙権、議決権は出資数にかかわらず一人一票と平等であり、剰余金も出資額ではなく事業に従事した程度に応じて分けられる。

<活動しやすい事業分野>
○新しい働き方が可能(例:週3日は勤務。2年休んで復帰など)
○引きこもりの人、障がい者、シングルマザー、パート労働者等、自分の働き方に合わせて就業できる。
○地方への移住やワーケーションにも使える。
○NPO法人や企業組合からの組織変更が容易(一定期間)
○人不足の農山漁村の仕事を引き受ける柱になり仲間作りにも応用できる。
○都市部でも需要があるのに担い手のない分野(後継者不足の中小企業、介護、子育て等)にすぐに使える。
○コロナ禍で失業が問題視される中、若者や高齢者の働く場の確保につながる。

2020年12月16日

長期政権で膿だらけの自民党 - 桜を見る会、吉川貴盛元農相のスキャンダルは政権交代以外に止められず -20.12.16

 桜を見る会を巡る疑惑は安倍総理の退陣もあり、一旦は終息しかかった。韓国は大統領が退陣しても容赦なく追及し続けるが、日本社会は優しく、公職を辞すとまあいいかと許してしまうことが大半だからだ。しかし、今回は少々違っており、臨時国会も閉会に近づきつつある11月23日、東京地検特捜部が安倍総理の公設第一秘書から任意で事情聴取をしていたことが、あろうことか政府寄りの讀賣新聞によりスクープされた。

<安倍内閣が黒川検事総長になぜこだわったのか>
 なぜ日本では異例の政治への介入捜査が行われたか、後から時系列的に何が起きたかを振り返ってみると、いろいろなことがわかってくる。
安倍内閣は定年延長をしてまで黒川弘務検事総長に相当執心した。なぜそこまで黒川弘務にこだわるのか当時はよくわからなかった。
 桜を見る会、それより前のモリ・カケにしても同じであるが、事実なら明らかな法律違反である。だから安倍内閣は捜査の手が伸びることを極度に恐れ、検事総長も是が非でも自分の言うことを聞く検事総長にしたかったのではないだろうか。

<検察は三権分立と行政の狭間にある>
 三権分立で、行政・立法・司法は独立していなければならないが、検察だけはちょっと変わっていて、法務省(行政)の傘下にある。そのため検事の一部のエリートは法務省にも出向法務行政も経験し、特に終盤になると刑事局長・法務次官・検事総長というのが定番のコースとなる。
 私は、京大法学部を出たが、同級生もゼミの同期もあまり役人はいない。多くが法曹界に行ったが、裁判官、弁護士ばかりで検事は身近には一人もいない。多分行政的な立場を潔しとしない姿勢がそうさせたのだろう。端からアンチ政府なのだ。
 そうした中、役人になって20年弱経ちOECD代表部出向中に、在仏フランス大使館(以下仏大)に法務省からの出向者でいかにも検事らしい者に出会った。黒川に代わって検事総長になった林眞琴である。
( 余計なことを言えば、警察庁からも検察と警察はリヨンに国際刑事警察機構があるために出向していた。同じビルの上部がOECD代表部で、下部が仏大で二人とはたまに顔を合わせることがあった。後者は一期目の安倍総理の秘書官、二期目以降内閣情報室長、そして今国家安全保障局長の北村滋である。OECD代表部員にフランス政治情勢のわかりやすい講義をしてくれたが、有能振りはすぐに見分けがついた。安倍総理が重用するのもむべなるかなである。 )


<思いがけず瓦解した黒い企み>
  普通の政治家が愛想の良く、言うことをきいてくれそうな黒川弘務を検事総長に選ぶというのは納得がいく。ところがSNS上で「#(ハッシュタグ)」が走り回り、後付けで定年延長の格好付けをしようとした検察庁法も通らず、挙句の果てに黒川はマスコミに注目されている中、新聞記者たちとの賭け麻雀であえなく辞任していった。安倍政権は黒川検事総長にして、追及をしないようにしてほしかったのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。
案の定、桜問題は再浮上し、今4,000万円のホテルへの支払いとか色々なことが言われ、安倍総理も事情聴取に応じると報じられている。

<追及を逃れるための病気退陣では?>
前回、安倍総理が突如退陣した2007年のことをほとんどの人たちは忘れているが、農業者戸別所得補償により29の1人区のうち23を野党側が取り、自民党は6議席しか取れなかった。その結果、衆・参のねじれが生じ、参議院は野党が多数を占めたのである。これもあって、潰瘍性大腸炎という体調不良があった安倍総理は、秋の臨時国会の所信表明演説をしただけで翌日突発的に退陣した。傍目に見ていても憔悴振りがよくわかった。
 それに対して今回は、そうした感じは受けなかった。一部のマスコミの報道によると、検察の手が伸びてきているというのを察知した安倍総理が先手を打ち、持病の悪化を理由にして退陣した。そして、国会での追及などをはねのけてくれる、云わば一心同体であった菅官房長官を総理にというレールを敷いたともいわれている。
 ただ、その後の安倍総理の元気な姿や、見計らったようなタイミングでの今回の問題の再浮上に、これらの報道もあながち間違いでないような気がしてならない。

<追い打ちをかけた吉川元農相の500万円受け取り>
 そこにまた降ってわいたのが吉川貴盛農水相の大臣室での500万円の受け取りである。職務権限がある農林水産大臣であり、事実なら明らかにあっせん罪と収賄罪である。自民党議員は不祥事発覚と病気入院のタイミングが一致しがちだが、吉川元農相も同様入院し、取材ができなくなった。党の役職を辞任にとどまらず、議員も辞職に追い込まれた。アキタ・フーズという鶏卵の会社の会長であり、鶏卵業界のドンが、OIE(国際獣疫事務局)から発した国際飼育基準を緩めてくれと要望し、その関係で受け取ったとみられている。(12/24修正)

<世界に遅れるアニマル・ウェルフェア>
 あまり馴染みがないかもしれないが、欧米ではAnimal Welfare, Animal Right(動物の福祉、動物の権利)などと呼ばれ、動物にも生きる権利があり虐待的な飼い方はしない、残酷な殺し方はしないといったことが当然のことになっている。例えば、スイスでは1982年に鶏のケージ飼いが禁止され、EU各国でも1羽当たり○○㎡が必要といった基準が設けられている。ところが、日本はそういう点では効率一点張りで、1番アニマル・ウェルフェアを無視した飼い方になっている。アキタ・フーズの会長は、そんなことをしたら経営が成り立たないのでやめてくれと、吉川農林水産大臣に要請していた(この点は日本の歪みを象徴しており、これこそ大切な点なので別途詳細に述べる。)。
 また、私は2004年4月8日の衆議院本会議において、民主党時代の鳥インフルエンザ絡みの議員立法提案理由説明を行ない、日本の非鶏道的飼育の問題を指摘している。それから16年を経て、やっと問題になりだしたのだ。

<長期政権の膿>
 こうしたことは一体なぜ起こるのか。答えは簡単である。自民党の長期政権の故である。長く政権にいると業界との接触も濃密になりすぎていく。新型コロナウィルス同様に過剰な密は避けなければならない。アメリカのように2期8年、あるいはトランプ大統領のように4年でガラッと変わるとなると、そういういかがわしい関係は断ち切れることになる。だからアメリカ大統領も州知事も2期8年までと期限が切られている。私はこれに倣って日本も政令市の首長・知事等は2期8年以内にすべきだと思っている。日本では大臣は1年か2年で交代するにもかかわらず、群がる人たちがいる。

<政権交代しかこの手の事件を根絶できず>
 今後捜査が進むにつれ、多分芋づる式に関係者が出てくるのではないかと思う。かつて撚糸工連事件というのがあったが、これもまた別の事件を捜査しているところから発覚して、政治家の逮捕という大事件に発展した。今回も河井克行前衆議院議員が自民党養鶏議員連の役員であったことから献金を受けていて、妻河井案里参議院議員の1億5,000万円の資金の流れを追っている特捜部が家宅捜索したところ、吉川農相の不祥事が明るみになった。全く同じ構図である。
この構図を断ち切るためには、早く政権交代をして我々が政権の座に就く以外にないと思っている。